Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
ディックベイヤー(デストロイヤー)は本当にショーマンシップに溢れた楽しめるレスラーだった。今いないと思うト寂しいなぁ。
凄く貴重とも言える映像ありがとうございます。まさかまだ若かったとはいえあのハンセンがギブアップを言うなんて................しかもデストロイヤーとのシングルがあったなんて!!
あのwヘーシンクにも遊ばれてました。
スタンハンセン若いね!懐かしいよね、涙が出てきますわ。しかもデストロイヤーが着ているジャージの胸に日米の国旗が縫い付けられていて嬉しくなって来るね。デストロイヤーさんの息子さんが日本語を話しているのには驚きました。デストロイヤーは日本人にとって永遠のヒーローですよ。
萬朶の櫻 確か息子さんは大学で、日本語を選択したんですよね。
@@西田昌巳 サイン会に行ったことありましたけどこの時のシリーズのパンフレット(古本屋で入手)を見せたらカートさんに「懐かしいの持ってきましたね」と言われました。
こんな映像よく残っていたな。ハンセンは全日から新日に移ってからしか見てなかったから凄く貴重な映像だ。
ギブアップしたハンセンみたの初めてかも。本当にお宝映像だ
+さんおかっち 古傷があった左膝に喰い込んでますね、これは効きます。
デストロイヤーさんのご冥福をお祈りします
グリーンボーイ時代の映像あったんですね!コレは貴重です!!デストロイヤーの動きがイイ(≧∇≦)
ありがとうデストロイヤー
力道山、馬場、猪木と互角に渡り合った偉大なレスラーですね❗キャッチフレーズの『デストロイヤー一番』は永遠に語り継がれることになるでしょう。お疲れ様でした😢
デストロイヤーさん、あなたのファイトする姿は忘れません。ありがとう!
1分09秒辺りでハンセンが場外エスケープした際の逃げ回る子供は正しい行動ですねw
ザ・デストロイヤー。病に倒れて「もう日本に行けなくなった」と嘆いていたとか。懐かしい映像ありがとう。
体
9:55ディーー!からのエルボーはもうこの頃から
ハンセンは元々ファンク一家の門下生だから、そのつながりで全日へ送られたんでしょうね。ちなみに鶴田とボブ・バックランドも同期の門下生。鶴田が日本から送ってきた即席ラーメンをハンセンが勝手に食べていたとか、鶴田とそのラーメンをすすりながら将来の成功を語り合っていたとか逸話がありますね。
しかしデストロイヤーさん、いくら若いハンセン相手とは言え力負けしてないし絶えず主導権握ってて、やっぱり超一流のプロレスラーだったんだ!合掌
このころのハンセンは役どころが違っていたようですね。
まだ、場外にフェンスがない時代懐かしい!そして素晴らしいカード。
ハンセンの全日→新日への移籍は、話題にもならなかったが、新日→全日への移籍は、日本マット会の大事件となった。
私が人生で一番興奮した出来事です。
初来日のハンセン。後年、プロレスニュースでこの試合が紹介され、福沢アナから「このころのハンセンは、筋金入りの『とんだ一杯食わせ物』でしたね」とコメントされてました。
翌週には「先週は恥ずかしい思いしたけどディートンが慰めてくれたから今日は勝ちたウィー」www
凄いものを見させていただきまして、ありがとうございます!!(^o^)/
白いマットの頃だ!映像が綺麗。凄くレア。
この時、会場で見たお客さんは、その後ハンセンが大化けするとは予想していなかったでしょうね。そして倉持アナウンサーも解説の山田氏も。何よりも呼んだ馬場さんも。
ハンセン弱い!
*
@@user-je3wl6tn7u 弱いのではなくしょっぱかっただけ、この時点で一応元タッグ王者(オクラホマナショナルタッグ、後のミラクルパワーズで)経験者だったし。
スタン・ハンセンが全日本にUターンして不安だったのをサポートしたのはデストロイヤーと言われてます。
あか抜けない?🤔ハンセンを、“コウディネート?”したのは猪木さんでは?……🙄
この試合のダイジェストが、1990年頃、全日本プロレス中継内の「プロレスニュース」で放送されていたような・・・。福澤朗氏の吹き替えによると、当のハンセンは放送されたことがとても恥ずかしくて落ち込んだそうな。それをみたJディートンがハンセンを慰めてくれたとか。
筋金入りの喰わせ者😂😂😂
まだラリアットを開発する前の若手時代に初来日したのは全日本のマットなんだよね。この時はデストロイヤーははるか格上の選手。ベテランのインサイドワークに翻弄されたハンセンにとってはいい勉強になったことだろう。生涯プロレスラーを貫いたデストロイヤーのご冥福をお祈りします。
西野かな
若造よプロレスを舐めるなよ〜💢!!とばかりに貫禄勝ちしたデストロイヤーの円熟期。どんな強者にも下積みの苦労はあるということだね。。🌸🍶☆
超貴重な映像やん😆スゲーよ😉👍✨
ハンセン面白い!こんな時代もあったんですね❗
懐かしすぎるハンセンの若手時代の貴重なデストロイヤー戦の映像。
これはまだ涙のしょっぱい味付けでパンを食っていた頃のハンセン
必殺技のウエスタンラリアットを使う前ですね。
ハンセンは新日でデビューかと思っていたけど、もともと全日の選手だったんですね。知らなかった。全日→新日→全日、ということか。
私もハンセンは猪木との名勝負で知りました。しかしデストロイヤー上手いですね。「うわさのチャンネル」出てた頃かなぁ。🤔
ジャンボ鶴田さんとアマリロでの同期ですよ。
勉強になりました。ありがとうございます。
@@nyarome3 同期の定義がわからんがアマリロ時代を共有し話で、入門が同じとかの同期とは違うよ。それ以前にハンセンはファンクスの道場に入ってたし鶴田がアマリロに入った時代は既にデビュー前のハンセンそれから数カ月後に鶴田デビューだし、アマリロの話をよく日本では言われて誇張されるけど、実際は鶴田はプロレスの入団発表でアマリロの養成期間って半年も満たないんだよね、この時代の貧乏話でラーメンを分け合ったとか言うけど。 これはグリーンボーイでお金に困ってたハンセンの視点での話で鶴田は結構馬場のお膳立てがしっかりして他の人より恵まれてる環境で、しいて言えば鶴田が施しをしてた感があるって話なんだよな ハンセンが色々乗り越えてトップ戦線に上るのと、鶴田のようにエリートコースでファンクス兄弟の手厚い保護でのテレビの放映付きデビューや他の試合や海外サーキット、試合マッチメイク凱旋試合やらってひかれたレールで出世街道を進んだ鶴田と価値観の視点が違うんだな。だからと言って鶴田を非難するつもりはないけど。
@@unagiiinu0910まぁ、そんだけ厚遇したらそりゃ旧日プロ組も僻みますわな😅
デストロイヤーの全盛期は知らないのですが小柄な割に何か異様な力強さを感じます
スタン・ハンセンが全日本にUターンした時デストロイヤーが相談役になったと聞いたことがあります。だから全盛期を過ぎてもサマーアクションシリーズには来日してましたから馬場さんの信頼があったからこそだと思います。
大変懐かしい映像ですね。改めてデストロイヤーさんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
お宝映像ですね✨ありがとうございます。ブロディは、初来日からキングコングしてましたよね😊三人がかりでフォールしたのに、吹っ飛ばした?
こんな映像が見られるとは。感謝( T∀T)。
ハンセンのエルボードロップやニードロップの落とし方若い頃から変わってないな
初来日からヤンチャなハンセン、これが後に日本一の外人最強レスラーになったんだよな。
アッコさんとの絡みが忘れられません。ご冥福をお祈り致します。合掌。
ぽこ・ちーんwwwww
本当のお宝映像ですね(o^-')b !
まさかプロレスニュースのネタ映像になるとは思わなんだwww
まさに世界遺産の映像です!!。
これぞ力道山時代から力が落ちても日本で人気者のレスラーたるデストロイヤーの真骨頂のお客に見せるプロレスだよね。9:20のムーブなんか今でも、新日の矢野なんかやっても面白いと思う。幸運なことに日プロ後期から色んな団体今まで見てるけど。 デストロイヤーって本当に日本のプロレス界に貢献した方だと思うよ。こうやってコメントを見ているとあくまでも動画重視テレビの活躍視点で言ってるけど、デストロイヤーは地方の巡業でテレビも放映されていない場所でも、会場にいたジジババ、子供の本当お客を喜ばせるためのアピールやファンサービスそしてプロレスしてたんだよね。 それはキャリアが終える時期でもね。天龍革命の直前あたりの時期全日本の地方巡業ってあまり面白くないのが多かったけど彼だけは、なん例幅広いお客を楽しませていた。この時代のロッキー羽田さんもいい意味でデストロイヤーのジョバーだったな。 様々な縁で地方の興行でいい環境下でプロレスに接したけど子供の時に「イクツデスカっ?」って接してくれたのも彼だったかもというか俗に外国人と言葉を生まれて初めて交わしたのはデストロイヤーだったんだよな。 ある意味デストロイヤーは日本のプロレスにおいて観音様みたいな人じゃないかと思うんだよね。この映像でも、若きハンセンがデストロイヤーから試合を通してより一層のプロレスラー学ぼうとする姿勢が見受けられるし、本当にいい教材レスラーを見てきたんだろうな。
まだタイヤに左腕を叩きつけて鍛え上げる前だな。凄い貴重な映像をありがとう。
この半年後(1976年4月)、MSGでWWWFヘビー級王者ブルーノ・サンマルチノに挑戦してサンマルチノを負傷させ、サンマルチノが復帰して猪木vsアリのクローズドサーキットが行われるシェイスタジアムでサンマルチノと再戦したりして有名になって11月までWWWFにいてビンス・シニアのブッキングで昭和52年1月に新日初参戦した。
これがハンセン!?髪型のせいで誰だあんた?ってなったw
ハンセンが笑われてる時代が有ったんですね貴重な映像です
若き日のハンセン、ほぼ同世代の鶴田とはスターダムにのし上がる経緯が随分違うよね。
この頃のハンセンは色々試行錯誤してたんだろうね。サンマルチノの首を折ってから一気にスターダムにのし上がった。首折りの真相は別にして、アクシデントをプラスに作用させる運もあった。
勘違いコメントが色々あるから客観的にデータをこの試合は1975蔵前国技館の試合・ジャンボ鶴田 入団発表1972年10月 海外デビュー1973年3月 日本デビュー1973年10月・ハンセン サンマルチノ首折り事件1976年4月・猪木アリ戦1976年6月・新日本参戦1977年1月・ハンセンアンドレ戦1981月9月・ハンセン、全日本でのスヌーカ、ブロディーセコンドとして登場乱入。1981年12月それを踏まえると間違ってウイキの二次情報鵜呑みの人がいることがよくわかる。
懐かしいなあ。ハンセンがまだグリーンボーイだった頃の初来日の試合だね。このころはまだウェスタンラリアットも、試合前のウィ~も無かったから、さすがにデストロイヤー相手だと、決め技が無かったね。
+尹龍虎 左腕のサポーターも無い。
ハンセン、完璧にジョブに徹しているね
大相撲でいえば丁度同じ頃、新入幕であっさり負け越し再び十両陥落、。。後の大横綱・千代の富士とイメージがダブるハンセンの若き日のファイトですね。。(^^)🍺☆
デストロイヤーも天国へ旅立ってしまった…。昔のレスラーが次々に亡くなってしまい、プロレス好きとして悲しい…。
7:17西村修の動きの先駆けって感じました。軽やかデスト
と 言うより馬場やホーガンと同じ傾向の動きかたですね、多分ベースボール出身者の特徴かと思います♥️
本当に貴重な映像をありがとう。
すごい貴重な映像。ハンセンが「ウィー」(ユース)をしないし、ラリアットもない。エルボードロップだけはハンセンらしさがある。そんな時代の映像があったことに驚き。
初めてハンセンが上田馬之助に見えたww
レフェリーはディックマードックの親戚のジェリーマードックですね!
倉持アナが2:12でスタン・ハンセン186cm112kgと言っているが、そんなはずない。それならハンセンより少し低い猪木が184cmになってしまう。ハンセンと抗争を繰り広げていた頃の猪木が188cmだから、ハンセンは190cmはある。1981年12月にハンセンと1度だけタッグを組んだローランド・ボックが191cmで、これはサバ読みしないヨーロッパならではの実寸値だから信用できる。ハンセン186cmは逆サバに違いない。
ブレイクしてから190超えの135キロになってますね。www
これって、デストロイヤーのサイズでは?
@@土屋真吾-t1yよく聞いてください。ハンセンです。しかし「186cm112kgの巨体です」と言っています。大型レスラーの多い全日マットで186cm112kg程度では巨体とは言えず、倉持アナはいい加減だなと思います。
ジャンボ鶴田さんのオリンピック時の身長が193㎝らしいので、ハンセンさんもどう見ても190㎝はありますね
動きも良いし、客を湧かせるモノも持ってる。将来の片鱗は十分見えますね。スピードはあるのに太り過ぎてるからドタドタしてスタミナもとっとと切れる。決め技もない。この2つの欠点を是正した瞬間、ニューヨークでメインイベンターになったんですよね。古い自伝によれば、この来日で馬場のランニングネックブリーカーをヒントにラリアットを開発したそうです。
ハンセンのキャラ違う🤣
なにげにケンカ強かったなぁ。こんなハンセンも新鮮だな。首投げからのヘッドシザーズは様式美ですな。
一応 これ 師弟対決 みたいなもの フットボールタックル 合戦 ならば デストロイヤーが上手 足4の字は 力道山戦 見たい
ハンセンよりデストロイヤーの方が格上だったんですね。(この頃は)まだラリアットを身に付けていなかったのかな?ありがとうございます
これぞエンターテーメント。今の格闘技は汚くて見てられない。親日のエンターテナーにご冥福を。ご苦労様でした。
ツルタのラーメンをみんな食ってしまった頃・・・
実話だけど列伝では脚色入ってました、実際にはバックランドがいなかった。
ハンセンの日本デビューセンでしょうか???
初来日シリーズの最終戦ですね、当時はキャリア3年程度でした。NYでサンマルチノの首を折ったのはこの半年後です。
デストロイヤーって小さいんだな。172ぐらいか?全盛期のハンセンは190ぐらいあるから対比したらそれぐらいだろうな。
①ハンセンのタップアウト(ギブアップ)負けはこれ以外に浮ばないくらい貴重。②この時から「ブレーキの壊れたダンプカー」というくらい馬力と体力に関しては鶴田をも凌ぐ
ハンセン若いな
観客のリアクションのなさが時代を感じさせますね
当時のハンセンは新人だし、このあとダブルメインイベント2試合が控えているし、観客もアイドリング状態。スロットル全開はこのあと
ベテランテクニシャン、デストロイヤーの十八番余裕しゃくしゃくの貫禄勝ち。ハンセンはまだまだ若く、後の泣く子も黙る不沈艦の雄姿は正直浮かんでこない。人に歴史ありという言葉をしみじみ感じさせるプロレスファン珠玉の映像だね。。🏈🍻☆
Who is that guy wrestling The Destroyer, is it Stan Lane or Stan Hansen?
この頃はリングサイドに鉄柵がないんですね。ブッチャーの3本勝負も見てみたい
鉄柵なんて常設は新日がこの5年も後。フェンスデスマッチをきっかけで77年78年と一時的にフェンスが設けられたが。全日本は83年から。
全日がちゃんとした鉄柵にしたのは85年半ばあたりですね、それまでのフェンスはテニスの練習用を使ってたとか。
まだ新日参戦前のハンセンですね❗ロングホーンもラリアット様のサポーターもしていない
まずはデストロイヤー氏のご冥福を心よりお祈り申し上げますプロレスにおいて、必殺技っていかに大事か、ということがよくわかる試合ハンセンの動き自体は不沈艦と呼ばれ、外国人レスラーのトップになってからに比べればいささかスローだが、蹴って、殴って、投げ飛ばし、ぶつかる、ハンセンの繰り出す技?は実はこの時もその後も基本的には変わっていない。唯一にして最大の違いは、ウエスタンラリアット、という、プロレス史に燦然と輝く一撃必殺のフィニッシュホールドがあるか、無いか、だけつまり、相手も、観客も、この技が出たら試合は終わり、という説得力のある技がひとつあるだけで、レスラーの存在感というものは格段に違ってくるということ
ハンセンが日本での成功には、デストロイヤーがいたんよね。
1:07 ハンセンのこういうとこ好きw大男が暴れてるぞー蔵前国技館ってのも時代やね
日テレはちゃんと残してるですね。エライ!
+zenhippie2011 しかし「プロレス・ニュース」でネタ映像として扱ったのは如何なものかとww
このまま全日本にいたら多分、良くてダンカンとかジャガースのレベルだったっんじゃないかな? 佐藤昭雄さんも言ってますが「馬場さんは育てる感性は無い、猪木さんは俺がなんとかしたいって育てる。」とGスピリッツで語ってます。
又一人、時代を彩った人が去っていった・・・。
ハンセンのギブアップ負けは、これ以外聞いた事がない
スタンハンセンの長髪!(笑)
ハンセンこんな役も出来たんだなー。うまいわ
ハンセン若っ。
いっていたよりもっと身長体重ありそうだ
これ昔プロレスニュースで一部放送したことあるよ。福沢さんが、いや~当時のハンセンはとんだ一杯喰わせものですね、とコメントしたのを覚えてる。
こんなカードがあったのか、 ファイター(ハンセン)VS頭脳派(デストロ)って感じ。 まさに全日本プロレス全盛時代 当時はデストロイヤ―の貫禄勝ち。
昔のレフェリーのカウントのやる気の無さねw
ジョー樋口さんが裁いてないのが残念なところです(^^)。。☆
@@岡田康弘-e7pマーさんの従兄弟のジェリーさん
デストロイヤーさんのご冥福をお祈り申し上げます。
この頃から「やばい」か?
誰?金髪のレスラースタンスハンセン?( ; ゜Д゜)別人じゃないか
外人の髪色は年とともに変わりますので♥️
昔からファンサービスが上手い人だな‼(^^)
こんな髪型のハンセン初めてみました。左腕のサポーターもないので、この頃は彼の伝家の宝刀ウエスタン・ラリアットはなかったのかな?
新旧対決‼️唸る‼️
ハンセンも若かったですね。当時24歳でした。
ハンセン186センチ?
デストロイヤー,オツカレサマデシタ…
この後なんですかね??サンマルチノの首へし折ったのって。
半年後
しかもラリアットじゃなく、失敗ボディースラムで。
@@moonlightmile1970 スッポ抜けて投げっ放しツームストンになってしまった。
「プロレススーパースター列伝」では、もちろんラリアットで首折りに脚色。
ハンセンに見せてあげたいなああの時君は若かった~♪
ブッチャーなんかぶっちゃうよ
ハンセンがちょっと長髪で、ブロディっぽかったりする。
確か二人は大学からの親友でハンセンがブロディをプロレス界に誘ったはずですよ。
@@朝倉哲也-h4o そしてオクラホマのナショナルタッグ王者に。
この頃のハンセンは、まだ弱かったラリアットもやってない頃だったから。
意外といい試合だった。若手のハンセンの引き出しが少ない感じもするが、自身が出来る事はキッチリこなしてたと思う。後にメインを張り出したハンセンは、身体の大きい素人がドタバタ暴れるだけの感じが強かった。デストロイヤーはこの頃43歳か、この後45年もマスクを被ったまま生涯を終えるとは思ってもないだろうな、ご冥福をお祈りします。
思えばこの試合って「元vs後」のAWA王者対決ですね。
デストロイヤーは違うけど❔保持したのは旧WWA世界です、AWAは当時も持っていた(PWFに変更)ハワイ地区USヘビー級です😃尚旧AWA(傍流)王者のミスターXはビル-ミラーです♥️
@@sin8821 「Mr」ではなく「Dr」を名乗って王座に就いてました、因みに日プロがBI離脱でゴタついていた頃に吉原さん@国際が「Dr.X」での参戦オファーをかけたらしいですが既に馬場さんとの約束を交わしていたので流れた経緯があったそうです。
@@maruhiroya417 了解(笑)、ミラーはMr.とDr .使い分けてたので混ざりました(苦笑)\(__)♥️
@@sin8821 すみません、デストさんの事です。
@@maruhiroya417 ガニアにリマッチで取り返された時ですね😃ご免なさい、言い方がおかしかったですね\(__)♥️
ただの“オタクのデブちゃん🐷💨”スタンハンセン?🍃(貴重な映像📺️💨有難うございました。🙏)
超 黄金カードだな🤔
1:08 ブロディの動き(笑)8:06 アンドレの笑い(笑)(^。^)y-~(笑)
ディックベイヤー(デストロイヤー)は本当にショーマンシップに溢れた楽しめるレスラーだった。今いないと思うト寂しいなぁ。
凄く貴重とも言える映像ありがとうございます。
まさかまだ若かったとはいえあのハンセンがギブアップを言うなんて................
しかもデストロイヤーとのシングルがあったなんて!!
あのwヘーシンクにも遊ばれてました。
スタンハンセン若いね!
懐かしいよね、涙が出てきますわ。
しかもデストロイヤーが着ているジャージの胸に日米の国旗が縫い付けられていて嬉しくなって来るね。
デストロイヤーさんの息子さんが日本語を話しているのには驚きました。
デストロイヤーは日本人にとって永遠のヒーローですよ。
萬朶の櫻 確か息子さんは大学で、日本語を選択したんですよね。
@@西田昌巳
サイン会に行ったことありましたけどこの時のシリーズのパンフレット(古本屋で入手)を見せたらカートさんに「懐かしいの持ってきましたね」と言われました。
こんな映像よく残っていたな。
ハンセンは全日から新日に移ってからしか見てなかったから
凄く貴重な映像だ。
ギブアップしたハンセンみたの初めてかも。本当にお宝映像だ
+さんおかっち
古傷があった左膝に喰い込んでますね、これは効きます。
デストロイヤーさんのご冥福をお祈りします
グリーンボーイ時代の映像あったんですね!
コレは貴重です!!
デストロイヤーの動きがイイ(≧∇≦)
ありがとうデストロイヤー
力道山、馬場、猪木と互角に渡り合った偉大なレスラーですね❗
キャッチフレーズの『デストロイヤー一番』は永遠に語り継がれることになるでしょう。お疲れ様でした😢
デストロイヤーさん、あなたのファイトする姿は忘れません。
ありがとう!
1分09秒辺りでハンセンが場外エスケープした際の逃げ回る子供は正しい行動ですねw
ザ・デストロイヤー。
病に倒れて
「もう日本に行けなくなった」
と嘆いていたとか。
懐かしい映像ありがとう。
体
9:55ディーー!からのエルボーはもうこの頃から
ハンセンは元々ファンク一家の門下生だから、そのつながりで全日へ送られたんでしょうね。ちなみに鶴田とボブ・バックランドも同期の門下生。鶴田が日本から送ってきた即席ラーメンをハンセンが勝手に食べていたとか、鶴田とそのラーメンをすすりながら将来の成功を語り合っていたとか逸話がありますね。
しかしデストロイヤーさん、いくら若いハンセン相手とは言え力負けしてないし絶えず主導権握ってて、やっぱり超一流のプロレスラーだったんだ!合掌
このころのハンセンは役どころが違っていたようですね。
まだ、場外にフェンスがない時代
懐かしい!
そして素晴らしいカード。
ハンセンの全日→新日への移籍は、話題にもならなかったが、新日→全日への移籍は、日本マット会の大事件となった。
私が人生で一番興奮した出来事です。
初来日のハンセン。後年、プロレスニュースでこの試合が紹介され、福沢アナから「このころのハンセンは、筋金入りの『とんだ一杯食わせ物』でしたね」とコメントされてました。
翌週には「先週は恥ずかしい思いしたけどディートンが慰めてくれたから今日は勝ちたウィー」www
凄いものを見させていただきまして、ありがとうございます!!(^o^)/
白いマットの頃だ!
映像が綺麗。凄くレア。
この時、会場で見たお客さんは、その後ハンセンが大化けするとは予想していなかったでしょうね。そして倉持アナウンサーも解説の山田氏も。何よりも呼んだ馬場さんも。
ハンセン弱い!
*
@@user-je3wl6tn7u
弱いのではなくしょっぱかっただけ、この時点で一応元タッグ王者(オクラホマナショナルタッグ、後のミラクルパワーズで)経験者だったし。
スタン・ハンセンが全日本にUターンして不安だったのをサポートしたのはデストロイヤーと言われてます。
あか抜けない?🤔ハンセンを、“コウディネート?”したのは猪木さんでは?……🙄
この試合のダイジェストが、1990年頃、全日本プロレス中継内の
「プロレスニュース」で放送されていたような・・・。福澤朗氏の吹き替えによると、当のハンセンは放送されたことがとても恥ずかしくて落ち込んだそうな。それをみたJディートンがハンセンを慰めてくれたとか。
筋金入りの喰わせ者😂😂😂
まだラリアットを開発する前の若手時代に初来日したのは全日本のマットなんだよね。この時はデストロイヤーははるか格上の選手。ベテランのインサイドワークに翻弄されたハンセンにとってはいい勉強になったことだろう。生涯プロレスラーを貫いたデストロイヤーのご冥福をお祈りします。
西野かな
若造よプロレスを舐めるなよ〜💢!!とばかりに貫禄勝ちしたデストロイヤーの円熟期。どんな強者にも下積みの苦労はあるということだね。。🌸🍶☆
超貴重な映像やん😆スゲーよ😉👍✨
ハンセン面白い!
こんな時代もあったんですね❗
懐かしすぎるハンセンの若手時代の貴重なデストロイヤー戦の映像。
これはまだ涙のしょっぱい味付けでパンを食っていた頃のハンセン
必殺技のウエスタンラリアットを使う前ですね。
ハンセンは新日でデビューかと思っていたけど、もともと全日の選手だったんですね。知らなかった。全日→新日→全日、ということか。
私もハンセンは猪木との名勝負で知りました。しかしデストロイヤー上手いですね。「うわさのチャンネル」出てた頃かなぁ。🤔
ジャンボ鶴田さんとアマリロでの同期ですよ。
勉強になりました。ありがとうございます。
@@nyarome3
同期の定義がわからんがアマリロ時代を共有し話で、入門が同じとかの同期とは違うよ。それ以前にハンセンはファンクスの道場に入ってたし鶴田がアマリロに入った時代は既にデビュー前のハンセンそれから数カ月後に鶴田デビューだし、アマリロの話をよく日本では言われて誇張されるけど、実際は鶴田はプロレスの入団発表でアマリロの養成期間って半年も満たないんだよね、この時代の貧乏話でラーメンを分け合ったとか言うけど。
これはグリーンボーイでお金に困ってたハンセンの視点での話で鶴田は結構馬場のお膳立てがしっかりして他の人より恵まれてる環境で、しいて言えば鶴田が施しをしてた感があるって話なんだよな
ハンセンが色々乗り越えてトップ戦線に上るのと、鶴田のようにエリートコースでファンクス兄弟の手厚い保護でのテレビの放映付きデビューや他の試合や海外サーキット、試合マッチメイク凱旋試合やらってひかれたレールで出世街道を進んだ鶴田と価値観の視点が違うんだな。だからと言って鶴田を非難するつもりはないけど。
@@unagiiinu0910
まぁ、そんだけ厚遇したらそりゃ旧日プロ組も僻みますわな😅
デストロイヤーの全盛期は知らないのですが小柄な割に何か異様な力強さを感じます
スタン・ハンセンが全日本にUターンした時デストロイヤーが相談役になったと聞いたことがあります。だから全盛期を過ぎてもサマーアクションシリーズには来日してましたから馬場さんの信頼があったからこそだと思います。
大変懐かしい映像ですね。改めてデストロイヤーさんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
お宝映像ですね✨ありがとうございます。
ブロディは、初来日からキングコングしてましたよね😊三人がかりでフォールしたのに、吹っ飛ばした?
こんな映像が見られるとは。感謝( T∀T)。
ハンセンのエルボードロップやニードロップの落とし方若い頃から変わってないな
初来日からヤンチャなハンセン、これが後に日本一の外人最強レスラーになったんだよな。
アッコさんとの絡みが忘れられません。ご冥福をお祈り致します。合掌。
ぽこ・ちーんwwwww
本当のお宝映像ですね(o^-')b !
まさかプロレスニュースのネタ映像になるとは思わなんだwww
まさに世界遺産の映像です!!。
これぞ力道山時代から力が落ちても日本で人気者のレスラーたるデストロイヤーの真骨頂のお客に見せるプロレスだよね。
9:20のムーブなんか今でも、新日の矢野なんかやっても面白いと思う。
幸運なことに日プロ後期から色んな団体今まで見てるけど。
デストロイヤーって本当に日本のプロレス界に貢献した方だと思うよ。こうやってコメントを見ているとあくまでも動画重視テレビの活躍視点で言ってるけど、デストロイヤーは地方の巡業でテレビも放映されていない場所でも、会場にいたジジババ、子供の本当お客を喜ばせるためのアピールやファンサービスそしてプロレスしてたんだよね。
それはキャリアが終える時期でもね。天龍革命の直前あたりの時期全日本の地方巡業ってあまり面白くないのが多かったけど彼だけは、なん例幅広いお客を楽しませていた。この時代のロッキー羽田さんもいい意味でデストロイヤーのジョバーだったな。
様々な縁で地方の興行でいい環境下でプロレスに接したけど子供の時に「イクツデスカっ?」って接してくれたのも彼だったかもというか俗に外国人と言葉を生まれて初めて交わしたのはデストロイヤーだったんだよな。
ある意味デストロイヤーは日本のプロレスにおいて観音様みたいな人じゃないかと思うんだよね。
この映像でも、若きハンセンがデストロイヤーから試合を通してより一層のプロレスラー学ぼうとする姿勢が見受けられるし、本当にいい教材レスラーを見てきたんだろうな。
まだタイヤに左腕を叩きつけて鍛え上げる前だな。凄い貴重な映像をありがとう。
この半年後(1976年4月)、MSGでWWWFヘビー級王者ブルーノ・サンマルチノに挑戦してサンマルチノを負傷させ、サンマルチノが復帰して猪木vsアリのクローズドサーキットが行われるシェイスタジアムでサンマルチノと再戦したりして有名になって11月までWWWFにいてビンス・シニアのブッキングで昭和52年1月に新日初参戦した。
これがハンセン!?髪型のせいで誰だあんた?ってなったw
ハンセンが笑われてる時代が有ったんですね貴重な映像です
若き日のハンセン、ほぼ同世代の鶴田とはスターダムにのし上がる経緯が随分違うよね。
この頃のハンセンは色々試行錯誤してたんだろうね。サンマルチノの首を折ってから一気にスターダムにのし上がった。首折りの真相は別にして、アクシデントをプラスに作用させる運もあった。
勘違いコメントが色々あるから客観的にデータを
この試合は1975蔵前国技館の試合
・ジャンボ鶴田 入団発表1972年10月
海外デビュー1973年3月
日本デビュー1973年10月
・ハンセン サンマルチノ首折り事件1976年4月
・猪木アリ戦1976年6月
・新日本参戦1977年1月
・ハンセンアンドレ戦1981月9月
・ハンセン、全日本でのスヌーカ、ブロディーセコンドとして登場乱入。1981年12月
それを踏まえると間違ってウイキの二次情報鵜呑みの人がいることがよくわかる。
懐かしいなあ。ハンセンがまだグリーンボーイだった頃の初来日の試合だね。このころはまだウェスタンラリアットも、試合前のウィ~も無かったから、さすがにデストロイヤー相手だと、決め技が無かったね。
+尹龍虎
左腕のサポーターも無い。
ハンセン、完璧にジョブに徹しているね
大相撲でいえば丁度同じ頃、新入幕であっさり負け越し再び十両陥落、。。後の大横綱・千代の富士とイメージがダブるハンセンの若き日のファイトですね。。(^^)🍺☆
デストロイヤーも天国へ旅立ってしまった…。昔のレスラーが次々に亡くなってしまい、プロレス好きとして悲しい…。
7:17
西村修の動きの先駆けって感じました。
軽やかデスト
と 言うより馬場やホーガンと同じ傾向の動きかたですね、多分ベースボール出身者の特徴かと思います♥️
本当に貴重な映像をありがとう。
すごい貴重な映像。ハンセンが「ウィー」(ユース)をしないし、ラリアットもない。エルボードロップだけはハンセンらしさがある。そんな時代の映像があったことに驚き。
初めてハンセンが上田馬之助に見えたww
レフェリーはディックマードックの親戚のジェリーマードックですね!
倉持アナが2:12でスタン・ハンセン186cm112kgと言っているが、そんなはずない。それならハンセンより少し低い猪木が184cmになってしまう。ハンセンと抗争を繰り広げていた頃の猪木が188cmだから、ハンセンは190cmはある。1981年12月にハンセンと1度だけタッグを組んだローランド・ボックが191cmで、これはサバ読みしないヨーロッパならではの実寸値だから信用できる。ハンセン186cmは逆サバに違いない。
ブレイクしてから190超えの135キロになってますね。www
これって、デストロイヤーのサイズでは?
@@土屋真吾-t1yよく聞いてください。ハンセンです。しかし「186cm112kgの巨体です」と言っています。大型レスラーの多い全日マットで186cm112kg程度では巨体とは言えず、倉持アナはいい加減だなと思います。
ジャンボ鶴田さんのオリンピック時の身長が193㎝らしいので、ハンセンさんもどう見ても190㎝はありますね
動きも良いし、客を湧かせるモノも持ってる。将来の片鱗は十分見えますね。
スピードはあるのに太り過ぎてるからドタドタしてスタミナもとっとと切れる。決め技もない。
この2つの欠点を是正した瞬間、ニューヨークでメインイベンターになったんですよね。
古い自伝によれば、この来日で馬場のランニングネックブリーカーをヒントにラリアットを開発したそうです。
ハンセンのキャラ違う🤣
なにげにケンカ強かったなぁ。
こんなハンセンも新鮮だな。
首投げからのヘッドシザーズは様式美ですな。
一応 これ 師弟対決 みたいなもの フットボールタックル 合戦 ならば デストロイヤーが上手 足4の字は 力道山戦 見たい
ハンセンよりデストロイヤーの方が格上だったんですね。(この頃は)まだラリアットを身に付けていなかったのかな?ありがとうございます
これぞエンターテーメント。今の格闘技は汚くて見てられない。親日のエンターテナーにご冥福を。ご苦労様でした。
ツルタのラーメンをみんな食ってしまった頃・・・
実話だけど列伝では脚色入ってました、実際にはバックランドがいなかった。
ハンセンの日本デビューセンでしょうか???
初来日シリーズの最終戦ですね、当時はキャリア3年程度でした。NYでサンマルチノの首を折ったのはこの半年後です。
デストロイヤーって小さいんだな。
172ぐらいか?
全盛期のハンセンは190ぐらいあるから対比したらそれぐらいだろうな。
①ハンセンのタップアウト(ギブアップ)負けはこれ以外に浮ばないくらい貴重。
②この時から「ブレーキの壊れたダンプカー」というくらい馬力と体力に関しては鶴田をも凌ぐ
ハンセン若いな
観客のリアクションのなさが時代を感じさせますね
当時のハンセンは新人だし、このあとダブルメインイベント2試合が控えているし、観客もアイドリング状態。スロットル全開はこのあと
ベテランテクニシャン、デストロイヤーの十八番余裕しゃくしゃくの貫禄勝ち。ハンセンはまだまだ若く、後の泣く子も黙る不沈艦の雄姿は正直浮かんでこない。人に歴史ありという言葉をしみじみ感じさせるプロレスファン珠玉の映像だね。。🏈🍻☆
Who is that guy wrestling The Destroyer, is it Stan Lane or Stan Hansen?
この頃はリングサイドに鉄柵がないんですね。ブッチャーの3本勝負も見てみたい
鉄柵なんて常設は新日がこの5年も後。フェンスデスマッチをきっかけで77年78年と一時的にフェンスが設けられたが。全日本は83年から。
全日がちゃんとした鉄柵にしたのは85年半ばあたりですね、それまでのフェンスはテニスの練習用を使ってたとか。
まだ新日参戦前のハンセンですね❗
ロングホーンもラリアット様のサポーターもしていない
まずはデストロイヤー氏のご冥福を心よりお祈り申し上げます
プロレスにおいて、必殺技っていかに大事か、ということがよくわかる試合
ハンセンの動き自体は不沈艦と呼ばれ、外国人レスラーのトップになってからに比べればいささかスローだが、蹴って、殴って、投げ飛ばし、ぶつかる、ハンセンの繰り出す技?は実はこの時もその後も基本的には変わっていない。唯一にして最大の違いは、ウエスタンラリアット、という、プロレス史に燦然と輝く一撃必殺のフィニッシュホールドがあるか、無いか、だけ
つまり、相手も、観客も、この技が出たら試合は終わり、という説得力のある技がひとつあるだけで、レスラーの存在感というものは格段に違ってくるということ
ハンセンが日本での成功には、デストロイヤーがいたんよね。
1:07 ハンセンのこういうとこ好きw
大男が暴れてるぞー
蔵前国技館ってのも時代やね
日テレはちゃんと残してるですね。
エライ!
+zenhippie2011
しかし「プロレス・ニュース」でネタ映像として扱ったのは如何なものかとww
このまま全日本にいたら多分、良くてダンカンとかジャガースのレベルだったっんじゃないかな? 佐藤昭雄さんも言ってますが「馬場さんは育てる感性は無い、猪木さんは俺がなんとかしたいって育てる。」とGスピリッツで語ってます。
又一人、時代を彩った人が去っていった・・・。
ハンセンのギブアップ負けは、これ以外聞いた事がない
スタンハンセンの長髪!(笑)
ハンセンこんな役も出来たんだなー。うまいわ
ハンセン若っ。
いっていたよりもっと身長体重ありそうだ
これ昔プロレスニュースで一部放送したことあるよ。福沢さんが、いや~当時のハンセンはとんだ一杯喰わせものですね、とコメントしたのを覚えてる。
こんなカードがあったのか、 ファイター(ハンセン)VS頭脳派(デストロ)って感じ。 まさに全日本プロレス全盛時代 当時はデストロイヤ―の貫禄勝ち。
昔のレフェリーのカウントのやる気の無さねw
ジョー樋口さんが裁いてないのが残念なところです(^^)。。☆
@@岡田康弘-e7p
マーさんの従兄弟のジェリーさん
デストロイヤーさんのご冥福をお祈り申し上げます。
この頃から「やばい」か?
誰?金髪のレスラー
スタンスハンセン?( ; ゜Д゜)
別人じゃないか
外人の髪色は年とともに変わりますので♥️
昔からファンサービスが
上手い人だな‼(^^)
こんな髪型のハンセン初めてみました。左腕のサポーターもないので、この頃は彼の伝家の宝刀ウエスタン・ラリアットはなかったのかな?
新旧対決‼️唸る‼️
ハンセンも若かったですね。当時24歳でした。
ハンセン186センチ?
デストロイヤー,オツカレサマデシタ…
この後なんですかね??サンマルチノの首へし折ったのって。
半年後
しかもラリアットじゃなく、失敗ボディースラムで。
@@moonlightmile1970
スッポ抜けて投げっ放しツームストンになってしまった。
「プロレススーパースター列伝」では、もちろんラリアットで首折りに脚色。
ハンセンに見せてあげたいなあ
あの時君は若かった~♪
ブッチャーなんかぶっちゃうよ
ハンセンがちょっと長髪で、ブロディっぽかったりする。
確か二人は大学からの親友でハンセンがブロディをプロレス界に誘ったはずですよ。
@@朝倉哲也-h4o
そしてオクラホマのナショナルタッグ王者に。
この頃のハンセンは、まだ弱かったラリアットもやってない頃だったから。
意外といい試合だった。
若手のハンセンの引き出しが少ない感じもするが、自身が出来る事はキッチリこなしてたと思う。
後にメインを張り出したハンセンは、身体の大きい素人がドタバタ暴れるだけの感じが強かった。
デストロイヤーはこの頃43歳か、この後45年もマスクを被ったまま生涯を終えるとは思ってもないだろうな、ご冥福をお祈りします。
思えばこの試合って「元vs後」のAWA王者対決ですね。
デストロイヤーは違うけど❔保持したのは旧WWA世界です、AWAは当時も持っていた(PWFに変更)ハワイ地区USヘビー級です😃尚旧AWA(傍流)王者のミスターXはビル-ミラーです♥️
@@sin8821
「Mr」ではなく「Dr」を名乗って王座に就いてました、因みに日プロがBI離脱でゴタついていた頃に吉原さん@国際が「Dr.X」での参戦オファーをかけたらしいですが既に馬場さんとの約束を交わしていたので流れた経緯があったそうです。
@@maruhiroya417 了解(笑)、ミラーはMr.とDr .使い分けてたので混ざりました(苦笑)\(__)♥️
@@sin8821
すみません、デストさんの事です。
@@maruhiroya417 ガニアにリマッチで取り返された時ですね😃ご免なさい、言い方がおかしかったですね\(__)♥️
ただの“オタクのデブちゃん🐷💨”スタンハンセン?🍃(貴重な映像📺️💨有難うございました。🙏)
超 黄金カードだな🤔
1:08 ブロディの動き(笑)
8:06 アンドレの笑い(笑)
(^。^)y-~(笑)