Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
大人が不幸なのに、子供を幸せにできるはずないですね。
前までは仕事してないけど生きてました。今は仕事を見つけ死にました。
こういう話聞いたあとは河川敷で空を眺めたくなる。
辛い時に幸せの数を数えても幸福な気持ちにならないのはそういう事なんだって分かりました。家がある、家族が元気でいる、ご飯が食べれる、これだけでも相当この上ない幸せなはずなのに。戦中戦後の貧しい日本の子供たちはとてもよく笑っていたっていうコメントと一緒に当時の写真見たことがあるけどご飯が満足に食べれずひもじい生活してるのにあの当時の子供たちはみんな本当に幸せそうによく笑っていたそうです。人間が幸せに生きるって何不自由なく暮らすことじゃないと気づく。逆に便利すぎて物がありすぎると比例して幸福感が下がるのは身近な我が家でも感じていた。便利を追求し過ぎて、生きる為に色々面倒な事をやっていたそんな事がだんだん出来なくなってその結果やることが殆どなくなって考える力も無くなる。そして、ただお金稼いで時々遊んで物買ってるだけの人生になってる。虚無感。
物無質的に貧しかった時代、それを目標に頑張れたし、手に入る事によって満足感と充足感に浸れた。幸せを感じれた。至極分かりやすい現実を生きていた。高度経済成長期を終え、物質的にはほぼ満たされ、逆に行き詰まってしまった。人は何のために生きるのか?等の根源的な疑問に直面する事になってさ迷い続けているのが現代では無かろうか?そんな混迷した時に出てきたのがオウムのような団体じゃなかったのかなとも思う。結末は悲惨なものでした。根本的にさ迷い続けるしかないのかな?時代の変化が大きく且つ早く、ついていくのが困難、おまけに今般の感染症騒動、翻弄され過ぎて言葉が無い。
@@ぞうさん-c7eそれは2500年前に既にお釈迦様が同じことで悩んでましたよ。
@@gakkynonchan7886 古来からの人類の根源的な悩みであり問いでも有りますね。答えはなかなか無いですが、、、答えが無いのが良いのかも知れません。答えが有ったらロボットみたくなりそうだし、悩むのも悪くないし、悩みの中から、発見や気づきも生まれるからね。ともあれ人間稼業は楽じゃないです。ある意味人は悲しい存在でも有ります。
あやうく生き始める前に人生を終えるところでしたありがとうございます
勉強になります。
薄々感じてたことを言語化してくれてスッキリした
昔、仕事で疲れて帰るバスの中で養老先生の本を読んで癒されてました☺️。トーク動画も癒されます😊。頭の凝りがほぐれる〜☺️。
言葉の内容が理路整然としていて、男の私から見てもカッコイイなぁ…と思います。少しでも自分の人生に役立てたいと思える話ばかりで憧れます。
刺さりますねぇ。
働きすぎで思考を奪われた日本人。。。少しづつでいいから社会が健全なほうへ向かって欲しい。
ナシーム・ニコラス・タレブは言っています。人が本当に生きているといえるのは、何をするにしても誰とも競争にはならない場合であり、その場合に限る。人が存在していると言えるのは、はっきりした目的もなく、大義名分もなく、そして何よりも、誰か他の人の話に振り回されることもなく、思いのままに行動できる場合であり、かつその場合に限る。人が完全に存在しているといえるのは、話(や文章)が他人の話からとった断片で簡単に複製できないときであり、そのときに限る。論語にあります。子曰く、述べて作らず、信じて古を好む。温故知新。
家は月4万の借家でよい。毎夜の夕餉は稗でよい。頭の中に垂らされた人参はほどほどがよい。週末には近くのスーパー銭湯でゴロゴロしてるし、月に何度の近所の散歩も楽しい。嫁と毎日楽しく生きる今は、最高に幸せです。
貴重な動画をアップしてくださってありがとうございます。骨の折れる作業を、広告なしで。
ありがたいですね。
ずっと聴いてたい
内容が刺さりました、、仕事に悩み、悩みながら仕事してたらいつのまにかliving dead化してた事に気がつけた
刺さりますね。
世の中便利に快適になるほど人々の幸福は薄れるという矛盾かと言って慣れすぎた便利さから落とすことは出来ないんだね今から貧しい生活になれと言われても無理のように
おもしろいお爺さんだなぁ今日から生きるを考えてみるよちょっと遅かったかもだけど
毎日、楽しく過ごせることが私にとっての生きることです(*´ω`*)
生きることも出来てないかもしれないが、それ以前に仕事も出来てない😭
自分もそんな感じかも
死んでます。生きてないです。会社の経営だけが生きてます。働く方は死んでます。
養老先生の後輩(栄光学園、東京大学)である隈(研吾)さんが、「大学のキャンパスがオフィスビルのように画一化されている」「空調設備で四季を通して温度が管理された無機質な空間」という内容の発言をされていたことを思い出しますこの点について、養老先生風に指摘するなら、「そんな中で10代の頃から定年まで働いてたら、”田んぼは人間である”つまり”人間が自然の一部である”ということを忘れさせます」と喝破するかもしれません。
100年、200年前でもこの国はどこの国と比較することなく、幸せとは何か?という問いに答えを出していた。その具体例が当時の子どもの姿だったという壮大なお話、✨
養老先生の言うことは実感として本当によく分かる。日本だけでなくアメリカやヨーロッパも似たような状態だから、先進国というのは世の中が頭の理屈ばかりになっていく国なんだと思う。この現象を止めることは出来ないんじゃないかな? 途上国に行くと様子は全く違っていて、社会が不安定なので有り得ないことが次々と巻き起こるわけだが、同じ現代でもこれほど人間の生き方が違うものなのかとビックリしますね。自然に近い生き方なのは間違いなく途上国の人達。先進国は人工的な人生になりやすいと思う。あと日本人はたしかに個を生きてないですね。外人はメチャクチャでもバカでもその人なりの人生を生きている。それを周りは邪魔しない。バカはバカでほっとく。まぁその結果、バカは当然酷い目に遭うわけだけどw 外国は個人主義の社会だから良くも悪くも個人が生きている。日本は集団主義で、周りと同じように生きることを強要される社会なんで、周りと同じように生きることが当然だと思っているし、それに価値があると思っているし、それが幸せだと思っている。だから会社とか家族とかいう集団と縁が切れてしまうと何をしていいか分からなくなるんじゃないかな。色んな国に住んでみるのが人間にとって良いと私は思います。
大学生5回生です。養老先生と同じ疑問を持ってたところです。仕事も重要ですが、人生において日本人はそれの割合が大きすぎる気がします。そして「分業」は確かに世を物質的に幸福に、豊かにはしましたが、「精神的な豊かさ」には寄与してませんね。世界には「足るを知る」が足りていないのです。
その疑問、これからも持っててな。考え方が変わる瞬間が今後ちょいちょい出てくるだろうが、めげずに忘れんでくれ
留年してるんだwwwww 能弁たれてないで単位取れよwwwwww
仕事することでしか自分を認められないんよそっとしといてあげて
@@yichenwang1600 医学部って知ってる?
"コンピューターが得意なことを人間がやっている" というのは、そう思います。ある課題の結論に白黒はっきりつける、というのもこれに当たると感じています。どうしても0か1で考えたくなる人の多さに違和感を感じていました。はっきり結論づけることで万人にわかりやすいのですが、ファジーな状況を無理矢理0か1で結論を出してしまうと正しい結論に導けないはずなのです。
人間の身体の中で、脳は基本的に怠けたい器官ではないかと思います。だから、ゼロか1の簡単な結論を出したがる。そうすれば、それ以上考えなくて済むから。行動しなくて済むから。「考える」って本来、全身運動ではないかと思うんですよね。図書館に行く、講演に行く、人に会うも「考える」の一部。頭優位の現代人は、そんなことも面倒になっちゃったのかもしれない。あるいは、圧倒的な情報量を処理することに消耗して、本当に必要なことを考えられなくなったのかも。
現代の倦怠感はゲームでチート使った瞬間に飽きるあれと似てる気がした
凄いですね。ある意味正しいかも
面白い考えですね👍
そうですね。
まさしく!生きるって分かんないです😭💦
スクアット10回って10秒で出来るけど、それすら時間無いとか自分に言い聞かせるのも、日常に潜む生きる事の先延ばしだと思う
ハハハ。トイレに行くたびにやりゃあいいやん
心があって体があるんじゃなくて体があるから心があるのです。
この人が未だに生きてるのが信じられない。よく長生きは運ゲーっていうけどこの人だけは自然の力纏っててもおかしくない。
ありがとうございます☺️
働くために生きるでも生きるために働くでもない
福田恆存も言っている、現代よ現代人よ立ち止まれ、と。
権力者たちに馬車馬のように生きさせられている気がするわ8時間も集中力続かんからね日本人を奴隷のように働かせすぎ戦後から腑抜けにさせられ奴隷になるって悲しみしかないね
養老さん、大尊敬していますm(__)m いい話をありがとうございました
体使うの楽しいからね。
男はつらいよあたりの風景、ゆるさ、もうなくなった感じもします。せめて子供はほっぽらかしてあげたい。
初めまして 武田邦彦教授も 似たことを おっしゃっていましたね ありがとうございました 失礼いたします
見事に破壊されましたな笑笑 自分もハリスの言葉はずっと頭に居る。もうアジア的日本的幸せはないんだなとみんなのことは知らなくなった。知らないし分からないから危険 個人化され システマティックに動くだけ
途中の明治の外人の書いた本はたぶん、「逝きし世の面影」です
「第十章 子どもの楽園」ですね。
@@Bluemountainication この本、読んでみます。貴重な情報、有難いです。たまたまこちらの動画を拝見したんですが、素晴らしい内容ですねぇ。やっぱ江戸時代は素晴らしい時代だったんだ、って思うような話で。私自身、最近まで、学校で習った江戸時代は身分制度がどうとかそういう話ばかりで素晴らしい時代とは思えなかったんです。ですが、自身、気功や古流武術なんかをやっているうちに、最近では、ちょっと待て、今私が到達したレベル以上の連中がゴロゴロいた時代は素晴らしい時代だったに違いない、って思わざるを得ないんですよ。
当たり前のことだよなぁ!みんな周りは仕事好きそうで\オワタ/
わかる人には、わかると思う。知人が、ペリカをもらう為に、働いてる。と、ぼやいていた。
文明化の中で個人の生物性は失われつつあるように思えるけど、人間社会全体で見たら成長を渇望するような生物的な要素がある気がする(全体主義を支持するわけではないです)
全部、自分次第。ただ、自分に嘘ついて生きていくのは幸せかといったらそうではないかも。ただ、不幸かといったらそうでもない。働けばお金もある程度あるし、素敵なことはたくさんある。逆に上流階級はお金のことばっかり考えて不幸だなとも思う。家族つくって幸せと言い聞かせてる人もいるだろう。ただ、幸せになりたいなら勝負するだけ。おれはする。負けて、自分の望むべき場所以外で生きることになっても、幸せにはなれる。自分に嘘つかなかった人生だから。そして、世界には素敵なことがたくさんあるから。
耳が痛いなぁ…ぶっ刺さる
これから若者の間でFIREみたいな生き方が大流行するんやろなぁ
優秀な若者は海外へ行き、生活保護受給者と高齢者、外国人労働者だけの国になったりして
養老先生の話がいつまで聞けるか。ちゃんと噛み締めて聞きましょう。
nice job! good job!!
システム化して効率化して人がロボット化して幸せってなんだろうってなってるなんでも手に入るけど幸せが無い国日本
産業革命後、帳簿上の人間の幸福論が数多くなされた上で、日本の職業については反論が少い、✨
養老さんが1番頭で考えてるように思えてしまう。…
ここで言う生きることは体を動かすことでしょうか?
そうです身体を動かすことは五感を使うことだと思います頭じゃないです心と体を動かすんだと思います。運動じゃなくても旅行でも、趣味でも、ツーリングでも、釣りでもなんでもいい身体を動かして自然と触れ合うことだと思います
そういう人たちがいるから好きなことやれてます笑社会の歯車が沢山いて嬉しいね
身体は動かしまくってますけど
되게아늑했거든요、정말실제로냄새도났고 미술감독정말최고다라는생각도들었고.
コンピュータでも出来る将棋をやるのは無駄というのは残念ながらその通りだと思う。
たぶん死んでる人は働かんわな
働かないなら、誰かに働いて貰っているという事つまり、扶養されているわけで生殺与奪の権利を他人に委ねている状態であるそんなものが、自分で生きていると言える筈がない
根のシン
このおじいちゃん誰だかしらないけどなかなか良いこと言うじゃない!
大人が不幸なのに、子供を幸せにできるはずないですね。
前までは仕事してないけど生きてました。今は仕事を見つけ死にました。
こういう話聞いたあとは河川敷で空を眺めたくなる。
辛い時に幸せの数を数えても幸福な気持ちにならないのはそういう事なんだって分かりました。家がある、家族が元気でいる、ご飯が食べれる、これだけでも相当この上ない幸せなはずなのに。戦中戦後の貧しい日本の子供たちはとてもよく笑っていたっていうコメントと一緒に当時の写真見たことがあるけどご飯が満足に食べれずひもじい生活してるのにあの当時の子供たちはみんな本当に幸せそうによく笑っていたそうです。人間が幸せに生きるって何不自由なく暮らすことじゃないと気づく。逆に便利すぎて物がありすぎると比例して幸福感が下がるのは身近な我が家でも感じていた。便利を追求し過ぎて、生きる為に色々面倒な事をやっていたそんな事がだんだん出来なくなってその結果やることが殆どなくなって考える力も無くなる。そして、ただお金稼いで時々遊んで物買ってるだけの人生になってる。虚無感。
物無質的に貧しかった時代、それを目標に頑張れたし、手に入る事によって満足感と充足感に浸れた。幸せを感じれた。至極分かりやすい現実を生きていた。
高度経済成長期を終え、物質的にはほぼ満たされ、逆に行き詰まってしまった。人は何のために生きるのか?等の根源的な疑問に直面する事になってさ迷い続けているのが現代では無かろうか?そんな混迷した時に出てきたのがオウムのような団体じゃなかったのかなとも思う。結末は悲惨なものでした。根本的にさ迷い続けるしかないのかな?時代の変化が大きく且つ早く、ついていくのが困難、おまけに今般の感染症騒動、翻弄され過ぎて言葉が無い。
@@ぞうさん-c7e
それは2500年前に既にお釈迦様が同じことで悩んでましたよ。
@@gakkynonchan7886
古来からの人類の根源的な悩みであり問いでも有りますね。答えはなかなか無いですが、、、答えが無いのが良いのかも知れません。答えが有ったらロボットみたくなりそうだし、悩むのも悪くないし、悩みの中から、発見や気づきも生まれるからね。ともあれ人間稼業は楽じゃないです。ある意味人は悲しい存在でも有ります。
あやうく生き始める前に人生を終えるところでしたありがとうございます
勉強になります。
薄々感じてたことを言語化してくれてスッキリした
昔、仕事で疲れて帰るバスの中で養老先生の本を読んで癒されてました☺️。
トーク動画も癒されます😊。頭の凝りがほぐれる〜☺️。
言葉の内容が理路整然としていて、男の私から見てもカッコイイなぁ…と思います。少しでも自分の人生に役立てたいと思える話ばかりで憧れます。
刺さりますねぇ。
働きすぎで思考を奪われた日本人。。。
少しづつでいいから社会が健全なほうへ向かって欲しい。
ナシーム・ニコラス・タレブは言っています。
人が本当に生きているといえるのは、何をするにしても
誰とも競争にはならない場合であり、その場合に限る。
人が存在していると言えるのは、はっきりした目的もなく、
大義名分もなく、そして何よりも、誰か他の人の話に
振り回されることもなく、思いのままに行動できる
場合であり、かつその場合に限る。
人が完全に存在しているといえるのは、話(や文章)が
他人の話からとった断片で簡単に複製できないときであり、
そのときに限る。
論語にあります。
子曰く、述べて作らず、信じて古を好む。温故知新。
家は月4万の借家でよい。
毎夜の夕餉は稗でよい。
頭の中に垂らされた人参はほどほどがよい。
週末には近くのスーパー銭湯でゴロゴロしてるし、月に何度の近所の散歩も楽しい。
嫁と毎日楽しく生きる今は、最高に幸せです。
貴重な動画をアップしてくださってありがとうございます。骨の折れる作業を、広告なしで。
ありがたいですね。
ずっと聴いてたい
内容が刺さりました、、
仕事に悩み、悩みながら仕事してたらいつのまにかliving dead化してた事に気がつけた
刺さりますね。
世の中便利に快適になるほど人々の幸福は薄れるという矛盾
かと言って慣れすぎた便利さから落とすことは出来ないんだね
今から貧しい生活になれと言われても無理のように
おもしろいお爺さんだなぁ
今日から生きるを考えてみるよ
ちょっと遅かったかもだけど
毎日、楽しく過ごせることが私にとっての生きることです(*´ω`*)
生きることも出来てないかもしれないが、それ以前に仕事も出来てない😭
自分もそんな感じかも
死んでます。生きてないです。会社の経営だけが生きてます。働く方は死んでます。
養老先生の後輩(栄光学園、東京大学)である隈(研吾)さんが、
「大学のキャンパスがオフィスビルのように画一化されている」
「空調設備で四季を通して温度が管理された無機質な空間」
という内容の発言をされていたことを思い出します
この点について、養老先生風に指摘するなら、
「そんな中で10代の頃から定年まで働いてたら、
”田んぼは人間である”つまり”人間が自然の一部である”ということを忘れさせます」
と喝破するかもしれません。
100年、200年前でもこの国はどこの国と比較することなく、幸せとは何か?という問いに答えを出していた。その具体例が当時の子どもの姿だったという壮大なお話、✨
養老先生の言うことは実感として本当によく分かる。日本だけでなくアメリカやヨーロッパも似たような状態だから、先進国というのは世の中が頭の理屈ばかりになっていく国なんだと思う。この現象を止めることは出来ないんじゃないかな? 途上国に行くと様子は全く違っていて、社会が不安定なので有り得ないことが次々と巻き起こるわけだが、同じ現代でもこれほど人間の生き方が違うものなのかとビックリしますね。自然に近い生き方なのは間違いなく途上国の人達。先進国は人工的な人生になりやすいと思う。あと日本人はたしかに個を生きてないですね。外人はメチャクチャでもバカでもその人なりの人生を生きている。それを周りは邪魔しない。バカはバカでほっとく。まぁその結果、バカは当然酷い目に遭うわけだけどw 外国は個人主義の社会だから良くも悪くも個人が生きている。日本は集団主義で、周りと同じように生きることを強要される社会なんで、周りと同じように生きることが当然だと思っているし、それに価値があると思っているし、それが幸せだと思っている。だから会社とか家族とかいう集団と縁が切れてしまうと何をしていいか分からなくなるんじゃないかな。色んな国に住んでみるのが人間にとって良いと私は思います。
大学生5回生です。
養老先生と同じ疑問を持ってたところです。
仕事も重要ですが、人生において日本人はそれの割合が大きすぎる気がします。
そして「分業」は確かに世を物質的に幸福に、豊かにはしましたが、「精神的な豊かさ」には寄与してませんね。世界には「足るを知る」が足りていないのです。
その疑問、これからも持っててな。
考え方が変わる瞬間が今後ちょいちょい出てくるだろうが、めげずに忘れんでくれ
留年してるんだwwwww 能弁たれてないで単位取れよwwwwww
仕事することでしか自分を認められないんよ
そっとしといてあげて
@@yichenwang1600 医学部って知ってる?
"コンピューターが得意なことを人間がやっている" というのは、そう思います。ある課題の結論に白黒はっきりつける、というのもこれに当たると感じています。
どうしても0か1で考えたくなる人の多さに違和感を感じていました。はっきり結論づけることで万人にわかりやすいのですが、ファジーな状況を無理矢理0か1で結論を出してしまうと正しい結論に導けないはずなのです。
人間の身体の中で、脳は基本的に怠けたい器官ではないかと思います。だから、ゼロか1の簡単な結論を出したがる。そうすれば、それ以上考えなくて済むから。行動しなくて済むから。
「考える」って本来、全身運動ではないかと思うんですよね。図書館に行く、講演に行く、人に会うも「考える」の一部。
頭優位の現代人は、そんなことも面倒になっちゃったのかもしれない。あるいは、圧倒的な情報量を処理することに消耗して、本当に必要なことを考えられなくなったのかも。
現代の倦怠感はゲームでチート使った瞬間に飽きるあれと似てる気がした
凄いですね。ある意味正しいかも
面白い考えですね👍
そうですね。
まさしく!生きるって分かんないです😭💦
スクアット10回って10秒で出来るけど、それすら時間無いとか自分に言い聞かせるのも、日常に潜む生きる事の先延ばしだと思う
ハハハ。トイレに行くたびにやりゃあいいやん
心があって体があるんじゃなくて
体があるから心があるのです。
この人が未だに生きてるのが信じられない。よく長生きは運ゲーっていうけどこの人だけは自然の力纏っててもおかしくない。
ありがとうございます☺️
働くために生きるでも
生きるために働くでもない
福田恆存も言っている、現代よ現代人よ立ち止まれ、と。
権力者たちに馬車馬のように生きさせられている気がするわ
8時間も集中力続かんからね
日本人を奴隷のように働かせすぎ
戦後から腑抜けにさせられ奴隷になるって悲しみしかないね
養老さん、大尊敬していますm(__)m いい話をありがとうございました
体使うの楽しいからね。
男はつらいよあたりの風景、ゆるさ、もうなくなった感じもします。せめて子供はほっぽらかしてあげたい。
初めまして 武田邦彦教授も 似たことを おっしゃっていましたね ありがとうございました 失礼いたします
見事に破壊されましたな笑笑
自分もハリスの言葉はずっと頭に居る。
もうアジア的日本的幸せはないんだなと
みんなのことは知らなくなった。知らないし分からないから危険
個人化され システマティックに動くだけ
途中の明治の外人の書いた本はたぶん、「逝きし世の面影」です
「第十章 子どもの楽園」ですね。
@@Bluemountainication この本、読んでみます。貴重な情報、有難いです。
たまたまこちらの動画を拝見したんですが、素晴らしい内容ですねぇ。
やっぱ江戸時代は素晴らしい時代だったんだ、って思うような話で。
私自身、最近まで、学校で習った江戸時代は身分制度がどうとかそういう話ばかりで素晴らしい時代とは思えなかったんです。
ですが、自身、気功や古流武術なんかをやっているうちに、最近では、ちょっと待て、今私が到達したレベル以上の連中がゴロゴロいた時代は素晴らしい時代だったに違いない、って思わざるを得ないんですよ。
当たり前のことだよなぁ!みんな周りは仕事好きそうで\オワタ/
わかる人には、わかると思う。
知人が、ペリカをもらう為に、働いてる。と、ぼやいていた。
文明化の中で個人の生物性は失われつつあるように思えるけど、人間社会全体で見たら成長を渇望するような生物的な要素がある気がする
(全体主義を支持するわけではないです)
全部、自分次第。
ただ、自分に嘘ついて生きていくのは幸せかといったらそうではないかも。
ただ、不幸かといったらそうでもない。
働けばお金もある程度あるし、素敵なことはたくさんある。
逆に上流階級はお金のことばっかり考えて不幸だなとも思う。
家族つくって幸せと言い聞かせてる人もいるだろう。
ただ、幸せになりたいなら勝負するだけ。
おれはする。
負けて、自分の望むべき場所以外で生きることになっても、幸せにはなれる。自分に嘘つかなかった人生だから。
そして、世界には素敵なことがたくさんあるから。
耳が痛いなぁ…ぶっ刺さる
これから若者の間でFIREみたいな生き方が大流行するんやろなぁ
優秀な若者は海外へ行き、生活保護受給者と高齢者、外国人労働者だけの国になったりして
養老先生の話がいつまで聞けるか。ちゃんと噛み締めて聞きましょう。
nice job!
good job!!
システム化して効率化して人がロボット化して幸せってなんだろうってなってる
なんでも手に入るけど幸せが無い国日本
産業革命後、帳簿上の人間の幸福論が数多くなされた上で、日本の職業については反論が少い、✨
養老さんが1番頭で考えてるように思えてしまう。…
ここで言う生きることは体を動かすことでしょうか?
そうです
身体を動かすことは五感を使うことだと思います
頭じゃないです
心と体を動かすんだと思います。
運動じゃなくても
旅行でも、趣味でも、ツーリングでも、釣りでもなんでもいい
身体を動かして自然と触れ合うことだと思います
そういう人たちがいるから好きなことやれてます笑
社会の歯車が沢山いて嬉しいね
身体は動かしまくってますけど
되게아늑했거든요、정말실제로냄새도났고 미술감독정말최고다라는생각도들었고.
コンピュータでも出来る将棋をやるのは無駄というのは残念ながらその通りだと思う。
たぶん死んでる人は働かんわな
働かないなら、誰かに働いて貰っているという事
つまり、扶養されているわけで
生殺与奪の権利を他人に委ねている状態である
そんなものが、自分で生きていると言える筈がない
根のシン
このおじいちゃん誰だかしらないけどなかなか良いこと言うじゃない!