兵庫県の陣屋・三日月陣屋(限りなくお城に近い縄張りの陣屋。三日月陣屋って時代小説に出てきそうなネーミングですがれっきとした地名が由来)

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  • Опубликовано: 29 дек 2024

Комментарии • 6

  • @-FAX-
    @-FAX- 2 года назад +1

    0:42 公衆電話や

    • @お城漫遊
      @お城漫遊  2 года назад

      今時、公衆電話は珍しいですね。

  • @アプリ-z9x
    @アプリ-z9x Год назад +1

    今からですね30数年前の事ですがね、佐用町の利神城に嫁さんと子供達を連れて利神城に登り子供を抱いて利神城の天守があった場所まで上がった事を覚えていますね、そして天守ヘ上がった反対側には細い道が有り確かですね、立て札の絵図面にはこの下には処刑場所があったと書かれてあったと思います、その頃は利神城の天守の近くぐらいまでクルマで上がれた事を覚えていますね、しかし今は天守までは上がれないそうですね
    そして利神城をおり帰り道に三日月城に行ったのですがね、三日月城跡には建設会社の資材置き場となり資材が沢山置かれていたのを覚えていてガックリして帰った事を覚えていますね、しかしYou Tubeで見て今はその頃とは違ってとても綺麗になり三日月陣屋も復活されていてビックリしました、本当に良かったですね、

    • @お城漫遊
      @お城漫遊  Год назад

      コメント有難うございます。

  • @照烈院敬
    @照烈院敬 Год назад

    門自体で、どれだけの格式の武家か分かるそうですね!!

    • @お城漫遊
      @お城漫遊  Год назад

      そうですね。ある武士が長屋門のある立派な屋敷を譲り受けて住もうとしたが、藩の重役から身分不相応だと非難されたとか。その為に両側の長屋部分を取り払ったとか。