郡山城天守台展望施設整備事業 第3回 紹介動画

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  • Опубликовано: 2 ноя 2024

Комментарии • 130

  • @バレーグリーン
    @バレーグリーン 3 года назад +2

    お城の石垣 修復という難題を、現代の技術を、見せて頂き ありがとうございます。
    職人魂 素晴らしい。
    復元の 難しさ。本当にお疲れ様でした。
    日本人の底力 見せていただきました。
    ありがとうございました😊
    チラッと時代背景まで、垣間見れた事 これからも、お城の存在の素晴らしさを実感して行きたいです。

  • @tomorrow1563
    @tomorrow1563 3 года назад +27

    めちゃくちゃわかりやすい解説、こうだからこう、こうだからこうなるというのがわかっている職人技、プロの驚きと興奮、すべてが面白すぎる。これはいい動画。

  • @アルファ-y4o
    @アルファ-y4o 3 года назад +13

    素晴しい仕事をされた 職人さん達が 重機の無い昔の職人さんたちの
    仕事に感動されたことに 見ている我々も 感動しました。

  • @中村光男-o7d
    @中村光男-o7d 3 года назад +3

    城跡を動画探訪して今になってやっとたどり着いた者です。郡山城天守台野面積みの免震構造に感銘です! 石同士の点での接合、逆石の介石といい、盛り土と裏込め石のジグザグといい、昔の人達の知恵と技巧に唯々驚かされるばかりです。石垣に興味を持つ者ですが、大和郡山市が貴重な動画を挙げて下さりありがとうございました。

  • @Dクエスト
    @Dクエスト 3 года назад +7

    こう言う番組を見るとワクワクしてしまう(*^_^*)
    昔の人の知恵と工夫、そして忍耐力、どれ程過酷な作業も何の苦労も感じさせない人々に、
    本当に尊敬し、敬服と感謝します。
    そしてこれを修復した人々にありがとう・お疲れ様でした。

  • @大西康文
    @大西康文 3 года назад +13

    凄い!解体作業・組み直し作業に携わった人達、ご苦労様でした。文化財を維持・管理する事は大変な事ですね。日本人の修復にかける思いが世界的に突出している事が良く解りました。エジプトの修復やノートルダム寺院の修復に日本の技術や工夫が、求められる事が理解出来ました。

  • @MrSucculents
    @MrSucculents 3 года назад +18

    この小さな場所に大きな歴史を感じさせる、飽きさせないテンポ感もよくてまとめ方が素晴らしい😢

  • @popai9630
    @popai9630 3 года назад +21

    職人さんの技 凄いですよ 世界に誇る技術だと思います

  • @higashioosaka
    @higashioosaka 4 года назад +28

    解体途中の石垣を見に行ったが、これほど大変な作業だったのか。
    慎重で細心、彼ら職人たちにリスペクトを感じてしまう。

  • @阿-o7u
    @阿-o7u 3 года назад +9

    こんな貴重な映像を制作していただいてありがとうございます。面白かったし感動しました。

  • @司馬宏
    @司馬宏 3 года назад +34

    昔の職人さんはもちろんの事
    今現在の職人さんも素晴らしい技術
    これは絶対に後世に引き継いでほしい

    • @reikoamano102
      @reikoamano102 3 года назад +4

      どんどん、こうした工事をやっていくことです。お金掛かりますよ。覚悟も必要です。

  • @KaraAgeAtoZ
    @KaraAgeAtoZ 3 года назад +11

    じつに良い動画でした!
    職人さんの実に細やかな作業に感服致しました。
    400年前の職人の技術もさる事ながら現代の職人も素晴らしい。
    当時は長持ちさせる事が第一ではなく戰の時代のさなかに作り上げて現代での修築。今回のキッチリとした修築では400年以上持つかも知れませんね!
    しかし、クレーンのない400年前って800kg超えの石をあれ程の高所にどうやって積んだのか?本当にすごい事ですね!

  • @ankoukentsuku
    @ankoukentsuku 3 года назад +12

    ホントウに凄い!の一言だ!
    さりげない動作に経験値の高さを感じる。ものすごい職人さん方だ!
    石積みについては言わずのがな物凄い技術だ。
    学者先生もそりゃ舌を巻くのも無理もない。
    全く触れられていなかったがワイヤー一本掛けで
    2.8トンの石をブレなく垂直に上げる玉掛けの技術には鳥肌が立った!

    • @reikoamano102
      @reikoamano102 3 года назад

      繊細さと的確は判断!ですね。

  • @ciro3974
    @ciro3974 3 года назад +2

    感動いたしました!
    自分も小規模ではありますが石積みをしたことがありまして、一つの石を動かすのだけでも大変だというのを知っています。
    その上で今回は元あった姿に復元するという、とんでもなく途方もない仕事ですね。本当に素晴らしいです。感動しました。
    石積みに関する説明など動画のクオリティも高くとても勉強になりましたしyoutubeというプラットフォームの有効活用だと感じました。
    職人さんをはじめとするたくさんの方々、お疲れ様です!

    • @yken6912
      @yken6912 3 года назад +1

      ありがとうございます。この動画の制作者です。実際に石積みされた方から褒めていただけると、とても嬉しいです。私も職人さんたちの仕事ぶりは本当に素晴らしいと間近で見ていて思いました。解説わかりやすいと言っていただきありがとうございます。元々、市からのオーダーで「中学生が見てわかるように」とあり(市内の中高や図書館に配布するので)、相当嚙み砕いて説明方法を考えました。専門家の方のチェックが入るとどうしても専門用語で難解になってしまって、「すいません、この言い方、専門的には正しいと思うのですが、一般の人にはわからないと思うので、こういう表現でもいいでしょうか?」とチェックが入る度にまた差し戻す、という事をやってました。

  • @kumosukeponsuke
    @kumosukeponsuke 3 года назад +3

    とてもいいものを拝見させていただきました。

  • @lkmayhew9390
    @lkmayhew9390 3 года назад +20

    I don’t speak or read Japanese, but I find this process fascinating. I wish you had English subtitles. Anyway, thank you for sharing this project. It’s amazing to watch.

    • @ajadrew
      @ajadrew 3 года назад +2

      I'm the same!

  • @中谷進次郎
    @中谷進次郎 3 года назад +9

    天守閣もいいけど、
    お城の魅力は石垣だと思う✨

  • @DotukoiNEWS
    @DotukoiNEWS 2 года назад +1

    わかりやすくて好奇心をどんどん膨らませてくれる作品でした!面白かったです!!ネットではなかなか1時間もある作品は見続けられないのですが一気に観てしましました。

  • @kaz4710209
    @kaz4710209 6 лет назад +20

    見入ってしまった!!!スゲー 職人さんアッパレ!!

  • @p51mustang_
    @p51mustang_ 3 года назад +3

    ✨これは!スペクタクル✨

  • @iidukafly
    @iidukafly 3 года назад +5

    石の目を見て割って積んでいった昔の石屋の凄い技術。
    今の人は今の技術なしには何もできないから昔の人達の技術の凄さを感じますね。

  • @kokosorefrgv
    @kokosorefrgv 3 года назад +3

    私の母親が郡山高校出身ですがこんな事業があったとは知りませんでした。素晴らしい知恵と労力ですね。世の中が落ち着いたら行ってみたいと思います。

    • @yken6912
      @yken6912 3 года назад +1

      コメント欄にも書きましたが。2021年5月現在コロナウィルス対策により中止しておりますが、普段、郡山城天守台では土日祝10時~16時(冬季は15時)の間、観光協会によるボランティアが石垣ガイドをしています。天守台近くの極楽橋付近で机・パンフレットを設置してガイドが待機しています。事前申し込み不要で無料。現在の所7月3日(土)より再開予定だそうです。郡山城を見に来られましたら是非、ご利用くださいませ。

  • @ちくしょう-d1b
    @ちくしょう-d1b 3 года назад +9

    「3か月もかかる」
    たった3ヶ月しかかからないのかって思っちゃったんだがw
    国家資格持った現代の技術と融合してるプロの職人は凄いな。

  • @夜間飛行はとのやす
    @夜間飛行はとのやす 3 года назад +5

    転用石が沢山!
    タイムカプセルですね。
    44:30左上に金魚の絵の石だ!30:08の女の子が描いた石!貴重な経験されましたね。
    なお44:47°д°)阪神ファンね…w

  • @always33333
    @always33333 2 года назад +1

    興味深く見せて頂きました 石垣の内部を初めて見ました ありがとうございます。
    県の方針は分かるが、、、「職人泣かせの作業」工程に成り 本当!職人さん ご立派です。

  • @shigekikurita8292
    @shigekikurita8292 3 года назад +2

    夢中になって観てしまいました。面白かったです!!

  • @sbow3
    @sbow3 2 года назад +2

    おかしな効果音や、JAZZ主体で唐突に入るクラシック曲によるこのBGMを選曲した人とそれを良しとした人が居るのでしょうが、感覚がどうも…。
    無音で落ち着いたナレーションの方が重厚感が増し、落ち着いて観ていられる感じが私はします。

    • @田中なにがし
      @田中なにがし 2 года назад

      ほんとそうですね。
      映像と解説だけで充分魅力的なのに。

  • @夕月夜-w1q
    @夕月夜-w1q 3 года назад +6

    これすっごい作業ですね!理知の結晶ですね…ご苦労様です…尊敬します✨以前、穴太衆の棟梁の特集やっていました。石垣積みの安土桃山時代からのプロ集団の末裔だそうです。石を見ただけで、石垣のどこの位置にハマるか直感でピンと来るそうです!

    • @p51mustang_
      @p51mustang_ 3 года назад +1

      もはやサイキック😱

  • @山口-h2m
    @山口-h2m 3 года назад +2

    職人さんへのリスペクトしかないね。
    現在の匠に脱帽。
    そして、このお城を造られた職人さんや人足さんに敬意を。
    この動画観て低評価の意味が分からないよ・・・・。
    高評価以外付けれないよ。

  • @TO-eq5im
    @TO-eq5im 3 года назад +5

    素晴らしい動画をありがとうございました。たまたまお薦めに上がって来て、数年前に一度訪れたことのあるお城だったのでとても感慨深く拝見させていただきました。貴重な豊臣期の石垣を内側から見ることが出来、感動しました。大変な作業なのに明るく意欲をもって取り組まれる作業員の方々、市民の方々に石にメッセージを書き込んでもらう粋なイベント(「阪神優勝」の文字を見て、400年後阪神は存在しているのだろうか?とクスクス(笑))、そして何よりこの事業の魅力を余すことなく伝えてくれるこの映像の編集、ナレーション、音楽がとても素敵でした。今年見たRUclipsの動画で1番感動しました。

    • @yken6912
      @yken6912 3 года назад +2

      ありがとうございます!この動画の制作者です。「阪神日本一」の文字はかなり意図的に映し込んだんで気付いてもらえてうれしいです!400年経つと阪神が野球チームの名前だとはわからないでしょうねえ。多分「阪神地区は日本で一番素晴らしい所」と解釈されるので、「ああ、こうやって間違った歴史の解釈が出来ていくのだろうなあ」と現場で感慨深く見ておりました(笑) 職人さんたちの会話も意図的に組み込んだので嬉しいです。通常ああいう会話はナレーションや音楽でつぶされてしまいます。他のほとんどのビデオはそうなっていると思います。理由としては職人さん方は現場でかなりざっくばらんな物言いをしてるため、カットしてしまった方が公的事業の記録映像として楽、だからと思います。でも自分としては楽しくも一生懸命にやっている職人さんたちが本当に素敵に思えたので会話を可能な限り残すように編集しました。また解説もナレーションだけでやってしまうとどうしても単調になるので、なるべく職人さんにその場で解説してもらいました。ただ実際に危険な作業現場で作業中に話しかけるので、最初はかなりおずおずと話しかけております(最初の番付・墨入れのあたりはかなり他人行儀)。また専門用語が多いため勉強して知識を蓄えないと無理で、対等に話してもらえるようになるまで結構時間がかかりました。今となってはいい思い出です。

    • @TO-eq5im
      @TO-eq5im 3 года назад

      @@yken6912 様
      製作者の方に返信いただき光栄です。映像のクレジットにある㈱タック、もしくはケンフィルムの方でしょうか?他に手掛けられたものも是非拝見したいです。その後、郡山城整備事業の第1回の動画から見させていただいておりますが、次々に判明していく天守の構造などに胸アツです。本当にこの事業は素晴らしいですし、動画が視聴者に分かりやすいよう何度も東西南北をテロップで表示されていたり、寸法表示などもされていて懇切丁寧に制作されていて驚くばかりです。入念な取材をされたことも分かりますし、視聴者へ伝えたいという熱意なくしてはこのような素晴らしい記録映像にはならなかったと思います。私がお城を訪れたのは生い茂る樹木が取り除かれた後だったようです。以前はあんなに樹木で覆われていたことを知って驚きです。その時はまだ天守台に近付くことが出来ませんでしたが、必ず再度、整備された大和郡山城を訪れたいと思います。

    • @yken6912
      @yken6912 3 года назад +2

      @@TO-eq5im ケンフィルムの方です。映像の中で職人さんに質問してるのは全部私の声です(笑) 東西南北の表示なんですが、このビデオを制作する際に古写真の資料などを調べた所、どこからどの石垣を見たのかわからない写真が多く、非常に苦労しました。なのでこのビデオが後の研究者の資料になる可能性を考え、出来る限り東西南北の表示をつけました。また古写真についてた解説の東西南北が間違ってて混乱した事もあったので、ある程度のヒキ絵には必ず方角の目印となる建物を入れました。東側は城址会館、南側は柳澤神社とそのご神木、北側は郡山高校城内学舎のセミナーハウスか天理教大教会、西側は郡山高校城内学舎とそのグランド。これで方角テロップと建物とで二重の確認が出来る訳です。ところが、去年から今年にかけて郡山高校城内学舎が取り壊しとなってしまったので、ちょっと目印がなくなってしまいました(笑) 風景はどんどん変わっていくのだなあとしみじみと実感しております。またぜひ郡山城を見に来てください。土日には郡山城のボランティアガイドさんもおられるのですが、現在コロナウィルス対策のため休止中。詳しくは大和郡山市観光協会のホームページなどをご覧くださいませ。

  • @Jienova
    @Jienova 2 года назад +1

    直木賞受賞作品、今村翔吾氏の「塞王の楯」を読書中石垣に興味を抱き検索している時この動画に出会った、新たな感慨と視点から読み進む事で、作品をより一層深くを楽しむことが出来ると思います。

  • @みわおみわ
    @みわおみわ 3 года назад +12

    大きな石にワイヤー一本巻きつけて、クレーンで吊り上げる。
    どうやってバランスを見極めてるんでしょう?
    感動したわ〜

  • @福Fukufuji藤
    @福Fukufuji藤 3 года назад +4

    石をくみ上げることそのものが、私にはとても想像ができません。しかも元の石を外して組み直すなんて本当に可能なのかとはじめは思っていました。しかし作業が進んでいくうちに元の形になっている、隙間も埋まっていく、・・・。とても信じられない気持ちで最後まで見入ってしまいました。復元作業がただただ素晴らしいと感じました。

  • @lkmayhew9390
    @lkmayhew9390 3 года назад +4

    What an amazing feat you all accomplished. Congratulations to the whole team. You all deserve some type of award.🥰👍🎉😉

    • @yken6912
      @yken6912 3 года назад

      I agree with you!

  • @marcyan813
    @marcyan813 3 года назад +9

    ピラミッドに勝るとも劣らない大事業。かつてどのような方法で積んだのか それが知りたくなった。

  • @lupinthe3rd629
    @lupinthe3rd629 3 года назад +3

    転用石材は信長の頃からだね
    秀吉も市民に石を提供するよう触を出して大阪城の石垣造ってるから。
    当時は今と違って大人数が駆り出されて築城に携わったから案外短い期間で築城したってあるね

  • @isn7212
    @isn7212 3 года назад +8

    玉掛け上手すぎる

  • @climbcocoa
    @climbcocoa 3 года назад +1

    すばらしい仕事です。

  • @musasi1143
    @musasi1143 3 года назад

    信じてはいけない検定教科書の歴史に改めて納得してしまうような、映像でした。今もなお古代日本人の遺跡発見発掘調査や出土品で西欧諸国に無い地味且つ高度な先史古代日本文明文化の調査結果や論文が発表されている事に興奮と誇りを覚えます。

  • @SuperOoyama
    @SuperOoyama 3 года назад +1

    こんな土木工事が全国で短期間にされていたとは、重機もない時代、動員されていた人々は大変だってと思う。これで神仏など信仰の虚構より武力という武士はすごい。だからあのような輝かしく華やかな安土桃山文化が花開いたと思う。これが続いていたら面白い時代が発展したのだ。貧乏くさい消極的なワビサビ文化はなかったはずだ。

  • @richardyoung5217
    @richardyoung5217 3 года назад +3

    I understood a lot of what was happening even though I do not understand Japanese. It was a project to restore the platform that a castle is built on. It was carefully planned. It was almost like an archeological dig. Each outside stone was numbered so that it could be put back in the exact same place. The interior was earth and rubble filled. When they were taking out the old rubble they found some pieces of art work, stone lanterns, and pieces of previous structures. At a dedication cerimony visitors were allowed to sign or write messages on stones that were later placed in the rubble fill. Cement was used to put stones, that had cracked, back together. That was the only cement used.

    • @yken6912
      @yken6912 3 года назад

      Thank you! I am the creator of this video. I'm so glad someone from overseas saw it!

    • @yken6912
      @yken6912 3 года назад +1

      It's not cement.
      Cement cracks after about 50 years.
      I believe it was an epoxy filler.

  • @上野武彦-o8t
    @上野武彦-o8t 3 года назад +3

    そうこうゆう何処に、国もお金かけて、大切に保存して❗️

  • @さくや木の花中川和夫
    @さくや木の花中川和夫 3 года назад +3

    すご~~~~い

  • @yken6912
    @yken6912 3 года назад +4

    この動画「郡山城天守台展望施設整備事業 紹介動画」の「最終回総集編 蘇る天守台」が2020年の第18回全国地域映像コンクールでグランプリを受賞しました。よろしければそちらの方もご覧ください。意外なことに奈良県の作品がグランプリを取ったのは初だそうです。テーマとなる題材たくさんありそうなのに不思議。ruclips.net/video/cpBxYvGTlKc/видео.html

    • @reikoamano102
      @reikoamano102 3 года назад +1

      グランプリ受賞、おめでとうございます。そちらも見ました。でも、こちらの方が断然面白いです。プロの仕事。顕彰されようがされまいが、どうでもいいです。こんなこと言ってごめんなさい。でも、グランプリ取りたくて仕事した人はいないと思います。本当にいい仕事をなさいました。

    • @yken6912
      @yken6912 3 года назад +1

      @@reikoamano102 この動画の制作者です。ありがとうございます!私も個人的にはこちらの方がいいと思います。とにかく撮影が大変だった上に、市の方からは長すぎると批判された回なので(他は全部20~30分以内、これだけ倍の56分)、再生回数が大和郡山市公式チャンネルで断トツの1位になってかなり嬉しいです。しかしコンクールに応募できるのは私ではなく大和郡山市なので。大和郡山市的には「天守台展望施設整備事業」総括である最終回の方が当然いいんですね。「石垣修復事業」はあくまでも「天守台展望施設整備事業」の一部なので。と、自分を納得させています(笑)

  • @ブラヴォーデルタ6-c8y
    @ブラヴォーデルタ6-c8y 3 года назад +13

    かつて天守閣があったのなら、
    復元される日が来るのを待つ。

    • @yken6912
      @yken6912 3 года назад +6

      この動画の制作者です。復元しようにも実は豊臣期の天守って正確な資料が非常に少ないんです。あと来てみればわかると思うのですが、天守台に比べて付櫓台が非常に大きくて、第2回で取り上げたように付け櫓と天守がくっついて一体化してる構造と考えられるのですが、この比率で現存する実例がないんです。熊本城のように大きければ小天守、小さければ福山城のような構造かと推測できるんですが。ただ豊臣大阪城の平面絵図がこれに近い比率で付け櫓台と天守台があります。が、考古学的に正確な豊臣大阪城の絵図面って実はない。復元しようにも一体化してる付け櫓部分がどうにも謎で不可能というのが現状。第2回で天守再現図を出したかったけど「不正確な事は出せない」ので駄目だったんですよね。

    • @泉蒼月
      @泉蒼月 3 года назад

      @@yken6912 以前訪れた際に天守閣は明治九年頃に解体されたと石碑に記されていましたが、
      解体前の写真などは残っていないのでしょうか?

    • @yken6912
      @yken6912 3 года назад +2

      この動画の製作者です。多分、明治9年ではなく明治7年ではないでしょうか?明治政府から明治7年に廃城令が出され全国各地で城は取り壊されました。郡山城ではその頃まで残っていた櫓や門が取り壊されました。天守閣自体はこの修復事業の為の発掘調査で天守台上で礎石が見つかったことにより初めて実在が確認されました。豊臣秀長の居城であったにも関わらず、それまではいくつかの文献に記述があるのみで物的証拠はまったなく「幻の天守」などと言われていました。おそらく、ですが天守閣は秀長の時代に着工、秀長の晩年か増田長盛の時代に完成、慶長の大地震で天守閣破損の記録あり、関ヶ原の戦いのあたりで天守に籠城の記録あり、1600年徳川幕府となって数年以内に解体。郡山城天守はおよそ10数年ほどの間だけしか存在しなかったと考えられています。解体後は京都の二条城の初代天守(現在の二条城天守台は2代目で場所も違うし、初代天守台は現存しない)として移築転用された、ようです。これも文献による記録のみで物証はまったくありません。さらに二条城初代天守は淀城天守として移築転用され(これは確実なよう)、現存する淀城天守台の礎石が郡山城の礎石と配置・距離・寸法がほぼ同一であったため、郡山城天守→二条城初代天守→淀城天守として転用されたのではないかと考えられます。ただ天守全体が転用されたわけではなく、基礎となる主要木材部分のみが転用されたと思います。淀城は絵図面等が残っていますが、江戸時代に完全に入った頃の建築様式であり、豊臣時代の天守とは、相当建築様式が異なります。なので調達の難しい10m超えの主柱などの主要木材のみが転用されたのてはないかと思います。なんにしろ明治7年の廃城令前の郡山城の写真は現在の所見つかっておりません。

    • @reikoamano102
      @reikoamano102 3 года назад +3

      出来ないものはやめておくのが正解だと思います。日本中に適当に作った復元?の天守閣がいくつもありますが、その浅はかさに悲しくなります。

    • @reikoamano102
      @reikoamano102 3 года назад +1

      徳川政権は各国一城に限るとして、二つ目の城に廃城令を出したと思います。違反するとお取り潰しとか大変な目に合いました。

  • @shigeru158
    @shigeru158 3 года назад +2

    いやぁ~最後まで見ちゃったよ。面白かった、感動したね、それにしても最後に出演した、大和郡山市長・・・ヤバい奴じゃない?恰好で判断して悪いけど・・。多分あってるよね。

    • @p51mustang_
      @p51mustang_ 3 года назад +1

      それはちょっと思った😅
      うさん臭さが溢れてたw

  • @嶋田敬幸
    @嶋田敬幸 3 года назад +1

    大和郡山城の石垣には、旧平城京羅生門の礎石や墓石や地蔵尊など様々な石材が使用されています。
    逆さ地蔵と云って、お地蔵さまの頭を地に足を天に組まれましたいる箇所もある。

    • @yken6912
      @yken6912 3 года назад

      この動画の制作者です。「旧平城京羅生門の礎石」ではなく「旧平城京羅生門の礎石と伝えられている石」なんですよ。これに関しては確証がまったくないんです。ただ石の大きさからして相当大きな木造建築物の礎石だった事は間違いないです。大仏殿とか朱雀門くらいの大型建築。で、この辺で大きな木造建築と言えば羅城門かなと。単なる推測で書かれた文章が観光ガイドなんかに使われて、その内「と思われる」「と伝えられる」という部分が抜け落ちてしまったんですね。転用石材に関してはこの動画「郡山城天守台展望施設整備事業 紹介動画」の第1回の中盤で説明しています。よろしければ下記のURLからご覧ください↓
      ruclips.net/video/qTgpDX66vFI/видео.html

  • @KAGUYAHIME2
    @KAGUYAHIME2 3 года назад +4

    25:51 で「石積みであるため」の「め」が抜け落ちています。

  • @reikoamano102
    @reikoamano102 3 года назад +3

    市長が「桜を伐ってお叱りを受けた」と言っている。石垣なんか古かろうが文化財として重要だろうが、花見の方が大事と思っている市民は多かったし、今も多いだろう。地味で大きな費用のかかる石垣解体修復が「理解」を得るのは至難の業だっただろう。それでも、こうした地味な取り組みこそが大和郡山の文化であって、それ以外ではない。「何の役に立つ?」などと考えるのは無粋。無粋な町に文化は育たない。

  • @yamanotomoakogare4925
    @yamanotomoakogare4925 2 года назад +1

    秀次の弟で秀長の養子秀保によって五層天守閣が築かれたとある本で読んだその天守は二条城に移築されてその後淀城に移築されたという都市伝説を聞いた。

    • @yken6912
      @yken6912 2 года назад

      都市伝説というか、淀城側でその移築記録があったはず。郡山城が最初に移築されたとされる初代二条城天守は現在庭園部分の地下にあり、検証不可能(現在二条城にあるのは二代の目天守台)。ただし淀城は天守台の礎石が残っており、郡山城天守台の礎石と比較すると、ほぼ同一の寸法である事がわかっています。ただ、淀城は天守外見が絵として残っており、完全に江戸に入ってからの建築様式となっています。郡山城は豊臣期の天守なので、外見はまるで違っていたはず。おそらく淀城に移築された部分は、基礎となる主柱などの木材部分だけではないかと。長く太く真っ直ぐな木材はかなり貴重なので、その部分を使いまわしていたのではないかと思います。

  • @まる矢くん
    @まる矢くん 3 года назад

    私は、矢田山。と、申します。奈良郡山に2回行き、矢田山にも登りました。

  • @工作と修理で遊ぶ
    @工作と修理で遊ぶ 2 года назад +1

    重機もない時代に どうしてこんな 仕事が出来たのか 当時の石工には 頭がいい人がいたんですね 穴太衆ですか また 解体して寸分違わず組み直すも すごいです。

  • @栗過
    @栗過 3 года назад +1

    天守閣や隅櫓の再建を期待度100%ですが建てないなら、変な建物変な置物(現代の建物NG)は建てない置かない此のままで良いです

  • @fumiosoeda6004
    @fumiosoeda6004 3 года назад +2

    福島県出身です。てっきり我が郡山と勘違いしました。

    • @大和沼海老蔵
      @大和沼海老蔵 3 года назад +3

      同じくですw
      福島の郡山城は西ノ内の現アップガレージ、ブックファン24TENGA ショップ郡山(!)のある丘の上にあったようですが、最早面影は全くなく、かつて靴流通センターあたりにあった看板すら今はもう無くなりましたね。せせらぎこみち施工時に恐らく遺跡が出たと思われますが、郡山市は特に気にしてないようです…。
      城主伊東氏もまさか数百年後、自分の居城がアダルトショップになるとは思ってなかったでしょうね…。
      名前は同じでも全く違う酷い運命を辿った福島の郡山城でした。

    • @fumiosoeda6004
      @fumiosoeda6004 3 года назад +2

      @@大和沼海老蔵 情報ありがとうございます。活気のあった頃の郡山は、駅前を中心に栄えていて面白かったです。昭和40年代に住んでました。東北のシカゴと呼ばれて黒い人が多かったです。今は東京です。

    • @yken6912
      @yken6912 3 года назад +1

      郡山城は広島にもあるのでややこしいですよね。広島のは吉田郡山城で毛利輝元が広島城に移るまでの居城。しかし一国一城令により破却。さらに島原の乱以降、一揆の拠点となる事を恐れ石垣も堀も取り壊され、現在は遺構が一部残るのみ。福島の郡山城は跡地にアダルトショップ。奈良の郡山城は随分運が良かったんですねー。

    • @fumiosoeda6004
      @fumiosoeda6004 3 года назад +1

      @@yken6912 情報ありがとうございます。広島にも郡山があるとは知らなかったです。城跡はたくさんありますが天守閣残ってる城は少ないですね。皇居には石垣だけ残ってて、松の廊下跡も表示板が有るだけです。

    • @大和沼海老蔵
      @大和沼海老蔵 3 года назад +2

      @@fumiosoeda6004
      私は昭和の終わりなの生まれた世代ですが、かつての郡山の姿は親の世代から聞いたことがあります。
      良くも悪くも賑やかな時代だったようですね。
      丸井、丸光、第一、第二うすい、西武、ダイエーと大型店が駅前ひしめき合っていた時代。活気は比較にならなかったのでしょう。
      紆余曲折の末、福島県内で唯一残った大型百貨店うすいが頑張ってますが、丸井や20年以上廃墟となっていたダイエー跡地の解体も終え、雑居ビル群も再開発が着々と進んでます。
      30代の自分すら子供の頃の面影が無くなってしまったと思う昨今です。

  • @有馬一期の雑談チャンネル
    @有馬一期の雑談チャンネル 3 года назад +1

    墓跡まで使うって福知山城みたいですね。

    • @yken6912
      @yken6912 3 года назад +1

      福知山城の方が天守台の規模が小さく高さもないため、石垣の築石は小さいサイズのもが使われており、そのため五輪塔や墓石などがダイレクトにそのまま使われています。なので見た目では福知山城の方が転用石材の使用が顕著にわかります。郡山城天守台は福知山城天守台より大きく、築石のサイズも大きくなるため、五輪塔や墓石では小さすぎ、裏込めに使われる事が多かったようです。正確に言えば五輪塔や墓石は築石に使われていますが、最上段付近で使用されており、他の築石のサイズが非常に大きいためあまり目立ちません。

    • @有馬一期の雑談チャンネル
      @有馬一期の雑談チャンネル 3 года назад +1

      @@yken6912 さん
      詳しい情報をありがとうございます!!とても参考になりました!!やっぱり郡山城の天守台は大きいですよね!

  • @まむし酒
    @まむし酒 3 года назад +1

    いくら世界一の修復技術大国の日本の職人でも解体はある程度の安全作業は実行しても地震が来たら限界がありそうで命懸けですよね。

  • @Katoki-6801
    @Katoki-6801 3 года назад +3

    最後まで見入ってしまった、しかし転用石で地蔵、五輪塔、墓石まで何でも有りか!
    バチとか当たらんだろうか?

    • @yken6912
      @yken6912 3 года назад +8

      この動画の制作者です。実は昔ってきちんと加工した石材って貴重なんで墓石とかは結構平気で使いまわします。お寺の石垣とか井戸の縁石とか、民家の柱の土台石とか。墓石とかは魂抜き・お性根抜きの儀式をすればそれはただの石として扱われます。今でも墓石とか処分する時、お坊さんに頼んでお教読んでもらったりするのが魂抜きです。昔って今みたいに電動の工具がないんで、加工された石はとってもお高いしもったいないんですよね。今と違って昔って結構ドライに割り切ってるよな、とよく思います。ま、郡山城のものがきちんと魂抜きしてるかどうかちょっと疑問ですが。他の方の所に書きましたが職人さんも最初出てきた時は「なんまんだぶ」と拝んでましたが、途中からあまりに出てくるのでしまいには「神さんもうええわ。もうあきた!」と叫んでたのが面白かったです。あと当時は信長の本願寺との戦を見ればわかる通り、お寺ってかなりの権力や兵力を持っていました。その寺から石を分捕って来て、城の石垣に使う。まあ、見せしめみたいな意味もあると思います。郡山城天守台からは・興福寺・東大寺・元興寺・大安寺・薬師寺の五大寺が見えるんです。という事は天守が建ってた当時は向こうからもバッチリ郡山城天守が見えたはず。権威を見せつける、という意味はあったと思います。実は江戸時代以前ってお寺同士でも縄張り争いで戦を起こして死者が結構出たりしてるんです。新興勢力に対してうちの宗派に加えてやるから上納金よこせとか、はっきり言ってヤクザの抗争じみた事をやっています。信長・秀吉の時代に寺社勢力を叩き潰したから平和な江戸時代があったのでは、とも思います。で、お寺は権力や土地がなくなって、お金が得られなくなって、民衆からお金を得ようと、葬式や墓の文化を一般庶民に対しても行うようになる。葬式仏教の始まりですね。元々仏教って悟りを得、輪廻の輪から解脱するためのもので、人の弔いをするものではまったくなかった。奈良時代にはでかい寺は国営であり学問の最先端の場所で海外の文化に最も早く触れられる研究所みたいな部分が大きかった。しかしのちに国の保護を失って徐々にその有り様が変化して行き、江戸時代にいたり仏教って葬式のためのものにねじ曲がってしまう。あ、郡山城に使われている墓石ってみんな偉い坊さんとかの墓石です。当時一般庶民には墓石なんてなかったんですよ。あと寺田とか神田とかいう地名は寺社が所有してた田んぼの事で、税を納める必要がなかった。あと、飛び地と言って離れた場所にもお寺の所有地があってそこが交通の要所なら交通費を取り上げて収入を得ていた。その辺も全部取り上げられて、寺田とか神田は地名として残るのみになる(明治に至り姓が必要となり寺田や神田の地名が苗字として使われる)。信長の比叡山焼き討ちを非道という人もいますが、ほんと今と当時ではお寺の有り様がまったく違うんです。その辺を踏まえてないと歴史の解釈がおかしなものになってしまう、と個人的には思っております。

    • @reikoamano102
      @reikoamano102 3 года назад +1

      いずれにしても「バチとか」は当たりません。当たり前です。

  • @おかポン太郎ー0kaponTarou
    @おかポン太郎ー0kaponTarou 3 года назад +3

    まさか。お地蔵さんも日の目を見ようとは思わなかったでしょうね。

  • @x68086
    @x68086 3 года назад +1

    ぱちぱちぱち。よかった。とてもよかった。

  • @イトーy
    @イトーy 3 года назад +1

    とても見やすい動画でした。
    職人の方は石垣積みのプロの方のようですね。やはり全国を回って作業したりするのでしょうか。

    • @yken6912
      @yken6912 3 года назад +1

      この動画の制作者です。職人さんは全国を回られて仕事されてます。修復に3〜4ヶ月かかるんで、この時は地元のレオパレスとかのマンスリーマンションを借りて生活されてました。滅多に家に帰れないそうで、亭主元気で留守がいいを地でゆく方たちです。昭和の時代に郡山城石垣を修復した時の職人さんは、城内の現場にプレハブの飯場小屋作ってそこで寝泊まりしながら仕事されてたそうです。親方の奥さんがご飯だけ作りに通いで来られてたそうです。時代ですね。

    • @イトーy
      @イトーy 3 года назад +3

      @@yken6912 返信ありがとうございます。
      まさに現代の穴太衆ですね。まだそんなプロフェッショナルがいるんですね。
      織豊時代の築城ラッシュの時などは引っ張りだこだったでしょうね。

  • @デロバッチ
    @デロバッチ 3 года назад +2

    こういう御城跡に、木造で再建できれば、200・300年後には国宝とかは無理だけど、文化財として認定されると思う。

    • @yken6912
      @yken6912 3 года назад +1

      ぶっちゃけ本格的な高層木造建築って維持・修繕費にかなりの金がかかるので、税金を無駄に使う金喰い虫として、後世に負の遺産になる可能性があるんですよね…。大和郡山市が観光地として相当な収入のある観光都市となれば別なんでしょうが。2~300年先に文化財認定されるだけではちょっと割に合わない。ちなみに維持・修繕費が少なくてすむ鉄筋コンクリート製にすれば礎石を全部取っ払って、天守台の中身も掘り返して基礎部分を作らにゃならんので考古学的な価値はなくなります。ちなみに江戸時代、貧乏な藩は天守潰したりしてます、維持費かかるので。権威づけに天守台の石垣だけ作り天守を作らなかった藩もあります。面白いですよね。

  • @DNeo5555
    @DNeo5555 3 года назад +2

    阪神日本一が微笑ましい笑

  • @新方敏幸
    @新方敏幸 3 года назад +1

    和歌山城も豊臣秀長築城の筈。

    • @yken6912
      @yken6912 3 года назад +2

      築城は秀長なんですが、和歌山城は徳川時代に大幅に改築され、天守も新たに建築。しかし途中で天守含む本丸の大部分が落雷で焼失し、幕末に再建されたけど、和歌山大空襲でさらに焼失、戦後に鉄筋コンクリートで天守再現。なので秀長時代の物は周囲の石垣に一部残るのみ、だそうです。

    • @reikoamano102
      @reikoamano102 3 года назад +1

      鉄筋コンクリートで再現された天守の立派な惨めさはちょっと言葉にできません。

  • @MrYomigaeri
    @MrYomigaeri 3 года назад +2

    BGMが煩いのと、この動画に全く合わない。

  • @日光杉太郎-r2w
    @日光杉太郎-r2w 3 года назад +1

    福島県かと思った

  • @miyokohata1073
    @miyokohata1073 3 года назад

    映像ありがとうございます😊
    が 音楽が耳👂ざわりです。 良識のある組み立てを...。貴重な歴史的映像が
    だいなしセリフ有、無の間隔が短いので
    ミュ-ジックはマイナスです。

  • @川村信弘-d2e
    @川村信弘-d2e 3 года назад

    同和の人はユヤダ流れを引きづいていると聞いたことあります

  • @ミリタリー親父
    @ミリタリー親父 3 года назад

    野面積み石垣の欠点ですね。

  • @浅井長政-n1b
    @浅井長政-n1b 3 года назад

    穴太衆?

  • @d27ok
    @d27ok 3 года назад

    あぶなかしい吊り方ワイヤーだけで吊るとは建設現場ならまずあり得ない作業である。

  • @山田太郎-s1f4r
    @山田太郎-s1f4r 3 года назад

    これ、なんのために解体したんだろ

    • @yken6912
      @yken6912 3 года назад +1

      この動画「郡山城天守台展望施設整備事業 紹介動画」の第1回の最初で詳しく説明しています。下記のURLからご覧ください↓
      ruclips.net/video/Ll_ltqeLVVI/видео.html

    • @reikoamano102
      @reikoamano102 3 года назад +1

      壊れそうだから。

  • @KARAOKE_BAKA
    @KARAOKE_BAKA 3 года назад

    せっかくだから天守閣を復元しましょうよ。

  • @SDGs2030
    @SDGs2030 3 года назад

    転換の度に鳴るピロピロ音、変な掛け声。
    これは無くていい。
    BGMをジャズにする意味も分からん。残念演出編集。
    内容はすごーく良かった。もったいない。

  • @youichik8631
    @youichik8631 3 года назад +1

    BGMのジャズはいらない