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なんか昨今の回転すしの快進撃と似ているなと思いました。
思っていたのが、確かに生成AIを駆使すれば「大量に、高スピードで、(細かい分部に破綻はあるものの)高クオリティのイラスト」を生産できるのは確か。ただ、そんなに「早く大量にコンテンツを出されても、ユーザー側は喜ぶ一方なのだろうか?」とは思います。いくらおいしいごちそうだとしても、「いや、そんなにハイスピードで出されても、消化追い付かないっす・・・」となるんじゃないかと。むしろユーザーも、下手をすると「生成AIメインで作っている側」も、どこかの段階で「飽きる」んじゃないのか。そうなると結局、生成AIを用いようと手描きであろうと、「この作家ならでは」「子のクリエイターは期待裏切らないよなぁ」と認知されるくらいの「個性化、差別化」出来た人が残るのではないんじゃないかなと思います。
それっぽいのを100枚出力しておき毎日投稿、これがチャレンジと言えますか?舐め腐ってますよ絵を、絵描きを。そこが許せないです。
同人活動に興味のある者ですが、aiの今後は気になります。消費者的にai使用の是非が問われるかは分野次第な気がします。マラソン大会に車を持ち込むのはナンセンスですが、菓子の輸送にトラックを用いるのは誰も問題にしない様に、イラスト集では肉筆性が重視されても、成人向け漫画ではそうでも無い、など。現状aiを自在に使用することは簡単では無い様に感じますが、将来的な可能性を考えると、ai運用を学ぶべきかかなり迷います。
マラソンに車を持ち出すたとえは分かりやすいですね。イラストコンテンツ陳腐化についてはいったんは地に落ちる気がしますが、その後に着目したいですね。例えを借りるとしたら車が身近になったとはいえ、街へ行けば車道と歩道が分けられ、人は歩いて行動しているし歩行者優先が守られている。(そもそも今のAIは精々自転車あたりで数年後には想像を超えるクォリティになると予想しますが。。。)今後イラストの世界も最適化がされ、目的によって手書き100%からAI100%への極端な移行ではなく、作品に割り当てる割合が曖昧になっていくのではないかと思います。
所詮はローカルルールでしょ?←よく分かってるじゃんって話良いか悪いかはタグを使ってる人たちが決めるので、100チャレのタグにAIが投稿されたら荒らされるのはやむなし
絵勉強しようと思ったけど、もう練習する意味無い時代っすかねぇ…
横槍+長文失礼します。細々とながら専業のDL同人作家として活動している者です。あくまで主観ですが、今後も絵の練習や勉強が無用になるなんてことはないんじゃないかなと考えています。AIイラストがいくら台頭しようと、これからも手描きイラストの価値が大きく下がることはないでしょう。なぜなら、AIイラストの価値と、手描きイラストの価値はまた別物だと考えられるからです。食べ物でたとえるなら、AIイラストと手描きイラストは、サラダと主食くらい違う気がします。中には、サラダだけで事足りる人もいるかもしれませんが、多くの人は、がっつりと主食をとりたいはず。それにサラダだけで事足りてる人も、ずっとサラダばかりでは飽きると思います。たしかに今後、主食のように食べごたえのあるサラダが登場する可能性も否定できません。ただ、その可能性はあまり高くないとも思っています。そこを話すと長くなるので割愛しますが。ハルヒ先生も言及していますが、、現時点でのAIイラストには、わかりやすく目印のようなものが刻印されます。顔の造形であったり、髪の毛や手先、その他細かい部分の不十分さ、やや特異な塗りの質感等々。これらの特徴は早晩、嫌悪の対象となり得るのではないかと考えています。つまり多くの人が、AIイラストのAIっぽさに飽きていき、やがてそれが嫌悪や憎悪へと向かっていくのではないかと。いや、すでにその段階に達している気もしますが。これからは、AIイラストっぽさから距離のある手描きイラストの価値が、むしろ上がっていく可能性すら考えられます。だから絵の練習が不要とか、そんなことはまったくないっていうのが僕の結論です。練習が不要かどうかよりも、どう練習するのが効率的なのかってことを考えるほうがよほど生産的といえるでしょう。正直、現時点でのAIイラストに関する議論の多くは、無価値であり、しょせんアジテーション(煽り)でしかないと考えています。AIなんてしょせん、便利な道具でしかないですしね。道具なんだからうまく使いこなせばいいだけの話だと思います。
そんなことないと思いますよ。絵そのものが楽しい、ということはもちろんですが、AIイラストだけだとむしろ、他と横並びになる可能性があると思います。そこで、絵の技術や知識が差をつけるのではないかな、と思っています。
❤💖💗
一つ聞いてみたいのですが、例えば①画家や絵描きの仕事を奪った写真家に対して同じように言えますか?②馬車で人を運ぶ人たちの仕事を奪った車という存在に同じことを言えますか?③近所で一生懸命人手を使ってパンを作っていた職人さんたちの仕事を奪った食品メーカーや大規模ショッピングモールに対して同じことを言えますか?④年賀状は葉書で出すもの、メールなんて心がこもっていない。っと主張できますか?⑤同じく、年賀状の宛名は手書きで書くもの、宛名ソフトを使って大量印刷なんて、心がこもってない、と主張できますか?近代化や技術の発展で失った職業はたくさんあると思う。現在ではイラストには手描きだからこそ価値があるというのはその通りだと思います。だからといってそれは感情論であり、その価値というものも、時代によって変わっていくものだと思う。絵を買う側にとっては、求めているのは良い作品であり、それを描いた(作った)のが人かAIか?を気にする人は多くないと思う。スーパーで売られているパンはほとんどが工場で大量生産されたもの。でも、たまにはちょっと高いけれど、近所のパン屋さんのパンを食べてみたくなるような。あと、マラソンと自動車の例えもちょっと違うと思う。手書きの【絵】vs 大量生産の【絵】の構図だから、同じ【絵】同士の戦い(?)のはずなのに、走る人と自動車という別次元のものを対比させているように見える。いかにAI絵を悪役に見せるか、という表現にしか見えない。おそらく、そんなつもりはないと思われますが。AI絵の問題は、AIであることを隠そうとすること。でもそれは言い換えれば、AIというだけで、無条件で攻撃する人が多いからでもある。AIは堂々とAIで作ったと公言すれば良いのだし、受け手側も、AIはAI、手書きは手書きと、きちんと区別すれがいいだけ。手書きは手書きの、AIはAIの良いところ、悪いところがある。それをお互いが認めれば良いだけなのに、どちらも自分の主張以外のものは攻撃する傾向にある。この傾向が続く場合、最後には市場がこの戦いの決着を決めることになるでしょう。つまり、市場が、手作りの絵だけにこだわるのか、結果としての絵のできばえが良ければ、AIが作った絵か、手書きの絵か、を気にしなくなるか。最初の例えがうまい例えじゃなくてすみません。でも、人って、自分が普段使っている便利なものには文句を言わないのに、自分の仕事や権益が侵されそうになると猛反論を始める、って歴史上よくあることなので。自分も最近、AI絵を始めてはまってしまい、でも、なんとかマネタイズできないかなぁと、著作権関係を調べていたら、貴殿のチャンネルに出会ったので、いつも興味深く見させていただいています。ま、どちらかというとAI絵側の人間(というより、技術者なので、AIそのものに興味を持っていますが)なので、考え的には???と思いながら視聴させていただいていますが、とりあえず思ったことをづらづらと書いてしまったので、本コメントにてご気分を害してしまったらご容赦ください。
コメントありがとうございます。この動画で自分が危惧しているのは、「心がこもっているかどうか」ではなくて、AIの持つ「誰でも大量高速生産」という特徴により、需給のバランスが崩れ、イラストそのものの価値が大幅に下がってしまうことです。そして、AIを取り巻く議論は、そのことにあまり関心を払っておらず、感情論に終始しているように思います。マラソンと自動車の比喩は、「大量生産のスピード」という部分に焦点を当てたものです。「手書きの【絵】vs 大量生産の【絵】」というお言葉に沿って言えば、「絵」の部分ではなく、「大量生産」の部分に、手描きとAIの本質的な違いがあり、その違いは程度の差と呼べるものではなく、別次元なものです。なので、マラソンと自動車の比喩を用いました。ひょっとしたら、仰るように、「イラスト」の価値の暴落は、市場原理として不可避なものかもしれません。残念ですが…。他の動画での主張になりますが、ブランド化などで手描き絵としての価値を高めつつ、AIによる効率化を取り込んでいくことが、生き残りの鍵なのかな、と個人的には思っています。
なんか昨今の回転すしの快進撃と似ているなと思いました。
思っていたのが、確かに生成AIを駆使すれば
「大量に、高スピードで、(細かい分部に破綻はあるものの)高クオリティのイラスト」
を生産できるのは確か。
ただ、そんなに
「早く大量にコンテンツを出されても、ユーザー側は喜ぶ一方なのだろうか?」
とは思います。
いくらおいしいごちそうだとしても、
「いや、そんなにハイスピードで出されても、消化追い付かないっす・・・」
となるんじゃないかと。
むしろユーザーも、下手をすると「生成AIメインで作っている側」も、どこかの段階で「飽きる」んじゃないのか。
そうなると結局、生成AIを用いようと手描きであろうと、「この作家ならでは」「子のクリエイターは期待裏切らないよなぁ」と認知されるくらいの「個性化、差別化」出来た人が残るのではないんじゃないかなと思います。
それっぽいのを100枚出力しておき毎日投稿、これがチャレンジと言えますか?
舐め腐ってますよ絵を、絵描きを。
そこが許せないです。
同人活動に興味のある者ですが、aiの今後は気になります。
消費者的にai使用の是非が問われるかは分野次第な気がします。
マラソン大会に車を持ち込むのはナンセンスですが、菓子の輸送にトラックを用いるのは誰も問題にしない様に、
イラスト集では肉筆性が重視されても、成人向け漫画ではそうでも無い、など。
現状aiを自在に使用することは簡単では無い様に感じますが、将来的な可能性を考えると、ai運用を学ぶべきかかなり迷います。
マラソンに車を持ち出すたとえは分かりやすいですね。
イラストコンテンツ陳腐化についてはいったんは地に落ちる気がしますが、その後に着目したいですね。
例えを借りるとしたら車が身近になったとはいえ、街へ行けば車道と歩道が分けられ、人は歩いて行動しているし歩行者優先が守られている。(そもそも今のAIは精々自転車あたりで数年後には想像を超えるクォリティになると予想しますが。。。)
今後イラストの世界も最適化がされ、目的によって手書き100%からAI100%への極端な移行ではなく、作品に割り当てる割合が曖昧になっていくのではないかと思います。
所詮はローカルルールでしょ?←よく分かってるじゃんって話
良いか悪いかはタグを使ってる人たちが決めるので、100チャレのタグにAIが投稿されたら荒らされるのはやむなし
絵勉強しようと思ったけど、もう練習する意味無い時代っすかねぇ…
横槍+長文失礼します。
細々とながら専業のDL同人作家として活動している者です。
あくまで主観ですが、今後も絵の練習や勉強が無用になるなんてことはないんじゃないかなと考えています。
AIイラストがいくら台頭しようと、これからも手描きイラストの価値が大きく下がることはないでしょう。
なぜなら、AIイラストの価値と、手描きイラストの価値はまた別物だと考えられるからです。
食べ物でたとえるなら、AIイラストと手描きイラストは、サラダと主食くらい違う気がします。
中には、サラダだけで事足りる人もいるかもしれませんが、多くの人は、がっつりと主食をとりたいはず。
それにサラダだけで事足りてる人も、ずっとサラダばかりでは飽きると思います。
たしかに今後、主食のように食べごたえのあるサラダが登場する可能性も否定できません。
ただ、その可能性はあまり高くないとも思っています。
そこを話すと長くなるので割愛しますが。
ハルヒ先生も言及していますが、、現時点でのAIイラストには、わかりやすく目印のようなものが刻印されます。
顔の造形であったり、髪の毛や手先、その他細かい部分の不十分さ、やや特異な塗りの質感等々。
これらの特徴は早晩、嫌悪の対象となり得るのではないかと考えています。
つまり多くの人が、AIイラストのAIっぽさに飽きていき、やがてそれが嫌悪や憎悪へと向かっていくのではないかと。
いや、すでにその段階に達している気もしますが。
これからは、AIイラストっぽさから距離のある手描きイラストの価値が、むしろ上がっていく可能性すら考えられます。
だから絵の練習が不要とか、そんなことはまったくないっていうのが僕の結論です。
練習が不要かどうかよりも、どう練習するのが効率的なのかってことを考えるほうがよほど生産的といえるでしょう。
正直、現時点でのAIイラストに関する議論の多くは、無価値であり、しょせんアジテーション(煽り)でしかないと考えています。
AIなんてしょせん、便利な道具でしかないですしね。
道具なんだからうまく使いこなせばいいだけの話だと思います。
そんなことないと思いますよ。
絵そのものが楽しい、ということはもちろんですが、
AIイラストだけだとむしろ、他と横並びになる可能性があると思います。
そこで、絵の技術や知識が差をつけるのではないかな、と思っています。
❤💖💗
一つ聞いてみたいのですが、例えば①画家や絵描きの仕事を奪った写真家に対して同じように言えますか?②馬車で人を運ぶ人たちの仕事を奪った車という存在に同じことを言えますか?③近所で一生懸命人手を使ってパンを作っていた職人さんたちの仕事を奪った食品メーカーや大規模ショッピングモールに対して同じことを言えますか?④年賀状は葉書で出すもの、メールなんて心がこもっていない。っと主張できますか?⑤同じく、年賀状の宛名は手書きで書くもの、宛名ソフトを使って大量印刷なんて、心がこもってない、と主張できますか?
近代化や技術の発展で失った職業はたくさんあると思う。現在ではイラストには手描きだからこそ価値があるというのはその通りだと思います。だからといってそれは感情論であり、その価値というものも、時代によって変わっていくものだと思う。絵を買う側にとっては、求めているのは良い作品であり、それを描いた(作った)のが人かAIか?を気にする人は多くないと思う。スーパーで売られているパンはほとんどが工場で大量生産されたもの。でも、たまにはちょっと高いけれど、近所のパン屋さんのパンを食べてみたくなるような。
あと、マラソンと自動車の例えもちょっと違うと思う。手書きの【絵】vs 大量生産の【絵】の構図だから、同じ【絵】同士の戦い(?)のはずなのに、走る人と自動車という別次元のものを対比させているように見える。いかにAI絵を悪役に見せるか、という表現にしか見えない。おそらく、そんなつもりはないと思われますが。
AI絵の問題は、AIであることを隠そうとすること。でもそれは言い換えれば、AIというだけで、無条件で攻撃する人が多いからでもある。AIは堂々とAIで作ったと公言すれば良いのだし、受け手側も、AIはAI、手書きは手書きと、きちんと区別すれがいいだけ。手書きは手書きの、AIはAIの良いところ、悪いところがある。それをお互いが認めれば良いだけなのに、どちらも自分の主張以外のものは攻撃する傾向にある。この傾向が続く場合、最後には市場がこの戦いの決着を決めることになるでしょう。つまり、市場が、手作りの絵だけにこだわるのか、結果としての絵のできばえが良ければ、AIが作った絵か、手書きの絵か、を気にしなくなるか。
最初の例えがうまい例えじゃなくてすみません。でも、人って、自分が普段使っている便利なものには文句を言わないのに、自分の仕事や権益が侵されそうになると猛反論を始める、って歴史上よくあることなので。
自分も最近、AI絵を始めてはまってしまい、でも、なんとかマネタイズできないかなぁと、著作権関係を調べていたら、貴殿のチャンネルに出会ったので、いつも興味深く見させていただいています。ま、どちらかというとAI絵側の人間(というより、技術者なので、AIそのものに興味を持っていますが)なので、考え的には???と思いながら視聴させていただいていますが、とりあえず思ったことをづらづらと書いてしまったので、本コメントにてご気分を害してしまったらご容赦ください。
コメントありがとうございます。
この動画で自分が危惧しているのは、「心がこもっているかどうか」ではなくて、AIの持つ「誰でも大量高速生産」という特徴により、需給のバランスが崩れ、イラストそのものの価値が大幅に下がってしまうことです。
そして、AIを取り巻く議論は、そのことにあまり関心を払っておらず、感情論に終始しているように思います。
マラソンと自動車の比喩は、「大量生産のスピード」という部分に焦点を当てたものです。「手書きの【絵】vs 大量生産の【絵】」というお言葉に沿って言えば、「絵」の部分ではなく、「大量生産」の部分に、手描きとAIの本質的な違いがあり、その違いは程度の差と呼べるものではなく、別次元なものです。なので、マラソンと自動車の比喩を用いました。
ひょっとしたら、仰るように、「イラスト」の価値の暴落は、市場原理として不可避なものかもしれません。残念ですが…。
他の動画での主張になりますが、ブランド化などで手描き絵としての価値を高めつつ、AIによる効率化を取り込んでいくことが、生き残りの鍵なのかな、と個人的には思っています。