聖書における霊と肉の対比は何を意味するのか/ガラテヤの信徒への手紙5章16〜26節

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  • Опубликовано: 17 окт 2024

Комментарии • 29

  • @月-w7l
    @月-w7l 4 дня назад +5

    良い説教をありがとうございます。聖書を知り尽くしておられる方の唇を通して発せられるみ言葉は本当に心がうるわされます。私は家庭連合のものですが共に手を取り合って天の神様と世界平和の為に、日本のために歩みましょう🕊️🕊️🕊️

  • @こうらく-s1d
    @こうらく-s1d 5 дней назад +9

    二元論に対して聖書の伝統的解釈をお話しくださり、ありがとうございます。
    霊と肉をどう捉えるのかも勉強になりました。
    自分が正しい!とならないよう、常に謙虚に学ぶ姿勢を持ち続けたいです。
    ありがとうございます。

  • @tanpopo88-zk3xg
    @tanpopo88-zk3xg 4 дня назад +6

    霊の人として、神様の願い通りに生きていく事は本当に難しい事だと痛感してますが、まずは神様と共に生きていきたいという姿勢だけは失わないようにしたいですね。
    ありがとうございました。☺️

  • @AnnTanimoto
    @AnnTanimoto 6 дней назад +27

    早速二元論に関するお話をありがとうございます。完全に解ったというわけではありませんが、岩本牧師の言わんとすることは理解できました。自分が神に従う生活であるかが問題なのですね。頑張ります。

  • @山田洋子-i5p
    @山田洋子-i5p 5 дней назад +9

    やさしく丁寧な解説をありがとうございます。昨日一度、きょう2回目を視聴させて頂きました。2度目の方が1度目よりはおっしゃる内容が分かった気がします。信仰の根幹に係わる大切なところだと思います。自分に今整理がつかないのですが、思っていることを書いてみます。私はキリスト教の空気を少しは吸って原理に触れたのですが、今までドラゴン牧師様のお話を聴きながら、原理講論が難しくて分かりずらいと感じて来た自分の世界と似てるかもな、と感じるところがあります。私なりに、講論の説き方が乱暴だなと感じるのは自分の力不足ととらえたり、(小さなことが整理できないと落ち着かない自分の性質があるし)大観できれば言わんとする骨子がつかめるんだよ、と思ってみたりして自分を前向きに整理してきたように思います。統一原理という真理(と思っている)を劉孝元先生と違うアプローチで解説できればいいかも、とは思うだけでとても無理。今は、神様のご心情にスパークしていくことをポイントとしているかな。
    それから思い浮かんだのは、イエス様が、語るべきことを語りえないまま十字架で昇天され、パウロもその後のイエス様にお会いしたという事。だから十字架(と復活)による救いが全てと成らざるを得なかったということです。真摯なドラゴン牧師先生の発信に感謝して何とか書いてみました。

  • @久保河内恒夫
    @久保河内恒夫 5 дней назад +9

    岩本牧師が指摘して下ださった霊的救いと肉的救いは原理講論のなかでも難解な部分であり、キリスト教徒にとっては受け入れ難い箇所であると理解しています。聖書的観点からのご指摘ありがとうございました。

  • @久米くに子-o7b
    @久米くに子-o7b 4 дня назад +4

    霊肉の説話ありがとうございます。私の理解力不足はありますが、簡単に言えば原理講論・霊肉二元論ではなく、肉を求めるものと内なるものを求める矛盾した一人の人として一元論と説明していたと思います。パウロの苦悩もそのように理解しているつもりでした。
    またじっくり読んでみます。ありがとうございました。

  • @ogasawara-church
    @ogasawara-church 5 дней назад +13

    ドラゴン牧師
    毎日ありがとうございます。
    聖書の正統な理解をすることは、とても大切だと思いました。
    ありがとうございます。

  • @fishclub5704
    @fishclub5704 5 дней назад +7

    コメントを読んでいくと少しずつ核心的な難解な点に近づいている様に思えます。
    ドラゴン牧師が捉えておられる内容で良いので徐々にでも教えて下されば助かります。
    イエス様が復活した時、肉体が墓場から失くなりました。
    それは肉体そのものが復活したからでしょうか?それとも肉体は何処かに運ばれたのであり、復活は霊魂が形をもって復活し弟子の前に現れたのでしょうか?
    どの様に捉えておられるのか、機会が有りましたら動画からお聞きしてみたい点です。💛

  • @kite-h8h
    @kite-h8h 3 дня назад +3

    前回のコメントに、補足いたします。原理で使う言葉の定義に基づく理解が、統一原理全体と細部の理解を深めために、必要であると私自身、心がけてまいりました。原理は、文先生が、サタンとの生命がけの霊的な闘いの中で、神様から与えられたものなので、信者の一人として、祈り、聖書や原理の御言葉の研鑽さらに、その実践を心がけてまいりました。最近、ヨハネ15・8から、ヨハネ17・26を拝読していましたら、突然、涙があふれ止まりませんでした。神様とイエス様がとても身近に感じられ、悔い改め、天に感謝しています。聖書を拝読する機会を、先生から賜わり、ありがとうございます。🌅

  • @YoshimasaTsunemi
    @YoshimasaTsunemi 5 дней назад +8

    岩本牧師がおっしゃるとおり霊的救いを霊魂の救いと捉えれば確かに問題が多いですね。
    (霊魂が救われたのであれば、すでに霊界は天国になっているはずなのにそうなっていないという矛盾)
    それで他の人は分かりませんが私は霊的救いを魂の救い、心の救い、精神的な救いと捉えています。
    十字架の後、指導者を失った弟子たちは何をやったら良いのか分からず、途方に暮れていましたが、聖霊降臨によって力を与えられ、イエス様を証し、み言を宣べ伝え始めたことでキリスト教は出発しました。
    これが世界に与えた影響は計り知れず、今日の人権や平等、博愛、赦しなどは皆キリスト教の理念によるもので、これらは皆霊的救いの範疇に入るものと私は捉えています。
    しかし現実は神も仏もない世界、弱肉強食で欲望剥き出し、家庭、社会、国家それぞれの次元で闘争が絶えません。
    これはまさにイエス様が「天国は近づけり」と言われ、その実現を目指されたのにイスラエル民族の不信仰によって(これについてイエス様は何の過失もありません、すなわちイエス様の失敗ではありません)それを阻まれたということを示しています。
    愛のお方である神様が、わずか33歳で死ぬような運命を与えられるはずがない、イエス様は天寿を全うするためにお生まれになったし神様もそう願われたはずと私は捉えています。

  • @spoonmama3404
    @spoonmama3404 6 дней назад +23

    ドラゴン牧師様、いつもありがとうございます。
    聖書で言われている肉とはサタンと繋がる邪心で、肉の人とは邪心を中心として生きる人であり、霊とは神様と繋がる本心で、霊の人とは本心を中心として生きる人として語られているのかな、と思いました。確かに、御言葉を学んで理解したり、救いを信じるだけでなく、学んだ御言葉を実践する事が大事ですよね。次元の高い御言葉を学ぶと、自分の姿があまりにも至らなくて、自信がなくなることもありますが、足りなくても、神様の願われる姿に少しでも近付こうと努力する姿も見て下さっていると信じます。

  • @mama-ie4je
    @mama-ie4je 6 дней назад +24

    おはようございます キリスト教の立場での『霊肉』と言う意味をお話し下さりありがとうございます 理解し合うためには相手の視点に立つことが必要ですね その事が旧統一教会にもっと必要なのではと思います そういう努力が『真の愛』の実践だと思います

  • @miyuki4228
    @miyuki4228 6 дней назад +12

    今回のドラゴン牧師さんの聖書の解読、とても勉強になりました。この様な解釈を初めて知りました。
    拉致監禁をされていた牧師さん達は、寛容で愛のある行動では無かったと思いますが、彼らにとっては統一教会の信者は偶像崇拝をしている肉の側に見えるのかな?とも感じました。

  • @ここ掘れワンワン-v4n
    @ここ掘れワンワン-v4n 5 дней назад +5

    私は犬なのでなかなか整理がつかないのです。
    岩本先生が、「聖書における霊と肉の対比は何を意味するのか」とおっしゃられたので、
    ふと思ったのが新約聖書のルカによる福音書24章39~40節なのです。
    ここでは十字架の3日後の事が書かれているようです。
    39 わたしの手や足を見みなさい。まさしくわたしなのだ。さわって見なさい。
    霊には肉や骨はないが、あなたがたが見るとおり、わたしにはあるのだ」。
    〔40 こう言って、手と足とをお見みせになった。〕
    イエス様はことさらに自分は霊ではなく、肉体であることを強調しておられるみたいです。

  • @レプトン
    @レプトン 6 дней назад +20

    ドラゴン牧師様、いつもありがとうございます。
    私は家庭連合の信者ですが今日のところはちょっと牧師様の解釈が違うと思います。
    イエスは本来結婚して家庭を持つべきでした。
    そして地上に天国を作らなけらばならなかったのです。
    しかし捕えられて十字架刑によって殺されてしまいました。
    これが失敗なのです。
    メシアは結婚して子供を作り家庭を成して、氏族、民族、国家、世界、神と勝利しなければなりません。
    それを勝利したのが文鮮明・韓鶴子夫妻であります。
    イエスは結婚して真の父母にならなければならなかったのです。
    再び来られた真の父母はイエスが失敗した蕩減を復帰されたのです。
    しかし信仰は残されたのでこれを霊的勝利と呼んでいます。
    だから再臨主は霊と肉両方の勝利、つまり信仰と地上天国の完成をする使命があるのです。
    霊と肉とはそういう意味で使っています。

  • @秀明清水-h4h
    @秀明清水-h4h 6 дней назад +20

    ロマ書 7:22~25 
    そうですね。霊と肉ではなく、
    内なる人、心の法則、心
    肢体、死のからだ、肉
    心と体、心と肉と表現しなければいけないかもしれません。
    原理は、哲学的要素もあって内と外、性相と形状の正分合作用の時間空間概念の合一体として、事物を認識しているので。

    • @秀明清水-h4h
      @秀明清水-h4h 5 дней назад +4

      つづき
      人間の心と体、霊と肉は、同一なる人間の相対的両面のかたち両側面であって、内と外、性相と形状の二性性相の相対的関係によって時間空間の中で存在しているので、二元論ではなく、一元論です。

  • @koyo9471
    @koyo9471 2 дня назад +2

    イエス様が十字架にかけられた時、12弟子からも裏切られ勝利権が無いので体はサタンが侵入する事が出来たので肉的に奪われてしまいましたが、霊的にはイエス様が神様を一度も不信されなかったので霊的に勝利されました。それで救いの道が繋がれました。お父様がこの世は勝利権だと言われました。歴史的に見ても勝利者がいて段々と上昇して来ました^^。
    だから私達一人一人も毎日の生活でサタンに侵入されない様に勝利権を広げて行く闘いをして生きているのです。

  • @夢の実現yw
    @夢の実現yw 5 дней назад +11

    岩本牧師、最近の動画でのお話しがとても為になるお話しでさすが神学校で学んだひとは違うなと感じています。今日のお話しを受けて私がお伝えしたい事は原理講論の総序にも書いてありますが、これを新しい真理として私達は受け入れていると言う事です。新興宗教が故に貴方がたは異端だとキリスト教の仲間には入れてもらえないと思いますし、強制棄教をしてまで救ってやらねばと思っていると思います。岩本牧師もここが違うあそこが変だと思うかと思いますが、どうぞ私達の親であります父なる神様にどうしてあの様な新興宗教を興してくださったのですかと祈ってくだされば幸いです。神様はきっとお話しくださると思います。ながながと失礼しました。

  • @中川-g2k
    @中川-g2k 6 дней назад +15

    もう一つ補足です。
    この世に悪なるものが全く存在しない世界を神様は願われているし、そうなるように創造されたと私は統一原理を学び、確信しました。もちろん、いつの日にか、そんな時が来ると確信しています。
    でも、そんな考えで両親・兄弟・親族をはじめ身近な人々に話して来ましたが、『そんな世の中は絶対に来ない。』とほぼ全員に言われてきました。
    そんな理想を追いかけない人生なんて本当に希望がないですよね。
    尚、歴史上の多くの義人聖人と言われる人々は、そのような理想世界を目指して頑張ってこられたと私はわかりました。だから私も神様を信じて理想世界を目指して、頑張っています。

  • @user-bk9ur1bo7r77
    @user-bk9ur1bo7r77 6 дней назад +14

    原理講論が言いたいのは神の第二祝福の未完成、原因はイエスの十字架の死。ヨハネ福音2/4,コリント前2/8。