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元来岸和田だんじり祭りは、老若男女が集う活気ある町内の催しでした。いつの日からか”男の”、”涙”、”感動”などといった”だんじり神話”が作られ、だんじりが「見世物」と化しました。加えて昭和後期に岸和田以外の周辺地域の祭礼において「下地車(岸和田型地車)&やりまわし」のムーブメントが起こり、少子高齢化により祭礼人口が減り市外転居が増えると、だんじりが地元や周辺地域の不〇層の「活躍の場」、「おもちゃ」になってしまいました(1980年代~いわゆる不良、暴走族の黄金時代と重なりました)。祭礼維持のためには町会も口を出すことができず、自称「地元愛」を持った「よそ者」による祭となってしまった今、いわゆる「均等打問題」を始めとする、受け継がれた本来の伝統とは違う「個性のない鳴り物」、その鳴り物さえ聞こえないほどの「過度なホイッスル」、団結と称した自身の威勢の為の「パワハラ」「同調圧力」など一部の人々の「自己満足のため」の祭礼となり下がってしましました。
うーん、ぐうの音も出ない現状説明…RUclipsには昭和〜平成初期の動画がたくさん上げられていますが、見ているととても趣を感じます鳴り物しかり、曳き手の雰囲気や掛け声しかり…岸和田祭ほど伝統の継承が曖昧な祭って珍しそう
時代と共に変わって行くことが理想的。だけどこの意見は最もだと思う。実際30年前は何処も太鼓の均等打ちなんかして無かったホイッスルも団長のやりまわしの合図程度そりゃ青年団の下っ端の時はしんどかったけど上の人等も頑張ってたら花寄せよーさんありがとなって小遣いくれてこれで美味しいもんでも食ってこいってさ今の子等はもう軍隊みたいになってしもとるからね
岸和田以外の下だんじりも岸和田型の曳行の仕方、鳴り物が一番やとなって地元伝統が無くなってしまった
自称地元愛って言うけど…じゃあ越してきた奴がほんまに好きでやりたくてやっと混ぜてもらえてやれるようになっても「似非」なんか?それって自分が言ってる「男の…」って奴と一緒やろ。男女が集うっつーか神事という形式を見直せば男性の祭りなんやっていう原点に戻したようなもんで祭る神さんの性質や性別や神輿の雌雄ってのもある中で、自分の知ってる一側面でおもちゃになったって流石に言い過ぎやと思うよ?そもそも山車や地車はあくまで荷車やから神輿としては神様の乗らないおもちゃみたいなもんなんやけども。鳴り物だって色んなパターンは有ってもより上手くより綺麗に聴かせようとすれば全体が似通っても来る。全体の町が上手い下手無視して好き勝手にやってた時代からより上へと目指して進化した先が同じとこに行き着いただけでそれを個性が無いと否定するのも通ぶりすぎやろ。
@@eiji19820216偽地元愛てゆうのは、祭りの運営の為か、他所から金品接待を伴う助っ人の人ととらえる。もしくは、ただ楽しく出来る場所ならどこでも良い人ととらえる。そもそも、だんじりは神賑わい事であり、神さまはのりません。神さんの頭の上で飛んだり跳ねたりしないでしょ!神さんが乗るなら人が乗るのは舞台まで。神さんがのるなら小屋に納めるか?部屋に納めるでしょ!お座舟が原型。泉南阪南の「やぐら」には神さんは乗りますよ。やぐら部屋の名称ありますね。岸和田は、文化祭化してしまいましたね。
この番組が放送された昭和51年(1976年)、私は20歳の若者でした。当時は今ほど少子高齢化が進んでおらず、こういったお祭りに積極的に参加できる若者がたくさんおりました。こうしてみると当時の日本は本当に若々しく元気がありますね。この当時の岸和田だんじり祭りに参加した若者達の多くも還暦を迎えている事でしょう。私も年を取るわけです。
昔の大工方ってマジでなんかこう、軽やかというか、蝶々みたいな舞で綺麗よな。
今のいちびり云々や、成り下がった等の意見 見る度に心が痛いです…重く受け止めていきたいと思います。本来の"だんじり祭り"に少しでも戻していきたいですし、この当時の美学や町の歴史を受け継いでいきたいなと思いました。個人の1人がどうこうできるとは思わないですが、同じような志を良い意味で感染させていきたいと思います。下手くそとはいえ、昭和の鳴り物のカセットテープで兄貴と2人聴き込んで笛の練習したのは良い思い出で…RUclipsで久しぶりにあの音源を聴いた時にこの時代でもまだ失われてないんやと感動しました。まだ間に合う、まだ継いでいけるものはあると思います。どこでこう変わってしまったのかは分からないですが、そこを追求するよりも、もう一度誇りと歴史を追求する方が大事やと思いました。ただ1つ愚痴にはなってしまいますが、若者だけやなくて、今の若者に変に継いでしまった人らの責任も無いわけではないと思います。もう一度みんなで手を取りあえたらと思います。今年も梅雨が近づいてきて、いよいよ寄り合いに走り込みにと祭りの雰囲気が感じられる季節が近づいてきました。とにもかくにもまずは安全第一に、楽しい祭りを迎えられるよう、無事に祭りをやり遂げられるように今年の準備をしていきたいです。批判や嘆く声、20代半ばのぼくですがしっかり聞こえてます。頑張っていきます。 なのでマイナスの声は重く真正面から受け止めるので是非、みなさんは自町の若手にはマイナスだけでなく応援やプラスの声もかけてあげてください。岸和田に生まれたこと、だんじり祭りに携われていること、誇りに思います。
50代後半のオッサンです。この当時の祭が一番良かった。だんじり祭はやりまわしじゃない。早速と走るだんじりが次々に来るのが勇ましかった。常に走ってた。とにかく、岸和田駅へ駅へやった。小門貝源は時間調整か自町に帰る時だけやった。観光客はやりまわしより絶え間なく次々に走ってくるだんじりに見応えを感じてるはず。当時のテレビ番組の観客が語ってたのを思い出す。
昔の岸和田駅とか商店街、田んぼの風景とか昭和の雰囲気、子供時代が懐かしいです。太鼓の音聞いただけで涙出そう!ありがとうございます。
昔のだんじりはみんなが笑顔で楽しそうで平和ですね、今の荒れ狂う、だんじりとは違ってみんなが活き活きして楽しそうですね、これが本来のだんじりか、今のだんじりからこのようなみんなが一致団結して楽しそうなやつに戻してほしい
今でも一致団結してますよ。ギャラリーの捻くれ者、偏屈者が多くなったので祭りをしずらくなってるだけで。
@@マリファナ音頭 それはどうでしょうか?もちろん観光化し、祭を知らない観光客の理不尽なクレームもあるとは思いますが、地域に関しては祭礼に対して距離感が遠い人々が増えた結果、理解が及ばなくなっているのではないでしょうか。
@@マリファナ音頭 内輪だけ団結して他は無視でしょう?時代と共に祭りの形容は変わるものですが、輩の集まりにしか見えません。当人達には大変失礼な話ですが…
そこは今も変わっていませんよ!
いや、荒れる時は今とはレベルが違いましたが喧嘩の規模とかもデカかったですし、警察巻き込んで流血沙汰もありました本来のだんじりっていうのも元々は豊作願って練り歩いてただけですしね自分に都合の良い思い出補正も大概にしないと、ただの老害ですよ?
とても懐かしい映像をありがとうございます。投稿者さんのおっしゃりたいこともとてもよく理解できます。
貝塚生まれで、麻生郷を小さな頃に曳いていましたが、やはり岸和田の迫力はすごいですね。昔はあまり激しいイメージはなかったような。男に生まれていたら現在も曳きたいです。
五穀豊穣 無病息災を願った本来のだんじり祭を観させて頂きました。今では、単なる見世物に成り下がってしまった気がします。イチビリの集まりにしか見えません。
否定をするのは簡単祭りは今も過去も1年間ちゃんと過ごした人への数日間のご褒美皆が鍬を振り回していた時代は五穀豊穣のために頑張って働いた若者への年寄りからのご褒美の日今もちゃんと悪い事しないで1年間頑張って過ごした若者へのご褒美の日本質はいつも変わらない。そこに住む人の輪の中にだんじりがあるのもいつまでも変わらない。
12:05 の「5時41分の女」のところに再生バーの波が非常に集まっている。やはり誰もがイケメン顔の女性にズバ抜けた何かを感じてるのですね~。芸能にいたらきっと大女優でしたろうね。
ええ時代や。 人間味、勢いがある時代やなー。鳴物の鐘をバチ2本でやってるのは、ビックリやった。 これもまた時代なんやなー
平成初期ぐらいまでは「普通こうするもんや」と言うようなルールじみたものがなかったから町内でも人によりけり。だから鳴り物も踊りも○○の叩き方とか☓☓の踊りがかっこええと言うような個性がありました。細かく言えばだんじりはもっと個性豊かで一目でどこのだんじりかわかるものでした。例え大工が同じでも
私が3歳くらいの頃なんだね。当時住んでた団地にも祭りがあって、大人の神輿や子供神輿や山車もあった。周辺の団地群や商店街も同時期に祭りをするので、山車の数だけで10以上、神輿は何基出てきたんだろ。。ってくらいだった。子供が神輿を担げるように大人たちがいい具合に仕切って、そして大人たちは普段の姿とは一変して祭りに興じ酔いしれる。商店街や自治会の振舞う大量の酒やジュース、お菓子など本当に楽しかった。その団地も高齢化したり、建て替え、引っ越しなどで祭りも神輿も無くなってしまった。新しく建て替えた建物では、そうした共有という意識も希薄だからもう祭礼は無いんだろうな…
かっこいいな。思わず声に出してしまいました。本来の"神事"って感じがする。
45年前の岸和田で生まれ、生後半年で町のハッピを着た写真が残ってます。私が生まれるよりもまだ前の貴重な映像ありがとうございます。この頃、叔父は大屋根に、父は小屋根に乗っていたと聞いています。家庭の事情により幼稚園に入る頃には岸和田を出ましたが、引っ越した町にも岸和田と並ぶ歴史のあるだんじり祭があります。DNAに染み付いてるのでしょうか、鳴り物を聴くと血が騒ぎますね。
丁寧な取材と美しい映像が秀逸な、一つの作品ともいえる番組でした。実に素晴らしいです。初めて見る細部に施された彫り物は高い芸術性を持つ文化財ですね。それをそれぞれの町が誇りに思い、大切に守っているのが伝わりました。見事な舞を無心に舞う青年の姿は神への祈りに見えます。やはりこれは神事。奉納ですね。人々の生き生きとした表情には、共同体の中で生きる本物の絆を感じます。これぞ日本人の原点、日本人の心です。今、この心を持っている人はどれだけいるでしょうか。遠くへ過ぎ去ってしまった祭囃子は、もう帰ってくることはないのでしょうか。失ったものは大きすぎます。そしてそれは、流行病のせいだけではありません。人間の原点に立ち返りたいと思わせられる映像でした。
画面越しに熱気と元気を感じる。やっぱり祭りはだんじりは速さや見た目競う以上に一年間頑張ったご褒美として楽しまなあかん
味があるなあ…この年はまだ影も形もないけど実にいい時代だっていうのは分かる
良かったなぁ~この時代私の青春でした!
猫も杓子もスマホの今にない昭和のアナログ感が只々懐かしい。番組オープニング曲もゆったり時間が流れるムードに溢れた名曲でしたね(゚∀゚)!!🍢🍻🎇🎶☆
師匠の檄が飛ぶ稽古場で、一生懸命踊りの稽古を積んで、本番で上手くいった時の爽快感は何者にも代え難いですね!
だんじりを祭りを大事にはしてるけど今みたいに金かけてなかったなぁ。多少の衝突の傷はそのままやったし。だから修理あけて帰ってきた時の感動は大きかったな。今は祭り=金かかるみたいになってるのも気持ち離れていく原因かもな。太鼓も金も一昔前のちょっと湿ったボテボテした太鼓やギンギギンて感じの鈍い音も懐かしい。なんと言っても落ち着いて鳴り物鳴らしてるから手詰まりになって刻みなおす事も少なかったから聞いてて心地よかったな。
お祭りが観光化・巨大化していくと祭り本来の意味が失われていくのは全国共通っぽい。愛媛県新居浜市の太鼓祭りなんかも同じ道を辿ってる。
私が小さい頃は、泉州祭りの頃になると地元自慢、地車自慢に花を咲かせてました老若男女、楽しむ祭りのはずが、おじいちゃん、おばあちゃんも地車好きな人いっぱいおるのに、今はスマホを高々と上げたギャラリーの後ろで、地元の方々が小さくなって地車を見てるギャラリー呼び込むことに必死になりすぎた結果と時代の流れやけど、もう地元密着て感じしない‥やり回し決めることに過度にこだわり、楽しむことがどっかいってる、祭りやのに‥‥地車の後ろには、地元のシャツにうちわを持って、走ってる女性たち‥地車が走り抜ける後ろ姿、昔からめちゃくちゃ好きやったのに、今はもう絵面悪すぎ‥若い子が中心になって引っ張ってくれな地車は動かんのわかるけど、あの感じはもう地元密着の老若男女の祭りじゃない!学校主催の祭りて感じやな‥喧嘩上等!酒も色恋沙汰も何でもこい!五穀豊穣を祈りつつ、大人も子供も楽してしゃぁないわ!ちょっとハメはずすぐらいが楽しいねん!祭りてそういうもんちゃうかな 長々と失礼致しました🙇♀️
まぁ普段マジメに仕事なり学業にがんばってる人へのご褒美みたいなもんでしたね。祭りは祭りきてだんじり曳き回して押し込めてたエネルギーを爆発させる。ほんで終わればまた来年とだんじりと別れてまた普段の生活に戻る。
ええ時代やな!平成生まれやけどタイムスリップして昭和のだんじり に参加してみたい。
地元ではありませんが、父の実家・祖母の家があるので小さい頃から祭りを割と身近に感じで生きてきました。なんとか走れるかどうかの幼い時に、母に手を引かれながら宮入の後ろをついて走りました。その時期ぐらいをよく覚えてます。その町のお嫁さんや私たち親子のように、娘息子の手を引いて走るお母さん達。右向いても左向いても父の同級生・その町の奥様方で母も仲良くしておりました。しかしいつぞやから、若い女性達がどこからか入手した町のTシャツを着て後ろを走るようになってました。私も結局はその人たちと同じような年代なだけに、そして地元ではないだけにだんだんと参加していい物かなんなのか分からなくなりました。こんな素敵な岸和田だんじり祭りなのに、不良が集まったり、他の場所から助っ人を呼ばないといけなくなったり、年々観光客が増加し、若連言うこと聞かず怒号が飛ぶこともあったり、気を使ってるのがよく分かるぐらいに丁寧な口調だったり。祖母の家の前にも、余所者や観光客が座り込んだりとマナーの知らない人も増えたものです。この素晴らしい伝統がきちんと後世に継承されることを祈ります。
びっくりしました‼️昔、といってもたった40数年前の鳴物、今よりずっと曲が複雑。しかも、ゆったりして味ありますね。良いですね。特に篠笛の旋律が全然リッチ。今のはかなり単純化されてます??😅速いは速いけど…
沼の18種類の太鼓聞いてみたい。もう保存されてないんやろなぁ。。。もったいない
この映像は楽しそうで音色も優しい感じがした
今は祭りっていうよりやりまわし競技会やもんな
いい事言った。その通り。
確かに、平成になってから祭りの本来の姿が薄れてるように見えます。まぁこの時代は町内の人の繋がりが濃かったから、和気藹々な雰囲気があったのでしょうね。各町が自分のだんじり(地車)を宝物の様に誇らしげに紹介して話す町会長の喜々とした表情はほのぼのとしてます。平成になってから「やりまわし」ばかりが強調して青年團もヒエラルキー意識が強まりすぎてパワハラなどの横行で(それが嫌で青年團に入るのを躊躇ったり、忌み嫌ったり)どうしても地元の青年が祭りを楽しめなくなっているように見えます。(まぁ少子高齢化が多少影響してるとは思いますが)令和の時代のだんじり祭りに期待するのは昭和のあのほのぼのとしたものになって欲しいものです。
昔の町内は「向こう三軒両隣」と言うように町内の人の繋がりが身内の様に濃かったと思います。祭りもそうですが、不幸事があったら町内の主婦たちは料理をし、それを振る舞い葬儀も親戚一同のみならず近所の人も参列するという「相互扶助」という習わしがありましたが、今はどうでしょう。他所は他所うちはうちという意識が強くなり葬儀も家族葬と言うひっそりとしたものになりました。日本の良い面でもあり悪い面でもある「ムラ社会の崩壊」が現在の日本の姿と言えましょう。
死ぬまでに一度は見てみたい祭りです迫力ありそう!
オカンの実家が岸和田やったのでちょうどこの頃見にいってました
空が青いなぁ〜 ネットもWi-Fiも飛んでない時代
視覚的に見る、今の空は排ガスの減少と何らかのバリア(忘れちゃいました)が弱まってるため、昔よりも綺麗に見えるらしいです。でも私はこの頃の情緒ある時代が好きです😊
しかし最後のだんじりを洗ってる場所、ここホントに大阪か?ってくらい緑が多いね。この時はまだ下松の駅もなかった。40数年でこうも変わるとは。貴重な映像ありがとうございます。
ラストシーンは泉佐野やったはずです。まぁ佐野も今どきこんな田園広がる場所なくなってしまいましたが
泉州は玉ねぎの一大産地でしたからね
半松良から察するに上之郷上村の先代ですね。
昔の大工方は、殆ど着流しでめっちゃ艶やかでカッコ良かったんよね。着流しの大工方が見れないのは本当に残念。懐かしい岸和田駅舎に、涙が出そうでした。
五穀豊穣の祈りでラストに田園風景映すの粋な演出だなあ。
これならNHK代払うのにな。今のNHKは腐ってる。
おじいちゃんが昔だんじりの前に乗ってる写真があっえはちまきじゃなくてハンチング帽かぶってるのが時代を感じる!
昔の方が伸び伸び皆が楽しそうに曳いてるなぁ。曳き手も多いし、街も賑わってるねぇ。皆の気持ちが一個の目的に向かってる。
事故が起きても死人が出ても誰も責任取らんで良かった時代やから伸び伸びやってるように見えてるだけ。結局はそこに責任追及するようになったからあれはやめようこれはやめようになってクリーンな祭りになったんをそんなふうに言うのって世論が雁字搦めにテレビの演出の揚げ足取ってあれができないこれができないって風にした挙句にテレビがつまらんなったって責めてるのと一緒やで。
ホント楽しそうに見える!
@@eiji19820216 この映像と現状とコメント観てでてくる言葉がそれかいな?品性や、大和の和の精神のある無しっちゅうんは、性根が悪いのにはわからん。
7:11 そうそう、この当時の沼町の法被、紺や藍色でもない青色やったね。それと昭和54年辺りから一時グレーになって迷走しとったね。年番さんが「見たっとくなはれ」と仰る中、「岸和田で唯一」と謳わはった『17種類から18種類(アバウトやな)』のだんじり囃子って、現在に継承され完璧に保存・再現されてる事でしょうね?
この頃祭りは、やっぱりいいですね地を響かす太鼓軽快な笛と鐘それとソーラャのかけ声やっぱり素晴らしいby泉州人のオッサン❤
良い動画でした!
この時代のだんじりは徳島の阿波踊りくらいに凛としているじゃないですか☝( ◠‿◠ )!😮いまは、、、、もう比べものにならないよだんじりは、、、😢悲しい
こうしてみると楽しそうですね。こんな感じなら応援できます。
キレのある鳴り物と、掛け声がええなぁ。これぞダンジリです。今の祭りは見る気しないけど、楽しい思い出が一杯あるので大丈夫。共同体自体が名前だけになってしまったし、しょうがないな。
幼稚園児の頃は後ろついてったらアイス貰えたな久米田出身です
だんじり自慢の人たちが最高すぐる溢れ出る地元愛w
この時代の日本はいいなぁどこの地域もこうやって人間味のある人で溢れてたんやろなー
大工町イケイケの時代ですね。
昔のだんじりは町内会のお祭りを大きくしたような感じのお祭りだったのね昔の方が雰囲気良いね
今ここに映っている青年たちは今は60代、、、。ಠ_ಠ
昔の人って芯が強そう。かっこいい、
このオープニングの曲聞いた瞬間、なんか聞き覚えある懐かしい感覚あるんだけど、この時代まだ2歳くらいだと思うんが‥
アタシ3歳だったけど、小学校の時に先生にビデオ授業でよく見せてもらってました。
新日本紀行は全国各地の都市化が進み消えつつある昭和の戦前から続く何気ない生活と祭りや嫁入りといったハレの日を記録した番組で今となっては更に貴重な記録となってます音楽は後にシンセサイザー音楽で世界的な巨匠になる冨田勲が作曲してます
当時のこの若者たちも今は60すぎの老人なんだなぁ~なんだか当たり前だけど不思議
粋、品性、調和、大和、和心、自然への感謝、老若男女の繋がり、共感性、美的感覚、 岸和田市民にとって大切な部分がすべて失われてますね。ホイッスル、罵声、公共物破、音色のない鳴り物、攻撃的で排他的な雰囲気、こんなものならやめてしまえ
村社会の典型ですな。古きよき昭和の華です。今は、ハロウィンみたいなもんやわ。ちょっと見るだけでいいわ。
携帯電話のカメラから始まって、スマホがでてから、人に見られてるという意識から、いいところも沢山でてきたけれど、地元感とか、人間味が出しにくくなってきたのもあるかな、と思います。そういうのが、昔を知ってる人からゆえば、寂しく思うのでは。隣のおじちゃん、おばちゃんの笑い声や、話し声が聞こえにくくなったみたいに。
最初に出てくるお姉さん綺麗だな
生まれる少し前だが、そういえば子供の頃、小さい1人乗りのだんじり作ってみんなで引っ張ってたわ
たまねぎ小屋が懐かしい。
時代的に岸和田のカオルちゃんとかぶる
このころの私は5歳ですね!楽しそうにやってますね!この頃から10年後には何処のだんじり祭もヤンキーだらけに為りましたね。悲しい(ノ_・。)
This is great!! It sounds like they are shouting "Brora." Sugoi !
12:09 「日射病(熱射病)」、いまの「熱中症」。いいですね70年代の大阪。赤〇英和さんが南海電車内で大手を振ってた頃ですねw
熱中症とは暑さによって生じる障害の総称で、熱失神、熱けいれん、熱疲労、熱射病などの病型があります。(JSPO:スポーツ活動中の熱中症予防ガイドブックより)熱射病→熱中症の中に区分され、過度に体温が上昇(40℃以上)して脳機能に異常をきたした状態。だそうです。
纒が岸和田駅に来てるのに、だんじりは国道旧26の下だった下野町小屋根に三人乗ってたら、一人下ろせ!とマイクで怒鳴った岸和田警察署岸和田祭、地車祭と書かれた提灯で飾られていた岸和田駅
最高気温が30度を超えてないよね、この頃は🤣
昔は天気を表示してなかったと思うので当時の気温じゃないと思う。この映像は再放送なのかな。
オープニングを見ると昭和51年10月の新日本紀行の再放送と分かるね
これぞ日本!って感じ。
今は真面目になってるみたいだけど中学生でも酒飲んで酔ってたり、物陰でやってたり。
かっこいい
7:32鳴り物バリ渋い❗️
繰り返し聞いても飽きない豊かな曲調ですね。
大阪府内のお祭りといえばだんじり祭りです岸和田祭りは全国区になりました
涙出る
寄り合いと走り込みに命を掛けてるアホみたいな奴のせいでどんどん衰退してる。青年団がしんど過ぎるせいで中3まで少年団に入ってた子達が青年団になるタイミングでほぼ居なくなる。これはめちゃくちゃ勿体無い。せっかく入っても寄り合い、走り込みの出席率低い奴は詰めて辞めさせるとかもあるし、「そこ厳しくして何の意味があるん?」ってことが多すぎる。祭りの本質は楽しむことのはずなのにそれを誰もわかってない。どこも勢いのあった昭和から平成初期の祭りは話を聞いてる限りこんな変な厳しさは無かったはず。
ホンマにそれやねんな何でも強制させられたらオモロ無くなる俺もそれで辞めたし回りも何人もいてる
本当にそう思う祭りて楽しいもんやろ、なんか今の地車祭りは、学校の体育会系のクラブ活動と一緒やん、楽しないねん、だからみんな離れんねん、一致団結やら感動やらやりまわしやら、いちいち求め過ぎ、そんなもん祭り楽しんだあとからついてくるもんやん、地車好きやのにそれで入りたない子まわりにもいっぱいいます。
そもそも早朝から夜遅くまで2日(試験引き含めたら3日)もやる祭り自体が異端そんなに長くやるならやっぱり体力が重要になってくるからどうしても体育会系になるわな
4:55のギャラリーの爺ちゃんゲキヤバいやん❗️
インド人みたいな人の事かな😅
良い映像ですね。じじだからかもしれませんが、日本の文化・歴史の部分の芸能も取り上げるべき例えば全国の祭りなど年間を通じて練習や会合、個々から当日までのドキュメンタリー映像など
だんじり会館に保存されている紙屋町の先代だんじりが現役の時代か
修理から帰ってからすぐですから取り替えたところ真っ白ですね。
今ではただの不良の鬱憤ばらし。哀しいなあ。
いや、同じだと思います。今も昔も。
「走らないでください」アナウンスを無視して走っているが、その走りは駆け足程度で、猛スピードで激走しているわけではない。ここが多くの人が気軽に参加できた理由の一つだと思う。今のやりまわしや直線猛スピードといったパフォーマンスは、一般参加の道を阻むだけでなく、曳き手の人から笑顔を奪っている。
私は岸和田市民ではないですが、南大阪で働いています。職場にはだんじり民がたくさんいますが、76年当時は私は就職した年でその時代の若者たちの風貌も懐かしく、それを思うと今のだんじりはイベント化してしまって風情と心がないように思います。ただの年に一度のお祭り騒ぎじゃないですよ。とはいえこういったところでそれを取り戻すのは無理なんでしょうね。
そうですね昔はエアーホーンとかある訳無いですからね😅
あの頃は28度、今年は35度暑いわ
この当時のカメラの大きさで屋根に上がっての撮影はカメラマンも大したモノだと思う。だんじりを水洗いしてしまうんですね。
大工方の着物が似合うわ
熱気が今と全然違う
このBGM、懐かしい。良い曲だね。 2022.10.29 07:02
スマホは便利だけど、そんなの無いギスギスしてない社会のほうが、俺は生きやすかったな。
6:28 髪型スキンフェードで草
ここに映る方たちもう亡くなってたり子供の人も50代とかと考えるとすごく貴重だなぁ(*ˊ˘ˋ*)
この年は29℃ですよ、いやー暑くなり過ぎでしょーどっちも
この頃の子供らが今や毎年怒鳴り合い、どつき合いの喧嘩を起こしとるわけやな…年だけ取って肝心な所が成長しとらんのとちゃうか?
今も昔もだんじりはいいなあ!うちの町内はだんじりなかったから羨ましかった。同じ校区でだんじりあるとこないとこがあって、曳かしてもらってたけど気がひけた。だんじりあるのに曳かない子もいっぱいおって、かわってほしかったわ^_^今の若い子は祭り前走り込みやってえらいわ。あれせなんだら本番ちょっと走ったらバテルもんなー。
前までこの番組フルでRUclipsにあったねんけど消えてもうたんですかね?投稿主さんフルで持ってないですか?玉ねぎの買い付けの場面でこれぞ泉州弁のような会話があったのでもう一回観たい笑
ここに映っでる子供達は今の若頭の兄さん達かな
昭和の本来の鳴り物(1977年)の高音質Verも併せて是非お聴きください。→ruclips.net/video/jxM1hgiVNFM/видео.html
太鼓今と比べたら違いますね
冨田勲さんの音楽はいいなあ。
荒っぽい祭りですね〜😂
うる覚えですが昔だんじりの通る道は一方通行では無かったと思うのですか間違ってますか??
あってます
@@カントウ地方 わざわざありがとうございます(^^)
当時の狭い道を双方向で曳き回したのですれ違う際によく喧嘩が起きました。それが喧嘩祭の由来です。仲裁役の警察官も昔は乗ってましたよ。
@@kojik4853 教えてくださりありがとうございます(^^)あの頃のほうが迫力があり見てる方もおちおちしていられなかったのを思い出せました😂
祭りにのときだけ元気になるから怖かった。もう今の時代に流行らない。
最後のだんじり、豪快に洗ってるなw
@@sanogawa8 日本酒で洗うのがええらしいで?とか米糠で磨くのがええって聞いたで?とか誰が言い出したかわからん話をバカ正直に実践したりと大概あんまりよろしくない方法でだんじり洗うからどの町も基本的にだんじり真っ黒やったね。だから工務店から帰ってきたときの光り輝くほど真っ白になって帰ってきただんじりは感動ものやったもんです。
今のだんじりはただの暴走族
元来岸和田だんじり祭りは、老若男女が集う活気ある町内の催しでした。いつの日からか”男の”、”涙”、”感動”などといった”だんじり神話”が作られ、だんじりが「見世物」と化しました。加えて昭和後期に岸和田以外の周辺地域の祭礼において「下地車(岸和田型地車)&やりまわし」のムーブメントが起こり、少子高齢化により祭礼人口が減り市外転居が増えると、だんじりが地元や周辺地域の不〇層の「活躍の場」、「おもちゃ」になってしまいました(1980年代~いわゆる不良、暴走族の黄金時代と重なりました)。
祭礼維持のためには町会も口を出すことができず、自称「地元愛」を持った「よそ者」による祭となってしまった今、いわゆる「均等打問題」を始めとする、受け継がれた本来の伝統とは違う「個性のない鳴り物」、その鳴り物さえ聞こえないほどの「過度なホイッスル」、団結と称した自身の威勢の為の「パワハラ」「同調圧力」など一部の人々の「自己満足のため」の祭礼となり下がってしましました。
うーん、ぐうの音も出ない現状説明…
RUclipsには昭和〜平成初期の動画がたくさん上げられていますが、見ているととても趣を感じます
鳴り物しかり、曳き手の雰囲気や掛け声しかり…
岸和田祭ほど伝統の継承が曖昧な祭って珍しそう
時代と共に変わって行くことが理想的。
だけどこの意見は最もだと思う。
実際30年前は何処も太鼓の均等打ちなんかして無かった
ホイッスルも団長のやりまわしの合図程度
そりゃ青年団の下っ端の時はしんどかったけど上の人等も頑張ってたら花寄せよーさんありがとなって小遣いくれてこれで美味しいもんでも食ってこいってさ
今の子等はもう軍隊みたいになってしもとるからね
岸和田以外の下だんじりも岸和田型の曳行の仕方、鳴り物が一番やとなって地元伝統が無くなってしまった
自称地元愛って言うけど…
じゃあ越してきた奴がほんまに好きでやりたくてやっと混ぜてもらえてやれるようになっても「似非」なんか?
それって自分が言ってる「男の…」って奴と一緒やろ。
男女が集うっつーか神事という形式を見直せば男性の祭りなんやっていう原点に戻したようなもんで
祭る神さんの性質や性別や神輿の雌雄ってのもある中で、自分の知ってる一側面でおもちゃになったって流石に言い過ぎやと思うよ?
そもそも山車や地車はあくまで荷車やから神輿としては神様の乗らないおもちゃみたいなもんなんやけども。
鳴り物だって色んなパターンは有ってもより上手くより綺麗に聴かせようとすれば全体が似通っても来る。
全体の町が上手い下手無視して好き勝手にやってた時代からより上へと目指して進化した先が同じとこに行き着いただけでそれを個性が無いと否定するのも通ぶりすぎやろ。
@@eiji19820216
偽地元愛てゆうのは、祭りの運営の為か、他所から金品接待を伴う助っ人の人ととらえる。
もしくは、ただ楽しく出来る場所ならどこでも良い人ととらえる。
そもそも、だんじりは神賑わい事であり、神さまはのりません。
神さんの頭の上で飛んだり跳ねたりしないでしょ!
神さんが乗るなら人が乗るのは舞台まで。
神さんがのるなら小屋に納めるか?
部屋に納めるでしょ!
お座舟が原型。
泉南阪南の「やぐら」には神さんは乗りますよ。
やぐら部屋の名称ありますね。
岸和田は、文化祭化してしまいましたね。
この番組が放送された昭和51年(1976年)、私は20歳の若者でした。当時は今ほど少子高齢化が進んでおらず、こういったお祭りに積極的に参加できる若者がたくさんおりました。こうしてみると当時の日本は本当に若々しく元気がありますね。この当時の岸和田だんじり祭りに参加した若者達の多くも還暦を迎えている事でしょう。私も年を取るわけです。
昔の大工方ってマジでなんかこう、軽やかというか、蝶々みたいな舞で綺麗よな。
今のいちびり云々や、成り下がった等の意見 見る度に心が痛いです…
重く受け止めていきたいと思います。
本来の"だんじり祭り"に少しでも戻していきたいですし、この当時の美学や町の歴史を受け継いでいきたいなと思いました。
個人の1人がどうこうできるとは思わないですが、同じような志を良い意味で感染させていきたいと思います。
下手くそとはいえ、昭和の鳴り物のカセットテープで兄貴と2人聴き込んで笛の練習したのは良い思い出で…
RUclipsで久しぶりにあの音源を聴いた時にこの時代でもまだ失われてないんやと感動しました。
まだ間に合う、まだ継いでいけるものはあると思います。
どこでこう変わってしまったのかは分からないですが、そこを追求するよりも、もう一度誇りと歴史を追求する方が大事やと思いました。
ただ1つ愚痴にはなってしまいますが、
若者だけやなくて、今の若者に変に継いでしまった人らの責任も無いわけではないと思います。
もう一度みんなで手を取りあえたらと思います。
今年も梅雨が近づいてきて、いよいよ寄り合いに走り込みにと祭りの雰囲気が感じられる季節が近づいてきました。
とにもかくにもまずは安全第一に、楽しい祭りを迎えられるよう、無事に祭りをやり遂げられるように今年の準備をしていきたいです。
批判や嘆く声、20代半ばのぼくですがしっかり聞こえてます。
頑張っていきます。 なのでマイナスの声は重く真正面から受け止めるので是非、みなさんは自町の若手にはマイナスだけでなく応援やプラスの声もかけてあげてください。
岸和田に生まれたこと、だんじり祭りに携われていること、誇りに思います。
50代後半のオッサンです。
この当時の祭が一番良かった。
だんじり祭はやりまわしじゃない。
早速と走るだんじりが次々に来るのが勇ましかった。
常に走ってた。
とにかく、岸和田駅へ駅へやった。
小門貝源は時間調整か自町に帰る時だけやった。
観光客はやりまわしより絶え間なく次々に走ってくるだんじりに見応えを感じてるはず。
当時のテレビ番組の観客が語ってたのを思い出す。
昔の岸和田駅とか商店街、田んぼの風景とか昭和の雰囲気、子供時代が懐かしいです。太鼓の音聞いただけで涙出そう!ありがとうございます。
昔のだんじりはみんなが笑顔で楽しそうで平和ですね、今の荒れ狂う、だんじりとは違ってみんなが活き活きして楽しそうですね、これが本来のだんじりか、今のだんじりからこのようなみんなが一致団結して楽しそうなやつに戻してほしい
今でも一致団結してますよ。
ギャラリーの捻くれ者、偏屈者が多くなったので祭りをしずらくなってるだけで。
@@マリファナ音頭 それはどうでしょうか?もちろん観光化し、祭を知らない観光客の理不尽なクレームもあるとは思いますが、地域に関しては祭礼に対して距離感が遠い人々が増えた結果、理解が及ばなくなっているのではないでしょうか。
@@マリファナ音頭
内輪だけ団結して他は無視でしょう?
時代と共に祭りの形容は変わるものですが、輩の集まりにしか見えません。
当人達には大変失礼な話ですが…
そこは今も変わっていませんよ!
いや、荒れる時は今とはレベルが違いましたが
喧嘩の規模とかもデカかったですし、警察巻き込んで流血沙汰もありました
本来のだんじりっていうのも元々は豊作願って練り歩いてただけですしね
自分に都合の良い思い出補正も大概にしないと、ただの老害ですよ?
とても懐かしい映像をありがとうございます。投稿者さんのおっしゃりたいこともとてもよく理解できます。
貝塚生まれで、麻生郷を小さな頃に曳いていましたが、やはり岸和田の迫力はすごいですね。昔はあまり激しいイメージはなかったような。男に生まれていたら現在も曳きたいです。
五穀豊穣 無病息災を願った本来のだんじり祭を観させて頂きました。今では、単なる見世物に成り下がってしまった気がします。イチビリの集まりにしか見えません。
否定をするのは簡単
祭りは今も過去も1年間ちゃんと過ごした人への数日間のご褒美
皆が鍬を振り回していた時代は五穀豊穣のために頑張って働いた若者への年寄りからのご褒美の日
今もちゃんと悪い事しないで1年間頑張って過ごした若者へのご褒美の日
本質はいつも変わらない。そこに住む人の輪の中にだんじりがあるのもいつまでも変わらない。
12:05 の「5時41分の女」のところに再生バーの波が非常に集まっている。やはり誰もがイケメン顔の女性にズバ抜けた何かを感じてるのですね~。
芸能にいたらきっと大女優でしたろうね。
ええ時代や。 人間味、勢いがある時代やなー。
鳴物の鐘をバチ2本でやってるのは、ビックリやった。 これもまた時代なんやなー
平成初期ぐらいまでは「普通こうするもんや」と言うようなルールじみたものがなかったから町内でも人によりけり。
だから鳴り物も踊りも○○の叩き方とか☓☓の踊りがかっこええと言うような個性がありました。
細かく言えばだんじりはもっと個性豊かで一目でどこのだんじりかわかるものでした。例え大工が同じでも
私が3歳くらいの頃なんだね。当時住んでた団地にも祭りがあって、大人の神輿や子供神輿や山車もあった。周辺の団地群や商店街も同時期に祭りをするので、山車の数だけで10以上、神輿は何基出てきたんだろ。。ってくらいだった。子供が神輿を担げるように大人たちがいい具合に仕切って、そして大人たちは普段の姿とは一変して祭りに興じ酔いしれる。商店街や自治会の振舞う大量の酒やジュース、お菓子など本当に楽しかった。その団地も高齢化したり、建て替え、引っ越しなどで祭りも神輿も無くなってしまった。新しく建て替えた建物では、そうした共有という意識も希薄だからもう祭礼は無いんだろうな…
かっこいいな。思わず声に出してしまいました。
本来の"神事"って感じがする。
45年前の岸和田で生まれ、生後半年で町のハッピを着た写真が残ってます。
私が生まれるよりもまだ前の貴重な映像ありがとうございます。
この頃、叔父は大屋根に、父は小屋根に乗っていたと聞いています。
家庭の事情により幼稚園に入る頃には岸和田を出ましたが、引っ越した町にも岸和田と並ぶ歴史のあるだんじり祭があります。
DNAに染み付いてるのでしょうか、鳴り物を聴くと血が騒ぎますね。
丁寧な取材と美しい映像が秀逸な、一つの作品ともいえる番組でした。
実に素晴らしいです。
初めて見る細部に施された彫り物は高い芸術性を持つ文化財ですね。
それをそれぞれの町が誇りに思い、大切に守っているのが伝わりました。
見事な舞を無心に舞う青年の姿は神への祈りに見えます。
やはりこれは神事。奉納ですね。
人々の生き生きとした表情には、共同体の中で生きる本物の絆を感じます。
これぞ日本人の原点、日本人の心です。
今、この心を持っている人はどれだけいるでしょうか。
遠くへ過ぎ去ってしまった祭囃子は、もう帰ってくることはないのでしょうか。
失ったものは大きすぎます。そしてそれは、流行病のせいだけではありません。
人間の原点に立ち返りたいと思わせられる映像でした。
画面越しに熱気と元気を感じる。
やっぱり祭りはだんじりは速さや見た目競う以上に一年間頑張ったご褒美として楽しまなあかん
味があるなあ…この年はまだ影も形もないけど実にいい時代だっていうのは分かる
良かったなぁ~この時代私の青春でした!
猫も杓子もスマホの今にない昭和のアナログ感が只々懐かしい。番組オープニング曲もゆったり時間が流れるムードに溢れた名曲でしたね(゚∀゚)!!🍢🍻🎇🎶☆
師匠の檄が飛ぶ稽古場で、一生懸命踊りの稽古を積んで、
本番で上手くいった時の爽快感は何者にも代え難いですね!
だんじりを祭りを大事にはしてるけど今みたいに金かけてなかったなぁ。多少の衝突の傷はそのままやったし。だから修理あけて帰ってきた時の感動は大きかったな。
今は祭り=金かかるみたいになってるのも気持ち離れていく原因かもな。
太鼓も金も一昔前のちょっと湿ったボテボテした太鼓やギンギギンて感じの鈍い音も懐かしい。なんと言っても落ち着いて鳴り物鳴らしてるから手詰まりになって刻みなおす事も少なかったから聞いてて心地よかったな。
お祭りが観光化・巨大化していくと祭り本来の意味が失われていくのは全国共通っぽい。
愛媛県新居浜市の太鼓祭りなんかも同じ道を辿ってる。
私が小さい頃は、泉州祭りの頃になると
地元自慢、地車自慢に花を咲かせてました
老若男女、楽しむ祭りのはずが、おじいちゃん、おばあちゃんも地車好きな人いっぱいおるのに、今はスマホを高々と上げたギャラリーの後ろで、地元の方々が小さくなって地車を見てる
ギャラリー呼び込むことに必死になりすぎた結果と時代の流れやけど、もう地元密着て感じしない‥
やり回し決めることに過度にこだわり、楽しむことがどっかいってる、祭りやのに‥‥
地車の後ろには、地元のシャツにうちわを持って、走ってる女性たち‥地車が走り抜ける後ろ姿、昔からめちゃくちゃ好きやったのに、今はもう絵面悪すぎ‥
若い子が中心になって引っ張ってくれな地車は動かんのわかるけど、あの感じはもう地元密着の老若男女の祭りじゃない!学校主催の祭りて感じやな‥
喧嘩上等!酒も色恋沙汰も何でもこい!
五穀豊穣を祈りつつ、大人も子供も楽してしゃぁないわ!ちょっとハメはずすぐらいが楽しいねん!祭りてそういうもんちゃうかな
長々と失礼致しました🙇♀️
まぁ普段マジメに仕事なり学業にがんばってる人へのご褒美みたいなもんでしたね。祭りは
祭りきてだんじり曳き回して押し込めてたエネルギーを爆発させる。ほんで終わればまた来年とだんじりと別れてまた普段の生活に戻る。
ええ時代やな!
平成生まれやけどタイムスリップして昭和のだんじり に参加してみたい。
地元ではありませんが、父の実家・祖母の家があるので小さい頃から祭りを割と身近に感じで生きてきました。
なんとか走れるかどうかの幼い時に、母に手を引かれながら宮入の後ろをついて走りました。
その時期ぐらいをよく覚えてます。
その町のお嫁さんや私たち親子のように、娘息子の手を引いて走るお母さん達。
右向いても左向いても父の同級生・その町の奥様方で母も仲良くしておりました。
しかしいつぞやから、若い女性達がどこからか入手した町のTシャツを着て後ろを走るようになってました。
私も結局はその人たちと同じような年代なだけに、そして地元ではないだけにだんだんと参加していい物かなんなのか分からなくなりました。
こんな素敵な岸和田だんじり祭りなのに、不良が集まったり、他の場所から助っ人を呼ばないといけなくなったり、年々観光客が増加し、若連言うこと聞かず怒号が飛ぶこともあったり、気を使ってるのがよく分かるぐらいに丁寧な口調だったり。
祖母の家の前にも、余所者や観光客が座り込んだりとマナーの知らない人も増えたものです。
この素晴らしい伝統がきちんと後世に継承されることを祈ります。
びっくりしました‼️昔、といってもたった40数年前の鳴物、今よりずっと曲が複雑。しかも、ゆったりして味ありますね。良いですね。特に篠笛の旋律が全然リッチ。今のはかなり単純化されてます??😅速いは速いけど…
沼の18種類の太鼓聞いてみたい。もう保存されてないんやろなぁ。。。もったいない
この映像は楽しそうで音色も優しい感じがした
今は祭りっていうよりやりまわし競技会やもんな
いい事言った。その通り。
確かに、平成になってから祭りの本来の姿が薄れてるように見えます。まぁこの時代は町内の人の繋がりが濃かったから、和気藹々な雰囲気があったのでしょうね。各町が自分のだんじり(地車)を宝物の様に誇らしげに紹介して話す町会長の喜々とした表情はほのぼのとしてます。平成になってから「やりまわし」ばかりが強調して青年團もヒエラルキー意識が強まりすぎてパワハラなどの横行で(それが嫌で青年團に入るのを躊躇ったり、忌み嫌ったり)どうしても地元の青年が祭りを楽しめなくなっているように見えます。(まぁ少子高齢化が多少影響してるとは思いますが)令和の時代のだんじり祭りに期待するのは昭和のあのほのぼのとしたものになって欲しいものです。
昔の町内は「向こう三軒両隣」と言うように町内の人の繋がりが身内の様に濃かったと思います。祭りもそうですが、不幸事があったら町内の主婦たちは料理をし、それを振る舞い葬儀も親戚一同のみならず近所の人も参列するという「相互扶助」という習わしがありましたが、今はどうでしょう。他所は他所うちはうちという意識が強くなり葬儀も家族葬と言うひっそりとしたものになりました。日本の良い面でもあり悪い面でもある「ムラ社会の崩壊」が現在の日本の姿と言えましょう。
死ぬまでに一度は見てみたい祭りです
迫力ありそう!
オカンの実家が岸和田やったのでちょうどこの頃見にいってました
空が青いなぁ〜
ネットもWi-Fiも飛んでない時代
視覚的に見る、今の空は排ガスの減少と何らかのバリア(忘れちゃいました)が弱まってるため、昔よりも綺麗に見えるらしいです。
でも私はこの頃の情緒ある時代が好きです😊
しかし最後のだんじりを洗ってる場所、ここホントに大阪か?ってくらい緑が多いね。この時はまだ下松の駅もなかった。40数年でこうも変わるとは。貴重な映像ありがとうございます。
ラストシーンは泉佐野やったはずです。まぁ佐野も今どきこんな田園広がる場所なくなってしまいましたが
泉州は玉ねぎの一大産地でしたからね
半松良から察するに上之郷上村の先代ですね。
昔の大工方は、殆ど着流しで
めっちゃ艶やかでカッコ良かったんよね。
着流しの大工方が見れないのは本当に残念。
懐かしい岸和田駅舎に、涙が出そうでした。
五穀豊穣の祈りでラストに田園風景映すの粋な演出だなあ。
これならNHK代払うのにな。今のNHKは腐ってる。
おじいちゃんが昔だんじりの前に乗ってる写真があっえはちまきじゃなくてハンチング帽かぶってるのが時代を感じる!
昔の方が伸び伸び皆が楽しそうに曳いてるなぁ。曳き手も多いし、街も賑わってるねぇ。皆の気持ちが一個の目的に向かってる。
事故が起きても死人が出ても誰も責任取らんで良かった時代やから伸び伸びやってるように見えてるだけ。
結局はそこに責任追及するようになったからあれはやめようこれはやめようになってクリーンな祭りになったんをそんなふうに言うのって
世論が雁字搦めにテレビの演出の揚げ足取ってあれができないこれができないって風にした挙句にテレビがつまらんなったって責めてるのと一緒やで。
ホント楽しそうに見える!
@@eiji19820216
この映像と現状とコメント観てでてくる言葉がそれかいな?
品性や、大和の和の精神のある無しっちゅうんは、性根が悪いのにはわからん。
7:11 そうそう、この当時の沼町の法被、紺や藍色でもない青色やったね。
それと昭和54年辺りから一時グレーになって迷走しとったね。
年番さんが「見たっとくなはれ」と仰る中、「岸和田で唯一」と謳わはった『17種類から18種類(アバウトやな)』のだんじり囃子って、現在に継承され完璧に保存・再現されてる事でしょうね?
この頃祭りは、やっぱりいいですね地を響かす太鼓軽快な笛と鐘それとソーラャのかけ声やっぱり素晴らしいby泉州人のオッサン❤
良い動画でした!
この時代のだんじりは徳島の阿波踊りくらいに凛としているじゃないですか☝( ◠‿◠ )!😮
いまは、、、、もう比べものにならないよだんじりは、、、😢悲しい
こうしてみると楽しそうですね。
こんな感じなら応援できます。
キレのある鳴り物と、掛け声
がええなぁ。これぞダンジリ
です。今の祭りは見る気しない
けど、楽しい思い出が一杯
あるので大丈夫。
共同体自体が名前だけになって
しまったし、しょうがないな。
幼稚園児の頃は後ろついてったらアイス貰えたな
久米田出身です
だんじり自慢の人たちが最高すぐる溢れ出る地元愛w
この時代の日本はいいなぁ
どこの地域もこうやって人間味のある人で溢れてたんやろなー
大工町イケイケの時代ですね。
昔のだんじりは町内会のお祭りを大きくしたような感じのお祭りだったのね
昔の方が雰囲気良いね
今ここに映っている青年たちは今は60代、、、。ಠ_ಠ
昔の人って芯が強そう。かっこいい、
このオープニングの曲聞いた瞬間、なんか聞き覚えある懐かしい感覚あるんだけど、この時代まだ2歳くらいだと思うんが‥
アタシ3歳だったけど、
小学校の時に先生にビデオ授業でよく見せてもらってました。
新日本紀行は全国各地の都市化が進み消えつつある昭和の戦前から続く何気ない生活と祭りや嫁入りといったハレの日を記録した番組で今となっては更に貴重な記録となってます
音楽は後にシンセサイザー音楽で世界的な巨匠になる冨田勲が作曲してます
当時のこの若者たちも今は60すぎの老人なんだなぁ~なんだか当たり前だけど不思議
粋、品性、調和、大和、和心、自然への感謝、老若男女の繋がり、共感性、美的感覚、
岸和田市民にとって大切な部分がすべて失われてますね。
ホイッスル、罵声、公共物破、音色のない鳴り物、攻撃的で排他的な雰囲気、こんなものならやめてしまえ
村社会の典型ですな。古きよき昭和の華です。今は、ハロウィンみたいなもんやわ。ちょっと見るだけでいいわ。
携帯電話のカメラから始まって、スマホがでてから、人に見られてるという意識から、いいところも沢山でてきたけれど、地元感とか、人間味が出しにくくなってきたのもあるかな、と思います。
そういうのが、昔を知ってる人からゆえば、寂しく思うのでは。
隣のおじちゃん、おばちゃんの笑い声や、話し声が聞こえにくくなったみたいに。
最初に出てくるお姉さん綺麗だな
生まれる少し前だが、そういえば子供の頃、小さい1人乗りのだんじり作ってみんなで引っ張ってたわ
たまねぎ小屋が懐かしい。
時代的に岸和田のカオルちゃんとかぶる
このころの私は5歳ですね!楽しそうにやってますね!この頃から10年後には何処のだんじり祭もヤンキーだらけに為りましたね。悲しい(ノ_・。)
This is great!! It sounds like they are shouting "Brora." Sugoi !
12:09 「日射病(熱射病)」、いまの「熱中症」。いいですね70年代の大阪。赤〇英和さんが南海電車内で大手を振ってた頃ですねw
熱中症とは暑さによって生じる障害の総称で、熱失神、熱けいれん、熱疲労、熱射病などの病型があります。(JSPO:スポーツ活動中の熱中症予防ガイドブックより)熱射病→熱中症の中に区分され、過度に体温が上昇(40℃以上)して脳機能に異常をきたした状態。だそうです。
纒が岸和田駅に来てるのに、だんじりは国道旧26の下だった下野町
小屋根に三人乗ってたら、一人下ろせ!とマイクで怒鳴った岸和田警察署
岸和田祭、地車祭と書かれた提灯で飾られていた岸和田駅
最高気温が30度を超えてないよね、この頃は🤣
昔は天気を表示してなかったと思うので当時の気温じゃないと思う。この映像は再放送なのかな。
オープニングを見ると昭和51年10月の新日本紀行の再放送と分かるね
これぞ日本!って感じ。
今は真面目になってるみたいだけど中学生でも酒飲んで酔ってたり、物陰でやってたり。
かっこいい
7:32鳴り物バリ渋い❗️
繰り返し聞いても飽きない豊かな曲調ですね。
大阪府内のお祭りといえばだんじり祭りです岸和田祭りは全国区になりました
涙出る
寄り合いと走り込みに命を掛けてるアホみたいな奴のせいでどんどん衰退してる。
青年団がしんど過ぎるせいで中3まで少年団に入ってた子達が青年団になるタイミングでほぼ居なくなる。これはめちゃくちゃ勿体無い。
せっかく入っても寄り合い、走り込みの出席率低い奴は詰めて辞めさせるとかもあるし、「そこ厳しくして何の意味があるん?」ってことが多すぎる。
祭りの本質は楽しむことのはずなのにそれを誰もわかってない。
どこも勢いのあった昭和から平成初期の祭りは話を聞いてる限りこんな変な厳しさは無かったはず。
ホンマにそれやねんな
何でも強制させられたらオモロ無くなる
俺もそれで辞めたし回りも何人もいてる
本当にそう思う
祭りて楽しいもんやろ、なんか今の地車祭りは、学校の体育会系のクラブ活動と一緒やん、楽しないねん、だからみんな離れんねん、一致団結やら感動やらやりまわしやら、いちいち求め過ぎ、そんなもん祭り楽しんだあとからついてくるもんやん、地車好きやのにそれで入りたない子まわりにもいっぱいいます。
そもそも早朝から夜遅くまで2日(試験引き含めたら3日)もやる祭り自体が異端
そんなに長くやるならやっぱり体力が重要になってくるからどうしても体育会系になるわな
4:55のギャラリーの爺ちゃんゲキヤバいやん❗️
インド人みたいな人の事かな😅
良い映像ですね。じじだからかもしれませんが、
日本の文化・歴史の部分の芸能も取り上げるべき
例えば全国の祭りなど年間を通じて練習や会合、
個々から当日までのドキュメンタリー映像など
だんじり会館に保存されている紙屋町の先代だんじりが現役の時代か
修理から帰ってからすぐですから取り替えたところ真っ白ですね。
今ではただの不良の鬱憤ばらし。哀しいなあ。
いや、同じだと思います。今も昔も。
「走らないでください」アナウンスを無視して走っているが、その走りは駆け足程度で、猛スピードで激走しているわけではない。ここが多くの人が気軽に参加できた理由の一つだと思う。
今のやりまわしや直線猛スピードといったパフォーマンスは、一般参加の道を阻むだけでなく、曳き手の人から笑顔を奪っている。
私は岸和田市民ではないですが、南大阪で働いています。
職場にはだんじり民がたくさんいますが、76年当時は私は就職した年でその時代の若者たちの風貌も懐かしく、それを思うと今のだんじりはイベント化してしまって風情と心がないように思います。
ただの年に一度のお祭り騒ぎじゃないですよ。
とはいえこういったところでそれを取り戻すのは無理なんでしょうね。
そうですね
昔はエアーホーンとかある訳無いですからね😅
あの頃は28度、今年は35度
暑いわ
この当時のカメラの大きさで屋根に上がっての撮影はカメラマンも大したモノだと思う。
だんじりを水洗いしてしまうんですね。
大工方の着物が似合うわ
熱気が今と全然違う
このBGM、懐かしい。良い曲だね。 2022.10.29 07:02
スマホは便利だけど、
そんなの無いギスギスしてない社会のほうが、
俺は生きやすかったな。
6:28 髪型スキンフェードで草
ここに映る方たちもう亡くなってたり
子供の人も50代とかと考えると
すごく貴重だなぁ(*ˊ˘ˋ*)
この年は29℃ですよ、いやー暑くなり過ぎでしょーどっちも
この頃の子供らが今や毎年怒鳴り合い、どつき合いの喧嘩を起こしとるわけやな…年だけ取って肝心な所が成長しとらんのとちゃうか?
今も昔もだんじりはいいなあ!うちの町内はだんじりなかったから羨ましかった。同じ校区でだんじりあるとこないとこがあって、曳かしてもらってたけど気がひけた。だんじりあるのに曳かない子もいっぱいおって、かわってほしかったわ^_^今の若い子は祭り前走り込みやってえらいわ。あれせなんだら本番ちょっと走ったらバテルもんなー。
前までこの番組フルでRUclipsにあったねんけど消えてもうたんですかね?
投稿主さんフルで持ってないですか?
玉ねぎの買い付けの場面でこれぞ泉州弁のような会話があったのでもう一回観たい笑
ここに映っでる子供達は今の若頭の兄さん達かな
昭和の本来の鳴り物(1977年)の高音質Verも併せて是非お聴きください。
→ruclips.net/video/jxM1hgiVNFM/видео.html
太鼓今と比べたら違いますね
冨田勲さんの音楽はいいなあ。
荒っぽい祭りですね〜😂
うる覚えですが昔だんじりの通る道は
一方通行では無かったと思うのですか
間違ってますか??
あってます
@@カントウ地方
わざわざありがとうございます(^^)
当時の狭い道を双方向で曳き回したのですれ違う際によく喧嘩が起きました。それが喧嘩祭の由来です。仲裁役の警察官も昔は乗ってましたよ。
@@kojik4853
教えてくださりありがとうございます(^^)
あの頃のほうが迫力があり見てる方も
おちおちしていられなかったのを
思い出せました😂
祭りにのときだけ元気になるから怖かった。もう今の時代に流行らない。
最後のだんじり、豪快に洗ってるなw
@@sanogawa8 日本酒で洗うのがええらしいで?とか米糠で磨くのがええって聞いたで?とか誰が言い出したかわからん話をバカ正直に実践したりと大概あんまりよろしくない方法でだんじり洗うからどの町も基本的にだんじり真っ黒やったね。
だから工務店から帰ってきたときの光り輝くほど真っ白になって帰ってきただんじりは感動ものやったもんです。
今のだんじりはただの暴走族