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日露戦争の陸上戦最初から最後まで「なんで勝てたんだよ」って感想しか出てこない
機関銃が使われているのに騎兵が活躍、、、兵が少ないのに攻撃側、、、後備兵が主力を抑え込む、狂気だよ、この戦争。
やはり規律規律は全てを解決する…としか言えないレベルなんよな兵力不利の突撃命令に反抗する兵士が居ないとか日本兵しか当てはまらないんよ…
世界史を見渡してみても、戦力差をガン無視し過ぎてるのに勝っている非常に珍しい戦い…。
結局被害を顧みない人海戦術での一斉突撃は有効ってことだね今のロシアウクライナ戦争見てもそうだし😂
第七師団はホントに地獄みたいな場所に配置されたんだな..
何回説明を聞いても理解しがたい戦いだな
な 3:21 た🎉な
ゲームとか無理だろうなぁw後備兵に3倍の兵力で攻めても勝てず騎兵には10万で攻めても勝てないとか「升やめろよ糞が!!!」って感想しか持てないしw
升でチート表現するの面白いな今度使わせてもらうわ
@@user-vt1pv9tl5n20年ぐらい前から使われてるぞ
@@yjm1129 は?升だろそんなの
ちょうど司馬遼太郎の坂の上の雲読んでたから図解で分かりやすくて助かる。
司馬遼太郎は間違いだらけだからちゃんとした本読んだ方がいいよ。あれそもそもフィクションだし。
間違いだらけの司馬遼太郎だけど、彼のおかげで歴史に興味持てた人は多いと思うよ。日露戦争がこんなに激しい内容だったなんて司馬遼太郎がいなければ知らなかった
奉天会戦は第一次大戦が始まるまで人類史上最大の規模の戦いだった。
ヒストリアさんの動画は勉強になるから好きです
私の勝手な予想だが、梅沢支隊が屈強であったのは、年齢層が高かったということからおそらく過去に戊辰戦争や西南戦争を経験した猛者だったのでしょう。
経験値が上がった部隊だったのはその通りで事実敵を撃退してしまったのだが、本来後備部隊は年齢的に家庭持ちが多く、家族の為に死ねない!と考え戦闘が消極的になるのが普通です。普通はね・・・
@@かんちゃ-y1h良い意味で大和魂が機能したという事か
それおもった
多分にそうかと思います。 今の様にちょっとコンビニでお菓子買ってくる訳には行かない時代ですから想像出来ない苦労ですね。
現役→予備役→後備役
梅沢支隊んとこの戦闘、何がどうなってあんな結果になったのか気になりすぎるんですけどwカッコ良すぎでしょ!
旅順の経験で、馬鹿な正面攻撃をやらなかったおかげ。。なにせとしよりが多いからね
@@osamunagaya1739 今の年寄りはみんな害悪なのにね…
わかりやすくで面白く48分が一瞬で溶ける
鶴見中尉に不死身の杉元とかあんなのばっかりの兵隊しか居ないってのも案外ノンフィクションかもなぁ
モブも皆奉天生き延びてますしね…
ほんとにいてもおかしくないレベルだよね…ただ、尾形だけ明らかにオーバーパワー()
31:24クリミア戦争で英仏連合軍に対し12万8000人もの犠牲を出させ約1年守り切ったセヴァストーポリ要塞の戦訓を取り入れ予算もたっぷり費やした上位互換ともいうべき存在が旅順要塞で欧州の精鋭10万でも抜けないと固く信じてたのを約3か月半で陥としたとなれば三軍全員呂布みたいな扱いだわなぁwww
おまけに兵力も少なかった…。奉天会戦でも「4倍の兵力差?余裕だわ!」と言わんばかりの奮闘ですもんね…。
なんか頑張ったら耐えれました、みたいな成功事例があったらそりゃ大和魂だとか精神論がガチで信じられるわけだわ…
そうですねー。アメリカ軍はロシア軍とは役者が違ったということでしょうね。合理主義の塊のような国家ですので。
いつの時代も戦いを決めるのは士気の高さで、戦いは敵の士気の挫く為。第二次世界大戦の日本軍は大和魂だ精神論だとは口で言うだけで中身や教育がなかった。
日本は明治に勝ちすぎだ数千年間、文明の師と仰ぐ清朝に対して軍勢劣っていたにもかかわらず快勝(技術力・軍運用能力で差はあったが)歴史上、二番目の支配地域を持ち当時の陸軍兵力トップクラスのロシア帝国に挑み勝ったあまりにも短期間にあまりにも勝ってしまった。だから国民全員、今度の戦いも気合と根性で勝てると驕ってしまった
ドイツも七年戦争の時に諦めなければなんとかなるって覚えちゃったからな…経験とは難しいものですね…
@@めっちゃリーベリ ある時にそれは勇敢、国家の誉れと呼ばれる、またある時は無意味な犬死を増やしたい国家の恥と呼ばれる
黒溝台会戦で第八師団が奮戦したが戦死者で八甲田山行軍を走破した歩兵31連隊の福島大尉(映画八甲田山では高倉健が演じており)や八甲田山行軍で遭難した歩兵第5連隊での生き残りで健常だった倉石大尉(映画八甲田山では加山雄三が演じた)が戦死した。
凄く分かりやすい動画をありがとうございます!日本と清の朝鮮半島を巡る争い→日清戦争もリクエストしたいです!
更新早くて嬉しいです。ありがとうございます
ドラマ坂の上の雲の画像を思い浮かべながら主さんのナレーションを聞いていると物凄く頭に入って来てわかり易いですね🤗なるほどです、勉強になりました😃ご苦労だと思いますが、これからも引き続き色々な解説をよろしくお願いします🙇
私の曾祖父はこの戦いに赴き、無事帰って来ました。曾祖父が書いた従軍日記は、我が家の家宝です。
この戦いで生き残るのがどれだけすごいか。ホントに、一個人として敬礼です。
従軍日記見せていただきたいものです。
何年か前にも日露戦争に従軍した先祖の陣中日記が発見されたという報道を見ました、専門家も貴重な資料だと言ってたそうです。
この戦いに負けていたら今の日本はありませんでした。必死に戦った先人に敬意を表す気持ちでいっぱいです。ご冥福をお祈りします。
半島を足掛かりに日本本土に侵攻し明治の元寇になってたでしょうね
クロパトキンの乃木アレルギーが地味に効いてるな。
当時世界最強のイギリスと同盟できた唯一の国ってのもいいよな
陸軍は戦闘食を替えた森鴎外のせいで、戦う前から脚気で沢山の死人を出していたから、よく勝てたよなぁ。森鴎外こそ切腹ものだよ。
日露戦争の時の日本軍は本当にバケモノだったのですね。日本海海戦も含めてほとんどすべての場所でありえないことが起きてます。
幕末・明治の内戦を経験して近代戦の能力が一兵卒から首脳陣まで、骨の髄まで叩き込まれてた、大和魂を持った軍隊
梅沢少将強すぎて草
何故強いかの理由は色々あろうが、基本的に日本はいつの時代も戦さ上手で将軍クラスや高級指揮官だけでなく、むしろ尉官などの下級将校、下士官、兵士迄が強い。一方、常に砲兵のみならず歩兵など全てで兵力的に日本を上回るロシア。対仏戦の成功や露国の国民性もあってだろうけど、ハルビン迄戦略的撤退繰り返して逆襲などという戦略自体、優先順位の高い策として唱えるだけでも露国以外の国ならば過度すぎる慎重策・臆病無能扱いで忌避されそうな位に両国の国力差があった。
再招集されてる人らで構成されてるのに後退させるのスゴすぎ…
彼らの勇戦は疑うべくもないけど、別の要因として、ww1で守備側を圧倒的優位にした塹壕と機関銃が、既に使われていたそうな。
まして日本陸軍全体で脚気だらけだったからなぁ玄米か麦飯だったらロシア軍は更にヤバイことに^q^
戦略的撤退
日露戦争では旅順攻囲戦が悲惨と言われて居るが、奉天の戦いの日本軍の戦死者は旅順攻囲戦よりも多い。
30:00 あたり。立見司令曰く「戦いとは負けたと思わないなら負けないものだ」と発言して師団ごと夜襲。立見司令は幕末に夜襲で官軍を泣かせていた。
このころの日本はノリに乗ってるな
兵役を終えたおじいちゃん達の奮闘かっこよw
伊地知参謀長がなぁ。。野砲弾を使い過ぎたのよ。日本本土からわざわざ持ってきた巨砲を無視してた期間が長すぎた。弾も兵も消耗した状態で、奉天に行くことになった。
まじでなんで負けなかったのか分からない戦い
大和魂シーン8:4015:1329:04
第三軍に秋山支隊もいたのですね。日本軍から見れば陽動でも、ロシア軍には主力に見えたでしょうね。
この戦いにマンネルヘイムがいるのも驚き
【 遼陽 ~ 奉天会戦 】の解説、ありがとうございます。【 遼陽会戦 】と聞くと、『 遼陽城頭 夜はたけて 有明月の影すごく ・・・・・ ・・・・ 』という思わず気分が高揚する「軍歌」を想い出します。ということで、番組配信、ありがとうございました。
前線の指揮官が相当優秀だったのかと思います。戦争でその命を散らさせたくなかったと上官は思ったことでしょう。
えぐい戦力差があるのに「なぜか」勝てた日本軍という場面が複数出てきてあまりの驚きに思わず「頭おかしいだろ」と声に出してしまった。ゴールデンカムイを知ってると、あの第七師団や杉元がいた第一師団ならありえるかと思えるのが、現実は漫画並に奇なりで恐ろしい。しかしロシア帝国が戦争を長引かせれば太平洋戦争と同じように、当初の破竹の勢いだったが嘘のように連戦連敗を重ねて敗戦に至ったんだろうなと思う。ロシア民衆の厭戦感情や革命に助けられた部分が大きいのだろう。漫画「はだしのゲン」で、日露戦争で生き残った元軍人が日中戦争や太平洋戦争時に若者を戦争へ駆り立てて戦後も生き残って偉そうにしていることに憤るシーンがあったが、日露戦争は日本を悪い流れに落とし込んだものであると思う。すなわち、日露戦争が第一次世界大戦の呼び水になった一方で、日本のその後の敗戦の呼び水にもなったと思う。
全員化け物説好きwww
クロパトキンが弱腰の悲観主義ではなく、戦意の高い攻勢論者だったら結構ヤバかった
というか常識的に弱腰の悲観主義者相手でも結構ヤバいだろ普通は
@@kirisame-r4e 普通の軍事知識があったら、薄氷の勝利でしょう。予備兵力も満足にもたないのに、包囲殲滅戦を行う狂気だよ
最初からやばい戦争だとわかってたけど遅らせてシベリア鉄道が複線になったら百に一つの勝ち目が万に一つもなくなる。だから首脳陣は肩を抱いて泣きながら開戦を決めた。戦力差を比べて普通に勝てると思うほど馬鹿じゃない。国がなくなるかもと思いながら始めた戦争だよ。
@@ただのまさき -ほんとはだったらそんな戦争しちゃいかんのだけどな。美談にしちゃいけないし、美談にするからWW2みたいなことになった。まあ、ロシアが強硬姿勢だったからしょうがないんだけどね。それはともかくやばい戦争だとわかってる割に危ない橋をわたりたがるのは勝ったからよかったようなものの…負けてたらインパール扱いだったかもしれない
いや、開戦避けようとしても相手がやる気満々でパンチ振りかぶってるから。パンチの威力が100%になる前に体ごと突っ込んでダメージ軽減するしかない。100%を喰らえば死ぬ。
良く頑張ったものだ。日露戦は日米戦とは全く意義が異なる戦闘だった。
秋山好古氏は軍人になる前、社会人としての最初のキャリアは学校教員だからね。軍人としてのキャリアが終わったとき、郷里の教育に携わる意思は理理解できる。
現場の一司令官クラス一人一人が有能すぎんか第二次世界大戦の時とは全く質が異なる
ww2も、全部がngだったわけじゃないよな
勝てば官軍持て囃され、負ければ賊軍蔑まれる。無謀な突撃も成功すれば武勲であり勇気ある者と持ち上げられる。
坂の上の雲を読んでも戦闘の経緯が良く分からなかったのですが、(特に秋山好古支隊)おかげさまで良く分かりました。第七師団の激闘に思わず涙が出てきました。ご先祖様に感謝です。
今まで根拠で解説を納得してましたが……とんでもない力技で不可能を何度も可能に塗り替えて勝てたのですね(汗)この時代は個人的に一番日本軍の士気が高いと思い、それも影響したのかとも感じました。
第四軍は一貫して戦力消耗を抑えた戦いしていたそうですが奉天で膨大な損害出したにも関わらず追撃できる余力残ってたんですね
なんだこのじゃんけんでグーがパーに勝つような戦争は
詳しく知らずに「水市営の会見」や「祖国の護り」を聴いて知った気になっていたのは恥ずかしいです
大山巌が奉天に入った日、3月10日が陸軍記念日となり、最後の陸軍記念日である1945年(昭和20年)3月10日に東京大空襲が起きました。
すごいわかりやすい動画だったでもなんで勝てたのかマジで分からん・・・
兵力で劣っているのに進軍させるとか、戦争の定石が通用しない日本軍がおかしいのであって、クロパトキンが悪いわけではなさそう。
大要塞旅順を落とした軍隊と聞いた上に屍を蹴りながら走ってくるゾンビ兵相手ってなるとああなるのは分かる()
戦力劣勢なのに陸戦で連戦連勝したのが日露戦争の勝因だよな。日本海海戦は勝って当たり前。全滅させたこと自体は凄いが勝つのは全く難しくない。一方陸戦の方は勝てる方がおかしい。奇跡を起こしたのは陸軍であって海軍じゃないんだが
なにより、相手が引っ込み思案だった事が大きかったですね😁
黒講台で立見尚文中将が行った第八師団の夜襲は、それこそ後方の輜重兵やら炊事係やらまで投入した文字通りの『全軍突撃』だったそうな。でもロシア側はそんなこと知らないから「ここでこれだけの人数で夜襲を仕掛けてきたってことは、黒講台近辺の日本軍の総兵力は10万を越えるのでは!?」と誤認。そして撤退となったそうな。
軍部は太平洋戦争で勘違いしてしまうよな…強よすぎる
この時の国軍は国内の藩と幕府の内戦を経て、新しい戦術と兵器への気付きを経たあげく、初の対外戦争として将兵は意思が高かった。 最強!!とか言うと気分いいけど危ないよね。
西南戦争で激戦地を戦い抜いたリーダー達が日露戦争でも将校として参加してますね。
第七師団といえば金カムのイメージでしたが、史実の活躍エグすぎて衝撃的です
第8師団の立見尚文中将と第四軍司令官の野津道貫中将って、戊辰戦争のとき宇都宮城で戦ってたんだよな… この時代はかつての敵同士がさらに強大な敵と共闘するロマンがあるから凄いよね。
奉天会戦後の有利不利について、実際に有利だったのは圧倒的に日本このころになってようやく砲弾の供給が軌道に乗り出し、人員の補充も済んだ上で増援を送っており日本海海戦後の満州軍は奉天会戦時を上回る兵力になってる一方ロシアは単線のシベリア鉄道での輸送が破綻しかかっており、欧州側の兵力引き抜きもこれ以上は不可能仮に動かせてもシベリア鉄道での輸送力だと現地の兵站を支えきれない論争となるのは日本が攻勢でた場合の話であってロシアが再び攻勢に出た場合、どうなるかはこの前提条件があれば明白日本海海戦での敗北によりどうしようもなくなったのでロシアが負けを認めた
動画で使用しているBGMを教えてほしいです
この動画を見て思いましたがやはりこの日露戦争の戦訓から敵陣の備えが整う前からこちらの準備が万端でなくとも先制攻撃すべしと敵主力を迂回、包囲すべしの方針が確立されたのだなと思いました。後の太平洋戦争まで35年以上も先進国同士の全面戦争を経験しなかったばかりに昭和に至っても教本に大きな改定もなく基本戦術に影響を与え続けた結果、米英に酷評された日本陸軍の戦略と戦術。太平洋戦争後半には太平洋戦争中期の戦訓から反省した防御戦術についてはちらほら米軍からちらほら一定の評価が見られるがそれは戦争中期の日本軍の失敗からの反省と米英軍の特性を日本軍なりに分析した結果生まれた戦術の転換でやはり経験というのは非常に重要だと思います。ウクライナ侵攻まで全く考えもしませんでしたが戦後日本は本格的な全面戦争を経験していないというのは喜ばしい事ですが80年近く本格的な大規模実戦を経験していない上お役所仕事で開発はされても改良されない演習のためだけの兵器だらけ、実際の有事の際戦争の為の非常時の兵站計画が真剣に考えられていないの自衛隊がどこまで戦えるか非常に不安です。
中田敦彦→セピア→コテンラジオの順で概要や流れを掴んでからのこの戦闘の詳細を聞くのがホント楽しい。
私の青年期はどこの書評をみても「坂の上の雲」が上位を占め、かえって反発して読みませんでしたが、一読して考え一新。私のバイブルになりました。 戦う事を忘れたカナリアは本書を歯牙にも掛けなくなりましたが、なんか日本人に生まれて良かった、的なところが随所に出て来ます。
当時の日本人の獅子奮迅の戦いぶりが数々の常識破りを実現し奇跡の勝利を収めた一方昭和陸軍が戦術重視、戦略軽視に傾き、無理な精神論を蔓延させる原因でもあったわけか...
勝てたの謎だけど、勝ってなかったからいくらロシアが革命途中とはいえ凍らない港を目指して南下して、くることは必定だったし、日本軍は負けないという過信するようになった。
なぜかと言うたび笑えるし誇らしい
なんかこれと日本海海戦の解説見たら実は海戦より陸上戦の方が凄かったんか!ってなった。(もちろん両方凄いけど)
クロパトキン大将は、軍隊をやめたあと、教師になった。
最近幕末に興味あるから戊辰戦争とか西南戦争の話聞きたい
経験値なんだろうか。幕末の大きな戦争を経験したきたことが梅沢支隊の奮戦に繋がったのかな。
秋山好古は、当時の連合艦隊作戦参謀である秋山 真之の兄であります。
いつかロシア遠征を解説してほしいです
改めて日本はアジア諸国にとって救世主みたいな存在なんだな〜って思うこの先敗戦まで大国相手に勝ち続けたんだし本当に凄いと思う
35:18で俺の高祖父が戦死。頭部に銃弾を受けたと墓に書いてある。
教育は大事だな
この時期の日本が不気味すぎるな。外国が警戒し始めるのも当然だわ。
クロパトキン完全にパラノイア陥ってるやん
聞いていると士気だけで勝つようなスタイルだな。士気がなければ戦は勝つことができないが、メラメラと燃える士気に対して、静かに燃える冷静な知性が勝つこともある。第二次世界大戦の日本は、士気に頼りすぎてついぞ負けてしまった。
士気だけでは無いよ。実は、日露戦争までは技術を重視していたんだよね。動画で秋山支隊の機関銃の話が出ているけど、これは開戦前に買い付けて馬に曳かせたもの。当時の日本軍にあった唯一の機関銃だったらしい。この最新兵器は、旅順では悩まされたが黒溝台(沈旦堡)では助けられた。個人的な見解だけど、戊辰戦争は兵器の優劣で勝敗がほぼ決まったので、その経験なのだろうと。
梅沢支隊の戦い。全てのオッサンへのエールだ。
旅順要塞の戦いは現在のウクライナのザポリージャの戦いみたい
夜間浸透戦術が日本軍のお家芸になったのもやむを得ないくらいの戦果だぁ…
あー♪砲弾ねぇ!火砲もねぇ!!兵士もそれほど揃ってねぇ!!!
6分4分の勝ちを拾うギリギリの戦いだった。司令官、参謀が1人でも欠けてたら敗戦に終わり、俺たちはロシア語を話してただろう。
歴史上の数々の戦いの経験と今のヘナチョコ日本人には到底ある筈のない個々の国民性です。 今はまたリーダー不在が長らく続いてますが、変わる事の繰り返しが大事です。ベテラン日本部隊が右翼で頑張ったのも指揮官の実力と更に良き時代の日本人であったからかと思います。鎌倉武士まで遡れれば満点ですがw
黒溝台会戦は八甲田山雪中行軍を成功させた福島少佐が戦死してる戦いだよね
秋山さんはきっと愛媛の誇りでしょう。🍊
ウチの本家の由緒怪しい寺では祝祭日はもちろん、3月10日と5月27日にも日章旗と旭日旗も玄関の門柱に掲げています😊
うん、師団規模で夜襲するのも予備役の旧式装備連中が三倍の敵を撃退するのも正直意味が分からないどうゆうことだ?当時の日本兵は何者なんだ…
当時の日本兵は人間ではない 化け物兼ゾンビだ……OK?
勝ったはいいが、ここで勝ったせいであとのあれにつながるからな。負けていたら負けていたで問題だったとは思うが。
良くも悪くも決戦してから講和するというのに無駄に拘ったのはここでの成功経験のせいなんやろなあ確かにかっこいいけど、結果的にそれは太平洋戦争での実態に繋がった
旧幕軍で桑名藩雷神隊を率いて政府軍を悩ませた立見尚文は日露戦争でも活躍して陸軍大将となった。当時は維新の弾雨を下級武士でくぐり抜けた者が日清日露戦争では上級指揮官となっていたので官僚化した組織の露軍を圧倒した。昭和陸軍では官僚化した日本軍は硬直した組織となっていたので欧米に作戦では完敗した。
圧倒的不利を跳ね返すという、非常に客観的な評価が難しい勝利を重ねた結果が精神主義、銃剣突撃に転じ、太平洋戦争での悲惨な惨敗に繋がっていくと考えると素直に喜べない部分がありますね損害が出ても勝てれば最終的にはOKという帝国の人命軽視も日露戦争で肥大化したのでは?と思います
立見尚文といえば、戊辰戦争から西南の役、日清戦争と日本の近代戦争で常に最前線で無双してたバケモノだったからね。黒溝台でのキチガイ染みた奮戦ぶりも頷ける。
この戦いに勝利していなければ、満州、旅順、平壌、漢城(ソウル)全部、ロシアになってたろうな日本には何処がお隣でも地獄という
ぼくらのご先祖様のお陰で今こうして暮らしていけるんやな
ロシアのシベリア鉄道が複線にならないうちに首脳陣は泣きながらギリギリの決断をしたのは英断だった。そうなれば陸軍の連勝は難しいし国債も売れなかっただろう。綱渡りのギリギリの辛丈だった。。。
バルチック艦隊と同様こんなとこで戦うのは嫌だと兵士達ははっきり考えていた筈戦闘は遊びでは無い。ほぼ全てのロシア人にとって何の馴染みもないユーラシアの最果てでタヒねと言われて従う馬鹿はロシアにもいない。日露日清は普仏戦争と同じで戦おうとする軍と戦いたくない軍の合戦。これに勝ったせいで意志が強い方が勝つという考えから逃れられなくなり大敗北まで行くしかなくなる。
クロパトキンが無能っていうより日本軍が強すぎよく帝国時代の日本兵は強いって言うけど本当に強かったんだなそれだけに太平洋戦争の日本将校達の無能さが悔やまれる、、、😔
下手に最強過ぎたから、その時のやり方をズルズル引き摺っては太平洋戦争でボロ負けしてしまうんだよな😅
日露戦争の陸上戦最初から最後まで「なんで勝てたんだよ」って感想しか出てこない
機関銃が使われているのに騎兵が活躍、、、
兵が少ないのに攻撃側、、、
後備兵が主力を抑え込む、狂気だよ、この戦争。
やはり規律規律は全てを解決する…
としか言えないレベルなんよな
兵力不利の突撃命令に反抗する兵士が居ないとか日本兵しか当てはまらないんよ…
世界史を見渡してみても、戦力差をガン無視し過ぎてるのに勝っている非常に珍しい戦い…。
結局被害を顧みない人海戦術での一斉突撃は有効ってことだね
今のロシアウクライナ戦争見てもそうだし😂
第七師団はホントに地獄みたいな場所に配置されたんだな..
何回説明を聞いても理解しがたい戦いだな
な 3:21 た🎉な
ゲームとか無理だろうなぁw
後備兵に3倍の兵力で攻めても勝てず騎兵には10万で攻めても勝てないとか
「升やめろよ糞が!!!」って感想しか持てないしw
升でチート表現するの面白いな
今度使わせてもらうわ
@@user-vt1pv9tl5n20年ぐらい前から使われてるぞ
@@yjm1129 は?升だろそんなの
ちょうど司馬遼太郎の坂の上の雲読んでたから図解で分かりやすくて助かる。
司馬遼太郎は間違いだらけだからちゃんとした本読んだ方がいいよ。
あれそもそもフィクションだし。
間違いだらけの司馬遼太郎だけど、彼のおかげで歴史に興味持てた人は多いと思うよ。
日露戦争がこんなに激しい内容だったなんて司馬遼太郎がいなければ知らなかった
奉天会戦は第一次大戦が始まるまで人類史上最大の規模の戦いだった。
ヒストリアさんの動画は勉強になるから好きです
私の勝手な予想だが、梅沢支隊が屈強であったのは、年齢層が高かったということからおそらく過去に戊辰戦争や西南戦争を経験した猛者だったのでしょう。
経験値が上がった部隊だったのはその通りで事実敵を撃退してしまったのだが、本来後備部隊は年齢的に家庭持ちが多く、家族の為に死ねない!と考え戦闘が消極的になるのが普通です。普通はね・・・
@@かんちゃ-y1h
良い意味で大和魂が機能したという事か
それおもった
多分にそうかと思います。 今の様にちょっとコンビニでお菓子買ってくる訳には行かない時代ですから想像出来ない苦労ですね。
現役→予備役→後備役
梅沢支隊んとこの戦闘、何がどうなってあんな結果になったのか気になりすぎるんですけどwカッコ良すぎでしょ!
旅順の経験で、馬鹿な正面攻撃をやらなかったおかげ。。なにせとしよりが多いからね
@@osamunagaya1739 今の年寄りはみんな害悪なのにね…
わかりやすくで面白く48分が一瞬で溶ける
鶴見中尉に不死身の杉元とかあんなのばっかりの兵隊しか居ないってのも案外ノンフィクションかもなぁ
モブも皆奉天生き延びてますしね…
ほんとにいてもおかしくないレベルだよね…
ただ、尾形だけ明らかにオーバーパワー()
31:24
クリミア戦争で英仏連合軍に対し12万8000人もの犠牲を出させ約1年守り切ったセヴァストーポリ要塞の
戦訓を取り入れ予算もたっぷり費やした上位互換ともいうべき存在が旅順要塞で
欧州の精鋭10万でも抜けないと固く信じてたのを
約3か月半で陥としたとなれば三軍全員呂布みたいな扱いだわなぁwww
おまけに兵力も少なかった…。奉天会戦でも「4倍の兵力差?余裕だわ!」と言わんばかりの奮闘ですもんね…。
なんか頑張ったら耐えれました、みたいな成功事例があったらそりゃ大和魂だとか精神論がガチで信じられるわけだわ…
そうですねー。アメリカ軍はロシア軍とは役者が違ったということでしょうね。合理主義の塊のような国家ですので。
いつの時代も戦いを決めるのは士気の高さで、戦いは敵の士気の挫く為。
第二次世界大戦の日本軍は大和魂だ精神論だとは口で言うだけで中身や教育がなかった。
日本は明治に勝ちすぎだ
数千年間、文明の師と仰ぐ清朝に対して軍勢劣っていたにもかかわらず快勝(技術力・軍運用能力で差はあったが)
歴史上、二番目の支配地域を持ち当時の陸軍兵力トップクラスのロシア帝国に挑み勝った
あまりにも短期間にあまりにも勝ってしまった。だから国民全員、今度の戦いも気合と根性で勝てると驕ってしまった
ドイツも七年戦争の時に諦めなければなんとかなるって覚えちゃったからな…
経験とは難しいものですね…
@@めっちゃリーベリ
ある時にそれは勇敢、国家の誉れと呼ばれる、またある時は無意味な犬死を増やしたい国家の恥と呼ばれる
黒溝台会戦で第八師団が奮戦したが戦死者で八甲田山行軍を走破した歩兵31連隊の福島大尉(映画八甲田山では高倉健が演じており)や八甲田山行軍で遭難した歩兵第5連隊での生き残りで健常だった倉石大尉(映画八甲田山では加山雄三が演じた)が戦死した。
凄く分かりやすい動画をありがとうございます!
日本と清の朝鮮半島を巡る争い→日清戦争もリクエストしたいです!
更新早くて嬉しいです。ありがとうございます
ドラマ坂の上の雲の画像を思い浮かべながら主さんのナレーションを聞いていると物凄く頭に入って来てわかり易いですね🤗
なるほどです、勉強になりました😃
ご苦労だと思いますが、これからも引き続き色々な解説をよろしくお願いします🙇
私の曾祖父はこの戦いに赴き、無事帰って来ました。
曾祖父が書いた従軍日記は、我が家の家宝です。
この戦いで生き残るのがどれだけすごいか。
ホントに、一個人として敬礼です。
従軍日記見せていただきたいものです。
何年か前にも日露戦争に従軍した先祖の陣中日記が発見されたという報道を見ました、専門家も貴重な資料だと言ってたそうです。
この戦いに負けていたら今の日本はありませんでした。
必死に戦った先人に敬意を表す気持ちでいっぱいです。ご冥福をお祈りします。
半島を足掛かりに日本本土に侵攻し明治の元寇になってたでしょうね
クロパトキンの乃木アレルギーが地味に効いてるな。
当時世界最強のイギリスと同盟できた唯一の国ってのもいいよな
陸軍は戦闘食を替えた森鴎外のせいで、戦う前から脚気で沢山の死人を出していたから、よく勝てたよなぁ。森鴎外こそ切腹ものだよ。
日露戦争の時の日本軍は本当にバケモノだったのですね。
日本海海戦も含めてほとんどすべての場所でありえないことが起きてます。
幕末・明治の内戦を経験して近代戦の能力が一兵卒から首脳陣まで、骨の髄まで叩き込まれてた、大和魂を持った軍隊
梅沢少将強すぎて草
何故強いかの理由は色々あろうが、基本的に日本はいつの時代も戦さ上手で将軍クラスや高級指揮官だけでなく、むしろ尉官などの下級将校、下士官、兵士迄が強い。
一方、常に砲兵のみならず歩兵など全てで兵力的に日本を上回るロシア。
対仏戦の成功や露国の国民性もあってだろうけど、ハルビン迄戦略的撤退繰り返して逆襲などという戦略自体、優先順位の高い策として唱えるだけでも露国以外の国ならば過度すぎる慎重策・臆病無能扱いで忌避されそうな位に両国の国力差があった。
再招集されてる人らで構成されてるのに後退させるのスゴすぎ…
彼らの勇戦は疑うべくもないけど、別の要因として、ww1で守備側を圧倒的優位にした塹壕と機関銃が、既に使われていたそうな。
まして日本陸軍全体で脚気だらけだったからなぁ
玄米か麦飯だったらロシア軍は更にヤバイことに^q^
戦略的撤退
日露戦争では旅順攻囲戦が悲惨と言われて居るが、奉天の戦いの日本軍の戦死者は旅順攻囲戦よりも多い。
30:00 あたり。立見司令曰く「戦いとは負けたと思わないなら負けないものだ」と発言して師団ごと夜襲。立見司令は幕末に夜襲で官軍を泣かせていた。
このころの日本はノリに乗ってるな
兵役を終えたおじいちゃん達の奮闘かっこよw
伊地知参謀長がなぁ。。野砲弾を使い過ぎたのよ。
日本本土からわざわざ持ってきた巨砲を無視してた期間が長すぎた。
弾も兵も消耗した状態で、奉天に行くことになった。
まじでなんで負けなかったのか分からない戦い
大和魂シーン
8:40
15:13
29:04
第三軍に秋山支隊もいたのですね。日本軍から見れば陽動でも、ロシア軍には主力に見えたでしょうね。
この戦いにマンネルヘイムがいるのも驚き
【 遼陽 ~ 奉天会戦 】の解説、ありがとうございます。
【 遼陽会戦 】と聞くと、『 遼陽城頭 夜はたけて 有明月の影すごく ・・・・・ ・・・・ 』という思わず気分が高揚する「軍歌」を想い出します。
ということで、番組配信、ありがとうございました。
前線の指揮官が相当優秀だったのかと思います。
戦争でその命を散らさせたくなかったと上官は思ったことでしょう。
えぐい戦力差があるのに「なぜか」勝てた日本軍という場面が複数出てきてあまりの驚きに思わず「頭おかしいだろ」と声に出してしまった。ゴールデンカムイを知ってると、あの第七師団や杉元がいた第一師団ならありえるかと思えるのが、現実は漫画並に奇なりで恐ろしい。
しかしロシア帝国が戦争を長引かせれば太平洋戦争と同じように、当初の破竹の勢いだったが嘘のように連戦連敗を重ねて敗戦に至ったんだろうなと思う。ロシア民衆の厭戦感情や革命に助けられた部分が大きいのだろう。
漫画「はだしのゲン」で、日露戦争で生き残った元軍人が日中戦争や太平洋戦争時に若者を戦争へ駆り立てて戦後も生き残って偉そうにしていることに憤るシーンがあったが、日露戦争は日本を悪い流れに落とし込んだものであると思う。すなわち、日露戦争が第一次世界大戦の呼び水になった一方で、日本のその後の敗戦の呼び水にもなったと思う。
全員化け物説好きwww
クロパトキンが弱腰の悲観主義ではなく、戦意の高い攻勢論者だったら結構ヤバかった
というか常識的に弱腰の悲観主義者相手でも結構ヤバいだろ普通は
@@kirisame-r4e 普通の軍事知識があったら、薄氷の勝利でしょう。
予備兵力も満足にもたないのに、包囲殲滅戦を行う狂気だよ
最初からやばい戦争だとわかってたけど遅らせてシベリア鉄道が複線になったら百に一つの勝ち目が万に一つもなくなる。だから首脳陣は肩を抱いて泣きながら開戦を決めた。戦力差を比べて普通に勝てると思うほど馬鹿じゃない。国がなくなるかもと思いながら始めた戦争だよ。
@@ただのまさき
-ほんとはだったらそんな戦争しちゃいかんのだけどな。
美談にしちゃいけないし、美談にするからWW2みたいなことになった。
まあ、ロシアが強硬姿勢だったからしょうがないんだけどね。
それはともかくやばい戦争だとわかってる割に危ない橋をわたりたがるのは勝ったからよかったようなものの…
負けてたらインパール扱いだったかもしれない
いや、開戦避けようとしても相手がやる気満々でパンチ振りかぶってるから。パンチの威力が100%になる前に体ごと突っ込んでダメージ軽減するしかない。100%を喰らえば死ぬ。
良く頑張ったものだ。日露戦は日米戦とは全く意義が異なる戦闘だった。
秋山好古氏は軍人になる前、社会人としての最初のキャリアは学校教員だからね。
軍人としてのキャリアが終わったとき、郷里の教育に携わる意思は理理解できる。
現場の一司令官クラス一人一人が有能すぎんか
第二次世界大戦の時とは全く質が異なる
ww2も、全部がngだったわけじゃないよな
勝てば官軍持て囃され、負ければ賊軍蔑まれる。
無謀な突撃も成功すれば武勲であり勇気ある者と持ち上げられる。
坂の上の雲を読んでも戦闘の経緯が良く分からなかったのですが、(特に秋山好古支隊)おかげさまで良く分かりました。第七師団の激闘に思わず涙が出てきました。ご先祖様に感謝です。
今まで根拠で解説を納得してましたが……とんでもない力技で不可能を何度も可能に塗り替えて勝てたのですね(汗)この時代は個人的に一番日本軍の士気が高いと思い、それも影響したのかとも感じました。
第四軍は一貫して戦力消耗を抑えた戦いしていたそうですが
奉天で膨大な損害出したにも関わらず追撃できる余力残ってたんですね
なんだこのじゃんけんでグーがパーに勝つような戦争は
詳しく知らずに「水市営の会見」や「祖国の護り」を聴いて知った気になっていたのは恥ずかしいです
大山巌が奉天に入った日、3月10日が陸軍記念日となり、最後の陸軍記念日である1945年(昭和20年)3月10日に東京大空襲が起きました。
すごいわかりやすい動画だった
でもなんで勝てたのかマジで分からん・・・
兵力で劣っているのに進軍させるとか、戦争の定石が通用しない日本軍がおかしいのであって、クロパトキンが悪いわけではなさそう。
大要塞旅順を落とした軍隊と聞いた上に屍を蹴りながら走ってくるゾンビ兵相手ってなるとああなるのは分かる()
戦力劣勢なのに陸戦で連戦連勝したのが日露戦争の勝因だよな。日本海海戦は勝って当たり前。全滅させたこと自体は凄いが勝つのは全く難しくない。
一方陸戦の方は勝てる方がおかしい。奇跡を起こしたのは陸軍であって海軍じゃないんだが
なにより、相手が引っ込み思案だった事が大きかったですね😁
黒講台で立見尚文中将が行った第八師団の夜襲は、それこそ後方の輜重兵やら炊事係やらまで投入した文字通りの『全軍突撃』だったそうな。でもロシア側はそんなこと知らないから「ここでこれだけの人数で夜襲を仕掛けてきたってことは、黒講台近辺の日本軍の総兵力は10万を越えるのでは!?」と誤認。そして撤退となったそうな。
軍部は太平洋戦争で勘違いしてしまうよな…強よすぎる
この時の国軍は国内の藩と幕府の内戦を経て、新しい戦術と兵器への気付きを経たあげく、初の対外戦争として将兵は意思が高かった。 最強!!とか言うと気分いいけど危ないよね。
西南戦争で激戦地を戦い抜いた
リーダー達が日露戦争でも
将校として参加してますね。
第七師団といえば金カムのイメージでしたが、史実の活躍エグすぎて衝撃的です
第8師団の立見尚文中将と第四軍司令官の野津道貫中将って、戊辰戦争のとき宇都宮城で戦ってたんだよな…
この時代はかつての敵同士がさらに強大な敵と共闘するロマンがあるから凄いよね。
奉天会戦後の有利不利について、実際に有利だったのは圧倒的に日本
このころになってようやく砲弾の供給が軌道に乗り出し、人員の補充も済んだ上で増援を送っており
日本海海戦後の満州軍は奉天会戦時を上回る兵力になってる
一方ロシアは単線のシベリア鉄道での輸送が破綻しかかっており、欧州側の兵力引き抜きもこれ以上は不可能
仮に動かせてもシベリア鉄道での輸送力だと現地の兵站を支えきれない
論争となるのは日本が攻勢でた場合の話であって
ロシアが再び攻勢に出た場合、どうなるかはこの前提条件があれば明白
日本海海戦での敗北によりどうしようもなくなったのでロシアが負けを認めた
動画で使用しているBGMを教えてほしいです
この動画を見て思いましたがやはりこの日露戦争の戦訓から敵陣の備えが整う前からこちらの準備が万端でなくとも先制攻撃すべしと敵主力を迂回、包囲すべしの方針が確立されたのだなと思いました。後の太平洋戦争まで35年以上も先進国同士の全面戦争を経験しなかったばかりに昭和に至っても教本に大きな改定もなく基本戦術に影響を与え続けた結果、米英に酷評された日本陸軍の戦略と戦術。太平洋戦争後半には太平洋戦争中期の戦訓から反省した防御戦術についてはちらほら米軍からちらほら一定の評価が見られるがそれは戦争中期の日本軍の失敗からの反省と米英軍の特性を日本軍なりに分析した結果生まれた戦術の転換でやはり経験というのは非常に重要だと思います。ウクライナ侵攻まで全く考えもしませんでしたが戦後日本は本格的な全面戦争を経験していないというのは喜ばしい事ですが80年近く本格的な大規模実戦を経験していない上お役所仕事で開発はされても改良されない演習のためだけの兵器だらけ、実際の有事の際戦争の為の非常時の兵站計画が真剣に考えられていないの自衛隊がどこまで戦えるか非常に不安です。
中田敦彦→セピア→コテンラジオの順で概要や流れを掴んでからのこの戦闘の詳細を聞くのがホント楽しい。
私の青年期はどこの書評をみても「坂の上の雲」が上位を占め、かえって反発して読みませんでしたが、一読して考え一新。私のバイブルになりました。 戦う事を忘れたカナリアは本書を歯牙にも掛けなくなりましたが、なんか日本人に生まれて良かった、的なところが随所に出て来ます。
当時の日本人の獅子奮迅の戦いぶりが数々の常識破りを実現し奇跡の勝利を収めた一方昭和陸軍が戦術重視、戦略軽視に傾き、無理な精神論を蔓延させる原因でもあったわけか...
勝てたの謎だけど、勝ってなかったからいくらロシアが革命途中とはいえ凍らない港を目指して南下して、くることは必定だったし、日本軍は負けないという過信するようになった。
なぜかと言うたび笑えるし誇らしい
なんかこれと日本海海戦の解説見たら実は海戦より陸上戦の方が凄かったんか!ってなった。(もちろん両方凄いけど)
クロパトキン大将は、軍隊をやめたあと、教師になった。
最近幕末に興味あるから戊辰戦争とか西南戦争の話聞きたい
経験値なんだろうか。
幕末の大きな戦争を経験したきたことが梅沢支隊の奮戦に繋がったのかな。
秋山好古は、当時の連合艦隊作戦参謀である秋山 真之の兄であります。
いつかロシア遠征を解説してほしいです
改めて日本はアジア諸国にとって救世主みたいな存在なんだな〜って思う
この先敗戦まで大国相手に勝ち続けたんだし
本当に凄いと思う
35:18で俺の高祖父が戦死。頭部に銃弾を受けたと墓に書いてある。
教育は大事だな
この時期の日本が不気味すぎるな。外国が警戒し始めるのも当然だわ。
クロパトキン完全にパラノイア陥ってるやん
聞いていると士気だけで勝つようなスタイルだな。士気がなければ戦は勝つことができないが、メラメラと燃える士気に対して、静かに燃える冷静な知性が勝つこともある。第二次世界大戦の日本は、士気に頼りすぎてついぞ負けてしまった。
士気だけでは無いよ。実は、日露戦争までは技術を重視していたんだよね。
動画で秋山支隊の機関銃の話が出ているけど、これは開戦前に買い付けて馬に曳かせたもの。当時の日本軍にあった唯一の機関銃だったらしい。
この最新兵器は、旅順では悩まされたが黒溝台(沈旦堡)では助けられた。
個人的な見解だけど、戊辰戦争は兵器の優劣で勝敗がほぼ決まったので、その経験なのだろうと。
梅沢支隊の戦い。全てのオッサンへのエールだ。
旅順要塞の戦いは現在のウクライナのザポリージャの戦いみたい
夜間浸透戦術が日本軍のお家芸になったのもやむを得ないくらいの戦果だぁ…
あー♪
砲弾ねぇ!
火砲もねぇ!!
兵士もそれほど揃ってねぇ!!!
6分4分の勝ちを拾うギリギリの戦いだった。
司令官、参謀が1人でも欠けてたら敗戦に終わり、俺たちはロシア語を話してただろう。
歴史上の数々の戦いの経験と今のヘナチョコ日本人には到底ある筈のない個々の国民性です。 今はまたリーダー不在が長らく続いてますが、変わる事の繰り返しが大事です。
ベテラン日本部隊が右翼で頑張ったのも指揮官の実力と更に良き時代の日本人であったからかと思います。
鎌倉武士まで遡れれば満点ですがw
黒溝台会戦は八甲田山雪中行軍を成功させた福島少佐が戦死してる戦いだよね
秋山さんはきっと愛媛の誇りでしょう。🍊
ウチの本家の由緒怪しい寺では祝祭日はもちろん、3月10日と5月27日にも日章旗と旭日旗も玄関の門柱に掲げています😊
うん、師団規模で夜襲するのも予備役の旧式装備連中が三倍の敵を撃退するのも正直意味が分からない
どうゆうことだ?当時の日本兵は何者なんだ…
当時の日本兵は人間ではない 化け物兼ゾンビだ……OK?
勝ったはいいが、ここで勝ったせいであとのあれにつながるからな。負けていたら負けていたで問題だったとは思うが。
良くも悪くも決戦してから講和するというのに無駄に拘ったのはここでの成功経験のせいなんやろなあ
確かにかっこいいけど、結果的にそれは太平洋戦争での実態に繋がった
旧幕軍で桑名藩雷神隊を率いて政府軍を悩ませた立見尚文は日露戦争でも活躍して陸軍大将となった。当時は維新の弾雨を下級武士でくぐり抜けた者が日清日露戦争では上級指揮官となっていたので官僚化した組織の露軍を圧倒した。
昭和陸軍では官僚化した日本軍は硬直した組織となっていたので欧米に作戦では完敗した。
圧倒的不利を跳ね返すという、非常に客観的な評価が難しい勝利を重ねた結果が
精神主義、銃剣突撃に転じ、太平洋戦争での悲惨な惨敗に繋がっていくと考えると
素直に喜べない部分がありますね
損害が出ても勝てれば最終的にはOKという帝国の人命軽視も日露戦争で肥大化した
のでは?と思います
立見尚文といえば、戊辰戦争から西南の役、日清戦争と日本の近代戦争で常に最前線で無双してたバケモノだったからね。黒溝台でのキチガイ染みた奮戦ぶりも頷ける。
この戦いに勝利していなければ、満州、旅順、平壌、漢城(ソウル)全部、ロシアになってたろうな
日本には何処がお隣でも地獄という
ぼくらのご先祖様のお陰で今こうして暮らしていけるんやな
ロシアのシベリア鉄道が複線にならないうちに首脳陣は泣きながらギリギリの決断をしたのは英断だった。そうなれば陸軍の連勝は難しいし国債も売れなかっただろう。綱渡りのギリギリの辛丈だった。。。
バルチック艦隊と同様
こんなとこで戦うのは嫌だと
兵士達ははっきり考えていた筈
戦闘は遊びでは無い。ほぼ全ての
ロシア人にとって何の馴染みもない
ユーラシアの最果てでタヒねと言われて従う馬鹿はロシアにもいない。
日露日清は普仏戦争と同じで戦おうとする軍と戦いたくない軍の合戦。
これに勝ったせいで意志が強い方が勝つという考えから逃れられなくなり大敗北まで行くしかなくなる。
クロパトキンが無能っていうより日本軍が強すぎ
よく帝国時代の日本兵は強いって言うけど本当に強かったんだな
それだけに太平洋戦争の日本将校達の無能さが悔やまれる、、、😔
下手に最強過ぎたから、
その時のやり方をズルズル
引き摺っては太平洋戦争で
ボロ負けしてしまうんだよな😅