コメントありがとうございますね。 本動画は著書ジョージ W. ガーランドおよびトルーマン R. ストロブリッジのHistory of U.S. Marine CorpsOperations in World War ⅡVolume IV: Western Pacific Operationsを基礎に作っています。 次に資料元を記載しない理由だけど、自分が捻くれているので調べもしない作りもしない癖に人が買った資料だけをいっちょ前に聞いてくる人間(Twitterによくいた)が嫌いなのと、歴史は最終的には自分で興味をもってもらって自分自身で調べないといけないと考えている偏屈な者なので許して。 そもそも偏屈でおかしな人間でもなきゃこんな動画作りも出しもしないしけど。 なのでこれからも当チャンネルは資料元を記載しないので気に入らないなら見ないでね
硫黄島からの手紙と父親たちの星条旗を見ると双方の視点と置かれた状況、人の思いや考えが見て取れた。クリント・イーストウッド監督は忖度しない作品を作ってくれたから感謝しかありません。映画が放映されてから20年近くになるのですが色褪せない名作だと思います
この知識をもとに映画を見直すとより心を寄せることができて震えが止まらない
硫黄島戦の動画は沢山見ましたが、私的には一番素晴らしい動画でした。私の知りたかった硫黄島戦についての部分を知る事ができ、当時の戦況を想像しながら見入ってしまいました。
B29初不時着のところがすごく好きです。死闘をづける日米の将兵が立場は真逆ながらお互いの方向性が間違ってなかったことを再確認する。そして3月26日の最後の突撃のくだりは胸が一杯になります。最後の最後まで米軍にどうすれば一矢報いることができるか考え続けたであろう栗林中将・・・どれだけ凄い人なんや・・・。
総集編はありがたいです。
アメリカ兵の手記とか手紙のほとんどが「三日で制圧できる」「俺達の日本兵を残しておいてくれ」とか余裕な感じだったのにものすごい被害出て大変だったらしい
日本側も重迫撃砲が沈黙されてなかったらもっと損害与えられただろうな・・・
詳しく説明してくれて、知らない事も、有り!勉強になりました
アクアク放送局さんの活動を応援します。
Super Thanksありがとうございます。
そういっていただけると次の動画制作の励みになります。
硫黄島で亡くなられた日米の兵士の皆様が安らかな眠りについておられることを祈るばかりであります 戦争ほど愚かな行為は有りません
その兵士たちが乗っていた戦艦を美少女化して遊んでいたんじゃあ、そんな言葉も虚しいね。
少しでも先人たちの死への敬意と哀悼の念があれば、そんな真似は出来まい。
@@スリーリングスそれコメ主と何も関係なくないか?
@@スリーリングス知っている人が増えるっていうだけで価値があるぞ。
後海兵隊員が乗っていたのは戦艦などではなく輸送船です。
色々な動画を見て来ましたがこれは素晴らしい編集ですね
今まで見た硫黄島戦記で一番的確かつリアル 事あるごとに見てしまう
音楽がクラシックなのがいいですね。 銀英伝みたい
硫黄島からの手紙も見たけど栗林中将って本当に凄い人だと思う
日本軍って戦死することが立派な事ってあったのに玉砕を許さなかったり😥
必死に祖国のために戦ってくれた人達がいるから今の自分達がいることを忘れてはいけませんね😥
摺鉢山横のグリーンビーチ、他三ヶ所の砂を所有しておりますが、我が家の家宝として大切に扱わせていただいております。硫黄島の砂を所有できるということは大変、名誉なことだと言っております。
あっと言う間の1時間18分30秒でした。
映画「硫黄島からの手紙」と同じ様な鑑賞後の疲労感です。
・今の硫黄島は日米の基地となっており激戦と死闘を行った
全ての将兵の目的が有る意味叶った形となっています。
星条旗の旗竿を立てる海兵隊将兵の写真や像は相手国の人間が見てもやはり素晴らしいと思って居ます。
登録者が伸びてきましたね。
これから登録者の伸びはドンドン加速していく事でしょう。
今後も期待しています。
作成よろしくお願いします。
祖父は独歩309大隊所属でした。合掌
大作ですね🎉🎉🎉
1944年あたりになると大隊長が軒並み大尉になっている
人材が枯渇してるのかなぁと感じるよね
硫黄島からの手紙はまじ名作や
本土決戦にも備えてかなり戦力を日本は温存していたから、もっと硫黄島に武器や食料、資材などを割り当てていたら、、いや、硫黄島よりも地下要塞を作りやすいサイパンで同様に戦っていたら最低でも半年は持ったと日下公人先生が言ってました
折角サイパン島内部に複郭陣地帯を築いたのに大本営のバカ参謀が敵の上陸半渡を叩くなどとの白昼夢物語を現地軍に強いた結果の水際迎撃決戦で自滅させられたので此のバカ参謀はマリアナ失落責任を取らされたのか終戦直後に自決した筈です。
すみません、圧倒的な米軍の物資で観ている方はつかれました。戦っていた兵隊さんも疲れたろうと思います。本当にお疲れ様でした。
日米双方の英霊に合掌。
所々で平然と特攻機や特攻作戦が出てくるの、本当に戦争によって命の尊厳が低くなってるの分かるわ
相当な激戦と聞いていましたが、まさに激戦でしたね。最後にこの島で戦死した両国の戦死者にはご冥福をお祈り致します。
50:50あたりの日本兵を地上でみることがなかったという証言が、硫黄島での遺骨収集の困難さを物語っているのかなと
当時、資材の調達、管理は海軍が担当していました。なので陣地構築に当たっては海軍に資材を提供して貰う以上、海軍に譲歩せざる得ない状況でした。
硫黄島の戦いで散っていったすべての日本軍将兵に敬意を表し、称えたいです。陸軍だけでなく、事前の空戦、特攻、爆撃で亡くなった多くの搭乗員もいることを忘れてはならないでしょう。今日本はまだアメリカの占領下に置かれているので、この人たちのためにももっと独立した力を持たないと。
とっくに忘れてるよ。だってこの国の多くの人間が、その搭乗員が乗っていた戦艦を美少女にして遊んでるんだから。
そして、それを誰も不謹慎だと指摘しない。この国の意識はもうとっくに腐ってるよ。
栗林さんのご家族に宛てたお手紙を拝見させて頂いた事がありましたが、涙なしでは読めませんでした。
戦後復興時にご存命ならば、違う道でも何かを成し遂げる一角の御仁になられたかと思うと惜しくてなりません。
ミッドウェーの戦い以降、負け続けだった日本軍がアメリカ軍を苦しめた数少ない戦いの一つ。火力の違いを考えれば、硫黄島でいかに日本軍がうまく戦ったかわかる。
wikiを読んで動画見てまたwiki見て映画見てまたこの動画を見ました。
玉名山(ミートグラインダー)元山陣地、二段岩、円形劇場、峰谷、クッシュマンズポケット。オーボエ高地、ピーター高地。
最後の夜襲は栗林中将の下で数日かけて準備され計画的に実行されてたんですね。もっと残存兵たちに総攻撃の命令が伝わり、さらに奇襲する人数がいたらとどれぐらいの損害を与えられたのでしょうか。テントからでた米兵が目にした光景を想像するだけで恐ろしいです。
台湾に日本軍の防衛隊は駐在していたのでしょうか?規模はどれくらいだったのですか?
あまり意味の無い3D画像の多用よりも、地形図や軍配置図付の解説の方が分かりやすかったと思う
硫黄島の戦いにおける真の意義はその戦闘過程ではないと思う。
ペリリュー、硫黄島、沖縄の激戦を経験し、もし本土攻略となればどれほどの出血を強いられるのか……と米首脳は苦悩したことだろう。
米がソ連の如き国家であったならば、或いは人命軽視で本土決戦があったかも知れない。しかしながら米は民主主義国家であり、人命軽視の作戦は自らの政治生命を危うくする。だから米はポツダム会談前まではソ連参戦を熱望し、いわゆる挟み撃ちによって大日本帝国の継戦意欲を挫こうとしていた節がある。
結果的にはポツダム会議の最中に原爆が完成し、トルーマンはその使用によってソ連の加勢なしに戦争終結できると判断したのだろう。
そしてトルーマンの目論見通り、広島、長崎への原爆投下によって、予てから戦争終結の機会を伺っていた鈴木貫太郎内閣は昭和天皇の御聖断を仰ぐ、言い換えれば大政奉還という荒業によってポツダム宣言受諾に持ち込み、日本は首の皮一枚で亡国をま逃れた。
万歳突撃も特攻も、一方的な見方をすれば愚かな犬死になのかも知れない。そして硫黄島で行われた一か月余りにおける激戦も、戦局には然程の影響もない局地戦に過ぎなかった。
しかしながらそこで見せた日本人の敢闘精神、祖国や家族を守るために見せた決死の覚悟は、今も米国をはじめとして、特に軍事に関わる多くの人々に尊敬されていると思う。だから米は日本を統治して踏み続けるよりも、同盟国として味方に付けた方が安全保障上で優位であると判断したのだろう。
正直なところ、栗林忠道中将が名将なのかどうかは分からない。もともと救援も補給もままならないと分かり切っていた状況だし、戦局不利と判断した時点で降伏した方が助かった命も多かっただろうし、戦場にいた彼らも、早く楽にして欲しいとの想いもあったと思う。
けれど最後まで死力を振り絞って戦ってくれた彼らのおかげで今の日本があるのは間違いない。本当に感謝しかない。ありがとうございます。
映画「硫黄島からの手紙」の戦闘開始シーンめちゃくちゃ好き。
市丸「攻撃は開始しますか」
栗林「待て!」
市丸「みな、攻撃開始を望んでいます」
栗林「…」
市丸「総員待機!総員待機!」
林「抵抗しなければあっという間に海岸を取られてしまう!」
栗林「浜を埋め尽くすまで待て!」
栗林「いきましょう。攻撃開始!」
市丸「攻撃開始!攻撃開始!」
このシーンはいつも戦争映画になると自虐的で悲惨でそのくせ現地住民や下士官にだけ八つ当たりするボロボロの日本軍ばかり描く日本のクソ左翼映画監督とは違う、米軍をバタバタとなぎ倒す強い日本軍を描いていてナショナリズムが高揚した。
1時間18分30秒に高評価連打です。
1:18:30
長野の英雄
海兵隊の500年を意味する発言はフォレスタル長官だったはず。
勝っても負けても戦争には本当の勝者は居ない。悲しみや憎しみの連鎖を産むだけで他には何も生まれない。ただその一言に尽きると思いますよ。どうせ負けるなら座して死ぬよりは戦って死のうと言うのは身勝手な男の考えで、女性からしたら、例え五体満足で無くても生きて帰って来てくれる方が遥かに悲しみは少ないはず。人命軽視の軍部のお偉いさんは、机上の空論でしか戦況を見ないですし、一介の兵士の事を気遣えた将校が何人いた事か
マーティン中尉かっこいいな、好き
ARMA3ぽいなぁw
編集が上手い\(//∇//)\
今 日米将兵は友達ですよ。ありがとうございました。
「いおうとう」?
最終的に49年まで粘っていたのか………………………
いくつか事例はあるけどとんでもないよな………
水もないのに。盗んでたのかな ご飯とか
第九師團がいればもっともっと本格的な戦闘が実施できたのは言うまでもない。
ゲームで再現は新しい視点。 GJ🥰🥰
この場合においても海軍と陸軍の統制取れずなんだかな?
海軍の市丸少将のアメリカ合衆国大統領ヘ書簡の件は、ないですね。この動画は、陸軍の栗林中将ばかりですね。
因みに正しくはイオウトウです。
🙏☹
栗林中将、長野高校出身!
過去の出来事
なんのゲームなんですか?
arma3ってやつだと思います
作者は出典を書くべきです。
主張する責任、作る側の責任ってやつだね。
@@コクヨかパイロットか はい。この動画の作者は参考文献を作った人の努力にタダ乗りしてることになります。先人への敬意が全く無いです。ひいてはこの作戦で死傷された方全てに対して愚弄してると言えます。
コメントありがとうございますね。
本動画は著書ジョージ W. ガーランドおよびトルーマン R. ストロブリッジのHistory of U.S. Marine CorpsOperations in World War ⅡVolume IV:
Western Pacific Operationsを基礎に作っています。
次に資料元を記載しない理由だけど、自分が捻くれているので調べもしない作りもしない癖に人が買った資料だけをいっちょ前に聞いてくる人間(Twitterによくいた)が嫌いなのと、歴史は最終的には自分で興味をもってもらって自分自身で調べないといけないと考えている偏屈な者なので許して。
そもそも偏屈でおかしな人間でもなきゃこんな動画作りも出しもしないしけど。
なのでこれからも当チャンネルは資料元を記載しないので気に入らないなら見ないでね
@@AkuAku1945俺は自分で調べて新しい発見した!って天狗になって人に自慢したいです✨反論されても新しい知識、発見、見方があって楽しい🎶それが歴史を語る楽しみと思います
玉砕て自己満やからね。戦略目的ではなく個々のお気持ちでしかない。
まあ、ある種の洗脳と戦場の空気とストレスがそうさせたのかもと想像する。人は弱いもん。
夜はちゃんと休戦してたのかな?
動画の声が嫌だ
機械音声だから許して
屈指の激戦地というけれど、島民もいない硫黄島のような戦場で戦えば民間人の犠牲者は出ない。
まさにブラック企業w
いつも感謝します。私が以前に貴殿の投稿に同じものを送ったかも知れませんがご容赦下さい。オヤジ方の祖父は本土防衛の東部軍隷下高射第一師団、
その兄弟は歩兵松本五十連隊で1944/7テニアンで玉砕全滅。オヤジが言うには戦後テニアンで玉砕戦死した叔父貴の白木の箱の中に誰のものか遺髪が入っていたのを話して来れました。自分が嫌いな靖国神社に祀られているが、人間が戦争と言う愚かな公やけの殺人行為から脱却出来ないとすれば、専守防衛に賛成出来るが市井の高齢者や未来ある子供や障害を持つ人々を見殺しにしてまで行うことは断固阻止しなければ行けません‼️
かつて自分が中国は華北で旧満州で日本軍が何をして来たのか⁉️見て聞いた話は強くなったと錯覚したものは弱者を排他排斥の攻撃のターゲットにして支配しようとする、野獣と変化ない本能を持っていると言うことです。人種に関係ない。
戦争を美化するのではなく愚かな行為だと認識するべき
美化も賛美もしてないし、それなら隣国に言ってこい(´ω`)
愚行とは?美化もしていない戦史を振り返っているだけですよ、ただし、個人的に靖國に対しては敬意を持つべきと思っています。
@@rw9806 愚かだと思う人が本当の日本人
英霊はそう思ってる
誇り高く死んだ故、美化されがちだけど、部下を統率できず分断を招き、結果2万弱を全滅させ最重要拠点の陥落を招いた栗林を無駄に持ち上げるのは良くないと思います。しかも足止めできたのはわずか1か月。確かに文字通り死守しなくてはならない拠点だったとは言え、結局明け渡すのが1か月先になっただけというのは、戦略的にほぼ意味がない戦いだったと言わざるを得ないです。死んでいった英霊を落とすつもりはないですが、考えなければならない事は考えなければならないと思います。。
この時の日本は敵国への反撃領土奪還でなく出血消耗、それによる米国内の戦意を削りながら
講和までの時間稼ぎが目的になってたわけで
防衛戦にシフトしてたから米国の損害を見ればその意味と役割を十分に果たしてるよ
弾薬の補給がないことを考えましょう。補給があれば、もっと長期間抵抗ができたはず。
@@bonered9210仕方ない、想像力がないんですよ。
アメリカの評価を見ればわかる
私は気象庁の仕事で硫黄島に行きました、その時は観測の場所から出してくれませんでした、どこに不圧弾んがあるかわからないからと言われ自衛隊の方が出してくれませんでした、そして美味い食事で飲んで寝て1年いました、ただ歩く時は自衛隊の方が付き添てくれました、今では大変感謝しております、でも太平洋戦争の時戦死人にが大変いたので何で戦争なんかしたのか大変考えさせられました、その時戦争責任者は昭和64年まで生きていました、もうお分かりですね、その子孫は今でものうのうと生きています、すいませんむあなたの動画素晴らしいです昔を思い出しただけです、すいません爺の人リごとと思てください。
不圧弾…?
日本では イオウトウ と呼んでいたのではありませんか。 イオウジマ は 米軍の呼び方でしょう。