Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
ロケ地巡り、お疲れさまでした。DVDで映画を何度も観ていますけど、殆どそのままの状態だったので安心しました。尾道という街を開発することなく、このままの状態を保って欲しいです。あと大林宣彦監督にも感謝です。
2015年くらいまでは少し汚れてはいたものの地元の方手作りのロケ地案内板が残されていました。現在旅行等できませんがこの動画で楽しんでいただければ幸いです。自由に旅行等出来るようになれば、もう少し尾道・竹原を探訪したいと思います。
有難うございます。ギターの音色と共に映像観ていると懐かしさと切なさで胸が締め付けられ苦しくなります(笑)尾道ロケ地マップまだあったかなぁ。。。
大林監督が残してくださったモノ素晴らしいですよね。動画を観ながら私も高校2年生の時にタイムリープいたしました✨「いつも青春は時をかける」
ロケ地を訪れた時「変わらないもの」を見つけてはタイムリープしてしまいました。予告編「愛の予感のジュブナイル」の後の言葉ですね。バックで流れる「ふれあい」のメロディーと重なっていまでも心がタイムリープしてします。
素晴らしい映像をありがとうございます。今のyoutubeに足りないのはこういった想いのこもった動画ですね。また映画を観たくなりました(一番好きなのはさびしんぼうですが
西願寺ですね。あそこは少し離れていますけどいいところです。尾道のお寺はどこもいい画になりますよ。
もっとこだわって細かなシーンの所にも行きたかったのですが、調査不足と現在の状況で暫く尾道以外にも行けていません。なんとか「ふたり」ロケ地めぐりはほぼ出来上がったのですが、「時をかける少女」以外の作品はもっと少し先になりそうです。
数え切れないほど繰り返し観た大好きな、大好きな時をかける少女です。原田知世さんとも同学年の私は、未だにあの頃を思い、現実逃避するかのように映画を通しタイムトラベラーになっています。一度は訪れたいとずっと思いつつ、この年になってしまいました。そうした中、こうしてロケ地の様子をアップして頂き感謝に堪えません。よくわからなかったですが、芳山家の建物はもうないということでしょうか?もしそうだとしても、私の心の中にずっと残っていくかと思いますが。ちなみに、私の好きなシーンは、芳山君にハンカチを返却されたゴロちゃんが、醬油屋の屋上でハンカチを顔にかけ空を仰ぐシーンです。忘れかけてた青春の切なさが甦る気がします。
はい、残念ながら2014年に訪れた時はあったのですが、2016年に再訪した時は建物がなくなっていました。タイル小路同様、人が住まなくなると保存も難しいようです。
この原田知世の"時をかける少女"に匹敵する映画が人生上見当たらない。とくにラストシーンなどは呼吸が苦しくなる。
ドラマをはじめ「時をかける少女」は他にもありますが、どうしても大林監督の作品と比較してしまいます。
米国の映画「猿の惑星」の続編は、第一作のわずか2年後に公開されました。2033年4月16日(土曜日)はいったい何曜日でしょうか。あなたは、「時をかける少女」のストーリーが終わってしまったかのような書き込みをしていますが、私はそう考えていません。「1994年4月16日(土曜日)の物語」は、筒井康隆さんの原作にはないもので、それは大林監督が付け加えたものです。生前の大林監督は、きっと「2033年4月16日(土曜日)の物語」のストーリーもつくり上げていたはずです。信じられないと思いますが、塚本連平監督による「35年目のラブレター」の撮影は、本年2024年2月17日(土曜日)9:87の塚本監督挨拶から始まりました。私はたまたまその撮影現場に立ち会ってしまい、大きな衝撃を受けました。信じてもらえないかもしれませんが、これは真実です。
懐かしい風景を巡っていただき、ありがとうございました。深町家の映像は珍しいですね。深町家はとある旅館の使っていない別館で、1984年の時点では木の引き戸の向こうに続くコンクリの小道の右側にひっそりと現存していました。上原健と入江たか子が焚火をしていた庭もそのままでした。竹原の堀川醤油店の醤油は甘口のどっしりした美味しい醤油でしたね。ユースホステル尾道友愛山荘にはホステラーが足で稼いだ撮影地情報+写真をぎっしり記載した「転校生ノート」と「時かけノート」の2冊の大学ノートがあり、その情報を基に尾道から竹原まで1日かけて歩いたものです。転校生では漁港の道のこのブロックの上を歩いていた、みたいに場所が特定されていて、この2つの映画に思い入れの有る奴がホントにいっぱいいるんだなぁと感じたものです。
深町家探しは苦労するよ。と聞いていたのですが、撮影時まだ手作りの看板みたいのが残っていて、桃栗の竹垣から何とかたどり着けました。今はもう看板も無く、深町家の庭も変っていますが、休憩所のような場所が設けられここで紅茶を飲みひと休みするとあの頃の雰囲気が味わえる気がちょっぴりしました。
@@psk168 私は、本年2024年4月17日(水曜日)午前10時27分に「芳山和子の家」の跡地へ行ってみました。2024年は原田知世さんが演じた芳山和子が福山大学薬学部の廊下でニセの深町一夫と再会した日からちょうど30年でしたから。私は、長江一丁目の「大山寺」から裏道を通って西久保町の「西國寺」へ向かったのですが、その5分前、隣接する墓地の中から「芳山和子の家」があった空き地を熱心に撮影している男性を見つけてしまったのです。その日は平日ですよ、私は本当に驚きました。実は、2024年2月17日(土曜日)に、私は意図せずに原田知世さんと笑福亭鶴瓶さん主演の「35年目のラブレター」のクランクインに立ち会うことになりました。私はボランティアのエキストラだったからです。(ロケ地が私が勤務しているフロアーであったため、私は撮影後の後片付け要員を兼ねていたのです。映画の中では、そこが「奈良市役所のロビー」になるらしいです。)塚本連平監督がクランクインの挨拶を始めた時刻、それが「9:87」でした。私はたいへん驚きました。これはすべて真実です、作り話ではありません。
1987年頃にロケ地を訪ね歩いたのですが、竹薮と石段と深町家の温室、芳山家の家の場所がどうしてもわかりませんでした。それがその時に見つかればほぼ映画と同じ風景が見られたのに残念でした。
ご覧頂き有難う御座います。映画では芳山家はかなり高台のあることになっていますね。まさか「朝ドラ」のお寺の山門の近くとは思いませんでした。誰も住んで居ませんでしたが、まさか撮った数年後に解体されるとは思いませんでした。
私は「深町家の温室」があった地の門前でずっと待っていました。2022年4月18日(月曜日)午後4時30分に脳内で「桃栗三年、柿八年」の歌を二人と合唱しながら。でも、その時刻、尾道市長江一丁目の私の元へ来る人は誰も居ませんでした。長江小学校の校庭には弓道部員もバレーボール部員も、顧問の薩谷和夫先生も誰も居ませんでした。寂しかったです、とても。
タイムリープ中の芳山和子は、「石の階段」で遊ぶ「二人の男の子」と出会います。「石の階段」は、尾道市長江二丁目のK林邸前に現存しています。「二人の男の子」は、1960年11月23日劇場公開の映画「裸の島」に出てきた「太郎・次郎」のオマージュで、「石の階段」は、険しい険しい宿禰島の階段を想起させるための演出だったはずです。
@@psk168グーグルマップの写真は2014年11月撮影のものです。2015年3月の取壊し作業の前のものです。大山寺から西國寺へ向かう裏側の道です。
タイル小路 懐かしいですね。映画公開から数年 当時13歳だった時に初めてロケ地巡りしました。当時 尾道駅で配ってた観光案内のパンフレットにも「正確な場所は記載しません あなたの尾道を見つけて下さいって」って感じで書いてあっったり他人の家の敷地を通らないと物理的に到達不可能なところも多々あってロケ地を探し当てることは凄く困難だったのですが親切な地元ボランティアの人に出会いロケ地を案内して頂いたのも良い想い出です。今でこそネットで情報を得られますが当時は本当に手探りで…でもだからこそ楽しかったと思います。タイル小路の所有者の方も親切でタイルに油性マジックで寄せ書きして行きなさいって言われたり余ってるタイルを持って帰っても良いよっ言われて2~3個貰って帰ったのが今でも宝物です。本当に良い時代でした。
自分が尾道に行ったこの時は、ロケ地めぐりをしてる風な方はあまりいませんでしたね。道しるべや近年のロケ地MAPからはタイル小路も消されていました。でも坂道を上り下りし、もうろうとした後にやっと各所に辿り着いたせいかもしれませんが、気持ちは当時にタイムリープすることが出来ました。
時をかける少女大好きです😍原田知世さんの深町君が好きでした😅春に九州に行く途中尾道ラーメン🍜食べました😅普段サービスエリアでラーメン🍜食べませんが食べてよかったです🙆竹原市には、ウサギ島に行く時に行った記憶あります😸瀬戸内海素敵ですね😜ご冥福をお祈り申しあげます🙇😢
尾道の深町家や竹藪はもうありませんが、竹原の町並みは結構のこってますね。尾道の海は「ふたり」に結構出てきてロケ地めぐりの途中でぽーっと眺めてました。昨日は監督の三回忌、もっと尾道作品続編が見たかったなぁ。
約30年前に行った時に訪れたタイル小路が崩れてしまったのは、ショックでしたね。映画と現実のシンクロポイント。懐かしく見させて頂きました。
返信遅くなりました 道しるべも無くなり、タイル小路が剥がされてしまったしまったことは聞いていたのですが、周囲の民家が居なくなってしまわれたことが大変残念でした。この撮影時まだ若い女性の方がこの場所に佇んでおられました。監督の想いが未来に引き継がれればいいなと思います
変わっていくのは仕方ないことですが今の尾道は若い方が結構頑張って街をいい感じで再生されていると思います。ここがなくなってしまったのはさびしいですがまた新たな物語を今度は若い監督さんが繋いでいってほしいものです。
綺 麗 に 整 備 さ れ る よ う に な っ た ぞ 。
お疲れ様です。コロナ禍で尾道にはいけていませんが、10代は毎年2回以上行ってましたね。当時はロケ地巡りなるイベントもあったくらいですから。ここ数年は私も映画関連でお伺いすることもありましたが、いろいろと変わってきていましたね。駅前はかなり残念にはなりましたが、相変わらずな街並みです。尾道、竹原、観音寺、小樽、臼杵とあちこち回っています。ちなみにロケ地巡りもいいんですけど、この町はわざと迷子になって新しい自分だけの尾道を見つけて欲しいものです。今は私も少しばかり映像に関連することに携わることもありますが、この町が原点です。そうそう、観音寺のロケにはびっちりついていました(当時は現地スタッフで入れることがあったので)。そのおかげで今ではとうとう創る側です。いろいろとロケもしてきましたけどやっぱりそこだけにしかないいいところもあります。香川もいいですよ。もう叶いませんがもう一度香川で映画を撮っていただきたかったです。まあ、映画祭でなんどかおいでになっていらっしゃいましたし、倉敷の大学や米子の映画祭などにもお伺いさせていただきました。私の原点でもあります。変わっていってしまっても、心にはずっと残り続けるものです。大切にしていきたいものです。
この動画を撮り始めて7年の月日が流れてしまい、その間にもなくなってしまった所が多数あるようですね。映画に関わられたとは羨ましい限りです。大林監督の「どうぞ尾道で迷子になって下さい」の言葉どおりロケ地マップと市街地図だけを頼りにかなり迷ってしまい、撮影時間が少なくなってしましたが、この街で「迷子」も楽しい時間でした。
芳山さんの家見たかったです。映画の最後に近くに来て、ニッコリする原田知世さんの場所は、あの竹原ですよね。
エンディングの時をかける少女が流れる最後のシーンですね?竹原です。動画の7分33秒のあたりの場所と思われます。
@user-ro7qk9op5r みれたら素敵ですね~
ふたりが公開された頃に尾道にロケ地巡りに行きました、その後はハルカノヅタルジー公開後は小樽にも行きました。映画はほぼ映画館で見ました、監督の舞台挨拶にも何回も行きました。今はなくなりましたが監督スタッフ役者さんが行かれた、尾道の喫茶店TOMOにも行ってきました、当時はサイン帳が置かれていて記帳するとマスターが監督達が来られたときのスナップ写真を数枚くれました。
当時のロケ地巡りはすごいものだったと聞いておりますその後月日は流れめぐる方はすくなくなりましたが、ロケ地MAPから消されたタイル小路でたまにそれらしき方を数回お見掛けしました。20年以上経ち追悼2本と「ふたり時々・・」其の六まで作りましたが、その後変わってしまった光景も多いようです。小樽も行きましたが、仕事だったのでほとんどロケ地には行けていません。また尾道に行ける日が来る事を願っています。其の六のラストにありあすように物語の千津子の命日前後に訪れる方も多いようですね。
もし、「東京物語」を見る機会があれば、笠智衆さんが演じた平山周吉が用を足すため食事の席を外す場面がありますので注目してください。また、香川京子さんが演じた平山京子先生が「(勤務先である筒湯小学校へ)行って参ります」と告げる場面が3度あることにも注目してください。信じられないと思いますが、「時をかける少女」で尾美としのりさんが演じた堀川悟朗が不自然に「俺、ションベンに行って来る」と3度も告げたことは、実は「東京物語」と直接的な関係があったのです。
今回行けなかった黒岩山ですが、訪れた際にはぜひ"土曜日の実験室!"と叫んで岩からダイブお願いします。up動画絶対見ます!
「土曜日の、実験室~!」チャレンジしたみたいですが、自分にはテレポーテーションとタイムリープする能力は無さそうなので動画はそのまま海の藻屑となりそうです・・・去年から今年は尾道竹原に行けそうにないので、今後に期待頂ければと・・・いや・・無理かなぁ…
あれっ、今日は40年の記念日なのに自分以外の書き込みがないってどういうことよ。午後1時25分、立花先生の手当てを受けている頃だろ。
瓦を落としたい気分だろうね。
芳山君が助けてくれたら嬉しいですね。
ロケ地巡り、お疲れさまでした。DVDで映画を何度も観ていますけど、殆どそのままの状態だったので安心しました。尾道という街を開発することなく、このままの状態を保って欲しいです。あと大林宣彦監督にも感謝です。
2015年くらいまでは少し汚れてはいたものの地元の方手作りのロケ地案内板が残されていました。
現在旅行等できませんがこの動画で楽しんでいただければ幸いです。
自由に旅行等出来るようになれば、もう少し尾道・竹原を探訪したいと思います。
有難うございます。ギターの音色と共に映像観ていると懐かしさと切なさで胸が締め付けられ苦しくなります(笑)
尾道ロケ地マップまだあったかなぁ。。。
大林監督が残してくださったモノ素晴らしいですよね。
動画を観ながら
私も高校2年生の時にタイムリープいたしました✨
「いつも青春は時をかける」
ロケ地を訪れた時「変わらないもの」を見つけてはタイムリープしてしまいました。
予告編「愛の予感のジュブナイル」の後の言葉ですね。バックで流れる「ふれあい」の
メロディーと重なっていまでも心がタイムリープしてします。
素晴らしい映像をありがとうございます。今のyoutubeに足りないのはこういった想いのこもった動画ですね。また映画を観たくなりました(一番好きなのはさびしんぼうですが
西願寺ですね。あそこは少し離れていますけどいいところです。尾道のお寺はどこもいい画になりますよ。
もっとこだわって細かなシーンの所にも行きたかったのですが、調査不足と現在の状況で暫く
尾道以外にも行けていません。
なんとか「ふたり」ロケ地めぐりはほぼ出来上がったのですが、「時をかける少女」以外の作品は
もっと少し先になりそうです。
数え切れないほど繰り返し観た大好きな、大好きな時をかける少女です。原田知世さんとも同学年の私は、未だにあの頃を思い、現実逃避するかのように映画を通しタイムトラベラーになっています。一度は訪れたいとずっと思いつつ、この年になってしまいました。そうした中、こうしてロケ地の様子をアップして頂き感謝に堪えません。
よくわからなかったですが、芳山家の建物はもうないということでしょうか?もしそうだとしても、私の心の中にずっと残っていくかと思いますが。ちなみに、私の好きなシーンは、芳山君にハンカチを返却されたゴロちゃんが、醬油屋の屋上でハンカチを顔にかけ空を仰ぐシーンです。忘れかけてた青春の切なさが甦る気がします。
はい、残念ながら2014年に訪れた時はあったのですが、2016年に再訪した時は建物がなくなっていました。タイル小路同様、人が住まなくなると保存も難しいようです。
この原田知世の"時をかける少女"に匹敵する映画が人生上見当たらない。
とくにラストシーンなどは呼吸が苦しくなる。
ドラマをはじめ「時をかける少女」は他にもありますが、
どうしても大林監督の作品と比較してしまいます。
米国の映画「猿の惑星」の続編は、第一作のわずか2年後に公開されました。
2033年4月16日(土曜日)はいったい何曜日でしょうか。
あなたは、「時をかける少女」のストーリーが終わってしまったかのような書き込みをしていますが、私はそう考えていません。
「1994年4月16日(土曜日)の物語」は、筒井康隆さんの原作にはないもので、それは大林監督が付け加えたものです。
生前の大林監督は、きっと「2033年4月16日(土曜日)の物語」のストーリーもつくり上げていたはずです。
信じられないと思いますが、塚本連平監督による「35年目のラブレター」の撮影は、本年2024年2月17日(土曜日)9:87の塚本監督挨拶から始まりました。
私はたまたまその撮影現場に立ち会ってしまい、大きな衝撃を受けました。
信じてもらえないかもしれませんが、これは真実です。
懐かしい風景を巡っていただき、ありがとうございました。
深町家の映像は珍しいですね。深町家はとある旅館の使っていない別館で、1984年の時点では木の引き戸の向こうに続くコンクリの小道の右側にひっそりと現存していました。上原健と入江たか子が焚火をしていた庭もそのままでした。
竹原の堀川醤油店の醤油は甘口のどっしりした美味しい醤油でしたね。
ユースホステル尾道友愛山荘にはホステラーが足で稼いだ撮影地情報+写真をぎっしり記載した「転校生ノート」と「時かけノート」の2冊の大学ノートがあり、その情報を基に尾道から竹原まで1日かけて歩いたものです。転校生では漁港の道のこのブロックの上を歩いていた、みたいに場所が特定されていて、この2つの映画に思い入れの有る奴がホントにいっぱいいるんだなぁと感じたものです。
深町家探しは苦労するよ。と聞いていたのですが、撮影時
まだ手作りの看板みたいのが残っていて、桃栗の竹垣から
何とかたどり着けました。
今はもう看板も無く、深町家の庭も変っていますが、
休憩所のような場所が設けられここで紅茶を飲みひと休み
するとあの頃の雰囲気が味わえる気がちょっぴりしました。
@@psk168
私は、本年2024年4月17日(水曜日)午前10時27分に「芳山和子の家」の跡地へ行ってみました。
2024年は原田知世さんが演じた芳山和子が福山大学薬学部の廊下でニセの深町一夫と再会した日からちょうど30年でしたから。
私は、長江一丁目の「大山寺」から裏道を通って西久保町の「西國寺」へ向かったのですが、その5分前、隣接する墓地の中から「芳山和子の家」があった空き地を熱心に撮影している男性を見つけてしまったのです。
その日は平日ですよ、私は本当に驚きました。
実は、2024年2月17日(土曜日)に、私は意図せずに原田知世さんと笑福亭鶴瓶さん主演の「35年目のラブレター」のクランクインに立ち会うことになりました。
私はボランティアのエキストラだったからです。(ロケ地が私が勤務しているフロアーであったため、私は撮影後の後片付け要員を兼ねていたのです。映画の中では、そこが「奈良市役所のロビー」になるらしいです。)
塚本連平監督がクランクインの挨拶を始めた時刻、それが「9:87」でした。
私はたいへん驚きました。
これはすべて真実です、作り話ではありません。
1987年頃にロケ地を訪ね歩いたのですが、竹薮と石段と深町家の温室、芳山家の家の場所がどうしてもわかりませんでした。それがその時に見つかればほぼ映画と同じ風景が見られたのに残念でした。
ご覧頂き有難う御座います。
映画では芳山家はかなり高台のあることになっていますね。
まさか「朝ドラ」のお寺の山門の近くとは思いませんでした。
誰も住んで居ませんでしたが、まさか撮った数年後に
解体されるとは思いませんでした。
私は「深町家の温室」があった地の門前でずっと待っていました。
2022年4月18日(月曜日)午後4時30分に脳内で「桃栗三年、柿八年」の歌を二人と合唱しながら。
でも、その時刻、尾道市長江一丁目の私の元へ来る人は誰も居ませんでした。
長江小学校の校庭には弓道部員もバレーボール部員も、顧問の薩谷和夫先生も誰も居ませんでした。
寂しかったです、とても。
タイムリープ中の芳山和子は、「石の階段」で遊ぶ「二人の男の子」と出会います。
「石の階段」は、尾道市長江二丁目のK林邸前に現存しています。
「二人の男の子」は、1960年11月23日劇場公開の映画「裸の島」に出てきた「太郎・次郎」のオマージュで、「石の階段」は、険しい険しい宿禰島の階段を想起させるための演出だったはずです。
@@psk168
グーグルマップの写真は2014年11月撮影のものです。
2015年3月の取壊し作業の前のものです。
大山寺から西國寺へ向かう裏側の道です。
タイル小路 懐かしいですね。
映画公開から数年 当時13歳だった時に初めてロケ地巡りしました。
当時 尾道駅で配ってた観光案内のパンフレットにも
「正確な場所は記載しません あなたの尾道を見つけて下さいって」
って感じで書いてあっったり
他人の家の敷地を通らないと物理的に到達不可能なところも多々あって
ロケ地を探し当てることは凄く困難だったのですが
親切な地元ボランティアの人に出会いロケ地を案内して頂いたのも良い想い出です。
今でこそネットで情報を得られますが当時は本当に手探りで…
でもだからこそ楽しかったと思います。
タイル小路の所有者の方も親切で
タイルに油性マジックで寄せ書きして行きなさいって言われたり
余ってるタイルを持って帰っても良いよっ言われて2~3個貰って帰ったのが今でも宝物です。
本当に良い時代でした。
自分が尾道に行ったこの時は、ロケ地めぐりをしてる風な方はあまりいませんでしたね。
道しるべや近年のロケ地MAPからはタイル小路も消されていました。
でも
坂道を上り下りし、もうろうとした後にやっと各所に辿り着いたせいかもしれませんが、気持ちは当時にタイムリープすることが出来ました。
時をかける少女大好きです😍原田知世さんの深町君が好きでした😅春に九州に行く途中尾道ラーメン🍜食べました😅普段サービスエリアでラーメン🍜食べませんが食べてよかったです🙆竹原市には、ウサギ島に行く時に行った記憶あります😸瀬戸内海素敵ですね😜ご冥福をお祈り申しあげます🙇😢
尾道の深町家や竹藪はもうありませんが、竹原の町並みは結構のこってますね。
尾道の海は「ふたり」に結構出てきてロケ地めぐりの途中でぽーっと眺めてました。
昨日は監督の三回忌、もっと尾道作品続編が見たかったなぁ。
約30年前に行った時に訪れたタイル小路が崩れてしまったのは、ショックでしたね。
映画と現実のシンクロポイント。懐かしく見させて頂きました。
返信遅くなりました 道しるべも無くなり、タイル小路が剥がされてしまったしまったことは聞いていたのですが、周囲の民家が居なくなってしまわれたことが大変残念でした。
この撮影時まだ若い女性の方がこの場所に佇んでおられました。
監督の想いが未来に引き継がれればいいなと思います
変わっていくのは仕方ないことですが今の尾道は若い方が結構頑張って街をいい感じで再生されていると思います。ここがなくなってしまったのはさびしいですがまた新たな物語を今度は若い監督さんが繋いでいってほしいものです。
綺 麗 に 整 備 さ れ る よ う に な っ た ぞ 。
お疲れ様です。コロナ禍で尾道にはいけていませんが、10代は毎年2回以上行ってましたね。当時はロケ地巡りなるイベントもあったくらいですから。ここ数年は私も映画関連でお伺いすることもありましたが、いろいろと変わってきていましたね。駅前はかなり残念にはなりましたが、相変わらずな街並みです。尾道、竹原、観音寺、小樽、臼杵とあちこち回っています。ちなみにロケ地巡りもいいんですけど、この町はわざと迷子になって新しい自分だけの尾道を見つけて欲しいものです。今は私も少しばかり映像に関連することに携わることもありますが、この町が原点です。そうそう、観音寺のロケにはびっちりついていました(当時は現地スタッフで入れることがあったので)。そのおかげで今ではとうとう創る側です。いろいろとロケもしてきましたけどやっぱりそこだけにしかないいいところもあります。香川もいいですよ。もう叶いませんがもう一度香川で映画を撮っていただきたかったです。まあ、映画祭でなんどかおいでになっていらっしゃいましたし、倉敷の大学や米子の映画祭などにもお伺いさせていただきました。私の原点でもあります。変わっていってしまっても、心にはずっと残り続けるものです。大切にしていきたいものです。
この動画を撮り始めて7年の月日が流れてしまい、その間にもなくなってしまった所が多数あるようですね。映画に関わられたとは羨ましい限りです。
大林監督の「どうぞ尾道で迷子になって下さい」の言葉どおりロケ地マップと市街地図だけを頼りにかなり迷ってしまい、撮影時間が少なくなってしましたが、この街で「迷子」も楽しい時間でした。
芳山さんの家見たかったです。
映画の最後に近くに来て、ニッコリする原田知世さんの場所は、あの竹原ですよね。
エンディングの時をかける少女が流れる最後のシーンですね?竹原です。動画の7分33秒のあたりの場所と思われます。
@user-ro7qk9op5r みれたら素敵ですね~
ふたりが公開された頃に尾道にロケ地巡りに行きました、その後はハルカノヅタルジー公開後は小樽にも行きました。映画はほぼ映画館で見ました、監督の舞台挨拶にも何回も行きました。今はなくなりましたが監督スタッフ役者さんが行かれた、尾道の喫茶店TOMOにも行ってきました、当時はサイン帳が置かれていて記帳するとマスターが監督達が来られたときのスナップ写真を数枚くれました。
当時のロケ地巡りはすごいものだったと聞いております
その後月日は流れめぐる方はすくなくなりましたが、
ロケ地MAPから消されたタイル小路でたまにそれらしき
方を数回お見掛けしました。
20年以上経ち追悼2本と「ふたり時々・・」其の六まで
作りましたが、その後変わってしまった光景も多いようです。
小樽も行きましたが、仕事だったのでほとんどロケ地
には行けていません。
また尾道に行ける日が来る事を願っています。
其の六のラストにありあすように物語の千津子の命日
前後に訪れる方も多いようですね。
もし、「東京物語」を見る機会があれば、笠智衆さんが演じた平山周吉が用を足すため食事の席を外す場面がありますので注目してください。
また、香川京子さんが演じた平山京子先生が「(勤務先である筒湯小学校へ)行って参ります」と告げる場面が3度あることにも注目してください。
信じられないと思いますが、「時をかける少女」で尾美としのりさんが演じた堀川悟朗が不自然に「俺、ションベンに行って来る」と3度も告げたことは、実は「東京物語」と直接的な関係があったのです。
今回行けなかった黒岩山ですが、訪れた際にはぜひ"土曜日の実験室!"と叫んで岩からダイブお願いします。up動画絶対見ます!
「土曜日の、実験室~!」チャレンジしたみたいですが、自分にはテレポーテーションとタイムリープする能力は
無さそうなので動画はそのまま海の藻屑となりそうです・・・
去年から今年は尾道竹原に行けそうにないので、今後に期待頂ければと・・・
いや・・無理かなぁ…
あれっ、今日は40年の記念日なのに自分以外の書き込みがないってどういうことよ。
午後1時25分、立花先生の手当てを受けている頃だろ。
瓦を落としたい気分だろうね。
芳山君が助けてくれたら嬉しいですね。