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私は現在61歳ですが49年前の大学4年生の夏休みに、道内の国鉄全線乗車の時に、急行天北に乗車しました。原野の中で人工物の何も見えない景色や、オホーツク海の水平線、懐かしいです。
私は今、65歳です。小学入学前、母の実家に行くとき、行きは普通列車で帰りは浜頓別から急行天北に乗りました。50歳の時、興浜北線、天北線後の道路を通りましたが、すっかり変わっていて淋しかったです。子どもの時、連絡橋の上からみた風景がこの動画で見せていただき、懐かしくて、嬉しかったです。動画有り難う
懐かしい映像をありがとうございます。天北線には何度か乗り、急行天北にも下りだけですが、何回か乗りました。ただ、寝台車には乗れず、油断をすると「バタバタ」と煩い14系座席車でした。浜頓別に有った、ユースホステルに泊まり、興浜北線、南線乗ったのも懐かしい想い出今から40年ほど前の話
鬼志別駅懐かしいですね!急行天北は30秒だけしか停車しなくて、子供の頃よく見に行きました天北線と共に生きて来たのでとても懐かしく、そして寂しい感じがしました
DE 10が単機で6両編成を牽引。現在ではまずない光景ですね。
中頓別も浜頓別も鬼志別も、札幌へ直で行けた。小頓別も枝幸へのバスの乗り換え駅としてそれなりに重要だったし…
バスで行けるやん
何ていい音。DE10のエンジン音、同じく汽笛、14系客車のエンジン音、線路の継ぎ目、鬼志 別駅の接近音。鳥の鳴き声。心地良すぎる。
貴重な映像ありがとうございます。子供の頃、稚内発11時55分発の急行天北で札幌に行くのが楽しみでした。現在58歳です。
森の中をくぐり、サロベツ原野に抱かれて、クッチャロ湖やオホーツク海を寝台仕様の客車車窓からのんびり眺める...うらやましい限りです。せわしい現代には、こうした贅沢な時間は許されないのかな…ちょっと寂しいです。
寝台車が組み込まれる当時の急行の編成が好きでした。
動画アップありがとうございます。1982年夏に天北線は一回乗車しました。鉄道建設に大変苦労されただろうなあ。廃止は先人が築いてくれた資産を失う事だけど、ほとんど乗らない内地の人間が存続して!は無責任なので言えないでも、残して欲しかったなあ。複雑です。北海道の鉄道旅行の魅力がだんだんと減っていく。時刻表見ると寂しくなります。
中学生のころ友人と乗りました。ありがたいです。感謝いたします。
天北線には一度も乗れず残念です。今はスピード優先で客車列車でのゆっくりとした情緒ある鉄道の旅が出来ず残念です。
JR化の後に製造された車両は、実用一点張りで国鉄時代の個性ある車両がなく寂しいですね。私の記憶では急行「天北」が客車化される前の1970年代はキハ56系が使用されていたと思います。客車、急行型気動車による、のんびりした旅を楽しめなくなり寂しいですね。😢
当時は小学生だったので、結局天北線には乗らず終いだったのですが、この頃に戻れるなら是非稚内まで旅してみたいです。貴重な映像ありがとうございます!
動画は時空を超える。
高校、大学時代に夏のみ天北で帰省から戻ってました。(離島から夏はこの時間に間に合うよう連絡船が就航してたので日帰り可能でした)気動車時代も客車時代も乗りました。宗谷湾、旧炭鉱のあった曲渕、オホーツク海沿いの鬼志別、また山あいの中頓別など風景も走行速度もゆったりとした風情のある急行だったと思います。また乗れるなら一度乗ってみたい列車です
この『天北線』ほど、北海道でも3〜5本指に入る、牧歌的風景の真っ只中を走る長大ローカル線はこれと言ってまずないと思います。なぜなら、付属的な盲腸線の『興浜北線』と共に、冬場にはオホーツク海の流氷が車窓に展開するのが特徴的で、しかもかつての宗谷本線の初期ルートだったのもすごかったからだと思います。その経緯で昔から急行などの優等列車や貨物列車も運行されていたので、『天北』はそんな意味で伝統の優等列車なのかもしれません・・・
今はもう無いこの路線。当時の映像を観ると、今は無いことが信じ難いです。赤字を垂れ流す訳にもいきませんので仕方ないのは解ってますが、寂しく思うのは素直な気持ちです。配信ありがとうございます。
今思うと、北の果ての原野にブルトレが走っていたって信じられませんね笑現在、宗谷本線も廃線はされないと思いますが利用者はホントに少なく廃線レベルらしいです……かつての北の大地の栄光を感じました。貴重な映像ありがとうございます。
「音威子府までは残せよ!」とは思いますね!名寄駅までは高速化の工事完成しているから、その区間までは残せると思う!
返事に困る問題だと、鉄道の残すのも特にローカル線は国が面倒を見るべきだけど、一方は年間10億円以上の赤字の負担がある現状。特に上下6本の特急運行費用が負担になっている。何せローカル列車の数人しか乗らない現状では、安易に車社会の導入すべでは無かったと
@@kkkdd-yh4kp 特急がなくなったらそれこそ路線の存続意義がなくなる
14系客車時代の天北。何度か乗車したことがあり思い出の多い列車です。特に下りに連結されていた寝台車のヒルネ開放の車内からみる車窓は、ヨーロッパの列車のコンパートメントに乗車しているような気分にさせてくれたものです。貴重な映像。有難うございました。
中頓別いくと、ヨーロッパみたいな景色と思います。
すごい映像だ。。
ああ、旧国鉄のローカル線では、やはり北海道のは何としてでも現役時代にまわっておきたかったと思いますね、もう手遅れではありますが……。
もしも現在も天北線が存在していたら「スーパー天北」が走っていたのかも?
貴重な映像ありがとうございます。冒頭に出てきたDE10+14系座席車の編成が今現在東武鉄道で走っているDL大樹とそっくりに見えました。
キハ56のころは、よくゲロゲーロでしたね。B寝台仕様の自由席は横になっていれば天国。座っていれば落ち着かなかった(揺れるせいもありました)
初めまして。 一昨年、天北線の後を走る宗谷バスに乗りました。音威子府~稚内までです。天北線とほぼ同じ道を走っていると、バスの運転手さんから聞きました。何度かトイレ休憩があり、休憩所は元駅舎だったところが多かったです。今はなぜのんびりとローカル線に乗ることができないのか?とすごく疑問に思います。(営業収支を考えて廃止になったというのは理解できるのですが・・・) 貴重な映像をありがとうございました。
動画に写っていますその急行天北号は客車の場合は、札幌から名寄まではDD51が引き、名寄でDE10.DE15に付け替え、音威子府から天北線で稚内につく
天北線は線路状況がその辺のローカル線よりも悪い簡易線規格だったとか。よくそんなところで急行を走らせていたと感心するほどです。実際、DD51が入れずDE10を使ったり、揺れが激しかったりと運用側や乗客の苦労も多かったようですが。
天北線は丙線、最高速度は85km/hと言われていたようです💦
美しい。天北原野だ。
入れ替え用のDE11が誇らしげに見える。
天北線の機関車は、DE10.DE15が急行天北号や貨物列車や混合列車として営業していました。天北線から興浜北線に直通貨物列車として営業していました
何日もかかって撮影しタンスか?良い動画ですね。車で行ってみてるんすが、道路まで失くなっちゃったりせんかと、心配してます。
私が稚内に居た頃はまだ急行天北がキハで、急行宗谷がDD51牽引の客車編成時代でした。道北の機関車と言えばDE10 でしたが急行宗谷のDD51が単機稚内機関区で休息していたのが異彩を放っていました。ところで天北を牽引していたDE10 は札幌まで直行したのでしょうか?
お疲れ様です有難うございます!自分実家が南稚内駅前で懐かしいです♪JR職員のアパートが懐かしいです(笑)
天北線乗りたかった…なんて僕にはどうにもならないことですね。というのも僕が生まれた年は深名線が廃線になった年。深名線廃線当時で生後8ヶ月くらいでしたので。天北線どころか、名寄本線も、標津線も、歌志内線も、羽幌線も、広尾線も、富内線も既にないし、もっと言えば渚滑線、白糠線、手宮線、胆振線、万字線、幌内線もないですからね。昭和から平成の過渡期に国鉄再建法により多くの路線が消え、平成不況時にはほぼほぼ整理されていた、ってのが事実でしょうな。今住んでる会津若松には特急も急行もないですし。
2019年1月5日 DL大樹初乗車この間の正月休み最終日に、東武鬼怒川線DL大樹(DE10系14系)に初乗車呑み鉄旅を楽しみ、ディーゼル機関車牽引の客車に乗車するのはこれが初めてで、唸るディーゼルエンジンのキュルキュル音がたまらず、特にブルートレインでたまらないあのメロディ、ハイケンスのセレナーデのも懐かしく、生で聞くのは北斗星とSLパレオ以来で、旅情あふれる14系客車旅でした‼️また、いろんな電車たちにも会えたので最高でした‼️
乗りたかったなぁ
天北線はDD51は入線は不可能で、DE10/15が急行列車や貨物列車や混合列車の先頭に立つ。稚内から北見枝幸に直通する貨物列車や混合列車が有りましたね?
急行天北号の客車急行の時は、寝台車連結してもその車両は自由席で昼寝が可能でしたね?
JRに成ってからはDE10が優等列車を牽引してのは、急行天北と特急あけぼのは重連牽引でしたね。
天北線は揺れが酷かった印象。ガッコンガッコンと縦揺れしながら原野をぶっ飛ばすキハ22。
天北線、懐かしいな~急行天北にも乗車したことがあり、天北線内の揺れには驚かされた(οдО;)との記憶がよみがえってきました。懐かしの映像をありがとうございます。。。
腕木信号に客車列車の組み合わせ、映画に出てきそうなシーン!天北には一度乗りましたが、人家の見えない原生林が続き、ものすごい揺れだったのが印象と残ってます。
旧国鉄興浜北線や興浜南線に直通する貨物列車が有りましたね?
風情があるけど保線レベルが怖い
この天北線急行天北は樽見鉄道と並んでまさに、天北線のブルートレイン及び樽鉄ブルートレインですね‼️今、唯一ここだけのDE10牽引の14系客車は、鬼怒川線DL大樹のみですが、他にも鬼怒川線以外にDE10牽引の客車が現存する路線は、わたらせ渓谷鉄道 トロッコわたらせ号、富良野線 ノロッコ号、真岡鐵道 真岡号、木次線 出雲おろち号ですね‼️
鉄道があっての町作りもう今は廃村でしょうか?もったいない話。
貴重な映像ありがとうございますm(_ _)m
沿線住民が倍に増えても廃線は免れなかったかな
あれ? 「天北」って14系ハザのみだったような・・・!?
14系時代は急行「宗谷」および「利尻」との共通運用だったんですよ。上り「宗谷」の折り返しとなる便は全部座席車でしたが、下り「利尻」との共通運用便は座席車扱いとはいえ寝台車がありました。「宗谷」は逆に上りが寝台車連結編成だったようです。
なるほど、そうだったんですか!
今は無き旧天北線、DE10牽引14系客車の急行天北の貴重な映像、これは是非、道内で噂の現地調査RUclipsr INTERURBAN6304さんにおすすめしたい、貴重な映像で彼の今後の現地調査及び動画製作の参考になればと思います‼️また、DE10牽引の14系客車 急行天北号ですが、この間の新年初(2019年)の呑み鉄旅で初乗車した東武鉄道鬼怒川線観光列車、DL大樹を思い出しますね‼️ちなみに、鬼怒川線大樹、DE10牽引14系客車はまさに、急行天北や樽鉄の客車以来ではないでしょうか?
鬼志別かぁ、全逓猿払事件の舞台として法学徒にはあまりにも有名な地ですね(笑)
目先の損失で天北線を廃止するとは全くもってもったいない! あとで絶対後悔すると思う。
宗谷本線が不通になったときの迂回路線として、羽幌線、深名線とともに残すべきだっただろうに!
ね、まちがってるよ。
私は現在61歳ですが49年前の大学4年生の夏休みに、道内の国鉄全線乗車の時に、急行天北に乗車しました。原野の中で人工物の何も見えない景色や、オホーツク海の水平線、懐かしいです。
私は今、65歳です。小学入学前、母の実家に行くとき、行きは普通列車で帰りは浜頓別から急行天北に乗りました。50歳の時、興浜北線、天北線後の道路を通りましたが、すっかり変わっていて淋しかったです。子どもの時、連絡橋の上からみた風景がこの動画で見せていただき、懐かしくて、嬉しかったです。動画有り難う
懐かしい映像をありがとうございます。
天北線には何度か乗り、急行天北にも下りだけですが、何回か乗りました。
ただ、寝台車には乗れず、油断をすると「バタバタ」と煩い14系座席車でした。
浜頓別に有った、ユースホステルに泊まり、興浜北線、南線乗ったのも懐かしい想い出
今から40年ほど前の話
鬼志別駅懐かしいですね!
急行天北は30秒だけしか停車しなくて、子供の頃よく見に行きました
天北線と共に生きて来たのでとても懐かしく、そして寂しい感じがしました
DE 10が単機で6両編成を牽引。現在ではまずない光景ですね。
中頓別も浜頓別も鬼志別も、札幌へ直で行けた。
小頓別も枝幸へのバスの乗り換え駅としてそれなりに重要だったし…
バスで行けるやん
何ていい音。
DE10のエンジン音、同じく汽笛、14系客車のエンジン音、線路の継ぎ目、鬼志 別駅の接近音。鳥の鳴き声。
心地良すぎる。
貴重な映像ありがとうございます。子供の頃、稚内発11時55分発の急行天北で札幌に行くのが楽しみでした。現在58歳です。
森の中をくぐり、サロベツ原野に抱かれて、クッチャロ湖やオホーツク海を寝台仕様の客車車窓からのんびり眺める...うらやましい限りです。
せわしい現代には、こうした贅沢な時間は許されないのかな…ちょっと寂しいです。
寝台車が組み込まれる当時の急行の編成が好きでした。
動画アップありがとうございます。1982年夏に天北線は一回乗車しました。鉄道建設に大変苦労されただろうなあ。廃止は先人が築いてくれた資産を失う事だけど、ほとんど乗らない内地の人間が存続して!は無責任なので言えないでも、残して欲しかったなあ。複雑です。北海道の鉄道旅行の魅力がだんだんと減っていく。時刻表見ると寂しくなります。
中学生のころ友人と乗りました。ありがたいです。感謝いたします。
天北線には一度も乗れず残念です。今はスピード優先で客車列車でのゆっくりとした情緒ある鉄道の旅が出来ず残念です。
JR化の後に製造された車両は、実用一点張りで国鉄時代の個性ある車両がなく寂しいですね。私の記憶では急行「天北」が客車化される前の1970年代はキハ56系が使用されていたと思います。客車、急行型気動車による、のんびりした旅を楽しめなくなり寂しいですね。😢
当時は小学生だったので、結局天北線には乗らず終いだったのですが、この頃に戻れるなら是非稚内まで旅してみたいです。
貴重な映像ありがとうございます!
動画は時空を超える。
高校、大学時代に夏のみ天北で帰省から戻ってました。(離島から夏はこの時間に間に合うよう連絡船が就航してたので日帰り可能でした)
気動車時代も客車時代も乗りました。
宗谷湾、旧炭鉱のあった曲渕、オホーツク海沿いの鬼志別、また山あいの中頓別など風景も走行速度もゆったりとした風情のある急行だったと思います。また乗れるなら一度乗ってみたい列車です
この『天北線』ほど、北海道でも3〜5本指に入る、牧歌的風景の真っ只中を走る長大ローカル線はこれと言ってまずないと思います。
なぜなら、付属的な盲腸線の『興浜北線』と共に、冬場にはオホーツク海の流氷が車窓に展開するのが特徴的で、しかもかつての宗谷本線の初期ルートだったのもすごかったからだと思います。
その経緯で昔から急行などの優等列車や貨物列車も運行されていたので、『天北』はそんな意味で伝統の優等列車なのかもしれません・・・
今はもう無いこの路線。当時の映像を観ると、今は無いことが信じ難いです。赤字を垂れ流す訳にもいきませんので仕方ないのは解ってますが、寂しく思うのは素直な気持ちです。配信ありがとうございます。
今思うと、北の果ての原野にブルトレが走っていたって信じられませんね笑
現在、宗谷本線も廃線はされないと思いますが利用者はホントに少なく廃線レベルらしいです……
かつての北の大地の栄光を感じました。貴重な映像ありがとうございます。
「音威子府までは残せよ!」とは思いますね!名寄駅までは高速化の工事完成しているから、その区間までは残せると思う!
返事に困る問題だと、鉄道の残すのも特にローカル線は国が面倒を見るべきだけど、一方は年間10億円以上の赤字の負担がある現状。特に上下6本の特急運行費用が負担になっている。何せローカル列車の数人しか乗らない現状では、安易に車社会の導入すべでは無かったと
@@kkkdd-yh4kp 特急がなくなったらそれこそ路線の存続意義がなくなる
14系客車時代の天北。何度か乗車したことがあり思い出の多い列車です。特に下りに連結されていた寝台車のヒルネ開放の車内からみる車窓は、ヨーロッパの列車のコンパートメントに乗車しているような気分にさせてくれたものです。貴重な映像。有難うございました。
中頓別いくと、ヨーロッパみたいな景色と思います。
すごい映像だ。。
ああ、旧国鉄のローカル線では、やはり北海道のは何としてでも現役時代にまわっておきたかったと思いますね、もう手遅れではありますが……。
もしも現在も天北線が存在していたら「スーパー天北」が走っていたのかも?
貴重な映像ありがとうございます。冒頭に出てきたDE10+14系座席車の編成が今現在東武鉄道で走っているDL大樹とそっくりに見えました。
キハ56のころは、よくゲロゲーロでしたね。B寝台仕様の自由席は横になっていれば天国。座っていれば落ち着かなかった(揺れるせいもありました)
初めまして。 一昨年、天北線の後を走る宗谷バスに乗りました。音威子府~稚内までです。天北線とほぼ同じ道を走っていると、バスの運転手さんから聞きました。何度かトイレ休憩があり、休憩所は元駅舎だったところが多かったです。今はなぜのんびりとローカル線に乗ることができないのか?とすごく疑問に思います。(営業収支を考えて廃止になったというのは理解できるのですが・・・) 貴重な映像をありがとうございました。
動画に写っていますその急行天北号は客車の場合は、札幌から名寄まではDD51が引き、名寄でDE10.DE15に付け替え、音威子府から天北線で稚内につく
天北線は線路状況がその辺のローカル線よりも悪い簡易線規格だったとか。
よくそんなところで急行を走らせていたと感心するほどです。
実際、DD51が入れずDE10を使ったり、揺れが激しかったりと運用側や乗客の苦労も多かったようですが。
天北線は丙線、最高速度は85km/hと言われていたようです💦
美しい。天北原野だ。
入れ替え用のDE11が誇らしげに見える。
天北線の機関車は、DE10.DE15が急行天北号や貨物列車や混合列車として営業していました。天北線から興浜北線に直通貨物列車として営業していました
何日もかかって撮影しタンスか?良い動画ですね。車で行ってみてるんすが、道路まで失くなっちゃったりせんかと、心配してます。
私が稚内に居た頃はまだ急行天北がキハで、急行宗谷がDD51牽引の客車編成時代でした。道北の機関車と言えばDE10 でしたが急行宗谷のDD51が単機稚内機関区で休息していたのが異彩を放っていました。ところで天北を牽引していたDE10 は札幌まで直行したのでしょうか?
お疲れ様です有難うございます!自分実家が南稚内駅前で懐かしいです♪JR職員のアパートが懐かしいです(笑)
天北線乗りたかった…なんて僕にはどうにもならないことですね。
というのも僕が生まれた年は深名線が廃線になった年。深名線廃線当時で生後8ヶ月くらいでしたので。
天北線どころか、名寄本線も、標津線も、歌志内線も、羽幌線も、広尾線も、富内線も既にないし、もっと言えば渚滑線、白糠線、手宮線、胆振線、万字線、幌内線もないですからね。
昭和から平成の過渡期に国鉄再建法により多くの路線が消え、平成不況時にはほぼほぼ整理されていた、ってのが事実でしょうな。
今住んでる会津若松には特急も急行もないですし。
2019年1月5日 DL大樹初乗車
この間の正月休み最終日に、東武鬼怒川線DL大樹(DE10系14系)に初乗車呑み鉄旅を楽しみ、ディーゼル機関車牽引の客車に乗車するのはこれが初めてで、唸るディーゼルエンジンのキュルキュル音がたまらず、特にブルートレインでたまらないあのメロディ、ハイケンスのセレナーデのも懐かしく、生で聞くのは北斗星とSLパレオ以来で、旅情あふれる14系客車旅でした‼️また、いろんな電車たちにも会えたので最高でした‼️
乗りたかったなぁ
天北線はDD51は入線は不可能で、DE10/15が急行列車や貨物列車や混合列車の先頭に立つ。稚内から北見枝幸に直通する貨物列車や混合列車が有りましたね?
急行天北号の客車急行の時は、寝台車連結してもその車両は自由席で昼寝が可能でしたね?
JRに成ってからはDE10が優等列車を牽引してのは、急行天北と特急あけぼのは重連牽引でしたね。
天北線は揺れが酷かった印象。ガッコンガッコンと縦揺れしながら原野をぶっ飛ばすキハ22。
天北線、懐かしいな~
急行天北にも乗車したことがあり、天北線内の揺れには驚かされた(οдО;)
との記憶がよみがえってきました。懐かしの映像をありがとうございます。。。
腕木信号に客車列車の組み合わせ、映画に出てきそうなシーン!
天北には一度乗りましたが、人家の見えない原生林が続き、ものすごい揺れだったのが印象と残ってます。
旧国鉄興浜北線や興浜南線に直通する貨物列車が有りましたね?
風情があるけど保線レベルが怖い
この天北線急行天北は樽見鉄道と並んでまさに、天北線のブルートレイン及び樽鉄ブルートレインですね‼️今、唯一ここだけのDE10牽引の14系客車は、鬼怒川線DL大樹のみですが、他にも鬼怒川線以外にDE10牽引の客車が現存する路線は、わたらせ渓谷鉄道 トロッコわたらせ号、富良野線 ノロッコ号、真岡鐵道 真岡号、木次線 出雲おろち号ですね‼️
鉄道があっての町作りもう今は廃村でしょうか?もったいない話。
貴重な映像ありがとうございますm(_ _)m
沿線住民が倍に増えても廃線は免れなかったかな
あれ? 「天北」って14系ハザのみだったような・・・!?
14系時代は急行「宗谷」および「利尻」との共通運用だったんですよ。
上り「宗谷」の折り返しとなる便は全部座席車でしたが、
下り「利尻」との共通運用便は座席車扱いとはいえ寝台車がありました。
「宗谷」は逆に上りが寝台車連結編成だったようです。
なるほど、そうだったんですか!
今は無き旧天北線、DE10牽引14系客車の急行天北の貴重な映像、これは是非、道内で噂の現地調査RUclipsr INTERURBAN6304さんにおすすめしたい、貴重な映像で彼の今後の現地調査及び動画製作の参考になればと思います‼️また、DE10牽引の14系客車 急行天北号ですが、この間の新年初(2019年)の呑み鉄旅で初乗車した東武鉄道鬼怒川線観光列車、DL大樹を思い出しますね‼️ちなみに、鬼怒川線大樹、DE10牽引14系客車はまさに、急行天北や樽鉄の客車以来ではないでしょうか?
鬼志別かぁ、全逓猿払事件の舞台として法学徒にはあまりにも有名な地ですね(笑)
目先の損失で天北線を廃止するとは全くもってもったいない! あとで絶対後悔すると思う。
宗谷本線が不通になったときの迂回路線として、羽幌線、深名線とともに残すべきだっただろうに!
ね、まちがってるよ。