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僕らの本が発売されました!買ってね!近代から現代まで時空を超えてインタビュー!? 「日本と世界」が同時にわかる すごい歴史 amzn.asia/d/gOULRIl訂正→8:16~図で【葦屋河原の戦い】とありますが正しくは【葦屋浦の戦い】です。戦国の戦いとゴッチャになってました失礼しますm(__)m【屋島の戦いで説が分かれてるところ】『義経は軍を分けて2方向から攻撃を開始した説』これは軍事的にあまりにもないので、たぶんないかと。待ち伏せ奇襲ならまだしも150~300の小勢という超劣勢で軍をわける道理がちょっとわからん(絶対ではないけど『義経は愚将か?』たしかに一ノ谷も屋島も失敗してたら、ただの無謀・愚策で終わるんだけど、義経はそれを成功させちゃう豪運と剛胆さを持ってる……どちらも名将の条件の要素です~しかもどこに一撃を加えたら敵のバランスが崩れるのかを摑む嗅覚もある。だから副社長的には「全軍の大将や戦争指導者は向いてないけど、部隊や一軍を率いて戦う野戦指揮官」としてはすげぇじゃないかと。キングダム的にいうと本能型の将って感じ。いや~実は1月は不幸続きが続きでマジで参った。ぴろすけがコロナでバタキュ~したり、それで濃厚接触者になったと思いきや母ちゃんが倒れちゃって・・・良くない事って重なるっていうけどまさにと思ってしまった(ガクブル良かったらチャンネル登録、評価、コメよろです~
クラウゼビッツは経営者向きで、ジョミニは指揮官向きと言われた事がある。頼朝はクラウゼビッツタイプ、義経はジョミニタイプだった見えます。ただ、この中で義経とジョミニが違う点としてジョミニは政治が軍事の細部までの介入は嫌う性質は有るものの基本的には政治からのコントロールを外れる事が無いのに対して義経は政治からのコントロールを外れてしまったのも義経が身を滅ぼす原因になったと言えます。
@@2000me たしかにそうですねw政治・戦略タイプと作戦・戦術タイプの違いですかね。義経の欠点は政治のコントロール・・・頼朝の政治的ビジョン・思惑・立場、性格を読み切れなかった事にあります。彼は頼朝という冷徹家の政治的立場を理解していれば言動や【後白河法皇の関係】という危うさにも気づけたかもしれません。ただ、そうなると彼の良さも消えてしまう可能性もあるのでやはり政治家と軍人の関係は難しいところではあるのかなと
@@非株式会社いつかやる 義経やそれ以前から今に至るまで政治と軍の関係とは決して良い関係を築けてないのが残念。政治に足を引っ張られ致命的な結末を招いたり、或いは軍に政治が引きずられ取り返しのつかない破滅を招いたりといつも政治と軍の関係が良好な関係を保ていない、もしかしたら政治と軍の関係はバランスを微調整しながら歩むしかないのかも知れない。
jvはjーc音女がggvjmっjt 9:00 、j 9:00 うちうcおに😮😮😊やうb
いいいういっy
高松に住んでいる者です。屋島の戦いに関わる伝承は市内のあちこちにあります(那須与一が弓を扇を打ち落とすときに馬を立たせた岩や、血の付いた刀を洗って真っ赤になった池など)。この動画を観て改めて源義経の戦略を学ぶことができました。
平家も決してやられっぱなしではなかったんですね。それでも範頼や義経があまりにも強すぎて太刀打ちできなかったのがよくわかります。歴史の授業だと勝敗の結果だけ習いますが、この動画を見ていると結果に至るまでの過程ではしのぎを削る場面が幾重にもあったことが知れてとてもためになります。
その時の政治背景も含めた丁寧な解説、ほんと助かります。いつもありがとうございます!
一応、軍事的な話をメインにしてるので、これでも政治的背景はどうにかギュッと圧縮してますwでもそういってもらえると副社長もホクホク(*・ω・*)
サラッと言ってるけど海になれない源氏軍を地元の武士を懐柔して九州上陸して勝ってる範頼普通に凄いんだよなあ……
そりゃ頼朝も全部終わった後に始末するわな…
ありがとうございます!
鎌倉殿の13人が終わっても、詳細解説、あざっす!鎌倉殿ロス勢にとっては、嬉しい限りです!
ありがとうございます!続編が楽しみです!
安定感のある範頼と尖ってる義経の感じ好き
9:26 義経発射!すき
8:50 行きのガソリンしか入れてなかったでしばらく笑い止まらなかったw
面白かったです!
聞けば聞くほど、日本のアレキサンダー感があって好きだなぁ陸から海を制す脳筋な感じも、今回の悪天候の渡海も、この源平合戦シリーズでアレキサンダー戦記を思い出しますw
普通の将が迷ったり、失敗するところを、ゴリゴリに押し通して成功させるあたり義経の凄みがあります。アレキサンダーや謙信と一緒で理屈じゃすべてを説明できない奴ですw学や合理性で義経は計れないところが多々ありますw
頼朝がなぜ義経に激怒していたのかがよくわかりました。これは頼朝が望むような「勝利」ではなかったのですね。
悪手の極みですね
義経に政治が解る参謀が居たら結果は違ったかも知れない。もっとも、義経の性格ではそんな参謀も使いこなせなかったかもしれない。
そうですね~頼朝の心境としては複雑だったと思います。勝利したからなんも言わないけど、義経にはかなりイラッとした可能性が高いですw頼朝としてはやはり安徳天皇と特に三種の神器は奪還したかったと思います。朝廷に対してめっちゃ有利に働きますし、自分の立場を強力に固める事もできますし。ただ使い方を誤れば争いの火種になるかもしれませんが・・・
頼朝さんって、義経さんにちゃんとその辺り教えてあげたのかな?話し合いの少なさに伴う、意思疎通の不備に端を発してないかな。頼朝「これこれ、このと~りだからちゃんとその辺り考えてね?」義経「はい、判りました。しゃ~、首じゃ~!大将首は俺のもんぞぉ~!」頼朝「判ってねぇ~・・・こいつなんなん?純粋培養の鎌倉武士?」
@@ms-06jii90 義経は鎌倉武士じゃありませんよ。奥州平泉です
久方ぶりの解説ありがとうございます!楽しかったです!!やっぱり義経の戦機の見抜きっぷり変態的ですらありますね!次回壇ノ浦も楽しみにしてます!!!
やっぱり義経って名将だねー有り得ん勝ちを重ねすぎ✌️
義経に隠れとるけど統率力含めて範頼の頑張りデカイ
でかいです。範頼が仕事をしたから彦島の平家が動けず、義経の屋島の勝利を後押ししました。平家は活発的かつ柔軟的な作戦を行えず、反撃の芽を積んだ感じです。
副社長の 1:50そぉうそぉうそぉうそぉうの癖があまりにも好き
範頼の堅実な動きと義経の果断な動きがマッチした感じがスゴい。しかし、やっぱこのリスクのある決断を取れる義経はやっぱ名将と言うべきでしょうね。一の谷の時もそうだけど、ただ匹夫には出来ない状況判断がある。
範頼も仕事できる武将ですね!
最高に面白く、深い理解ができた!ありがとうございます!
このシリーズ本当に楽しみにしてます!!
久しぶりの源平合戦
副社長いつも解説ありがとうございます。 とても面白く分かりやすい解説でした。 戦争を知る事は歴史を知る事と同じですね。
義経って項羽ぐらい人外エピソード多いな。
最後に勝ったのが政治力の高い劉邦(頼朝)という点も似てて面白いですね。
鎌倉殿でもそうだけど、やっぱり源義経って人間はどこまでも武人なんだよなw政治的な結果よりも戦の勝機を逃すことを良しとせずに勝機と見れば即断即決で動いて勝ちをもぎ取る。周りからは無茶無謀と言われても、しっかり自分の頭の中で合理的に考えてそれを行動に移せる将って事が分かる笑ただ、皮肉な事にこう言う思惑の違いの積み重ねが兄と確執を生む事になったのは、やっぱり歴史っておもろしいなって思う
政治を理解せず戦争は強い始末するしか無い存在ですね五胡十六国の石虎とはタイプは違うと思いますが危なさは同等かそれ以上ですかな?
源平合戦シリーズ続編待ちかねておりました。制作ありがとうございます。
奇計奇策をもって戦える武将はほんとに強い。しかし、奇計奇策は諸刃の剣であり、凡人がやっては失敗することが多い。だから義経というのは天才だったのだと思う。凡人で奇計奇策を使おうとしたいい例が牟田口廉也のインパール作戦。
それなんですよ~運と状況を読み通す力がない将がやったらインパールになります。
桜間城近辺から引田へ向かう道を車でドライブしたことありますが・・・とんでもない山道でした😅徳島引田1号線の大坂峠辺りはエグいです。義経が2日足らずで行軍してしまったのかは恐るべしですね。ある意味戦に勝つより凄い!
知ってるつもりの歴史も、もう一段深く知る事ができる!軽快で愉快な語りも楽しいです!
詳しいことは知らなかったから勉強になりました。動画が有ると分かりやすいですね。
義経が凄いのは勿論だけど関東から九州(その後東北)まで不慣れな土地で戦い続け勝ち続けた坂東武者の組織力がチート過ぎる
そこらへんは頼朝の力が大きいですね。ただ平家討伐軍の補給などに関して不手際なところが見受けられます。まぁ、当時の板東武士はこんな規模の戦争も遠隔地の軍事活動をしたことないからしょうがないっちゃしょうがない。
最高の動画、マジありがとうございます
7:38笹無山の話だ(岡山県民並感)
お、知ってますね~アニメ【日本昔話】でも屈指の鬱回『笹無山』!子供の頃見て、あまりにも悲惨すぎて固まった記憶がありますw
体力お化けだなぁぁ!!強すぎる!
地元だ〜!やっぱ屋島の戦いというより牟礼の戦いだなぁ
まさにそれw
こう見ると盤ゲームのオセロって実に日本的ですねえ、ピンポイント戦で一気にひっくり返るw少なくとも西洋戦史は相手殲滅とかですもんね。
次が待ち遠しい!!早くみたい!
壇ノ浦、待ってます😊
兵糧ゲージ好きw
18:18 那須与一が射た後に平家の武士が見事だと踊って誉めた時に、義経は「あいつムカつくから射れ」と命令して殺させました。ちなみに那須与一の兄は平家につき、後に与一は奥州藤原氏を滅ぼす戦いに頼朝軍の一員、御家人の一人として従軍しています。会社の社長の後継者であるお坊ちゃんに命令される会社の人と考えると面白い人物です。あと度々出てくる義経の民家焼き、これを躊躇わず行う義経の冷徹な戦術眼は見事ですが、代わりに奥州藤原の息のかかった家人や自分の直属の部下以外には反感を買ったりしてここからさらに御家人たちからの信頼を損ねていきます。勝ち方にこだわらないその姿勢は、現代であっても歴史上であっても周囲から非難されています
佐々木憎けりゃ笹まで憎い!ていう、まんが昔ばなしがあったなぁ。
奥州征伐まで観たいです。
屋島にも壇ノ浦って所があって、ここが源平合戦の最後の舞台だったのかと数年前まで思い込んでた。
今日も副社長の髪は良い跳ね具合ですね。
光GENJIの対義語→闇HEIKE
どっちかと言うと、源氏物語の方じゃないのかな?
無知がいるなあ
平家Chaos
平家派
「源氏しに候え」が枕詞になりそうグループ名
やっぱり、海上先生の話聞くと場当たり的な武将
絶対本買う‼️
大河ドラマの『平清盛』が大好きで、『鎌倉殿の13人』ロス中だったので動画楽しみにしてました!色々大変な中、UP有難うございます🙏!行きのガソリンしか調達出来ない中善戦する有能な範頼、休みを取らず急襲する義経の機動力(豊臣秀吉の中国大返しみたい)🌊🏍️🌀。坂東からの遠征で海戦が苦手故に必死な源氏、海戦で巻返しを図ろうとして『態勢を整える』事に重きを置いた故に対応が遅かった平氏の差が出たのかなと動画を見て思いました。『鎌倉殿〜』で詳細が省かれた合戦の内容を動画で知る事が出来ました🙏!いよいよ『壇ノ浦』ですね。。。😭
義経の神速侵攻が成功したのも当時の源氏勢力の士気が相当高かったのだろうな。
屋島の戦いは屋島周辺に戦跡が点在しているし、島の呼び方にも影響を与えてたり、平家敗残兵の子孫も多く居たりで平家とかなり深い関係があるのが香川県と徳島県だったりするちなみに志→度↑ではなく志→度↓だお
そうなんか志→度↓なんすね。思わず発音の練習をしてしまった。
@@非株式会社いつかやる 自分のいる地域だと→↓なんですが、違う地域もあるかもしれません…もし違うようならなんとお詫びすれば良いか…
@@魚醤-u8r うん?違ってたらこれはアップ動画を毎回、食い入るように見なきゃいけませんね~(ゴゴゴゴゴゴ
@@非株式会社いつかやる 毎回食い入るように見てますぜ!兄貴!
待ってました!
彦島というと、長州の高杉が古事記云々の島ですねイギリスが租借要求するだけに要地ですね。ここ要塞化されると詰むわ
勝ったは勝った戦。ただ頼朝からすれば自分を飛び越えて独断でやった上に、政治的にも不味い手段をやったから二重の意味で「は?」とはなりますよね……。兄弟の確執は起こるべくして起きたという感じですね
義経の勝利は嬉しい反面、頼朝はあまりいい気はしなかったはずね。後白河の疑惑もあるし、独断での弟の勝利と神器の奪還の失敗もあるし。この独断が無かったら、義経は後々生きてたのかな?
屋島の戦い来たぁぁぁ😭引き続き壇ノ浦もよろしくお願いします🥹
うどん県民ですが屋島にもだんのうらがありますよ🎵檀ノ浦だけどね。那須与一の扇との距離ですが、跡がありら案外近いですよ。ドラマは遠すぎ
安徳天皇のこれ以前の動きは大変すぎますよね。太宰府を頼り福岡や大分を転々とし、結局屋島へ。地元には壇ノ浦前後に逃れてきた姫?の話が言い伝えとして残っています。
奇襲を重視する戦術眼の凄さはロンメルに通じると思いました。政治的な窮地に結び着くところも同様ですが。ロンメルの場合は国民の英雄に祭り上げられながらも、自軍を率いる自分自身が司令官として補給線を確立しなければならない事に気付かず それをイタリアに任せっ切りにして前進を続けて窮地に落ち入ってしまいました。更には国民英雄となってしまった為にヒトラーからは死守を命じられ政治的に追い詰められてしまいました。この点は義経とは異なりますが戦術眼と政治的な立場は似通っていると感じました。長文失礼しました。
壇ノ浦の戦いも見たいですね。
再生一回で見れた
清盛全盛期平家と義経が戦ったらどちらが勝つのだろう?
やっと来た合戦
源平合戦も終わりが近づいてるなぁ。
平氏と平家は別物。平家とは平氏の中の平清盛一党限定のことで、伝統的な平氏一族とは利害が異なっていた。平氏とは桓武天皇がその勢力を拡大するために遠縁まで含めて氏族を武装させたもので、その戦力で関東・東北に遠征したので、関東には平氏の一族が多い。北条氏は平氏。源氏は嵯峨天皇が桓武平氏勢力に対して巻き返しを図り、同様に氏族を武装させた。源氏の勢力は西日本に多い。源平合戦の思い込みで、東の源氏、西の平氏が日本の常識になっているが、実態は逆。そのため平家は畿内と瀬戸内の海運の要所しか抑えておらず、平家にとって西日本はアウェイだった。なのでホームである源氏側は何度も奇襲を成功させる。平家一党が平氏一族に利益分配せず、瀬戸内・南宋貿易の利権を独占したため、関東の平氏が源氏と連合して平家を放逐した、というのが源平合戦の背景。関東は平氏(北条氏)のホームなので、平家討伐が終わって用済みになった源頼朝の家系は暗殺され、鎌倉幕府は北条氏(平氏)が実験を握った。それをひっくり返して京都に政治の中枢を戻した足利氏は源氏の一族。
副社長はなかなかやる。
小勢になればなるほど軍を分割するもので、単純に指揮統制が容易で相手の攻撃を分散できるので2方向攻撃は自然義経が本当に得意なのは大軍の指揮や兵站や戦争指導、でなきゃ反乱鎮圧も治安維持任務も失敗してる義経の不幸は頼朝が大将の器じゃないこと、それだけ(鎌倉幕府の悲惨な統治能力は・・・)
地元きたー
結末を知ってるからって訳じゃないけど終幕が近づくにつれてどうしても物悲しい雰囲気になりますね
義経さんサイコー👍😍👍
いつも面白く勉強になる動画ありがとうございます!義経が頼朝の言うことを聞かずに戦果をあげてしまったところが、後々の不和の原因になりそうですね。会社と一緒で、優秀で影響力があり、言うことを聞かない社員は他社員も連れて独立しそうですし
義経が少しでも政治に関する能力(言動の裏を読む)があればな…。確か後白河に検非違使にしてやると言われて喜んで受けてしまった話があった(頼朝の部下であるのに許可を受けず無断任官)。無断任官したらそりゃあ兄貴も怒るよ…
ふと思い出した中学の時、古文で那須与一のやつ、やったわあの当時は「古文なんか意味わからん、昔の人たちは凄いよな、こんな意味わからん言語を理解して使いこなしていたんだから」と昔の人たちを尊敬していた
面白い動画です。
範頼すごすんぎ
地図上で、平家でも源氏でもない支配地はどうなってるんでしょう?当時の舟で馬を運べたの?一度、屋島に行った事があったけど、そこに壇ノ浦があった😅
いつかやるさん!!!関東周辺ばっかり行ってんと!!!関西にもロケ?出張?来てよ😭!!!
義経は敵が背後から上陸しようとしていることをどうやって知ったんだろう?
確かにそうですね!近隣住民から情報提供してもらったり、斥候を放っていたりしてたのかな
対応が早いあたり、たぶん志度だけじゃなく四方を警戒する斥候を放っていたのでしょう。
ノリさんが善戦する中、石橋さんで有名な彼が「憎まれっ子世に憚る」って言って鎌倉にとんねるずするんですね。
地元の方に平家の落人の昔話が残ってたなあ、となんか思い出した
8:10 芦屋河原?葦屋浦?
おお、葦屋浦でした!ご指摘感謝ですm(__)m
やはりロジの重要性を再認識。ロジ方面の手当てが出来てない集団は奇襲テロしか出来ないが、多少の時間差で間に合うシュチュエーションを引き寄せるパワー味と勘・指導力はさすが…。 しらんけど
三国志のエピソードもやってほしいなぁ~
人力でここまでするなんてやばすぎでしょ
源平合戦!?「平」は平和主義なのに、襲われただけと思います😌 現世でよく経験しますが世のため人のため頑張ります✊
義経にマトモな政治的感覚が有れば、歴史は変わったんだろうな。会社でも、仕事をやれば出来る人でも上司命令を無視する独断専行人はアカン。組織がデカくなれば邪魔者になる。
次も、楽しみ
どこが敵の弱点か、いつがチャンスか的確に見える武士はこの時代にはほぼいないだろうな。
結局別の義経説てどーなんだろな~‥寺育ちの奴がこんな戦できるわけないて話だが‥ま、とりあえず頼朝に嫌われよーがこの脳筋な戦いぶりは嫌いじゃない
義経に政治力があったとしても後に粛清されそうですよねぇ……やっぱり……
壇之浦行ったけど意外と狭いんですよね
今埋め立てられて昔より狭くなったんじゃなかった?
香川に入ってからの行軍ルート地元民考察長尾街道と新田街道通って牟礼へ→白羽や菜切ら辺の家を焼く(六万寺辺りも焼いてるんじゃないか…?)→赤牛崎から屋島に上陸→壇ノ浦の御所から平家を追い出す→一部を浜に残して菜切ら辺で寝る→牟礼浜で戦う&扇の的→志度街道通って大町の川西、川東辺りで戦った?なんで志度街道を最初から通って来なかったのか?峠越えは機動性に良くなかったってことかな。それか津田辺りで海沿いを通るから攻撃される可能性を危惧した??志度からの上陸隊は琴電で言う八栗新道ら辺の方がちょうど谷になってるから源氏に地の利めっちゃありそうなんだけど川西、川東で戦ってるんよなぁ…上陸したばっかで戦う準備の出来てないとこを狙ったんかな
ニコメ目源平の他に三番手 四番手の勢力ていたんでしょうか?
時代のよって順位は変わりますが、奥州藤原氏、後白河法皇の朝廷、源氏の中でも甲斐源氏、木曽義仲、源行家などの勢力はいましたがこちらは頼朝が蹴落としましたって感じです
@@非株式会社いつかやる ありがとうございます。平安末期は同士戦多すぎ…。
那須与一の件で壇ノ浦に行ったわけでなかったのね。中国・九州が源氏に落ちたのはこれらの戦いで分かったが、四国の坂出あたりから西側から愛媛県あたりがあっさり源氏側に着いたの平氏あんま評判悪かったんだろうな。
やっぱり、ふくしゃちょーの戦術解説は楽しいですね^^
制海権取られてたのに、範頼軍は九州に上陸できたのか
先の大戦中、なぜ英国海軍が圧倒的な海上優位を築いていたのにドイツ海軍艦隊がドーバー海峡を通過する事が出来たのか?…に近い話???
@@bingosaru 少数による上陸とか、通過ではなく、九州を制圧するための大規模な上陸もできるのかーって思いました。
後知恵かもしれないけど…天候の回復と主力の集結を待って決戦を求めても、安徳天皇と神器が事前に逃がされていた場合、よほど一方的な勝利でないかぎり屋島を奪っても史実のように大勢が一気に傾く可能性は低くなるのではないでしょうか。損耗した軍勢で瀬戸内を追撃する、または屋島を維持している間に平家が体制を立て直せば決定的な勝利を得られなくなり、源氏の目指す新秩序(あるいは義経自身の権威?)が不十分なものになりかねない。どのみち安徳天皇と神器が逃げるなら奇襲をしかけ、海に押し出された平家が義経の主力から逃げたという状況を演出した方が得ですから。…こんなことを考えていたかはわかりませんが、じゃあ少数で嵐の海渡っちゃお、って実行しちゃう義経やべぇ…
そこは難しいところですね~たしかに主力の集結後に屋島で決戦を挑んでも、予め安徳天皇と神器だけ逃してた可能性はあります。ただ、問題は九州と中国が範頼によって抑えられてしまってた事です。こうなると屋島から彦島に逃す場合はそれなりの戦力をお供させなきゃいけないから屋島での決戦兵力に支障がでます。加えて平家は是が非でも屋島を奪われるわけにはいきません。となるとは木曽義仲を水軍でコテンパンにした事もある平家軍は海での戦闘はかなり自信をもってたので、神器と安徳天皇を押し立てて決戦をした可能性もあるかと。実際、どうなってたかはわかりませんが範頼の働きと安徳天皇・神器が平家軍の動きに制約をかけてたって感じがします。
神器と安徳天皇を押し立てて決戦をした可能性、たしかにそちらの方がありそうな気がしてきました…屋島は生命線なので全力で死守、さらに得意の水軍を以って源氏方の主力を決戦で撃破できれば戦況に影響を及ぼせそうですし。ではなぜ義経は危険を冒してまで奇襲を敢行したのか…中国九州の失陥で、時間をかけることは源氏有利に作用すると思われるのに?その正面からの決戦というリスクを避けたかった?じゃあ奇襲しよう→嵐でも渡海しよう→伊予に主力が分散してるうちに攻めよう→そのうち味方の船団くるでしょ、みたいな、屋島を取れると思ったから取れるうちに取ったれ、みたいな神懸かり的アドリブの連続の結果なのか…義経が、安徳天皇・神器を屋島で抑えるか彦島に追い込むかに大きな違いはない、と考えていたならばチャンス(と義経だけが感じた)を優先したのか…やはり凡夫の自分には計り知れないw
「世間一般では、苦戦したって言うんですよwww」とか告げ口した、共同通信武者が居た訳だ。
名将は運をも味方につけるから強いよね。逆に言うと運が無い人は。。笑
副社長の解説動画、再生速度を落とすと酔っぱらったおっさんに聞こえる。7.75倍:えー感じに酒廻ってるなぁ0.5倍 :かなり酔っぱらってんなぁ0.25倍:ダメだ誰か介抱してやれごめんなさい。
声もてあそばれてて草
僕らの本が発売されました!買ってね!
近代から現代まで時空を超えてインタビュー!? 「日本と世界」が同時にわかる すごい歴史 amzn.asia/d/gOULRIl
訂正→8:16~図で【葦屋河原の戦い】とありますが正しくは【葦屋浦の戦い】です。戦国の戦いとゴッチャになってました失礼しますm(__)m
【屋島の戦いで説が分かれてるところ】
『義経は軍を分けて2方向から攻撃を開始した説』
これは軍事的にあまりにもないので、たぶんないかと。
待ち伏せ奇襲ならまだしも150~300の小勢という超劣勢で軍をわける道理がちょっとわからん(絶対ではないけど
『義経は愚将か?』
たしかに一ノ谷も屋島も失敗してたら、ただの無謀・愚策で終わるんだけど、義経はそれを成功させちゃう豪運と剛胆さを持ってる……どちらも名将の条件の要素です~
しかもどこに一撃を加えたら敵のバランスが崩れるのかを摑む嗅覚もある。
だから副社長的には「全軍の大将や戦争指導者は向いてないけど、部隊や一軍を率いて戦う野戦指揮官」としてはすげぇじゃないかと。キングダム的にいうと本能型の将って感じ。
いや~実は1月は不幸続きが続きでマジで参った。ぴろすけがコロナでバタキュ~したり、それで濃厚接触者になったと思いきや母ちゃんが倒れちゃって・・・良くない事って重なるっていうけどまさにと思ってしまった(ガクブル
良かったらチャンネル登録、評価、コメよろです~
クラウゼビッツは経営者向きで、ジョミニは指揮官向きと言われた事がある。頼朝はクラウゼビッツタイプ、義経はジョミニタイプだった見えます。ただ、この中で義経とジョミニが違う点としてジョミニは政治が軍事の細部までの介入は嫌う性質は有るものの基本的には政治からのコントロールを外れる事が無いのに対して義経は政治からのコントロールを外れてしまったのも義経が身を滅ぼす原因になったと言えます。
@@2000me たしかにそうですねw政治・戦略タイプと作戦・戦術タイプの違いですかね。
義経の欠点は政治のコントロール・・・頼朝の政治的ビジョン・思惑・立場、性格を読み切れなかった事にあります。彼は頼朝という冷徹家の政治的立場を理解していれば言動や【後白河法皇の関係】という危うさにも気づけたかもしれません。ただ、そうなると彼の良さも消えてしまう可能性もあるのでやはり政治家と軍人の関係は難しいところではあるのかなと
@@非株式会社いつかやる 義経やそれ以前から今に至るまで政治と軍の関係とは決して良い関係を築けてないのが残念。政治に足を引っ張られ致命的な結末を招いたり、或いは軍に政治が引きずられ取り返しのつかない破滅を招いたりといつも政治と軍の関係が良好な関係を保ていない、もしかしたら政治と軍の関係はバランスを微調整しながら歩むしかないのかも知れない。
jvはjーc音女がggvjmっjt 9:00 、j 9:00 うちうcおに😮😮😊やうb
いいいういっy
高松に住んでいる者です。屋島の戦いに関わる伝承は市内のあちこちにあります(那須与一が弓を扇を打ち落とすときに馬を立たせた岩や、血の付いた刀を洗って真っ赤になった池など)。この動画を観て改めて源義経の戦略を学ぶことができました。
平家も決してやられっぱなしではなかったんですね。
それでも範頼や義経があまりにも強すぎて太刀打ちできなかったのがよくわかります。
歴史の授業だと勝敗の結果だけ習いますが、この動画を見ていると結果に至るまでの過程ではしのぎを削る場面が幾重にもあったことが知れてとてもためになります。
その時の政治背景も含めた丁寧な解説、ほんと助かります。
いつもありがとうございます!
一応、軍事的な話をメインにしてるので、これでも政治的背景はどうにかギュッと圧縮してますw
でもそういってもらえると副社長もホクホク(*・ω・*)
サラッと言ってるけど海になれない源氏軍を地元の武士を懐柔して九州上陸して勝ってる範頼普通に凄いんだよなあ……
そりゃ頼朝も全部終わった後に始末するわな…
ありがとうございます!
鎌倉殿の13人が終わっても、詳細解説、あざっす!
鎌倉殿ロス勢にとっては、嬉しい限りです!
ありがとうございます!続編が楽しみです!
安定感のある範頼と尖ってる義経の感じ好き
9:26 義経発射!すき
8:50 行きのガソリンしか入れてなかったでしばらく笑い止まらなかったw
面白かったです!
聞けば聞くほど、日本のアレキサンダー感があって好きだなぁ
陸から海を制す脳筋な感じも、今回の悪天候の渡海も、この源平合戦シリーズでアレキサンダー戦記を思い出しますw
普通の将が迷ったり、失敗するところを、ゴリゴリに押し通して成功させるあたり義経の凄みがあります。
アレキサンダーや謙信と一緒で理屈じゃすべてを説明できない奴ですw学や合理性で義経は計れないところが多々ありますw
頼朝がなぜ義経に激怒していたのかがよくわかりました。
これは頼朝が望むような「勝利」ではなかったのですね。
悪手の極みですね
義経に政治が解る参謀が居たら結果は違ったかも知れない。
もっとも、義経の性格ではそんな参謀も使いこなせなかったかもしれない。
そうですね~頼朝の心境としては複雑だったと思います。勝利したからなんも言わないけど、義経にはかなりイラッとした可能性が高いですw
頼朝としてはやはり安徳天皇と特に三種の神器は奪還したかったと思います。朝廷に対してめっちゃ有利に働きますし、自分の立場を強力に固める事もできますし。
ただ使い方を誤れば争いの火種になるかもしれませんが・・・
頼朝さんって、義経さんにちゃんとその辺り教えてあげたのかな?
話し合いの少なさに伴う、意思疎通の不備に端を発してないかな。
頼朝「これこれ、このと~りだからちゃんとその辺り考えてね?」
義経「はい、判りました。しゃ~、首じゃ~!大将首は俺のもんぞぉ~!」
頼朝「判ってねぇ~・・・こいつなんなん?純粋培養の鎌倉武士?」
@@ms-06jii90 義経は鎌倉武士じゃありませんよ。奥州平泉です
久方ぶりの解説ありがとうございます!楽しかったです!!やっぱり義経の戦機の見抜きっぷり変態的ですらありますね!次回壇ノ浦も楽しみにしてます!!!
やっぱり義経って名将だねー
有り得ん勝ちを重ねすぎ✌️
義経に隠れとるけど統率力含めて範頼の頑張りデカイ
でかいです。範頼が仕事をしたから彦島の平家が動けず、義経の屋島の勝利を後押ししました。
平家は活発的かつ柔軟的な作戦を行えず、反撃の芽を積んだ感じです。
副社長の 1:50そぉうそぉうそぉうそぉうの癖があまりにも好き
範頼の堅実な動きと義経の果断な動きがマッチした感じがスゴい。しかし、やっぱこのリスクのある決断を取れる義経はやっぱ名将と言うべきでしょうね。一の谷の時もそうだけど、ただ匹夫には出来ない状況判断がある。
範頼も仕事できる武将ですね!
最高に面白く、深い理解ができた!
ありがとうございます!
このシリーズ本当に楽しみにしてます!!
久しぶりの源平合戦
副社長いつも解説ありがとうございます。 とても面白く分かりやすい解説でした。 戦争を知る事は歴史を知る事と同じですね。
義経って項羽ぐらい人外エピソード多いな。
最後に勝ったのが政治力の高い劉邦(頼朝)という点も似てて面白いですね。
鎌倉殿でもそうだけど、やっぱり源義経って人間はどこまでも武人なんだよなw政治的な結果よりも戦の勝機を逃すことを良しとせずに勝機と見れば即断即決で動いて勝ちをもぎ取る。周りからは無茶無謀と言われても、しっかり自分の頭の中で合理的に考えてそれを行動に移せる将って事が分かる笑ただ、皮肉な事にこう言う思惑の違いの積み重ねが兄と確執を生む事になったのは、やっぱり歴史っておもろしいなって思う
政治を理解せず戦争は強い
始末するしか無い存在ですね
五胡十六国の石虎とはタイプは違うと思いますが危なさは同等かそれ以上ですかな?
源平合戦シリーズ続編待ちかねておりました。制作ありがとうございます。
奇計奇策をもって戦える武将はほんとに強い。
しかし、奇計奇策は諸刃の剣であり、凡人がやっては失敗することが多い。
だから義経というのは天才だったのだと思う。
凡人で奇計奇策を使おうとしたいい例が牟田口廉也のインパール作戦。
それなんですよ~運と状況を読み通す力がない将がやったらインパールになります。
桜間城近辺から引田へ向かう道を車でドライブしたことありますが・・・とんでもない山道でした😅徳島引田1号線の大坂峠辺りはエグいです。義経が2日足らずで行軍してしまったのかは恐るべしですね。ある意味戦に勝つより凄い!
知ってるつもりの歴史も、もう一段深く知る事ができる!
軽快で愉快な語りも楽しいです!
詳しいことは知らなかったから勉強になりました。
動画が有ると分かりやすいですね。
義経が凄いのは勿論だけど
関東から九州(その後東北)まで不慣れな土地で戦い続け勝ち続けた坂東武者の組織力がチート過ぎる
そこらへんは頼朝の力が大きいですね。ただ平家討伐軍の補給などに関して不手際なところが見受けられます。
まぁ、当時の板東武士はこんな規模の戦争も遠隔地の軍事活動をしたことないからしょうがないっちゃしょうがない。
最高の動画、マジありがとうございます
7:38
笹無山の話だ(岡山県民並感)
お、知ってますね~
アニメ【日本昔話】でも屈指の鬱回『笹無山』!子供の頃見て、あまりにも悲惨すぎて固まった記憶がありますw
体力お化けだなぁぁ!!強すぎる!
地元だ〜!
やっぱ屋島の戦いというより牟礼の戦いだなぁ
まさにそれw
こう見ると盤ゲームのオセロって実に日本的ですねえ、ピンポイント戦で一気にひっくり返るw
少なくとも西洋戦史は相手殲滅とかですもんね。
次が待ち遠しい!!早くみたい!
壇ノ浦、待ってます😊
兵糧ゲージ好きw
18:18 那須与一が射た後に平家の武士が見事だと踊って誉めた時に、義経は「あいつムカつくから射れ」と命令して殺させました。
ちなみに那須与一の兄は平家につき、後に与一は奥州藤原氏を滅ぼす戦いに頼朝軍の一員、御家人の一人として従軍しています。
会社の社長の後継者であるお坊ちゃんに命令される会社の人と考えると面白い人物です。
あと度々出てくる義経の民家焼き、これを躊躇わず行う義経の冷徹な戦術眼は見事ですが、代わりに奥州藤原の息のかかった家人や自分の直属の部下以外には反感を買ったりしてここからさらに御家人たちからの信頼を損ねていきます。
勝ち方にこだわらないその姿勢は、現代であっても歴史上であっても周囲から非難されています
佐々木憎けりゃ笹まで憎い!
ていう、まんが昔ばなしがあったなぁ。
奥州征伐まで観たいです。
屋島にも壇ノ浦って所があって、ここが源平合戦の最後の舞台だったのかと数年前まで思い込んでた。
今日も副社長の髪は良い跳ね具合ですね。
光GENJIの対義語→闇HEIKE
どっちかと言うと、源氏物語の方じゃないのかな?
無知がいるなあ
平家Chaos
平家派
「源氏しに候え」が枕詞になりそうグループ名
やっぱり、海上先生の話聞くと
場当たり的な武将
絶対本買う‼️
大河ドラマの『平清盛』が大好きで、『鎌倉殿の13人』ロス中だったので動画楽しみにしてました!色々大変な中、UP有難うございます🙏!行きのガソリンしか調達出来ない中善戦する有能な範頼、休みを取らず急襲する義経の機動力(豊臣秀吉の中国大返しみたい)🌊🏍️🌀。坂東からの遠征で海戦が苦手故に必死な源氏、海戦で巻返しを図ろうとして『態勢を整える』事に重きを置いた故に対応が遅かった平氏の差が出たのかなと動画を見て思いました。『鎌倉殿〜』で詳細が省かれた合戦の内容を動画で知る事が出来ました🙏!いよいよ『壇ノ浦』ですね。。。😭
義経の神速侵攻が成功したのも当時の源氏勢力の士気が相当高かったのだろうな。
屋島の戦いは屋島周辺に戦跡が点在しているし、島の呼び方にも影響を与えてたり、平家敗残兵の子孫も多く居たりで平家とかなり深い関係があるのが香川県と徳島県だったりする
ちなみに志→度↑ではなく志→度↓だお
そうなんか志→度↓なんすね。思わず発音の練習をしてしまった。
@@非株式会社いつかやる 自分のいる地域だと→↓なんですが、違う地域もあるかもしれません…もし違うようならなんとお詫びすれば良いか…
@@魚醤-u8r うん?違ってたらこれはアップ動画を毎回、食い入るように見なきゃいけませんね~(ゴゴゴゴゴゴ
@@非株式会社いつかやる 毎回食い入るように見てますぜ!兄貴!
待ってました!
彦島というと、長州の高杉が古事記云々の島ですね
イギリスが租借要求するだけに要地ですね。ここ要塞化されると詰むわ
勝ったは勝った戦。ただ頼朝からすれば自分を飛び越えて独断でやった上に、政治的にも不味い手段をやったから二重の意味で「は?」とはなりますよね……。兄弟の確執は起こるべくして起きたという感じですね
義経の勝利は嬉しい反面、頼朝はあまりいい気はしなかったはずね。
後白河の疑惑もあるし、独断での弟の勝利と神器の奪還の失敗もあるし。この独断が無かったら、義経は後々生きてたのかな?
屋島の戦い来たぁぁぁ😭
引き続き壇ノ浦もよろしくお願いします🥹
うどん県民ですが屋島にもだんのうらがありますよ🎵檀ノ浦だけどね。那須与一の扇との距離ですが、跡がありら案外近いですよ。ドラマは遠すぎ
安徳天皇のこれ以前の動きは大変すぎますよね。太宰府を頼り福岡や大分を転々とし、結局屋島へ。
地元には壇ノ浦前後に逃れてきた姫?の話が言い伝えとして残っています。
奇襲を重視する戦術眼の凄さはロンメルに通じると思いました。
政治的な窮地に結び着くところも同様ですが。
ロンメルの場合は国民の英雄に祭り上げられながらも、自軍を率いる自分自身が司令官として補給線を確立しなければならない事に気付かず それをイタリアに任せっ切りにして前進を続けて窮地に落ち入ってしまいました。
更には国民英雄となってしまった為にヒトラーからは死守を命じられ政治的に追い詰められてしまいました。
この点は義経とは異なりますが戦術眼と政治的な立場は似通っていると感じました。
長文失礼しました。
壇ノ浦の戦いも見たいですね。
再生一回で見れた
清盛全盛期平家と義経が戦ったらどちらが勝つのだろう?
やっと来た合戦
源平合戦も終わりが近づいてるなぁ。
平氏と平家は別物。平家とは平氏の中の平清盛一党限定のことで、伝統的な平氏一族とは利害が異なっていた。
平氏とは桓武天皇がその勢力を拡大するために遠縁まで含めて氏族を武装させたもので、その戦力で関東・東北に遠征したので、関東には平氏の一族が多い。北条氏は平氏。
源氏は嵯峨天皇が桓武平氏勢力に対して巻き返しを図り、同様に氏族を武装させた。源氏の勢力は西日本に多い。
源平合戦の思い込みで、東の源氏、西の平氏が日本の常識になっているが、実態は逆。
そのため平家は畿内と瀬戸内の海運の要所しか抑えておらず、平家にとって西日本はアウェイだった。なのでホームである源氏側は何度も奇襲を成功させる。
平家一党が平氏一族に利益分配せず、瀬戸内・南宋貿易の利権を独占したため、関東の平氏が源氏と連合して平家を放逐した、というのが源平合戦の背景。
関東は平氏(北条氏)のホームなので、平家討伐が終わって用済みになった源頼朝の家系は暗殺され、鎌倉幕府は北条氏(平氏)が実験を握った。それをひっくり返して京都に政治の中枢を戻した足利氏は源氏の一族。
副社長はなかなかやる。
小勢になればなるほど軍を分割するもので、単純に指揮統制が容易で相手の攻撃を分散できるので2方向攻撃は自然
義経が本当に得意なのは大軍の指揮や兵站や戦争指導、でなきゃ反乱鎮圧も治安維持任務も失敗してる
義経の不幸は頼朝が大将の器じゃないこと、それだけ(鎌倉幕府の悲惨な統治能力は・・・)
地元きたー
結末を知ってるからって訳じゃないけど終幕が近づくにつれてどうしても物悲しい雰囲気になりますね
義経さんサイコー👍😍👍
いつも面白く勉強になる動画ありがとうございます!
義経が頼朝の言うことを聞かずに戦果をあげてしまったところが、後々の不和の原因になりそうですね。会社と一緒で、優秀で影響力があり、言うことを聞かない社員は他社員も連れて独立しそうですし
義経が少しでも政治に関する能力(言動の裏を読む)があればな…。
確か後白河に検非違使にしてやると言われて喜んで受けてしまった話があった(頼朝の部下であるのに許可を受けず無断任官)。
無断任官したらそりゃあ兄貴も怒るよ…
ふと思い出した
中学の時、古文で那須与一のやつ、やったわ
あの当時は「古文なんか意味わからん、昔の人たちは凄いよな、こんな意味わからん言語を理解して使いこなしていたんだから」と昔の人たちを尊敬していた
面白い動画です。
範頼すごすんぎ
地図上で、平家でも源氏でもない支配地はどうなってるんでしょう?
当時の舟で馬を運べたの?
一度、屋島に行った事があったけど、そこに壇ノ浦があった😅
いつかやるさん!!!関東周辺ばっかり行ってんと!!!関西にもロケ?出張?来てよ😭!!!
義経は敵が背後から上陸しようとしていることをどうやって知ったんだろう?
確かにそうですね!
近隣住民から情報提供してもらったり、斥候を放っていたりしてたのかな
対応が早いあたり、たぶん志度だけじゃなく四方を警戒する斥候を放っていたのでしょう。
ノリさんが善戦する中、石橋さんで有名な彼が「憎まれっ子世に憚る」って言って鎌倉にとんねるずするんですね。
地元の方に平家の落人の昔話が残ってたなあ、となんか思い出した
8:10 芦屋河原?葦屋浦?
おお、葦屋浦でした!ご指摘感謝ですm(__)m
やはりロジの重要性を再認識。
ロジ方面の手当てが出来てない集団は奇襲テロしか出来ないが、多少の時間差で間に合うシュチュエーションを引き寄せるパワー味と勘・指導力はさすが…。 しらんけど
三国志のエピソードもやってほしいなぁ~
人力でここまでするなんてやばすぎでしょ
源平合戦!?「平」は平和主義なのに、襲われただけと思います😌 現世でよく経験しますが世のため人のため頑張ります✊
義経にマトモな政治的感覚が有れば、歴史は変わったんだろうな。
会社でも、仕事をやれば出来る人でも上司命令を無視する独断専行人はアカン。組織がデカくなれば邪魔者になる。
次も、楽しみ
どこが敵の弱点か、いつがチャンスか的確に見える武士はこの時代にはほぼいないだろうな。
結局別の義経説てどーなんだろな~‥寺育ちの奴がこんな戦できるわけないて話だが‥ま、とりあえず頼朝に嫌われよーがこの脳筋な戦いぶりは嫌いじゃない
義経に政治力があったとしても後に粛清されそうですよねぇ……やっぱり……
壇之浦行ったけど意外と狭いんですよね
今埋め立てられて昔より狭くなったんじゃなかった?
香川に入ってからの行軍ルート地元民考察
長尾街道と新田街道通って牟礼へ→白羽や菜切ら辺の家を焼く(六万寺辺りも焼いてるんじゃないか…?)→赤牛崎から屋島に上陸→壇ノ浦の御所から平家を追い出す→一部を浜に残して菜切ら辺で寝る→牟礼浜で戦う&扇の的→志度街道通って大町の川西、川東辺りで戦った?
なんで志度街道を最初から通って来なかったのか?
峠越えは機動性に良くなかったってことかな。それか津田辺りで海沿いを通るから攻撃される可能性を危惧した??
志度からの上陸隊は琴電で言う八栗新道ら辺の方がちょうど谷になってるから源氏に地の利めっちゃありそうなんだけど川西、川東で戦ってるんよなぁ…
上陸したばっかで戦う準備の出来てないとこを狙ったんかな
ニコメ目
源平の他に三番手 四番手の勢力ていたんでしょうか?
時代のよって順位は変わりますが、奥州藤原氏、後白河法皇の朝廷、源氏の中でも甲斐源氏、木曽義仲、源行家などの勢力はいましたがこちらは頼朝が蹴落としましたって感じです
@@非株式会社いつかやる ありがとうございます。平安末期は同士戦多すぎ…。
那須与一の件で壇ノ浦に行ったわけでなかったのね。中国・九州が源氏に落ちたのはこれらの戦いで分かったが、四国の坂出あたりから西側から愛媛県あたりがあっさり源氏側に着いたの平氏あんま評判悪かったんだろうな。
やっぱり、ふくしゃちょーの戦術解説は楽しいですね^^
制海権取られてたのに、範頼軍は九州に上陸できたのか
先の大戦中、なぜ英国海軍が圧倒的な海上優位を築いていたのにドイツ海軍艦隊がドーバー海峡を通過する事が出来たのか?…に近い話???
@@bingosaru 少数による上陸とか、通過ではなく、九州を制圧するための大規模な上陸もできるのかーって思いました。
後知恵かもしれないけど…天候の回復と主力の集結を待って決戦を求めても、安徳天皇と神器が事前に逃がされていた場合、よほど一方的な勝利でないかぎり屋島を奪っても史実のように大勢が一気に傾く可能性は低くなるのではないでしょうか。
損耗した軍勢で瀬戸内を追撃する、または屋島を維持している間に平家が体制を立て直せば決定的な勝利を得られなくなり、源氏の目指す新秩序(あるいは義経自身の権威?)が不十分なものになりかねない。
どのみち安徳天皇と神器が逃げるなら奇襲をしかけ、海に押し出された平家が義経の主力から逃げたという状況を演出した方が得ですから。
…こんなことを考えていたかはわかりませんが、
じゃあ少数で嵐の海渡っちゃお、って実行しちゃう義経やべぇ…
そこは難しいところですね~
たしかに主力の集結後に屋島で決戦を挑んでも、予め安徳天皇と神器だけ逃してた可能性はあります。
ただ、問題は九州と中国が範頼によって抑えられてしまってた事です。こうなると屋島から彦島に逃す場合はそれなりの戦力をお供させなきゃいけないから屋島での決戦兵力に支障がでます。加えて平家は是が非でも屋島を奪われるわけにはいきません。
となるとは木曽義仲を水軍でコテンパンにした事もある平家軍は海での戦闘はかなり自信をもってたので、神器と安徳天皇を押し立てて決戦をした可能性もあるかと。
実際、どうなってたかはわかりませんが範頼の働きと安徳天皇・神器が平家軍の動きに制約をかけてたって感じがします。
神器と安徳天皇を押し立てて決戦をした可能性、たしかにそちらの方がありそうな気がしてきました…
屋島は生命線なので全力で死守、さらに得意の水軍を以って源氏方の主力を決戦で撃破できれば戦況に影響を及ぼせそうですし。
ではなぜ義経は危険を冒してまで奇襲を敢行したのか…中国九州の失陥で、時間をかけることは源氏有利に作用すると思われるのに?
その正面からの決戦というリスクを避けたかった?じゃあ奇襲しよう→嵐でも渡海しよう→伊予に主力が分散してるうちに攻めよう→そのうち味方の船団くるでしょ、みたいな、屋島を取れると思ったから取れるうちに取ったれ、みたいな神懸かり的アドリブの連続の結果なのか…
義経が、安徳天皇・神器を屋島で抑えるか彦島に追い込むかに大きな違いはない、と考えていたならばチャンス(と義経だけが感じた)を優先したのか…
やはり凡夫の自分には計り知れないw
「世間一般では、苦戦したって言うんですよwww」
とか告げ口した、共同通信武者が居た訳だ。
名将は運をも味方につけるから強いよね。
逆に言うと運が無い人は。。笑
副社長の解説動画、再生速度を落とすと酔っぱらったおっさんに聞こえる。
7.75倍:えー感じに酒廻ってるなぁ
0.5倍 :かなり酔っぱらってんなぁ
0.25倍:ダメだ誰か介抱してやれ
ごめんなさい。
声もてあそばれてて草