無謀?天才的?源義経のキテレツな奇襲【屋島の戦い】世界の戦術戦略を解説『源平合戦6』

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  • Опубликовано: 2 окт 2024
  • トリックスター義経の歴史に残る奇襲戦!源平合戦【屋島の戦い】を解説しますよ!
    源平合戦シリーズ
    第1回【石橋山の戦い】→ • 完敗から始まる源頼朝の革命戦争【石橋山の戦い...
    第2回【富士川の戦い】→ • 武士のカリスマ!頼朝の大逆襲【富士川の戦い】...
    第3回【倶利伽羅峠の戦い】→ • 敵を絶望させた天才の殲滅決戦!【倶利伽羅峠の...
    第4回【宇治川の戦い】→ • 武士を解放する血塗られた革命【宇治川の戦い】...
    第5回【一ノ谷の戦い】→ • ぶっ飛んだ奇才・義経の知られざる戦術【一ノ谷...
    第6回【屋島の戦い】→今回
    第7回【壇ノ浦の戦い】→ • 死闘!これまでと違う【新・壇ノ浦の戦い】世界...
    再生リスト【世界の決戦シリーズ】→ • 不可能を覆す史上空前の決戦【カンナエの戦い】...
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    【参考資料】
    上杉和彦【源平の争乱】
    西股総生【鎌倉草創 東国武士たちの革命戦争】
    川合康【源平合戦の虚像を剥ぐ】
    野口実【源氏と坂東武者】
    関幸彦【源平争乱】
    別冊宝島【源平合戦3D立体地図】
    学研【源義経】【平清盛】
    【鳥瞰イラストでよみがえる歴史の舞台】
    海上知明【戦略で読み解く日本合戦史】
    歴史群像 no165~170 no171
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Комментарии • 186

  • @非株式会社いつかやる
    @非株式会社いつかやる  Год назад +79

    僕らの本が発売されました!買ってね!
    近代から現代まで時空を超えてインタビュー!? 「日本と世界」が同時にわかる すごい歴史 amzn.asia/d/gOULRIl
    訂正→8:16~図で【葦屋河原の戦い】とありますが正しくは【葦屋浦の戦い】です。戦国の戦いとゴッチャになってました失礼しますm(__)m
    【屋島の戦いで説が分かれてるところ】
    『義経は軍を分けて2方向から攻撃を開始した説』
    これは軍事的にあまりにもないので、たぶんないかと。
    待ち伏せ奇襲ならまだしも150~300の小勢という超劣勢で軍をわける道理がちょっとわからん(絶対ではないけど
    『義経は愚将か?』
    たしかに一ノ谷も屋島も失敗してたら、ただの無謀・愚策で終わるんだけど、義経はそれを成功させちゃう豪運と剛胆さを持ってる……どちらも名将の条件の要素です~
    しかもどこに一撃を加えたら敵のバランスが崩れるのかを摑む嗅覚もある。
    だから副社長的には「全軍の大将や戦争指導者は向いてないけど、部隊や一軍を率いて戦う野戦指揮官」としてはすげぇじゃないかと。キングダム的にいうと本能型の将って感じ。
    いや~実は1月は不幸続きが続きでマジで参った。ぴろすけがコロナでバタキュ~したり、それで濃厚接触者になったと思いきや母ちゃんが倒れちゃって・・・良くない事って重なるっていうけどまさにと思ってしまった(ガクブル
    良かったらチャンネル登録、評価、コメよろです~

    • @2000me
      @2000me Год назад +4

      クラウゼビッツは経営者向きで、ジョミニは指揮官向きと言われた事がある。頼朝はクラウゼビッツタイプ、義経はジョミニタイプだった見えます。ただ、この中で義経とジョミニが違う点としてジョミニは政治が軍事の細部までの介入は嫌う性質は有るものの基本的には政治からのコントロールを外れる事が無いのに対して義経は政治からのコントロールを外れてしまったのも義経が身を滅ぼす原因になったと言えます。

    • @非株式会社いつかやる
      @非株式会社いつかやる  Год назад +5

      @@2000me たしかにそうですねw政治・戦略タイプと作戦・戦術タイプの違いですかね。
      義経の欠点は政治のコントロール・・・頼朝の政治的ビジョン・思惑・立場、性格を読み切れなかった事にあります。彼は頼朝という冷徹家の政治的立場を理解していれば言動や【後白河法皇の関係】という危うさにも気づけたかもしれません。ただ、そうなると彼の良さも消えてしまう可能性もあるのでやはり政治家と軍人の関係は難しいところではあるのかなと

    • @2000me
      @2000me Год назад

      @@非株式会社いつかやる  義経やそれ以前から今に至るまで政治と軍の関係とは決して良い関係を築けてないのが残念。政治に足を引っ張られ致命的な結末を招いたり、或いは軍に政治が引きずられ取り返しのつかない破滅を招いたりといつも政治と軍の関係が良好な関係を保ていない、もしかしたら政治と軍の関係はバランスを微調整しながら歩むしかないのかも知れない。

    • @老田圭佑
      @老田圭佑 Год назад

      jvはjーc音女がggvjmっjt 9:00 、j 9:00 うちうcおに😮😮😊やうb

    • @老田圭佑
      @老田圭佑 Год назад

      いいいういっy

  • @光らない方の源氏
    @光らない方の源氏 Год назад +58

    サラッと言ってるけど海になれない源氏軍を地元の武士を懐柔して九州上陸して勝ってる範頼普通に凄いんだよなあ……

    • @cwc5117
      @cwc5117 Год назад +14

      そりゃ頼朝も全部終わった後に始末するわな…

  • @アオ-f7n
    @アオ-f7n Год назад +33

    平家も決してやられっぱなしではなかったんですね。
    それでも範頼や義経があまりにも強すぎて太刀打ちできなかったのがよくわかります。
    歴史の授業だと勝敗の結果だけ習いますが、この動画を見ていると結果に至るまでの過程ではしのぎを削る場面が幾重にもあったことが知れてとてもためになります。

  • @pinocciokun
    @pinocciokun Год назад +45

    頼朝がなぜ義経に激怒していたのかがよくわかりました。
    これは頼朝が望むような「勝利」ではなかったのですね。

    • @tpk6445
      @tpk6445 Год назад +7

      悪手の極みですね

    • @bigmarch8686
      @bigmarch8686 Год назад +21

      義経に政治が解る参謀が居たら結果は違ったかも知れない。
      もっとも、義経の性格ではそんな参謀も使いこなせなかったかもしれない。

    • @非株式会社いつかやる
      @非株式会社いつかやる  Год назад +20

      そうですね~頼朝の心境としては複雑だったと思います。勝利したからなんも言わないけど、義経にはかなりイラッとした可能性が高いですw
      頼朝としてはやはり安徳天皇と特に三種の神器は奪還したかったと思います。朝廷に対してめっちゃ有利に働きますし、自分の立場を強力に固める事もできますし。
      ただ使い方を誤れば争いの火種になるかもしれませんが・・・

    • @ms-06jii90
      @ms-06jii90 Год назад +8

      頼朝さんって、義経さんにちゃんとその辺り教えてあげたのかな?
      話し合いの少なさに伴う、意思疎通の不備に端を発してないかな。
      頼朝「これこれ、このと~りだからちゃんとその辺り考えてね?」
      義経「はい、判りました。しゃ~、首じゃ~!大将首は俺のもんぞぉ~!」
      頼朝「判ってねぇ~・・・こいつなんなん?純粋培養の鎌倉武士?」

    • @quanhault879
      @quanhault879 Год назад +1

      @@ms-06jii90 義経は鎌倉武士じゃありませんよ。奥州平泉です

  • @Hanekazu
    @Hanekazu Год назад +20

    8:50 行きのガソリンしか入れてなかったでしばらく笑い止まらなかったw

  • @ひとあり-i1r
    @ひとあり-i1r Год назад +33

    聞けば聞くほど、日本のアレキサンダー感があって好きだなぁ
    陸から海を制す脳筋な感じも、今回の悪天候の渡海も、この源平合戦シリーズでアレキサンダー戦記を思い出しますw

    • @非株式会社いつかやる
      @非株式会社いつかやる  Год назад +16

      普通の将が迷ったり、失敗するところを、ゴリゴリに押し通して成功させるあたり義経の凄みがあります。
      アレキサンダーや謙信と一緒で理屈じゃすべてを説明できない奴ですw学や合理性で義経は計れないところが多々ありますw

  • @登録者1000人目標教祖
    @登録者1000人目標教祖 Год назад +26

    高松に住んでいる者です。屋島の戦いに関わる伝承は市内のあちこちにあります(那須与一が弓を扇を打ち落とすときに馬を立たせた岩や、血の付いた刀を洗って真っ赤になった池など)。この動画を観て改めて源義経の戦略を学ぶことができました。

  • @enchopicopico
    @enchopicopico Год назад +32

    義経って項羽ぐらい人外エピソード多いな。

    • @昇仙峡タロウ
      @昇仙峡タロウ Год назад +3

      最後に勝ったのが政治力の高い劉邦(頼朝)という点も似てて面白いですね。

  • @ぱわー-p1p
    @ぱわー-p1p Год назад +82

    義経に隠れとるけど統率力含めて範頼の頑張りデカイ

    • @非株式会社いつかやる
      @非株式会社いつかやる  Год назад +30

      でかいです。範頼が仕事をしたから彦島の平家が動けず、義経の屋島の勝利を後押ししました。
      平家は活発的かつ柔軟的な作戦を行えず、反撃の芽を積んだ感じです。

  • @gspproject
    @gspproject Год назад +5

    安定感のある範頼と尖ってる義経の感じ好き

  • @アトレティ
    @アトレティ Год назад +20

    副社長の 1:50そぉうそぉうそぉうそぉうの癖があまりにも好き

  • @moikeru1
    @moikeru1 Год назад +20

    鎌倉殿の13人が終わっても、詳細解説、あざっす!
    鎌倉殿ロス勢にとっては、嬉しい限りです!

  • @engawanoneko2435
    @engawanoneko2435 Год назад +17

    義経が凄いのは勿論だけど
    関東から九州(その後東北)まで不慣れな土地で戦い続け勝ち続けた坂東武者の組織力がチート過ぎる

    • @非株式会社いつかやる
      @非株式会社いつかやる  Год назад +3

      そこらへんは頼朝の力が大きいですね。ただ平家討伐軍の補給などに関して不手際なところが見受けられます。
      まぁ、当時の板東武士はこんな規模の戦争も遠隔地の軍事活動をしたことないからしょうがないっちゃしょうがない。

  • @ゆーちゃん-z4x
    @ゆーちゃん-z4x Год назад +9

    鎌倉殿でもそうだけど、やっぱり源義経って人間はどこまでも武人なんだよなw政治的な結果よりも戦の勝機を逃すことを良しとせずに勝機と見れば即断即決で動いて勝ちをもぎ取る。周りからは無茶無謀と言われても、しっかり自分の頭の中で合理的に考えてそれを行動に移せる将って事が分かる笑ただ、皮肉な事にこう言う思惑の違いの積み重ねが兄と確執を生む事になったのは、やっぱり歴史っておもろしいなって思う

    • @tpk6445
      @tpk6445 Год назад +3

      政治を理解せず戦争は強い
      始末するしか無い存在ですね
      五胡十六国の石虎とはタイプは違うと思いますが危なさは同等かそれ以上ですかな?

  • @Orewomiro.
    @Orewomiro. Год назад +3

    このシリーズ本当に楽しみにしてます!!

  • @vfr7419
    @vfr7419 Год назад +4

    平氏と平家は別物。平家とは平氏の中の平清盛一党限定のことで、伝統的な平氏一族とは利害が異なっていた。
    平氏とは桓武天皇がその勢力を拡大するために遠縁まで含めて氏族を武装させたもので、その戦力で関東・東北に遠征したので、関東には平氏の一族が多い。北条氏は平氏。
    源氏は嵯峨天皇が桓武平氏勢力に対して巻き返しを図り、同様に氏族を武装させた。源氏の勢力は西日本に多い。
    源平合戦の思い込みで、東の源氏、西の平氏が日本の常識になっているが、実態は逆。
    そのため平家は畿内と瀬戸内の海運の要所しか抑えておらず、平家にとって西日本はアウェイだった。なのでホームである源氏側は何度も奇襲を成功させる。
    平家一党が平氏一族に利益分配せず、瀬戸内・南宋貿易の利権を独占したため、関東の平氏が源氏と連合して平家を放逐した、というのが源平合戦の背景。
    関東は平氏(北条氏)のホームなので、平家討伐が終わって用済みになった源頼朝の家系は暗殺され、鎌倉幕府は北条氏(平氏)が実験を握った。それをひっくり返して京都に政治の中枢を戻した足利氏は源氏の一族。

  • @ハンターリップ
    @ハンターリップ Год назад +3

    結局別の義経説てどーなんだろな~‥寺育ちの奴がこんな戦できるわけないて話だが‥ま、とりあえず頼朝に嫌われよーがこの脳筋な戦いぶりは嫌いじゃない

  • @猫絵師
    @猫絵師 Год назад +2

    ありがとうございます!

  • @阿修羅猫
    @阿修羅猫 Год назад +15

    やっぱり義経って名将だねー
    有り得ん勝ちを重ねすぎ✌️

  • @nickjone986
    @nickjone986 Год назад +7

    奇計奇策をもって戦える武将はほんとに強い。
    しかし、奇計奇策は諸刃の剣であり、凡人がやっては失敗することが多い。
    だから義経というのは天才だったのだと思う。
    凡人で奇計奇策を使おうとしたいい例が牟田口廉也のインパール作戦。

    • @非株式会社いつかやる
      @非株式会社いつかやる  Год назад +3

      それなんですよ~運と状況を読み通す力がない将がやったらインパールになります。

  • @toutdroit3
    @toutdroit3 Год назад +9

    兵糧ゲージ好きw

  • @ben_ten_maru8004
    @ben_ten_maru8004 Год назад +29

    その時の政治背景も含めた丁寧な解説、ほんと助かります。
    いつもありがとうございます!

    • @非株式会社いつかやる
      @非株式会社いつかやる  Год назад +4

      一応、軍事的な話をメインにしてるので、これでも政治的背景はどうにかギュッと圧縮してますw
      でもそういってもらえると副社長もホクホク(*・ω・*)

  • @ルーザー7
    @ルーザー7 Год назад +4

    佐々木憎けりゃ笹まで憎い!
    ていう、まんが昔ばなしがあったなぁ。

  • @小澤田誠
    @小澤田誠 Год назад +1

    ありがとうございます!

  • @同心円文
    @同心円文 Год назад +4

    範頼の堅実な動きと義経の果断な動きがマッチした感じがスゴい。しかし、やっぱこのリスクのある決断を取れる義経はやっぱ名将と言うべきでしょうね。一の谷の時もそうだけど、ただ匹夫には出来ない状況判断がある。

  • @augustus5176
    @augustus5176 Год назад +11

    最高に面白く、深い理解ができた!
    ありがとうございます!

  • @toukonchunyu
    @toukonchunyu Год назад +127

    光GENJIの対義語→闇HEIKE

  • @猫の組織合同委員会
    @猫の組織合同委員会 Год назад +3

    義経が少しでも政治に関する能力(言動の裏を読む)があればな…。
    確か後白河に検非違使にしてやると言われて喜んで受けてしまった話があった(頼朝の部下であるのに許可を受けず無断任官)。
    無断任官したらそりゃあ兄貴も怒るよ…

  • @miko-vb2hg
    @miko-vb2hg Год назад +2

    18:18 那須与一が射た後に平家の武士が見事だと踊って誉めた時に、義経は「あいつムカつくから射れ」と命令して殺させました。
    ちなみに那須与一の兄は平家につき、後に与一は奥州藤原氏を滅ぼす戦いに頼朝軍の一員、御家人の一人として従軍しています。
    会社の社長の後継者であるお坊ちゃんに命令される会社の人と考えると面白い人物です。
    あと度々出てくる義経の民家焼き、これを躊躇わず行う義経の冷徹な戦術眼は見事ですが、代わりに奥州藤原の息のかかった家人や自分の直属の部下以外には反感を買ったりしてここからさらに御家人たちからの信頼を損ねていきます。
    勝ち方にこだわらないその姿勢は、現代であっても歴史上であっても周囲から非難されています

  • @tadataku
    @tadataku Год назад +2

    屋島にも壇ノ浦って所があって、ここが源平合戦の最後の舞台だったのかと数年前まで思い込んでた。

  • @サブアカウント-g1f
    @サブアカウント-g1f Год назад +5

    奥州征伐まで観たいです。

  • @シマナガシクジラ
    @シマナガシクジラ Год назад

    やっぱり、海上先生の話聞くと
    場当たり的な武将

  • @sanani5246
    @sanani5246 Год назад +1

    久方ぶりの解説ありがとうございます!楽しかったです!!やっぱり義経の戦機の見抜きっぷり変態的ですらありますね!次回壇ノ浦も楽しみにしてます!!!

  • @DomDom-ke8xs
    @DomDom-ke8xs Год назад +4

    彦島というと、長州の高杉が古事記云々の島ですね
    イギリスが租借要求するだけに要地ですね。ここ要塞化されると詰むわ

  • @フロムフロム
    @フロムフロム Год назад +2

    奇襲を重視する戦術眼の凄さはロンメルに通じると思いました。
    政治的な窮地に結び着くところも同様ですが。
    ロンメルの場合は国民の英雄に祭り上げられながらも、自軍を率いる自分自身が司令官として補給線を確立しなければならない事に気付かず それをイタリアに任せっ切りにして前進を続けて窮地に落ち入ってしまいました。
    更には国民英雄となってしまった為にヒトラーからは死守を命じられ政治的に追い詰められてしまいました。
    この点は義経とは異なりますが戦術眼と政治的な立場は似通っていると感じました。
    長文失礼しました。

  • @satotakashi1057
    @satotakashi1057 Год назад +2

    やはりロジの重要性を再認識。
    ロジ方面の手当てが出来てない集団は奇襲テロしか出来ないが、多少の時間差で間に合うシュチュエーションを引き寄せるパワー味と勘・指導力はさすが…。 しらんけど

  • @nopposan_8605
    @nopposan_8605 Год назад +4

    源平合戦シリーズ続編待ちかねておりました。制作ありがとうございます。

  • @橋姫-q9l
    @橋姫-q9l Год назад +2

    ふと思い出した
    中学の時、古文で那須与一のやつ、やったわ
    あの当時は「古文なんか意味わからん、昔の人たちは凄いよな、こんな意味わからん言語を理解して使いこなしていたんだから」と昔の人たちを尊敬していた

  • @richardozawa745
    @richardozawa745 Год назад +2

    桜間城近辺から引田へ向かう道を車でドライブしたことありますが・・・とんでもない山道でした😅徳島引田1号線の大坂峠辺りはエグいです。義経が2日足らずで行軍してしまったのかは恐るべしですね。ある意味戦に勝つより凄い!

  • @腹減りモンスター-r4l
    @腹減りモンスター-r4l Год назад +3

    義経の勝利は嬉しい反面、頼朝はあまりいい気はしなかったはずね。
    後白河の疑惑もあるし、独断での弟の勝利と神器の奪還の失敗もあるし。この独断が無かったら、義経は後々生きてたのかな?

  • @hymn13
    @hymn13 Год назад +2

    こう見ると盤ゲームのオセロって実に日本的ですねえ、ピンポイント戦で一気にひっくり返るw
    少なくとも西洋戦史は相手殲滅とかですもんね。

  • @サンドカツ-r3x
    @サンドカツ-r3x Год назад +3

    再生一回で見れた

  • @seattleslew2332
    @seattleslew2332 Год назад +6

    義経は敵が背後から上陸しようとしていることをどうやって知ったんだろう?

    • @すとりーむ-s5e
      @すとりーむ-s5e Год назад +1

      確かにそうですね!
      近隣住民から情報提供してもらったり、斥候を放っていたりしてたのかな

    • @非株式会社いつかやる
      @非株式会社いつかやる  Год назад +1

      対応が早いあたり、たぶん志度だけじゃなく四方を警戒する斥候を放っていたのでしょう。

  • @yd2092
    @yd2092 Год назад +1

    勝ったは勝った戦。ただ頼朝からすれば自分を飛び越えて独断でやった上に、政治的にも不味い手段をやったから二重の意味で「は?」とはなりますよね……。兄弟の確執は起こるべくして起きたという感じですね

  • @茶会太郎
    @茶会太郎 Год назад +6

    7:38
    笹無山の話だ(岡山県民並感)

    • @非株式会社いつかやる
      @非株式会社いつかやる  Год назад +5

      お、知ってますね~
      アニメ【日本昔話】でも屈指の鬱回『笹無山』!子供の頃見て、あまりにも悲惨すぎて固まった記憶がありますw

  • @猫絵師
    @猫絵師 Год назад +1

    義経記読んでると、義経の行動に、おや?ってなる箇所が割とありますよね。結構常識の通じない、おバカさんな思考回路してる気がします。
    やっぱり突拍子もない事をする人物は考え方が違いますね😅

  • @cowbell2252
    @cowbell2252 Год назад +4

    地元だ〜!
    やっぱ屋島の戦いというより牟礼の戦いだなぁ

  • @pepper1192
    @pepper1192 Год назад +2

    源平合戦も終わりが近づいてるなぁ。

  • @yjmanabu
    @yjmanabu Год назад +2

    結末を知ってるからって訳じゃないけど終幕が近づくにつれてどうしても物悲しい雰囲気になりますね

  • @tianzigzag
    @tianzigzag Год назад +2

    義経の神速侵攻が成功したのも当時の源氏勢力の士気が相当高かったのだろうな。

  • @日本にいる誰か
    @日本にいる誰か Год назад +2

    清盛全盛期平家と義経が戦ったらどちらが勝つのだろう?

  • @sode3725
    @sode3725 Год назад +1

    やっと来た合戦

  • @user-yt9jt5gp1t
    @user-yt9jt5gp1t Год назад +7

    久しぶりの源平合戦

  • @union9800
    @union9800 Год назад +1

    那須与一の件で壇ノ浦に行ったわけでなかったのね。中国・九州が源氏に落ちたのはこれらの戦いで分かったが、四国の坂出あたりから西側から愛媛県あたりがあっさり源氏側に着いたの平氏あんま評判悪かったんだろうな。

  • @nemo3279
    @nemo3279 Год назад +2

    名将は運をも味方につけるから強いよね。
    逆に言うと運が無い人は。。笑

  • @sawanaga3417
    @sawanaga3417 Год назад

    範頼も仕事できる武将ですね!

  • @Hiroki_-bh8dh
    @Hiroki_-bh8dh Год назад +4

    体力お化けだなぁぁ!!強すぎる!

  • @densirange
    @densirange Год назад +1

    安倍氏の清和会は清和天皇のことか!源氏を汲んでるのかー

  • @月末-y9g
    @月末-y9g Год назад +1

    副社長の解説動画、再生速度を落とすと酔っぱらったおっさんに聞こえる。
    7.75倍:えー感じに酒廻ってるなぁ
    0.5倍 :かなり酔っぱらってんなぁ
    0.25倍:ダメだ誰か介抱してやれ
    ごめんなさい。

  • @kkyy3433
    @kkyy3433 Год назад +5

    どこが敵の弱点か、いつがチャンスか的確に見える武士はこの時代にはほぼいないだろうな。

  • @クッキー-o3g
    @クッキー-o3g Год назад +5

    義経にマトモな政治的感覚が有れば、歴史は変わったんだろうな。
    会社でも、仕事をやれば出来る人でも上司命令を無視する独断専行人はアカン。組織がデカくなれば邪魔者になる。

  • @ランボ-k5r
    @ランボ-k5r Год назад +1

    副社長いつも解説ありがとうございます。 とても面白く分かりやすい解説でした。 戦争を知る事は歴史を知る事と同じですね。

  • @cowbell2252
    @cowbell2252 Год назад

    香川に入ってからの行軍ルート地元民考察
    長尾街道と新田街道通って牟礼へ→白羽や菜切ら辺の家を焼く(六万寺辺りも焼いてるんじゃないか…?)→赤牛崎から屋島に上陸→壇ノ浦の御所から平家を追い出す→一部を浜に残して菜切ら辺で寝る→牟礼浜で戦う&扇の的→志度街道通って大町の川西、川東辺りで戦った?
    なんで志度街道を最初から通って来なかったのか?
    峠越えは機動性に良くなかったってことかな。それか津田辺りで海沿いを通るから攻撃される可能性を危惧した??
    志度からの上陸隊は琴電で言う八栗新道ら辺の方がちょうど谷になってるから源氏に地の利めっちゃありそうなんだけど川西、川東で戦ってるんよなぁ…
    上陸したばっかで戦う準備の出来てないとこを狙ったんかな

  • @anjai6223
    @anjai6223 Год назад +1

    面白い動画です。

  • @tw-nz8ci
    @tw-nz8ci Год назад +3

    ありがとうございます!

  • @takuhash1925
    @takuhash1925 Год назад +2

    最高の動画、マジありがとうございます

  • @魚醤-u8r
    @魚醤-u8r Год назад +2

    屋島の戦いは屋島周辺に戦跡が点在しているし、島の呼び方にも影響を与えてたり、平家敗残兵の子孫も多く居たりで平家とかなり深い関係があるのが香川県と徳島県だったりする
    ちなみに志→度↑ではなく志→度↓だお

    • @非株式会社いつかやる
      @非株式会社いつかやる  Год назад

      そうなんか志→度↓なんすね。思わず発音の練習をしてしまった。

    • @魚醤-u8r
      @魚醤-u8r Год назад

      @@非株式会社いつかやる 自分のいる地域だと→↓なんですが、違う地域もあるかもしれません…もし違うようならなんとお詫びすれば良いか…

    • @非株式会社いつかやる
      @非株式会社いつかやる  Год назад +1

      @@魚醤-u8r うん?違ってたらこれはアップ動画を毎回、食い入るように見なきゃいけませんね~(ゴゴゴゴゴゴ

    • @魚醤-u8r
      @魚醤-u8r Год назад +1

      @@非株式会社いつかやる 毎回食い入るように見てますぜ!兄貴!

  • @飼育員A
    @飼育員A Год назад +1

    今日も副社長の髪は良い跳ね具合ですね。

  • @梅津拓史-q9d
    @梅津拓史-q9d Год назад +2

    ありがとうございます!続編が楽しみです!

  • @400年生きた骨トリガラ

    よく「義経が頼朝の政治的意図を理解していなかった」って言われますが、それを前線に送り出す頼朝はどうなんだろう?説明を怠っていたのであれば、それで義経が朝廷と仲良くなったから後年討伐とか、理不尽に見えるひとにはそう見えるのではないだろうか。「重々説明されていてそれで仲良くなった」のなら頼朝の気持ちももっともかもしらん

  • @米屋-y6v
    @米屋-y6v Год назад +6

    知ってるつもりの歴史も、もう一段深く知る事ができる!
    軽快で愉快な語りも楽しいです!

  • @topi1958
    @topi1958 2 месяца назад

    源平合戦!?「平」は平和主義なのに、襲われただけと思います😌 現世でよく経験しますが世のため人のため頑張ります✊

  • @anannak5292
    @anannak5292 Год назад +3

    壇ノ浦、待ってます😊

  • @フロムフロム
    @フロムフロム 5 месяцев назад

    何かロンメルみたいだな。
    野生の感というか他の人には真似出来ない感じがする。

  • @イトーy
    @イトーy Год назад +1

    詳しいことは知らなかったから勉強になりました。
    動画が有ると分かりやすいですね。

  • @yourizu6472
    @yourizu6472 Год назад

    大河ドラマの『平清盛』が大好きで、『鎌倉殿の13人』ロス中だったので動画楽しみにしてました!色々大変な中、UP有難うございます🙏!行きのガソリンしか調達出来ない中善戦する有能な範頼、休みを取らず急襲する義経の機動力(豊臣秀吉の中国大返しみたい)🌊🏍️🌀。坂東からの遠征で海戦が苦手故に必死な源氏、海戦で巻返しを図ろうとして『態勢を整える』事に重きを置いた故に対応が遅かった平氏の差が出たのかなと動画を見て思いました。『鎌倉殿〜』で詳細が省かれた合戦の内容を動画で知る事が出来ました🙏!いよいよ『壇ノ浦』ですね。。。😭

  • @超ゴッドカイザー
    @超ゴッドカイザー Год назад

    小勢になればなるほど軍を分割するもので、単純に指揮統制が容易で相手の攻撃を分散できるので2方向攻撃は自然
    義経が本当に得意なのは大軍の指揮や兵站や戦争指導、でなきゃ反乱鎮圧も治安維持任務も失敗してる
    義経の不幸は頼朝が大将の器じゃないこと、それだけ(鎌倉幕府の悲惨な統治能力は・・・)

  • @我天-n4x
    @我天-n4x 5 месяцев назад

    人力でここまでするなんてやばすぎでしょ

  • @もっち-v7r
    @もっち-v7r 8 месяцев назад

    ひざカックンの喩えが微妙過ぎて、ためらいがちの「そうそう…」に

  • @スマホ初期化し太郎
    @スマホ初期化し太郎 Год назад +3

    安徳天皇を逃すという事実で戦術的勝利と戦略的勝利は全く異なる事がわかりました🙂

  • @おにぎり-z7g
    @おにぎり-z7g Год назад

    安徳天皇のこれ以前の動きは大変すぎますよね。太宰府を頼り福岡や大分を転々とし、結局屋島へ。
    地元には壇ノ浦前後に逃れてきた姫?の話が言い伝えとして残っています。

  • @ms-06jii90
    @ms-06jii90 Год назад +2

    「世間一般では、苦戦したって言うんですよwww」
    とか告げ口した、共同通信武者が居た訳だ。

  • @けんたんなりあまちしげるなり

    うどん県民ですが屋島にもだんのうらがありますよ🎵檀ノ浦だけどね。那須与一の扇との距離ですが、跡がありら案外近いですよ。ドラマは遠すぎ

  • @猫の組織合同委員会
    @猫の組織合同委員会 Год назад +1

    ニコメ目
    源平の他に三番手 四番手の勢力ていたんでしょうか?

    • @非株式会社いつかやる
      @非株式会社いつかやる  Год назад +3

      時代のよって順位は変わりますが、奥州藤原氏、後白河法皇の朝廷、源氏の中でも甲斐源氏、木曽義仲、源行家などの勢力はいましたがこちらは頼朝が蹴落としましたって感じです

    • @猫の組織合同委員会
      @猫の組織合同委員会 Год назад +1

      @@非株式会社いつかやる ありがとうございます。平安末期は同士戦多すぎ…。

  • @ただのまさき
    @ただのまさき Год назад +1

    最近は双方に源氏平氏がおり、源平合戦とは言えないのではないかとの説も有力。

  • @よごてつ
    @よごてつ Год назад +1

    ありがとうございます!

  • @山田隆-p1n
    @山田隆-p1n Год назад +1

    笹無し山って、まんが日本昔話しでやってた、佐々木の奇襲か…
    親孝行な漁師に浅瀬を教えて貰ったのに、機密が漏れる事を怖れて殺しちゃって、漁師の母親に怨まれた話…。

    • @bingosaru
      @bingosaru Год назад +1

      「藤戸合戦」ですね、地元では結構知られてます。
      『佐々木憎けりゃ“笹”まで憎い』の話も有名ですし、地元銘菓「藤戸まんぢゅう」CMでも合戦の絵が登場しますから。

    • @山田隆-p1n
      @山田隆-p1n Год назад +1

      @@bingosaru
      それそれw
      佐々木憎けりゃ笹まで憎い 憎い佐々木ををを
      とか言いながら、母親が手を血だらけにしながら山の笹の葉を毟り尽くして、笹なし山になった
      って話…ですよね

    • @石井美知
      @石井美知 Год назад +1

      藤戸合戦は跡地というかお寺があるのは知ってるのですが、口封じで地元の人が亡くなるのはなぁ。
      屋島合戦の話は聞くけど藤戸合戦の詳細があまり知られてないのは源氏にとって知られたくない話だからだろうな

  • @Dradlo
    @Dradlo Год назад +2

    後知恵かもしれないけど…天候の回復と主力の集結を待って決戦を求めても、安徳天皇と神器が事前に逃がされていた場合、よほど一方的な勝利でないかぎり屋島を奪っても史実のように大勢が一気に傾く可能性は低くなるのではないでしょうか。
    損耗した軍勢で瀬戸内を追撃する、または屋島を維持している間に平家が体制を立て直せば決定的な勝利を得られなくなり、源氏の目指す新秩序(あるいは義経自身の権威?)が不十分なものになりかねない。
    どのみち安徳天皇と神器が逃げるなら奇襲をしかけ、海に押し出された平家が義経の主力から逃げたという状況を演出した方が得ですから。
    …こんなことを考えていたかはわかりませんが、
    じゃあ少数で嵐の海渡っちゃお、って実行しちゃう義経やべぇ…

    • @非株式会社いつかやる
      @非株式会社いつかやる  Год назад +2

      そこは難しいところですね~
      たしかに主力の集結後に屋島で決戦を挑んでも、予め安徳天皇と神器だけ逃してた可能性はあります。
      ただ、問題は九州と中国が範頼によって抑えられてしまってた事です。こうなると屋島から彦島に逃す場合はそれなりの戦力をお供させなきゃいけないから屋島での決戦兵力に支障がでます。加えて平家は是が非でも屋島を奪われるわけにはいきません。
      となるとは木曽義仲を水軍でコテンパンにした事もある平家軍は海での戦闘はかなり自信をもってたので、神器と安徳天皇を押し立てて決戦をした可能性もあるかと。
      実際、どうなってたかはわかりませんが範頼の働きと安徳天皇・神器が平家軍の動きに制約をかけてたって感じがします。

    • @Dradlo
      @Dradlo Год назад

      神器と安徳天皇を押し立てて決戦をした可能性、たしかにそちらの方がありそうな気がしてきました…
      屋島は生命線なので全力で死守、さらに得意の水軍を以って源氏方の主力を決戦で撃破できれば戦況に影響を及ぼせそうですし。
      ではなぜ義経は危険を冒してまで奇襲を敢行したのか…中国九州の失陥で、時間をかけることは源氏有利に作用すると思われるのに?
      その正面からの決戦というリスクを避けたかった?じゃあ奇襲しよう→嵐でも渡海しよう→伊予に主力が分散してるうちに攻めよう→そのうち味方の船団くるでしょ、みたいな、屋島を取れると思ったから取れるうちに取ったれ、みたいな神懸かり的アドリブの連続の結果なのか…
      義経が、安徳天皇・神器を屋島で抑えるか彦島に追い込むかに大きな違いはない、と考えていたならばチャンス(と義経だけが感じた)を優先したのか…
      やはり凡夫の自分には計り知れないw

  • @user-ryokutya03
    @user-ryokutya03 Год назад +3

    義経に政治力があったとしても後に粛清されそうですよねぇ……やっぱり……

  • @Gumontheroad
    @Gumontheroad Год назад +1

    優秀な弟は怖いから消すやで

  • @松尾慶一-n5s
    @松尾慶一-n5s Год назад +1

    ありがとうございます!

  • @ノルアドレナリンアセチルコリン

    制海権取られてたのに、範頼軍は九州に上陸できたのか

    • @bingosaru
      @bingosaru Год назад

      先の大戦中、なぜ英国海軍が圧倒的な海上優位を築いていたのにドイツ海軍艦隊がドーバー海峡を通過する事が出来たのか?…に近い話???

    • @ノルアドレナリンアセチルコリン
      @ノルアドレナリンアセチルコリン Год назад

      @@bingosaru 少数による上陸とか、通過ではなく、九州を制圧するための大規模な上陸もできるのかーって思いました。

  • @YS-wo2gc
    @YS-wo2gc Год назад +1

    ありがとうございます!

  • @ベテルギウスタウ
    @ベテルギウスタウ Год назад

    反対したとすれば梶原景季(えびら源五郎、ゲジゲジの子供で頼朝と義兄弟)

  • @kentayasuda4523
    @kentayasuda4523 Год назад

    義経、政治的な空気読むのは苦手だったんだろうな。

  • @Yumu-bx4hg
    @Yumu-bx4hg Год назад +1

    やったーーーーー

  • @anamaru
    @anamaru Год назад +1

    地元きたー

  • @あいうえお-q6h4t
    @あいうえお-q6h4t Год назад +5

    壇之浦行ったけど意外と狭いんですよね

    • @はくさい-h4e
      @はくさい-h4e Год назад +3

      今埋め立てられて昔より狭くなったんじゃなかった?

  • @大記吉本
    @大記吉本 Год назад +1

    副社長はなかなかやる。

  • @bushimaru334
    @bushimaru334 Год назад +3

    一コメですよろしくです