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胸が熱くなるお話をありがとうございました。幼少の頃に生演奏に触れて50年、ずっとアバドを追い続けてきました。その中で愛聴してきたこの2枚は、ベルリン・フィル選出時のエピソードをからめた名演、来日公演の中で1番心躍った名演として、今も宝物にしています。今回、その場にいた団員の方の話がきけて、さらにこの2枚への想いが深まり、涙がこぼれました。
団員さんの証言、凄いですね!あのチャイ5は演奏した方も快心の出来だったんですね~ なんつっても演奏中笑顔が出るくらいですものね!当時ベルリンフィルの1st.Vnはなんだか全員コンマスみたいな顔してましたね☺その前の来日時のブラームスも凄い演奏だなーと思いましたし、3回目の来日でのラ・ヴァルスも相当な迫力でしたよ。テレビでもジルベスターでのティルやハンガリー行進曲など、「大熱演」がいっぱいあって楽しかったです!S.マイヤーがトップに座って吹いてるのは、アルプス交響曲の映像でも見ることができますね🎵あとテレビでバルトークのオケコン(4楽章)のリハーサルとカラヤンとの稽古の様子!これはどなたか持ってると思うのですが。。
ありがとうございました。
サントリーホールでのチャイコフスキーの五番と禿げ山の一夜がユーチューブでアップされていて見ました。NHKで放送されたのも見ました。
徳岡先生、私もブラ3、チャイ5、アバドの最高名演だと思います。動画を拝見して私が好きな演奏を、その周辺環境を踏まえた内容をお語り頂けたことを深く感謝申し上げます。アバドの流麗な指揮姿はこれまでの指揮界の第一と考えますし、その演奏に加わったベルリンフィル奏者がアバドと神秘的な時間を共有できたことを理解できただけでも私は幸せでした。本当にありがとうございました!
ありがとうございます。アバドも演奏スタイルが結構変転しましたし、晩年は古楽スタイルにまで行きつきましたが、やはり一番聞き返す機会が多いのは1981年ぐらい、スカラ座と来日した頃からベルリンフィルで古楽スタイルを取り入れる2000年あたりの演奏です。ブラームスはベートーヴェンよりもアバドに合っていたと思います
感動的な語り口でした。もう曲とその思い出への熱が凄い。引き込まれました。
いえ、私くしもボイマーに話を聞かせてもらって、自身胸の熱くなる思いがしました。これ、ぜひ皆さんにお話ししておきたいと思ったものです。
今回の解説にもドラマを感じましたよ!人の営みには、それぞれの背景や事情が、そして偶然が、複雑に絡み合って、結果、唯一の成果として残されるものなんですね。話の次元が違いますが、イエスの磔刑と死を思いました。イエスが言う、成すべきことを為すにしろ、そこに様々な人の図りごとや思わくが絡み合って、あのような歴史になったのでしょうか。人間とはみな面白い歴史ドラマの主人公なのでしょう!
今回はまさに名演ですね。
クーベリック生涯最後の演奏会になってしまったわが祖国、サントリーホールにいましたね。いま冷静に聴くと冷戦終了という世界情勢がこの演奏に箔をつけているように思わなくもないですね。。。
ふふふ… ま、その時代ならではの演奏、そして受け止め方というのがありますから。それだけにあの『我が祖国』の、いまなお伝わる魅力というのはあると思います。
ブラームスは、1996年のベルリン芸術週間での3番もライブらしい掘りの深さと押し出しの強さがあってよかったです。アバドは2007年5月にもブラ3を指揮しましたが、当時ベルリンで勉強中だった日本人の指揮者の方のブログで、1楽章でClが落ちたのでおかしいなと思ったら、アバドが1拍早く振っていて、あれじゃBPOも大変だったろうと書かれていたのを記憶しています。チャイコフスキーは徳岡先生仰せの通り、この日本公演が最も完成度が高いですね。sfpの箇所をご指摘されていましたが、曲全体がこういう情緒に溢れた濃厚な演奏ですね。NHKの当時のBS放送をDATで録音しましたが、フォーグラーのために全体の録音レベルを下げたような記録で、DVD以上に生々しくドラマチックな録音になっています。
徳岡先生の解説 今回も興味深く拝見しました。
徳岡先生、ありがとうございました!神回でした!高校生の頃を思い出して、涙出ました。。
皆さん、やはりそれぞれの思い出・思い入れがあるのですね。
@@atm-naokimusic 先生、ご返信ありがとうございます。私事で恐縮です。94/10/14は確か金曜日で、翌週から高校の修学旅行に出ました。旅先でもずっとこのコンサートの音が頭で鳴っていたのを、今日思い出しました。。直前の10/3月曜はショルティの中継も入って、ともに良き思い出となっております・・・
生き証人の語る話ほど説得力があり信憑性の高いものはありません。ボイマー氏との対談…すばらしいですね❣
はい、自分も無邪気に昔の名演を懐かしむボイマーの表情を見ていて、胸がいっぱいになりましたよ。
この放送は神回!カラヤンとサビーネマイヤーの経緯は興味深かったです。先日徳岡先生とツイッターでやり取りしたチャイコの5番に関する情熱的な解説は納得させられました。ムラヴィンスキーはより楽譜に忠実でもう少し厳しい印象ですがイタリア人のアバドの解釈の違いが面白く、よりロマンチック。
はじめまして。演奏会で生で聞いた印象と、後でCDで聞く印象はけっこう違いますね。生で聞いて感動した演奏をCDで聴いて、あれ?と思ったこともありますし、逆にベーム・ウィーンフィルの1975年の演奏は、NHKホールが広すぎて、舞台がはるか遠くにある感じで、演奏に集中できず、後に放送されたFMや購入したレコード・CDを聞いて、「こんなすごい演奏だったのか」と思うこともあります。ホールや聞いていた座席によっても、印象が変わってしまう気がします。
84年秋の来日公演のチケットを買ってたので、カラヤンは来るのか?とヤキモキさせられましたね。。。
詳しい解説ありがとうございました。僕はアバドとベルリンフィルのブラームスは2番が好きです。若きアバドの快活なスタイルが好きです。
1970年代、アバドの最初のブラームス全集でもベルリンフィルと第二交響曲、録音していますね。最初の録音はウィーンフィル、ドレスデン、ロンドン交響楽団と、四つのオーケストラを指揮したものでしたが、当時からベルリンフィルとのに版は高く評価されていた演奏です。1992年1月、アバド時代になってからの初めての日本公演もブラームスで、特に2番のコンサートはテレビ放送されましたし、1994年のヨーロッパ・コンサートでも取り上げられ、この曲をアバドがどのように指揮したのかを見ることができます。
先生、ありがとうございました!ストーリーが抒情的で非常に楽しめました。先生の影響か?アバドは大好きなので大変興味深く楽しませていただきました!さて、私の中ではアバドとミドリさんのチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲が大好きなのですが、もし機会あれば奥様のスーランさんのおすすめのヴァイオリン協奏曲も是非ご教授いただきたいです😆
編集が不調なので再投稿で失礼します。先生、個人的ツボの彼のチャイコフスキー(と少しの言及ですが日陰がちのブラームスの合唱曲)を熱量で圧して下さりありがとうございます。アバドのブラームス3、海賊かDGか?違いのわからない男なのでバーンスタインのマーラー・6・ウィーン・1988の海賊かDGか?と同じく只管聴坐です。もう10年なんですね、ルツェルンと悲劇的序曲だけ遺して。新境地は聴きたかった。チャイコフスキー/東京/ベルリンは前任者の十八番を出し抜いてますね。カラヤンの演奏ではないが前任者の遺産無しでも成立せぬ透かし彫り。(アバドに申し訳無い)でも過渡期のアバドにしか出来ない何とも形容し難い超名演惰性の拍打ちでない呼吸感のある押し/引き波第一楽章の展開部のタンタタンの無二の歯切れの良さ=合奏力(素人表現すみません、ティンパニは誰ですか?)第二楽章冒頭の控え目にも程があるだろうという語り口の逆説的空恐ろしさ。後は言わずもがな。絶妙な匙加減と肌感覚に基づく静謐感と透明感。前任者の重量感と併せて成り立つそのダイナミックスはこの時辺りが潮時だったか。先生の「心躍る絶頂期」に頷くばかり。90年代後半以降信じるものを追求し過ぎたのか、カラヤンの遺産を食い潰したか、音が痩せ果てました。逸れますが、あのスルメを噛む様に何度も読める「フルかカラか」第二弾、川口さんだったかのライスター教授のアバドへの言葉(何時?)も響きます:「貴方は潜在能力の50%も出してない(か2倍は出せる、のニュアンスだったか)」でも、(勿論身も蓋もない「精神性」から程遠い暴論ですが)指揮者って結局振り姿が音に出るよなと想わされる東京の彼の立体的/非対称的振りの為せる技は鮮やか。これが今回紹介の録音/映像の魅力(そして旧楽団員が良き感傷に何度も浸れる)の一つの源かと勝手に思量します。返す刀で80年代以前の未だ未だ此れからという解釈を当時の少ない映像に見られる二次元的/対称的振り(引き出しが少ないかな?)に浅はかながらも結び付けています。先生が目(耳)撃した彼はどうでしたか?何処であんなに大化けしたのでしょうか?また書きなぐり失礼しました。お住まいの地の奥様との安寧、祈念します。
徳岡先生ありがとうございました。ところでアバドとは全く関係ないのですが、最新号の「モーストリークラシック」のP96,97にフルトヴェングラーのステレオ録音があるとの記事が掲載されておりました。曲目はヒンデミットの「世界の調和(録音:1953年8月30日)」、ウェーバーの「魔弾の射手(録音1954年7月26日)」などです。御存じのことがあれば教えてください。レーベルはターラです。
土屋さんのドキュメンタリーでも述べられていましたが、マイヤー採用の時は木管セクションが大反対して、それを弦楽器セクションも尊重したという面があったようです。それにしても、ライスターのカウンターパートになる首席クラリネットは、ローデンホイザー、マイヤー、ブラントホーファーと短期在籍が続きましたね。これはクラリネットの特殊性なんでしょうか?あと、カラヤンがマイヤーの採用にそこまで積極的でなかったという話は初めて聞きました。よろしければ詳細お伺いしたく思います。
マイヤーは我が強い我道をゆくと言う演奏〜完全なアンサンブルを重視する〜ベルリンフィルとは衝突する〜🎷
大変興味深い内容でした。二つの演奏、どちらもCDで持って聴きましたが正直(スミマセン)記憶になく改めて聴いてみようかと思います。カラヤンのブラームス3番ですがやはりイマイチな感じです。ウイーンフィルとの演奏の方が味わいがあるのかと。ただ、レオン・シュピラーの引退コンサートの番組で、それまでカラヤンもこの曲に苦心していたが大阪公演での演奏は素晴らしい演奏であったと述べておりCD化を望んでいます。アバドのこのCDが販売される時期、勘違いであれば申し訳ないのですがちょうどジュリーニがウィーンフィルとのやはりブラームスチクルスが販売されレコード芸術でもジュリーニ、アバドの評論が記載されていました。自分はその頃、ジュリーニも3番を購入しとても感動し今でもベストの演奏の一つと思っています。終楽章のメロディ、先にチェロで次にヴァイオリンの部分にホルンをエロイカ風に重ねて吹かせているのが俗な言い方ですみません、ツボにハマっています。アバドの生演奏は2回あります。ベルリンフィル就任時すぐの日本ツアー、ブラームスチクルスとマーラーの3番です。ブラームスチクルスでは初日の悲劇的序曲、ハイドンヴァリエーションと1番を聴きました。この演奏、特に交響曲は凄い演奏でした。あくまで個人的な感想ですがサントリーホールのLBブロックの席から聴いていたのですがオーケストラが暴れ馬のようになっておりアバドは殆ど制御できず顔が引き攣っていました。しかし、演奏はそれゆえか(あるいはカラヤンの亡霊のなせるものか)スリリングで熱狂的なものでした(フォーグラーのティンパニーには痺れました)。それはこの日本公演の数週間後にベルリン本拠地でした演奏(NHKBSで放送されたもの)がアバドのコントロール下におかれ全くつまらない演奏であったと憤慨したからです。同様に1番の次の演奏会、ヴァイオリン協奏曲と2番の演奏もアバドならではのものでベルリンフィルは軽くてウルサイオケになっていましたが。今回のような実際の演奏に居合わせた演奏家に話を伺うことができ、それを提供していただけるのは本当にありがたいことで感謝しております。次回も楽しみにしています。
アバドのDGブラームス全集は、マイナーな曲も含めた百科事典的なセットが魅力的で、購入してしまった記憶がある。生煮え的な演奏も多くて全部が納得出来る記録ではなかったが、確かに交響曲第三番は異様な出来映えに感銘を受けた。こういう百科事典的な嗜好は、アバド世代に特徴的な傾向だと思う。カラヤンにもその傾向があったが、彼の場合単に全集製作の目的だけで、あまり興味のない曲ではだらけた演奏をしがちだった。しかしアバド世代の指揮者になると、作曲者が未熟だったり、完成度が低い作品でも、傑作の真相を探る上では必要なピースだという考え方が強くなり、不遇な作品も熱心に取り上げることが増えていった。そこにはレコード録音が盛んになり、聴衆の側も定番名曲の繰り返しから、新たな刺激を求める風潮も影響していたかと思う。その流れで古楽器奏法が台頭してきたのは自然な流れだが、さしものアバドもピリオドアプローチには上手く順応出来ず、晩年はかなり迷走してしまったというのが正直な感想。そういう影響が少なかった90年代前半時期までのアバドとベルリン・フィルの演奏は非常にノっていた印象がある。
個人的にはアバドは好きではなく、曲の始まりから高音弦等が不自然に強調された合奏や、かと思えば木管等の弱音パートのソロが不自然に線が細くヨロヨロになる、気の利いたニュアンスが少なく響きが単調ぎみになる、など不自然な音楽の作りを感じる事が多いです。特にベルリンフィルやウィーンフィルでは悪い部分が出る傾向があるように思われ、実際に当時の批評ではアバドはシカゴなどに比べウィーンフィルには要求しなさ過ぎると言われていた時がありましたね。1988年頃にウィーンフィルとのマーラー9番のCDが発売されて、当時のレコ芸の海外批評訳では、アバドのマーラー9番は確か特徴もなくつまらない意味で「危険な演奏」の書かれていたのを覚えています。これに比べてロンドンso時代の方が無理な力が入らず自然な流れを感じる演奏がみられたと思います。ですので個人的には、カラヤンの1988年10月のブラームス3番・4番の方がアバドより良い演奏に思ってしまいます。カラヤンのは昭和天皇のご容態が思わしくない報道が多くなり始めた時期の録音で、気のせいか今聴いても独特な重苦しくインテンシブな雰囲気を感じるときがありますね。
こんにちは。「ザビーネ・マイヤーの(クラリネットの)ねいろは周囲と合わない」←カラヤンがベルリン・フィルに呼んだと少なくとも僕は聞いている、ミシェル・シュヴァルベ(コンサート・マスター)、ジュスト・カッポーネ(ヴィオラ首席)、ジェームズ・ゴールウェイ(フルート首席)の例を考えると、「どこまで本音だったんだろう???」と思います。ベルリン・フィルにとっては、第二次世界大戦に敗戦して以降しばらくの間、ついでに述べればカラヤンが終身首席指揮者兼芸術総監督に就任して以降しばらくの間に限った話だったんでしょうか?それはそれとして。1989年10月のベルリン・フィル団員による新首席指揮者選定会議では、土屋邦雄さんの電話インタビュー(インタビュアーは確か音楽評論家の黒田恭一氏だったと記憶してます)によれば、団員たちの総意は「終身にはしない」事、また、一部の団員からは、新たな首席指揮者はすぐには見付からないだろうから、それまでの繋ぎ、暫定的な指揮者としてバーンスタインを推す意見が出たそうです。
バーンスタインではなく、カルロス・クライバーです
@@オボットマン さんカルロス・クライバーの名前も、動画にある通り、新首席指揮者候補として挙がりましたが、土屋邦雄さんはバーンスタインの名前も挙がったと言っておられました。なお、今思い出しましたが、土屋邦雄さんはドイツ語発音で「ベルンシュタイン(Bernstein)」と呼んでいました。
それなら当時リアルタイムで土屋さんの報告を聞いてましたが小澤、メータ、マゼール、ハイティンク、ムーティ等挙がってましたよ。ベルリン・フィル団員による総選挙なので色んな指揮者の名が挙がるのは当然です
@@オボットマン さんはい。仰る通り「当然です」。
バーンスタイン好きなんですか?
1982年にザビーネ・マイヤーの入団を拒んだBPOが、1992年にはエマニュエル・パユを迎え入れました。私にはパユの方がよほどBPOの音色や演奏様式に適合しないと思われます。マイヤーは当時、BPOの奏者たちとの優れた室内楽録音を残しています。マイヤーはBPOの団員としてやっていくだけの能力と資質を備えていたように思われるのですが‥‥。
はい、後これは誤解を生むと困るので口にしませんでしたが、当時のベルリンフィルにはまだ女性団員はいませんでしたね。
@@atm-naokimusic ご存知かもですが、TV「カラヤンとベルリンフィルのすべて」(1981年 TBS) で安永徹さんが「決して女性を入れないということではなく、ある時フルートの可愛い女の子がオーデションを受けたときは、楽員みんな『いい演奏してくれ!』と祈ってました。」というようなことを仰ってました。マイヤーの事も安永さんの見解やリハ映像付きでかなり時間裂いて取り上げてましたね。僕もパユよりはツェラーやゴールウェイの濃厚な味わいが好きだなとも思いましたが、実際にパユ聴くと、やっぱり凄い音してますね。
申し訳ありませんが、私は徳岡さんとは逆の感想でした後半のチャイコフスキーの5番にはあまり感銘を受けませんでした前半の火の鳥の方がダイナミックレンジが広くて素晴らしかったと思います私は当時NHK-FMでサントリーホールからの生放送を聴いていまして、その時の現地での解説が黒田恭一さんでした黒田さんが火の鳥について「音響スタッフの方が(ミキサーなどのバランスに)苦労されるだろうなと思われるような凄い音でした」と仰っていたのが印象的です私はベルリンフィルのチャイコフスキーの5番ならフィルハーモニーでのカラヤンとの1973年9月8日のライブ録音が素晴らしいと思います青裏で持っていますが録音も良く、同年のユニテルの映像や2年後のDGの演奏より良いと思っています
🎷マイヤー音色が乾いているvsベルリン・フィル🎻🎺オケの重厚な音色と違う〜です
カラヤンはFltVの嫌がらせに自分を腐らせてはいけないと言う意識だったと奇跡のカラヤンで解説していた〜
13:58 もしかして、これ↓ですか?(' ' *)ruclips.net/video/ITmeq6CAQkU/видео.html
そうです、この演奏です!
@@atm-naokimusic よかったー!(๑>◡
素晴らしい3番ですね、隅々まで光が行き渡っており鳥肌が立ちました。貼って頂き感謝です
アバドの多くの演奏は、ベルリン・フィルの音楽性とは合わないように思いますね。音の出だしを同時音出ししたがるアバドの運動性と、「ウン」と貯めてから出たいベルリンは呼吸が合わないように思います。◇クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団演奏会<1992年><曲目> ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品77 ブラームス作曲 交響曲 第2番 ニ長調 作品73 ブラームス作曲 ハンガリー舞曲第1番 ブラームス作曲ヴィクトリア・ムローヴァ<出演> 管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 指揮:クラウディオ・アバド 収録:1992年1月25日 サントリー・ホール(東京)が2024年11月にNHKで再放送されました。チャイコフスキーの5番なら、私はストコフスキーが最も好きなのです。なぜかというと、それはそこに彼の感じる「憧れ」が聞き取れるからです。アバドの音楽には、音楽そのもの以上のものが響かない。私は、その無機質な音楽性が理解できないのです。ブーレーズは、明らかに知的な喜びを感じているのですが、アバドにとって音楽は何だったのでしょうか。
カラヤン後継にアバドが決まったときはガッカリした。ブラームスの交響曲チクルスもカラヤンの鬼気迫る演奏と比べてあまりにもノッペリしていて即セコハン屋行き
胸が熱くなるお話をありがとうございました。
幼少の頃に生演奏に触れて50年、ずっとアバドを追い続けてきました。
その中で愛聴してきたこの2枚は、ベルリン・フィル選出時のエピソードをからめた名演、来日公演の中で1番心躍った名演として、今も宝物にしています。
今回、その場にいた団員の方の話がきけて、さらにこの2枚への想いが深まり、涙がこぼれました。
団員さんの証言、凄いですね!あのチャイ5は演奏した方も快心の出来だったんですね~ なんつっても演奏中笑顔が出るくらいですものね!
当時ベルリンフィルの1st.Vnはなんだか全員コンマスみたいな顔してましたね☺その前の来日時のブラームスも凄い演奏だなーと思いましたし、3回目の来日でのラ・ヴァルスも相当な迫力でしたよ。テレビでもジルベスターでのティルやハンガリー行進曲など、「大熱演」がいっぱいあって楽しかったです!
S.マイヤーがトップに座って吹いてるのは、アルプス交響曲の映像でも見ることができますね🎵あとテレビでバルトークのオケコン(4楽章)のリハーサルとカラヤンとの稽古の様子!これはどなたか持ってると思うのですが。。
ありがとうございました。
サントリーホールでのチャイコフスキーの五番と禿げ山の一夜がユーチューブでアップされていて見ました。NHKで放送されたのも見ました。
徳岡先生、私もブラ3、チャイ5、アバドの最高名演だと思います。動画を拝見して私が好きな演奏を、その周辺環境を踏まえた内容をお語り頂けたことを深く感謝申し上げます。アバドの流麗な指揮姿はこれまでの指揮界の第一と考えますし、その演奏に加わったベルリンフィル奏者がアバドと神秘的な時間を共有できたことを理解できただけでも私は幸せでした。
本当にありがとうございました!
ありがとうございます。アバドも演奏スタイルが結構変転しましたし、晩年は古楽スタイルにまで行きつきましたが、やはり一番聞き返す機会が多いのは1981年ぐらい、スカラ座と来日した頃からベルリンフィルで古楽スタイルを取り入れる2000年あたりの演奏です。ブラームスはベートーヴェンよりもアバドに合っていたと思います
感動的な語り口でした。もう曲とその思い出への熱が凄い。引き込まれました。
いえ、私くしもボイマーに話を聞かせてもらって、自身胸の熱くなる思いがしました。これ、ぜひ皆さんにお話ししておきたいと思ったものです。
今回の解説にもドラマを感じましたよ!
人の営みには、それぞれの背景や事情が、そして偶然が、複雑に絡み合って、結果、唯一の成果として残されるものなんですね。
話の次元が違いますが、イエスの磔刑と死を思いました。イエスが言う、成すべきことを為すにしろ、そこに様々な人の図りごとや思わくが絡み合って、あのような歴史になったのでしょうか。
人間とはみな面白い歴史ドラマの主人公なのでしょう!
今回はまさに名演ですね。
クーベリック生涯最後の演奏会になってしまったわが祖国、サントリーホールにいましたね。
いま冷静に聴くと冷戦終了という世界情勢がこの演奏に箔をつけているように思わなくもないですね。。。
ふふふ… ま、その時代ならではの演奏、そして受け止め方というのがありますから。それだけにあの『我が祖国』の、いまなお伝わる魅力というのはあると思います。
ブラームスは、1996年のベルリン芸術週間での3番もライブらしい掘りの深さと押し出しの強さがあってよかったです。アバドは2007年5月にもブラ3を指揮しましたが、当時ベルリンで勉強中だった日本人の指揮者の方のブログで、1楽章でClが落ちたのでおかしいなと思ったら、アバドが1拍早く振っていて、あれじゃBPOも大変だったろうと書かれていたのを記憶しています。
チャイコフスキーは徳岡先生仰せの通り、この日本公演が最も完成度が高いですね。sfpの箇所をご指摘されていましたが、曲全体がこういう情緒に溢れた濃厚な演奏ですね。NHKの当時のBS放送をDATで録音しましたが、フォーグラーのために全体の録音レベルを下げたような記録で、DVD以上に生々しくドラマチックな録音になっています。
徳岡先生の解説 今回も興味深く拝見しました。
徳岡先生、ありがとうございました!神回でした!高校生の頃を思い出して、涙出ました。。
皆さん、やはりそれぞれの思い出・思い入れがあるのですね。
@@atm-naokimusic 先生、ご返信ありがとうございます。私事で恐縮です。94/10/14は確か金曜日で、翌週から高校の修学旅行に出ました。旅先でもずっとこのコンサートの音が頭で鳴っていたのを、今日思い出しました。。直前の10/3月曜はショルティの中継も入って、ともに良き思い出となっております・・・
生き証人の語る話ほど説得力があり信憑性の高いものはありません。ボイマー氏との対談…すばらしいですね❣
はい、自分も無邪気に昔の名演を懐かしむボイマーの表情を見ていて、胸がいっぱいになりましたよ。
この放送は神回!
カラヤンとサビーネマイヤーの経緯は興味深かったです。
先日徳岡先生とツイッターでやり取りしたチャイコの5番に
関する情熱的な解説は納得させられました。
ムラヴィンスキーはより楽譜に忠実でもう少し厳しい印象ですが
イタリア人のアバドの解釈の違いが面白く、よりロマンチック。
はじめまして。演奏会で生で聞いた印象と、後でCDで聞く印象はけっこう違いますね。生で聞いて感動した演奏をCDで聴いて、あれ?と思ったこともありますし、逆にベーム・ウィーンフィルの1975年の演奏は、NHKホールが広すぎて、舞台がはるか遠くにある感じで、演奏に集中できず、後に放送されたFMや購入したレコード・CDを聞いて、「こんなすごい演奏だったのか」と思うこともあります。ホールや聞いていた座席によっても、印象が変わってしまう気がします。
84年秋の来日公演のチケットを買ってたので、カラヤンは来るのか?とヤキモキさせられましたね。。。
詳しい解説ありがとうございました。僕はアバドとベルリンフィルのブラームスは2番が好きです。若きアバドの快活なスタイルが好きです。
1970年代、アバドの最初のブラームス全集でもベルリンフィルと第二交響曲、録音していますね。最初の録音はウィーンフィル、ドレスデン、ロンドン交響楽団と、四つのオーケストラを指揮したものでしたが、当時からベルリンフィルとのに版は高く評価されていた演奏です。1992年1月、アバド時代になってからの初めての日本公演もブラームスで、特に2番のコンサートはテレビ放送されましたし、1994年のヨーロッパ・コンサートでも取り上げられ、この曲をアバドがどのように指揮したのかを見ることができます。
先生、ありがとうございました!ストーリーが抒情的で非常に楽しめました。
先生の影響か?アバドは大好きなので大変興味深く楽しませていただきました!
さて、私の中ではアバドとミドリさんのチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲が大好きなのですが、もし機会あれば奥様のスーランさんのおすすめのヴァイオリン協奏曲も是非ご教授いただきたいです😆
編集が不調なので再投稿で失礼します。
先生、個人的ツボの彼のチャイコフスキー(と少しの言及ですが日陰がちのブラームスの合唱曲)を熱量で圧して下さりありがとうございます。
アバドのブラームス3、海賊かDGか?
違いのわからない男なのでバーンスタインのマーラー・6・ウィーン・1988の海賊かDGか?と同じく只管聴坐です。
もう10年なんですね、ルツェルンと悲劇的序曲だけ遺して。新境地は聴きたかった。
チャイコフスキー/東京/ベルリンは前任者の十八番を出し抜いてますね。
カラヤンの演奏ではないが
前任者の遺産無しでも成立せぬ透かし彫り。
(アバドに申し訳無い)
でも過渡期のアバドにしか出来ない何とも形容し難い超名演
惰性の拍打ちでない呼吸感のある押し/引き波
第一楽章の展開部のタンタタンの無二の歯切れの良さ=合奏力(素人表現すみません、ティンパニは誰ですか?)
第二楽章冒頭の控え目にも程があるだろうという語り口の逆説的空恐ろしさ。後は言わずもがな。
絶妙な匙加減と肌感覚に基づく静謐感と透明感。前任者の重量感と併せて成り立つそのダイナミックスはこの時辺りが潮時だったか。
先生の「心躍る絶頂期」に頷くばかり。
90年代後半以降信じるものを追求し過ぎたのか、カラヤンの遺産を食い潰したか、音が痩せ果てました。
逸れますが、あのスルメを噛む様に何度も読める「フルかカラか」第二弾、川口さんだったかのライスター教授のアバドへの言葉(何時?)も響きます:
「貴方は潜在能力の50%も出してない(か2倍は出せる、のニュアンスだったか)」
でも、(勿論身も蓋もない「精神性」から程遠い暴論ですが)指揮者って結局振り姿が音に出るよなと想わされる東京の彼の立体的/非対称的振りの為せる技は鮮やか。
これが今回紹介の録音/映像の魅力(そして旧楽団員が良き感傷に何度も浸れる)の一つの源かと勝手に思量します。
返す刀で80年代以前の未だ未だ此れからという解釈を当時の少ない映像に見られる二次元的/対称的振り(引き出しが少ないかな?)に浅はかながらも結び付けています。
先生が目(耳)撃した彼はどうでしたか?
何処であんなに大化けしたのでしょうか?
また書きなぐり失礼しました。
お住まいの地の奥様との安寧、祈念します。
徳岡先生ありがとうございました。ところでアバドとは全く関係ないのですが、最新号の「モーストリークラシック」のP96,97にフルトヴェングラーのステレオ録音があるとの記事が掲載されておりました。曲目はヒンデミットの「世界の調和(録音:1953年8月30日)」、ウェーバーの「魔弾の射手(録音1954年7月26日)」などです。御存じのことがあれば教えてください。レーベルはターラです。
土屋さんのドキュメンタリーでも述べられていましたが、マイヤー採用の時は木管セクションが大反対して、それを弦楽器セクションも尊重したという面があったようです。
それにしても、ライスターのカウンターパートになる首席クラリネットは、ローデンホイザー、マイヤー、ブラントホーファーと短期在籍が続きましたね。これはクラリネットの特殊性なんでしょうか?
あと、カラヤンがマイヤーの採用にそこまで積極的でなかったという話は初めて聞きました。よろしければ詳細お伺いしたく思います。
マイヤーは我が強い我道をゆくと言う演奏〜完全なアンサンブルを重視する〜ベルリンフィルとは衝突する〜🎷
大変興味深い内容でした。二つの演奏、どちらもCDで持って聴きましたが正直(スミマセン)記憶になく改めて聴いてみようかと思います。
カラヤンのブラームス3番ですがやはりイマイチな感じです。ウイーンフィルとの演奏の方が味わいがあるのかと。ただ、レオン・シュピラーの引退コンサートの番組で、それまでカラヤンもこの曲に苦心していたが大阪公演での演奏は素晴らしい演奏であったと述べておりCD化を望んでいます。
アバドのこのCDが販売される時期、勘違いであれば申し訳ないのですがちょうどジュリーニがウィーンフィルとのやはりブラームスチクルスが販売されレコード芸術でもジュリーニ、アバドの評論が記載されていました。自分はその頃、ジュリーニも3番を購入しとても感動し今でもベストの演奏の一つと思っています。終楽章のメロディ、先にチェロで次にヴァイオリンの部分にホルンをエロイカ風に重ねて吹かせているのが俗な言い方ですみません、ツボにハマっています。
アバドの生演奏は2回あります。ベルリンフィル就任時すぐの日本ツアー、ブラームスチクルスとマーラーの3番です。ブラームスチクルスでは初日の悲劇的序曲、ハイドンヴァリエーションと1番を聴きました。この演奏、特に交響曲は凄い演奏でした。あくまで個人的な感想ですがサントリーホールのLBブロックの席から聴いていたのですがオーケストラが暴れ馬のようになっておりアバドは殆ど制御できず顔が引き攣っていました。しかし、演奏はそれゆえか(あるいはカラヤンの亡霊のなせるものか)スリリングで熱狂的なものでした(フォーグラーのティンパニーには痺れました)。それはこの日本公演の数週間後にベルリン本拠地でした演奏(NHKBSで放送されたもの)がアバドのコントロール下におかれ全くつまらない演奏であったと憤慨したからです。同様に1番の次の演奏会、ヴァイオリン協奏曲と2番の演奏もアバドならではのものでベルリンフィルは軽くてウルサイオケになっていましたが。
今回のような実際の演奏に居合わせた演奏家に話を伺うことができ、それを提供していただけるのは本当にありがたいことで感謝しております。次回も楽しみにしています。
アバドのDGブラームス全集は、マイナーな曲も含めた百科事典的なセットが魅力的で、購入してしまった記憶がある。
生煮え的な演奏も多くて全部が納得出来る記録ではなかったが、確かに交響曲第三番は異様な出来映えに感銘を受けた。
こういう百科事典的な嗜好は、アバド世代に特徴的な傾向だと思う。
カラヤンにもその傾向があったが、彼の場合単に全集製作の目的だけで、あまり興味のない曲ではだらけた演奏をしがちだった。
しかしアバド世代の指揮者になると、作曲者が未熟だったり、完成度が低い作品でも、傑作の真相を探る上では必要なピースだという考え方が強くなり、不遇な作品も熱心に取り上げることが増えていった。
そこにはレコード録音が盛んになり、聴衆の側も定番名曲の繰り返しから、新たな刺激を求める風潮も影響していたかと思う。
その流れで古楽器奏法が台頭してきたのは自然な流れだが、さしものアバドもピリオドアプローチには上手く順応出来ず、晩年はかなり迷走してしまったというのが正直な感想。
そういう影響が少なかった90年代前半時期までのアバドとベルリン・フィルの演奏は非常にノっていた印象がある。
個人的にはアバドは好きではなく、曲の始まりから高音弦等が不自然に強調された合奏や、かと思えば木管等の弱音パートのソロが不自然に線が細くヨロヨロになる、気の利いたニュアンスが少なく響きが単調ぎみになる、など不自然な音楽の作りを感じる事が多いです。
特にベルリンフィルやウィーンフィルでは悪い部分が出る傾向があるように思われ、実際に当時の批評ではアバドはシカゴなどに比べウィーンフィルには要求しなさ過ぎると言われていた時がありましたね。
1988年頃にウィーンフィルとのマーラー9番のCDが発売されて、当時のレコ芸の海外批評訳では、アバドのマーラー9番は確か特徴もなくつまらない意味で「危険な演奏」の書かれていたのを覚えています。
これに比べてロンドンso時代の方が無理な力が入らず自然な流れを感じる演奏がみられたと思います。
ですので個人的には、カラヤンの1988年10月のブラームス3番・4番の方がアバドより良い演奏に思ってしまいます。
カラヤンのは昭和天皇のご容態が思わしくない報道が多くなり始めた時期の録音で、気のせいか今聴いても独特な重苦しくインテンシブな雰囲気を感じるときがありますね。
こんにちは。
「ザビーネ・マイヤーの(クラリネットの)ねいろは周囲と合わない」←カラヤンがベルリン・フィルに呼んだと少なくとも僕は聞いている、ミシェル・シュヴァルベ(コンサート・マスター)、ジュスト・カッポーネ(ヴィオラ首席)、ジェームズ・ゴールウェイ(フルート首席)の例を考えると、「どこまで本音だったんだろう???」と思います。ベルリン・フィルにとっては、第二次世界大戦に敗戦して以降しばらくの間、ついでに述べればカラヤンが終身首席指揮者兼芸術総監督に就任して以降しばらくの間に限った話だったんでしょうか?
それはそれとして。
1989年10月のベルリン・フィル団員による新首席指揮者選定会議では、土屋邦雄さんの電話インタビュー(インタビュアーは確か音楽評論家の黒田恭一氏だったと記憶してます)によれば、団員たちの総意は「終身にはしない」事、また、一部の団員からは、新たな首席指揮者はすぐには見付からないだろうから、それまでの繋ぎ、暫定的な指揮者としてバーンスタインを推す意見が出たそうです。
バーンスタインではなく、カルロス・クライバーです
@@オボットマン さん
カルロス・クライバーの名前も、動画にある通り、新首席指揮者候補として挙がりましたが、土屋邦雄さんはバーンスタインの名前も挙がったと言っておられました。なお、今思い出しましたが、土屋邦雄さんはドイツ語発音で「ベルンシュタイン(Bernstein)」と呼んでいました。
それなら当時リアルタイムで土屋さんの報告を聞いてましたが小澤、メータ、マゼール、ハイティンク、ムーティ等挙がってましたよ。
ベルリン・フィル団員による総選挙なので色んな指揮者の名が挙がるのは当然です
@@オボットマン さん
はい。仰る通り「当然です」。
バーンスタイン好きなんですか?
1982年にザビーネ・マイヤーの入団を拒んだBPOが、1992年にはエマニュエル・パユを迎え入れました。私にはパユの方がよほどBPOの音色や演奏様式に適合しないと思われます。
マイヤーは当時、BPOの奏者たちとの優れた室内楽録音を残しています。マイヤーはBPOの団員としてやっていくだけの能力と資質を備えていたように思われるのですが‥‥。
はい、後これは誤解を生むと困るので口にしませんでしたが、当時のベルリンフィルにはまだ女性団員はいませんでしたね。
@@atm-naokimusic ご存知かもですが、TV「カラヤンとベルリンフィルのすべて」(1981年 TBS) で安永徹さんが「決して女性を入れないということではなく、ある時フルートの可愛い女の子がオーデションを受けたときは、楽員みんな『いい演奏してくれ!』と祈ってました。」というようなことを仰ってました。マイヤーの事も安永さんの見解やリハ映像付きでかなり時間裂いて取り上げてましたね。
僕もパユよりはツェラーやゴールウェイの濃厚な味わいが好きだなとも思いましたが、実際にパユ聴くと、やっぱり凄い音してますね。
申し訳ありませんが、私は徳岡さんとは逆の感想でした
後半のチャイコフスキーの5番にはあまり感銘を受けませんでした
前半の火の鳥の方がダイナミックレンジが広くて素晴らしかったと思います
私は当時NHK-FMでサントリーホールからの生放送を聴いていまして、その時の現地での解説が黒田恭一さんでした
黒田さんが火の鳥について
「音響スタッフの方が(ミキサーなどのバランスに)苦労されるだろうなと思われるような凄い音でした」
と仰っていたのが印象的です
私はベルリンフィルのチャイコフスキーの5番ならフィルハーモニーでのカラヤンとの1973年9月8日のライブ録音が素晴らしいと思います
青裏で持っていますが録音も良く、同年のユニテルの映像や2年後のDGの演奏より良いと思っています
🎷マイヤー音色が乾いているvsベルリン・フィル🎻🎺オケの重厚な音色と違う〜です
カラヤンはFltVの嫌がらせに自分を腐らせてはいけないと言う意識だったと奇跡のカラヤンで解説していた〜
13:58 もしかして、これ↓ですか?(' ' *)
ruclips.net/video/ITmeq6CAQkU/видео.html
そうです、この演奏です!
@@atm-naokimusic よかったー!(๑>◡
素晴らしい3番ですね、隅々まで光が行き渡っており鳥肌が立ちました。
貼って頂き感謝です
アバドの多くの演奏は、ベルリン・フィルの音楽性とは合わないように思いますね。音の出だしを同時音出ししたがるアバドの運動性と、「ウン」と貯めてから出たいベルリンは呼吸が合わないように思います。
◇クラウディオ・アバド指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団演奏会<1992年>
<曲目>
ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品77 ブラームス作曲
交響曲 第2番 ニ長調 作品73 ブラームス作曲
ハンガリー舞曲第1番 ブラームス作曲
ヴィクトリア・ムローヴァ
<出演>
管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:クラウディオ・アバド
収録:1992年1月25日 サントリー・ホール(東京)
が2024年11月にNHKで再放送されました。
チャイコフスキーの5番なら、私はストコフスキーが最も好きなのです。なぜかというと、それはそこに彼の感じる「憧れ」が聞き取れるからです。アバドの音楽には、音楽そのもの以上のものが響かない。私は、その無機質な音楽性が理解できないのです。ブーレーズは、明らかに知的な喜びを感じているのですが、アバドにとって音楽は何だったのでしょうか。
カラヤン後継にアバドが決まったときはガッカリした。ブラームスの交響曲チクルスもカラヤンの鬼気迫る演奏と比べてあまりにもノッペリしていて即セコハン屋行き