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正史に記述が乏しかったり演義に流されたりで、解釈主によって説の多い三国志だが、後半の要となる戦いの解説は非常に興味深く、面白かったです。ありがとう!
夷陵の戦いは劉備の最後にして最大の戦いであり、最大の失態を犯した戦いでもあった事が良く分かる。
大変興味深く拝見させて頂きました。鋭い考察恐れ入りました。劉備は負けられない戦いに負けてしまったのが痛いですねー
動画の出来が素晴らしすぎ。うぷ主さんを陸遜なみにリスペクト!
この戦いで蜀漢の次世代を担うはずの人材を多く失った事が孔明の戦略にも暗い影を落とす事になるこれは劉備の最大の失策であったな
「夷陵の戦い」面白かったです。動画作成とアップロード、ありがとうございます。
大変面白かったです。次回を楽しみにしています。
どんなときも、勝利を前にしても孫桓への気遣いを忘れない朱然が好き。横の情誼の厚さも、呉の強さの秘密だろうね。お仕置きタイムのとき、荊州南部のシャマカが青くなってるの、芸が細かいです。
蜀軍が将官クラスの大量損失を出したのは護衛戦力の戦死以外に軍そのものが総崩れで統率取れなくなってたのも大きいかと。これはこの戦いだけでなく、長篠のような敗走・撤退戦時にはよくありましたけど。あと個人的な想像だけど、劉備が白帝城に留まってたのは撤退時に深手を負ったか、若しくはこの敗戦で政権中枢から隔離されたからだと思ってる。劉備って諸葛亮達いわゆる荊州閥の神輿として担がれた側面がある人で、蜀建国当初は(法正や黃権等一部の例外を除いて)政権中枢の大多数を荊州出身者が占めていたくらい荊州閥が幅をきかせていた訳なんだけど、夷陵の敗戦で荊州奪還の望みが潰えたため只でさえ益州出身者にとっては侵略者でしかない荊州閥が政権を維持するための政治的スケープゴートとして白帝城に隔離・中枢から隔離して実権を剥奪、同時に益州出身者も積極的に政権へ取り込むようにするなど政権維持のため方針を変更することになったと。もっとも取り込んだ結果、北伐から蜀滅亡まで荊州・益州・その他勢力による派閥抗争に悩まされるようになるわけだがそれはまた別の話。
めっちゃ面白かったです!なるほど火計は後方兵站は納得街亭の戦いも是非お願いします
凄く興味深い内容でした、無双で何となくやってた合戦にこんなに深い意味があるとは。。。
蜀軍の向寵という人物、この戦いでは自軍を無傷で撤退させ、後に諸葛亮には出師の表で「善良で公平な性格であり、軍事に精通した人物」と評されている。
冷静に考えると陸遜って三国志の主人公格の劉備と関羽を撃破してる主人公キラーだな。
子曰く、後生畏るべし。二人、とくにインテリの関羽は間違いなく頭に過ったでしょう。年下に挽回不能の大敗を喫した二人、その絶望はいかばかりか。私達にも、その時がくるんでしょうね。
奇襲部隊成功しなかったらただの自爆だからどうかとおもったが陸遜が指揮していたなら博打打てますね、考察に感銘しました
素晴らしい!紹介ありがとうございます。
劉備の最期の城の名前が、白帝城ってのはすごく味わい深い莫大な兵を失って、「白」紙に戻った「帝」の城って意味にとれる曹操が荀彧に送った紙みたいに、劉備自身が白紙に戻ったんだろう
おもしろかったです。チャンネル登録させていただきますね。
おもしろかったです✨登録しました✨
これ何回考えても劉備が『勝ってしまうこと』の方がヤバイよなぁ曹丕にとってみれば、最もおいしい状況が発生してしまう
楽しかったですもうなってんだよで爆笑しました
三国志は曹操、劉備が死んでからが面白いのは間違いないでも三国志の主人公は彼ら(特に曹操)という意見もミーハーとしては忘れたくない、、
戦略の駆引きは面白い。すべてに通じる気がする。
レッツファイヤーはワロタwww
11:34 レッツファイヤー
李白の有名な漢詩「早発白帝城」でも白帝城から江陵まで1日(多分、早朝に出発して日没までに到着)って詠んでるまあ、あっちは上流から下流なので、船足はかなり速かったとは思うが、逆方向でも風が良ければ短時間で背後に回れたんだろう水戦にそれなりに精通してたであろう荊州閥の将も居たはずの蜀軍が、その可能性を考えてなかったのか疑問
この戦いで張飛は素行不良が元で、そして何より馬良を失った。もしこの夷陵の戦いが実行されず皇帝即位を名目に呉と和解し、魏を攻めていたらいや、少なくとも馬良を失っていなければ街亭の戦いで馬謖が調子に乗ることもなかったはず
第二次ハリコフ攻防戦のマンシュタインのバックハンドブロウ(後手の一撃)みたいだな…
なるほど、面白い動画だった。
陸遜も最後は国に忠節を尽くしても孫権が老害化し悶死悲しい最後ですね
カールネージハートの義務教育化か・・実現したらいいなぁ
この時点の劉備は再度呉と同盟できる可能性があると思っていないと考えます。また夷陵の戦い無しに呉との再同盟を成立させるのは無理があるとも思います。(和睦の使者は本当に来たのだと思いますがその時に呉から再同盟を言い出す事は絶対にできない。)この状態では蜀から見た魏呉はどちらも同等の敵。本戦役の大義名分如何より劉備が皇帝を名乗った時点で魏へ侵攻の大義名分を与えてしまっているので何故西征中に漢中が魏に奪還されないという確信が得られたのか不思議です。
すごく面白かったし、すごく勉強になりました。確かに劉備は曹操に比べると政治や軍事でもパッとしないが、無能と片付けてしまうのは無理があると思う。沢山の敗北を重ねても巴蜀を制覇し、皇帝にまで上り詰めた人物。演技からの引用だけど、彼を認めていたのは他ならぬ曹操その人だったんじゃないかな。戦は時の運。夷陵の戦いは陸遜が別格過ぎた。せめて法正が参画していれば、大損害は防げていたのではないかと妄想する。
スケールがデカすぎる
素晴らしすぎ♪みんなにもっとみて欲しい🐥りくそんや劉備より動画主が一番賢い🐥
馮習がボンクラ扱いされてますが、もしそうならそんなのを大将に選んだ劉備の人物眼にも問題が…。
Y H まぁ総大将は劉備だし結局あまり変わらなさそう
甘寧さんは、実際はもうなくなっていたらしいが、横山三國志ではわざわざ引っ張り出されて戦死してたな。
ふとちゃんかわいい
戸次川がいつもダメな例としてあげられるのがウケル>w<
最高におもろいやんけ。
甘寧 シャマカに殺されたってずっと思ってた演技だったんだよね
馬良は演義では、夷陵と成都を往復して、孔明が劉備の陣地の欠点を見抜いたことを連絡しようとして、間に合わなかったことになってる。
城なんてない上に酷暑だったから暑さを凌ぐために森の中に陣地を築いた結果火刑の作にまんまとハマったわけだな。それに気づいたからこそ諸葛亮は劉備の状況を聞いたときこの策を進言した奴を即刻処刑しろと言ったが実際にこの策を指示したのは劉備だと聞いたときに大層落胆したそうだねぇ
主も昔は普通に霊夢使ってたんですね😗
20:38 自分用
劉備は馬良や黄権の意見も無視し大敗し高級将校を多数含む大多数の兵士を失いました。夷陵の推移を見てれば私怨専行ではなく冷静に事を進めている事が分かります。ちなみに馬良は演技では病死扱い史実は夷陵で戦死してますのでなぜか最近では混ぜこぜにされてますね
サムネwレッツファイヤーは誠に草ぁwww
劉備が私怨に駆られて虐殺を行うような人間ではなかったことは重要で、それが良くも悪くも出たわけですな。曹操は死後100年後には極悪人として非難され、今日まで続いている。
すいません、本題からズレますが、使用しているBGMの名前が知りたいです。誰か、教えてくれませんか?
東方妖恋談(東方緋想天)です。
@@ShintoSyugeki ご丁寧にありがとうございます。動画いつも楽しく拝見しています。自分も歴史好きですが、自分の視点を持つ重要性が動画を通じて分かりました。これからも楽しく拝見させていただきますます。
忘れてる人も多いけど何ヶ月も対峙してるその間呉の主力はほとんど動かなかった末端の兵士は戦略なんて頭に無いからここまでの戦勝と望郷で緩むのは仕方ない配下の将軍含め入蜀以降の人間も多かっただろうから関羽だ荊州だと言っても一旦下がった士気はどうにもならない壊滅したのは当然だからこそ魏も大規模作戦の準備をしていたのだ
将官の戦死数に差がありすぎる→長篠の戦いと同じ状況ではw(武田軍ほぼ壊滅、織田徳川軍死傷者兵士のみ)
この敗戦は狭い退路を寸断されての包囲殲滅ということで、イメージはトラシメヌス湖畔でハンニバルにやられたローマ軍に近いかもしれません。
こう見ると赤壁の戦いは無かったんじゃないのかと思う
曹操軍の将官クラスに戦死者がほとんどいないから赤壁で大規模な決戦があったとは考えにくいと言われてますね
赤壁の火計は演技(民衆が作ったフィクション)であり史実では風土病などが流行り撤退しています。そも曹操程の人がわざわざ相手にアドバンテージがある水上決戦を行うとは思えないですし。
劉備は、自分は曹操には劣るが、それなりにデキル男だという自覚があったようです。なので、曹操存命時は、あえて曹操の革新性の対立軸を標榜する事で、辛うじて自分の存在意義を見出して、諸葛亮など優秀な臣下の意見に耳を傾けるポーズを取る事で、陣営が上手く回っていた訳なのですが、曹操が死んで、油断したのではないかと思います。老害……と言ってしまえば、気の毒ですが、抜群の人物鑑定眼を誇った劉備も、自分の能力が自分で考えるよりも低い、という根本的な事実だけは、見抜けなかったのです。それにしても、夷陵の戦い、は中原を舞台に群雄割拠していた時代とは違って、三国志の中でも、寂寥感が漂う、もの悲しい雰囲気なんですよね。関羽、張飛が死に、劉備は衰え……曹操も既にいない。戦争目的に大義らしい大義もない。たられば、ですが、曹操が荀彧を得た頃に、劉備の元に、諸葛亮がいればなあ、と思います。
だから基本戦国時代の焼き討ちによる攻城も城本体ではなく城下町に行う城本体が焼ける場合は基本的には自害の時
まあ4万対5万の戦だから当然呉にも大きな被害が出るが武将がここまで大量に戦死するレベルとなれば少なく見積もっても蜀軍の死者は1万5000~2万と言った所か
これよく夷陵から逃げ切れたな…と、この戦いの説明を聞くたびに思うわ。今後の交渉のためにわざと逃がした、とか考えたけども(関羽を仕留め、張飛殺しの逃場となった時点で役満なのに、劉備まで呉の手で殺したら蜀と呉はいよいよ終わりだしね)
レッツファイアー(笑)
すごく楽しかったです。しかし、蜀軍は水路を無警戒にしていたのかが気になります。戦いである以上、警戒はきちんとしていたようにも思います。後方の陣地を焼き払うにしても、ある程度の数は必要でしょうし、夜間とはいえ、軍船が通れば目には止まるでしょうし。うーん、歴史はいろいろ妄想できるから本当に楽しい♪
一年近く膠着状態で軍規がかなり緩くなってることから、ロクに警戒はしていなかったと思われること。その上、当時は街の明かりなどもなく、描写はありませんがおそらく月のない夜だったのでは?劉備軍の明かりだけで幅1キロの長江を見張りきれないと思います。
劉備は呉の領地に深く侵入しすきだな、自軍の領地の近くに留まって陸遜を観察してれば大損害は免れた
いっええーーい!😆山賊劉備が汚ぇ花火になるのは楽しいなー😂
劉備は戦術家としてはずば抜けてるけど。戦略は不得意なのよね。後、劉備の目的は旧荊州領の奪還でしょうな。
逆でしょう。荊州奪還→魏を攻撃という戦略は優れていたが、肝心の呉との戦闘(戦術)は上手くいかなかった。
BGMを知りたい
「東方妖恋談」の萃夢想Verです。
@@ShintoSyugeki ありがとうございます。
面白かったよ!しかし、つくずく劉備は戦いが下手くそですよね。徐庶が劉備の下に残っていたらと.....
それはないでしょうね。徐庶ってそれほどすごかったという記録もないし。馬良黄権あたりが徐庶には及ばないとも言い切れないし。歴史にIFというものはないのですが、曹操や陸遜のように大きな能力を持った総大将レベルの人物であればともかく、または賈詡や郭嘉のように進言を無視したら負けフラグにしてしまうほどの実績をもった軍師でもないですし。徐庶黄権馬良程度の一個人レベルがこの大戦を左右するものでないと思います。やはり劉備は優れた部下がその人徳で集まってきてもそれを効果的に扱える能力は曹操、孫権には遠く及ばなかったと思います。あえてIFをつけるなら諸葛亮が蜀軍の総大将であったらここまで最悪の状況になることはなかったとは思います。まあ諸葛亮なら戦略レベルでもう少し違ったアプローチをしていたでしょうが。
Richard Takki あーちなみに諸葛亮は陸戦が得意の人なんで、水軍百戦錬磨の呉軍と戦って居たら流石に無理です。水軍との戦いだと魏は赤壁の戦いで負けてます。風土病で亡くなってしまった郭嘉が居ればと曹操が嘆いたそうですが、流石に北の陸地戦しかした事が無い人間が水軍の精鋭と優秀な水軍司令官が居たので無理だったでしょうね。赤壁の戦いは周瑜、黄蓋、魯粛と言う3人の優秀な司令官が居ましたし。
ホウトウも死んで無かったらなぁ〜
徐庶がいたら、この夷陵の敗戦を覆せたか?それは、何とも言えない、のでは……。夷陵の戦い、は、動画主様が、ご指摘の通り、実際には劉備が勝っていてもおかしくはない、陸遜にとっても際どい状況でした。しかし、結果は周知の通り、陸遜側の一方的な勝利でした……。私は、郭嘉、諸葛亮、徐庶のファンですので、個人的には徐庶が何らかの計略を使って、陸遜を打ち破る、というタラレバは、大変に胸踊るシチュエーションですが……。徐庶は、それほどすごくない。との、ご意見には賛同いたしかねます。徐庶は、劉備陣営からの降臣にも関わらず、右中郎将・御史中丞、という官職にまで昇ります。徐庶は、うだつの上がらない単家の出自で、人脈もコネもなく、また若い頃には任侠の徒を気取って人を殺し、指名手配になってもいます。曹操は、優秀な人材を集めるためには、多少、脛に傷を持つ不逞の輩でも、召し抱えていましたが、それは、曹丕の時代には、当てはまらず、曹丕は、基本的に罪人は重用していません。そんな中でも、高官に昇進した、徐庶は、ヤバいくらい凄いですよ。仮に、徐庶が初めから曹操陣営に加わっていたら、頭角を現していた事は、想像に難くありません。まあ、タラレバですが……。
郭嘉が生きてたらこんな長引かない
みんな劉備が戦下手とか何か誤解してると思うんだよなぁ
本当に戦下手な人間なら、曹操から最後まで脅威として認識されたり袁紹から一軍任されたりするわけないんだよなぁ。実際、負けた戦も全盛期の曹操や呂布といった格上相手のときくらいで官渡や漢中等では活躍してるわけだし。
実際は小中部隊の指揮は大変優秀だが夷陵のような大部隊の指揮はイマイチだったみたいですね。求められる物が違うと言えばそれまででしょうが
謎の反転で草、嗚呼。
いまさらですけどルカナンとかスクルトって実際にはスクルトの部分はマヌーサかマホトーンじゃないと相手に仕掛ける策略じゃないですね・・・
馮習の陣も火の海だ。横山三国志では、名前しか出てこない馮習さん。もしかしたら玄徳にミソつけない為の身代わりかもだし、死人に口なし、とはいえ、やっぱりひどすぎる怠慢には違いない。
確かにうp主の言うとおり夷陵の戦いの時に陸遜は作戦の全貌を部下に全く話さず道中の拠点をすべて適当に戦闘させて的に明け渡すという策をとってたせいで武将クラスからの信頼はほぼ皆無だったし尚且つ大都督といってもなる前は浪人だった奴が急に君主の命で大都督になったやつとか信用できないと思われてたろうしな。実際出撃したとしても全戦敗北になってるしな。陸遜からしてみれば敵を夷陵より前に出させさせて補給線を伸ばさせて火刑の退路を断ち尚且つ包囲しての一網打尽という超重要任務を他人に任せてられないだろうしな。でもなんかよくわからんけど火刑をしたのは朱然だというのが通説なんよな?陸遜の考えを理解してたり逆に陸遜に信頼されてる人物だったのかな?と疑問もでる
東南の風って、赤壁と同じ?
孔明は軍事の才能は無かったらしい。孔明を尊敬していた正史三国志の著者陳寿も孔明の事「悲しいかな、応変の才能はなかった」と書いている。政治家としては非常に優れていたが軍事の才能を持っている人を見抜け無かった。
軍事の才能はあるよ、曹操みたいな天才じゃないってだけで政治家としては天才
銀英伝のアムリッツア会戦はこれがモデルかな?
不利な状況で軍を集結させて決戦している所はとても似ている。
楽しい(((o(*゚∀゚*)o)))
蜀軍にも水軍はいたのに、サボりすぎだろ。
いたんだが劉備という物が陸に上げてしまったり引き上げさせた。水陸から攻められると不安だと陸遜は言っていたのに 史実の陸遜伝にも劉備が全軍陸から攻めてきたと記載されている
僕は夷陵の蜀軍はもっと多かったと思う、8万はあったかと。あと黄権の別働隊に3万は任せてた、これに江陵を落とさせるか陸遜の退路を断つ考えだったかと
廖化生きてる(笑)
ま、もともと勝てる戦いではなかった。ジリ貧で撤退が一番損害が少ないが、ボロ負けして大損害になっただけ。勝つには原住民の絶大な支援や凄い奇策が必要だが、そんなものは無かった。基本的に劉備は戦争が上手い人ではない。張飛や馬謖のエピソードから人を見る目はあったようだが。戦争に強い将軍は、読みが深く、弱点を嗅ぎ取る嗅覚が優れて、さらに果断だ。ま、こういう大敗も後世ではドラマになるが。
敗因が水軍に対する認識不足とか、そんなの分かんないよ
劉備が思い通りアホだからよかったけど、兵糧倉庫がレンガだったり、兵糧拠点が少数で攻めづらかったり、川を警戒してたらどうしたんだ?相手のポカを見越して常道を外れるってどんな思惑があったのかよくわからん。
興味深いけれど音声が聞き取り難くて疲れます。
正史に記述が乏しかったり演義に流されたりで、解釈主によって説の多い三国志だが、
後半の要となる戦いの解説は非常に興味深く、面白かったです。ありがとう!
夷陵の戦いは劉備の最後にして最大の戦いであり、最大の失態を犯した戦いでもあった事が良く分かる。
大変興味深く拝見させて頂きました。鋭い考察恐れ入りました。
劉備は負けられない戦いに負けてしまったのが痛いですねー
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この戦いで蜀漢の次世代を担うはずの人材を多く失った事が孔明の戦略にも暗い影を落とす事になる
これは劉備の最大の失策であったな
「夷陵の戦い」面白かったです。
動画作成とアップロード、ありがとうございます。
大変面白かったです。次回を楽しみにしています。
どんなときも、勝利を前にしても孫桓への気遣いを忘れない朱然が好き。
横の情誼の厚さも、呉の強さの秘密だろうね。
お仕置きタイムのとき、荊州南部のシャマカが青くなってるの、芸が細かいです。
蜀軍が将官クラスの大量損失を出したのは護衛戦力の戦死以外に軍そのものが総崩れで統率取れなくなってたのも大きいかと。これはこの戦いだけでなく、長篠のような敗走・撤退戦時にはよくありましたけど。
あと個人的な想像だけど、劉備が白帝城に留まってたのは撤退時に深手を負ったか、若しくはこの敗戦で政権中枢から隔離されたからだと思ってる。
劉備って諸葛亮達いわゆる荊州閥の神輿として担がれた側面がある人で、蜀建国当初は(法正や黃権等一部の例外を除いて)政権中枢の大多数を荊州出身者が占めていたくらい荊州閥が幅をきかせていた訳なんだけど、夷陵の敗戦で荊州奪還の望みが潰えたため只でさえ益州出身者にとっては侵略者でしかない荊州閥が政権を維持するための政治的スケープゴートとして白帝城に隔離・中枢から隔離して実権を剥奪、同時に益州出身者も積極的に政権へ取り込むようにするなど政権維持のため方針を変更することになったと。
もっとも取り込んだ結果、北伐から蜀滅亡まで荊州・益州・その他勢力による派閥抗争に悩まされるようになるわけだがそれはまた別の話。
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なるほど火計は後方兵站は納得
街亭の戦いも是非お願いします
凄く興味深い内容でした、無双で何となくやってた合戦にこんなに深い意味があるとは。。。
蜀軍の向寵という人物、この戦いでは自軍を無傷で撤退させ、後に諸葛亮には出師の表で「善良で公平な性格であり、軍事に精通した人物」と評されている。
冷静に考えると陸遜って三国志の主人公格の劉備と関羽を撃破してる主人公キラーだな。
子曰く、後生畏るべし。二人、とくにインテリの関羽は間違いなく頭に過ったでしょう。
年下に挽回不能の大敗を喫した二人、その絶望はいかばかりか。
私達にも、その時がくるんでしょうね。
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陸遜が指揮していたなら博打打てますね、考察に感銘しました
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劉備の最期の城の名前が、白帝城ってのはすごく味わい深い
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曹操が荀彧に送った紙みたいに、劉備自身が白紙に戻ったんだろう
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これ
何回考えても劉備が『勝ってしまうこと』の方がヤバイよなぁ
曹丕にとってみれば、最もおいしい状況が発生してしまう
楽しかったです
もうなってんだよ
で爆笑しました
三国志は曹操、劉備が死んでからが面白いのは間違いない
でも三国志の主人公は彼ら(特に曹操)という意見もミーハーとしては忘れたくない、、
戦略の駆引きは面白い。すべてに通じる気がする。
レッツファイヤーはワロタwww
11:34 レッツファイヤー
李白の有名な漢詩「早発白帝城」でも白帝城から江陵まで1日(多分、早朝に出発して日没までに到着)って詠んでる
まあ、あっちは上流から下流なので、船足はかなり速かったとは思うが、逆方向でも風が良ければ短時間で背後に回れたんだろう
水戦にそれなりに精通してたであろう荊州閥の将も居たはずの蜀軍が、その可能性を考えてなかったのか疑問
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皇帝即位を名目に呉と和解し、魏を攻めていたら
いや、少なくとも馬良を失っていなければ
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なるほど、面白い動画だった。
陸遜も最後は国に忠節を尽くしても孫権が老害化し悶死悲しい最後ですね
カールネージハートの義務教育化か・・実現したらいいなぁ
この時点の劉備は再度呉と同盟できる可能性があると思っていないと考えます。
また夷陵の戦い無しに呉との再同盟を成立させるのは無理があるとも思います。
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この状態では蜀から見た魏呉はどちらも同等の敵。
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沢山の敗北を重ねても巴蜀を制覇し、皇帝にまで上り詰めた人物。
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戦は時の運。夷陵の戦いは陸遜が別格過ぎた。せめて法正が参画していれば、大損害は防げていたのではないかと妄想する。
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馮習がボンクラ扱いされてますが、もしそうならそんなのを大将に選んだ劉備の人物眼にも問題が…。
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演技だったんだよね
馬良は演義では、夷陵と成都を往復して、孔明が劉備の陣地の欠点を見抜いたことを連絡しようとして、間に合わなかったことになってる。
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劉備は馬良や黄権の意見も無視し大敗し高級将校を多数含む大多数の兵士を失いました。
夷陵の推移を見てれば私怨専行ではなく冷静に事を進めている事が分かります。ちなみに馬良は演技では病死扱い史実は夷陵で戦死してますのでなぜか最近では混ぜこぜにされてますね
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レッツファイヤーは誠に草ぁwww
劉備が私怨に駆られて虐殺を行うような人間ではなかったことは重要で、それが良くも悪くも出たわけですな。曹操は死後100年後には極悪人として非難され、今日まで続いている。
すいません、本題からズレますが、使用しているBGMの名前が知りたいです。誰か、教えてくれませんか?
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@@ShintoSyugeki
ご丁寧にありがとうございます。
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自分も歴史好きですが、自分の視点を持つ重要性が動画を通じて分かりました。これからも楽しく拝見させていただきますます。
忘れてる人も多いけど何ヶ月も対峙してる
その間呉の主力はほとんど動かなかった
末端の兵士は戦略なんて頭に無いからここまでの戦勝と望郷で緩むのは仕方ない
配下の将軍含め入蜀以降の人間も多かっただろうから関羽だ荊州だと言っても一旦下がった士気はどうにもならない
壊滅したのは当然
だからこそ魏も大規模作戦の準備をしていたのだ
将官の戦死数に差がありすぎる→長篠の戦いと同じ状況ではw(武田軍ほぼ壊滅、織田徳川軍死傷者兵士のみ)
この敗戦は狭い退路を寸断されての包囲殲滅ということで、イメージはトラシメヌス湖畔でハンニバルにやられたローマ軍に近いかもしれません。
こう見ると赤壁の戦いは無かったんじゃないのかと思う
曹操軍の将官クラスに戦死者がほとんどいないから赤壁で大規模な決戦があったとは考えにくいと言われてますね
赤壁の火計は演技(民衆が作ったフィクション)であり史実では風土病などが流行り撤退しています。
そも曹操程の人がわざわざ相手にアドバンテージがある水上決戦を行うとは思えないですし。
劉備は、自分は曹操には劣るが、それなりにデキル男だという自覚があったようです。
なので、曹操存命時は、あえて曹操の革新性の対立軸を標榜する事で、辛うじて自分の存在意義を見出して、諸葛亮など優秀な臣下の意見に耳を傾けるポーズを取る事で、陣営が上手く回っていた訳なのですが、曹操が死んで、油断したのではないかと思います。
老害……と言ってしまえば、気の毒ですが、抜群の人物鑑定眼を誇った劉備も、自分の能力が自分で考えるよりも低い、という根本的な事実だけは、見抜けなかったのです。
それにしても、夷陵の戦い、は中原を舞台に群雄割拠していた時代とは違って、三国志の中でも、寂寥感が漂う、もの悲しい雰囲気なんですよね。
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たられば、ですが、曹操が荀彧を得た頃に、劉備の元に、諸葛亮がいればなあ、と思います。
だから基本戦国時代の焼き討ちによる攻城も城本体ではなく城下町に行う
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まあ4万対5万の戦だから当然呉にも大きな被害が出るが
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これよく夷陵から逃げ切れたな…と、この戦いの説明を聞くたびに思うわ。
今後の交渉のためにわざと逃がした、とか考えたけども(関羽を仕留め、張飛殺しの逃場となった時点で役満なのに、劉備まで呉の手で殺したら蜀と呉はいよいよ終わりだしね)
レッツファイアー(笑)
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一年近く膠着状態で軍規がかなり緩くなってることから、ロクに警戒はしていなかったと思われること。
その上、当時は街の明かりなどもなく、描写はありませんがおそらく月のない夜だったのでは?
劉備軍の明かりだけで幅1キロの長江を見張りきれないと思います。
劉備は呉の領地に深く侵入しすきだな、自軍の領地の近くに留まって陸遜を観察してれば大損害は免れた
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劉備は戦術家としてはずば抜けてるけど。戦略は不得意なのよね。後、劉備の目的は旧荊州領の奪還でしょうな。
逆でしょう。
荊州奪還→魏を攻撃という戦略は優れていたが、肝心の呉との戦闘(戦術)は上手くいかなかった。
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「東方妖恋談」の萃夢想Verです。
@@ShintoSyugeki ありがとうございます。
面白かったよ!しかし、つくずく劉備は戦いが下手くそですよね。徐庶が劉備の下に残っていたらと.....
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Richard Takki あーちなみに諸葛亮は陸戦が得意の人なんで、水軍百戦錬磨の呉軍と戦って居たら流石に無理です。
水軍との戦いだと魏は赤壁の戦いで負けてます。風土病で亡くなってしまった郭嘉が居ればと曹操が嘆いたそうですが、流石に北の陸地戦しかした事が無い人間が水軍の精鋭と優秀な水軍司令官が居たので無理だったでしょうね。赤壁の戦いは周瑜、黄蓋、魯粛と言う3人の優秀な司令官が居ましたし。
ホウトウも死んで無かったらなぁ〜
徐庶がいたら、この夷陵の敗戦を覆せたか?
それは、何とも言えない、のでは……。
夷陵の戦い、は、動画主様が、ご指摘の通り、実際には劉備が勝っていてもおかしくはない、陸遜にとっても際どい状況でした。
しかし、結果は周知の通り、陸遜側の一方的な勝利でした……。
私は、郭嘉、諸葛亮、徐庶のファンですので、個人的には徐庶が何らかの計略を使って、陸遜を打ち破る、というタラレバは、大変に胸踊るシチュエーションですが……。
徐庶は、それほどすごくない。
との、ご意見には賛同いたしかねます。
徐庶は、劉備陣営からの降臣にも関わらず、右中郎将・御史中丞、という官職にまで昇ります。
徐庶は、うだつの上がらない単家の出自で、人脈もコネもなく、また若い頃には任侠の徒を気取って人を殺し、指名手配になってもいます。
曹操は、優秀な人材を集めるためには、多少、脛に傷を持つ不逞の輩でも、召し抱えていましたが、それは、曹丕の時代には、当てはまらず、曹丕は、基本的に罪人は重用していません。
そんな中でも、高官に昇進した、徐庶は、ヤバいくらい凄いですよ。
仮に、徐庶が初めから曹操陣営に加わっていたら、頭角を現していた事は、想像に難くありません。
まあ、タラレバですが……。
郭嘉が生きてたらこんな長引かない
みんな劉備が戦下手とか何か誤解してると思うんだよなぁ
本当に戦下手な人間なら、曹操から最後まで脅威として認識されたり袁紹から一軍任されたりするわけないんだよなぁ。
実際、負けた戦も全盛期の曹操や呂布といった格上相手のときくらいで官渡や漢中等では活躍してるわけだし。
実際は小中部隊の指揮は大変優秀だが夷陵のような大部隊の指揮はイマイチだったみたいですね。求められる物が違うと言えばそれまででしょうが
謎の反転で草、嗚呼。
いまさらですけどルカナンとかスクルトって実際にはスクルトの部分はマヌーサかマホトーンじゃないと相手に仕掛ける策略じゃないですね・・・
馮習の陣も火の海だ。
横山三国志では、名前しか出てこない馮習さん。
もしかしたら玄徳にミソつけない為の身代わりかもだし、死人に口なし、とはいえ、やっぱりひどすぎる怠慢には違いない。
確かにうp主の言うとおり夷陵の戦いの時に陸遜は作戦の全貌を部下に全く話さず道中の拠点をすべて適当に戦闘させて的に明け渡すという策をとってたせいで武将クラスからの信頼はほぼ皆無だったし尚且つ大都督といってもなる前は浪人だった奴が急に君主の命で大都督になったやつとか信用できないと思われてたろうしな。実際出撃したとしても全戦敗北になってるしな。
陸遜からしてみれば敵を夷陵より前に出させさせて補給線を伸ばさせて火刑の退路を断ち尚且つ包囲しての一網打尽という超重要任務を他人に任せてられないだろうしな。でもなんかよくわからんけど火刑をしたのは朱然だというのが通説なんよな?陸遜の考えを理解してたり逆に陸遜に信頼されてる人物だったのかな?と疑問もでる
東南の風って、赤壁と同じ?
孔明は軍事の才能は無かったらしい。孔明を尊敬していた正史三国志の著者陳寿も孔明の事「悲しいかな、応変の才能はなかった」と書いている。政治家としては非常に優れていたが軍事の才能を持っている人を見抜け無かった。
軍事の才能はあるよ、曹操みたいな天才じゃないってだけで
政治家としては天才
銀英伝のアムリッツア会戦はこれがモデルかな?
不利な状況で軍を集結させて決戦している所はとても似ている。
楽しい(((o(*゚∀゚*)o)))
蜀軍にも水軍はいたのに、サボりすぎだろ。
いたんだが劉備という物が陸に上げてしまったり引き上げさせた。水陸から攻められると不安だと陸遜は言っていたのに 史実の陸遜伝にも劉備が全軍陸から攻めてきたと記載されている
僕は夷陵の蜀軍はもっと多かったと思う、8万はあったかと。あと黄権の別働隊に3万は任せてた、これに江陵を落とさせるか陸遜の退路を断つ考えだったかと
廖化生きてる(笑)
ま、もともと勝てる戦いではなかった。ジリ貧で撤退が一番損害が少ないが、ボロ負けして大損害になっただけ。勝つには原住民の絶大な支援や凄い奇策が必要だが、そんなものは無かった。基本的に劉備は戦争が上手い人ではない。張飛や馬謖のエピソードから人を見る目はあったようだが。戦争に強い将軍は、読みが深く、弱点を嗅ぎ取る嗅覚が優れて、さらに果断だ。ま、こういう大敗も後世ではドラマになるが。
敗因が水軍に対する認識不足とか、そんなの分かんないよ
劉備が思い通りアホだからよかったけど、兵糧倉庫がレンガだったり、兵糧拠点が少数で攻めづらかったり、川を警戒してたらどうしたんだ?
相手のポカを見越して常道を外れるってどんな思惑があったのかよくわからん。
興味深いけれど音声が聞き取り難くて疲れます。