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動画拝見しました。非常に分かりやすく、分かりやすい説明、動画参考資料に至り、分かりやすい動画に、嬉しい限りです。
ありがとうございます。本証寺は調査も整備も進んでいるようですので、今後が楽しみですね。
この動画を拝見するまで、私も三河一向一揆は家康VS一向宗と思っておりましたが、反家康勢力との抗争といった色合いが強いのですね。予備知識が増えて、大河がより面白く見られます!
いつもご視聴ありがとうございます。他の合戦と同様に、江戸時代になって脚色されたようです。話の腰を折るようなことを言って申し訳ありませんが、大河はかなり誇張されているように思います。まあそんなに目くじらを立てなくても、エンタメと思ってみればいいんですけどね。
今日見た大河とバッチリ一緒でした。
一緒でしたかね(;^_^A? 結構違っていたような気もしましたが。来週も楽しみです。
予習にピッタリですね♬本證寺や門徒侍がドラマでどのように描かれるか、楽しみです。
安城市在住のものです、本證寺には堀(内堀)に見事なハスの花が咲くので(今は堀の改修工事でありません)よく写真の撮影に行きました、ご住職から寺の文化財の説明を受けた事があります、聖徳太子絵伝、善光寺如来絵伝などです、また寺の池に伝わる龍の貸椀伝説も伺がってきました、寺内から鉄砲の玉もでたそうです、ご住職は隣の民家を「家老の家ですよ」と言われました、まったく城郭都市だと思いました。
本證寺、色々な活動をされいますね。住職さんが今までのやり方にとらわれずに新しい事に取り組まれているので、かなり賑わいが出てきましたね。安城市を代表する歴史遺産として後世に伝えられて行って欲しいですね。
本證寺は一度、行ってみたいと思っていました。最盛期の寺院や寺内町の隆盛ぶりは岡崎城を凌ぐものだったのでしょうね。家康がこれを放置するわけにはいかなかったことはよく理解できます
ご視聴ありがとうございます。お言葉を返すようで申し訳ありませんが、本證寺の発掘調査などを見る限り、岡崎城下を凌ぐというのは、空誓や一揆方を、家康と対等に張り合えるだけの力のある敵であったと強調するための、ドラマの脚色のような気がします。むしろ、本宗寺の門前の方が繁栄していたのではないでしょうか。ただ、家康としては、一向宗の勢力を放置するわけにはいかなかったのはその通りだと思います。結果的に不入権を取り上げて、領国内の隅々まで支配が及ぶように出来たので、家康としては大きなことだったでしょうね。
城郭寺院、かっこいい響きですね!反対勢力が一気に出てきたのは、まさにどうする家康状態ですが、逆に鎮圧したことにより西三河がかなり安定したのは大きいですね(*´-`)
いつもご視聴ありがとうございます。そうですね。家康としては、不入権を取り上げで、支配を貫徹できるようになったので、大きな出来事だったでしょうね。
織田の本願寺攻めを受け、それに呼応するような一向一揆が成ったら二重支配で二重年貢により庶民は疲弊していた。と言われているが、私もそれに賛同する。寺と言うなの城。和尚と言うなの大名。
26日の放送回だよね予習になりますね
ご視聴ありがとうございます。放送はかなり脚色が入っていそうで、この動画とは結構違うかも知れませんよ(笑)。
不入がなくなってなんで兵農分離が進むんですか?
すいませんでした。そう思いますよね。この部分は安城市史の説明を使わせてもらったのですが、私も同じことを思いました。いつもは自分が納得できないことは削除するのですが、今回はそのまま出してしまいました。省略してしまいましたが、この後に、「兵商分離も進んだ」とありますので、恐らくですが、本證寺側について戦った兵士の職能分離(兵農・兵商)が進んだという意味ではないかと思います。一向宗の信者は、商工業で財を成す者が多かったようで、そうした富裕層が寺に寄進することで、本願寺の財政に寄与している部分があったと思います。また、農民の信者で、いざという時に寺側に立って戦ったりしたのではないでしょうか。一向宗の寺が追放されたことで、こうした人達が農業・商業に専従することによって、兵士との分離が進んだという事かなと思います。また何かわかりましたら書き込みしますね。
@@yamajiro ご確認いただいてありがとうございます。「一連の対応により」が、「守護不入の寺院がなくなった」と「兵農分離(兵商分離)が進んだ」の両方に掛かってるわけですね。通常であれば再出仕が可能な地侍層が再出仕を認められなかった結果、兵農分離が進んだのはうなずける話です。(商工業者も武士の被官というのは良くある話なので)商工業者も同様かと思います。
城郭寺院かつて、お寺も武装せねば生き残れなかった。
動画拝見しました。非常に分かりやすく、分かりやすい説明、動画参考資料に至り、分かりやすい動画に、嬉しい限りです。
ありがとうございます。本証寺は調査も整備も進んでいるようですので、今後が楽しみですね。
この動画を拝見するまで、私も三河一向一揆は家康VS一向宗と思っておりましたが、反家康勢力との抗争といった色合いが強いのですね。
予備知識が増えて、大河がより面白く見られます!
いつもご視聴ありがとうございます。他の合戦と同様に、江戸時代になって脚色されたようです。話の腰を折るようなことを言って申し訳ありませんが、大河はかなり誇張されているように思います。まあそんなに目くじらを立てなくても、エンタメと思ってみればいいんですけどね。
今日見た大河とバッチリ一緒でした。
一緒でしたかね(;^_^A? 結構違っていたような気もしましたが。来週も楽しみです。
予習にピッタリですね♬本證寺や門徒侍がドラマでどのように描かれるか、楽しみです。
安城市在住のものです、本證寺には堀(内堀)に見事なハスの花が咲くので(今は堀の改修工事でありません)よく写真の撮影に行きました、ご住職から寺の文化財の説明を受けた事があります、聖徳太子絵伝、善光寺如来絵伝などです、また寺の池に伝わる龍の貸椀伝説も伺がってきました、寺内から鉄砲の玉もでたそうです、ご住職は隣の民家を「家老の家ですよ」と言われました、まったく城郭都市だと思いました。
本證寺、色々な活動をされいますね。住職さんが今までのやり方にとらわれずに新しい事に取り組まれているので、かなり賑わいが出てきましたね。安城市を代表する歴史遺産として後世に伝えられて行って欲しいですね。
本證寺は一度、行ってみたいと思っていました。最盛期の寺院や寺内町の隆盛ぶりは岡崎城を凌ぐものだったのでしょうね。家康がこれを放置するわけにはいかなかったことはよく理解できます
ご視聴ありがとうございます。お言葉を返すようで申し訳ありませんが、本證寺の発掘調査などを見る限り、岡崎城下を凌ぐというのは、空誓や一揆方を、家康と対等に張り合えるだけの力のある敵であったと強調するための、ドラマの脚色のような気がします。むしろ、本宗寺の門前の方が繁栄していたのではないでしょうか。ただ、家康としては、一向宗の勢力を放置するわけにはいかなかったのはその通りだと思います。結果的に不入権を取り上げて、領国内の隅々まで支配が及ぶように出来たので、家康としては大きなことだったでしょうね。
城郭寺院、かっこいい響きですね!
反対勢力が一気に出てきたのは、まさにどうする家康状態ですが、逆に鎮圧したことにより西三河がかなり安定したのは大きいですね(*´-`)
いつもご視聴ありがとうございます。そうですね。家康としては、不入権を取り上げで、支配を貫徹できるようになったので、大きな出来事だったでしょうね。
織田の本願寺攻めを受け、それに呼応するような一向一揆が成ったら二重支配で二重年貢により庶民は疲弊していた。と言われているが、私もそれに賛同する。
寺と言うなの城。和尚と言うなの大名。
26日の放送回だよね
予習になりますね
ご視聴ありがとうございます。放送はかなり脚色が入っていそうで、この動画とは結構違うかも知れませんよ(笑)。
不入がなくなってなんで兵農分離が進むんですか?
すいませんでした。そう思いますよね。この部分は安城市史の説明を使わせてもらったのですが、私も同じことを思いました。いつもは自分が納得できないことは削除するのですが、今回はそのまま出してしまいました。省略してしまいましたが、この後に、「兵商分離も進んだ」とありますので、恐らくですが、本證寺側について戦った兵士の職能分離(兵農・兵商)が進んだという意味ではないかと思います。一向宗の信者は、商工業で財を成す者が多かったようで、そうした富裕層が寺に寄進することで、本願寺の財政に寄与している部分があったと思います。また、農民の信者で、いざという時に寺側に立って戦ったりしたのではないでしょうか。一向宗の寺が追放されたことで、こうした人達が農業・商業に専従することによって、兵士との分離が進んだという事かなと思います。また何かわかりましたら書き込みしますね。
@@yamajiro ご確認いただいてありがとうございます。
「一連の対応により」が、「守護不入の寺院がなくなった」と「兵農分離(兵商分離)が進んだ」の両方に掛かってるわけですね。通常であれば再出仕が可能な地侍層が再出仕を認められなかった結果、兵農分離が進んだのはうなずける話です。(商工業者も武士の被官というのは良くある話なので)商工業者も同様かと思います。
城郭寺院
かつて、お寺も武装せねば生き残れなかった。