ハンニバル戦記:第二次ポエニ戦争『カプア包囲戦 ~ローマの逆襲~』【古代ローマ】

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  • Опубликовано: 1 янв 2025

Комментарии • 11

  • @History_and_Heroes
    @History_and_Heroes  4 года назад +4

    持久戦略を堅持し戦い抜く決意をしたローマの忍耐力はカルタゴにとって誤算だったと思います。
    同時に複数の軍団を動かせるローマに対し、カルタゴにはハンニバルしかいなかった事も災いしました。ローマ軍に包囲されたカプア市民は生きた心地がしなかったでしょう。

  • @now_comments
    @now_comments 11 месяцев назад +1

    「シャーデンフロイデ」156ページより。なう(2024/01/24 05:47:22)

  • @昌樹熊本
    @昌樹熊本 3 года назад +2

    学校の授業でもこういう生きた歴史を一部分でも取り入れれば、学習がはかどると思います。

    • @History_and_Heroes
      @History_and_Heroes  3 года назад

      ありがとうございます。
      そう言って頂けて嬉しいです。

  • @コモセン
    @コモセン 4 года назад +2

    たしかこのサムネ画はrome total war ! 動画も簡潔でありながら学術的な解説もありとても楽しいです(((o(*゚∀゚*)o)))

    • @History_and_Heroes
      @History_and_Heroes  4 года назад

      ROME:Total War好きなんです!
      楽しんで頂けて何よりです!

  • @km4226
    @km4226 2 года назад +1

    元老院の英断はマルケルスをハンニバル戦線から外し、ローマ包囲網の分断を優先したことだと思います。
    この頃のローマ市民は、元老院を初め、市民が市民たることに必死だったように感じます。いい意味で幼く、シンプルで、純粋であった良き日々。
    そして、思わぬ誤算がスキピオが居たこと。
    彼を選出した理由が本当に、彼のかたき討ちの心情が院と集会を動かしたのなら、ローマ共和国らしくないシステム軽視、英雄欲求だと思いますが、
    最後までローマ同盟に従ってきた各都市には、状況の打開を切に願う風潮があったのでしょうね。
    ハンニバルの誤算は、ローマ同盟の諸都市が簡単に強きに靡かなかったこと。かつての敗者を虐げなかったローマは子孫の時代に最高の恩恵を受けたと言ってもいいと思います。
    せっかくの包囲網も幾年も持たず、ギリシャ諸国までローマの外交策に手玉を取られてしまう。
    そして、カプアの包囲を解く為にローマに向かった事で大きく潮目が変ってしまいました。
    ローマを目の前にしながら、包囲すれば挟撃され、カプアに戻れども状況を打開できる策もない。様々な葛藤があったでしょう。
    彼はここで、本格的にイタリア半島での自軍の敗北を悟ったのではないでしょうか。

    • @History_and_Heroes
      @History_and_Heroes  2 года назад +2

      仰る通り、カプアでの敗北は運命の岐路になりましたね。叩いても叩いても砕けないローマという厚い壁を前にして、それでも戦いを続けるしかないハンニバルに哀愁を感じます。

    • @戸田賢司
      @戸田賢司 Год назад +1

      スキピオはすぐにイベリア半島に行ったから、イタリアの戦局には小指ほどの影響も与えてないんだが。