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毛利輝元編の第5回がかなりの長尺になってしまい、投稿が間に合いませんでしたので代わりというのもなんですが、以前公開していた「同時代の手紙から見る上杉謙信の素顔」のリメイク版をお届けします。・画像はほぼ全て差し替えています。・解説内容についても適宜修正・追加を行っています。最近いただいているコメントに返信できず、申し訳ございません。
無理しない程度で、よろしゅう
リメイクするなら、本編…続き(続きを楽しみにしてます)
@@伝説の麻婆豆腐 ありがとうございます😄😄
@@グールーメングールーメン ありがとうございます😄😄
ゆっくりお待ちしてます👍👍
ありがとうございます😄😄
勝頼は割と心情伺える文章多いかなと思う。
謙信は願文がストレス発散になっていたような。メールで愚痴ちゃう人みたいですねwww。景勝と対照的で面白いですね。
氏政に対する罵倒に関して一番面白いのは、散々罵倒しまくった氏政に対して戦略的に大敗北(関宿・羽生陥落)して利根川周りの勢力圏(武蔵、下総)を完全に失陥するというオチまで付いてる所という…wもはや高度なギャグである
情けない(笑)
謙信「…(ウチの家臣団めんどくせぇ!もう知らない!」上杉家臣団「…(ウチの殿めんどくせぇ!」互いに面倒くさいと思ってそう
織田信長政権の後半がようやく中央集権的な流れができ始めてただけでこの時代大勢力になればなるほど国境沿いの豪族達の要望を聞いたり、調停とかでストレス貯めてるんだとよくわかる内容でした奉行など専門の役職を作るようになる必然性がよくわかる。
結構、キャラ濃いし辛辣な書状ばっかりで笑ってしまう😂
謙信はアル中だからな(ㆀ˘・з・˘)戦の時も瓢箪に酒入れてるし、生涯不犯を誓いながら、男色はしてるし。
謙信って怒りっぽくヒステリーで情緒不安定で、しかも大名では珍しく子供を儲けてないから、アニメ化するなら「キー!」とハンカチを噛むようなおネエキャラがピッタリだと思うわ
川中島で信玄に切りかかったのは多分事実だったんだろう感
揚北衆って新発田重家の乱のように自立性強すぎて、景勝や直江兼続も相当苦労してたんですよね……。会津や米沢に移封されてく過程でこうした国衆は本貫から引き離されて没落していったから景勝主従は鼻高々だったんでしょうね……。
新発田重家は自分達の活躍を無碍にして身内の上田衆を贔屓した景勝への恨みからの反乱で、景勝は身から出た錆。苦労する側では無いと思う。
@@ハンニバルバルカ-v6v とはいえ新発田重家の乱の鎮圧にめっちゃ時間かかってましたよね……。その点では苦労してたんじゃあ……。
謙信と言えば、信玄が西上作戦を決行したのを知った時での家臣への手紙に、「蜂の巣の中に手を突っ込むようなもの」と描いていたの、面白い表現すぎて好き。
最後は、自分も手を突っ込んで子孫に迷惑かけたくせに…(武田好き)
@@グールーメングールーメン本来なら上杉謙信は織田信長と手を携えて天下布武目指す筈なのだが足利義昭が余計な事やらかし
@@グールーメングールーメン手を本格的に突っ込む前にトイレで逝ったけどね(そんなドジっ子なアル中が好き
@@daisuke7199 お前(輝虎)もやろ
謙信存命中も何度も反乱起きてるし、謙信が急死した後、景虎を擁立して分裂したくらいだしね。
こういう書状でイメージと違う戦国武将の一面が分かりますね。結構思いやりとユーモアがある織田信長とか、しょーもない事を言いまくる伊達政宗とか(笑)。
人間臭いというか子供というか・・。氏政を罵倒していたときってもう40を超えていたはずなんですが。
これと対照的なのが北条氏康。それと信長はまだマシな部類になりそう。
謙信の父親の時に下克上で地位を得たが、完全に越後を掌握したわけではないのでこれをまとめるのは大変だったろうなと思います武田や北条は親の代に領国を統一し安定した基盤を引き継いだので自由な戦略を取れましたが、謙信は自分の代でやらなければならず、ようやく安定したときには寿命が迫っていた..
正直者なのかな(笑)地方の王で終わるのも、納得した
米沢藩での謙信への信仰も考えると、謙信のカリスマだけでやってきたのだなと感じます。景勝の文書でも感情をあらわにしているものもあるあたり、謙信の影響は大きかったようですね。
謙信後の上杉家は嘘みたいに弱いですよね。
@@グールーメングールーメン そりゃ御館の乱で家内真っ二つじゃ弱体化して当然でしょ
@@穂田-z4x 上杉家臣団が強いかと思いますよ。愛知県では、知っている人は知っている言葉があります。海外の力に最後まで屈しなかった2本の大木。松(徳川)と杉(上杉)。薩長、土佐も、海外に頼って、最後は大敗。戦況悪化すると、旧幕府軍に泣き付いた。
北条は嫌っているけど景虎(三郎)には優しかったイメージ
なかなか面白かった。ここまで人間味の感じられる史料が残っている人って、どれぐらいいるんでしょうか。
コメントありがとうございます!有名どころですと毛利元就(ひたすら愚痴っぽい)・島津義弘(やたら几帳面)・伊達政宗(とにかく筆まめ)あたりが性格を窺うことができる戦国武将になります。
叔父さんからの教育がTERUMOTOと景勝の違いですね
謙信公のブチ切れた時のエピソード好き(*^ω^*)
「男色によって家格身分にとらわれず人材を集める」というのはあったとしても結果論で、そういうことならむしろ宦官の方がその性格が強いのでは。衆道の相手は重臣の息子ってのが典型的だし。
謎の破滅願望(と激情)が謙信の魅力なんだと思います。また、だからこそおかしいクラスの突撃が可能だったんだと思います。北条は伊勢以来の先進的官僚衆が優秀で上杉は兼続まで其の辺がダメダメな感があります。政治と信仰(狂気)はやや相性が悪いその辺が出ていますね
よく言えば、純真な人物。あるいは、大人になれない子どもの所業。戦国時代にこのような稀有な人物が存在した奇跡。戦(戦闘)に最強に強かったから後の世に語られることとなる。なを北条丹後守は本性毛利氏、中国の毛利氏とは遠い親族。
北条から来た景虎と謙信の書状ってないのかな?
@@曜-u6u んなもん、御館の乱の時に景勝と直江兼続主従の手によって全部処分されたに決まってんじゃん残すほど景勝主従はバカじゃないよ
戦が強いだけで戦略眼のない人だなって印象
@@shangtian-i3c ですね。武田はともかく北条と戦って何がしたかったのか?
せめて、「謙信公」と呼び失礼極まりない!
時代遅れの戦国大名看板倒れの義将
越後の龍の以外な素顔。謙信さんブチキレまくり。
若くして当主になった、天賦の才能があるから、ただの人の考えが分からないでしょうね。いずれにせよ、戦国最強なのは間違い無いですね。間違った事が大嫌いなのが良く分かります。三河武士1人が尾張武士3人、越後武士1人が尾張武士5人と言われていますからね、後北条は籠城しか出来てないですし、信長も1番恐ていた謙信公ですから。
過大評価
毛利輝元編の第5回がかなりの長尺になってしまい、投稿が間に合いませんでしたので代わりというのもなんですが、以前公開していた「同時代の手紙から見る上杉謙信の素顔」のリメイク版をお届けします。
・画像はほぼ全て差し替えています。
・解説内容についても適宜修正・追加を行っています。
最近いただいているコメントに返信できず、申し訳ございません。
無理しない程度で、よろしゅう
リメイクするなら、本編…続き(続きを楽しみにしてます)
@@伝説の麻婆豆腐 ありがとうございます😄😄
@@グールーメングールーメン ありがとうございます😄😄
ゆっくりお待ちしてます👍👍
ありがとうございます😄😄
勝頼は割と心情伺える文章多いかなと思う。
謙信は願文がストレス発散になっていたような。メールで愚痴ちゃう人みたいですねwww。
景勝と対照的で面白いですね。
氏政に対する罵倒に関して一番面白いのは、散々罵倒しまくった氏政に対して戦略的に大敗北(関宿・羽生陥落)して利根川周りの勢力圏(武蔵、下総)を完全に失陥するというオチまで付いてる所という…w
もはや高度なギャグである
情けない(笑)
謙信「…(ウチの家臣団めんどくせぇ!もう知らない!」
上杉家臣団「…(ウチの殿めんどくせぇ!」
互いに面倒くさいと思ってそう
織田信長政権の後半がようやく中央集権的な流れができ始めてただけで
この時代大勢力になればなるほど国境沿いの豪族達の要望を聞いたり、調停とかでストレス貯めてるんだとよくわかる内容でした
奉行など専門の役職を作るようになる必然性がよくわかる。
結構、キャラ濃いし辛辣な書状ばっかりで笑ってしまう😂
謙信はアル中だからな(ㆀ˘・з・˘)戦の時も瓢箪に酒入れてるし、生涯不犯を誓いながら、男色はしてるし。
謙信って怒りっぽくヒステリーで情緒不安定で、しかも大名では珍しく子供を儲けてないから、アニメ化するなら「キー!」とハンカチを噛むようなおネエキャラがピッタリだと思うわ
川中島で信玄に切りかかったのは多分事実だったんだろう感
揚北衆って新発田重家の乱のように自立性強すぎて、景勝や直江兼続も相当苦労してたんですよね……。
会津や米沢に移封されてく過程でこうした国衆は本貫から引き離されて没落していったから景勝主従は鼻高々だったんでしょうね……。
新発田重家は自分達の活躍を無碍にして身内の上田衆を贔屓した景勝への恨みからの反乱で、景勝は身から出た錆。苦労する側では無いと思う。
@@ハンニバルバルカ-v6v
とはいえ新発田重家の乱の鎮圧にめっちゃ時間かかってましたよね……。
その点では苦労してたんじゃあ……。
謙信と言えば、信玄が西上作戦を決行したのを知った時での家臣への手紙に、「蜂の巣の中に手を突っ込むようなもの」と描いていたの、面白い表現すぎて好き。
最後は、自分も手を突っ込んで子孫に迷惑かけたくせに…(武田好き)
@@グールーメングールーメン
本来なら
上杉謙信は織田信長と手を携えて天下布武目指す筈なのだが
足利義昭が余計な事やらかし
@@グールーメングールーメン手を本格的に突っ込む前にトイレで逝ったけどね(そんなドジっ子なアル中が好き
@@daisuke7199
お前(輝虎)もやろ
謙信存命中も何度も反乱起きてるし、
謙信が急死した後、景虎を擁立して分裂したくらいだしね。
こういう書状でイメージと違う戦国武将の一面が分かりますね。結構思いやりとユーモアがある織田信長とか、しょーもない事を言いまくる伊達政宗とか(笑)。
人間臭いというか子供というか・・。氏政を罵倒していたときってもう40を超えていたはずなんですが。
これと対照的なのが北条氏康。
それと信長はまだマシな部類になりそう。
謙信の父親の時に下克上で地位を得たが、完全に越後を掌握したわけではないので
これをまとめるのは大変だったろうなと思います
武田や北条は親の代に領国を統一し安定した基盤を引き継いだので自由な戦略を取れましたが、
謙信は自分の代でやらなければならず、ようやく安定したときには寿命が迫っていた..
正直者なのかな(笑)
地方の王で終わるのも、納得した
米沢藩での謙信への信仰も考えると、謙信のカリスマだけでやってきたのだなと感じます。景勝の文書でも感情をあらわにしているものもあるあたり、謙信の影響は大きかったようですね。
謙信後の上杉家は嘘みたいに弱いですよね。
@@グールーメングールーメン そりゃ御館の乱で家内真っ二つじゃ弱体化して当然でしょ
@@穂田-z4x 上杉家臣団が強いかと思いますよ。愛知県では、知っている人は知っている言葉があります。海外の力に最後まで屈しなかった2本の大木。松(徳川)と杉(上杉)。薩長、土佐も、海外に頼って、最後は大敗。戦況悪化すると、旧幕府軍に泣き付いた。
北条は嫌っているけど景虎(三郎)には優しかったイメージ
なかなか面白かった。ここまで人間味の感じられる史料が残っている人って、どれぐらいいるんでしょうか。
コメントありがとうございます!有名どころですと毛利元就(ひたすら愚痴っぽい)・島津義弘(やたら几帳面)・伊達政宗(とにかく筆まめ)あたりが性格を窺うことができる戦国武将になります。
叔父さんからの教育がTERUMOTOと景勝の違いですね
謙信公のブチ切れた時のエピソード好き(*^ω^*)
「男色によって家格身分にとらわれず人材を集める」というのはあったとしても結果論で、そういうことならむしろ宦官の方がその性格が強いのでは。
衆道の相手は重臣の息子ってのが典型的だし。
謎の破滅願望(と激情)が謙信の魅力なんだと思います。また、だからこそおかしいクラスの突撃が可能だったんだと思います。北条は伊勢以来の先進的官僚衆が優秀で上杉は兼続まで其の辺がダメダメな感があります。政治と信仰(狂気)はやや相性が悪いその辺が出ていますね
よく言えば、純真な人物。
あるいは、大人になれない子どもの所業。戦国時代にこのような稀有な人物が存在した奇跡。戦(戦闘)に最強に強かったから後の世に語られることとなる。なを北条丹後守は本性毛利氏、中国の毛利氏とは遠い親族。
北条から来た景虎と謙信の書状ってないのかな?
@@曜-u6u
んなもん、御館の乱の時に景勝と直江兼続主従の手によって全部処分されたに決まってんじゃん
残すほど景勝主従はバカじゃないよ
戦が強いだけで戦略眼のない人だなって印象
@@shangtian-i3c
ですね。
武田はともかく北条と戦って何がしたかったのか?
せめて、「謙信公」と呼び
失礼極まりない!
時代遅れの戦国大名
看板倒れの義将
越後の龍の以外な素顔。
謙信さんブチキレまくり。
若くして当主になった、天賦の才能があるから、ただの人の考えが分からないでしょうね。いずれにせよ、戦国最強なのは間違い無いですね。間違った事が大嫌いなのが良く分かります。三河武士1人が尾張武士3人、越後武士1人が尾張武士5人と言われていますからね、後北条は籠城しか出来てないですし、信長も1番恐ていた謙信公ですから。
過大評価