『田中正造選集4』23頁1行目〜5行目

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  • Опубликовано: 10 сен 2024
  • (足尾鉱毒事件略年表より)
    10/23★前橋地方裁判所が被害地臨検のため前橋を出発する
    →10/24☆早朝より5日間にわたり沿岸被害地の農作物を臨検する
    10/25★松木村村民と田中正造、花井卓蔵らとの面会が実現する
    10/31★川俣事件第6回公判で三好弁護士は古河市兵衛と田中正造を証人に申請する。裁判所は採用せず
    ほかに榎本武揚、樺山資紀、曽根荒助、谷干城、肥塚龍、島田三郎、津田仙、松村介石、木下尚江、安部磯雄、三浦梧楼などをも証人に申請するが実現せず
    許されたのは大村和吉郎、古在由直、警察関係者、新聞記者2人のほか小さな問題に対する数人のみ
    〔真の重要参考人に話をさせない。真相を争わせる場にしたくないという意図が読み取られる〕
    10/★内務省直轄の利根川改修工事がはじまる
    下流の第1期工事に着手する。佐原から河口まで、計画高水流量は13万5千立方尺/秒→1930(昭和05)まで
    〔利根川の流量が増えると、渡良瀬川から合流する水は水圧にまけて滞留、逆流し、谷中村近辺で洪水が起こりやすくなる〕
    蓼沼丈吉ほか宛書簡 明治33年11月3日
    仁会の目的について説く。諸君は、個人としては道徳的な善人だが、一人一人では弱い。これは権威に弱いということを暗示しているだろう。権威に対する従順さが、この北関東では道徳的な善としてとらえられがちだからである。しかし、本来的な性質として善人であるならば、集団として組織化すれば、権力や権威を制することができる。
    田中正造がこのように考えるのであれば、キリスト教に目を向けるのも理にかなっている。キリスト教は人間の弱さや罪を直視し、それを克服して、神の国を作ろうとするからである。
    すでにこれまでの書簡や日記から、仁会の目的は被害地を取り囲む自治体での相互扶助にあることは見てきた。被害民による政府への請願という押出しの運動の方向性とは少し違う展開である。つまり、被害地と無害地との分断を縫合し、助け合いの輪を広げることである。鉱業停止請願の否定というより、別の方向性に活路を見出そうとしているのだろう。
    この構想の後に、キリスト教の教えの普及への理解と関心が田中正造において高まってきた。つまり仁会の構想において、儒教の「仁」とキリスト教の「愛」が融合しつつある。

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