田中正造を朗読する15分
田中正造を朗読する15分
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番外編:布川了『田中正造と天皇直訴事件』59頁〜64頁5行目
第5章 訴状の始末
「謹奏」という言葉は、田中の造語であること。
自分が持っていた直訴状と違う文面のものが流布されたことを、田中は迷惑だと憤る。ということは、チームプレーではなかったことになる。これはかなり大きなことだ。東海林吉郎は、このような田中の苦言を無視して、謀議説を唱えたことになる。
田中は、鉱毒の発生理由の記述が不十分だと指摘した。鉱毒発生の理由は、明治期に西洋の機械を用いるようになったからである。そのことが抜けているものを自分が天皇に渡そうとするはずがない。布川は、鉱業停止が欠落していることを指摘する。
幸徳の妻、千代子は、何が田中と年齢も地位も違う幸徳を結びつけたのかを不思議がる。布川の答えは、「石川半山が結びつけたのだ」というものである。だが、千代子の疑問は、howではなくwhyである。石川にしても若い。なぜ若くて地位も違う二人が、田中と特別な関係を結んだのかという疑問は解けない。
布川は、幸徳が不敬罪を恐れて、真相を語ろうとしなかったとする。だが、田中が検察から不問に付され、自らも事情聴取だけで返されている。したがって、幸徳には不敬罪を恐れる必要がない。
むしろ幸徳には後ろめたさがあったから、千代子にも何も語らなかったのではないか。考えられるのは次の二つである。
後ろめたさ1:事前に打ち合わせもせず、田中にとっては不本意な文面を全国の新聞に流したこと
後ろめたさ2:新聞記者が、元国会議員で大人物と目される田中正造に直訴をさせて、それを報道するというのは自作自演であり、ジャーナリストとしては常軌を逸していること
訂正:動画では幸徳秋水の年齢を「確か20代」と言っていますが、...
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番外編:布川了『田中正造と天皇直訴事件』53頁後ろから3行目〜57頁最終行
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【直訴を処分する法なし】 田中がお咎めなしとなったのは、世論の鎮静化を図るためだという説を論駁。代わって、直訴を処分する法がなかったからだと主張。 『野州日報』の松永吉江「不敬罪論」(12月15日掲載)は、田中の直訴は不敬罪ではないとする。具体的に、不敬の意図も不敬の行為もないと論証する。しかし、今後このような直訴行動を取り締まる必要があるとする。 実際、大正六年勅令では「直願」を取り締まり、1年以下の懲役に処すことになる。だが「死罪」などではなく、最大でもたった1年程度の懲役という軽い罪だ。「直訴=死罪」という先入観は、江戸時代以来のものだろう。そして「不敬罪=重罪」というのも、戦争中の拡大解釈によるものだろう。 布川は法律論議に集中している。その意図はともかく、当時の人々の自然な見方に立ち戻る必要がある。検事正は途中までは不敬罪だと確信していた。「直訴=厳罰」の意識は、田中・石川...
番外編:布川了『田中正造と天皇直訴事件』50頁後ろから6行目~53頁後ろから4行目
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都新聞の論説の続き。 天皇は神聖不可侵なので、直接請願は認められないと主張。行政立法司法の機関を経るべしという。両議院で受け入れられた請願書は、政府の手を経て天皇陛下の聡明に達す、という。 これに対して、布川は、論者が仮定の話をしているのだと理解している様子。この論者は両議院とも被害民の請願をすでに採択して、政府に送付していることを知らないと述べる。論者は天皇に達したと書いている。だが、布川は政府が天皇に請願書を差し出したとは考えられないと断言する。「それ故の大挙直接請願であり、直訴であった」と書く。 布川は、天皇が正造や秋水が期待するような「有徳の天皇」ではなく、軍拡路線をひた走る大日本帝国の元首だとする。布川は、天皇に直訴しても無意味だと言いたそうである。田中や幸徳が本当に天皇が鉱毒を止められると期待していたかは、議論の余地がある。 <いよいよ不起訴> 川淵検事正は、田中に帰って...
番外編:布川了『田中正造と天皇直訴事件』47頁後ろから6行目〜50頁後ろから7行目
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石川半山のいる毎日新聞は、田中自身が直訴状の骨子を起草したと書く。幸徳は上奏らしい文体に整えただけ。それをさらに田中が校訂したという。さすが直訴状の仕掛け人とも言われる石川のいる毎日新聞。だが、直訴状の骨子が田中によるなら、田中が主体ということになる。やはり直訴は石川の謀略というより、石川も幸徳も協力者というスタンスなのではないか。 【臣民の請願権への両論】 次に幸徳のいる万朝報は「臣民の請願権」を根拠に、田中の直訴は背戻(はいれい)ではないと書く。むしろ、田中に直訴までさせた政府と議会の怠慢を責める。 これに対して、都新聞は反論をする。天皇は神聖不可侵である。政府機関を介さずに、請願をしても、それに直接の天恩を与えることはできない。 天皇には直接的な政治はできない。田中も立憲改進党などに所属していたため、この立憲主義の立場を強調し、天皇が政治に直接介入することに反対だった。だからこ...
番外編:布川了『田中正造と天皇直訴事件』44頁〜47頁
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四、検察の動向 田中正造の精神鑑定の結果を得て、精神に異常がなければ不敬罪に問えると川淵検事正は考えていた。ところが、あくる11日には不敬罪のラインは消え、そもそも勾留ですらなかったと述べる。この間、司法大臣が天皇に説明をし、50分後に出てくる。すると、田中のおこないについては、刑法上の責 を問わない、という決定が下った。 ここは、天皇が、田中の人柄と、鉱毒事件の経緯について大臣から説明を受けて、不敬罪を適用するなと伝えたのかもしれない。布川も天皇抜きに処分を決定できないとする。 ところが天皇が関与して、そもそも法文に直訴を処分する罪などないとして、この椿事を曖昧に葬り、世論の沸騰をかわそうとしたとまとめる。天皇がそんな命令を下すとは思えないが。 毎夕新聞の評。法文の不備などない。天皇の神聖さが今後脅かされるのではないかと憂慮した。 ちなみに明治15年刑法の第117条の不敬罪は、危...
番外編:布川了『田中正造と天皇直訴事件』41頁後ろから3行目〜43頁最終行
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直訴の夜、田中は眠れそうもないと夜9時に医師からモルヒネの皮下注射をしてもらった。布川氏は、これについて全くコメントをせず、次の話に進む。五位野政彦によれば、明治時代の精神科医療では、患者の休息や精神症状の遅延のために麻酔薬や睡眠薬として、阿片やモルヒネが用いられていた。 cf. 明治時代の精神科医療における医薬品―医学資料からの調査― www.jstage.jst.go.jp/article/jjhp/56/1/56_25/_pdf となると、やはり田中は脳病(精神病)を自覚し、治療を受けており、この日も興奮状態で不眠を予測したので、モルヒネを打ってもらったことになる。 なお、モルヒネには中毒がありうる。少量の連用からしだいに増量して慢性中毒となり、不安・不眠・幻覚や手足の震えなどがみられ、摂取を中止すると禁断現象を起こす、という。 cf. モルヒネ中毒、Goo辞書 もちろん、これ...
番外編:布川了『田中正造と天皇直訴事件』32頁5行目〜41頁4行目
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【尚江と半山・秋水】 木下尚江の『田中正造翁』では、直訴前夜に田中が幸徳を尋ね、幸徳はいやいや直訴状を代筆したという。「あの疲れた老人の姿を見ては、振り切ることができない」といい、直訴当日の朝、直訴状を届けに行った。そして、車で揺られていく姿を見ると、気の毒だった、と涙ぐみながら述懐した。 布川は、これを作り話だと一蹴する。秋水が半山を訪ねてきた理由を、尚江は知らなかった。もちろん善後策を講じるためである。直訴状執筆は、前夜に頼まれたのではなく、前から予定されていたことだった。 【天皇・政府の対応】 総理大臣、内務大臣、警視総監(侍従長経由)を通じて、直訴と、田中の性向や履歴は、天皇に伝えられた。つまり鉱毒事件について激しく訴えてきた末に直訴に及んだのだということだろう。内務大臣の天皇との面会は40分に及んでいる。田中正造の直訴は、直接ではないが、明治天皇には伝わったのである。 【直...
番外編:布川了『田中正造と天皇直訴事件』27頁4行目〜31頁3行目
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【麹町警察署】 交番から麹町警察署に移された田中正造は、上等の弁当を差し出され、すべて平らげる。そこから丁寧で礼儀正しい検察の取り調べが始まる。直訴状の筆跡が田中のものではないが、誰が書いたのか、書いたものは罪にはならないから、と尋問される。田中は素直にも「ハイ万朝報の幸徳伝次郎(秋水)氏に書いてもらいました」と答える。すぐに幸徳のもとに警察官が向かう。幸徳は、同じ麹町署で取り調べを受ける。 川淵検事正は、田中にあいさつし、他の司法関係者と打ち合わせる。田中は、天皇の鹵簿(ろぼ:天皇の行列)を見て腰を抜かしたと笑って話した。巡査に取り押さえられたことを、腰を抜かしたので巡査に支えられて交番に行ったという言い方に直して話している。これは笑いながらということなので、一種のユーモアとも解される。だが布川氏は、不敬罪に問われないためのパフォーマンスだという書き方をしている。死を覚悟して直訴し...
番外編:布川了『田中正造と天皇直訴事件』24頁3行目〜27頁3行目
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【「狂人」にあらず】 布川氏の結論は、明快である。田中は自分は狂っていないと主張している。麹町警察署では勾留所ではなく応接所に留め置かれた。医師が派遣され、精神に異常なしと診断された。当時の報道を見ても、狂人扱いはない。つまり、田中も政府も報道も、直訴は狂人の仕業ではないという点で一致している。にもかかわらず、木下尚江は、政府が狂人扱いして不問に付したと書いた。そして、それが一般に流布してしまった。 布川氏の論は明快なのだが、彼が誠実にも引用している資料と齟齬を来している。越中屋の女将によれば、田中は狂人扱いされたことに腹を立てていた。布川氏は、田中が精神鑑定を「狂人扱いしやがって」と受け止めたのだろうと見る。ただ、これは布川氏の推測である。精神鑑定以外の扱いから、狂人扱いされたと感じた可能性は残る。もう一つの可能性は、精神に異常がないことにした方が、不敬罪に問いたい検察としては好都...
番外編:布川了『田中正造と天皇直訴事件』17頁後ろから3行目〜24頁2行目
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【直訴決行】 田中正造が直訴しようと「謹奏」を手に、「お願いでございます」と走り寄った。だが、躓いて、警護の警官に取り押さえられる。謹奏を持った手も押さえられる。天皇の隊列のなかにいた武装した供奉(ぐぶ)隊員は列を離れた。しかし、取り押さえられたのを見て、隊列に戻る。ただし、騎兵の伊知地季盛は、馬の向きを急に変えたため、馬とともに転倒。天皇を乗せた車は何事もなかったように通り過ぎた。しかし、田中は、天皇が一瞥し、自分の声を聞いたたと信じている。 警視総監は「謹奏」を麹町署長から受け取り、訴え人が田中正造なので、丁寧に扱うように注意し、内務大臣と検事局に連絡。つまり、末端で処理したのではなく、上から何らかの意向が働くことになる。 一方、石川半山(安次郎)は、日記に自分の案を田中がおこなったと書く。しかし、布川は、田中がもっと前から佐倉宗吾に言及していたことを紹介する。ただし、布川は佐倉...
番外編:布川了『田中正造と天皇直訴事件』7頁から12頁
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今日からしばらく、上記の本を読む。布川の書き方は数多くの資料を、それが互いに矛盾していても、一通り紹介するもの。推測も交えて、確からしい情景を記述する。今日読んだところは、直訴の早朝から天皇の行幸時を見逃して還幸時を待ち受ける様子まで。
『田中正造選集4』102頁4行目〜103頁最終行
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多年解決せられずして鉱毒地方非命に陥り死人の増加せるを以てこれに対する請願の目的の草案 宛先は鉱毒調査会員。訴える内容は、これまでと変わらない。特筆するべきは、語尾が1箇所を除いて「救へよ」で統一されていること。 その救うべき対象は、生命、生業(これは「復せよ」)、相続の危険、消えてなくなる人類、殺されるもの、未来の損害、人類の生命、である。一点、「人類の生命と多大なる鉱毒との関係を明[らか]にせよ」という文がある。この世界、地球上では、人類の生命が養われている。その生活のために必要な鉱物資源を取り出そうとすると、莫大な鉱毒が発生する。どうしてこのようになっているのか。それを明らかにせよということか。 また、謎が残るのが、死者を救うとはどういうことか である。一般的には供養が考えられる。その他、未来の死者を出さないということも入りうる。または、いま死にそうな人がいるとして、死なないよ...
『田中正造選集4』100頁後ろから2行目〜101頁最終行
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原田勘七郎・定助宛書簡 明治34年12月9日 直訴前日の手紙なので、多少は遺言のような側面があると思われる。まとめると次のようになる。 ・歳費は普通の月給とは異なること ・自分の能力の限界を知れ ・人は精神のみ ・強く丈夫であれ ・真の慈善家は実行する ただし、表面上は後 の蓼沼丈吉に伝えてほしいと託した言葉。歳費の1カ月100円(今日の30万円相当)以上の能力が自分にあるのかを問え、という。このように言われた蓼沼は、結局、歳費を受け取ったのだろうか。 直に会って伝えるべきだが、自分の身は社会、公共のためにある。一人のために時間を取れない。「正造の身、実に明日を期せず」という。直訴で死ぬ覚悟であることを伝えたいが、直訴のことは話せないという状況から出た言葉だろう。
番外編、小西徳應「田中正造研究 直訴報道と研究史」2
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主に直訴状の修正について見てゆく。直訴状を見ると、濃い墨で書かれた修正と、薄い墨で書かれた修正の2種類があり、そこからこれらの修正が2回に分けておこなわれたと推測される。濃い墨は「謹奏」という表書きと々なので、直訴当日だろうと推測される。薄い墨の修正はいつなのか。これは最終的には分からない。 決行の現場だが、行幸のときには思ったより馬車が速くてけっこうできなかった。そこで、衆議院議長の官舎に行ってさらに修正を重ねた。直訴現場は官舎から遠くない。このことから、田中正造は場所を決めていたというより、修正をするために行った官舎で天皇の還幸を察知し、駆けつけたと思われる。 どこかで天皇を待ち受けていたというのとは少し違うようだ。
番外編、小西徳應「田中正造研究 直訴報道と研究史」
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直訴状や田中正造の書いた文章を読む前に、直訴前後の状況を研究論文から補う。小西徳應は、当時の新聞報道を突き合わせ、またその後の研究史も見て、直訴に関する理解の混乱ぶりを紹介する。直訴現場を取材した当時の報道関係者のあいだですら事実認識に細かい違いがある。『選集4』の小松裕の解説にもあるように、直訴は世論を喚起するための策略だったのか。木下尚江の言うように田中は狂人として扱われてお咎めなしとなったのか。 個人的には、これらは二者択一の問いなのか、やや疑問を持つところである。また、それが分かったら、何が明らかになるのかなど。ただ論争のための論争になっているような気がする。
『田中正造選集4』明治34年12月5日〜8日
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『田中正造選集4』明治34年12月5日〜8日
『田中正造選集4』11月29日〜12月4日
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『田中正造選集4』11月29日〜12月4日
『田中正造選集4』明治34年11月22日〜11月29日
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『田中正造選集4』明治34年11月22日〜11月29日
『田中正造選集4』明治34年11月あたりの出来事
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『田中正造選集4』明治34年11月あたりの出来事
『田中正造選集4』99頁7行目〜100頁後ろから3行目
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『田中正造選集4』99頁7行目〜100頁後ろから3行目
『田中正造選集4』97頁後ろから3行目〜99頁7行目
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『田中正造選集4』97頁後ろから3行目〜99頁7行目
『田中正造選集4』96頁後ろから4行目〜97頁後ろから4行目
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『田中正造選集4』96頁後ろから4行目〜97頁後ろから4行目
『田中正造選集4』95頁後ろから2行目〜96頁後ろから4行目
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『田中正造選集4』95頁後ろから2行目〜96頁後ろから4行目
『田中正造選集4』95頁6行目〜後ろから2行目
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『田中正造選集4』95頁6行目〜後ろから2行目
『田中正造選集4』94頁後ろから4行目〜95頁6行目
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『田中正造選集4』94頁後ろから4行目〜95頁6行目
『田中正造選集4』94頁3行目〜後ろから3行目
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『田中正造選集4』94頁3行目〜後ろから3行目
『田中正造選集4』93頁〜94頁3行目
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『田中正造選集4』93頁〜94頁3行目
『田中正造選集4』92頁4行目〜最終行
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『田中正造選集4』92頁4行目〜最終行
『田中正造選集4』91頁後ろから6行目〜91頁最後まで
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『田中正造選集4』91頁後ろから6行目〜91頁最後まで
『田中正造選集4』90頁後ろから6行目〜91頁後ろから6行目
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『田中正造選集4』90頁後ろから6行目〜91頁後ろから6行目

Комментарии

  • @広竹丸
    @広竹丸 2 дня назад

    ズンチャ♪ズンチャ♪

  • @ugokun1860
    @ugokun1860 10 дней назад

    なかなか同姓に会わないのでびっくりしながら聴いてました…😅

    • @tanaka_shozo
      @tanaka_shozo 10 дней назад

      親戚の可能性が。いい仕事しましたね!

  • @box2786
    @box2786 2 месяца назад

    追伸 (承前)…失礼しました。…体を動かすこと」を三位一体のように考えて試行錯誤しております。自分の中の「弱きのままにて弱きを…」という言葉は今、自分の中で紆余曲折をたどって歩き続け、そういうところにいます。 長文失礼しました。的外れでしょうが、言わずにはおれなかった感想です。お聞き下さりありがとうございます。 ご健勝ご活躍をお祈りいたします。それでは失礼いたします。

  • @box2786
    @box2786 2 месяца назад

    弱きのままにて弱きを…。最近はますます旗色悪い考え方ですね。かつて私は、これを「信じたい」と思いながら田中正造を勉強、研究していたことがありました。そして生活のために、お金を得る見通しが他になくなってこの正反対の北朝鮮バッシングの仕事が生活の中心になっていた時期もありました。しかしそれも行き詰ってこの十年は自宅に引きこもって現在は老母の手伝いをしながら北朝鮮バッシングの仕事も田中正造勉強もまとめて自分の中で整理しようとしています。 弱きのままにて弱きを…については、自分の中に敢えてそれに反対する意見を仮想で作って戦わせたりしております。しかし弱きのままにて弱きを…がしばらく前から夜寝て見る夢で再び「理想の正義」として出てきます。ああ、やっぱりその反対にも俺は自分を合わせられなかったんだなあと苦笑します。 しかし弱きのままにて弱きを…とも関連して最近は「アンガーマネジメント」「失敗学」「(自分なりに体を動かすこと」

  • @box2786
    @box2786 2 месяца назад

    三宅雪嶺や陸羯南ら国粋主義者との協力については私も院生時代から短い研究職時代に関心を持っていていつか研究したいと思いながら着手せずに今日まできてしまいました。 もちろん怠慢が主因なのですが、特に院生時代には研究理由を先生方に説明するのに困難を感じていたのも、モチベーションを抑制する材料になっておりました。しかしこう言っても見苦しい言い訳になってしまいますね。 かなり資材を要すると思いますので、私の手ではもうできないかなあと思っています。しかしその頃に買い求めた陸羯南全集の一部なんかがまだ手元にありまして読書と妄想くらいはしてみたいと思っております。 長文失礼しました。ご健勝ご活躍をお祈りいたします。 それでは失礼いたします。

  • @box2786
    @box2786 2 месяца назад

    田中正造の奇行は数々伝説になっていますが、議会での不規則発言、ありていに言えばヤジは最も代表的なものの一つですよね。NHKのクイズ番組で、田中正造は帝国議会で最初に退場を命じられた議員でその理由はヤジだったというのが紹介されていたことを思い出しました。 菅井益郎さんだったでしょうか、我々は田中正造をほめたたえているけれども、実際に今そばにいたら我々にとっては大変な苦労をかけられたろうという旨のことを仰っていたのも思い出します。 しかし今日の論壇をはじめ社会の言論状況からすると、そうしたことこそが、世間一般からの受け取られ方の問題として最もタイムリーなことの一つかもしれないとも思います。それは林竹二さんの問題意識の復権でもあるかと思っておりますが、間違えてたらすみません。 長文失礼しました。ご健勝ご活躍をお祈りいたします。それでは失礼いたします。

  • @box2786
    @box2786 2 месяца назад

    「民から神への転換」とはうまいことを仰いますね。

  • @box2786
    @box2786 2 месяца назад

    予防工事の成果を強調する意見は、私も近年ネットでよく目にする印象がありましてどういう理由があるのかなあとは思っていました。今年でしたか去年でしたでしょうか,古河電工だったでしょうか、いかに未来の課題に果敢に取り組んでいるかをスペクタクルでエモーショナルな映像で熱く訴えるCMを打っているのを見てやはりこの発信力には財政力なくしてはかなわないなあと思ったことを思い出しましたが、的外れだったら申し訳ありません。 自由主義史観研究会や新しい歴史教科書をつくる会を連想することもあります。『教科書が教えない歴史』の2巻でも取り上げられていましたね。この辺になると、ネットで口にすると身の危険も感じるデリケートな問題だと思います。 愚民観をめぐる問題は私の田中正造勉強にとって最も中心に位置するテーマです、個人的課題として。目下のライフワークです。 またまた長文失礼しました。ご健勝ご活躍をお祈りいたします。それでは失礼いたします。

  • @box2786
    @box2786 2 месяца назад

    またまた私にはなかった視点という関係もあって大変勉強になりました、ありがとうございます。 病跡学的分析の可能性についてのご指摘に、砂川幸雄さんが田中正造を精神異常(的)とみなしておられたことを想起しました。先生のご指摘はエリクソンが取り上げたルターやガンディーのようなカリスマに「天才と狂気は紙一重」というのがみられるのが田中正造にも同じことが言えるのではというご指摘とお見受けしましたが(間違えてたらごめんなさい)、砂川さんは明らかに「政治家の資質なし」という意味で仰ってるので、砂川さんのような場合には、私を含め「田中正造に学ぶ」研究者にとっては反応に困り、ヒトによっては反発することも確かにあろうと思います。 エリクソン、あるいは日本では福島章さんのような分析の対象とされる場合には、田中正造を顕彰する研究者の間でも反応が大きくわかれそうな印象があります。あくまで印象ですが。これも間違えてたらすみません。 だから田中正造の思想の価値が…という話になると、デリケートなことになるのだろうと思います。 これも、田中正造の思想の研究が世間一般からどう受け取られるかということにかかわってくると思っておりますが、間違えてたらすみません。 長文失礼しました。今後ともご健勝ご活躍をお祈りいたします。

    • @tanaka_shozo
      @tanaka_shozo 2 месяца назад

      @@box2786 例えば直訴をただの「狂人」の所業と見る見方には、すでに根拠に基づいて反論が続出している状況かと思います。病跡学は天才とか偉人とか言われている人の、その偉業の陰に個人的な「創造の病」があると分析することが多いと思います。ある程度、そういう議論に親しんでいれば、受け入れられることでも、その偉人を崇敬する人にとっては最後まで受け入れられないことがあるかもしれませんね。逆に正造を崇め奉るのは、正造も嫌っていたという立場から、田中正造を批判する向きも有ります。これも、僕からすると行き過ぎな感じもしています。やはり、論じる人によって違いがありますね。

    • @box2786
      @box2786 2 месяца назад

      @@tanaka_shozo ご返信、重ねてのご教示ありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。

  • @box2786
    @box2786 2 месяца назад

    被害民の服装に関するこの一連のエピソードは私が非常に重視している部分です。これが、現在、一般的にどのように受け取られるかは、学術的な議論にはならないと思うのですが、田中正造研究が広く所謂世間一般でどう受け取られるかを考える時に、その手がかりとして思考実験する価値があると、常日頃考えております。もちろん、自分以外の方もそう考えるべきだという意味ではないのですが、目にすると機会があればこう 口に出さずにはいられないというほどに、意識しております。 先生は田中正造のこの発言に批判的なお立場ですね。私は。ここにこの時の運動の行き詰まりについて田中正造のやむにやまれぬ心情が反映されている側面を思い浮かべずにはいられずにおります。まあ、妄想水準の連想なのですが。 お気に障られたら申し訳ございません。私にとっては自分と異なるご意見であるからこそ拝聴いたしたいし、しなければならないのはもちろんです。ご教示ありがとうございました。

    • @tanaka_shozo
      @tanaka_shozo 2 месяца назад

      批判的というほどでもありません。住民側に立って弁護したといったところです。

    • @box2786
      @box2786 2 месяца назад

      @@tanaka_shozo お忙しいところ、補足説明のご返信ありがとうございます。ご主旨諒解いたしました。今後ともよろしくお願いいたします。

  • @box2786
    @box2786 2 месяца назад

    なるほど、林竹二さんの研究は「田中正造の思想の宗教的側面の発見」でもあったのですね。林さんが田中正造の思想をキリスト教思想としてとらえていることは頭に入っていたのですが、私は政治思想史の視角が強かったので、その「発見」という認識はありませんでした。ご教示ありがとうございます。 その他にも、私に勉強期間のブランクがあるせいもあるのでしょうが、今世紀以降の研究の進展など大変興味深く拝聴しました。特に仏教界との関係の進展などが記憶に残りました。 繰り返し拝聴したいとも思いました。ありがとうございました。

  • @box2786
    @box2786 3 месяца назад

    人民はなぜ闘わないのかという問いが以前にも増して目立ってくるあたりですよね。後の所謂「谷中学」との連続性を持っているという印象がありますが、間違えてたらごめんなさい。このように人民を批判していた自分を「何を俺は偉そうに…」と自己批判するのが谷中学の一側面と認識しております。一方で、この時期の政府に過剰に従順な人民という批判は、私などは自分の反省材料としなければ道徳的に自己欺瞞であろうとも考えてきました。そこを深めたいと思いながら怠慢等々でできずにきました。 あらためて思い出させていただきました。ありがとうございます。それでこれからすぐ何をするかというと、それはまだ見えなくて申し訳ないのですが。凡夫の自分といかに向き合うかというところで模索しております。 長文失礼しました。ご健勝ご活躍をお祈り申し上げます。

    • @tanaka_shozo
      @tanaka_shozo 3 месяца назад

      コメントありがとうございます。谷中学にもそのような両面があります。水俣学との比較でやや理想化された面もありますが、もう少し客観的な民衆研究、田中正造自身も「究極の社会学」と言っていますが、ある意味、今日の学問に近い面もあります。また、その話になってきたら、解説したいと思います。

  • @box2786
    @box2786 3 месяца назад

    こんにちは、順不同かつながら視聴ですいませんが、拝聴しております。私の勘違いでなければ、東大の先生でらっしゃるんですよね。ン十年ぶりに大学の講義を受ける感じです。私は学生時代の末期は聴講態度の悪く申し訳ないことをしましたが…。今日は違いますが、数日前は我流の“体操”をしながら拝聴しました。田中正造の言葉と先生のお言葉をシャワーのように浴びながら体を動かす感じですね。学生時代にそんなファンタジー(当時の技術水準で)に憧れていましたが、当時は物理的に不可能でした。こんな形で可能になるとは…。田中正造の思想は「身体の思想」という側面があると思うのですが、それをこのような形で「体で触れたつもり」になってみることが可能になるとは、田中正造の思想がある種の近代批判である側面を想うと皮肉なことと感じます。 長文失礼しました。見当はずれなことを申しておりましたら、お許し下さい。ご健勝ご活躍をお祈りいたします。

    • @tanaka_shozo
      @tanaka_shozo 3 месяца назад

      実は、私も読書をしながらできるストレッチというのを編み出して、主に古典を朗読しながらストレッチ(ヨーガのポーズ多し)をしていましたので、おっしゃることはよくわかります。

  • @ugokun1860
    @ugokun1860 3 месяца назад

    今日の内容は今でこそ、考えなくてはいけない視点かもと。…特に、最後の 文明に関わる点…

    • @tanaka_shozo
      @tanaka_shozo 3 месяца назад

      いつも聴いてくださり、ありがとうございます。おっしゃる通りでございます。文明を妨げているのは何か。色々ありすぎますが、一つずつ変えていかなければなりません。

  • @ugokun1860
    @ugokun1860 5 месяцев назад

    今日の部分で、私は「亡国に至るを知らざれば…」 に関して理解が深まりました!

    • @tanaka_shozo
      @tanaka_shozo 5 месяцев назад

      僕も最初は意味不明な言葉だなと思っていました。当時、国会で聞いていた人もどれだけ理解していたか。急に言われても、ピンと来ないでしょう。毎日、田中正造を読んでいると、よくわかりすぎるくらいにわかるのですが。

  • @田中登美子-d8u
    @田中登美子-d8u 7 месяцев назад

    はじめまして勉強不足でした。今日から仕事の合間に読ませて頂きます。 ありがとうございました😊

    • @tanaka_shozo
      @tanaka_shozo 7 месяцев назад

      ありがとうございます。励みになります。どうぞよろしくお願いします。

  • @oukitama
    @oukitama 9 месяцев назад

    7:12 古河市兵衛(ふるかわいちべえ) 14:16 顚倒(「こんとう」とお読みですが「てんとう」ではありませんか?)

    • @tanaka_shozo
      @tanaka_shozo 9 месяцев назад

      ありがとうございます! 「顚倒」だったのですね。字が小さくて読めませんでした。読みは「てんとう」ではなく「てんどう」ですね。

  • @oukitama
    @oukitama 9 месяцев назад

    2:16 一山百文と云ふ博士(ひとやまひゃくもんというはかせ)詳細不明 7:30 八釜し(やかまし) 11:03 烟筒(えんとう)煙突 12:30 烟草(たばこ)、烟管(キセル)、脂(やに) 16:50 喋々(ちょうちょう)

  • @oukitama
    @oukitama 9 месяцев назад

    11:11 格魯児 (クロル?クロリ?)塩素 11:46 苦土(くど) 12:00 礬土(ばんど)アルミナ 12:12 抔(など) 12:32 硫酸格魯児(りゅうさんクロリ?りゅうさんクロル?)塩化スルホン酸? 13:27 アルミナの毒性

  • @oukitama
    @oukitama 9 месяцев назад

    2:56 如彼(かのごとし)

  • @oukitama
    @oukitama 9 месяцев назад

    4:17 如斯(かくのごとき) 4:22 前後撞着(ぜんごどうちゃく)曖昧模稜(あいまいもりょう) 6:03掩う(おおう) 6:30 況んや(いわんや)〜に於てをや(においてをや) 7:07 左の如く(さのごとく) 10:15 淤泥(おでい) 10:30 澱渣(でんさ) 11:36 溷濁(こんだく) 12:03 壅塞(ようさい)

  • @oukitama
    @oukitama 10 месяцев назад

    9:36 防遏(ぼうあつ) 13:59 頓に(とみに) 14:40 啻に(ただに)

  • @ugokun1860
    @ugokun1860 10 месяцев назад

    今日のまとめを聞いて理解が進みました! 疑問が徐々に解けていきます。

  • @ugokun1860
    @ugokun1860 Год назад

    私の知りたい事のヒントになる部分でした