【弟子の条件、塩気のなくなった塩】
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- Опубликовано: 7 фев 2025
- 今回は、「狭い戸口から入れ」という内容の三回目、最終回になります。最後は「あれもこれもという一挙両得を目論む者は入れない」という狭さについて分かち合っています。
これまでは「緊急性」とか「謙遜」についてみてきていたが、今回の内容にはもちろんこれらのこととも含まれています。
二兎を追う者は一兎をも得ずとあるように、欲張ってしまえば、何一つ手にすることはできない。そして、さっさと決めることが大切のように感じるが、腰を据えてしっかりと考えないといけないこともある。そんなことを考えながら、今自分に求められている答えは何なのか。そんなことを見つけられたらと思います。
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ルカによる福音書14:25~35
25大勢の群衆が一緒について来たが、イエスは振り向いて言われた。 26「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。 27自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない。 28あなたがたのうち、塔を建てようとするとき、造り上げるのに十分な費用があるかどうか、まず腰をすえて計算しない者がいるだろうか。 29そうしないと、土台を築いただけで完成できず、見ていた人々は皆あざけって、 30『あの人は建て始めたが、完成することはできなかった』と言うだろう。 31また、どんな王でも、ほかの王と戦いに行こうとするときは、二万の兵を率いて進軍して来る敵を、自分の一万の兵で迎え撃つことができるかどうか、まず腰をすえて考えてみないだろうか。 32もしできないと分かれば、敵がまだ遠方にいる間に使節を送って、和を求めるだろう。 33だから、同じように、自分の持ち物を一切捨てないならば、あなたがたのだれ一人としてわたしの弟子ではありえない。」
34「確かに塩は良いものだ。だが、塩も塩気がなくなれば、その塩は何によって味が付けられようか。 35畑にも肥料にも、役立たず、外に投げ捨てられるだけだ。聞く耳のある者は聞きなさい。」