【「見失った羊」のたとえ、「無くした銀貨」のたとえ】15:1~7、8~10
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- Опубликовано: 7 фев 2025
- 今回からイエス様の話は、狭い門から入る人は誰なのかという話へと移っている。
今回と次回分かち合っていく15章はとても有名な箇所で、たとえ話を聞いたことあるという人も多いと思います。その中でも今回は2つのたとえ話を紹介しながら、イエス様が教えられる「狭い戸口から」入ることのできる人がどんな人なのか知っていく機会となったらと思います。
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ルカによる福音書15:1~10
1徴税人や罪人が皆、話を聞こうとしてイエスに近寄って来た。 2すると、ファリサイ派の人々や律法学者たちは、「この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている」と不平を言いだした。 3そこで、イエスは次のたとえを話された。 4「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。 5そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、 6家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。 7言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」
8「あるいは、ドラクメ銀貨を十枚持っている女がいて、その一枚を無くしたとすれば、ともし火をつけ、家を掃き、見つけるまで念を入れて捜さないだろうか。 9そして、見つけたら、友達や近所の女たちを呼び集めて、『無くした銀貨を見つけましたから、一緒に喜んでください』と言うであろう。 10言っておくが、このように、一人の罪人が悔い改めれば、神の天使たちの間に喜びがある。」