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中国と交流を持とうとしている日本列島の人たちは、もともと中国大陸から流れてきた人ではないかと思います。先ごろは情報が発達していますから、海の向こうに大きなクニがあるなどわかりますが、古代の人が船を使っていないで陸地だけで住んでいたら、まず、海の向こうはわからない。 よって、何らかの情報で海の向こうに国があることがわかっても、「朝貢」しようとはすぐには思わない。攻めても来ない。貿易もしないなら、付き従う必要もない。海難事故など命の危険を冒してまで、朝貢する必要があっただろうか? しかし、もともと、中国大陸に住んでいた人が日本列島でクニをつくったなら、話は違う。漢字もつかえるし、中国大陸で敗戦し、逃げてきた人なら、大陸の様子もわかるし、朝貢の意味もわかる。日本に文字はなかったか?彼らは純粋の漢民族ではない。秦の始皇帝が中国を統一した時に言葉を統一しようと考えたわけで、それ以前に日本に来た人は呉音の発音だろう。
お?チャイ文字じゃん。まだやってたんだ…
お
漢字が中国で発達したのでしょうが、文字発祥の地かどうかわかっていない。漢字より古い甲骨文字の起源が中国ではない説もある。
漢字の元は日本の神大文字です。黄河文明より以前から栄えた長江文明で栄えた都市はみんな倭人なりと契丹古書に書かれています。
@@柳川伸之 日本は不思議な国で、アフリカに誕生した人類が太陽を求めて東へ東へ移動してたどり着いた東の果ての島国だ。 列島で人類が誕生したわけではないだろうが、 古代の文明が大陸のみならず、中東からも世界の古代文明が列島へ及んでいる。 日本神話には旧約聖書の影響が色濃く残っているし、神社にも古代キリスト教の影響が残存している。 1) 八咫鏡の古代ヘブライ語の「われは在りて有るもの(神ヤハウェのこと)」 2) 前方後円墳の形とマナの壺(モーゼの十戒が刻まれた石板を収めた箱)の形は似ている 3) 聖徳太子の名前が厩戸皇子とはイエスのバロディ 4) 諏訪大社にはアブラハムがモリアの丘でイサクを生け贄を模した神事がおこなわれていたし、神社の裏山の名前はモリア山。 5) 青森にイエスの墓がある 6) 祇園祭の御神輿には中東の景色が描かれていて、アークの箱(モーセの時代に、マナを納めた金の壺、アロンの杖、十戒を記した石板が収納)を模している。 7) アロン(モーゼの兄)杖:投げると蛇になった。出エジプトで海が割れた)蛇伝説は日本神話と親和性が高い。 8) 天地創造と古事記の天地開闢の初めから既に存在し、しかるべくして一気に天と地の二つに分けた。話と酷似 これだけ状況証拠がありますからね。日本は古代キリスト教から多神教も容認する世俗化されたユダヤ教へ変換した国家だったのです。千利休はキリシタンで裏千家の茶室は教会です。
@@柳川伸之 1万6000年もの間平和裏に暮らしていた日本列島へ、戦争を繰り返す大陸から、戦争に負けた様々な民族が渡来してくるようになった。紀元前721年イスラエル王国は滅亡し、失われた十氏族となる(日ユ同祖論)紀元前7世紀頃、大陸を追われて、この列島に避難してきた山戎の勢力こそが、「えびす様」の渡来だと考えられます。山戎は、高度な文化や技術をこの列島にもたらし、その功績が「福の神」として後々にまで伝えられていったのでしょう。紀元前209年に冒頓のクーデターがあり、東胡と匈奴との抗争勃発。東胡が匈奴に敗れて列島へやってきて厳しい圧政をおこなった。これが古事記に娘が連れていかれる話として残っている。107年奴隷160名を漢へ献上(後漢書):当時百四国あった列島を厳しく統治。出雲に四隅突出型古墳がみられる。135年に中東で激しい宗教戦争が起こりキリスト教徒が各地へ散らばっていった。150~190年倭国大乱(後漢書):大陸からやってきた匈奴が圧政をしている東胡を破った(天照隠れる)。200年卑弥呼共立248.9.5皆既日食:西都原オサコズカ:巨大円墳に卑弥呼が祀られている190~663年出雲王朝:平穏で豊かで安定した治世:徳・仁・義・礼・智・信に大小が官職名 冠位12階290~399.2.7仁徳天皇の民の釜戸の大御宝の時代413~478年:九回朝貢している。宋帝国(劉宋)の正史『宋書』に登場する倭国の五代の王、讃・珍・済・興・武をいう。倭の五王:讃、東晋,宋、南齊,梁574.2.7-622.4.8聖徳太子589年東胡・鮮卑族による中国統一604-618年煬帝. 隋の第2代皇帝。遣隋使「日出処(ひいずるところ)の天子、書を日没処(ひぼっするところ)の天子に致す」。618-907年 唐王朝624-705武則天(諱は照)=天照
@@柳川伸之 出雲と卑弥呼との連合国家を大化の改新から始まる蘇我氏追放と白村江の戦いで崩壊させ、唐から派遣された人物が新たな王朝を確立した。それが天武天皇だ。王朝が変わったので、自らの正統性を知らしめる為に記紀が編纂され、全国の風土記も中央へ報告させて統一した。それまでの歴史書は焼き払われ神代文字も抹消された。 中東から南方ルートで渡来してきた卑弥呼は太陽神も信仰するキリスト教で、大陸から日本へ渡来してきた秦氏は多神教を排除しない世俗化されたユダヤ教だった。だから秦氏の氏神は御稲荷さんで商売繁盛だ。 古墳時代の出雲王朝はキリスト教を信仰していた。ペルシャ人の母をもつ蘇我氏の聖徳太子の名前が厩戸皇子とはイエスのバロディだ。 大国主の息子が逃げ込んだ諏訪大社にはアブラハムがモリアの丘でイサクを生け贄を模した神事がおこなわれていたし、神社の裏山の名前はモリア山だ。 青森にあるイエスの墓も出雲の残党が東北へ逃げて行き、信仰を守っていたキリストに由来するものを祀ったのだろう。(イエス自身やイエルの弟が来日していたという言い伝えもあるので、イエスの親族の子孫の誰かのお墓なのかもしれない。) 卑弥呼も秦氏も同じ神、唯一神ヤハウエを信奉していた。宗像三女神は3柱ではなく同一神だ。卑弥呼の名前は記紀では抹消されたが、海の神として宗像三女神と名前を変えてその魂を祀っている。 大国主の息子の事代主の天の逆手を打つとは出雲を裏切ったという意味で、八咫烏と名前を隠して大和を助け裏天皇として権力を維持した。それが出雲の国譲りだ。だから日本は大和、出雲、秦氏の三者が統治してきた国で、三つ巴紋がそれを表している。 ちなみに伊勢神宮の内宮の主祭神である天照大神は唐の高宗の皇后で白村江の戦いで日本を支配下においた統治王の武則天(諱は照)であり、外宮の祭祀王としての豊受大神は秦氏が信奉している唯一神ヤハウエだ。ユダヤ教の腐敗を弾劾して新興したキリスト教のイエスキリストが今の豪華絢爛なバチカンをみたらどう思うだろうか。カナダでは本国フランスで消えた古い民謡が残っている。同様に、中東で起こったキリスト教の精神が欧米ではとっくに腐敗して、遠い東の果ての列島に古代ユダヤ教やキリスト教の精神が古来からの太陽信仰と一緒になって伊勢神道として残っている。
@@柳川伸之 大陸でも古代は母系社会だった。それが戦乱が続き戦争に強い男系社会となっていった。出雲王朝では卑弥呼が祭祀王で上位にあり、大国主が統治王を勤めていたが、大国主はスサノウの婿だ。男系皇統とは大陸由来の野蛮な風習でしかない。 天皇主義とは 日本国民全部を過去の日本国民も未来の国民も含めて この日本列島に生き死にしたひとたちを 政治的に統合できて、 熱い政治的なエネルギーを リリースできるような政治的装置が天皇制だ。 古代史を抹消した天皇が過去の日本を代表しているのだろうか? 皇室の男系には大和王朝の遺伝子しか受け入れていないが、 女性は列島各地の豪族の娘の遺伝子が入っていてまさに民祖を形成している。 みてきたように、天皇は世界の大神主として存在しうる立ち位置にある。 大和一族の保身の為に日本の古代史が隠蔽捏造されるのは許されない。 今上天皇に男宮がみえないのは天の啓示だ。男系皇統に拘る理由はないし、直系の愛子様が北朝の男性と婚姻されるのが、一番安泰な道だと考えます。今上天皇の直系であり日本国の民祖でもある愛子天皇こそ、形骸化した祭祀王を再生させるに相応しい。 もしかしらた愛子天皇がハルマゲドンから世界を救う方かもしれない。
🙏阿辻様、ご研鑽のお話、非常に興味深く、拝聴しております。古代日本史にも関わってる模様なので、お一人御紹介します。RUclips福永晋三氏です。真実の日本古代史と銘打って、論を展開されてます。どうぞ御閲覧下さいませ。尚、金印の話は、氏によれば作り話のようです。 新千 敬具
正倉院に収められている唐の宝物が朝貢外交の成果でしょうか?他国にも同様にこのような宝物が与えられたいたでしょうか。唐が滅亡した時に唐の李王朝が日本へ逃避してきて岸姓を名乗り宝物が正倉院へへ移された。丁度台湾の故宮に紫禁城の宝物を移動したのと同じで、それは日本がリトル唐だったからではないでしょうか。京都大学の歴史学って大丈夫ですか。
?
この人中国人?
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中国と交流を持とうとしている日本列島の人たちは、もともと中国大陸から流れてきた人ではないかと思います。先ごろは情報が発達していますから、海の向こうに大きなクニがあるなどわかりますが、古代の人が船を使っていないで陸地だけで住んでいたら、まず、海の向こうはわからない。
よって、何らかの情報で海の向こうに国があることがわかっても、「朝貢」しようとはすぐには思わない。攻めても来ない。貿易もしないなら、付き従う必要もない。海難事故など命の危険を冒してまで、朝貢する必要があっただろうか?
しかし、もともと、中国大陸に住んでいた人が日本列島でクニをつくったなら、話は違う。漢字もつかえるし、中国大陸で敗戦し、逃げてきた人なら、大陸の様子もわかるし、朝貢の意味もわかる。日本に文字はなかったか?彼らは純粋の漢民族ではない。秦の始皇帝が中国を統一した時に言葉を統一しようと考えたわけで、それ以前に日本に来た人は呉音の発音だろう。
お?チャイ文字じゃん。
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漢字より古い甲骨文字の起源が中国ではない説もある。
漢字の元は日本の神大文字です。
黄河文明より以前から栄えた長江文明で栄えた都市はみんな倭人なりと契丹古書に書かれています。
@@柳川伸之
日本は不思議な国で、アフリカに誕生した人類が太陽を求めて東へ東へ移動してたどり着いた東の果ての島国だ。 列島で人類が誕生したわけではないだろうが、 古代の文明が大陸のみならず、中東からも世界の古代文明が列島へ及んでいる。 日本神話には旧約聖書の影響が色濃く残っているし、神社にも古代キリスト教の影響が残存している。
1) 八咫鏡の古代ヘブライ語の「われは在りて有るもの(神ヤハウェのこと)」
2) 前方後円墳の形とマナの壺(モーゼの十戒が刻まれた石板を収めた箱)の形は似ている
3) 聖徳太子の名前が厩戸皇子とはイエスのバロディ
4) 諏訪大社にはアブラハムがモリアの丘でイサクを生け贄を模した神事がおこなわれていたし、神社の裏山の名前はモリア山。
5) 青森にイエスの墓がある
6) 祇園祭の御神輿には中東の景色が描かれていて、アークの箱(モーセの時代に、マナを納めた金の壺、アロンの杖、十戒を記した石板が収納)を模している。
7) アロン(モーゼの兄)杖:投げると蛇になった。出エジプトで海が割れた)蛇伝説は日本神話と親和性が高い。
8) 天地創造と古事記の天地開闢の初めから既に存在し、しかるべくして一気に天と地の二つに分けた。話と酷似 これだけ状況証拠がありますからね。
日本は古代キリスト教から多神教も容認する世俗化されたユダヤ教へ変換した国家だったのです。千利休はキリシタンで裏千家の茶室は教会です。
@@柳川伸之
1万6000年もの間平和裏に暮らしていた日本列島へ、戦争を繰り返す大陸から、戦争に負けた様々な民族が渡来してくるようになった。
紀元前721年イスラエル王国は滅亡し、失われた十氏族となる(日ユ同祖論)
紀元前7世紀頃、大陸を追われて、この列島に避難してきた山戎の勢力こそが、「えびす様」の渡来だと考えられます。山戎は、高度な文化や技術をこの列島にもたらし、その功績が「福の神」として後々にまで伝えられていったのでしょう。
紀元前209年に冒頓のクーデターがあり、東胡と匈奴との抗争勃発。東胡が匈奴に敗れて列島へやってきて厳しい圧政をおこなった。これが古事記に娘が連れていかれる話として残っている。
107年奴隷160名を漢へ献上(後漢書):当時百四国あった列島を厳しく統治。出雲に四隅突出型古墳がみられる。
135年に中東で激しい宗教戦争が起こりキリスト教徒が各地へ散らばっていった。
150~190年倭国大乱(後漢書):大陸からやってきた匈奴が圧政をしている東胡を破った(天照隠れる)。
200年卑弥呼共立
248.9.5皆既日食:西都原オサコズカ:巨大円墳に卑弥呼が祀られている
190~663年出雲王朝:平穏で豊かで安定した治世:徳・仁・義・礼・智・信に大小が官職名 冠位12階
290~399.2.7仁徳天皇の民の釜戸の大御宝の時代
413~478年:九回朝貢している。宋帝国(劉宋)の正史『宋書』に登場する倭国の五代の王、讃・珍・済・興・武をいう。倭の五王:讃、東晋,宋、南齊,梁
574.2.7-622.4.8聖徳太子
589年東胡・鮮卑族による中国統一
604-618年煬帝. 隋の第2代皇帝。遣隋使「日出処(ひいずるところ)の天子、書を日没処(ひぼっするところ)の天子に致す」。
618-907年 唐王朝
624-705武則天(諱は照)=天照
@@柳川伸之
出雲と卑弥呼との連合国家を大化の改新から始まる蘇我氏追放と白村江の戦いで崩壊させ、唐から派遣された人物が新たな王朝を確立した。それが天武天皇だ。王朝が変わったので、自らの正統性を知らしめる為に記紀が編纂され、全国の風土記も中央へ報告させて統一した。それまでの歴史書は焼き払われ神代文字も抹消された。
中東から南方ルートで渡来してきた卑弥呼は太陽神も信仰するキリスト教で、大陸から日本へ渡来してきた秦氏は多神教を排除しない世俗化されたユダヤ教だった。だから秦氏の氏神は御稲荷さんで商売繁盛だ。 古墳時代の出雲王朝はキリスト教を信仰していた。
ペルシャ人の母をもつ蘇我氏の聖徳太子の名前が厩戸皇子とはイエスのバロディだ。 大国主の息子が逃げ込んだ諏訪大社にはアブラハムがモリアの丘でイサクを生け贄を模した神事がおこなわれていたし、神社の裏山の名前はモリア山だ。 青森にあるイエスの墓も出雲の残党が東北へ逃げて行き、信仰を守っていたキリストに由来するものを祀ったのだろう。(イエス自身やイエルの弟が来日していたという言い伝えもあるので、イエスの親族の子孫の誰かのお墓なのかもしれない。)
卑弥呼も秦氏も同じ神、唯一神ヤハウエを信奉していた。宗像三女神は3柱ではなく同一神だ。卑弥呼の名前は記紀では抹消されたが、海の神として宗像三女神と名前を変えてその魂を祀っている。 大国主の息子の事代主の天の逆手を打つとは出雲を裏切ったという意味で、八咫烏と名前を隠して大和を助け裏天皇として権力を維持した。それが出雲の国譲りだ。
だから日本は大和、出雲、秦氏の三者が統治してきた国で、三つ巴紋がそれを表している。 ちなみに伊勢神宮の内宮の主祭神である天照大神は唐の高宗の皇后で白村江の戦いで日本を支配下においた統治王の武則天(諱は照)であり、外宮の祭祀王としての豊受大神は秦氏が信奉している唯一神ヤハウエだ。
ユダヤ教の腐敗を弾劾して新興したキリスト教のイエスキリストが今の豪華絢爛なバチカンをみたらどう思うだろうか。カナダでは本国フランスで消えた古い民謡が残っている。同様に、中東で起こったキリスト教の精神が欧米ではとっくに腐敗して、遠い東の果ての列島に古代ユダヤ教やキリスト教の精神が古来からの太陽信仰と一緒になって伊勢神道として残っている。
@@柳川伸之
大陸でも古代は母系社会だった。それが戦乱が続き戦争に強い男系社会となっていった。出雲王朝では卑弥呼が祭祀王で上位にあり、大国主が統治王を勤めていたが、大国主はスサノウの婿だ。男系皇統とは大陸由来の野蛮な風習でしかない。
天皇主義とは 日本国民全部を過去の日本国民も未来の国民も含めて この日本列島に生き死にしたひとたちを 政治的に統合できて、 熱い政治的なエネルギーを リリースできるような政治的装置が天皇制だ。
古代史を抹消した天皇が過去の日本を代表しているのだろうか? 皇室の男系には大和王朝の遺伝子しか受け入れていないが、 女性は列島各地の豪族の娘の遺伝子が入っていてまさに民祖を形成している。 みてきたように、天皇は世界の大神主として存在しうる立ち位置にある。 大和一族の保身の為に日本の古代史が隠蔽捏造されるのは許されない。
今上天皇に男宮がみえないのは天の啓示だ。男系皇統に拘る理由はないし、直系の愛子様が北朝の男性と婚姻されるのが、一番安泰な道だと考えます。今上天皇の直系であり日本国の民祖でもある愛子天皇こそ、形骸化した祭祀王を再生させるに相応しい。 もしかしらた愛子天皇がハルマゲドンから世界を救う方かもしれない。
🙏阿辻様、ご研鑽のお話、非常に興味深く、拝聴しております。
古代日本史にも関わってる模様なので、お一人御紹介します。
RUclips福永晋三氏です。
真実の日本古代史と銘打って、論を展開されてます。
どうぞ御閲覧下さいませ。
尚、金印の話は、氏によれば作り話のようです。
新千 敬具
正倉院に収められている唐の宝物が朝貢外交の成果でしょうか?
他国にも同様にこのような宝物が与えられたいたでしょうか。
唐が滅亡した時に唐の李王朝が日本へ逃避してきて岸姓を名乗り
宝物が正倉院へへ移された。
丁度台湾の故宮に紫禁城の宝物を移動したのと同じで、
それは日本がリトル唐だったからではないでしょうか。
京都大学の歴史学って大丈夫ですか。
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この人中国人?