Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
クハ1411系のパイプ仕切りの片隅運転室、子供の頃先頭で展望台みたいな感じで楽しかったけど、混んでくると仕切りパイプに押し付けられて、痛かった思い出が蘇った。
ああ懐かしい。
赤電動画ありがとうございます✨昭和50年代中盤両開きでないワンドア❗️中学の悪い先輩がドアに足を鋏みそのまま走行してました。赤電懐かしい✨
西武といえば赤電・吊り掛けモーターでしたね子供のころ運転台が片隅形式の371系に乗って先頭で運転士の隣で前を見るのが大好きでした
私が子供の頃は、まだ新宿線で451系6両編成が最後の活躍をしていました。 また、競輪開催時に臨時で運行される西武新宿⇒西武遊園地の快速急行があり、途中停車駅は、高田馬場、鷺ノ宮、上石神井、田無、小平、萩山で、551系4両編成が釣り掛けモーターを唸らせて疾駆していました。 351系は、最晩年に多摩湖線国分寺⇔西武遊園地に準急が設定され、最期の花道を飾りました。クハ1651形は、601系のM車を701系化の上6両編成に組み替える際に余剰となったクハ1601形の再利用ですが、その貫通路の改造変遷が連結相手ごとに変遷していて面白いです。 第一形態:601系時代広幅 ⇒第二形態:クハ1651化狭幅(クモハ451形に合わせてる) ⇒第三形態:クモハ551形に合わせ広幅に復旧1985年に上信電鉄へ事故廃車補填で譲渡された105編成 クモハ105-クハ105(西武クモハ461-クハ1662)に第二形態の特徴をよく残していました。ちなみに鉄コレシークレットのクハ1651は貫通路部分は嘘形状です。 実物は広幅時代のままの妻面窓を残し、貫通路部分のみ狭くしていました。 扉も有りません。
赤電車懐かしい。もう一回乗りたいです。
赤電で育った40代後半のオッサンです。エモい動画をありがとうございます。家が線路に近かったので音でどんな編成かを妄想するのが楽しみでした。
おすすめに上がっていたので拝見しました。2年も前にこういう動画をお作りになられていたんですね。赤電は 動画の通り吊り掛けもカルダンも全金属製も半鋼製もお構いなしにごちゃ混ぜに連結するのが当たり前の光景で しかも昔は分割・併合のある運用も多かった。連・解結作業を迅速に行なう為にカルダン車はなかったものの 551系からは そのカルダン車が続々と登場していた他社でも珍しかった『電気連結器』を早くも採用しており 在来車にも続々と取り付けが行われました。411系は 401系にアップデートされる前に 吊り掛け駆動用に新製された『住友 FS40台車』(クハ1801用FS067と同形態のインダイレクトマウント式空気ばね台車で モーターはMT15を使用 軸距も吊り掛け式の為に 101系用FS372よりも少し長い)に履き替えられました。401系化されると同台車は 571系や551+1651編成に回されそれらが廃車されると 近江鉄道の在来車の体質改善用や 彦根工場の力作 モハ220にも活用されました。流鉄の 先代『あかぎ』が履いていたあの台車です。
多摩湖線地元民でした。真ん中のサハに運転台のドアと、操作用のレバーを差し込む台座の跡が残った車両の記憶が有ります。ドアは溶接されて開閉不可でした。
おいらが覚えてるのは床が木だった。夏は窓全開で扇風機。懐かしい。
床の真ん中に棒❓柱❓が立っていましたよね。においも覚えていますよ。
床オイルが臭かった。
幅が20センチ位の板だった。ドアは、片側だけが開く1枚物。昭和45年に所沢駅から豊島園遊園地に行く時乗った記憶。
15:58 ゴルフ急行懐かしい、確かに2両で走っていました。
な、な、懐かしい‼️まだ練馬駅が島一面二線の頃だった。551の客扉が両開軽量アルミで妙に軽いゴトゴト音がしていた。いやー、労作ですなあ‼️よくぞまとめられました。ローズピンク前の塗装も懐かしい。(富士見台住まいだった)年長組の頃701が登場して、前面腰のステン飾りや幅広方向幕にびっくりしてノートに701の絵ばかり描いてたな。
私が子供の頃には片開きで木の床の車両がまだ走っていました。それらは国鉄払い下げの車両だったのですね。
私が生まれるギリギリの時期まで多摩湖線にて西武最後の赤電車こと351系が走っていたんですね。地元が西武沿線なので、幼稚園の時に見られたのは確か先頭車が平ったい401系(元411系)はよく見た記憶があります。当時は1990年前半だったため、赤電車こそなかったものの、たまたま車で小手指車両基地のそばを通った時(たしか1994年頃)、まだ解体されていなかった赤電車を見たような気がします。確かクハ1651か551系、あるいは351系の一部だったかと思います。
複雑怪奇な、西武電車の形式解説を、ありがとうございます。
赤電といえば351系、701系、451系、551系が思い浮かびます😊
501系もお忘れなく。
601系の中間台車は701系同様FS342です
西武多摩湖線の101系撤退のまとめやってほしいです!
関西から上京した頃(西武新宿線)、701.801.101系が混在。冷房車=黄色の電車🟡のイメージが強かった。
懐かしいなぁ。私が生まれたばかりの頃は池袋線で走っていたけど、新宿線と同じ黄色ベースにグレー帯の車両が池袋線に投入され始めた頃から新宿線系、池袋線系を問わず短距離支線用として異動していったなぁ。加速・減速時の独特なモーター音とか、木製床とか、編成によっては幅広のシングルドアだったり、子供の頃は、黄色い新型車両よりも、味のある赤電の方が当たりだと思って乗るのが楽しみでした。
1970年前後に野方に住んでいたので、とても懐かしいです。
追記351系の車体長の話ですが、横瀬基地のイベントで351の傍に置かれる説明プレートを見る限りは「自重説」が濃厚です。この動画の脚本を書いたのは2020年の横瀬イベント前でした。
@@との-j9z 知らないです。
赤電と言えば、毎週土曜日の午前中から午後に掛けて池袋店の7番線から出発していた西武狭山湖行き。2両編成で床が木製アスファルト拭き。車両の中にステンレスの握りポールが立っていたやつ。発車時のモーターや停止時のコンプレッサーの音が今でも耳に残っている。土曜日がまだ世間的には休みでは無くて、半呑で学校帰りよく友人と乗っていました😅
本当に幼い頃の記憶に351系の黄色+茶色車があります。また1974年頃先頭車が311系(?)+351系(M車?)の2編成に系式は不明(記憶にない)の4両編成×2の2+4+4という10両編成の通勤準急が走っていた記憶があります。すでに101系主力の中で古い板の床の吊り掛け駆動の電車が走っていたのは違和感がありました。
西武新宿線沿線に住んでいますが571系だけは記憶にないんですよね〜。鉄コレは買ったけど…多摩湖線で運転台撤去していない351系の中間車は、運転席ドアを内側から開けることができたのは懐かしい思い出です。鉄コレはこっちのタイプもモデル化して欲しかったです。
351中間のサハ1313、1314、1336は乗務員ドアが残っていた時でも嵌め殺しで開かなかったはずです。もし走行中に客が開けたら危険ですから。縦長の窓は開けられたはずです。
赤い電車はあまり乗りたくありませんでした。特に夏は冷房がきいている黄色い普通電車を乗り通したこともあります。
やはり当時地元民は赤い電車・黄色い電車って言ってました、赤電とは言ってませんでした。
@@コロ子パパ 当時、赤電と言うと常磐線401系等になってしまう…
説明の国電最後の 昭和50年前半数回乗ったことありました✨当時でもレトロ感ありました とても懐かしい❗
入間市から黄色車両に乗り池袋方面に向かうと、いつも西所沢の狭山線には赤電が止まっていて「赤カッコいい」と思っていた。どんな事情があったか知らないがたまーに赤電に乗る機会があり床が木だったのに異常に興奮した。
9:33しれっと2000系の白幕窓ゴムグレーの超初期車が隣にいるw
清瀬に祖母が住んでいたから月一くらいで池袋線に乗ったけど、601系は一度しか乗ったことがありません。大好きな551系と601系ですね〜(^^)
三岐鉄道で旧西武時代の塗装で。協力西武、近江鉄道保保の文字が保谷にみえました。
確かにお父さんが子供だった当時の西武線はみんな赤電が走っていて、そのほとんどは冷房が無かったというのは聞いたことはある。たまに黄色の電車(101系や旧2000系など)が来ると冷房車と喜んでいたという話も聞いたなぁ・・・。僕が子供だった頃は、101系の古いやつだったり、701系の黄色だったりというのを見たのは今でも覚えてる
この西武鉄道の、西武レッドにライトベージュのカラーリング、かつては、系列会社の伊豆箱根鉄道と近江鉄道も、このカラーリングでした。
6分23秒辺りの説明で、601系の「中間車の台車は住友金属製のFS372を装備」とありますが、これは間違いで正解はFS342ですね。これは当時の国鉄101系などの通勤電車用標準台車であるDT21のコピーです。因みにFS372は、昭和44年登場の101系および5000系の中間電動車用台車として初めて採用された台車です。
西武がD T21コピーを使用したのは、ドア開閉システムのS T式ベルトを103系に使うのと交換だったという話を聞いたことがあります。ちなみに中央線豊田電車区に初めて103系が入った時見学させていただいた時、検修の方がこの電車ドア装置どこにあるのかね?と言っていました。101系ならドアの下に設置されていたけれど103系の場合椅子の下でした。
6:36 実際、やっと西武が新性能車を入れたかと思えば、カルダン駆動以外の全てが旧式&使い回しで他所から相当な笑い物になっていたようで。
懐かしいね✨子供のころ赤電でした。
黄色い電車版もやって欲しいです
101系(1969.3~1984.3)~9000系(1993.12~1999.3)までが黄色でしたね😊
懐かしい。
6:23 601系中間電動車の台車はFS342(住金版DT21)ですよ。
ここの画像の先頭車の台車が、インダイレクトマウント方式のエアサス台車 FS067 じゃないですか!新造時から履いていた801系よりも前に601系でテストしてたんでしたっけ?その後は旧式のTR11にされてしまいましたが・・・
@@Pacmania100 様、あの写真は赤電末期に551+1651が多摩川線に移ってからのもので、そのいきさつは私の別コメントに書いています。クハ1601形がFS-067を履いていたことはありません。
うぷ主さん?所沢に住んでました。遠足でよく乗りました。
国鉄は勿論のこと大抵の私鉄にとっても「一時の流行り物」だった湘南顔にあれ程拘ったのは西武。間に4扉貫通扉付の2000系挟んで3扉湘南顔の新101系造り始めた時はかなり驚かされた。800形迄片開き扉、今でもクモハしか造らない、入れさせないの京急に匹敵する「個性」だったとも。
遠州鉄道「仲間いた」
1313と1314の重複車番、今の今までまったく気づかなかったです…451系や411系(のちの401系)は本当に経歴がややこしすぎるのでじっくりした解説が聞きたいです。たとえば車番だけでも1461+442(411系)と1443+464(1411系と451系のチグハグ編成)とかもうなんなんですかと言いたくなります。
西武所沢工場の気概がすげぇw
何故か17m車中間モハ10形中間サハ17形は西武鉄道に払い下げ無かったなクハ16形も西武鉄道払い下げ無かったし。
木造モハ10系の廃車台枠16.9mに湘南前頭部だけ付け替えか国鉄モハ50系だと流用台枠に特徴あったけど。
赤電が系式関係なく連結出来たか?の考察でMT比が同一であれば連結できたとしているが、実際は701系以前に製造された全ての系式でブレーキ方式が合わせられていた事と、両先頭車が国鉄の量産型台車を装着していた事が大きな理由なんですよね。 西武がST式扉閉機構の技術を国鉄に供与する(103系の扉閉機構にこれが使われており、これ以降国鉄や西武以外でもこの機構を使用した車両が増えた)のと引き換えに国鉄の量産型台車を大量購入を可能にしたという話はあまりにも有名ですよ。
赤電前の塗装の車両は新潟に来れば見れますよ!蒲原鉄道という会社なんですけど!五泉市の五泉高校前や村松城址公園、加茂市の冬鳥越にもあります!冬鳥越には東急のデハ1と同型の電車もあります!
私が小さい頃池袋線に片開きドア、木の床、車幅の1/3しかない運転席の赤電が走っていた。これは311系?
何となく551系が鉄ヲタにとって影の薄い形式のように思います…現役時代もお世辞にも主力とは言い難いし……地方私鉄への譲渡も多かったけど、昭和60年代になるともう非冷房や吊り掛け駆動がネックになってとりあえず老朽化車両のつなぎ的な役割になって、その後701系や他私鉄の冷房車両が譲渡され、静かに消えた印象。
今日の朝の西武線アプリを見たら多摩湖線が9000しか走っていませんでした新100元が消えて悲しいです
漢字「げん」になってるよ。正しくは「系。けい」だよ。あと新101系です
多摩湖線からは撤退しましたが、多摩川線では現役ですよ101系更新車♪
新101系…狭山線、西武園線での運用を開始しました。
そうですね
その昔の西武線と言えば田舎電車。遅いし車両が古く吊りかけ駆動がいっぱい。101系以降から改善されてきたがそれでも遅かった。今高架化され時速100キロ以上で走っている池袋線に乗るとまさに隔世の感ありです。新宿線も地下化を含め立体化が進めばさらにイメージアップしそうですね。
オッサンだから多摩湖線&多摩川線で乗ったよ!
西武は、赤電に限る。351、501、451、551、601、571、701、801。特に、チグハグ編成の、351+1411、451+1411は、好きだったな。
昔大井川で乗っておけばよかった・・
501系は、デッキつき客車に改造
「赤電塗装復活」三岐鉄道特別協力西武鉄道、近江鉄道
❌1411系→○1411型
赤電繋がりで名鉄のAL・HLも取り上げてもらえると嬉しいです。こちらも調べ出すとかなり沼ですよ。
古いものを大切に使う有名どころで101系台車流用のニューレッドアロー1000系
9000系もかな
701系後期車→3代目501系も行き着く先はNRA。
この塗装を復刻した車両が走ってませんでしたか?
あと、TR11をそのまま用いているのではなく、これをコロ軸化して極めてほんの少しの改善をしています。まあ、どうでも良いことですが。。。
それは知らなかったです。多少ながらは改善してたんですね。。w
極めてほんの少し、そんなことはなく、コロ軸化を始め、徹底的な整備をした後に使用していましたよ。だから首都圏の本線の通勤電車という、過酷な使用にも長年耐えたのだと思います。
新101系は肩身が狭いイメージが強いが(今は) 昔は彼らも誰かを駆逐してたんだね
78年西武池袋線沿線で生まれ育ったけど、赤い電車の印象がまったくないなぁ・・・物心ついたときには黄色い電車しか無かった気がする。所沢に行くと、ベージュの帯を巻いてない黄色一色の新宿線の車両は見てたけど当時は池袋線と新宿線の区別のための帯の有無だと思ってて、全部101系なんだとばかり。形式が違うと知ったのはRUclipsなんかで鉄道系動画を見てから。
71年池袋線沿線生まれ育ちです。自分が小学校3年生(1980年)ごろにはすでに赤電はレアもの扱いで、ごくたまに走っていると「赤電だ!」と騒いだものです。77年にカメラを買ってもらいその年や翌年あたりまでの写真には赤電が複数枚映っていて、1411系もあるので、1979年あたりから急速に数を減らしたんだと思います。なのでコメ主さんが5~6歳になったころには本線はもうほぼ101系オンリーだったと思います。
西武101をまた本線にはひって欲しい
『赤電車』、略して『赤電』
路線図が1本足りない
あっ…
クハ1411系のパイプ仕切りの片隅運転室、子供の頃先頭で展望台みたいな感じで楽しかったけど、混んでくると仕切りパイプに押し付けられて、痛かった思い出が蘇った。
ああ懐かしい。
赤電動画ありがとうございます✨昭和50年代中盤両開きでないワンドア❗️中学の悪い先輩がドアに足を鋏みそのまま走行してました。赤電懐かしい✨
西武といえば赤電・吊り掛けモーターでしたね
子供のころ運転台が片隅形式の371系に乗って先頭で運転士の隣で前を見るのが大好きでした
私が子供の頃は、まだ新宿線で451系6両編成が最後の活躍をしていました。 また、競輪開催時に臨時で運行される西武新宿⇒西武遊園地の快速急行があり、途中停車駅は、高田馬場、鷺ノ宮、上石神井、田無、小平、萩山で、551系4両編成が釣り掛けモーターを唸らせて疾駆していました。 351系は、最晩年に多摩湖線国分寺⇔西武遊園地に準急が設定され、最期の花道を飾りました。
クハ1651形は、601系のM車を701系化の上6両編成に組み替える際に余剰となったクハ1601形の再利用ですが、その貫通路の改造変遷が連結相手ごとに変遷していて面白いです。 第一形態:601系時代広幅 ⇒第二形態:クハ1651化狭幅(クモハ451形に合わせてる) ⇒第三形態:クモハ551形に合わせ広幅に復旧
1985年に上信電鉄へ事故廃車補填で譲渡された105編成 クモハ105-クハ105(西武クモハ461-クハ1662)に第二形態の特徴をよく残していました。
ちなみに鉄コレシークレットのクハ1651は貫通路部分は嘘形状です。 実物は広幅時代のままの妻面窓を残し、貫通路部分のみ狭くしていました。 扉も有りません。
赤電車懐かしい。もう一回乗りたいです。
赤電で育った40代後半のオッサンです。エモい動画をありがとうございます。家が線路に近かったので音でどんな編成かを妄想するのが楽しみでした。
おすすめに上がっていたので拝見しました。
2年も前にこういう動画をお作りになられていたんですね。
赤電は 動画の通り吊り掛けもカルダンも全金属製も半鋼製もお構いなしにごちゃ混ぜに連結するのが当たり前の光景で しかも昔は分割・併合のある運用も多かった。
連・解結作業を迅速に行なう為にカルダン車はなかったものの 551系からは そのカルダン車が続々と登場していた他社でも珍しかった『電気連結器』を早くも採用しており 在来車にも続々と取り付けが行われました。
411系は 401系にアップデートされる前に 吊り掛け駆動用に新製された『住友 FS40台車』(クハ1801用FS067と同形態のインダイレクトマウント式空気ばね台車で モーターはMT15を使用 軸距も吊り掛け式の為に 101系用FS372よりも少し長い)に履き替えられました。
401系化されると同台車は 571系や551+1651編成に回され
それらが廃車されると 近江鉄道の在来車の体質改善用や 彦根工場の力作 モハ220にも活用されました。
流鉄の 先代『あかぎ』が履いていたあの台車です。
多摩湖線地元民でした。真ん中のサハに運転台のドアと、操作用のレバーを差し込む台座の跡が残った車両の記憶が有ります。ドアは溶接されて開閉不可でした。
おいらが覚えてるのは床が木だった。
夏は窓全開で扇風機。
懐かしい。
床の真ん中に棒❓柱❓が立っていましたよね。
においも覚えていますよ。
床オイルが臭かった。
幅が20センチ位の板だった。ドアは、片側だけが開く1枚物。昭和45年に所沢駅から豊島園遊園地に行く時乗った記憶。
15:58 ゴルフ急行懐かしい、確かに2両で走っていました。
な、な、懐かしい‼️まだ練馬駅が島一面二線の頃だった。551の客扉が両開軽量アルミで妙に軽いゴトゴト音がしていた。いやー、労作ですなあ‼️よくぞまとめられました。ローズピンク前の塗装も懐かしい。(富士見台住まいだった)
年長組の頃701が登場して、前面腰のステン飾りや幅広方向幕にびっくりしてノートに701の絵ばかり描いてたな。
私が子供の頃には片開きで木の床の車両がまだ走っていました。それらは国鉄払い下げの車両だったのですね。
私が生まれるギリギリの時期まで多摩湖線にて西武最後の赤電車こと351系が走っていたんですね。
地元が西武沿線なので、幼稚園の時に見られたのは確か先頭車が平ったい401系(元411系)はよく見た記憶があります。当時は1990年前半だったため、赤電車こそなかったものの、たまたま車で小手指車両基地のそばを通った時(たしか1994年頃)、まだ解体されていなかった赤電車を見たような気がします。確かクハ1651か551系、あるいは351系の一部だったかと思います。
複雑怪奇な、西武電車の形式解説を、ありがとうございます。
赤電といえば351系、701系、451系、551系が思い浮かびます😊
501系もお忘れなく。
601系の中間台車は701系同様FS342です
西武多摩湖線の101系撤退のまとめやってほしいです!
関西から上京した頃(西武新宿線)、701.801.101系が混在。冷房車=黄色の電車🟡のイメージが強かった。
懐かしいなぁ。
私が生まれたばかりの頃は池袋線で走っていたけど、新宿線と同じ黄色ベースにグレー帯の車両が池袋線に投入され始めた頃から新宿線系、池袋線系を問わず短距離支線用として異動していったなぁ。
加速・減速時の独特なモーター音とか、木製床とか、編成によっては幅広のシングルドアだったり、子供の頃は、黄色い新型車両よりも、味のある赤電の方が当たりだと思って乗るのが楽しみでした。
1970年前後に野方に住んでいたので、とても懐かしいです。
追記
351系の車体長の話ですが、横瀬基地のイベントで351の傍に置かれる説明プレートを見る限りは「自重説」が濃厚です。この動画の脚本を書いたのは2020年の横瀬イベント前でした。
@@との-j9z 知らないです。
赤電と言えば、毎週土曜日の午前中から午後に掛けて池袋店の7番線から出発していた西武狭山湖行き。2両編成で床が木製アスファルト拭き。車両の中にステンレスの握りポールが立っていたやつ。発車時のモーターや停止時のコンプレッサーの音が今でも耳に残っている。土曜日がまだ世間的には休みでは無くて、半呑で学校帰りよく友人と乗っていました😅
本当に幼い頃の記憶に351系の黄色+茶色車があります。
また1974年頃先頭車が311系(?)+351系(M車?)の2編成に系式は不明(記憶にない)の4両編成×2の2+4+4という10両編成の通勤準急が走っていた記憶があります。
すでに101系主力の中で古い板の床の吊り掛け駆動の電車が走っていたのは違和感がありました。
西武新宿線沿線に住んでいますが571系だけは記憶にないんですよね〜。鉄コレは買ったけど…
多摩湖線で運転台撤去していない351系の中間車は、運転席ドアを内側から開けることができたのは
懐かしい思い出です。鉄コレはこっちのタイプもモデル化して欲しかったです。
351中間のサハ1313、1314、1336は乗務員ドアが残っていた時でも嵌め殺しで開かなかったはずです。もし走行中に客が開けたら危険ですから。縦長の窓は開けられたはずです。
赤い電車はあまり乗りたくありませんでした。
特に夏は冷房がきいている黄色い普通電車を乗り通したこともあります。
やはり当時地元民は赤い電車・黄色い電車って言ってました、赤電とは言ってませんでした。
@@コロ子パパ 当時、赤電と言うと常磐線401系等になってしまう…
説明の国電最後の 昭和50年前半数回乗ったことありました✨当時でもレトロ感ありました とても懐かしい❗
入間市から黄色車両に乗り池袋方面に向かうと、いつも西所沢の狭山線には赤電が止まっていて「赤カッコいい」と思っていた。どんな事情があったか知らないがたまーに赤電に乗る機会があり床が木だったのに異常に興奮した。
9:33
しれっと2000系の白幕窓ゴムグレーの超初期車が隣にいるw
清瀬に祖母が住んでいたから月一くらいで池袋線に乗ったけど、601系は一度しか乗ったことがありません。大好きな551系と601系ですね〜(^^)
三岐鉄道で旧西武時代の塗装で。
協力西武、近江鉄道
保保の文字が保谷にみえました。
確かにお父さんが子供だった当時の西武線はみんな赤電が走っていて、そのほとんどは冷房が無かったというのは聞いたことはある。たまに黄色の電車(101系や旧2000系など)が来ると冷房車と喜んでいたという話も聞いたなぁ・・・。僕が子供だった頃は、101系の古いやつだったり、701系の黄色だったりというのを見たのは今でも覚えてる
この西武鉄道の、西武レッドにライトベージュのカラーリング、かつては、系列会社の伊豆箱根鉄道と近江鉄道も、このカラーリングでした。
6分23秒辺りの説明で、601系の「中間車の台車は住友金属製のFS372を装備」とありますが、これは間違いで正解はFS342ですね。これは当時の国鉄101系などの通勤電車用標準台車であるDT21のコピーです。因みにFS372は、昭和44年登場の101系および5000系の中間電動車用台車として初めて採用された台車です。
西武がD T21コピーを使用したのは、ドア開閉システムのS T式ベルトを103系に使うのと交換だったという話を聞いたことがあります。ちなみに中央線豊田電車区に初めて103系が入った時見学させていただいた時、検修の方がこの電車ドア装置どこにあるのかね?と言っていました。101系ならドアの下に設置されていたけれど103系の場合椅子の下でした。
6:36 実際、やっと西武が新性能車を入れたかと思えば、カルダン駆動以外の全てが旧式&使い回しで他所から相当な笑い物になっていたようで。
懐かしいね✨子供のころ赤電でした。
黄色い電車版もやって欲しいです
101系(1969.3~1984.3)~9000系(1993.12~1999.3)までが黄色でしたね😊
懐かしい。
6:23 601系中間電動車の台車はFS342(住金版DT21)ですよ。
ここの画像の先頭車の台車が、インダイレクトマウント方式のエアサス台車 FS067 じゃないですか!
新造時から履いていた801系よりも前に601系でテストしてたんでしたっけ?
その後は旧式のTR11にされてしまいましたが・・・
@@Pacmania100 様、あの写真は赤電末期に551+1651が多摩川線に移ってからのもので、そのいきさつは私の別コメントに書いています。クハ1601形がFS-067を履いていたことはありません。
うぷ主さん?所沢に住んでました。遠足でよく乗りました。
国鉄は勿論のこと大抵の私鉄にとっても「一時の流行り物」だった湘南顔にあれ程拘ったのは西武。
間に4扉貫通扉付の2000系挟んで3扉湘南顔の新101系造り始めた時はかなり驚かされた。
800形迄片開き扉、今でもクモハしか造らない、入れさせないの京急に匹敵する「個性」だったとも。
遠州鉄道「仲間いた」
1313と1314の重複車番、今の今までまったく気づかなかったです…
451系や411系(のちの401系)は本当に経歴がややこしすぎるのでじっくりした解説が聞きたいです。
たとえば車番だけでも1461+442(411系)と1443+464(1411系と451系のチグハグ編成)とかもうなんなんですかと言いたくなります。
西武所沢工場の気概がすげぇw
何故か17m車
中間モハ10形
中間サハ17形
は西武鉄道に払い下げ無かったな
クハ16形も
西武鉄道払い下げ無かったし。
木造モハ10系の廃車台枠16.9mに湘南前頭部だけ付け替えか
国鉄モハ50系だと流用台枠に特徴あったけど。
赤電が系式関係なく連結出来たか?の考察でMT比が同一であれば連結できたとしているが、実際は701系以前に製造された全ての系式でブレーキ方式が合わせられていた事と、両先頭車が国鉄の量産型台車を装着していた事が大きな理由なんですよね。
西武がST式扉閉機構の技術を国鉄に供与する(103系の扉閉機構にこれが使われており、これ以降国鉄や西武以外でもこの機構を使用した車両が増えた)のと引き換えに国鉄の量産型台車を大量購入を可能にしたという話はあまりにも有名ですよ。
赤電前の塗装の車両は新潟に来れば見れますよ!蒲原鉄道という会社なんですけど!
五泉市の五泉高校前や村松城址公園、加茂市の冬鳥越にもあります!
冬鳥越には東急のデハ1と同型の電車もあります!
私が小さい頃池袋線に片開きドア、木の床、車幅の1/3しかない運転席の赤電が走っていた。これは311系?
何となく551系が鉄ヲタにとって影の薄い形式のように思います…
現役時代もお世辞にも主力とは言い難いし……
地方私鉄への譲渡も多かったけど、昭和60年代になるともう非冷房や吊り掛け駆動がネックになってとりあえず老朽化車両のつなぎ的な役割になって、その後701系や他私鉄の冷房車両が譲渡され、静かに消えた印象。
今日の朝の西武線アプリを見たら多摩湖線が9000しか走っていませんでした新100元が消えて悲しいです
漢字「げん」になってるよ。正しくは「系。けい」だよ。あと新101系です
多摩湖線からは撤退しましたが、多摩川線では現役ですよ101系更新車♪
新101系…狭山線、西武園線での運用を開始しました。
そうですね
その昔の西武線と言えば田舎電車。遅いし車両が古く吊りかけ駆動がいっぱい。101系以降から改善されてきたがそれでも遅かった。今高架化され時速100キロ以上で走っている池袋線に乗るとまさに隔世の感ありです。新宿線も地下化を含め立体化が進めばさらにイメージアップしそうですね。
オッサンだから多摩湖線&多摩川線で乗ったよ!
西武は、赤電に限る。
351、501、451、551、601、571、701、801。
特に、チグハグ編成の、351+1411、451+1411は、好きだったな。
昔大井川で乗っておけばよかった・・
501系は、デッキつき客車に改造
「赤電塗装復活」三岐鉄道
特別協力西武鉄道、近江鉄道
❌1411系→○1411型
赤電繋がりで名鉄のAL・HLも取り上げてもらえると嬉しいです。
こちらも調べ出すとかなり沼ですよ。
古いものを大切に使う
有名どころで101系台車流用のニューレッドアロー1000系
9000系もかな
701系後期車→3代目501系も行き着く先はNRA。
この塗装を復刻した車両が走ってませんでしたか?
あと、TR11をそのまま用いているのではなく、これをコロ軸化して極めてほんの少しの改善をしています。まあ、どうでも良いことですが。。。
それは知らなかったです。多少ながらは改善してたんですね。。w
極めてほんの少し、そんなことはなく、コロ軸化を始め、徹底的な整備をした後に使用していましたよ。だから首都圏の本線の通勤電車という、過酷な使用にも長年耐えたのだと思います。
新101系は肩身が狭いイメージが強いが(今は) 昔は彼らも誰かを駆逐してたんだね
78年西武池袋線沿線で生まれ育ったけど、赤い電車の印象がまったくないなぁ・・・
物心ついたときには黄色い電車しか無かった気がする。
所沢に行くと、ベージュの帯を巻いてない黄色一色の新宿線の車両は見てたけど
当時は池袋線と新宿線の区別のための帯の有無だと思ってて、全部101系なんだとばかり。
形式が違うと知ったのはRUclipsなんかで鉄道系動画を見てから。
71年池袋線沿線生まれ育ちです。自分が小学校3年生(1980年)ごろにはすでに赤電はレアもの扱いで、ごくたまに走っていると「赤電だ!」と騒いだものです。77年にカメラを買ってもらいその年や翌年あたりまでの写真には赤電が複数枚映っていて、1411系もあるので、1979年あたりから急速に数を減らしたんだと思います。なのでコメ主さんが5~6歳になったころには本線はもうほぼ101系オンリーだったと思います。
西武101をまた本線にはひって欲しい
『赤電車』、略して『赤電』
路線図が1本足りない
あっ…