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お疲れ様でした。こう見ると義村の判断力行動力はすごいですね…
弟からの誘いの手紙を即座に義時に提出し、幕府側としての旗幟を鮮明にするのはなかなかできないですよね。泰村が無能だったとは言えないですが、父親が偉大すぎた感じがします…
頼時が名越光時を配流したのように泰村も光村を処分できる非情さが必要だったのかな
時頼も宝治合戦には反対していましたが、始まってしまったら覚悟を決めたように対処していますし、非情さでは一枚上手でしたね。
最近rekishockさんの素晴らしい動画を見続けたお陰で知ってるつもりの話を再認識出来ました。吾妻鑑が曲筆書だと思っていたものの、一番あの本のせいで評価がなかった最大の大物が三浦義村だったのだと分かりました。義時でさえ晩年は義村に権限を与え、九条家と皇室対応を委任した。その手際の良さが抗争事件を起こさせないきっかけでもあった。九条頼経の凱旋までの義村は天下人です。それゆえ、北条氏寄りの歴史学では認められなかった。ありがとうございます。
承久の乱後と義時死後の事情は大河ドラマではさっぱりわからないので面白いですね。ドラマはまさにドラマチックで素晴らしかったけど。
泰村の優柔不断が痛いですね。光村を斬り捨てて三浦一族が、残れば更なる繁栄を諦める人の良さ?が痛手過ぎましたね。
戦乱から平和の世に移行する時には、泰村のような力がありながらも戦争を回避する人物も必要なのですが、まだ早すぎましたかね。。
義時死後の義村の動きは気になっていました。こういう細かい解説毎回ありがたいです^^
時には非情さも家を残すのに必要なんだと教えてくれる話ですね。
宝治合戦は、さいとう・たかを先生の名著「北条時宗」の第一巻でも描かれていましたね。登場人物が多いのに、ベテランのわざで解りやすかったです。北条・三浦の駆け引きが見どころで、武具の描き込みも今の漫画では出せない迫力。方向性がちがう三浦兄弟ですが、仲がいいため命取りになるという皮肉・・・。解説動画をみて、改めて読みたくなりました。
北条時宗、読んだことないですがコメント見て興味が湧いてきました。
戦国時代の三浦氏は、確か義村の従兄弟の子孫かと。
義村の従兄弟、佐原盛連の子孫ですね。佐原氏の名跡は蘆名光盛が継いで会津蘆名氏として続き、三浦義村の三浦本家は、光盛の弟、盛時が三浦氏代々の三浦介を名乗り名跡だけを継いでいる形になります。
宝治合戦は、『北条時宗』の第一話で描かれていましたね。北条時頼(渡辺謙)三浦泰村(津嘉山正種)三浦光村(遠藤憲一)毛利季光(高橋英樹)印象に残っています(`・ω・´)ゞ
三浦一族は、元々相模国一帯に大勢力を保持しており、頼朝旗揚げ時にも最初から参加している。また、当時の一族の頭領だった和田義盛は侍所の別当にもなっている。しかし、北条一族が頼朝やその一族と親族関係になったのに対し、三浦氏は強固な血縁関係になっていない。恐らく、その勢力の大きさから頼朝に警戒されたのだと思う。その間に北条は巧みに勢力を伸ばし、比企氏との決戦に打ち勝ち和田義盛を滅ぼし、幕府支配を決定的にした。なんといっても、同族の義盛を見殺しにしたのは決定的だったし、そこまで三浦一族を追い込んだ義時と北条一族の政略は凄かったといえる。
泰村としては、穏健に事を収めたかったんですな。が、光村の暴走で、滅びの道に…。
結局は一族をまとめきれなかった惣領の責任ですから仕方ないですが、泰村の最期を見るとなかなか虚しいですね…
三浦一族といえば三浦半島
三浦海岸にに行け。
お疲れ様でした。
こう見ると義村の判断力行動力はすごいですね…
弟からの誘いの手紙を即座に義時に提出し、幕府側としての旗幟を鮮明にするのはなかなかできないですよね。
泰村が無能だったとは言えないですが、父親が偉大すぎた感じがします…
頼時が名越光時を配流したのように泰村も光村を処分できる非情さが必要だったのかな
時頼も宝治合戦には反対していましたが、始まってしまったら覚悟を決めたように対処していますし、非情さでは一枚上手でしたね。
最近rekishockさんの素晴らしい動画を見続けたお陰で知ってるつもりの話を再認識出来ました。
吾妻鑑が曲筆書だと思っていたものの、一番あの本のせいで評価がなかった最大の大物が三浦義村だったのだと分かりました。
義時でさえ晩年は義村に権限を与え、九条家と皇室対応を委任した。その手際の良さが抗争事件を起こさせないきっかけでもあった。
九条頼経の凱旋までの義村は天下人です。
それゆえ、北条氏寄りの歴史学では認められなかった。
ありがとうございます。
承久の乱後と義時死後の事情は大河ドラマではさっぱりわからないので面白いですね。ドラマはまさにドラマチックで素晴らしかったけど。
泰村の優柔不断が痛いですね。
光村を斬り捨てて三浦一族が、
残れば更なる繁栄を諦める
人の良さ?が痛手過ぎましたね。
戦乱から平和の世に移行する時には、泰村のような力がありながらも戦争を回避する人物も必要なのですが、まだ早すぎましたかね。。
義時死後の義村の動きは気になっていました。
こういう細かい解説毎回ありがたいです^^
時には非情さも家を残すのに必要なんだと教えてくれる話ですね。
宝治合戦は、さいとう・たかを先生の名著「北条時宗」の第一巻でも描かれていましたね。
登場人物が多いのに、ベテランのわざで解りやすかったです。
北条・三浦の駆け引きが見どころで、武具の描き込みも今の漫画では出せない迫力。
方向性がちがう三浦兄弟ですが、仲がいいため命取りになるという皮肉・・・。
解説動画をみて、改めて読みたくなりました。
北条時宗、読んだことないですがコメント見て興味が湧いてきました。
戦国時代の三浦氏は、確か義村の従兄弟の子孫かと。
義村の従兄弟、佐原盛連の子孫ですね。
佐原氏の名跡は蘆名光盛が継いで会津蘆名氏として続き、三浦義村の三浦本家は、光盛の弟、盛時が三浦氏代々の三浦介を名乗り名跡だけを継いでいる形になります。
宝治合戦は、『北条時宗』の第一話で描かれていましたね。
北条時頼(渡辺謙)
三浦泰村(津嘉山正種)
三浦光村(遠藤憲一)
毛利季光(高橋英樹)
印象に残っています(`・ω・´)ゞ
三浦一族は、元々相模国一帯に大勢力を保持しており、頼朝旗揚げ時にも最初から参加している。また、当時の一族の頭領だった和田義盛は侍所の別当にもなっている。
しかし、北条一族が頼朝やその一族と親族関係になったのに対し、三浦氏は強固な血縁関係になっていない。恐らく、その勢力の大きさから頼朝に警戒されたのだと思う。
その間に北条は巧みに勢力を伸ばし、比企氏との決戦に打ち勝ち和田義盛を滅ぼし、幕府支配を決定的にした。
なんといっても、同族の義盛を見殺しにしたのは決定的だったし、そこまで三浦一族を追い込んだ義時と北条一族の政略は凄かったといえる。
泰村としては、穏健に事を収めたかったんですな。が、光村の暴走で、滅びの道に…。
結局は一族をまとめきれなかった惣領の責任ですから仕方ないですが、泰村の最期を見るとなかなか虚しいですね…
三浦一族といえば三浦半島
三浦海岸にに行け。