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ちなみに水木先生に殺されかけた弟さんは96歳まで生きました先生のお兄さんが亡くなったは97歳一般的には長寿の筈の93歳で亡くなった先生が兄弟で一番短命だった
赤塚不二夫先生の葬儀に、白紙の草稿を読んで、「赤塚先生、この私もあなたの作品のひとつです」と心からの弔辞を語ったタモリさんに涙。🥲
森薫先生、『シャーリー』での「主人公がメイド服を着た時、くるっと回ってみる」→「スカートがふわっと広がる」→「感動!」→「もう1度回ってみる」という内容を数ページにわたってじっくりと可愛く描かれていましたのも大好きです。『エマ』のあとがき漫画での、第1巻:「そこが大事なんです」「そこが大事なんです」「そこが大事なんです」「そこが一番大事なんです!!」「大事なんです!!」「なんです!!」「です!!」第5巻:読者からの先生の自画像につきましてのお手紙→自画像がゴージャスに→読者からの、姉が元バニーで家にバニーの服としっぽなどがあったりバニーたちと飲みに行ったりしてます、というお手紙→自画像が元に戻って「替われ!!!」も大好きです。
荒木飛呂彦先生は、謎に若返って見える都市伝説さえも小ネタのひとつだからなぁ・・・
岸部露伴の奇行はわりと誇張でも何でもないんだなと思った
無麻酔手術の前にはすべてが霞む
同人誌即売会なら「烈火の炎」の安西信行自身の作品のオンリー即売会があると聞きつけるや来場各サークルの同人誌(BLだろうと関係なく)やグッズを全種類買っていくだけでなく、その場でスケブまで描いてサインしていくサービスぶりコミケカタログの漫画レポートだったと思うが「いや、先生サービスしすぎですよ。嬉しいけど」と書かれてた
日本人は学校で平均値に叩き落とすんじゃなくクリエイトに関しては自由奔放にさせたほうが傑物が大量に育つ気もする
ヒラコーのはヘルシングのOVAロンドンの上映会でロンドン壊滅シーンバカウケだったの好き。ゴジラで東京壊滅してんの受けてるもんかな
和田慎二と言えば山田ミネコ作品本への寄稿で「打ち切られても別の雑誌で連載を続けてる、この粘り強さは見習わないと」的な事描いてたの読んで「お前が言うか」ってなった事が有った(※ スケバン刑事、超少女明日香など代表作の多くが一旦打ち切りからの再開を果たしている)。
地味なエピソードだが永井豪 週間少年誌同時4~5本連載、デビューから50年くらいだが100本前後の連載経験ありアニメや共同作や原作、原案などを入れると100作品を優に超える。現行の量だと手塚治虫がよく言われるけど、この人もタメを張るか、長生きをして現役でいる期間が長い分超えてる。獣神サンダー・ライガーなど漫画・アニメと現実のエンターテイメントとのコラボは少なくとも国内では初だったらしい。なお、作者は1部プロレスファンからはブーイングされまくってへこみまくったらしい。
週刊連載3本、隔週連載1本を抱えながら、草野球までプレーしていた水島新司氏
手塚治虫が亡くなった時、宮崎駿の鬼畜コメントが好きだったなー
『ガンダムセンチネル』という”一部で刺さりまくった雑誌企画”の周年企画で滝沢聖峰氏(戦記もの漫画家『ばら物語』『二兎物語』『女流飛行士マリア・マンデガッツァの冒険』等) から『俺も「センチネル」参加してた』の言葉を皮切りに取材開始編集:『具体的にはどのような事を……』滝沢:『あー、”武器の設定画”とか”別冊に出した漫画のトーン張り”とかやって原稿料が¥5000だったかなぁ………』原稿料以外は参考にならなかったそうです
平田先生の無麻酔は医者が勝手にやって、あまり痛くなかったから「あ、切腹ってこんなもんなんだ!」って感心した話じゃなかったっけ?
それが本当なら平田先生の痛覚に異常があるか、執刀医が神かのどっちかだ(多分前者)
柴田亜美「(広井王子さんと飲んだけど記憶がない・・・。)すみませんなにか粗相しなかったでしょうか?」王子「ああ、辻野(原画)と意気投合してめっちゃ絵を描いていたよ、使わせてもいい?」
呑んで昨夜の記憶が無いから一緒に呑んでたヒトに電話かけたら相手からただ「謝っといてくださいね」だけ言われる、って怖いエピソードが有ったのは漫画のネタにされてて知ってたけど、(比較的)平和なのも有ったんですね……。
荒木先生がいるのに、その作家生活のもとになった秋元先生いないのはなぜだろう
手塚は本気で天才
そういや俺もエロ漫画を脳内に7本くらい同時連載してたな。
手塚先生、化け物すぎる
3:42 荒木飛呂彦 1868 ~ 2020
0:38 すげぇ…イーロン・マスクって現Xのアカウント管理までやってるんだ…
ちなみに水木先生に殺されかけた弟さんは96歳まで生きました
先生のお兄さんが亡くなったは97歳
一般的には長寿の筈の93歳で亡くなった先生が兄弟で一番短命だった
赤塚不二夫先生の葬儀に、白紙の草稿を読んで、「赤塚先生、この私もあなたの作品のひとつです」と心からの弔辞を語ったタモリさんに涙。🥲
森薫先生、『シャーリー』での「主人公がメイド服を着た時、くるっと回ってみる」→「スカートがふわっと広がる」→「感動!」→「もう1度回ってみる」という内容を数ページにわたってじっくりと可愛く描かれていましたのも大好きです。
『エマ』のあとがき漫画での、
第1巻:「そこが大事なんです」「そこが大事なんです」「そこが大事なんです」「そこが一番大事なんです!!」「大事なんです!!」「なんです!!」「です!!」
第5巻:読者からの先生の自画像につきましてのお手紙→自画像がゴージャスに→読者からの、姉が元バニーで家にバニーの服としっぽなどがあったりバニーたちと飲みに行ったりしてます、というお手紙→自画像が元に戻って「替われ!!!」
も大好きです。
荒木飛呂彦先生は、謎に若返って見える都市伝説さえも小ネタのひとつだからなぁ・・・
岸部露伴の奇行はわりと誇張でも何でもないんだなと思った
無麻酔手術の前にはすべてが霞む
同人誌即売会なら「烈火の炎」の安西信行
自身の作品のオンリー即売会があると聞きつけるや来場
各サークルの同人誌(BLだろうと関係なく)やグッズを全種類買っていくだけでなく、その場でスケブまで描いてサインしていくサービスぶり
コミケカタログの漫画レポートだったと思うが「いや、先生サービスしすぎですよ。嬉しいけど」と書かれてた
日本人は学校で平均値に叩き落とすんじゃなくクリエイトに関しては自由奔放にさせたほうが傑物が大量に育つ気もする
ヒラコーのはヘルシングのOVAロンドンの上映会でロンドン壊滅シーンバカウケだったの好き。ゴジラで東京壊滅してんの受けてるもんかな
和田慎二と言えば山田ミネコ作品本への寄稿で「打ち切られても別の雑誌で連載を続けてる、この粘り強さは見習わないと」的な事描いてたの読んで「お前が言うか」ってなった事が有った(※ スケバン刑事、超少女明日香など代表作の多くが一旦打ち切りからの再開を果たしている)。
地味なエピソードだが永井豪 週間少年誌同時4~5本連載、デビューから50年くらいだが100本前後の連載経験あり
アニメや共同作や原作、原案などを入れると100作品を優に超える。
現行の量だと手塚治虫がよく言われるけど、この人もタメを張るか、長生きをして現役でいる期間が長い分超えてる。
獣神サンダー・ライガーなど漫画・アニメと現実のエンターテイメントとのコラボは少なくとも国内では初だったらしい。
なお、作者は1部プロレスファンからはブーイングされまくってへこみまくったらしい。
週刊連載3本、隔週連載1本を抱えながら、草野球までプレーしていた水島新司氏
手塚治虫が亡くなった時、宮崎駿の鬼畜コメントが好きだったなー
『ガンダムセンチネル』という”一部で刺さりまくった雑誌企画”の周年企画で滝沢聖峰氏(戦記もの漫画家『ばら物語』『二兎物語』『女流飛行士マリア・マンデガッツァの冒険』等) から『俺も「センチネル」参加してた』の言葉を皮切りに取材開始
編集:『具体的にはどのような事を……』
滝沢:『あー、”武器の設定画”とか”別冊に出した漫画のトーン張り”とかやって原稿料が¥5000だったかなぁ………』
原稿料以外は参考にならなかったそうです
平田先生の無麻酔は医者が勝手にやって、あまり痛くなかったから「あ、切腹ってこんなもんなんだ!」って感心した話じゃなかったっけ?
それが本当なら平田先生の痛覚に異常があるか、執刀医が神かのどっちかだ(多分前者)
柴田亜美「(広井王子さんと飲んだけど記憶がない・・・。)すみませんなにか粗相しなかったでしょうか?」
王子「ああ、辻野(原画)と意気投合してめっちゃ絵を描いていたよ、使わせてもいい?」
呑んで昨夜の記憶が無いから一緒に呑んでたヒトに電話かけたら相手からただ「謝っといてくださいね」だけ言われる、って怖いエピソードが有ったのは漫画のネタにされてて知ってたけど、(比較的)平和なのも有ったんですね……。
荒木先生がいるのに、その作家生活のもとになった秋元先生いないのはなぜだろう
手塚は本気で天才
そういや俺もエロ漫画を脳内に7本くらい同時連載してたな。
手塚先生、化け物すぎる
3:42 荒木飛呂彦 1868 ~ 2020
0:38
すげぇ…
イーロン・マスクって現Xのアカウント管理までやってるんだ…