第1252回「玄峰老師の教え」2024/6/11【毎日の管長日記と呼吸瞑想】| 臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺老師

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  • Опубликовано: 9 июн 2024
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    ■管長日記「玄峰老師の教え」
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    最後に一日のはじまりを整える、呼吸瞑想がございます。
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    私が山本玄峰老師のことを知ったのは、まだ小学生の頃でした。
    玄峰老師は、昭和三十六年にお亡くなりになっていますので、私が直接お目にかかることはありませんでした。
    しかし、郷土出身の偉人の一人としてお名前を聞いていました。
    それからお寺に坐禅に通うようになって、玄峰老師の無門関の提唱をテープで拝聴させてもらっていました。
    そんなことから『無門関』に興味をもって、中学生の頃に初めて書店で『無門関提唱』を注文したのでした。
    大法輪閣から出版された本で、玄峰老師が『無門関』を提唱されたのをそのまま書籍にしたものであります。
    そして玄峰老師のお墓参りをしたいと思って湯の峰に行ったこともありました。
    湯の峰までバスでお墓参りに出かけたのでした。
    バスを降りても、さてお墓がどこにあるのか分かりません。
    そのときにたまたま道を聞いたのが、玄峰老師のご生誕地にあたる旅館の女将さんでした。
    その旅館は、玄峰老師が終生毎年のようにお泊まりになっていたのでした。
    女将さんはそのたびにお世話をなさっていた方でした。
    私が玄峰老師のお墓参りをしたいと申し上げますと、とても喜ばれ、すぐさま旅館の方に車で連れて行ってくださり、親切にしてくださいました。
    その方のご好意で、山田無文老師にもお目にかかることができたのでした。
    私が上京した年が、ちょうど玄峰老師の二十三回忌の年でした。
    全生庵の先代ご住職平井玄恭和尚は多年玄峰老師のおそばにお仕えされた方で、二十三回忌にあたって、玄峰老師のお話をなされるのを何度か全生庵に通って拝聴させてもらったものでした。
    『回想 山本玄峰』という本を書架から取り出して懐かしく読んでいました。
    その中に平井玄恭和尚がこんなことを書かれています。
    「「親と師匠は無理をいうものだ」という言葉があるそうですが、玄峰老師のような人と十年、十五年と一緒に暮らしておりますと、老師の奥の偉い所が分からなくなり、却って日常の老師の一言一行に、抵抗や反撥を感じるようになるものです。
    老師は親しい人から「老師さま一度、私の家に来て下さい」といわれると、簡単に「明日行きますよ」と、お引受けになるのでした。
    明日、用事が出来て行けなくなると、侍者が相手に謝ったり、申訳をしなければならなくなります。
    また法要や儀式の場合、順序を予め打合せて置いても、その時の気分で勝手に変更してやられるので、侍者は随分困ることがあります。」
    と書かれています。
    いつの時代でも同じことだと思います。
    師匠というのは無理難題を言うものであります。
    更に『回想 山本玄峰』には、
    「八幡の円福寺の師家であった通山宗鶴老師も、お若い頃から、玄峰老師には相当叱られたり辛い目に遭わされたりされたらしいのですが、その飛ばっ散りが私たちのほうにまで来て、
    「老師は予定や約束を度々変更するから、玄峰老師でなくて変更老師だと世の中では言っておる。お前たち侍者はもっと気をつけて、あまり変更せられないようにせよ」と叱られたものでした。」と書かれています。
    平井玄恭和尚は更に、
    「或る時、私が玄峰老師に、「中国には朝令暮改(朝に命令を出して暮方にそれを改める 度々変更すること)ということがありますが、老師はまるで朝令昼改であり、そのように変更ばかりされては困りますよ」と申しますと、
    「世の中は常に変っておる。変更するのが当り前じゃ。何事でも予定通りにはゆかないよ」と、ケロッとした顔をしておられました。」
    と語っておられます。
    たしかに何事も予定通りにはゆかぬものであります。
    こんな話も書かれています。
    「終戦直後の物資の不自由な頃、三島の婦人会員が竜沢寺に来て老師の法話を聴聞されました。
    「私は今迄、竜沢寺を始め、土佐の雪蹊寺、原の松蔭寺、犬山の瑞泉寺、満州の妙心寺など、いろいろの寺に住職をして来たけれども、未だ嘗つて雨戸を閉めたことも戸に鍵を掛けたこともない。
    人間は心を清浄にしておると、自然に護法神が守ってくれ、泥棒や悪い人間が寄りつかなくなる。
    例え泥棒や悪い人間が来ても、自然にまともな人間に成り変る。
    世間では人を見たら泥棒と思え、火を見れば火事と思えというけれども、人ほど尊いものはない。
    自分の心を清浄にしておれば泥棒も火事もなくなり、雨戸や鍵の心配もいらなくなると長時間法話をして、元気に隠寮に帰って来られると、丁度、夏で四方の障子が開け放してありましたが、箪笥の引出しまで全開になっており、老師の着物も肌着もすっかり無くなっておりました。
    法衣類は一切手をつけてありませんでしたが、たとえ肌着類でも当時は貴重な得難い品物でしたので一時困りましたが、それからは老師は話をする度に「私も近頃は泥棒に這入られるような物持ちになり、先日は泥棒が来て肌着まですっかり持って行きました」と宣伝をされるので、忽ちの間に盗られた以上の品物が集って参りました。」
    というお話でありました。
    このお話も直接平井玄恭和尚からうかがいましたが、なんともユーモアのある話だと思いました。
    玄峰老師の教えで一番印象に残っているのは「負い目をしない」ということです。
    これも『回想 山本玄峰』にある平井玄恭和尚の言葉から引用します。
    「老師は「人間は負い目をしないように心掛けよ」とよく言われました。
    負い目をするなとは、借りをするなということであり、これは老師一代の処世法であったと思います。
    「人に金や物を借りたならば必ず返せ。
    返すだけでなく、寧ろ人に施すことを考えよ。
    人に恩を受けたならば、必ず恩を返せ。
    恩を返すだけでなく、寧ろ恩を施すことを考えよ。
    借りをしないのは物品や恩だけでなく、人に対して思ってはならぬようなことを思った場合、例えば、あいつはいやな奴だなあとか、羨ましい奴だなあとか、あんな人間は不幸になればよいんだ、など良くない心が起こった時には、すぐ心の中で申訳ありません、と懺悔の心を起して、悪い心を帳消ししておけ。
    或いは食事で野菜を食べたり、魚や肉を食べたりするが、これは尊い物の生命を犠牲にして負い目を受けたことになるのだから、食事の度に相済まぬと慚愧と感謝の心を起こして、罪業消滅をして置かねばならぬ」
    と言っておられました。
    老師が九十歳を過ぎても常に溌剌としておられたのは、この人生に負い目をしないという気概を持っておられたからだと思います。」
    と書かれています。
    この「負い目をしない」ということはまだ十八歳の頃に聞いて今も心していることであります。
     
     
    横田南嶺
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