【江戸時代】意外と知らない農民の真相!実は余裕があった農民の生活と年貢の実態とは【ゆっくり解説】

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  • Опубликовано: 28 янв 2025

Комментарии • 16

  • @tigerion9275
    @tigerion9275 Год назад +3

    この手の話題で最も重要なのは地域差。
    河内の農民と陸奥の農民では天と地の差だから。

    • @山中達雄-j3p
      @山中達雄-j3p 5 месяцев назад

      それ江戸時代どころか戦後までずっとそうだったのでは

  • @IS-cd6se
    @IS-cd6se Год назад +3

    四公六民は天領(幕府直轄領)の話で藩領は八公二民が普通ですね。あるいはそれ以上。
    藩財政が上手くいかなくなると商人に財務や年貢取り立てを委託したりして
    そうすると搾取はいっそう酷くなる。

  • @さいたま2000-f6j
    @さいたま2000-f6j Год назад +2

    農民は年貢に取られて白米を食べられなかったんじゃなくて
    自分たちも冠婚葬祭や現金収入用としてある程度残しておかなきゃいけなかったので
    家に持っていても食べなかったそうです。
    どちらにせよ滅多に食べられなかったのは同じなんですけどね。
    またうちの集落には江戸時代中期位からの墓がありますが、名字が刻まれている先祖墓が多く残っているので
    昔から【農民は名字を名乗れなかった】と言う教科書の記述に疑問を持っていました。だってうちもうちの本家も代々の百姓だもの。

  • @qzp01467
    @qzp01467 Год назад +2

    地主様は裕福でしょうね。
    地主様から土地を借りて耕作する小作人は大変。

  • @スイカ-y2s
    @スイカ-y2s Год назад +1

    今日もインタレスティングな話題ありがとうございます。
    水呑み百姓は水しか飲めないというより、自由にできるのは水くらい-というニュアンスではないでしょうか。🍉

    • @edomae-hellowork
      @edomae-hellowork  Год назад +1

      メッセージありがとうございます!
      水しか吞めない「ような」百姓とすべきでしたね。
      簡潔にしようとして誤解を招く表現をしてしまいました。大変失礼いたしました。

  • @はなたん-r8h
    @はなたん-r8h Год назад

    その水飲み百姓の割合は半分以上だったらしい笑
    今でもパワハラ当たり前の会社に勤めてぎりぎりの人達がいるからなんともだけど。

  • @contactMiu
    @contactMiu Год назад +2

    「江戸時代は豊かだった」という説の根拠は?根拠なくうp主が想像したわけじゃないでしょ?
    農民の日記の古文書がでてきたとかそういう根拠を示さないと。
    明確な根拠があるわけでなく、どこかの研究者が「そうじゃないか」と
    言い出しただけだったとしても、せめて説の出処ぐらいは示してくれないと。

    • @コースもち
      @コースもち Год назад

      阿呆か。動画視ろ。

    • @モリユスト
      @モリユスト Год назад +5

      年貢割付状、皆済状を見れば年貢の割合が分かる。江戸時代初期は農民の取り分が5割だったのが、元禄時代には6割となった。
      土佐藩などは表高20万石だったが、実高は40万石も有った。年貢は8万石だから、所得税率は2割。今の税率の半分以下だった。更に現金収入となる雑収もあった。これだけ豊かだったから、寺子屋などの教育機関が発達して識字率が高かった。
      逆に武士階級は米価が半分以下になったので、貧窮に苦しんだ。中間などの給料は年3両1分で農民の平均年収の10分の1以下だった。

    • @山中達雄-j3p
      @山中達雄-j3p 5 месяцев назад

      あくまで相対的な見方