平安貴族の結婚|今と違いすぎる男女関係!紫式部や藤原道長の結婚生活の実態は?!【光る君へ】

Поделиться
HTML-код
  • Опубликовано: 10 сен 2024
  • 平安時代の婚姻制度は現代人からは考えられないほど今と異なっています。
    結婚は摂関政治と密接に繋がっており、藤原道長は娘を天皇に入内させることで絶大な権力を握っていきました。
    一夫多妻制度によって男性は複数の女性と関係を持ち、女性は複雑な心境を抱いたとされます。
    こうした文化の一面が、紫式部の源氏物語からも垣間見ることが可能です。
    藤原道長にも源倫子や源明子をはじめ複数の妻が存在したとされますが、実際にはどのような結婚生活を過ごしていたのでしょうか?
    また、紫式部と浮気夫・藤原為時の関係は果たして順調だったのでしょうか・・・
    大河ドラマ「光る君へ」がより一層面白くなること間違いなし!ぜひ平安貴族の結婚生活を一緒に覗いてみましょう!!
    #大河ドラマ #光る君へ #紫式部
    関連動画↓
    • 紫式部|壮絶な生涯!源氏物語執筆の裏側【光る君へ】
    • 藤原道長|紫式部を利用した?!貴族の頂点に君...
    • 一条天皇|7歳で即位した?!藤原氏に利用され...
    • 源倫子|なぜ二人は結婚した?!藤原道長の大躍...
    • 花山天皇|止まらない性欲。19歳で出家した衝...

Комментарии • 12

  • @user-さわ
    @user-さわ 6 месяцев назад +25

    藤原道長と紫式部の関係はどちらとも判断できないと思います。
    「好き者」の歌だけでなく、道長と紫式部の間で交わされた(とされる)歌は、どれも紫式部が断っているよう。
    でもわざわざそれらの歌を残すのは「わたしは今をときめく道長様から求愛されたのよ!でもフッたの」という自慢なのか、ふったように書いているだけで実は契っていて、それを隠していたのか、もしくは今でいう“匂わせ”だったのか。
    どれとでも受け取れると思います。
    歌といえば、方違えで泊まっていった男性とのやり取りは宣孝だったとも、別の男性だったとも言われていますよね。
    紫式部の宣孝との結婚は当時としては晩婚だけど、実はその方違えの時の男性と結婚していたとも。

  • @user-ix9ow5ud8x
    @user-ix9ow5ud8x 6 месяцев назад +9

    内容はとても参考になりますが、途中で入る効果音は変なのでない方がいいと思います。

  • @horikawa2012
    @horikawa2012 6 месяцев назад +18

    男女の愛情関係というより、戦友関係に近かった感じだな。道長は三男坊の身から権力を完全掌握、紫式部は貧乏貴族の娘から宮中の人気を掌握という、ともに成り上がりの大望を抱える身であった。それを実現させる大きな共通武器として「紫式部の文才」があったとも言える。だから道長も、紫式部の創作意欲に水を差すような「強引な求婚」は避けていたのではないか。
    とはいえ当時のことなので、ちょっかい程度のことは「礼儀」として道長もしていたわけだが、とうとうマジな展開にはならなかったと。そういうことじゃないのかな

    • @鈴木久美枝-q3o
      @鈴木久美枝-q3o 4 месяца назад

      道長あたりになれば、関係がマジであろうとなかろうと、相手は誘いにのってくるという自信満々だったのでは?それに道長は源氏物語のパトロンですので、紫式部もそれほど心底からじゃけんではなかったような気もします。彼女の父が道長主催の歌会にもかかわらず、ぷいと帰ってしまったとか。それに対して道長が、あれはなんだ!といったとか。
      きっと、一流の学者のプライドが、売れっ子の娘の人気に乗っかるのを恥と感じたのでは?
      ま、道長と紫式部の間柄は、歴史のなかでのロマンで よろしくありませんかしら?笑。
      現代の一夫一婦制の感覚では、限定できない状況かと思います。女性も別の男性に移るということもあったとやら。笑

  • @user-zp8jb6jw6l
    @user-zp8jb6jw6l 6 месяцев назад +8

    素晴らしい歴史の配信に感謝致します。
    有難うございました。

  • @nanaminz2007
    @nanaminz2007 6 месяцев назад +14

    紫式部はコネで出仕してからその後彰子の教育用に源氏物語を執筆ですよ。逆です。
    宮仕えと『源氏物語』執筆: 紫式部は宮中で働き始め、その後『源氏物語』を書き始めました。この作品は、平安中期の貴族社会を描いた大作で、和歌795首も詠み込まれています。

  • @mama-uv2xn
    @mama-uv2xn 5 месяцев назад +13

    どちらにせよ紫式部は男性に寵愛される人ではなくその面では不幸せな生涯だったのではないでしょうか、だから物語の中に溺れるように自分の欲求を満たしていたのではないでしょうか

  • @ch-ml1lv
    @ch-ml1lv 6 месяцев назад +12

    12:27 妻の力技に敵わない旦那
    14:04 兄弟が没、中関白を壊滅させる
    22:33 定子も没

  • @user-ht5sb4cf5v
    @user-ht5sb4cf5v 6 месяцев назад +4

    天元パパと杏寿郎ママが結婚したのは、平安時代かなぁ?

  • @sakuchan926
    @sakuchan926 3 месяца назад

    藤原道長と紫式部は遠縁の親戚に当たるとか聞いたことがあります🤔

  • @user-ti5sz8tn4j
    @user-ti5sz8tn4j 6 месяцев назад +2

    正妻は、家柄、親の地位や財産が重要視された。
    妾は身分は問わない。愛人に至っては使い捨ての「生きたダッチワイフ」