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動画で上げられたこの区間の鉄道廃止が報じられ、こちらの動画を見て郷愁に浸っております…新型の気動車が配備された時はこれからも大丈夫とばかり思っておりましたがそうでもなかったようです
Braver様、おはようございます。本日もよろしくお願いします!あ~、やはり、Braver様は、この辺のエリアが気になるのですね。確かに「津軽線」に新型が導入された際、「まだまだやる気だな!」と思ったのですが、まさか、こんな展開になるとは。昨今は、災害などが発生するたびに、「きっと廃止になるだろう…」→「やっぱり廃止…」みたいなのが多く、「津軽線」も、結局、その道を歩んでしまいました。
蟹田駅〜三厩駅間(厳密にはJR北海道の海峡線と重複する区間を除く新中小国信号場〜三厩駅間)の復旧を今別町が断念し、自動車交通への転換が事実上確定しました(「バス転換」ではなく「自動車交通への転換」であることが重要です)。
大内龍之介様、おはようございます。コメントありがとうございます!以前、「くろしお」でもコメントを頂きました。ありがとうございます。このニュースを知って、「やはりそうなったかぁ…」という感じでした。ところで「自動車交通」とは何か…
冒頭の車両見て気づきましたが列車無線のアンテナがDOCOMOの衛星携帯アンテナですね。(白い円形状)確か山田線の車両も同じアンテナでした。余裕の無い今の自分、この路線に乗りたいです。ボックスシートに足を延ばして車窓を眺めながら心をリラックスさせたいです。
まーくん様、こんにちは。いつもコメントありがとうございます!そうですか、そうですか。私は車両については詳しくないのですが、そうなのですね。余裕がない…とのことで、何かお忙しいのでしょうか。色々とあるのかも知れませんが、どうかご自愛の上お過ごし下さい。
私が子供の頃は(昭和50年代前半)青函トンネルは三厩から先に繋がると思っていました。それが昭和62年にスラブを今別に輸送した時には、こんな所から高規格路線が分岐していくのを見て、三厩迄のこの先は失くなると予測したものです。それでも長きにわたり頑張ってきた路線ですから残して欲しいですよね。我が故郷の木次線も危機的なので余計に強く思います。その後ですが、スラブを荷卸し後(津軽二股駅近くの搬入口スロープがまだ残っているのが車窓動画から見えて感動!)、階段国道を見てから、車窓に見える県道を戻り、青森市内を通り越して下北半島をドライブしました。大畑線の終点から先の大間未成線を探険し、(勿論、全長12メートルの大型車で)帰路の陸奥横浜辺りでは、もう真っ暗。蟹田から見える対岸下北は遠い事を実感した次第です。とっくに脱線してますね(笑)翌日に宮古からの帰り荷積みは決まっていたので、翌朝一番から山田線と岩泉線に乗車したかな。その時のキハ58だったか、キハ55だったか丁度、今回の動画に登場するカラーリングと同じだった気がします。ちなみに前日に見た津軽線のはタラコ色だったと思います。丁度、「前々妻」との間に長女が生まれたばかりで、家へ帰ってもうるさくて眠れないだろうから、なるべくトラックの中で生活して、と言われてたので、かんなり乗り鉄してたかな。以前語った翌年の北海道乗り鉄しまくりも、その流れです。その娘も今年36歳。やれやれついでに、と言っては何ですが、その時に所有してた車が、ローレル ツインカムターボメダリストでした。主さんが乗ってたスカイラインのエンジン出力を抑えた型だったと記憶してます。良く走ったけど、リッター9キロ位しか伸びなかったかな。突然思い出したので脱線ついでに、つい。
兄貴!再びコメントありがとうございます!「大間未成線」という言葉がどうしても気になって、早速調べてみました。今となっては懐かしい下北交通の大畑から先に海岸線に沿って奥戸まで繋がる計画があったのですね。今でも一部の橋やトンネルが残っているようですね。中でも「二枚橋橋梁」は、割と有名なスポットとのことで、確かに写真で見る限りはインパクトのある遺構でした。未成線というのは、読んで字の如く、完成はしなかったものの、「もし、ここを列車が走っていたら…」と想像するだけでワクワクするものですよね。ローレルは当時C32ですかね。RB20DETエンジンともなれば、後期型に搭載されたエンジン。私の愛車だったR31のGTS-X ツインカムターボのエンジンと、正に一緒の奴ですね。C32ローレルとR31は、ほぼ兄弟車みたいなもので、基本設計は同じだったと思います。まさに、この時からまつよし兄貴と僕は兄弟関係だったのかも知れませんね(笑)
こんばんわ かなり前ですが、冬季に津軽線、大湊線を乗りつぶしました津軽線は津軽半島なので、「津軽三味線」、大湊線は「能」と日本文化を語る上でも大切ですと同乗した地元の方に教わりました。私たちテツには青函トンネル工事に使われた路線もつきますね🚄
asakaze twilight様、こんにちは。いつもコメントありがとうございます!今年は初めてと思うので、あらためて、今年もよろしくお願いします。そうですね、そうですね。「津軽三味線」に「能」、日本の大切な文化がここにありますね。そして青函トンネル。私は恥ずかしながら「青函トンネル記念館」というものが存在することを知らず、ここでコメントをくださる「川田コウ」さんから教えてもらって、是非、見にいきたいなぁって思っています。でも、津軽線はきっと廃止になってしまうので、蟹田からバスで乗り継ぎながら行くしかないのかなぁ…と思うと、津軽線の廃止は残念でなりません。
@@syaso 様こちらこそ今年もよろしくお願い申し上げます。私は「吉岡海底駅」には行ったことあるのですが、「青函トンネル記念館」は冬季休業中だったので、残念ながら訪問できませんでした。三厩駅に訪問したのはかなり前ですが、趣のある駅の造りに、昔ながらの窓口で駅員さんと話しながら「入場券」を購入したのはいい思いです。かたや大湊線に乗った時は、その列車だけかもしれませんが下りは野辺地で満員、上りは大湊で立ち客でるほどの満員、それにくらべれば圧倒的に少ないです。あの津軽半島の大雪と風ならば、昔であったら鉄道は強いと言えるんですが、先日のJR西日本大阪地区での対応をみると、たとえ復旧しても運休してしまうでしょうね。鉄道は必要だというのは無くなってみて初めてわかるのか?と自問自答しております🚄
ありがとうございます!そうですか、そうですか。「吉岡海底駅」に行きましたか!これは羨ましい!。私も兼ねてから行きたいと思っていたのですが、結局、行くことが叶いませんでした。本当に、行ける時に行っておけば良かったと後悔しています。「大湊線」なのですが、僕が乗車した時も、満員で、野辺地からは立ち席で通路も埋まる程でしたよ。夏休み期間中ということもあって、快速「しもきた」は増結して2両編成だったのですが、2両でも満員でした。一方、この津軽線はGWにも関わらず、1両で全員着席できていましたから…。同じ最果てでもずいぶんと落差のあるものです。
@@syaso 「吉岡海底駅」では、なんと走行列車にフラッシュOK!だったんですよその時いた係員さんの気分ではないでしょうしね(勝手だったら後で機関士さんから指令に報告されめちゃ怒られるでしょう(笑))その時通過した列車がなんと「日本海」函館行きですよ。もし、その時の動画を撮影し投稿したらいい記録で再生数ウン万回(笑)はいったかもしれませんね(´;ω;`)ウゥゥそういう意味では悔しいですもっともその時「ようつべ」あったかな?🚄
そうですか、そうですか。走行列車にフラッシュOKとは、今では到底考えられない感じですが、そうだったのですね。日本海の函館行!それですよ。2006年3月まで走っていたと思うのですが、僕がビデオカメラ片手に撮影し始めたのが2006年の年末からだったので、ちょっとの差で撮影できなかったんですよ!だから僕もめちゃめちゃ悔しいです!!
ここの路線乗ってみたいな〰
酒めいきよう様、こんにちは。いつもコメントありがとうございます!津軽線、もし廃止になってしまったら本当に残念です。僕も、ここでコメントを下さった方から「青函トンネル記念館」の話を聞いて、行ってみたくなったので、津軽線、もう1回乗りたいです。
この津軽線が廃線になるかも知れないと言うことを聞いておどろいてます、自分も龍飛崎の手前に青函トンネル記念館が有ったと思うのですが、そこへ行く計画を立てています、三厩からコミュニティバスで約27分程行った所に位置するはずなんですが予定では、今年中には、行きたい所です、
おぉ、、、何もかも懐かしい。私は津軽線の近くに住んでおり実はこのキハ40(盛岡色というカラー)にはとても何度もお世話になりました。とは言っても鉄道好きの自分ですけど人生で初めて乗った鉄道が津軽線、このキハ40、鉄道好きになったのも全てこのキハ40のおかげです。私ももちろん聞いています。もちろん私も廃止は出来ればして欲しくない。でも残念ながら津軽線は利用者もどんどん減っていき正直大金をかけて復活させても結局赤字のままでいるのもんー、、、って感じなので、、、正直、、、本当はもちろん嫌ですが最近の利用状況を考えたら廃止した方がいいという考えもあります、、、何もかも懐かしい映像をありがとうございます。どうか出来れば津軽線三厩~蟹田区間が復活しますように。
苹果様、こんにちは。コメントありがとうございます!そうですか、そうですか。津軽線沿線の方からコメントを頂けるとは、嬉しい限りです。そしてキハ40。私もキハ40は大好きです!津軽線は、割と最後まで原型エンジンの気動車が走っていて、音も良かった!そんな津軽線ですが、「現実を見据えれば廃止も止む無し、でも寂しい…残して欲しい…」という苹果様の揺れる気持ちが本当に伝わってきました。恐らく、寂しいことではありますが、復活は0に近いのでしょう。鉄道の消えた町は、急激に寂れるとも言います。名ばかりの「地方創生」で、結局は東京一極集中のまま。何も変わらない。私が住んでいる徳島の牟岐線阿南以南も、災害が起こればきっと廃止になると思います。
この車両の色は何色ですか?
Scare Crow 様、こんにちは。コメントありがとうございます。私は恥ずかしながら、車両とかについて詳しくないので、この際、せっかくなので調べてみました。この白いボディーに赤帯の車両は、八戸運輸区に所属した盛岡色というものだそうです。そういえば八戸線も、キハ40時代はこの色だったように思いますね。
ありがとうございます!
冒頭の留置線への入線シーン。何でそこまで、何でそんなに奥まで行く? 無駄でしょ。もったいないでしょ。手前側に何か入線してくるの?こんな無駄の積み重ねが、多くの地方路線の廃線への決め手になっていたのではないかと思うと、やるせない気持ちになってしまいます。
yoshikuni4245様。おはようございます!コメントありがとうございます。先般は「あけぼの」へのコメントありがとうございました。恐らく、仕事の現場って、当事者からみたら何気なくやっていることでも、俯瞰して見ると「これって無駄だよなぁ…」って思う事、あると思うんですよね。yoshikuni4245様のコメントを見て、あらためて自分の仕事の「無駄」を、ちゃんと見つめなおさないといけないなぁ…と思ってしまいました。恥ずかしながら、きっと、端から見たら、「あんた、それ、おかしいよ。」ってな事、僕の仕事にはいっぱいあるような気がします。ありがとうございました。
おそらくですが、対北海道輸送(スーパー白鳥)が東北新幹線新青森駅開業後、新青森行きに変わってからこのようなことが発生したと考えられます。新青森開業以前は三厩から到着した列車は1番乗場で乗客を降ろした後、3番線に転線するのが通常でしたが、新青森行きに変更後、留置線に転線後、上下から「スパー白鳥」が到着。実質満パイとなり3番線に転線できない状態となり一旦留置線へ。という流れになってしまったと思われます。なお、八戸行きだった当時は、下り線のみ到着だけでしたので下り線のスーパー白鳥が発車した後に1番線→3番線(留置線に入る必要はなかった)への転線が行われていました。
津軽線蟹田ー三厩間が災害で復旧出来ずに廃止が検討されているが、他に花輪線、大船渡線、八戸線、陸羽東線、陸羽西線などの存続させているのは、JR東日本に対して、東北地方の衆議院議員の圧力を掛けたからか。
Masafumi Ueda様、こんにちは。続けてコメントを頂き有難いです!そうですか、そうですか。九州では、そんな経緯があったのですね…。
大坂様、こんにちは。いつもコメントありがとうございます!東北地方の議員さんは、ある意味、JRを動かす程の力があるのですね。それはそれで凄い。
動画で上げられたこの区間の鉄道廃止が報じられ、こちらの動画を見て郷愁に浸っております…新型の気動車が配備された時はこれからも大丈夫とばかり思っておりましたがそうでもなかったようです
Braver様、おはようございます。本日もよろしくお願いします!
あ~、やはり、Braver様は、この辺のエリアが気になるのですね。
確かに「津軽線」に新型が導入された際、「まだまだやる気だな!」と思ったのですが、まさか、こんな展開になるとは。
昨今は、災害などが発生するたびに、「きっと廃止になるだろう…」→「やっぱり廃止…」みたいなのが多く、「津軽線」も、結局、その道を歩んでしまいました。
蟹田駅〜三厩駅間(厳密にはJR北海道の海峡線と重複する区間を除く新中小国信号場〜三厩駅間)の復旧を今別町が断念し、自動車交通への転換が事実上確定しました(「バス転換」ではなく「自動車交通への転換」であることが重要です)。
大内龍之介様、おはようございます。コメントありがとうございます!
以前、「くろしお」でもコメントを頂きました。ありがとうございます。
このニュースを知って、「やはりそうなったかぁ…」という感じでした。
ところで「自動車交通」とは何か…
冒頭の車両見て気づきましたが列車無線のアンテナがDOCOMOの衛星携帯アンテナですね。(白い円形状)確か山田線の車両も同じアンテナでした。余裕の無い今の自分、この路線に乗りたいです。ボックスシートに足を延ばして車窓を眺めながら心をリラックスさせたいです。
まーくん様、こんにちは。いつもコメントありがとうございます!
そうですか、そうですか。私は車両については詳しくないのですが、そうなのですね。
余裕がない…とのことで、何かお忙しいのでしょうか。
色々とあるのかも知れませんが、どうかご自愛の上お過ごし下さい。
私が子供の頃は(昭和50年代前半)青函トンネルは三厩から先に繋がると思っていました。それが昭和62年にスラブを今別に輸送した時には、こんな所から高規格路線が分岐していくのを見て、三厩迄のこの先は失くなると予測したものです。それでも長きにわたり頑張ってきた路線ですから残して欲しいですよね。我が故郷の木次線も危機的なので余計に強く思います。
その後ですが、スラブを荷卸し後(津軽二股駅近くの搬入口スロープがまだ残っているのが車窓動画から見えて感動!)、階段国道を見てから、車窓に見える県道を戻り、青森市内を通り越して下北半島をドライブしました。大畑線の終点から先の大間未成線を探険し、(勿論、全長12メートルの大型車で)帰路の陸奥横浜辺りでは、もう真っ暗。蟹田から見える対岸下北は遠い事を実感した次第です。
とっくに脱線してますね(笑)
翌日に宮古からの帰り荷積みは決まっていたので、翌朝一番から山田線と岩泉線に乗車したかな。その時のキハ58だったか、キハ55だったか丁度、今回の動画に登場するカラーリングと同じだった気がします。ちなみに前日に見た津軽線のはタラコ色だったと思います。
丁度、「前々妻」との間に長女が生まれたばかりで、家へ帰ってもうるさくて眠れないだろうから、なるべくトラックの中で生活して、と言われてたので、かんなり乗り鉄してたかな。以前語った翌年の北海道乗り鉄しまくりも、その流れです。
その娘も今年36歳。やれやれ
ついでに、と言っては何ですが、その時に所有してた車が、ローレル ツインカムターボメダリストでした。主さんが乗ってたスカイラインのエンジン出力を抑えた型だったと記憶してます。良く走ったけど、リッター9キロ位しか伸びなかったかな。突然思い出したので脱線ついでに、つい。
兄貴!再びコメントありがとうございます!「大間未成線」という言葉がどうしても気になって、早速調べてみました。今となっては懐かしい下北交通の大畑から先に海岸線に沿って奥戸まで繋がる計画があったのですね。
今でも一部の橋やトンネルが残っているようですね。
中でも「二枚橋橋梁」は、割と有名なスポットとのことで、確かに写真で見る限りはインパクトのある遺構でした。
未成線というのは、読んで字の如く、完成はしなかったものの、「もし、ここを列車が走っていたら…」と想像するだけでワクワクするものですよね。
ローレルは当時C32ですかね。RB20DETエンジンともなれば、後期型に搭載されたエンジン。
私の愛車だったR31のGTS-X ツインカムターボのエンジンと、正に一緒の奴ですね。
C32ローレルとR31は、ほぼ兄弟車みたいなもので、基本設計は同じだったと思います。
まさに、この時からまつよし兄貴と僕は兄弟関係だったのかも知れませんね(笑)
こんばんわ かなり前ですが、冬季に津軽線、大湊線を乗りつぶしました
津軽線は津軽半島なので、「津軽三味線」、大湊線は「能」と日本文化を語る上でも
大切ですと同乗した地元の方に教わりました。
私たちテツには青函トンネル工事に使われた路線もつきますね🚄
asakaze twilight様、こんにちは。いつもコメントありがとうございます!
今年は初めてと思うので、あらためて、今年もよろしくお願いします。
そうですね、そうですね。「津軽三味線」に「能」、日本の大切な文化がここにありますね。
そして青函トンネル。
私は恥ずかしながら「青函トンネル記念館」というものが存在することを知らず、ここでコメントをくださる「川田コウ」さんから教えてもらって、是非、見にいきたいなぁって思っています。
でも、津軽線はきっと廃止になってしまうので、蟹田からバスで乗り継ぎながら行くしかないのかなぁ…と思うと、津軽線の廃止は残念でなりません。
@@syaso 様
こちらこそ今年もよろしくお願い申し上げます。
私は「吉岡海底駅」には行ったことあるのですが、「青函トンネル記念館」は冬季休業中だったので、残念ながら訪問できませんでした。
三厩駅に訪問したのはかなり前ですが、趣のある駅の造りに、昔ながらの窓口で駅員さんと話しながら「入場券」を購入したのはいい思いです。
かたや大湊線に乗った時は、その列車だけかもしれませんが下りは野辺地で満員、上りは大湊で立ち客でるほどの満員、それにくらべれば圧倒的に少ないです。
あの津軽半島の大雪と風ならば、昔であったら鉄道は強いと言えるんですが、先日のJR西日本大阪地区での対応をみると、たとえ復旧しても運休してしまうでしょうね。
鉄道は必要だというのは無くなってみて初めてわかるのか?と自問自答しております🚄
ありがとうございます!
そうですか、そうですか。「吉岡海底駅」に行きましたか!
これは羨ましい!。
私も兼ねてから行きたいと思っていたのですが、結局、行くことが叶いませんでした。
本当に、行ける時に行っておけば良かったと後悔しています。
「大湊線」なのですが、僕が乗車した時も、満員で、野辺地からは立ち席で通路も埋まる程でしたよ。
夏休み期間中ということもあって、快速「しもきた」は増結して2両編成だったのですが、2両でも満員でした。
一方、この津軽線はGWにも関わらず、1両で全員着席できていましたから…。
同じ最果てでもずいぶんと落差のあるものです。
@@syaso
「吉岡海底駅」では、なんと走行列車にフラッシュOK!だったんですよ
その時いた係員さんの気分ではないでしょうしね(勝手だったら後で機関士さんから指令に報告されめちゃ怒られるでしょう(笑))
その時通過した列車がなんと「日本海」函館行きですよ。もし、その時の動画を撮影し投稿したらいい記録で再生数ウン万回(笑)はいったかもしれませんね(´;ω;`)ウゥゥ
そういう意味では悔しいです
もっともその時「ようつべ」あったかな?🚄
そうですか、そうですか。走行列車にフラッシュOKとは、今では到底考えられない感じですが、そうだったのですね。
日本海の函館行!それですよ。2006年3月まで走っていたと思うのですが、僕がビデオカメラ片手に撮影し始めたのが2006年の年末からだったので、ちょっとの差で撮影できなかったんですよ!
だから僕もめちゃめちゃ悔しいです!!
ここの路線乗ってみたいな〰
酒めいきよう様、こんにちは。いつもコメントありがとうございます!
津軽線、もし廃止になってしまったら本当に残念です。
僕も、ここでコメントを下さった方から「青函トンネル記念館」の話を聞いて、行ってみたくなったので、津軽線、もう1回乗りたいです。
この津軽線が廃線になるかも知れないと言うことを聞いておどろいてます、自分も龍飛崎の手前に青函トンネル記念館が有ったと思うのですが、そこへ行く計画を立てています、三厩からコミュニティバスで約27分程行った所に位置するはずなんですが予定では、今年中には、行きたい所です、
おぉ、、、何もかも懐かしい。私は津軽線の近くに住んでおり実はこのキハ40(盛岡色というカラー)にはとても何度もお世話になりました。とは言っても鉄道好きの自分ですけど人生で初めて乗った鉄道が津軽線、このキハ40、鉄道好きになったのも全てこのキハ40のおかげです。
私ももちろん聞いています。もちろん私も廃止は出来ればして欲しくない。でも残念ながら津軽線は利用者もどんどん減っていき正直大金をかけて復活させても結局赤字のままでいるのもんー、、、って感じなので、、、正直、、、本当はもちろん嫌ですが最近の利用状況を考えたら廃止した方がいいという考えもあります、、、何もかも懐かしい映像をありがとうございます。どうか出来れば津軽線三厩~蟹田区間が復活しますように。
苹果様、こんにちは。コメントありがとうございます!
そうですか、そうですか。津軽線沿線の方からコメントを頂けるとは、嬉しい限りです。
そしてキハ40。私もキハ40は大好きです!
津軽線は、割と最後まで原型エンジンの気動車が走っていて、音も良かった!
そんな津軽線ですが、「現実を見据えれば廃止も止む無し、でも寂しい…残して欲しい…」という苹果様の揺れる気持ちが本当に伝わってきました。
恐らく、寂しいことではありますが、復活は0に近いのでしょう。
鉄道の消えた町は、急激に寂れるとも言います。
名ばかりの「地方創生」で、結局は東京一極集中のまま。何も変わらない。
私が住んでいる徳島の牟岐線阿南以南も、災害が起こればきっと廃止になると思います。
この車両の色は何色ですか?
Scare Crow 様、こんにちは。コメントありがとうございます。
私は恥ずかしながら、車両とかについて詳しくないので、この際、せっかくなので調べてみました。
この白いボディーに赤帯の車両は、八戸運輸区に所属した盛岡色というものだそうです。
そういえば八戸線も、キハ40時代はこの色だったように思いますね。
ありがとうございます!
冒頭の留置線への入線シーン。
何でそこまで、何でそんなに奥まで行く? 無駄でしょ。もったいないでしょ。手前側に何か入線してくるの?
こんな無駄の積み重ねが、多くの地方路線の廃線への決め手になっていたのではないかと思うと、やるせない気持ちになってしまいます。
yoshikuni4245様。おはようございます!コメントありがとうございます。
先般は「あけぼの」へのコメントありがとうございました。
恐らく、仕事の現場って、当事者からみたら何気なくやっていることでも、俯瞰して見ると「これって無駄だよなぁ…」って思う事、あると思うんですよね。
yoshikuni4245様のコメントを見て、あらためて自分の仕事の「無駄」を、ちゃんと見つめなおさないといけないなぁ…と思ってしまいました。
恥ずかしながら、きっと、端から見たら、「あんた、それ、おかしいよ。」ってな事、僕の仕事にはいっぱいあるような気がします。
ありがとうございました。
おそらくですが、対北海道輸送(スーパー白鳥)が東北新幹線新青森駅開業後、新青森行きに変わってからこのようなことが発生したと考えられます。新青森開業以前は三厩から到着した列車は1番乗場で乗客を降ろした後、3番線に転線するのが通常でしたが、新青森行きに変更後、留置線に転線後、上下から「スパー白鳥」が到着。実質満パイとなり3番線に転線できない状態となり一旦留置線へ。という流れになってしまったと思われます。
なお、八戸行きだった当時は、下り線のみ到着だけでしたので下り線のスーパー白鳥が発車した後に1番線→3番線(留置線に入る必要はなかった)への転線が行われていました。
津軽線蟹田ー三厩間が災害で復旧出来ずに廃止が検討されているが、他に花輪線、大船渡線、八戸線、陸羽東線、陸羽西線などの存続させているのは、JR東日本に対して、東北地方の衆議院議員の圧力を掛けたからか。
Masafumi Ueda様、こんにちは。続けてコメントを頂き有難いです!
そうですか、そうですか。九州では、そんな経緯があったのですね…。
大坂様、こんにちは。いつもコメントありがとうございます!
東北地方の議員さんは、ある意味、JRを動かす程の力があるのですね。それはそれで凄い。