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武蔵、相模、甲斐の3カ国の境界だからな、一瞬でも気抜けない場所だ
私は、津久井城が大きな合戦にならなかったのは、山城の上り下りがしんどくて避けてたのではないかと思います。
北条から見て両属の敵半地とは言っても、武田家の影響は間接的かつ限定的なものだったのではないかと思います。郡内地方と近接する津久井の青根や青野原には小山田氏残党狩りに関わる民話や三増峠の戦い後の日向薬師の僧兵による武田軍襲撃の史跡といった北条寄りのエピソードが多いですし、そもそも津久井地域から甲府や大月はあまりに遠すぎますしね。
毎回楽しく見させていただいてます😊今回も面白かったですね!甲斐内藤家(内藤昌豊)とは同族なのでしょうかね😮
今のお城は✨案内路、立て看板、案内センター?含め❗こんなに綺麗に整理整備されてんですね😃素晴らし~女性のファンが増える訳ですね👍私嵐山史跡の博物館主催「歴史講座、城見学会」とか江戸東京博物館の齋藤慎一お城講座の講座と配分資料が楽しみでしたが✨動画の俯瞰図説明は抜群です😁一目で良く納得出来ます😌🌸💕
ゆうて対武田の最前線は小仏城山、武蔵方面の防衛ラインは滝山城~片倉城~長沼城のネットワーク。津久井って両ボーダーからは離れた奥地にあるんだよな。あそこってむしろ、厚木・愛甲ラインと小仏ラインの分断のために備えてる城ちゃうん?
両属国衆は年貢はそれぞれの領主に納めるが、一方の領主に対する軍役免除など状況次第で有ったのかな。
両属していて武田家の家臣とも言えそうですね。
コメントありがとうございます。戦国時代の生き様を感じられて、津久井衆好きです!
@@shiro-tube 苗木城だったか、織田、武田領土境も両方に年貢納めて居なかったかな?織田の一門になっていますよね。両属している勢力は特権つよい傾向ありますね。津久井は武田側は家臣とみなしてないのかも知れないし武田的な序列はわからないんですが税を半分武田に納めている状態は領土だと思います。
武蔵、相模、甲斐の3カ国の境界だからな、一瞬でも気抜けない場所だ
私は、津久井城が大きな合戦にならなかったのは、山城の上り下りがしんどくて避けてたのではないかと思います。
北条から見て両属の敵半地とは言っても、武田家の影響は間接的かつ限定的なものだったのではないかと思います。
郡内地方と近接する津久井の青根や青野原には小山田氏残党狩りに関わる民話や三増峠の戦い後の日向薬師の僧兵による武田軍襲撃の史跡といった北条寄りのエピソードが多いですし、そもそも津久井地域から甲府や大月はあまりに遠すぎますしね。
毎回楽しく見させていただいてます😊
今回も面白かったですね!
甲斐内藤家(内藤昌豊)とは同族なのでしょうかね😮
今のお城は✨案内路、立て看板、案内センター?含め❗こんなに綺麗に整理整備されてんですね😃素晴らし~女性のファンが増える訳ですね👍私嵐山史跡の博物館主催「歴史講座、城見学会」とか江戸東京博物館の齋藤慎一お城講座の講座と配分資料が楽しみでしたが✨動画の俯瞰図説明は抜群です😁一目で良く納得出来ます😌🌸💕
ゆうて対武田の最前線は小仏城山、武蔵方面の防衛ラインは滝山城~片倉城~長沼城のネットワーク。津久井って両ボーダーからは離れた奥地にあるんだよな。
あそこってむしろ、厚木・愛甲ラインと小仏ラインの分断のために備えてる城ちゃうん?
両属国衆は年貢はそれぞれの領主に納めるが、一方の領主に対する軍役免除など状況次第で有ったのかな。
両属していて武田家の家臣とも言えそうですね。
コメントありがとうございます。
戦国時代の生き様を感じられて、津久井衆好きです!
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苗木城だったか、織田、武田領土境も両方に年貢納めて居なかったかな?織田の一門になっていますよね。
両属している勢力は特権つよい傾向ありますね。
津久井は武田側は家臣とみなしてないのかも知れないし武田的な序列はわからないんですが税を半分武田に納めている状態は領土だと思います。