Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
臨場感がある
テスト期間この動画がないとしぬってくらいほんとに毎回助かってます😭😭もはや先生やって欲しいです
この話だけを聞くと、足利尊氏の裏工作はすごいね。護良親王が集めた兵が辻斬りをしたのでなく、護良親王の評判を悪くする為に足利尊氏が「護良親王の集めた兵が悪さをしてる」とデマを流してたのでは?思うってしまうぐらいに足利尊氏はやり方が汚いなぁ。そもそも落ち目の北条氏を裏切ってるのもあるし、相当なワルだと思いました。
護良親王は日本の親王で数少ない武力の持ち主
懐良親王は最強の皇族だと思う
@@emperorinmu4199 天皇の皇子で武力で有名人だと日本武尊と護良親王しか思い付かない。
今では南北朝時代の研究が進んでおり、護良親王の「護良」を「儀義」と表記し(もりよし)と読ませる文献も多数発見されており、同時代の「良」の入った名はそのまま「よし」と読むことが多い事から、今では「もりよししんのう」と読むのが通説となっています。
私の高校時代は「もりなが」親王と教わり、定期テストもそう書いた記憶があります。
ちなみに大塔宮の宮号もこれまでは「だいとうのみや」と読まれていましたが、最近では「おおとうのみや」とも読まれています。ちなみに大河ドラマ「太平記」では「おおとうのみや もりよししんのう」と読まれていました。
わたしは、ずっと護良親王の事をもりなが親王と読んでいました。でも後に、もりよし親王と呼ばれている事に気付いて、とっても驚愕したものです。親に裏切られた悲しみとくやしさを思うと、胸が苦しくなります。護良親王の事を考えると、悲しくてふるえます…
阿野廉子が…(>_
北方謙三の「破軍の星」を読んで、鎌倉到幕、南北朝動乱の時代に興味を持ちました。何十年も前に鎌倉宮に行きましたが、当時はかなりマイナーだったので、ひっそりとたたずんだ雰囲気でした。護良親王はさぞや無念だったでしょう。
後醍醐天皇のわがままで2度目の戦に出向いて若くして亡くなった北畠顕家。とんでもない逸材だと思うのですが、あまり取り上げられないのは資料が少ないからなんでしょうが?
類い希なる勇猛果敢な親王殿下
わかりやすくて面白いです!!太平記ってどこで読めるんですか?
坊門<はて、第二の北条とは・・・!?護良<高氏よ!クルッ大河ドラマ太平記のこのシーンめっちゃ好きです@_@
NHK大河太平記でもこの辺りの対立は面白い見せ場だったですね
この辺の皇族と公家の荒々しさって空前絶後よな
派閥みたい担ってしまっています後醍醐天皇なぜ護良親王の扱い評価が低い仕組まれてますね
護良親王かなり気の毒だよね… 自分は直義も好きなので難しいところだけど
東宮候補であられたお方がこの勇姿✨乱世だなあ…('_')
最初は護良親王かわいそうとか考えてたけど集めてた武士が横暴したって聞いて何か複雑な気分になりました。
今回は配信時間早い護良親王に同情するのなら尊氏を潰そうとしただけなのに親父への謀反にすり替えられてしまった事かな護良親王の嘆願書をもみ消したのは誰か?今後のカギとして覚えておこう
あの女かなw?
@@gionsyouji5831 阿野簾子
動画内だけの情報で考えればせっかく建武の新政で築いた秩序を乱そうとしたのは相当印象が悪かった。後知恵で崩壊やむなしとは思っても当人はそんなこと思ってないだろうしすべて理解したうえで判断した可能性がある。なので後醍醐天皇からしたら喧嘩両成敗より護良親王に非があると考えたのだろう。
護良親王が京で健在であれば、また、阿野廉子が天皇の寵を恣にせず、後醍醐天皇が足利尊氏の讒言を信じなければ、建武の新政は瓦解しなかったであろうに……。
edなくなっちゃったんですね、!
尊氏本人は対立しようと思ってなかったけどね
後醍醐天皇がワンマンすぎて・・・。
部下が悪事を働いて罰せられたのを「恥をかかされた」とは、ヤクザの理論やで(笑)
もりよししんのう?もりながしんのうの間違いでは?
大河ドラマは、「もりよし」を採用。堤大二郎。
どちらでも良いようです
「モリヨシ」親王ではなく、「モリナガ」親王です。
は? モリヨシだろ
護良親王護良親王
口調が速いし、聞き取りづらい
臨場感がある
テスト期間この動画がないとしぬってくらいほんとに毎回助かってます😭😭
もはや先生やって欲しいです
この話だけを聞くと、足利尊氏の裏工作はすごいね。護良親王が集めた兵が辻斬りをしたのでなく、
護良親王の評判を悪くする為に足利尊氏が「護良親王の集めた兵が悪さをしてる」とデマを流してたのでは?思うってしまうぐらいに足利尊氏はやり方が汚いなぁ。
そもそも落ち目の北条氏を裏切ってるのもあるし、相当なワルだと思いました。
護良親王は日本の親王で数少ない武力の持ち主
懐良親王は最強の皇族だと思う
@@emperorinmu4199 天皇の皇子で武力で有名人だと日本武尊と護良親王しか思い付かない。
今では南北朝時代の研究が進んでおり、護良親王の「護良」を「儀義」と表記し(もりよし)と読ませる文献も多数発見されており、同時代の「良」の入った名はそのまま「よし」と読むことが多い事から、今では「もりよししんのう」と読むのが通説となっています。
私の高校時代は「もりなが」親王と教わり、定期テストもそう書いた記憶があります。
ちなみに大塔宮の宮号もこれまでは「だいとうのみや」と読まれていましたが、最近では「おおとうのみや」とも読まれています。ちなみに大河ドラマ「太平記」では「おおとうのみや もりよししんのう」と読まれていました。
わたしは、
ずっと護良親王の事を
もりなが親王と読んでいました。
でも後に、もりよし親王と呼ばれている事に気付いて、
とっても驚愕したものです。
親に裏切られた悲しみとくやしさを思うと、胸が苦しくなります。
護良親王の事を考えると、悲しくてふるえます…
阿野廉子が…(>_
北方謙三の「破軍の星」を読んで、鎌倉到幕、南北朝動乱の時代に興味を持ちました。
何十年も前に鎌倉宮に行きましたが、当時はかなりマイナーだったので、ひっそりとたたずんだ雰囲気でした。
護良親王はさぞや無念だったでしょう。
後醍醐天皇のわがままで2度目の戦に出向いて若くして亡くなった北畠顕家。とんでもない逸材だと思うのですが、あまり取り上げられないのは資料が少ないからなんでしょうが?
類い希なる勇猛果敢な親王殿下
わかりやすくて面白いです!!
太平記ってどこで読めるんですか?
坊門<はて、第二の北条とは・・・!?
護良<高氏よ!クルッ
大河ドラマ太平記のこのシーンめっちゃ好きです@_@
NHK大河太平記でもこの辺りの対立は面白い見せ場だったですね
この辺の皇族と公家の荒々しさって空前絶後よな
派閥みたい担ってしまっています後醍醐天皇なぜ護良親王の扱い評価が低い仕組まれてますね
護良親王かなり気の毒だよね… 自分は直義も好きなので難しいところだけど
東宮候補であられたお方がこの勇姿✨乱世だなあ…('_')
最初は護良親王かわいそうとか考えてたけど集めてた武士が横暴したって聞いて何か複雑な気分になりました。
今回は配信時間早い
護良親王に同情するのなら
尊氏を潰そうとしただけなのに
親父への謀反にすり替えられて
しまった事かな
護良親王の嘆願書をもみ消したのは誰か?
今後のカギとして覚えておこう
あの女かなw?
@@gionsyouji5831 阿野簾子
動画内だけの情報で考えればせっかく建武の新政で築いた秩序を乱そうとしたのは相当印象が悪かった。後知恵で崩壊やむなしとは思っても当人はそんなこと思ってないだろうしすべて理解したうえで判断した可能性がある。
なので後醍醐天皇からしたら喧嘩両成敗より護良親王に非があると考えたのだろう。
護良親王が京で健在であれば、また、阿野廉子が天皇の寵を恣にせず、後醍醐天皇が足利尊氏の讒言を信じなければ、建武の新政は瓦解しなかったであろうに……。
edなくなっちゃったんですね、!
尊氏本人は
対立しようと思ってなかったけどね
後醍醐天皇がワンマンすぎて・・・。
部下が悪事を働いて罰せられたのを「恥をかかされた」とは、ヤクザの理論やで(笑)
もりよししんのう?もりながしんのうの間違いでは?
大河ドラマは、「もりよし」を採用。堤大二郎。
どちらでも良いようです
「モリヨシ」親王ではなく、「モリナガ」親王です。
は? モリヨシだろ
護良親王護良親王
口調が速いし、聞き取りづらい