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次回が待ち遠しいです。有難うございました。
ご視聴ありがとうございます!ご期待に応えられるよう頑張ります。
興味深いです。なぞの丹後王国…何があったのか…それから動画のはじめの青い電車にもなぜか心が動きました。次回が楽しみです😃
ご視聴ありがとうございます!今度は列車から赤坂今井墳墓を見てみたいものです。
大変に参考になる動画をありがとうございます私も古代丹後に注目しています5月の連休中にバイクで丹後、丹波、但馬の遺跡や博物館や古社を回ったのですが、駆け足だったので詳しくは見られず、こうして動画にしていただくと、とても参考になります私は古墳にはなるべく墳頂に登り、周囲を見渡して地理を肌で感じ、当時の人々から見た古墳の位置づけを考える様にしています。なので、この動画はとても有り難いです現地で見ると、地図だけで見ていた感覚とは違うんですよね
そうおっしゃっていただくと大変嬉しいです。肌で感じることの大切さはよくわかります!僕は丹後に住んでいるので古墳の大きさや、古墳同士の距離感、それらと現在の生活空間との関係などを常に肌で感じることができるのが特権だと感じています。もっと勉強して、地域の歴史について発信できるように頑張ります。
大昔に 岩が鼻在住の背の高い学友と 伊根付近でキャンプを楽しんだ事があります。付近の小さな村の中に 不審者に注意と呼びかけるポスターが貼られていて 怪訝に思いました。明らかに 半島または大陸からの密航者を意味しているのだと察しました。発掘を中止した 古墳の埋葬者は 渡来人である事が歴然とする物証が発見されて 中止となった?
まさかの ユダヤ文明品?!
とても素晴らしい動画、感謝します。とても参考になりました。古代史を探求していて最近、分かったのですが、出雲・丹後王国の三代の王が日本建国の立役者だったのです。赤坂今井墳丘墓の1号墓は2世紀末の倭国大乱の英雄の日高彦(豊岡市久久比神社祭神久久遅彦、魏志倭人伝の狗奴国の官狗古智卑狗、ムナカタ海人族を束ねる王の襲名)だと推理しています。右腕の玄界灘を支配していたムナカタ族の赤坂比古(和邇氏の祖、卑弥呼の父)が遺体を菊池川付近から運び、葬ったと推理しています。そしてガラスの豪華な頭飾りの4号墳は妃の刺国若比売で、大国主高野御子(日高彦の御子の隠語)の母親だと分かりました。よろしければ詳細は「刮目天の古代史」をご参照ください。次の動画もこれから探して拝見させてください。有難うございました(;^ω^)
ご視聴コメントありがとうございます!そして大変興味深いお話もありがとうございます!久久比神社はよく行くのでまた調べてみます!
@@nacretango さん いいお返事ありがとうございます。お気に入りもうれしい(^^♪今年の6月に行ってきました。豊岡市や丹後半島は奴国大王スサノヲのゆかりの地なのです。倭国東北一千里のタバナ国出身の新羅脱解王はスサノヲをモデルにしたものですよ(^_-)-☆久久比神社の祭神久久遅命は棟上げ式の祭神ですので木の霊イタケル、つまりスサノヲの子ですからスサノヲ大王の子孫です。魏志倭人伝の狗奴国の官狗古智卑狗のことなのです。日本書紀は勝者藤原氏の歴史書だと分かれば、芋づる式に謎が解けてきます。よろしければ拙ブログに疑問点など教えて下さい。有難うございました(#^.^#)
こんばんは、丹後と言ったら着物かと思っていましたが、大昔は、ガラスだったんですね、そりゃああれだけ大阪に大きな古墳が残されている所を見ると大昔日本には、力の強い王様がいた可能性がありますね、でそんな不思議な大昔にガラスが作られていたらそりゃあ目をつけられますよね、作った物を献上しろと成りますよね、まぁ権力者と言うのは、今も昔も変わりませんね、
ご視聴コメントありがとうございます!古代の丹後はまだまだ謎が隠されていそうです!
皇系 古事記の正当性において卑弥呼は要らぬ存在で現在もその意思は続いているって感じなのでしょうか 歴史は勝者によって作られる 奥深い内容ですね
ご視聴、コメントありがとうございます。丹後にはどんな人がいたのか、考古学の今後の研究に期待したいです。
旧唐書にある東鯷国と推定されるあたり、徐福が一族をつれて移り住んだと記録もある。三国時代には中国語を話す人がおり、中国側から呉の属州とみなされていたようです。ヤマトの支配がおよぶころに痕跡が消されていったように思います。
興味深いコメントありがとうございます!
出土品見てみたいです!
ちなみにガラス釧は何年かに一度公開されるみたいなのでチャンスがあればぜひ!
よく見たら電車は青でなく、何かキャラの入った電車ですね😃すいません🙏
丹後鉄道はユニークな車両が多くて楽しいですね。コメントありがとうございます。
仕事しながらだから、音声読み上げが良かったなぁ。涙休みの日に読み返します。笑
ごめんなさい!なかなか時間が取れなくて字幕だけになりました。ご視聴ありがとうございます!
もう、イマサラですから、ハカアバキは、オヤメニなっても宜しいのでは?そっとお祀りして大切にその地域の守り神様として末永くソコに座って居られるようになさることが。。。と言っても、遅かった。。。。ンですよね。
実に面白く、参考になる動画でした。一般的に約西暦250年ごろが古墳時代の始まりと言われていますが、大田南古墳群の棺は「石棺」であり、もしかして、縄文、弥生時代は土葬でしたから古墳時代の時代区分が少し遡るかも知れませんね。また、出土したガラス製品、鏡、そして。絹織物に包まれた鏡。絹織物の技術は渡来人の秦氏が日本に伝えたと言われ、秦氏の初期の渡来が西暦200年ごろになるかも知れませんね。因みに、土葬は日本古来の埋葬方法であり、竪穴、横穴など石棺を使ったものは西洋方式だと言われています。今後の投稿を楽しみにしています。ありがとうございました。
コメントありがとうございます!すごく勉強になります。僕ももっと勉強しなければ。
赤坂今井古墳が卑弥呼の時代?
動画を作るにあたって調べた範囲では、赤坂今井墳墓の築造は2世紀末から3世紀前半とされているということと、魏志倭人伝によれば239年に卑弥呼が親魏倭王の号を受け取ったということを踏まえていますが、専門家ではありませんし、情報が古くなっている場合もありますので、両者が同じ時代だったとは言い切れません。貴重なご指摘ありがとうございます。
邪馬台国はないのだが‼️
そうなんですか!ご視聴ありがとうございます。
次回が待ち遠しいです。有難うございました。
ご視聴ありがとうございます!ご期待に応えられるよう頑張ります。
興味深いです。なぞの丹後王国…何があったのか…
それから動画のはじめの青い電車にもなぜか心が動きました。次回が楽しみです😃
ご視聴ありがとうございます!今度は列車から赤坂今井墳墓を見てみたいものです。
大変に参考になる動画をありがとうございます
私も古代丹後に注目しています
5月の連休中にバイクで丹後、丹波、但馬の遺跡や博物館や古社を回ったのですが、駆け足だったので詳しくは見られず、こうして動画にしていただくと、とても参考になります
私は古墳にはなるべく墳頂に登り、周囲を見渡して地理を肌で感じ、当時の人々から見た古墳の位置づけを考える様にしています。なので、この動画はとても有り難いです
現地で見ると、地図だけで見ていた感覚とは違うんですよね
そうおっしゃっていただくと大変嬉しいです。肌で感じることの大切さはよくわかります!
僕は丹後に住んでいるので古墳の大きさや、古墳同士の距離感、それらと現在の生活空間との関係などを常に肌で感じることができるのが特権だと感じています。もっと勉強して、地域の歴史について発信できるように頑張ります。
大昔に 岩が鼻在住の背の高い学友と 伊根付近でキャンプを楽しんだ事があります。
付近の小さな村の中に 不審者に注意と呼びかけるポスターが貼られていて 怪訝に思いました。
明らかに 半島または大陸からの密航者を意味しているのだと察しました。
発掘を中止した 古墳の埋葬者は 渡来人である事が歴然とする物証が発見されて 中止となった?
まさかの ユダヤ文明品?!
とても素晴らしい動画、感謝します。とても参考になりました。
古代史を探求していて最近、分かったのですが、出雲・丹後王国の三代の王が日本建国の立役者だったのです。赤坂今井墳丘墓の1号墓は2世紀末の倭国大乱の英雄の日高彦(豊岡市久久比神社祭神久久遅彦、魏志倭人伝の狗奴国の官狗古智卑狗、ムナカタ海人族を束ねる王の襲名)だと推理しています。右腕の玄界灘を支配していたムナカタ族の赤坂比古(和邇氏の祖、卑弥呼の父)が遺体を菊池川付近から運び、葬ったと推理しています。そしてガラスの豪華な頭飾りの4号墳は妃の刺国若比売で、大国主高野御子(日高彦の御子の隠語)の母親だと分かりました。よろしければ詳細は「刮目天の古代史」をご参照ください。次の動画もこれから探して拝見させてください。有難うございました(;^ω^)
ご視聴コメントありがとうございます!そして大変興味深いお話もありがとうございます!久久比神社はよく行くのでまた調べてみます!
@@nacretango さん いいお返事ありがとうございます。お気に入りもうれしい(^^♪
今年の6月に行ってきました。豊岡市や丹後半島は奴国大王スサノヲのゆかりの地なのです。倭国東北一千里のタバナ国出身の新羅脱解王はスサノヲをモデルにしたものですよ(^_-)-☆
久久比神社の祭神久久遅命は棟上げ式の祭神ですので木の霊イタケル、つまりスサノヲの子ですからスサノヲ大王の子孫です。魏志倭人伝の狗奴国の官狗古智卑狗のことなのです。日本書紀は勝者藤原氏の歴史書だと分かれば、芋づる式に謎が解けてきます。よろしければ拙ブログに疑問点など教えて下さい。有難うございました(#^.^#)
こんばんは、丹後と言ったら着物かと思っていましたが、大昔は、ガラスだったんですね、そりゃああれだけ大阪に大きな古墳が残されている所を見ると大昔日本には、力の強い王様がいた可能性がありますね、でそんな不思議な大昔にガラスが作られていたらそりゃあ目をつけられますよね、作った物を献上しろと成りますよね、まぁ権力者と言うのは、今も昔も変わりませんね、
ご視聴コメントありがとうございます!古代の丹後はまだまだ謎が隠されていそうです!
皇系 古事記の正当性において卑弥呼は要らぬ存在で現在もその意思は続いているって感じなのでしょうか 歴史は勝者によって作られる 奥深い内容ですね
ご視聴、コメントありがとうございます。
丹後にはどんな人がいたのか、考古学の今後の研究に期待したいです。
旧唐書にある東鯷国と推定されるあたり、徐福が一族をつれて移り住んだと記録もある。三国時代には中国語を話す人がおり、中国側から呉の属州とみなされていたようです。ヤマトの支配がおよぶころに痕跡が消されていったように思います。
興味深いコメントありがとうございます!
出土品見てみたいです!
ちなみにガラス釧は何年かに一度公開されるみたいなのでチャンスがあればぜひ!
よく見たら電車は青でなく、何かキャラの入った電車ですね😃すいません🙏
丹後鉄道はユニークな車両が多くて楽しいですね。コメントありがとうございます。
仕事しながらだから、音声読み上げが良かったなぁ。涙
休みの日に読み返します。笑
ごめんなさい!なかなか時間が取れなくて字幕だけになりました。ご視聴ありがとうございます!
もう、イマサラですから、ハカアバキは、オヤメニなっても宜しいのでは?
そっとお祀りして大切にその地域の守り神様として末永くソコに座って居られるようになさることが。。。と言っても、遅かった。。。。ンですよね。
実に面白く、参考になる動画でした。一般的に約西暦250年ごろが古墳時代の始まりと言われていますが、大田南古墳群の棺は「石棺」であり、もしかして、縄文、弥生時代は土葬でしたから古墳時代の時代区分が少し遡るかも知れませんね。また、出土したガラス製品、鏡、そして。絹織物に包まれた鏡。絹織物の技術は渡来人の秦氏が日本に伝えたと言われ、秦氏の初期の渡来が西暦200年ごろになるかも知れませんね。因みに、土葬は日本古来の埋葬方法であり、竪穴、横穴など石棺を使ったものは西洋方式だと言われています。
今後の投稿を楽しみにしています。ありがとうございました。
コメントありがとうございます!すごく勉強になります。僕ももっと勉強しなければ。
赤坂今井古墳が
卑弥呼の時代?
動画を作るにあたって調べた範囲では、赤坂今井墳墓の築造は2世紀末から3世紀前半とされているということと、魏志倭人伝によれば239年に卑弥呼が親魏倭王の号を受け取ったということを踏まえていますが、専門家ではありませんし、情報が古くなっている場合もありますので、両者が同じ時代だったとは言い切れません。貴重なご指摘ありがとうございます。
邪馬台国はないのだが‼️
そうなんですか!ご視聴ありがとうございます。