戦後の進駐軍(GHQ兵士)が食べていた食事とは?
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- Опубликовано: 25 сен 2024
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あなたは、戦後の進駐軍がどんな食事をしていたかご存じですか?
長く続いた第二次世界大戦が終わり、敗戦国となった日本は連合国軍によって占領されることになりました。
当時日本に駐在していたGHQの兵士たちは、日本の建物を接収し、日本で生活するようになります。
そんな進駐軍兵士たちは当時の日本人が知らなかった文化をたくさん日本に持ち込んで生活を送っていました。
例えば洋食は明治時代から日本に流入してきたとされていますが、特に戦後の進駐軍をきっかけに日本に広まっていったと言われています。
当時の日本人にとって新鮮だった、アメリカの食生活とはどんなものだったのでしょうか?
この動画は教育を目的としています。
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効果音:OtoLogic
音声:あみたろ amitaro.net/sy...
GHQが食ってた板チョコを見てカッターナイフを思いついた人、偉いよ。
「美味しそう‥‥」で終わらなかったんだから。
私の叔母は当時『英語が話せる』と嘘を付いて進駐軍詰め所で看護婦として働かせてもらっていたそうで、その時に知り合った軍人さんと親しくなり、長い交際期間を経てアメリカに嫁いで行きました
アメリカは西海岸で今でも元気に暮らしています
異人さんに連れられて行っちゃった‥‥
当時はまだ人種差別とかあって苦労したかと思いますが、元気なら良かった😊
@@月野雫-y4q
差別は酷かったそうです。
旦那さんの両親が会ってくれない。
味噌汁を作っていたら臭いと怒鳴り込まれる。
カレーを作ったら香りに誘われて隣人が集まりだしたけど、物を見せたら鍋ごと捨てられたなど、本当に良く耐え抜いたと思います。
今では西海岸でハリウッド俳優たちも通う美容室を営んでいます。
ララ物資って 全部ではないが アメリカ在住の日系人が一生懸命になって集めてくれたものです GHQはそのことを言わなかったようですね
叔母の友達の家には缶詰がたくさんあり食べ物には困らなかったようです。
友達のお母さんは旦那さんが戦死しアメリカ人と付き合っていたようです。ただ近所ではパンパンと言われ大変だったようです。ただ祖父母や叔母はそんな話は気にせずお互い亡くなる迄友達でした。
私の両親(昭和7年と11年生まれ)は漫画ブロンディのなかでブロンディの夫ダグウッドがつくる分厚いダグウッドサンドイッチを見てアメリカの豊かな生活に憧れたそうです。
昭和40年代ですら、田舎の子供はアニメ「ポパイ」の中で登場人物のウィンビーがいつも食べている「ハンバーガー」を、アニメで存在は知っていましたが、食べたことはありませんでした。
敗戦後にアメリカ式の食文化が入ってきて、それまでの洋食が(悪い方向に)変わってしまったと嘆く当時の文化人の言葉が残ったりしてますよね
傷を負わせてバンドエイドを差し出す。
ギブミーチョコレートのイメージが強すぎて日本人はまともにチョコも知らなかった
みたいなイメージあるけど大正時代から大量生産してて珍しい食い物じゃなかったらしいね
流石に食糧難で喜んで食べてたけど
私の母は生涯ハーシーチョコレートが好きでした
私の母は幼少の頃横浜に住んでいて、アメリカ兵は頼まなくても勝手にチョコレートやガムをばらまいていたようです 。
一部を除いた腐れ日本国体とは違いきちんと草の根のマーケティングまで理解してたんだからあの時点では資本主義の勝利が確定
そのチョコレートは米兵によれば「不味くて食べたくない」ものだったようですが。😅
おそらく当時の米軍用チョコレートバーはハーシーズ・トロピカルバーではないかと思います。
勿論現物を食べたことはないのですが、熱帯(トロピカル)でもドロドロに融けてしまわないよう調整されていたようで、食べても口のなかであまり融けず、ニチャニチャした何かになる感じで不味かったそうです。
その後、糖衣コーティングされたエムアンドエムズに置き換えられたとか。
HERSHEY'Sの板チョコは60年代前半には近所で50円で売られてたなあ。当時の50円が子供にとって如何に大金だったか、当然買えなかった。今でもスーパーで売ってるがもっと美味い物を売ってるし今の子供は見向きもしないね。とにかく日本は終戦直後だけではなくそれ以前も十分貧しかった。社会資本の殆どを軍備に回していたからね。おまけに食管法で国民は高いヤミ米に頼るしかなかった。ひどいものです。
60年代半ばには 国産メーカーからいろんなのが出ましたね
50円と言えば CMでも有名になった「エールチョコレート」
自分は少し高かったが「ハイクラウンチョコレート」が好きでした
ハーシーは後味に苦みが残り 好きじゃなかった
@@asaichban9842 70年代に入るころには子供にも買える値段になりましたよね。ハイクラウンは美味かったのでよく買いました。
うちの父親、サンフランシスコ講和条約までチョコレートもチューインガムも食べなかった。
鬼畜の施しが受けられるかって。
当時は国民学校5年生から中学生。
給食が楽なので明治時代に日本海軍でパン食を導入したら「水兵からコメの飯でないと力が出ない。」と不評だったので米の飯が主食となったそうです。
日本陸軍のレシピ本には洋食メニューもあって、コーンスープ、トマトスープなどもありました、カレーは兵役で作り方を覚えてきた人が自宅で作ったりして男性が作る料理だったそうです。
海軍のパン食、洋食は、元々は脚気対策でした。明治15年に脚気対策として洋食を実験的に採用し、明治19年には正式採用されました
鈴木梅太郎がオリザニン(ビタミンB1)を発見しても、脚気=病原菌説が根強かったので、これが脚気に効くと認識されるのには当面先の話です
パン食に慣れない兵士からは不満も出ましたが、パン食を補う副食として米飯も提供されました。また、嗜好品として米を持ち込むことも禁じられていなかったので個人で買って持ち込んでいました。米食が復活するのは様々な実験や生糧品の提供が十分になってきた明治31年の頃です
超おいしそうなサンドイッチ写真だが、実際は新鮮な野菜はそこまで入ってなかったんじゃないか。
チーズ、ハム、マヨネーズ、スパム辺りはメジャーそう。トマトが高価なら、レタスも手に入りにくかっただろう。
せいぜいピクルスぐらい?
小麦の消化酵素も持たず、米を食べてきた日本人に、自国で売れないレベルの小麦や脱脂粉乳を推奨し、GHQが行なった愚策が現代にも影響している事がよく分かる動画
現代の日本人の自分にとって、パスタ、サンドイッチ、ハンバーガーなんて貧相に感じて羨ましいと思わない。
たまに食べることはあるけれど、やっぱり和食が良い。
ワシは日本食より米軍の料理がいい。食あたりしない
生魚とか煮た野菜やコメなんか重くて食えん
進駐軍は優しい
肉類は缶詰か冷凍を運んできたんだろうな。......なんでアメリカってここまで物資豊富なんだろうなw農業大国+国土の割に人口少ないってのはあるのかwレンドリースとか見ると連合軍なんてアメリカにおんぶにだっこ状態。
3:12 そら当然だろ、、何故にネガティブな伝え方、
その衣食住に必要な駐留経費は、餓死者が出ている日本人支払っていたという事実。餓死者を毎日何百人も出している国で、その国民の金で食べるハンバーガーやビールはさぞかし美味だったろうな。😅
うp主もその話を知っているから、言葉の端々にトゲがかくせないのかも。😢
2:44は恵まれすぎたケースだろ、、