Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
85年以降からたいした補強もしなかったのも原因の1つで、キーオこそ後暗黒時代にもっとも活躍した投手でもあった
1985年以降、柏原に田尾や金森など、そこそこの年齢の選手を若手と交換したのは・・・焦ったたんでしょうね
ズームイン朝での辛坊治郎さんの「なんぎやなあ」がその年の流行語になりましたね。
ラン黒ことハイハイ敗かぁ…。名曲なんだけどあまり聞きたくは無いなあ😅
やはりシーズン前に主力メンバーのトラブルはシーズンに影響してしまいますね。特に掛布の飲酒運転は球団だけでなく親会社の幹部も激怒していましたね。やはり阪神は公共交通機関の会社なので相当な物だったと思います。
それにしても、「大馬鹿」「欠陥商品」は大人げない。
小学生だったけど夏までは必ず巻き返してくれると言って応援してた。 秋に親からこんなチームに期待するほうが間違ってると言われて2年前は打ちまくってくれたから大丈夫もあの時はたまたまみんな良かっただけと言われてショック受けた覚えがある
名前だけ見たら凄い打線
2005年に阪神が2年ぶりに優勝した際にはある週刊誌に巨人に取って代わって球界の盟主になるみたいな見出しがあって私は中日ファンだったけど“あり得る”と思ったのを覚えてます。2002年に星野が改革を起こしてからは本当に変わったように強くなりましたよね。
2005年阪神タイガース佐野監督,山内ヘッドコーチ,下村投手チーフコーチで最強チームを作り上げる。歴代パリーグ最優秀選手
フロントの意識改革が身を結んだのも一因。これはパ・リーグのオリックスにも言える。資金は潤沢だがその使い方を誤っていた。無責任、弱気な姿勢だったフロントを変えた面々の功績は計り知れない。関西二球団が更なる発展を目指し讀賣やソフトバンクに代わって盟主となる雰囲気は大いに感じられる。特にタイガースは少なくとも今年から5連覇を果たして読売に次ぐリーグ優勝10回を決めましょう(因みに現在中日、広島東洋、東京ヤクルトがセ・リーグ優勝回数9で並んでいる……)。
4月の低迷も痛かったが、5月にホーナーにやられたのが大きかったな...
ホーナー、懐かしいですな!
この年の甲子園のオールスターで西武の吉竹が凱旋して、打席は1打席だけだったんですが物凄い声援でした、左の成長株の前田投手も放出してしまったのも育成放棄かと思った。
解説の村山さんの予言が的中していたんだな
キーオはいい助っ人だったなぁ。
特に巨人はキーオに苦しめられてしまいましたね。
しかいなかった。
あの時代の阪神で2ケタ勝利はすごい。
85年に来日してたら、勝ち負け逆転してたはず。
カーブが凄かったですよね✨
吉田監督の後任の村山監督は、若手の育成に尽力しましたね。和田、八木、大野、中野等の若手野手を積極的に起用していました。
結果的にやはり前年、掛布のデッドボールの時点で暗黒時代がスタートしてたんやなぁ…
それより、この年からのストライクゾーン変更を軽視したツケ。
@@成哉内田せめてその変更がなければ…
実はこの年甲子園球場で一番客入ったイベントは浅香唯コンサートと甲子園ボウル(アメフト)特に甲子園ボウルは阪神の大不振で負った大赤字を埋め合わせるため、電鉄は必死に宣伝してましたね。9月には阪急に観客動員で負け、これが吉田義男監督解任の決め手になった。
その浅香唯は、バリバリの巨人ファン(宮崎県出身)という皮肉。
忘れない忘れない時間の海超えても〜🎶
この年は阪神の陰に隠れて目立たないが、南海があわやAクラスどころか優勝争いに加わった年でもある。
9月以降に5連敗を2回して脱落、結局4位
@@patapata2259様。門田さん曰く「マラソンで前半飛ばして後半失速するチーム」だったとか。前年2位の近鉄がベテランの衰えや首脳陣の不協和音もあって最下位転落、岡本監督は辞任して仰木体制へ。
この戦力だったのに最下位に低迷したはショックだ。酷かった。
当時の阪神は確かにチームの雰囲気が悪く竹之内コーチは衝撃的でシーズン途中はなかなかありません田尾は中日が放出したのは正解で星野監督だったら喧嘩ばかりしていました投手は弱く池田、伊藤、嶋田投手も勝てなくなり最下位低迷は当然で今の中日と違い客は来なくなりました本当に悲惨な入りでした。
阪急に観客動員で負けたからね。私のいた河原町管区でも大入り袋出た位
同じ年のPLは春夏連覇したが、この年に限れば阪神よりPLの方が人気だったんだろうか
掛布雅之氏の骨折でスイングの起動に狂いが生じて、他球団からのマークがきつく研究されてましたね。和田豊氏をもっと早くから使っていれば良かったんだけど吉田義男氏が自分でドラフトで指名した選手への切り替えの決断が出来なかった。
✘起動〇軌道
真弓の成績悪くないよな
真弓は1985年と首位打者取った1983年が出来過ぎで基本はこれくらい。掛布岡田の落ち込みが酷かった
出塁率が.334だからね
@@patapata2259 たまにサードに和田入れて、真弓3番あたり打たせたら少しは勝っていたように思うね。掛布・岡田を固定しすぎ。
コーチ陣の対立も目立ちましたね。仲田幸司の指導方法を巡り、野村収コーチと新山コーチ対立
後は吉田監督と竹之内打撃コーチも対立した。
@@むすび丸2代目 竹之内さんは後にダイエーでも田淵監督と対立して辞められましたね。
@@こっしー-j3p さん。そうでしたね。開幕してすぐに。それも田淵と竹之内は選手時代交換トレード相手出し。
@@むすび丸2代目 竹之内さんはコーチ不向きでしたね。
新山コーチは南海時代退場処分受けている。2000年に逝去していた。
掛布、バース、岡田が揃って規定打席に到達したのは、85年のみ。この3人が揃った年がもっとあれば、と思ってしまいます。
3人揃って達したのが85年のみってのは意外でしたね
1987年(最下位)も3人とも規定打席に達しています。ただし、掛布が.227(33人中32位)、岡田が.255(27位)ととんでもない成績。バースも三冠だった前年よりは落ち、.320で7位。
そうだったのですか!87年は、掛布選手が、故障と不振で規定打席には達していないと思い込んでいました。
本日アレを達成しようとしている今、コレを観ているのは私だけでしょうか❓
今まさに岡田監督が『新しい血』と言っている理由がわかります同じメンバーで、情で使い続けて暗黒期に突入したのを選手の立場で経験したからこそ、監督としてその危機感を持っているのでしょうそれでも他球団からの血の入れ替えではなく自前の選手で血の入れ替えを行なう生え抜き至上主義は、来季にどう響くのか見ものです。
今の阪神と照らし合わせたら真逆のチームだったんだと思う。打てないなりにも創意工夫して一点を泥臭く取る阪神の野球はなかなか。
平成17年の優勝以来、やっと今、マジック点灯した。でも、油断大敵。決して打線が爆発しているわけではないし、投手陣も多数いるが、継投が多い。あの1985年の優勝時はホ-ムランバッタ-4人いたから、4人敬遠しても1点が入るほどの猛虎打線ではない。岡田監督は現役時代優勝し、監督としても優勝経験があるから、なんとかうまく使いこなし、ここまできた。特に連投の抑えの岩崎選手の疲れがでない内に早くマジックを減らすこと。岡田監督は監督時代に最後の年に優勝間違いなしの時に故障者が続出し、貯金がなくなり、3位に終わった失敗も経験してるから、決して楽観していないはすだ。上位にいながら後一歩足らないのは打線の安定がないからだ。サトテルも今年は勝負の分かれ目になる。打線は真弓監督時代に活躍した外人ブラゼルなんかいたらいいと思う。
野球はピッチャーを育てる事が大事です。1987年は掛布の不調が原因で最下位に終わりました
バースが320.37本打っても79打点、いかに他が出塁出来てないか。
この年の1番真弓の出塁率は .334
バースはまだいいけど、他のメンバーが軒並み成績を下げるってある意味スゴイな。特に掛布と岡田の成績は救いようがないぐらい酷いし、田尾も完全に中日時代の輝きを失ってた。2001年の近鉄もだけど、投手力が弱くて打線が爆発して優勝するチームってなかなか連覇出来ないな。
バースはまだ良かったですが、そのバースを囲む選手たちが軒並み不調でしたね😓
掛布は手首骨折で終わったと思えた岡田は股裂故障が原因?
山賊打線の西武ほんとによく連覇できたな。まあCSボッコボコで日本シリーズから1番遠のいてる球団になってしまっているが
掛布は優勝翌年斎藤学にぶつけられて選手生命は終わった
2002年の近鉄は8月まで西武と優勝争いをしていたが、直接対決の時に大逆転負けを喫してしまい、そこから失速していった。
この年のキャンプの過ごし方が、スゴク緩すぎたはず。
Bクラスはともかくダントツ最下位なんて予想できないよなぁ。あの日本一のわずか2年後で。
広島で9表まで5-0リードなのに9ウラだけで6点奪われサヨナラ敗戦この日から8連敗したよそして130試合制とはいえオールスターまでに20勝未達
士気の落ち方がエグかった…
1987年から2001年まで暗黒時代になるけど、1992年に終盤まで優勝争いして2位、その後も4位4位と頑張って1度は低迷期を抜け出したと期待しましたが…本当の暗黒時代は1995年からだと思います。神宮のヤクルト戦応援に行ったら、石井一久に1安打完封されてメガホン一斉グラウンド投下に、選手監督に対するヤジ罵倒の嵐でした。今みたいにスマホがなくて携帯の動画もほとんどアップされてないけど、とにかく殺伐としてましたね。
同意ですね若手に切り替わってきた92~94年で暗黒を完全に脱しておかないといけなかった。亀山、新庄がガクンと成績落としたのが痛かった。
@@susin49A野田・松永のトレード失敗も大きかった
名前だけ見たらどうやっても優勝しかできない打線
強力打線が弱体投手陣をカバーする野球は長続きしませんね。01年の近鉄然り。03年のダイエーは打線だけでなく投手陣もしっかりしていたんでその後もパの強豪球団になり得た。
1987年は最低勝率331。
江本孟紀が阪神日本一について、「ああ、選手が勝手に動いただけですから」
それは違いますね。少なくとも弱小投手陣をやりくりしたのはヨッさんであることに異論はないと思う。
阪神は選手もファンも調子に乗りやすいんやな気を引き締めないとね
私は85年日本一になった時に阪神ファンになりました。当時は、まだ16歳でしたが😥暗黒時代に入ってから長い間プロ野球には興味が無くなりましたね😢今は阪神も若手主体になって来て楽しみも増えたし、また試合観るようになりましたね😊
失礼ですが、また阪神に暗黒時代が訪れても見捨てないで下さい!俺だってどんなに弱体化しても巨人を見捨てません!
@@柳谷慈彦 長年阪神ファンやってますので耐性出来てるから大丈夫ですよ😊暗黒時代も経験してますし見捨てたりはしないですよ👍
@@ナカ-g6tさん、それでこそ真の阪神ファンです!
柏原は86年はめっちゃ打ったのになあ。
打線は水物ですね。強打者が周辺にいれば自ずと他も引っ張られて打率が上がります。
「監督たちの戦い」という本によると、この時の吉田監督は、コーチ陣の刷新をフロント側が求めたがそれを拒否して自らも辞任した、と書かれていたね。でも実際はそれが口実で嫌気がさして辞めてしまった、という印象だなぁ…
フロント陣も最下位はまだしも阪急ブレーブスに観客動員で負けたのは前代未聞!と言う理由で辞めさせようと(実は第一次吉田監督の後任だった後藤監督も同じ理由で解任)してたからね。
一つ突っ込ませていただけるなら、仲田幸司が34番付けたのは翌年(村山政権一年目)から
面白い、動画でした。流石❗タイガース⁉️
そんな中で二桁勝利をあげていたキーオはアッパレでしたね👏もっとも黒星もそれなりにありましたが。
チ一ム全体が機能してない為に投手が最小失点で投げてても打線が繋がらない、打線が繋がれば投手が大量失点を献上する悪循環。まさに牙を抜かれた駄目虎でした。
中西は功労者でしたね。
借金が40以上あるなかで負けが2つ多いだけなのは15勝以上の価値があります。
星野監督と金本が偉大すぎる
やはり投手を中心とした守りがしっかりして、チーム内の競争が激化しないと常勝軍団にはならない。今はその下地が出来ているし、スカウトもバランスのく獲得してるので、暗黒時代の教訓は生きている。
のく → 良く
暗黒時代の阪神の弱さはTBS横浜、暗黒オリックス、創業期楽天の比ではないと思う
どう考えても創業期楽天よりは強いでしょ…なんなら横浜よりも少しは…
この年(1987年)の明るい話題と言えば、バースのベストナイン&平田のGグラブ賞くらいでしたね😰
シーズン前の順位予想、今年と同様に高かったのが87年。上岡龍太郎はオールスター打線ですなとご満悦。小林繁も、打の阪神と投の広島の争いて楽しみ等等……色々原因はあるでしょうが、今振り返って、最大の原因は2番中堅に期待した田尾の大不振ではないかと思う。
田尾に関しては、西武時代も成績悪かったから、期待するほうもどうかと、今になれば思いますね。
田尾については、西武の水に合わなかっただけでセ・リーグの阪神に来れば中日時代の打撃が甦ると思われていた。
@@フェリックス三世 さま 森祇晶監督と合わなかったと聞いております。
@@佐藤智樹-m9o その前の監督・広岡氏の悪口も結構言ってるw
村山監督とも衝突してたよね。
前年が3位で、掛布が怪我から復活すれば行けるという感じは、ありましたが、(当時中二)大人になり、冷静に見ると、若手の育成が出来ていない、伸びしろのあった吉竹の放出、一昨年の事よりの慢心、投手陣の崩壊、首脳陣間の不穏様々な事が重なり、起きてしまったのだと思います。熱烈な阪神ファンでは、ありませんでしたが、真弓、バース、掛布、岡田、佐野、弘田、平田の打線が、好きだったので非常に残念でした😢プロ野球チームは、職場の人間関係、体制、成績等同じ所もあるため、実社会でも起こりうる事として気をつけていきたいと思います。
掛布は日本一85年次も、チャンスに弱いイメージしかなかったな。江川に対して強かったとはいっても、それは80年代前半ぐらいまでで、ミスタータイガースは紛れもなくバースだったね。
最後の黄金期と言ったのは無理だと思うな・・・今まで阪神の黄金期は無かったし・・・野村でさえ無理だったもんな・・・死のロードがかなりの負担だろうしな!
00年代は黄金期と言っていいくらい強かったろ
ベイスターズは1998年に日本一になり2002年から2011年まで長い暗黒だった⤵️改めて優勝おめでとうございます㊗️🎊
柏原さん、ダンカンさんに雰囲気が似ているように思いました。ホーナーショックは、当時高校生だった私も驚愕しました。
1986年絶好調池田親興が巨人松本に足を踏まれてからなかずとばすになったのも大きいよ。
あそこからだったか…暗黒への扉は。😢
足踏まれたくらいでどうこうあるかよw
@@Ouiu350それから登録抹消、その後精細欠いたが。ダイエーでリリーフとしてちょっと活躍したが、1986年のあれまでの切れもなにもなくなった。
@@Ouiu350足踏まれたくらいって腱やらやってしまうだよ、一塁に駆け込んでいく足踏まれるんやで。
1986年の開幕戦の大洋戦で3連敗喫した時点で暗黒期の始まり。
真弓は頑張ってた
まぁ真弓とバースはそれなりに頑張ってはいたのですが…。
チーム内で高齢な二人が頑張ってて、もっと若い他が軒並みアレじゃなぁ。そらまぁああなるわ😢
みんな頑張らないと駄目です。
平田も
キーオも。
要因2は、1985年でも若手をよく使っていたが。
監督が吉田の後に村山、藤田平、中村、そして吉田に戻るという暗黒リレー
キーオは及第点とサラリと言うがとんでもない。暗黒時代じゃなければ毎年20勝前後しちゃいそうな投手だったですぞ。85年を知る者としてはまさに「勢い」が実力を後押ししたと思うね。
某アニメの如き「乗りと勢いだけ 」に過ぎなかった。(今季もその兆候が出ていた)やくみつるの当時の漫画でも「不慮の優勝」と書いていたし。
借金42。42という数字が縁起悪い。だから低迷期が長かったし、今も勝ち切れないし優勝出来ないんだよ。
やはり投手力、投手力は全て救う( ー`дー´)キリッ
平成4年は頑張ってるね
その2年後にフィルダーが来て期待されながらも怪我の為帰国し5位に終わるが91年のファン感謝祭でたけし軍団と野球の試合して負けた事に対してそれでもプロか?とファンから叩かれた事を思い出されるね。
たけし軍団はロッテにも勝ったけどな…
阪神ファンには申し訳ないけど、阪神は勝敗の浮き沈みが激しいチームだなと思ってしまう。
確かこの年の阪神タイガース対読売ジャイアンツが甲子園球場で開催された時、読売ジャイアンツが阪神タイガースに最終回阪神タイガースの守備妨害でゲームセットになり勝った試合が有ったと記憶してます。
人間って、生き物だからね。時が流れると同時に衰えるもんなんだよ。
やっぱ掛布雅之の飲酒運転が全ての転落の始まりだった!!😢
平田さんも入れて下さい。平田さんが居たからいま名前が上がってる方々が活躍できたのですから。🥺
86年の印象があまりに強すぎるせいで、87年の空気っぷり、88年のバース退団や球団代表の急死とのあまりの落差に戦慄をおぼえた記憶がある
村山は和田などの若手を起用してるのに対し掛布、岡田の再生を怠ったため掛布が引退してしまった村山はバース退団後に掛布ファースト、岡田サードをやろうとしなかった
やはり、投手層が薄く、打線頼りのチームは強さが長続きしませんよね。
確かこの年のオールスターで落合が牛若丸の目の前で「この中に阪神の勝率より低い打率の奴いるの?」って言ったんだよね(笑) で、衣笠が「俺」って挙手したんだよね(笑)
キーオでしか勝てなかったことがよく覚えています
恐ろしいほどの守備軽視。そもそも峠の過ぎたベテランばかり集めてどうするのかと
日本一まで達成したことで燃え尽きて、さらに箍が外れてしまったんだろうな。87年はとても野球を見る気になれなかった。41勝83敗6分。勝率(.331)が首位打者の打率(.333)より低かったんだからな。
今のベイスターズが当時の阪神と似ているような。(野手の高齢化、若手が台頭してこないなど)
85年も「若手が出て来るわ出て来るわ」と大はしゃぎしていたが、以降はあのザマ。今季の若手「台頭」も単年度で終わりそう。
年月と共に選手の衰え、打撃陣で投手陣を支える野球に固執した部分が凋落に繋がったと思います。その後、甲子園からラッキーゾーンが撤去され、一時的に投手力が回復しましたが、組織全体の立て直しに労力と時間を費やしました。特にバースの解雇に至らせた当時の久万俊二郎オーナーの独善は、目に余る愚行に映りました。久万俊二郎を退場に追いやれたのは、皮肉にも外様で現役時代は中日ドラゴンズ一筋の星野仙一氏でした。打撃陣で投手陣を援護する野球、元近鉄残党の俺は、2001年の最後のリーグ優勝で目撃しました。あの代打サヨナラ満塁逆転本塁打、覚えてますよ。
誰が代打サヨナラHR打ったの??
2000年に阪神からトレード移籍した北川博敏選手です。
吉田の頑固さがチームを崩壊に導いたような印象だった。竹之内コーチは、代打は実績のあるベテランを起用すべきと進言したが、吉田監督は頑として聞かず八木などの若手を起用した。当然ながらあっさり凡退し、吉田と竹之内の確執は激化。竹之内はコーチ辞任。フロントは竹之内に同情的で、なんとか仲裁を試みたが吉田は拒否。一蓮托生の布陣でいきたかったようだが、結果はイエスマンで固めたいだけだった吉田。そりゃチームも弱くなるよ。
前年まで投手コーチだった米田さんを塵芥の如く冷遇したからね。
土台作りと言うた1年目が派手な建前になって次を担う若手を軽視しベテラン偏重になり過ぎた村山就任時の戦力ときたら寂しすぎた
ヨッサンは向こう系だからね。金本といい向こう系は、調子良い時は良いけど、ガタッとくると金本の藤波の酷使といい意固地になるイメージあるな。
@@majeeptueao7280✘藤波〇藤浪
太平洋クラブライオンズ竹之内雅史,ライバルロッテオリオンズ佐藤和実
油断以外何ものでもない
ハッキリ言って浮かれ過ぎですよね。
今の中日よりひどいなあ~
なんで吉田は後の和田、大野、中野の少年隊という若手を抜擢しなかったんですかね田尾、柏原などのピークが過ぎた選手をなんで補強したんですかね北村、平田もピークが過ぎたんですかね
主力選手がほぼ同様なメンバーで日本一を何度も成し遂げたV9時代の巨人や森監督時代のライオンズは投手陣も良かったからアレだけ勝てた。そこをいくと、やはり打線は水モノなのか、調子狂うと弱体投手陣をカバー出来ないから辛いよね。85年のバックスクリーン三連発に代表されたお祭り騒ぎ状態から脱却出来なかった在阪マスコミや虎党にも責任の一旦はある。
田尾柏原も全盛期過ぎてる。他の選手は2年で選手は大きく老けたんだよね。
掛布が怪我してからおかしくなったんとちゃうか?と思う。翌年バースと掛布がチームを去るのであった。
なので、2人を追い出した村山実が暗黒時代を確定させた真の戦犯。正直彼の永久欠番は剥奪してほしい。選手としては一流でも史上最悪の監督だから。
今岡田監督が口酸っぱく若返りを唱えている理由が分かりました。
12:18要員⑤ 1987年3月28日付日刊スポーツ新聞の見出しによりますと先に交通違反に引っ掛かったのが掛布で、この時は酒気帯び運転で現行犯逮捕(但し別の新聞では「掛布、飲酒運転で逮捕」と記載)。続いてこれもやはり先程の日刊スポーツ新聞の見出しによりますと、バースは新米投手キーオ同乗で球場へ急ぐ途中にスピード違反に引っ掛かってしまい、8000円の反則金を請求されたのでした。
そうなんですね。詳細をありがとうございます。酒気帯び運転は現代でしたら大変な事になっていたでしょうね。
@@kyukai_kawaraban おはようございます。ここで補足があります。まず最初に掛布氏は1987年3月22日㈰、知人の結婚披露宴に出席した帰りに名神西宮料金所で検問に引っ掛かったことにより酒気帯び運転だったことが判明したため、その弾みで現行犯逮捕されたものです。続いてバース氏。その5日後の3月27日㈮、以前にもカキコした通り新米投手キーオ氏同乗で球場へ急ぐ途中にスピード違反で検挙され、さらに反則金8000円を請求されたのでした。
この打線でも今の阪神投手陣なら優勝できる
どこのチームでも強い時代弱い時代はある阪神の暗黒は久万オーナーや吉田監督の戦略ミスが大きい。バブルだったが阪神沿線はもう既成都市だったことが開発余地がなくしかも大型事業も無かった。選手の戦略もだがパリーグの関西私鉄系球団と違い放映権料ビジネスモデルもあって身売りも無かった。ただ、この前の日本一はあったが年齢構成が85年と比べ若いと言う年齢構成もあった。今は中日の暗黒時代で巨人も阿部の戦略次第では暗黒期に入る恐れもある。放映権料というビジネスモデルが崩壊している時点で巨人の低迷は少なくともと思うが。
土台作りと言いながら様々な要因があって結局はベテラン起用せざるを得ない当時の状態だったのかな?
今度はしばらく強そうですね。
それまで最下位1回しかしなかったチームが最下位が指定席に⤵️
1987年の阪神は1975年の巨人と酷似している。巨人は1965年から1973年までの9年間で9年連続日本一の不滅の金字塔を打ち立てたが、その間連覇に拘るあまり若手の育成を怠り世代交代に失敗。川上の後を引き継いだ長嶋が悪戦苦闘する羽目になる。就任1年目の1975年には球団史上初の最下位に転落している。長嶋政権下での日本一奪回はならなかったがこの間2度のリーグ優勝を果たし、長嶋の後任の藤田の就任一年目である1981年には念願の日本一奪回を果たす。1973年のV9達成の翌年の1974年から1981年の8年間でリーグ優勝3回日本一1回でBクラスに転落したのは僅か2回であった。V9が終わった後の世代交代期を切り抜けた巨人は1981年から1990年までの10年間は一度もBクラスは無く、リーグ優勝5回日本一2回と成績面では名門球団の面目を保ち続けた。一方阪神は1987年最下位に転落して以降殆どのシーズンがBクラス、優勝した1985年の翌年の1986年から2003年まで18年間優勝から遠ざかることになる。就任2年目で阪神を18年ぶりのリーグ優勝に導いた星野仙一は就任の際に久万オーナーに「タイガースがこれほど長く低迷したのはあなた方のせいです」と面と向かって言ったそうです。阪神という球団の問題点を的確に把握し再建する術を持っている監督に出会えるまでかなりの時間を要しました。
巨人は最下位の年にあっても小林・新浦を我慢強く使い、主力投手に育てたことは大きかった。翌年は張本・加藤初といったトレードが大成功、高田のサードコンバートもはまり、みごとに最下位からの優勝。阪神は翌年、バースの退団騒ぎもあり、ますます混迷に....
@@patapata2259バースの問題絡みで当時の球団社長が飛び降り自殺していた。
こんなこというのもあれだけど安藤さんの後西本幸雄さんの招聘に成功していれば暗黒時代は来なかったんではないですか?
@@ミスター-e5u 西本さんには断られたんですよ。西本さんは「阪神の監督なんて危険手当でも貰わんとやっとれん」って言ってたそうです。
@@クレイジーキッド さんありがとうございます。そうなんですか。ところで野村さんの後の監督が星野さんじゃなく仰木さんだったら阪神優勝してましたかね?
今年負けに負けまくってる西武ですら今20勝到達したところだし、オールスターまでに19勝しかしてなかったこの年の阪神がいかに凄まじい負けっぷりだったかがわかる
掛布は連続デットボールで選手生命断たれた見てきたように語ってるが事件内容は週刊誌レベルで信じなくていい
勝率331とか酷すぎ。せめて334にしろよ。
5:54 オールスターまでに19勝54敗で借金35は、今年の西武より酷いな。
本来ならまた日本シリーズで黄金時代の西武🦁に勝てたはず
阪神は優勝すると異常にちゃほやするからマスコミ
掛布と岡田が打てなかったのがきつかった。仲田幸司が頑張っていたけど、池田も冴えなかった。
翌年5月行田尚紀近鉄バファローズへトレード,中谷忠己とともに。90年オフ池田親興福岡ダイエーホークスへトレード 91年近鉄バファローズ行田尚紀と福岡ダイエーホークス池田親興の最優秀救援投手争いで阪神時代の僚友対決
今振り返れば阪神は最弱から最強に変わりました。岡田監督のおかげです
田尾や柏原が阪神にいたんやな⚾?
村山は吉田とは犬猿の仲
1985年の打線が中堅とベテランが中心だったのに目先の勝利に目が眩んで次世代の育成を全く行わなかった吉田監督が悪い
この2年前は傍若無人の振る舞いしていた阪神ファンがすっかりおとなしくなってしまったのには、もう毎日が飯ウマでした。
85年以降からたいした補強もしなかったのも原因の1つで、キーオこそ後暗黒時代にもっとも活躍した投手でもあった
1985年以降、柏原に田尾や金森など、そこそこの年齢の選手を若手と交換したのは・・・焦ったたんでしょうね
ズームイン朝での辛坊治郎さんの「なんぎやなあ」がその年の流行語になりましたね。
ラン黒ことハイハイ敗かぁ…。名曲なんだけどあまり聞きたくは無いなあ😅
やはりシーズン前に主力メンバーのトラブルはシーズンに影響してしまいますね。特に掛布の飲酒運転は球団だけでなく親会社の幹部も激怒していましたね。やはり阪神は公共交通機関の会社なので相当な物だったと思います。
それにしても、「大馬鹿」「欠陥商品」は大人げない。
小学生だったけど夏までは必ず巻き返してくれると言って応援してた。 秋に親からこんなチームに期待するほうが間違ってると言われて2年前は打ちまくってくれたから大丈夫もあの時はたまたまみんな良かっただけと言われてショック受けた覚えがある
名前だけ見たら凄い打線
2005年に阪神が2年ぶりに優勝した際には
ある週刊誌に
巨人に取って代わって球界の盟主になる
みたいな見出しがあって
私は中日ファンだったけど
“あり得る”
と思ったのを覚えてます。
2002年に星野が改革を起こしてからは
本当に変わったように強くなりましたよね。
2005年阪神タイガース佐野監督,山内ヘッドコーチ,下村投手チーフコーチで最強チームを作り上げる。歴代パリーグ最優秀選手
フロントの意識改革が身を結んだのも一因。これはパ・リーグのオリックスにも言える。資金は潤沢だがその使い方を誤っていた。無責任、弱気な姿勢だったフロントを変えた面々の功績は計り知れない。関西二球団が更なる発展を目指し讀賣やソフトバンクに代わって盟主となる雰囲気は大いに感じられる。特にタイガースは少なくとも今年から5連覇を果たして読売に次ぐリーグ優勝10回を決めましょう(因みに現在中日、広島東洋、東京ヤクルトがセ・リーグ優勝回数9で並んでいる……)。
4月の低迷も痛かったが、5月にホーナーにやられたのが大きかったな...
ホーナー、懐かしいですな!
この年の甲子園のオールスターで西武の吉竹が凱旋して、打席は1打席だけだったんですが物凄い声援でした、左の成長株の前田投手も放出してしまったのも育成放棄かと思った。
解説の村山さんの予言が的中していたんだな
キーオはいい助っ人だったなぁ。
特に巨人はキーオに苦しめられてしまいましたね。
しかいなかった。
あの時代の阪神で2ケタ勝利はすごい。
85年に来日してたら、勝ち負け逆転してたはず。
カーブが凄かったですよね✨
吉田監督の後任の村山監督は、若手の育成に尽力しましたね。
和田、八木、大野、中野等の若手野手を積極的に起用していました。
結果的にやはり前年、掛布のデッドボールの時点で暗黒時代がスタートしてたんやなぁ…
それより、この年からのストライクゾーン変更を軽視したツケ。
@@成哉内田せめてその変更がなければ…
実はこの年甲子園球場で一番客入ったイベントは浅香唯コンサートと甲子園ボウル(アメフト)
特に甲子園ボウルは阪神の大不振で負った大赤字を埋め合わせるため、電鉄は必死に宣伝してましたね。
9月には阪急に観客動員で負け、これが吉田義男監督解任の決め手になった。
その浅香唯は、バリバリの巨人ファン(宮崎県出身)という皮肉。
忘れない忘れない時間の海超えても〜🎶
この年は阪神の陰に隠れて目立たないが、南海があわやAクラスどころか優勝争いに加わった年でもある。
9月以降に5連敗を2回して脱落、結局4位
@@patapata2259様。
門田さん曰く
「マラソンで前半飛ばして後半失速するチーム」
だったとか。
前年2位の近鉄がベテランの衰えや首脳陣の不協和音もあって最下位転落、岡本監督は辞任して仰木体制へ。
この戦力だったのに最下位に低迷したはショックだ。
酷かった。
当時の阪神は確かにチームの雰囲気が
悪く竹之内コーチは衝撃的で
シーズン途中はなかなかありません
田尾は中日が放出したのは正解で
星野監督だったら喧嘩ばかりしていました
投手は弱く池田、伊藤、嶋田
投手も勝てなくなり最下位低迷は
当然で今の中日と違い客は来なくなりました
本当に悲惨な入りでした。
阪急に観客動員で負けたからね。
私のいた河原町管区でも大入り袋出た位
同じ年のPLは春夏連覇したが、この年に限れば阪神よりPLの方が人気だったんだろうか
掛布雅之氏の骨折でスイングの起動に狂いが生じて、他球団からのマークがきつく研究されてましたね。和田豊氏をもっと早くから使っていれば良かったんだけど吉田義男氏が自分でドラフトで指名した選手への切り替えの決断が出来なかった。
✘起動
〇軌道
真弓の成績悪くないよな
真弓は1985年と首位打者取った1983年が出来過ぎで基本はこれくらい。
掛布岡田の落ち込みが酷かった
出塁率が.334だからね
@@patapata2259 たまにサードに和田入れて、真弓3番あたり打たせたら少しは勝っていたように思うね。掛布・岡田を固定しすぎ。
コーチ陣の対立も目立ちましたね。
仲田幸司の指導方法を巡り、野村収コーチと新山コーチ対立
後は吉田監督と竹之内打撃コーチも対立した。
@@むすび丸2代目 竹之内さんは後にダイエーでも田淵監督と対立して辞められましたね。
@@こっしー-j3p さん。そうでしたね。開幕してすぐに。それも田淵と竹之内は選手時代交換トレード相手出し。
@@むすび丸2代目 竹之内さんはコーチ不向きでしたね。
新山コーチは南海時代退場処分受けている。2000年に逝去していた。
掛布、バース、岡田が揃って規定打席に到達したのは、85年のみ。この3人が揃った年がもっとあれば、と思ってしまいます。
3人揃って達したのが85年のみってのは意外でしたね
1987年(最下位)も3人とも規定打席に達しています。ただし、掛布が.227(33人中32位)、岡田が.255(27位)ととんでもない成績。バースも三冠だった前年よりは落ち、.320で7位。
そうだったのですか!87年は、掛布選手が、故障と不振で規定打席には達していないと思い込んでいました。
本日アレを達成しようとしている今、コレを観ているのは私だけでしょうか❓
今まさに岡田監督が『新しい血』と言っている理由がわかります
同じメンバーで、情で使い続けて暗黒期に突入したのを選手の立場で経験したからこそ、監督としてその危機感を持っているのでしょう
それでも他球団からの血の入れ替えではなく自前の選手で血の入れ替えを行なう生え抜き至上主義は、来季にどう響くのか見ものです。
今の阪神と照らし合わせたら真逆のチームだったんだと思う。打てないなりにも創意工夫して一点を泥臭く取る阪神の野球はなかなか。
平成17年の優勝以来、やっと今、マジック点灯した。でも、油断大敵。決して打線が爆発しているわけではないし、投手陣も多数いるが、継投が多い。あの1985年の優勝時はホ-ムランバッタ-4人いたから、4人敬遠しても1点が入るほどの猛虎打線ではない。岡田監督は現役時代優勝し、監督としても優勝経験があるから、なんとかうまく使いこなし、ここまできた。特に連投の抑えの岩崎選手の疲れがでない内に早くマジックを減らすこと。岡田監督は監督時代に最後の年に優勝間違いなしの時に故障者が続出し、貯金がなくなり、3位に終わった失敗も経験してるから、決して楽観していないはすだ。上位にいながら後一歩足らないのは打線の安定がないからだ。サトテルも今年は勝負の分かれ目になる。打線は真弓監督時代に活躍した外人ブラゼルなんかいたらいいと思う。
野球はピッチャーを育てる事が大事です。
1987年は掛布の不調が原因で最下位に終わりました
バースが320.37本打っても79打点、いかに他が出塁出来てないか。
この年の1番真弓の出塁率は .334
バースはまだいいけど、他のメンバーが軒並み成績を下げるってある意味スゴイな。
特に掛布と岡田の成績は救いようがないぐらい酷いし、田尾も完全に中日時代の輝きを失ってた。
2001年の近鉄もだけど、投手力が弱くて打線が爆発して優勝するチームってなかなか連覇出来ないな。
バースはまだ良かったですが、そのバースを囲む選手たちが軒並み不調でしたね😓
掛布は手首骨折で終わったと思えた
岡田は股裂故障が原因?
山賊打線の西武ほんとによく連覇できたな。まあCSボッコボコで日本シリーズから1番遠のいてる球団になってしまっているが
掛布は優勝翌年斎藤学にぶつけられて選手生命は終わった
2002年の近鉄は8月まで西武と優勝争いをしていたが、直接対決の時に大逆転負けを喫してしまい、そこから失速していった。
この年のキャンプの過ごし方が、スゴク緩すぎたはず。
Bクラスはともかくダントツ最下位なんて予想できないよなぁ。あの日本一のわずか2年後で。
広島で9表まで5-0リードなのに
9ウラだけで6点奪われサヨナラ敗戦
この日から8連敗したよ
そして130試合制とはいえ
オールスターまでに20勝未達
士気の落ち方がエグかった…
1987年から2001年まで暗黒時代になるけど、1992年に終盤まで優勝争いして2位、その後も4位4位と頑張って1度は低迷期を抜け出したと期待しましたが…
本当の暗黒時代は1995年からだと思います。神宮のヤクルト戦応援に行ったら、石井一久に1安打完封されてメガホン一斉グラウンド投下に、選手監督に対するヤジ罵倒の嵐でした。今みたいにスマホがなくて携帯の動画もほとんどアップされてないけど、とにかく殺伐としてましたね。
同意ですね
若手に切り替わってきた92~94年で暗黒を完全に脱しておかないといけなかった。
亀山、新庄がガクンと成績落としたのが痛かった。
@@susin49A野田・松永のトレード失敗も大きかった
名前だけ見たらどうやっても優勝しかできない打線
強力打線が弱体投手陣をカバーする野球は長続きしませんね。01年の近鉄然り。03年のダイエーは打線だけでなく投手陣もしっかりしていたんでその後もパの強豪球団になり得た。
1987年は最低勝率331。
江本孟紀が阪神日本一について、「ああ、選手が勝手に動いただけですから」
それは違いますね。少なくとも弱小投手陣をやりくりしたのはヨッさんであることに異論はないと思う。
阪神は選手もファンも調子に乗りやすいんやな
気を引き締めないとね
私は85年日本一になった時に阪神ファンになりました。当時は、まだ16歳でしたが😥暗黒時代に入ってから長い間プロ野球には興味が無くなりましたね😢今は阪神も若手主体になって来て楽しみも増えたし、また試合観るようになりましたね😊
失礼ですが、また阪神に暗黒時代が訪れても見捨てないで下さい!俺だってどんなに弱体化しても巨人を見捨てません!
@@柳谷慈彦 長年阪神ファンやってますので耐性出来てるから大丈夫ですよ😊暗黒時代も経験してますし見捨てたりはしないですよ👍
@@ナカ-g6tさん、それでこそ真の阪神ファンです!
柏原は86年はめっちゃ打ったのになあ。
打線は水物ですね。強打者が周辺にいれば自ずと他も引っ張られて打率が上がります。
「監督たちの戦い」という本によると、この時の吉田監督は、コーチ陣の刷新をフロント側が求めたがそれを拒否して自らも辞任した、と書かれていたね。
でも実際はそれが口実で嫌気がさして辞めてしまった、という印象だなぁ…
フロント陣も
最下位はまだしも阪急ブレーブスに観客動員で負けたのは前代未聞!
と言う理由で辞めさせようと(実は第一次吉田監督の後任だった後藤監督も同じ理由で解任)してたからね。
一つ突っ込ませていただけるなら、
仲田幸司が34番付けたのは
翌年(村山政権一年目)から
面白い、動画でした。流石❗タイガース⁉️
そんな中で二桁勝利をあげていたキーオはアッパレでしたね👏もっとも黒星もそれなりにありましたが。
チ一ム全体が機能してない為に投手が最小失点で投げてても打線が繋がらない、打線が繋がれば投手が大量失点を献上する悪循環。まさに牙を抜かれた駄目虎でした。
中西は功労者でしたね。
借金が40以上あるなかで負けが2つ多いだけなのは15勝以上の価値があります。
星野監督と金本が偉大すぎる
やはり投手を中心とした守りがしっかりして、チーム内の競争が激化しないと常勝軍団にはならない。今はその下地が出来ているし、スカウトもバランスのく獲得してるので、暗黒時代の教訓は生きている。
のく → 良く
暗黒時代の阪神の弱さはTBS横浜、暗黒オリックス、創業期楽天の比ではないと思う
どう考えても創業期楽天よりは強いでしょ…なんなら横浜よりも少しは…
この年(1987年)の明るい話題と言えば、バースのベストナイン&平田のGグラブ賞くらいでしたね😰
シーズン前の順位予想、今年と同様に高かったのが87年。上岡龍太郎はオールスター打線ですなとご満悦。小林繁も、打の阪神と投の広島の争いて楽しみ等等……色々原因はあるでしょうが、今振り返って、最大の原因は2番中堅に期待した田尾の大不振ではないかと思う。
田尾に関しては、西武時代も成績悪かったから、期待するほうもどうかと、今になれば思いますね。
田尾については、西武の水に合わなかっただけでセ・リーグの阪神に来れば中日時代の打撃が甦ると思われていた。
@@フェリックス三世 さま 森祇晶監督と合わなかったと聞いております。
@@佐藤智樹-m9o
その前の監督・広岡氏の悪口も結構言ってるw
村山監督とも衝突してたよね。
前年が3位で、掛布が怪我から復活すれば行けるという感じは、ありましたが、(当時中二)大人になり、冷静に見ると、若手の育成が出来ていない、伸びしろのあった吉竹の放出、一昨年の事よりの慢心、投手陣の崩壊、首脳陣間の不穏様々な事が重なり、起きてしまったのだと思います。熱烈な阪神ファンでは、ありませんでしたが、真弓、バース、掛布、岡田、佐野、弘田、平田の打線が、好きだったので非常に残念でした😢
プロ野球チームは、職場の人間関係、体制、成績等同じ所もあるため、実社会でも起こりうる事として気をつけていきたいと思います。
掛布は日本一85年次も、チャンスに弱いイメージしかなかったな。江川に対して強かったとはいっても、それは80年代前半ぐらいまでで、ミスタータイガースは紛れもなくバースだったね。
掛布は日本一85年次も、チャンスに弱いイメージしかなかったな。江川に対して強かったとはいっても、それは80年代前半ぐらいまでで、ミスタータイガースは紛れもなくバースだったね。
最後の黄金期と言ったのは無理だと思うな・・・今まで阪神の黄金期は無かったし・・・野村でさえ無理だったもんな・・・死のロードがかなりの負担だろうしな!
00年代は黄金期と言っていいくらい強かったろ
ベイスターズは1998年に日本一になり2002年から2011年まで長い暗黒だった⤵️改めて優勝おめでとうございます㊗️🎊
柏原さん、ダンカンさんに雰囲気が似ているように思いました。
ホーナーショックは、当時高校生だった私も驚愕しました。
1986年絶好調池田親興が巨人松本に足を踏まれてからなかずとばすになったのも大きいよ。
あそこからだったか…暗黒への扉は。😢
足踏まれたくらいでどうこうあるかよw
@@Ouiu350それから登録抹消、その後精細欠いたが。ダイエーでリリーフとしてちょっと活躍したが、1986年のあれまでの切れもなにもなくなった。
@@Ouiu350足踏まれたくらいって腱やらやってしまうだよ、一塁に駆け込んでいく足踏まれるんやで。
1986年の開幕戦の大洋戦で3連敗喫した時点で暗黒期の始まり。
真弓は頑張ってた
まぁ真弓とバースはそれなりに頑張ってはいたのですが…。
チーム内で高齢な二人が頑張ってて、もっと若い他が軒並みアレじゃなぁ。
そらまぁああなるわ😢
みんな頑張らないと駄目です。
平田も
キーオも。
要因2は、1985年でも若手をよく使っていたが。
監督が吉田の後に村山、藤田平、中村、そして吉田に戻るという暗黒リレー
キーオは及第点とサラリと言うが
とんでもない。暗黒時代じゃなければ毎年20勝前後しちゃいそうな投手だったですぞ。85年を知る者としてはまさに「勢い」が実力を後押ししたと思うね。
某アニメの如き「乗りと勢いだけ 」に過ぎなかった。(今季もその兆候が出ていた)
やくみつるの当時の漫画でも「不慮の優勝」と書いていたし。
借金42。42という数字が縁起悪い。だから低迷期が長かったし、今も勝ち切れないし優勝出来ないんだよ。
やはり投手力、投手力は全て救う( ー`дー´)キリッ
平成4年は頑張ってるね
その2年後にフィルダーが来て期待されながらも怪我の為帰国し5位に終わるが91年のファン感謝祭でたけし軍団と野球の試合して負けた事に対してそれでもプロか?とファンから叩かれた事を思い出されるね。
たけし軍団はロッテにも勝ったけどな…
阪神ファンには申し訳ないけど、阪神は勝敗の浮き沈みが激しいチームだなと思ってしまう。
確かこの年の阪神タイガース対読売ジャイアンツが甲子園球場で開催された時、読売ジャイアンツが阪神タイガースに最終回阪神タイガースの守備妨害でゲームセットになり勝った試合が有ったと記憶してます。
人間って、生き物だからね。時が流れると同時に衰えるもんなんだよ。
やっぱ掛布雅之の飲酒運転が全ての転落の始まりだった!!😢
平田さんも入れて下さい。平田さんが居たからいま名前が上がってる方々が活躍できたのですから。🥺
86年の印象があまりに強すぎるせいで、87年の空気っぷり、88年のバース退団や球団代表の急死とのあまりの落差に戦慄をおぼえた記憶がある
村山は和田などの若手を起用してるのに対し掛布、岡田の再生を怠ったため掛布が引退してしまった
村山はバース退団後に掛布ファースト、岡田サードをやろうとしなかった
やはり、投手層が薄く、打線頼りのチームは強さが長続きしませんよね。
確かこの年のオールスターで落合が牛若丸の目の前で「この中に阪神の勝率より低い打率の奴いるの?」って言ったんだよね(笑) で、衣笠が「俺」って挙手したんだよね(笑)
キーオでしか勝てなかったことがよく覚えています
恐ろしいほどの守備軽視。そもそも峠の過ぎたベテランばかり集めてどうするのかと
日本一まで達成したことで燃え尽きて、さらに箍が外れてしまったんだろうな。87年はとても野球を見る気になれなかった。41勝83敗6分。勝率(.331)が首位打者の打率(.333)より低かったんだからな。
今のベイスターズが当時の阪神と似ているような。(野手の高齢化、若手が台頭してこないなど)
85年も「若手が出て来るわ出て来るわ」と大はしゃぎしていたが、以降はあのザマ。
今季の若手「台頭」も単年度で終わりそう。
年月と共に選手の衰え、打撃陣で投手陣を支える野球に固執した部分が凋落に繋がったと思います。
その後、甲子園からラッキーゾーンが撤去され、一時的に投手力が回復しましたが、
組織全体の立て直しに労力と時間を費やしました。
特にバースの解雇に至らせた当時の久万俊二郎オーナーの独善は、目に余る愚行に映りました。
久万俊二郎を退場に追いやれたのは、皮肉にも外様で現役時代は中日ドラゴンズ一筋の星野仙一氏でした。
打撃陣で投手陣を援護する野球、元近鉄残党の俺は、2001年の最後のリーグ優勝で目撃しました。
あの代打サヨナラ満塁逆転本塁打、覚えてますよ。
誰が代打サヨナラHR打ったの??
2000年に阪神からトレード移籍した北川博敏選手です。
吉田の頑固さがチームを崩壊に導いたような印象だった。
竹之内コーチは、代打は実績のあるベテランを起用すべきと進言したが、吉田監督は頑として聞かず八木などの若手を起用した。当然ながらあっさり凡退し、吉田と竹之内の確執は激化。竹之内はコーチ辞任。フロントは竹之内に同情的で、なんとか仲裁を試みたが吉田は拒否。
一蓮托生の布陣でいきたかったようだが、結果はイエスマンで固めたいだけだった吉田。そりゃチームも弱くなるよ。
前年まで投手コーチだった米田さんを塵芥の如く冷遇したからね。
土台作りと言うた1年目が
派手な建前になって
次を担う若手を軽視し
ベテラン偏重になり過ぎた
村山就任時の戦力ときたら寂しすぎた
ヨッサンは向こう系だからね。金本といい向こう系は、調子良い時は良いけど、ガタッとくると金本の藤波の酷使といい意固地になるイメージあるな。
@@majeeptueao7280
✘藤波
〇藤浪
太平洋クラブライオンズ竹之内雅史,ライバルロッテオリオンズ佐藤和実
油断以外何ものでもない
ハッキリ言って浮かれ過ぎですよね。
今の中日よりひどいなあ~
なんで吉田は後の和田、大野、中野の少年隊という若手を抜擢しなかったんですかね
田尾、柏原などのピークが過ぎた選手をなんで補強したんですかね
北村、平田もピークが過ぎたんですかね
主力選手がほぼ同様なメンバーで日本一を何度も成し遂げたV9時代の巨人や森監督時代のライオンズは投手陣も良かったからアレだけ勝てた。
そこをいくと、やはり打線は水モノなのか、調子狂うと弱体投手陣をカバー出来ないから辛いよね。85年のバックスクリーン三連発に代表されたお祭り騒ぎ状態から脱却出来なかった在阪マスコミや虎党にも責任の一旦はある。
田尾柏原も全盛期過ぎてる。他の選手は2年で選手は大きく老けたんだよね。
掛布が怪我してからおかしくなったんとちゃうか?と思う。翌年バースと掛布がチームを去るのであった。
なので、2人を追い出した村山実が暗黒時代を確定させた真の戦犯。
正直彼の永久欠番は剥奪してほしい。
選手としては一流でも史上最悪の監督だから。
今岡田監督が口酸っぱく若返りを唱えている理由が分かりました。
12:18要員⑤ 1987年3月28日付日刊スポーツ新聞の見出しによりますと先に交通違反に引っ掛かったのが掛布で、この時は酒気帯び運転で現行犯逮捕(但し別の新聞では「掛布、飲酒運転で逮捕」と記載)。続いてこれもやはり先程の日刊スポーツ新聞の見出しによりますと、バースは新米投手キーオ同乗で球場へ急ぐ途中にスピード違反に引っ掛かってしまい、8000円の反則金を請求されたのでした。
そうなんですね。詳細をありがとうございます。酒気帯び運転は現代でしたら大変な事になっていたでしょうね。
@@kyukai_kawaraban
おはようございます。ここで補足があります。
まず最初に掛布氏は1987年3月22日㈰、知人の結婚披露宴に出席した帰りに名神西宮料金所で検問に引っ掛かったことにより酒気帯び運転だったことが判明したため、その弾みで現行犯逮捕されたものです。
続いてバース氏。その5日後の3月27日㈮、以前にもカキコした通り新米投手キーオ氏同乗で球場へ急ぐ途中にスピード違反で検挙され、さらに反則金8000円を請求されたのでした。
この打線でも今の阪神投手陣なら優勝できる
どこのチームでも強い時代弱い時代はある阪神の暗黒は久万オーナーや吉田監督の戦略ミスが大きい。
バブルだったが阪神沿線はもう既成都市だったことが開発余地がなくしかも大型事業も無かった。
選手の戦略もだがパリーグの関西私鉄系球団と違い放映権料ビジネスモデルもあって身売りも無かった。
ただ、この前の日本一はあったが年齢構成が85年と比べ若いと言う年齢構成もあった。
今は中日の暗黒時代で巨人も阿部の戦略次第では暗黒期に入る恐れもある。
放映権料というビジネスモデルが崩壊している時点で巨人の低迷は少なくともと思うが。
土台作りと言いながら様々な要因があって結局はベテラン起用せざるを得ない当時の状態だったのかな?
今度はしばらく強そうですね。
それまで最下位1回しかしなかったチームが最下位が指定席に⤵️
1987年の阪神は1975年の巨人と酷似している。巨人は1965年から1973年までの9年間で9年連続日本一の不滅の金字塔を打ち立てたが、その間連覇に拘るあまり若手の育成を怠り世代交代に失敗。川上の後を引き継いだ長嶋が悪戦苦闘する羽目になる。就任1年目の1975年には球団史上初の最下位に転落している。長嶋政権下での日本一奪回はならなかったがこの間2度のリーグ優勝を果たし、長嶋の後任の藤田の就任一年目である1981年には念願の日本一奪回を果たす。1973年のV9達成の翌年の1974年から1981年の8年間でリーグ優勝3回日本一1回でBクラスに転落したのは僅か2回であった。V9が終わった後の世代交代期を切り抜けた巨人は1981年から1990年までの10年間は一度もBクラスは無く、リーグ優勝5回日本一2回と成績面では名門球団の面目を保ち続けた。一方阪神は1987年最下位に転落して以降殆どのシーズンがBクラス、優勝した1985年の翌年の1986年から2003年まで18年間優勝から遠ざかることになる。就任2年目で阪神を18年ぶりのリーグ優勝に導いた星野仙一は就任の際に久万オーナーに「タイガースがこれほど長く低迷したのはあなた方のせいです」と面と向かって言ったそうです。阪神という球団の問題点を的確に把握し再建する術を持っている監督に出会えるまでかなりの時間を要しました。
巨人は最下位の年にあっても小林・新浦を我慢強く使い、主力投手に育てたことは大きかった。
翌年は張本・加藤初といったトレードが大成功、高田のサードコンバートもはまり、みごとに最下位からの優勝。
阪神は翌年、バースの退団騒ぎもあり、ますます混迷に....
@@patapata2259バースの問題絡みで当時の球団社長が飛び降り自殺していた。
こんなこというのもあれだけど安藤さんの後西本幸雄さんの招聘に成功していれば暗黒時代は来なかったんではないですか?
@@ミスター-e5u
西本さんには断られたんですよ。西本さんは「阪神の監督なんて危険手当でも貰わんとやっとれん」って言ってたそうです。
@@クレイジーキッド さん
ありがとうございます。
そうなんですか。
ところで野村さんの後の監督が星野さんじゃなく仰木さんだったら阪神優勝してましたかね?
今年負けに負けまくってる西武ですら今20勝到達したところだし、オールスターまでに19勝しかしてなかったこの年の阪神がいかに凄まじい負けっぷりだったかがわかる
掛布は連続デットボールで選手生命断たれた
見てきたように語ってるが事件内容は週刊誌レベルで信じなくていい
勝率331とか酷すぎ。
せめて334にしろよ。
5:54 オールスターまでに19勝54敗で借金35は、今年の西武より酷いな。
本来ならまた日本シリーズで黄金時代の西武🦁に勝てたはず
阪神は優勝すると異常にちゃほやするからマスコミ
掛布と岡田が打てなかったのがきつかった。
仲田幸司が頑張っていたけど、池田も冴えなかった。
翌年5月行田尚紀近鉄バファローズへトレード,中谷忠己とともに。90年オフ池田親興福岡ダイエーホークスへトレード 91年近鉄バファローズ行田尚紀と福岡ダイエーホークス池田親興の最優秀救援投手争いで阪神時代の僚友対決
今振り返れば阪神は最弱から最強に変わりました。岡田監督のおかげです
田尾や柏原が阪神にいたんやな⚾?
村山は吉田とは犬猿の仲
1985年の打線が中堅とベテランが中心だったのに目先の勝利に目が眩んで次世代の育成を全く行わなかった吉田監督が悪い
この2年前は傍若無人の振る舞いしていた阪神ファンがすっかりおとなしくなってしまったのには、もう毎日が飯ウマでした。