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2時間8分台で走れれば、今でも恥ずかしくはない成績。宗兄弟、瀬古、中山が作った時代は日本の男子マラソンが世界のトップレベルにあった。今。大迫選手が5分台の日本記録を持っているけれど、層は薄く、30年前からそれほど進歩しているようにも思えない。それにしても、逃げようとする敵を絶対逃さない、瀬古選手の鋭い眼光とサラブレッドのような走りには、今見ても感動させられます。
日本マラソン史上最強は今でも瀬古さん!
今でも覚えてる…35年まで前の話か…瀬古とイカンガー、伝説の名勝負!
1984年のロス五輪選考会、世界最高記録保持者 サラザール(アメリカ)選手を迎えて。幻のモスクワ五輪同様 瀬古・宗兄弟の御三方が代表切符をつかみました。もう41年前になりましたね。
瀬古さんに影響を受けて今でもマラソンを頑張ってます
懐かしい。イカンガー先頭集団引っ張ってくれるしペースメーカー代わりで日本でも大人気だったね
当時テレビで見ていたのですが、今見返してみるとイカンガーも競技場に入ってからスパートをしてかなりスピードアップしていますね。それにしても、瀬古のスパートは物凄いスピードですね。
日本マラソン史に残る素晴らしいレース。マラソン世界選手権がなかった当時、非公式の世界選手権と言われ数々の名勝負を残してきた福岡国際マラソン。その歴史に終止符が打たれるのはとても残念です。
瀬古さんカッコよすぎます最高ですね🙋いいね😉👍️✨
残り100メートルでイカンガーを引き離すスパートは、どう見ても短距離走並みの速さですし、こんなことができるのは瀬古さんぐらいしかいないでしょう。
インターハイで中距離で結果を残しただけはありますね
5:21 世界記録保持者が5位なのが日本人ハイレベルすぎて凄い
中村監督は前日に明日は最後の100メートルで決まると言ってたんだよね。その読みの凄さと、忠実にそれを実現できる瀬古の凄さ。
アフリカの星。この13年後にも福岡国際を走っている。
最後のスパートが変態過ぎる。私はリアルタイムで活躍されていた時代を知らないのですが、この動画を観て瀬古さんが国民的英雄であった理由が理解できました。それにしてもこの時代でサブテン6人とはなかなかの高速レースですね。
比較できるスポーツ選手はいないかもね。今で言ったら少なくても大谷選手以上。
瀬古がレース後に語ったところによると、陸連関係者からあれほどラストスパートできるなら、もっと早く前に出ていればもっと良い記録が出て楽なレースになっただろう、瀬古の走りはセコいと言われたと。井上がタパレスにKO勝ちしてファンから苦戦したと言われて困惑した事態の先駆者かな。
テレビで、観てました。高校のとき、100メートル、13秒でした。最後の100メートル競争しても、瀬古さんに、勝てないんだ、と思ったら、なんだか笑えてきました。
あれから30年。今でもはっきり覚えている。
40年経ちました…😂
この頃は凄かった!私も今でもはっきり覚えています。当時、私は宮城県仙台市の専門学校に通う学生でした(現在、南米に住んでいます)。この実況中継は、仙台市のデパートのテレビで見ていました。私の他にも20名ほどの人たちが、食い入るように見ていました。ゴール前で瀬古選手がイカンガー選手を抜いて走り切った時には、周りにいる全員が喜び勇んでデパートの電化製品売り場のテレビの前で、拍手したことを思い出します。本当に感動のシーンでした。 その後に、あの宋兄弟!、そして当時の世界記録保持者等が続いて入って来た・というところ!、とにかく凄かった。
아빠 살아주오
凄い沿道の観客凄い競技場の声援このレースを見ていたら、ロス五輪でも間違いなく金メダルだと思いました
努力の天才 瀬古利彦さん。中村清監督と共に築き上げたマラソン芸術。
この時代にペースメーカーという発想は無く、瀬古選手は1度も記録の出る速い平均ペースのレースをしたことが無く、いつも余力を残して40キロ過ぎまで走り後は爆発的なスピードで勝っていた。ペースメーカーが付き瀬古選手自身が記録狙いの速いペースで走っていたなら当時でも2時間4分台は出ていたと思われる。
今でもはっきりと覚えてます!最後の2㌔見て、ロスで金獲れるとあの時代誰もが確信した筈です。
当時小学生で沿道で旗振って応援してました。ただ私は84年ロサンゼルス・オリンピックのカール・ルイスを見て短距離の方に進みましたがw
初めてみました!すごい感動しました。わたしはこの時3歳。そして今はマラソンに出たりしています。こんな感動な大会があってたんですね🎉貴重な映像ありがとうございます!
4:55 「一粒で三百米」のグリコのマーク。この頃の瀬古選手は神がかり的に強かった。それだけにロス五輪の惨敗は残念でした。モスクワ出てたら多分優勝してたでしょう。
その時の「世界最強」が案外優勝できないのがオリンピックのマラソン競技。
当時小学3年生の自分、前原町(現在の糸島市)の前原駅の待合室のテレビでこのラストスパート見てました
瀬古選手は最後の100メートルを12秒台で走っていたとか。
もう40年も経ったのか。映像も実況も時代を感じます。このレースのとき当時中学生でした。朝礼で校長先生が瀬古選手や他の選手の精神力を褒めたたえていました。確かイカンガーはこの前年か後年にも瀬古に負けていて、当時の国民には知名度バツグンでした。数年後、早稲田大学に留学(短期)されていましたね。
中学時代の瀬古利彦選手は野球部でした。それで、陸上の大会に駆り出されたら、優勝どころか三重県中学新記録。走る練習は、野球部のウォーミングアップだけなのに。超凄い素質!
「褐色の肌、タンザニアのイカンガー」今の時代そんなこと言ったらイカンガー
そこまで使い古されたギャグを臆面もなく・・・参ったwww
道中マークに徹して、直線の瞬発力で決める。まるで競馬を見ているようなマラソンですね。
瀬古が勝った事よりイカンガーが時の人になった瞬間。
当時、S&BのCMで15秒間この時の瀬古のスパートを切り取っただけのものがありました。まだ歌えるなぁ。♪走り続ける 君がいる ただ 栄光のためでなく
♪人生という ゴールのないレースに~
あまり知られていないかもしれないが、瀬古選手、実は頭の良さもズバ抜けている。
返す返すもモスクワ五輪ボイコットが悔やまれる。もし出ていれば、瀬古・宗兄弟でメダル2つは絶対に取れた。今でも確信している。
イカンガーも人気があったよね。
イカンガーもロサ・モタも、、、日本人にはない野性味があったからね
このころ瀬古選手がまさか今のようにダジャレやおやじギャグばかり言うようなおしゃべりな人になるとは夢にも思っていませんでした。 当時は寡黙でストイックで修行僧のような優等生タイプの選手だと思っていました。 これは恩師である中村清監督の影響のようで『アスリートは白い歯を見せて笑うべきでない』、『他の選手とおしゃべりをするな』とは言われていたようです。
イカンガ、懐かしい✨
いやー瀬古さんのスピード凄いですマラソンにはスピードランナーが有利です
「先行しても逃げ切れない、雀界のイカンガーとして定評があります」名台詞だ わかるのは10万人に一人だろうけど
楽勝で分かるよー 自己中心派
それを言うならついでにソウズの宗兄弟を言ってほしい
当時小4だったけど、中学生なったら絶対陸上部に入って将来マラソンランナーになりたいと思ったきっかけのレース。中、高、大と駅伝ランナーやってアラフィフになった今は市民マラソンハゲオヤジランナーです。
昔、塀内夏子の「フィフティーン・ラブ」というテニスの漫画で主人公のヒロミが、「瀬古に抜かれたイカンガーの気持ちがよくわかるぜ」って、フィッツ・ロイに逆転された時に言ってたなあw
ピーク時の瀬古選手が、勝負より記録を狙った走りをしていたら。たらればだけど7分代は余裕で出ていたと思う( ノД`)…
最後はやっ!!
0:16 ピンポンという音にお客さんが来たのかと思って振り向く瀬古
あ~。選手より8倍努力する指導者いないですか。いい選手はたくさんいる現代なのに。やっぱり強烈です。瀬古選手。
なるほど。42km走った後の195mの、ラストスパートぐらい練習しろよ!ってこっとね。それやんなきゃ、日本は勝てないわ。
懐かしい…当時高3
最後の100mのゴールスプリントって、ツール・ド・フランスかなにかですか???
モスクワ五輪時の山下、瀬古は残念極まりないでしょう。
瀬古はオリンピック本番以外は無敵だった。
아버지 어머니날아주오 이때 처럼 살아주오
2019年9月16日のモーニングショーで増田明美さんが「セコいレース」といったのが残り100メートルの驚異の走り。
イカンガー、懐かしい
この上下動が無いフォームが強さの秘密。現代の選手も参考にするべき。
瀬古さんの走りを「セコい」とか、宗さんあたりが半ばネタにして話してるけどw 実際「イカンガーの後ろにずっとついて走ってるほうが楽だわな」なんて事も言われたりした。ただ、イカンガーはペースメーカーでも何でもないわけで、もし後ろについて走るのが楽なら、なんで他の選手とはここまで差がついてるのか、って事を考える必要がある。…もっとも、これは考えるまでもない話で(瀬古さんや宗さんなどが話されてる事でもあるw)、イカンガーがスピードがあり、かつ、駆け引きもしてるから他の選手がついていけないという事。一定のフォオーム、一定のリズムで淡々と走ってるように見えるから、あたかもスピードすら一定のペースで走ってるのかって思いがちだけど実際はそうではなく、駆け引きもしている。ただ、何も考えず先頭にいて走ってるわけではない。勝負どころなど、要所要所でスピードの上げ下げを行って、他の選手をふるい落とすって事をやっていた。このレースではそこにどうにか食らいついてたのが瀬古さんって事なんだな。
中学生の時、一緒TVを観ていた親父がこれは瀬古選手が勝つなと言ってたのが懐かしい
아버지 췌장암 사망
イカンガー!強かったな~👍サラザール!なんと、アメリカ🗽選手。強かった~!
宗兄弟遅れたといっても残り1キロで100M差
ラストスパートしかなかった、みたいですねぇ。イカンガーが瀬古さんを前に出さないようにしています。コバンザメ走法ではないみたいですねぇ。
懐かしい・・・
Juma Ikanga un guerrero de mil batallas formidable
このオープニングシーン
最後のラストスパートが100m換算で何秒かって話だけど、速くても13秒台程度かと思う。トラックをまわってるスピードはだいたい100m18秒くらい。それから比較して、なんとなくの見た目で推測してみても、そのくらいかと。
세코나카야마타니구치모리시타일본의 황금세대
水を差すようで悪いですが、12秒なのは80mでは?直線に入ってからは約12秒ですが、100mのスタートはもう20m後ろです。
ですね。あまりにラスト100m12秒のスパートというイメージが先行しているので実際に見てみましたが、そこまでのスピードではないです。それでも42km走った後にこれは驚異的ですけどね。
しくじりよりかっこいいですね
瀬古さん良かった🙋いいね😃👍️
増田明美さんは「セコいレースだね。瀬古だけに」と指摘した。確かにセコい!
ケニア・エチオピア勢を除けば日本マラソンは今でも世界トップレベルだと思います。
本当にそうですかね。アメリカやアジアなど日本より強い国は多いですが
このマラソンを見たせいで、ラストスパートは残り100メートルくらいから全力を出すことだと思いこんだ😅
【2017年6月25日放送の「アタック25」(第2088回:個人的にこの回が同年1~12月に放送された同番組で一番出来がよかった回/そのため常にトップを独走していた同年8月20日放送(第2096回)の「杉田玄白」は第2位に後退)海外旅行チャレンジのおさらい】谷原章介:「中学まで野球に打ち込んでいた【瀬古利彦】さんは、三重県の生まれ(1956年7月15日)。早稲田大学に入学後【中村清】監督と出会い、マラソンを始めました。その後数々の大会で活躍、自身の経験を元に著書も出版。現在は東京オリンピックも視野に入れ、選手の育成に力を注いでいる人物です(最後は紺色ジャージを羽織った眼鏡姿の現在の表情が出たところでオチ)。」
イカンガーが負けた。それは、イカンがー
不世出のランナー、もし、彼が今、全盛期だったら、、、
瀬古選手の不幸はモスクワをボイコットした事だね。あれがケチの付けはじめ。モスクワに出ていれば、瀬古と宗兄弟でメダル2つ取れたと、今でも思っている。
世界一のラストスパート
最後の100mでの切れ味。さすがはインターハイ中距離二冠(この実績なら今ならどんなバカでもどこの大学でも書類を出しさえすれば合格だろうが、瀬古は早稲田を受験して一浪と相成ったのだ)
瀬古選手などは、一世紀にひとり出るかという、不世出の偉大なマラソンランナー。ただあれは、中村清という存在がなかったら、まずありえなかった。
瀬古氏のラスト100mは14秒台。アスリートでもどういう体してんだって当時の体育教師が話してました。にしても当時の福岡国際は盛り上がったよな。ま、最近だったら猫ちゃんだったかな。
フライングの天才はあの人?かなあ?
最後の100mは、12秒台でしょうね。最後の100mだけでも勝てないですよ。😮
ラストがある選手は有利です。
本人も言ってましたが、モスクワ五輪ボイコットなければ、金メダル確実でしたね
この時の事を今でも鮮明に覚えている。1年後のロス五輪で瀬古の金メダルを確信したが惨敗。ただ瀬古はオリンピックには縁がなかったが世界最強であった。後に中山という素質では瀬古を上回る選手がいたが頭が悪すぎて無冠であった。
Ikanka un frere tanzanien ki a remporte un de tes redoutables d ahmed saleh merci kojo
イカンガーは遺憾ガー
この年の、世界陸上に出た喜多選手が、30キロ過ぎで一旦遅れて、33キロで、追い付くガッツを見せてくれた❗
サラザールの世界記録は,後に取り消されたのでは?
ゴールをしたら水分補給さ?
今では早稲田びいきの口煩い解説者とのイメージだけど、一旦全員これを見てほしい😂ラストスパート100m12秒って遅筋も速筋もエリートだ笑
伊藤選手のピッチ走法が、燃費のよい日本車みたいだった。
セコスパート!
イカンガー可哀そう。
いつもながら定番の、瀬古のセコい走り(笑)
イカンガーにも、拍手しよう マラソンを牽引し、盛り上げた
2時間8分台で走れれば、今でも恥ずかしくはない成績。宗兄弟、瀬古、中山が作った時代は日本の男子マラソンが世界のトップレベルにあった。今。大迫選手が5分台の日本記録を持っているけれど、層は薄く、30年前からそれほど進歩しているようにも思えない。それにしても、逃げようとする敵を絶対逃さない、瀬古選手の鋭い眼光とサラブレッドのような走りには、今見ても感動させられます。
日本マラソン史上最強は今でも瀬古さん!
今でも覚えてる…
35年まで前の話か…
瀬古とイカンガー、伝説の名勝負!
1984年のロス五輪選考会、世界最高記録保持者 サラザール(アメリカ)選手を迎えて。幻のモスクワ五輪同様 瀬古・宗兄弟の御三方が代表切符をつかみました。もう41年前になりましたね。
瀬古さんに影響を受けて今でもマラソンを
頑張ってます
懐かしい。イカンガー先頭集団引っ張ってくれるしペースメーカー代わりで日本でも大人気だったね
当時テレビで見ていたのですが、今見返してみるとイカンガーも競技場に入ってからスパートをしてかなりスピードアップしていますね。それにしても、瀬古のスパートは物凄いスピードですね。
日本マラソン史に残る素晴らしいレース。マラソン世界選手権がなかった当時、非公式の世界選手権と言われ数々の名勝負を残してきた福岡国際マラソン。その歴史に終止符が打たれるのはとても残念です。
瀬古さんカッコよすぎます最高ですね🙋いいね😉👍️✨
残り100メートルでイカンガーを引き離すスパートは、どう見ても短距離走並みの速さですし、こんなことができるのは瀬古さんぐらいしかいないでしょう。
インターハイで中距離で結果を残しただけはありますね
5:21 世界記録保持者が5位なのが日本人ハイレベルすぎて凄い
中村監督は前日に明日は最後の100メートルで決まると言ってたんだよね。その読みの凄さと、忠実にそれを実現できる瀬古の凄さ。
アフリカの星。この13年後にも福岡国際を走っている。
最後のスパートが変態過ぎる。
私はリアルタイムで活躍されていた時代を知らないのですが、この動画を観て瀬古さんが国民的英雄であった理由が理解できました。
それにしてもこの時代でサブテン6人とはなかなかの高速レースですね。
比較できるスポーツ選手はいないかもね。今で言ったら少なくても大谷選手以上。
瀬古がレース後に語ったところによると、陸連関係者からあれほどラストスパートできるなら、もっと早く前に出ていればもっと良い記録が出て楽なレースになっただろう、瀬古の走りはセコいと言われたと。井上がタパレスにKO勝ちしてファンから苦戦したと言われて困惑した事態の先駆者かな。
テレビで、観てました。高校のとき、100メートル、13秒でした。最後の100メートル競争しても、瀬古さんに、勝てないんだ、と思ったら、なんだか笑えてきました。
あれから30年。今でもはっきり覚えている。
40年経ちました…😂
この頃は凄かった!私も今でもはっきり覚えています。当時、私は宮城県仙台市の専門学校に通う学生でした(現在、南米に住んでいます)。この実況中継は、仙台市のデパートのテレビで見ていました。私の他にも20名ほどの人たちが、食い入るように見ていました。ゴール前で瀬古選手がイカンガー選手を抜いて走り切った時には、周りにいる全員が喜び勇んでデパートの電化製品売り場のテレビの前で、拍手したことを思い出します。本当に感動のシーンでした。 その後に、あの宋兄弟!、そして当時の世界記録保持者等が続いて入って来た・というところ!、とにかく凄かった。
아빠 살아주오
凄い沿道の観客
凄い競技場の声援
このレースを見ていたら、ロス五輪でも間違いなく金メダルだと思いました
努力の天才 瀬古利彦さん。中村清監督と共に築き上げたマラソン芸術。
この時代にペースメーカーという発想は無く、瀬古選手は1度も記録の出る速い平均ペースのレースをしたことが無く、いつも余力を残して40キロ過ぎまで走り後は爆発的なスピードで勝っていた。ペースメーカーが付き瀬古選手自身が記録狙いの速いペースで走っていたなら当時でも2時間4分台は出ていたと思われる。
今でもはっきりと覚えてます!
最後の2㌔見て、ロスで金獲れるとあの時代誰もが確信した筈です。
当時小学生で沿道で旗振って応援してました。
ただ私は84年ロサンゼルス・オリンピックのカール・ルイスを見て短距離の方に進みましたがw
初めてみました!すごい感動しました。わたしはこの時3歳。そして今はマラソンに出たりしています。
こんな感動な大会があってたんですね🎉貴重な映像ありがとうございます!
4:55 「一粒で三百米」のグリコのマーク。この頃の瀬古選手は神がかり的に強かった。それだけにロス五輪の惨敗は残念でした。モスクワ出てたら多分優勝してたでしょう。
その時の「世界最強」が案外優勝できないのがオリンピックのマラソン競技。
当時小学3年生の自分、前原町(現在の糸島市)の前原駅の待合室のテレビでこのラストスパート見てました
瀬古選手は最後の100メートルを12秒台で走っていたとか。
もう40年も経ったのか。
映像も実況も時代を感じます。
このレースのとき当時中学生でした。
朝礼で校長先生が瀬古選手や他の選手の精神力を褒めたたえていました。
確かイカンガーはこの前年か後年にも瀬古に負けていて、当時の国民には知名度バツグンでした。
数年後、早稲田大学に留学(短期)されていましたね。
中学時代の瀬古利彦選手は野球部でした。
それで、陸上の大会に駆り出されたら、優勝どころか三重県中学新記録。
走る練習は、野球部のウォーミングアップだけなのに。
超凄い素質!
「褐色の肌、タンザニアのイカンガー」
今の時代そんなこと言ったらイカンガー
そこまで使い古されたギャグを臆面もなく・・・参ったwww
道中マークに徹して、直線の瞬発力で決める。
まるで競馬を見ているようなマラソンですね。
瀬古が勝った事よりイカンガーが時の人になった瞬間。
当時、S&BのCMで15秒間この時の瀬古のスパートを切り取っただけのものがありました。
まだ歌えるなぁ。♪走り続ける 君がいる ただ 栄光のためでなく
♪人生という ゴールのないレースに~
あまり知られていないかもしれないが、瀬古選手、実は頭の良さもズバ抜けている。
返す返すもモスクワ五輪ボイコットが悔やまれる。
もし出ていれば、瀬古・宗兄弟でメダル2つは絶対に取れた。
今でも確信している。
イカンガーも人気があったよね。
イカンガーもロサ・モタも、、、日本人にはない野性味があったからね
このころ瀬古選手がまさか今のようにダジャレやおやじギャグばかり言うようなおしゃべりな人になるとは夢にも思っていませんでした。 当時は寡黙でストイックで修行僧のような優等生タイプの選手だと思っていました。 これは恩師である中村清監督の影響のようで『アスリートは白い歯を見せて笑うべきでない』、『他の選手とおしゃべりをするな』とは言われていたようです。
イカンガ、懐かしい✨
いやー
瀬古さんのスピード凄いです
マラソンにはスピードランナーが有利です
「先行しても逃げ切れない、雀界のイカンガーとして定評があります」
名台詞だ
わかるのは10万人に一人だろうけど
楽勝で分かるよー 自己中心派
それを言うならついでにソウズの宗兄弟を言ってほしい
当時小4だったけど、中学生なったら絶対陸上部に入って将来マラソンランナーになりたいと思ったきっかけのレース。
中、高、大と駅伝ランナーやってアラフィフになった今は市民マラソンハゲオヤジランナーです。
昔、塀内夏子の「フィフティーン・ラブ」というテニスの漫画で主人公のヒロミが、
「瀬古に抜かれたイカンガーの気持ちがよくわかるぜ」
って、フィッツ・ロイに逆転された時に言ってたなあw
ピーク時の瀬古選手が、勝負より記録を狙った走りをしていたら。たらればだけど7分代は余裕で出ていたと思う( ノД`)…
最後はやっ!!
0:16 ピンポンという音にお客さんが来たのかと思って振り向く瀬古
あ~。選手より8倍努力する指導者いないですか。いい選手はたくさんいる現代なのに。やっぱり強烈です。瀬古選手。
なるほど。42km走った後の195mの、ラストスパートぐらい練習しろよ!ってこっとね。それやんなきゃ、日本は勝てないわ。
懐かしい…当時高3
最後の100mのゴールスプリントって、ツール・ド・フランスかなにかですか???
モスクワ五輪時の山下、瀬古は残念極まりないでしょう。
瀬古はオリンピック本番以外は無敵だった。
아버지 어머니
날아주오
이때 처럼 살아주오
2019年9月16日のモーニングショーで増田明美さんが「セコいレース」といったのが残り100メートルの驚異の走り。
イカンガー、懐かしい
この上下動が無いフォームが強さの秘密。
現代の選手も参考にするべき。
瀬古さんの走りを「セコい」とか、宗さんあたりが半ばネタにして話してるけどw 実際「イカンガーの後ろにずっとついて走ってるほうが楽だわな」なんて事も言われたりした。ただ、イカンガーはペースメーカーでも何でもないわけで、もし後ろについて走るのが楽なら、なんで他の選手とはここまで差がついてるのか、って事を考える必要がある。
…もっとも、これは考えるまでもない話で(瀬古さんや宗さんなどが話されてる事でもあるw)、イカンガーがスピードがあり、かつ、駆け引きもしてるから他の選手がついていけないという事。一定のフォオーム、一定のリズムで淡々と走ってるように見えるから、あたかもスピードすら一定のペースで走ってるのかって思いがちだけど実際はそうではなく、駆け引きもしている。ただ、何も考えず先頭にいて走ってるわけではない。勝負どころなど、要所要所でスピードの上げ下げを行って、他の選手をふるい落とすって事をやっていた。このレースではそこにどうにか食らいついてたのが瀬古さんって事なんだな。
中学生の時、一緒TVを観ていた親父がこれは瀬古選手が勝つなと言ってたのが懐かしい
아버지 췌장암 사망
イカンガー!
強かったな~👍
サラザール!
なんと、アメリカ🗽選手。
強かった~!
宗兄弟遅れたといっても残り1キロで100M差
ラストスパートしかなかった、みたいですねぇ。
イカンガーが瀬古さんを前に出さないようにしています。
コバンザメ走法ではないみたいですねぇ。
懐かしい・・・
Juma Ikanga un guerrero de mil batallas formidable
このオープニングシーン
最後のラストスパートが100m換算で何秒かって話だけど、速くても13秒台程度かと思う。トラックをまわってるスピードはだいたい100m18秒くらい。それから比較して、なんとなくの見た目で推測してみても、そのくらいかと。
세코
나카야마
타니구치
모리시타
일본의 황금세대
水を差すようで悪いですが、12秒なのは80mでは?
直線に入ってからは約12秒ですが、100mのスタートはもう20m後ろです。
ですね。
あまりにラスト100m12秒のスパートというイメージが先行しているので実際に見てみましたが、そこまでのスピードではないです。
それでも42km走った後にこれは驚異的ですけどね。
しくじりより
かっこいいですね
瀬古さん良かった🙋いいね😃👍️
増田明美さんは「セコいレースだね。瀬古だけに」と指摘した。
確かにセコい!
ケニア・エチオピア勢を除けば日本マラソンは今でも世界トップレベルだと思います。
本当にそうですかね。アメリカやアジアなど日本より強い国は多いですが
このマラソンを見たせいで、ラストスパートは残り100メートルくらいから全力を出すことだと思いこんだ😅
【2017年6月25日放送の「アタック25」(第2088回:個人的にこの回が同年1~12月に放送された同番組で一番出来がよかった回/そのため常にトップを独走していた同年8月20日放送(第2096回)の「杉田玄白」は第2位に後退)海外旅行チャレンジのおさらい】
谷原章介:「中学まで野球に打ち込んでいた【瀬古利彦】さんは、三重県の生まれ(1956年7月15日)。早稲田大学に入学後【中村清】監督と出会い、マラソンを始めました。その後数々の大会で活躍、自身の経験を元に著書も出版。現在は東京オリンピックも視野に入れ、選手の育成に力を注いでいる人物です(最後は紺色ジャージを羽織った眼鏡姿の現在の表情が出たところでオチ)。」
イカンガーが負けた。それは、イカンがー
不世出のランナー、
もし、彼が今、全盛期だったら、、、
瀬古選手の不幸はモスクワをボイコットした事だね。あれがケチの付けはじめ。
モスクワに出ていれば、瀬古と宗兄弟でメダル2つ取れたと、今でも思っている。
世界一のラストスパート
最後の100mでの切れ味。
さすがはインターハイ中距離二冠(この実績なら今ならどんなバカでもどこの大学でも書類を出しさえすれば合格だろうが、瀬古は早稲田を受験して一浪と相成ったのだ)
瀬古選手などは、一世紀にひとり出るかという、不世出の偉大なマラソンランナー。ただあれは、中村清という存在がなかったら、まずありえなかった。
瀬古氏のラスト100mは14秒台。
アスリートでもどういう体してんだって当時の体育教師が話してました。
にしても当時の福岡国際は盛り上がったよな。
ま、最近だったら猫ちゃんだったかな。
フライングの天才はあの人?かなあ?
最後の100mは、12秒台でしょうね。最後の100mだけでも勝てないですよ。😮
ラストがある選手は有利です。
本人も言ってましたが、モスクワ五輪ボイコットなければ、金メダル確実でしたね
この時の事を今でも鮮明に覚えている。1年後のロス五輪で瀬古の金メダルを確信したが惨敗。ただ瀬古はオリンピックには縁がなかったが世界最強であった。後に中山という素質では瀬古を上回る選手がいたが頭が悪すぎて無冠であった。
Ikanka un frere tanzanien ki a remporte un de tes redoutables d ahmed saleh merci kojo
イカンガーは遺憾ガー
この年の、世界陸上に出た喜多選手が、30キロ過ぎで一旦遅れて、33キロで、追い付くガッツを見せてくれた❗
サラザールの世界記録は,後に取り消されたのでは?
ゴールをしたら水分補給さ?
今では早稲田びいきの口煩い解説者とのイメージだけど、一旦全員これを見てほしい😂ラストスパート100m12秒って遅筋も速筋もエリートだ笑
伊藤選手のピッチ走法が、燃費のよい日本車みたいだった。
セコスパート!
イカンガー可哀そう。
いつもながら定番の、瀬古のセコい走り(笑)
イカンガーにも、拍手しよう マラソンを牽引し、盛り上げた