【寺社参詣】#68 西方院(大阪府太子町/新西国8番/浄土宗)~創建1400年、聖徳太子の侍女が建立した常行念仏最古の道場~ Saiho-in Temple

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  • Опубликовано: 15 янв 2025
  • 神社仏閣巡り「寺社参詣シリーズ」第68回は、大阪府の南部、生駒・金剛山地西麓の、南河内郡太子町にある、浄土宗寺院 南向山西方院です。
    推古天皇30(622)年、聖徳太子が薨御された後、太子御廟の前であるこの地で、聖徳太子の乳母であり侍女だった三人の女性、月益姫・日益姫・玉照姫は剃髪・出家し尼僧となりました。三人の姫様はそれぞれ善信・禅蔵・恵善と称し(三尼公)、この地に堂宇を建立、聖徳太子の遺髪を納め、聖徳太子が作ったとされる阿弥陀如来像を本尊として安置したのが西方院の始まりで、かつては法楽寺と呼ばれ、すぐ北にあり、太子御廟がある磯長山叡福寺の塔頭でした。
    天正2(1574)年、織田信長の兵火で、法楽寺の堂宇は焼失。その後衰退しましたが、江戸時代に入り寛永16(1639)年、蓮誉寿正尼が本堂の再建を果たしました。この頃から西方院と呼ばれるようになり、現在に至ります。
    こぢんまりとした境内ですが、本堂に安置されている本尊・阿弥陀如来像は、前述のとおり聖徳太子が作ったと伝えられているもので、また本堂前にある納骨堂には、聖徳太子の遺髪(毛骨)が納められています。
    さらに、観音堂に安置されている観音堂本尊の十一面観世音菩薩像は、天台宗の僧侶で、日本の浄土教の祖とされている源信(恵心僧都)が作ったとされています。
    叡福寺の山門から、道と谷を隔てて真向かいにありますが、細い路地を通って行かなければならず、あまり目立たない寺院です。しかし、聖徳太子ゆかりのお寺としては、外せない存在です。
    聖徳太子侍女三人の姫様が、太子薨去後剃髪・出家し、自らもこの地に眠る、新西国三十三箇所8番札所 南向山西方院の動画をご覧ください。
    【動画中にある最寄り駅およびアクセス情報について】
    動画中にある最寄り駅およびアクセス情報で、金剛バスは令和5年12月20日をもって事業廃止されました。最寄りバス停となる「聖徳太子御廟前」バス停を通る路線のうち、近鉄長野線喜志駅から運行される喜志循環線は近鉄バスが引き継ぎ、便数は事業廃止前を維持ということとなっています。
    近鉄南大阪線上ノ太子駅から運行される太子中央循環線は、太子町が自家用有償旅客運送という形で、朝夕に1時間1~2便程度運行、喜志駅と上ノ太子駅を結ぶ太子線は、喜志循環線や畑・平石線(太子町による自家用有償旅客輸送へ転換予定)に統合される形で廃止となりました。
    撮影機材:GoPro HERO 8
    【リンク】
    西方院 公式WEBサイト
    www.saihoin.com/
    【使用BGM】
    「初恋」(甘茶の音楽工房)
    amachamusic.ch...
    #神社仏閣巡り#西方院#大阪府太子町#お寺ガイド#真言宗#聖徳太子#パワースポット#お寺巡り

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