【奄美群島】あまり知られていない喜界島の歴史〜前編〜

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  • Опубликовано: 1 фев 2025

Комментарии • 6

  • @koushinohanashi
    @koushinohanashi  2 года назад +4

    いつも高評価やコメントありがとうございます。
    ちなみに喜界島は
    火山の噴火や地震などで出来た島とは異なり
    サンゴ礁の隆起によって出来た珍しい島です!
    サンゴ礁の上で綺麗な海を眺めながら歴史を感じてみたいですね。

  • @shimabito12
    @shimabito12 9 месяцев назад

    喜界島出身です、😂勉強なりました。有り難うございます❤

  • @toshichika720
    @toshichika720 8 месяцев назад

    🫶👍👍

  • @Mk-pt7rq
    @Mk-pt7rq Год назад

    最後の琉球国王である尚徳王の墓は喜界島の佐手久に有ります。
    奄美で国頭(沖縄北部)方言は喜界島南部、沖永良部島、与論島の3島です。
    奄美語は喜界島北部と大島と徳之島です。

  • @ryukyu1180
    @ryukyu1180 2 года назад +4

    平安時代の『小右記』には「奄美人が太宰府を襲った」とありますね。
    この場合の奄美が現在の奄美大島だとすると。当時奄美と喜界島は対立関係だったのでしょう。
    この時代は、大和側が南島への興味を失いつつありますから、喜界島は徐々に琉球側との付き合いが増えてきたのでしょうね。
    喜界島は、言語学的には奄美語と国頭語と沖縄語が混在する興味深い島です。
    例えば。。喜界島の球児が鹿実などから甲子園に出場したりすると、喜界町役場に「チバリヨー○○君」なんて垂れ幕が下がります。。これ100%沖縄語ですね。

    • @koushinohanashi
      @koushinohanashi  2 года назад +2

      それにしても九州一帯を襲撃するとなるとお金も食糧もかなり必要になるのに何故そこまでしたのか気になりますね。隣に対立している島があれば尚更厳しい事になるはずなのに。
      喜界島ってそんなにも色んな言語が混ざってるんですね。
      国頭語があるのも初めて知りましたし言語学って面白いですね。