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結果、劇画の波が起きたのは業界活性化の為には良かったと思う
W3事件の時点でTBSを潰しておけば…
@@ubeoka あそこ極左の巣窟よね
TBSにプライドがなかったというお話。
いやいや、手塚治虫のアイデアだってわかってるなら聞いたからってパクっちゃダメだろ。テレビ局ってそんなにモラルの無い世界なのか?今後に響くとか考えなかったのかね?
そんなの有ったらドラマ化で漫画家が自殺する様な事起こらんだろ
「動物のお医者さん」のドラマ化を断ったらロシナンテの災難、「おたんこナース」はナースのお仕事ってパクリを堂々とやる連中だよ?
モラルなんてあったらテレビマンなんてやれてない感じだったよ
自分達を批判できるのも事実上自分達だけだから「俺たちゃ無敵だ!何をやっても許される!」と思ってるんだよテレビマンは
更にオウム審理教に情報漏洩このせいで坂本弁護士は一家で〆されたんや
宇宙リスの情報漏洩に関しては手塚治虫氏自身が漏洩の犯人だった、のオチを知った時はアゴが外れそうになりました😅
世代的にマガジンで三つ目がとおるが連載されていたので手塚氏とマガジンとの間にゴタゴタがあったなんて知りませんでした。
キングは蚊帳の外?
その前に和解記念作として、猫が躍る漫画(タイトル忘れた)が載ったんだよ。
@@伊藤雲黒斎 おけさのひょう六(手塚治虫猫傑作集Ⅰ収録)ですか。週刊少年マガジン1974年4月21日号所載だそうなので、この年が節目なんですね。この年から三目がとおるがマガジンで連載&ヒット。その先触れとして意義が有ると思います。…それにしても手塚猫漫画はどれもイイ!
「ハリスの旋風」の前に、「ハリス無段」という柔道漫画がマガジンで連載されていた。これもハリス食品がスポンサーだったが、アニメ化はされなかった。原作は梶原一騎で、画が吉田竜夫。主人公はちゃんと風船ガムを膨らませていたw
つーか 週刊連載持ちながらアニメ制作も始めるとか手塚治虫はどんな超人なんだよ
スケジュールはかなり破綻しており虫プロスタッフ、各紙編集部等が被害を受けていたらしい。とばっちりで自宅の池で遊んでいた息子さんが何度か池に突き飛ばされたと言っていました。
@@tw2914狂人で草
だって漫画の神様だもん
日本式アニメの創始者でもあるからなあ。
@@APW_Manbow 良くも悪くも日本のアニメーションに与えた影響の大きさから手塚治虫に対して思う所があるアニメーターは居ると聞く。
しかし、W3のエンディングは子供心にたまげた。タイムパラドックスを教えてくれた。ただ、秋田書店の単行本は酷い内容でエピソードがごっちゃり抜けていたな。バンパイヤなんて1話まるまる抜けていて話が続かなかったぞ。それはさておき、ちゃんとしたSFだった。光一にいちゃんの視点でスパイ映画を作ってください。話はあのままで。
この事件の背景には、手塚漫画と劇画の確執よりも、手工業から商業主義へ移り変わる業界の過渡期があったんでしょうね。新宝島で時代の寵児となった同氏もいつの間にか、大御所とか神様とされることになったのかな。本人は暗黒時代と呼んでいるスランプ期に気づかれており、挑戦者としての立ち位置に立ち返り、第二期黄金期を迎えられたようですね。
手塚先生は第二期黄金期に入る前に1973年に10億の借金を抱えて虫プロが倒産しています。まず73年8月に虫プロ商事が倒産してその後虫プロ本体が倒産したのは少年チャンピオンに『ブラック・ジャック』連載第1話が世に出た直後の73年11月5日の事です。チャンピオンの名物編集長壁村氏が、「手塚の死に水を取ってやろう」と短期集中連載を依頼したのはまさに虫プロ商事倒産事件の最中だった事になるでしょう。壁村氏がこれは!!!っと感じたのは、全5回の連載依頼だった筈のブラック・ジャックの5回目の掲載が終わって6回目が無いから前の原稿を次の号にもう一回掲載した時、編集部には「インチキ」、「金返せ」等の非難轟々の電話が鳴りやまなかったのだそうです。急遽手塚治虫に連絡を取り連載続行を依頼したのだそうです。その時ヤクザ紛いの債権者から手塚先生の手書きの玉稿を護ったのは、アップリカ・チルドレンズプロダクツの創業者葛西健蔵氏でした。葛西氏は私財を一部投じて高田の馬場のスタジオにある手塚先生の手書き原稿の散逸を防ぎました。葛西氏を恩師と仰ぐ小さな会社の経営者2人が、師の東奔西走ぶりを間近で見て「俺たちも一肌脱ごう」と5千万円を集め、手塚氏に提供してほしいと願い出る。その意向は葛西氏を通じて手塚氏に伝えられるが、手塚氏はさすがにそんな大金は受け取れないと提供を辞退する。ただ、その申し出に感激して漫画の神様は再始動を果たす。ブラアックジャック創作の裏にはこういうエピソードがあったのだ。アップリカは鉄腕アトムを使った子供用品を造ったことがあり、その時に手塚先生と親交を持っていたそうな。当時キャラクタ-を無断で使う事は当たり前だったのに、葛西氏はきちんと手塚先生の許可を取って販売したわけだ。
一時、豊田有恒さんの本を読み漁ってたので、この件は知ってました。8マンの平井和正さんとの友人関係などから、豊田有恒さんは疑わしいと思われたそうですね。アニメ黎明期の大事件ですが、パクった側からの証言が欲しい処ですな。(≧∇≦)b
ハリスの旋風(かぜ) と読みます。
そのあと国松さまのお通りだい、ってタイトルに変わったような?
@@CherrycakeTV2020スポンサーだった ハリス製菓が他社に吸収合併され消滅したからハリスが使えなくなったのよ。
カネボウ?フォービューリホーヒューマnライフ
@@伊藤雲黒斎 50何年ぶりに謎が解けましたわ。
こんなゴタゴタしても、ちゃんと名作を物する手塚はやっぱ神
W3放映当時は都会はいざ知らず地方では民放1局が普通だった時代で視聴率勝った負けたはなかったんだよ。そのかわりクロスネットとかいうので面白い作品だけまとめて見れた。だからオオカミ少年ケンやレインボー戦隊とか見てないしW3にスーパージェッター・ソランはしっかり見た、
ソランやジェッタ-は裁縫総裁再放送で何回も見たよねぇ、、、リアルタイムで見ていないだけで、ちなみに、内は北海道の地方都市だけど、白黒テレビの時代にNHK、日テレ、TBS、は見ていました。その後UHFコンバ-タ-を付けてテレビチョウニチ系とウヂテレビ系が見られるようになった。しかし、東京12CHは地デジになる迄見られなかったからクロスネットで放送されるのを待つしかなかった。
そうそう。「戦えオスパー」は存在すら知らなかった。コンバーターを付けて見られるようになったのが「もーれつア太郎」だった。
@@伊藤雲黒斎 おじいちゃんなんさい?
@@okiuto 70歳ですが何か?
アニメ版W3はウルトラQに視聴率でボコボコにされて時間帯移動。手塚先生にとって鬼門の作品ですな、W3は。
手塚先生のお子さんたちは『ウルトラQ』が大好きで、奥さんが「お父さんの番組を観なさい」とチャンネルを変えようとしたら手塚先生が「子供たちが観たいのを観せなさい!」と怒鳴ったとか
しかも、そのウルトラQはTBSときたもんだ。
裏番組との視聴率争い。ウルトラマンタロウvsジャングル黒べえ宇宙戦艦ヤマトvsハイジ
手塚先生はウルトラQの初回放送を見てW3の敗北を確信してしまったのがね・・・
またそこへきて「W3」のプロデューサーが当時フジテレビにいた円谷皐(つぶらや のぼる)さんだってのも皮肉なんですよね。(当時の円谷プロ社長・円谷英二氏の息子さん)
「少年キング」とか「ほくら」とかあったけど消えてしまったね(・ω・)W3はコミック読んだけどラスト最高だったな
カノコのが風邪ひいた?時に医師が「この娘にはヘソがない!」と驚いていた。両親が、ヘソがない娘なんて嫁にいけない😢と嘆いていたら真一が「俺❗嫁にするよ❗」と言ってた様な。
@@kirara-m5y さんあったねぇそのシーン
「W3」には連載中有ったものの、単行本未掲載になった幻の引き(連載漫画の次号への続き)ページが存在しています。そのシーンは(最終回前の回)、地球爆破命令に従わず帰還するW3達を見送り塞ぎ込む真一の前に、小さい子らを連れたカノコが通り掛かりますが、彼女の顔を見た瞬間に真一が···「ボッコ···似ている!」とカノコにボッコの面影を見て唖然とする大ゴマで終わっていました。この期待十分な引きを受けての次回「W3」冒頭では単にー「どうしたの?(あたしを)ジロジロ見て?」と言うカノコに対し、顔を赤らめ「何でもねえよ!」と言う真一の返しだけでしたが、このシーンを単行本で割愛したのは残念だったと、今も個人的には思っています。
反陽子爆弾?をW3が宇宙に棄てた前にボッコが真一に「反陽子爆弾?は地球に残った事にしてくれ。」と言った台詞を残して地球を去った場面は泣けた。反陽子爆弾?を地球から取り除いた事実を知れば地球人達は今まで通り戦争を繰り返すだろう、爆弾が地球の真ん中に残ったままにすれば地球人達は互いに戦争を辞め平和への行進を始めるだろう。ボッコは平和への歩みを望んでいた。プッコもひねくれた性格ながらも真一に二度と命を助けて貰いきちんと感謝していた。
あっしもW3は大傑作だと思っております。
ありがちといや、ありがちな...例えば、同一脚本家が参加している「巨人の星」「男どアホウ甲子園」見比べると、アイデア、モチーフが「共用」されているシーンもあり。手塚治虫じゃなかったら、関係者一同飲み会の肴にするだけで済んでしまったんじゃ...
確かに手塚先生とマガジン編集部との軋轢は大変そうですね。手塚先生も疑心暗鬼に成って、誰も信用されない気持ちは解るけど、落ち着いて考えて下さったらこの話は笑いで済んでいたと思いますよ。のちにテレビでW3が放送されたらウルトラQに子供を持っていかれたし、何か自業自得があったのかも。永井豪先生のマジンガーZも連載誌騒ぎは有りましたが、きちんと解決済みですからね
コメントありがとうございます!そうですね、手塚先生の怒りはわかりますが、結果的に敵を作りすぎてしまいましたね。ウルトラQも、当時は講談社が絡んでいたので、あえてW3の放送時間にぶつけてきたって話もあります。
当時、少年サンデーも少年マガジンも購読していたので、なぜ急に打ち切りと移籍新連載となったのかわかりませんでした。微妙に設定が違っていたのも違和感を覚えましたが、まぁすぐそんなことを忘れて夢中になりました。
手塚先生は、劇画、特に『巨人の星』に強い敵意を持っていらしたですが、このような背景も関係していたのでしょうかね。
白土三平氏が手塚治虫を旧時代の象徴としてやり玉に挙げていたのも、マガジン編集部の後推しがあったからなのかな、と思う。
でもあしたのジョーは良い作品と言ってわざわざ千葉さん所に行き「アニメ化をさせて下さい。」と申し出てる
手塚先生は「ドカベン」を見て「いったいコレのドコが面白いのか教えてくれ」真摯に悩んでおられたらしい。
@@伊藤雲黒斎 ドカベンの面白さは、野球好きにしか分からん。ただ、ボケとツッコミの配置は絶妙で、基本的に岩鬼、殿馬がボケ、山田、土井垣がツッコミ。※山田は時々ボケ。
@@伊藤雲黒斎 ゲゲゲの鬼太郎が漫画でヒットした時手塚先生は、水木氏に「こんなのは僕はいつでも描ける」と言ったそうです。
リアルタイム世代ですが、そういう事情だったんですね。「W3」が「マガジン」で数回連載されたと思ったら、「サンデー」の方に移り急にまた一からはじまるというのは、子供心にも奇妙に映りました。「マガジン」は大人気となった「ウルトラ」シリーズの掲載権を持っていたので、’66年からしばらくは「サンデー」に勝っていたのではないでしょうか?当時の雰囲気としてはそうだったです。何せ(大伴昌司氏の組んだ特集で)毎週「ウルトラマン」「ウルトラセブン」の最新情報が入ってくるのですから、僕はマガジンの方が好きだったですね。
その後マガジンは「仮面ライダー」を手に入れて優位に立ちましたね。おっと、その前に赤塚不二夫か...
@@APW_Manbow まあ「ライダー」が始まった頃は「少年マガジン」も「青年マガジン」か!?と思うほど純粋な子供向け雑誌からはかけ離れてましたから(ハレンチマンガや大人向け劇画ばっかりで僕は読むのを止めました)ライダーも「ウルトラ」の頃のようなコンテンツになり得ず、受け皿として「ぼくらマガジン」を経て「テレビマガジン」でやっとまともに扱ってもらえたって感じですかね。社会現象化していた「仮面ライダー」の時期に「少マガ」がずっと同じ編集方針を保っていたら、毎週新しいライダー情報が掲載されて、子供たちも我先にと買いまくり、売り切れ続出で講談社もウハウハだったでしょうに・・・
包囲網の結果、巨人の星のどこが面白のか教えてくれと泣きだすことになってしまった
センシティブな事件になってたらと考えると怖い
二つのW3。囲碁名人戦の、ようだな。理由は何にしろ、自分が考えた物を、盗まれる事は誰でも嫌だと思う。
ただ、手塚先生元々パクリとかオマージュには非常に寛大で(自身もディズニーから多大な影響も受けていた)いつもなら?「あっ!ボッコのキャラデザ誰か他所に漏らしたな!?チクショ〜」で済んでいたと思う。だからプラスなにか他にも赦せない事情事実があったのかも知れない…
当時マガジンを購入していたので、何があったのか、チンプンカンプンでした。
ブラックジャック創作秘話では多くの連載を抱え締め切りを守れない手塚さんがジャングル大帝制作スタッフから外されたことに対抗して作ったのがW3と書かれてますねその割にアニメと同時連載するなど大きなプロジェクトだったのは意外ですね
手塚先生は、執筆の依頼があると断れない方だったそうです。だから、手塚番編集者の一番重要な仕事は、そういう依頼を持ってこさせないように先生をガードする事だったそうです。それでも抱えている本数が多いので原稿は遅れ気味。この為編集者からは陰で「うそ虫」「おそ虫」と呼ばれていたとか。そしていよいよとなったら逃亡する。だから手塚番はある程度のまとまった現金とパスポ-トが必須だったとか。(一度アメリカに逃げたことがあった)九州に逃げた時は、当時九州のとある漫画クラブにいた、松本零士氏や高井研二郎氏を臨時のアシスタントにして原稿を書いていたとか。
「ジャングル大帝」がなければ今の西武ライオンズのマークはどうなっていたことでしょう?話がそれますが昔私がお世話になったデザインの先生が「ジャングル大帝」の元アニメスタッフで、テレビでは初の国産カラーアニメながら、まだまだ白黒テレビの時代だったので、この色が白黒ではどう映るかと四苦八苦だったそうです。
手塚先生の死後にマガジンとサンデーがタッグを組んだりしましたね。
「巨人の星」「あしたのジョー」:それで、俺たちが生まれたってワケ! ( ´ ▽ ` )ノ ( ´ ▽ ` )ノ
千代田区一ツ橋派と文京区音羽派の争いのひとつ
手塚包囲網ってパワーワードに草
【「W3」事件の影で、もう1つの移籍漫画···】「W3」とは逆に当時「少年サンデー」にて連載の「エムエム三太」(小沢さとる:山川大助:名義)が急に連載中止となり、突如として「少年マガジン」に小沢さとる名義で連載されるという事が起きています。同時期に「W3」と「エムエム三太」がトレードみたいな格好で掲載雑誌の入れ替りが有った訳ですが、これがマガジン&サンデー両編集部合意下での手打ちのトレードだったのか「少年マガジン」の報復の引き抜きだったかは、今も分かりません。(小沢さとる氏は当時かなりの人気漫画家です。代表作「サブマリン707」「青の6号」)
や
私は’80年代からこの業界にいたのだが、当時サンデーの編集だった人から「ソラン」事件の経緯を聞いたことがある。手塚先生が「宇宙リス」を発案したのはディズニー、ピーターパンのティンカーベルからで、ソランのチャッピーとは別物だった。情報漏洩があったのは事実だか、キャラをパクったということではないということ(でも、コンセプトは盗られたということですが)。それより「レインボー戦隊」の作家陣が石森、風太朗など、ときわ荘グループだったことに、飼い犬に手を噛まれたようなショックを受けたそうだ。…余談だが、「W3」の3匹は桃太郎からの発案だったそうだ。もう一つ余談。石森氏は「レインボー戦隊」からサイボーグ009、さらに「秘密戦隊ゴレンジャー」に繋げた。タツノコプロの「ガッチャマン」は石森氏側からクレームがあったそうだが、クォリティが高く、オリジナルの要素が強かったんで、大きな問題にはならなかったそうだ。
コメントありがとうございます!関係者による貴重な証言ですね!「レインボー戦隊ロビン」の脚本にトキワ荘グループのメンバーが関わったことにショックを受け、手塚先生がわざわざ「ナンバー7」のアニメの脚本を書き直した原因だったと考えると、いろいろ納得できます。時代背景を調べてみると、この頃は日本SF作家クラブなどで手塚先生も含めて様々な作家たちが、お互いのアイディアなど活発に交流をしていて、何をもってして盗作と考えるのか本当にわからなくなります。人間の感情のもつれと考えるのが、この事件の本質なのかもしれません。
レインボー戦隊は、キャプテンフューチャーと7人の侍と八犬伝がモチーフ。
当時はパクリとか普通だったからな。豊田有恒が脚本を書いたソランのミュー一族のエピソードとか、山田風太郎の甲賀忍法帳そっくりだった。
そして手塚も「空飛ぶ巨大ヒーロー」マグマ大使に手を染めて横山光輝の牙城に食らい付く。
今やマンガは「類似品に御注意」の時代…
8マンにおける桑田次郎は作画担当で、原作者は平井和正だぞ。
すでに作品が世に出てる状態で別会社がコピれば、明白な著作権法違反。やはり「アイディア」「構想」にとどまっているうちは、他人にその閃きを聞かれては絶対にいけない。最近の雑誌連載漫画で思うのは、どっかが「ファンタジー世界の女騎士が転生」やれば、必ずよそが似た作品ぶつけてくる。よそが「親友の幼馴染が転校してきたら本当は美少女だった」やれば、必ず似た作品をよそがぶつける。世知辛いなあと思う。
W3は不運にもウルトラQとかち合ってしまって打ち切りの憂き目にあったのが悲しい、まぁソランの方は話題にもならなかったらしいが・・・
和解しているならまだマシか
石森章太郎さんや赤塚不二夫さんなどマンガの大大大御所が師と仰ぐマンガの神様ですね。
ノッコみたいな技術者がいたら良いなと思う。
現在も問題になっている【小●館の編集部】のクズっぷりが酷くて草。ちな、某放送作家は聞こえの良い役職名だが、実態は【何でも屋】で【アイディアの切売り】をしていた人物😮💨あの業界は【1度も成果物を世に出してない】自称、放送作家、プロデューサー、音響監督というのがゴロゴロといる😩
アニメの知識が乏しいけど、ライオンキングとジャングル大帝はどうなってるの?教えて
コメントありがとうございます!ライオンキングとジャングル大帝の動画も出してるので、良ければ見てくださいね~・ライオンキング盗作騒動ruclips.net/video/JcCkO0f7oIc/видео.html
ブラックジャックが一番好き
ハリスの旋風はハリスノカゼだ、訂正しなさい!
すみません・・・ハリスの旋風(かぜ)でしたね!間違いました、訂正します
今さらこの問題を蒸し返したくない ┅┅手塚治虫だけに
山田くーん、座布団一つ持ってっちゃいなさい
そんな話は無視無視。(≧∇≦)b
個人的には編集部から漏洩だと思うけどな、約束してたのにソランを掲載してるしな、約束守らん奴ってのは信用できん。
あの時代にパクりも盗作もスパイも無かろう。似たような企画ばかりだったし、巨大ロボットの魔人ガロンやバンダーを早く思い付いて横山光輝の牙城を崩しにかかるべきだったのでは?神様、漫画文明の創生はしたけどそういうところは頑固で融通が利かなかったんだなあ。
GOOD!
とても数奇
全部今の社標だ!当時の社標に差し替え‼️
手塚治虫は訴訟を起こすべきだった
手塚氏の漫画はあまり好きではなかったので何気にぼくらやマガジンの講談社派でした。
🟡🟡取ったどー❣️そして金取ったどー🏅
レインボー戦隊とキャプテン・ウルトラはキャプテン・ヒューチャーがモデル。(どれも、ロボットが部下の作品)
はりすのかぜ
手塚治虫さんな~。この人良く漫画の神様とか言われるけどね。内外の空想科学小説をたくさん読んでる人なら誰でも思いつくような設定の漫画しか描いてないし、話の展開が平凡だし、なんか説教くさいオチを付けたがるんだよね。神様が、読者の人気投票で下位に沈むとか、編集部から打ち切りを宣言されるなんて事ありえないでしょ?まぁ、ブラックジャックだけは面白かったかな。もっとも、医学博士が医療系漫画を描いてるのだから、オリジナリティは出るわな。戦前戦中の漫画を再構築した業績は評価に値すると思うが。
「私は詰まらない人間です」と宣言しなくていいよ
手塚治虫が「俗悪」「悪書」と言われながらも、とにかく描きまくって底辺広げたからこそ、日本で「内外の空想科学小説」をたくさん読めるようになり、「誰でも思いつくような設定」となったわけだが。
樹林 伸 みたいなことを言うもんじゃありません。(あの人、講談社社員だった時代に、原作者として講談社からも出版された占星術事件をパクって金田一少年の事件簿の原作を描いたうえで、「あの作品のトリックはマジックで広く使われているものをミステリーに応用しただけだから、オリジナルじゃないので盗作にはならない。誰でも思いつくようなもの」とか言い訳してた。その上、講談社レーベルでデビューしたミステリ作家の作品パクりまくってた。貴方の言ってるのはそれと同じ。誰でも思いつくことでも、誰でも思いつかなかったんだからオリジナリティが高い。と評されてるんだわ。
@@colocalo100 おお~っ、キバヤシ断言!なつかしいな~。樹林 伸が講談社入社した頃のマガジンネタだと、「多古西応援団」で「湘爆」まるパク。「100万$キッド」が月マガから週マガに移籍した後、月マガでもギャンブル漫画連載はじめたけど、週マガからの横やりで中断。東本昌平に詫び入れたバイク漫画家もあった。
@@中村毅彦-d4e あの人、パクりまくりだからなぁ。何故、敏腕編集者、天才原作者。とか持ち上げられているのかが判らない。詐欺師の才能にあふれている。とは思うが。まあ、NHKに金田一を売り込んでスタジオ取材させた結果、占星術パクリがバレた(作画担当もアシも、一冊ずつ講談社版占星術を与えられ、付箋つけ捲り読みながら絵を描いていたのがしっかりカメラに収めらえてた。原作原稿なんて誰も見ていなかった)というのが、商人欲求の高さと詰め甘さを表してたけど
もしかして辻真先? しかしW3も不幸な作品たよな〜漫画のできわ良いのにW3事件だし アニメは裏番組のウルトラQに取られるし…
大御所中の大御所ですね。当時ジェッタ-にしても、ソランにしても新進気鋭のSF作家を集めて脚本描かせていた時代だから多分そのあたりでしょうね。でもその当時の作家さんって今は皆大御所だけどね~下手な事は言えませんよ。
人気の番組がカチ合うと不幸しか生まれない宇宙戦艦ヤマトは裏番組が、「アルプスの少女ハイジ」だったせいで視聴率がさんざんな感じだったとか。ちなみに、ファーストガンダムの本放送時の裏番組はゴッドシグマだったとか。
辻先生だと手塚・豊田両氏も黙っちゃうわな
可能性は高いな。ご本人の書かれた脚本家入門の本では闘将ダイモスの担当回をモデルにして「あれは僕がやったんだ」「これは僕のアイデアだ」と言う自慢とも承認欲求ともとれる文章が散見される。その回は当時東映まんが祭りでも使われた。よほど東映から配慮されたんだろうな。しかし性格は明るくて顔も広いとなると責められない。ご本人は無邪気で自制心の無いキャラだったのかも。いや、あくまで可能性だけど。
辻真先は脚本家であって放送作家ではないけどね。
結果、劇画の波が起きたのは業界活性化の為には良かったと思う
W3事件の時点でTBSを潰しておけば…
@@ubeoka あそこ極左の巣窟よね
TBSにプライドがなかったというお話。
いやいや、手塚治虫のアイデアだってわかってるなら聞いたからってパクっちゃダメだろ。
テレビ局ってそんなにモラルの無い世界なのか?今後に響くとか考えなかったのかね?
そんなの有ったらドラマ化で漫画家が自殺する様な事起こらんだろ
「動物のお医者さん」のドラマ化を断ったらロシナンテの災難、「おたんこナース」はナースのお仕事ってパクリを堂々とやる連中だよ?
モラルなんてあったらテレビマンなんてやれてない感じだったよ
自分達を批判できるのも事実上自分達だけだから「俺たちゃ無敵だ!何をやっても許される!」と思ってるんだよテレビマンは
更にオウム審理教に情報漏洩
このせいで坂本弁護士は一家で〆されたんや
宇宙リスの情報漏洩に関しては手塚治虫氏自身が漏洩の犯人だった、のオチを知った時はアゴが外れそうになりました😅
世代的にマガジンで三つ目がとおるが連載されていたので手塚氏とマガジンとの間にゴタゴタがあったなんて知りませんでした。
キングは蚊帳の外?
その前に和解記念作として、猫が躍る漫画(タイトル忘れた)が載ったんだよ。
@@伊藤雲黒斎 おけさのひょう六(手塚治虫猫傑作集Ⅰ収録)ですか。週刊少年マガジン1974年4月21日号所載だそうなので、この年が節目なんですね。この年から三目がとおるがマガジンで連載&ヒット。その先触れとして意義が有ると思います。…それにしても手塚猫漫画はどれもイイ!
「ハリスの旋風」の前に、
「ハリス無段」という柔道漫画がマガジンで連載されていた。
これもハリス食品がスポンサーだったが、アニメ化はされなかった。
原作は梶原一騎で、画が吉田竜夫。
主人公はちゃんと風船ガムを膨らませていたw
つーか 週刊連載持ちながらアニメ制作も始めるとか手塚治虫はどんな超人なんだよ
スケジュールはかなり破綻しており虫プロスタッフ、各紙編集部等が被害を受けていたらしい。
とばっちりで自宅の池で遊んでいた息子さんが何度か池に突き飛ばされたと言っていました。
@@tw2914狂人で草
だって漫画の神様だもん
日本式アニメの創始者でもあるからなあ。
@@APW_Manbow
良くも悪くも日本のアニメーションに与えた影響の大きさから手塚治虫に対して思う所があるアニメーターは居ると聞く。
しかし、W3のエンディングは子供心にたまげた。タイムパラドックスを教えてくれた。
ただ、秋田書店の単行本は酷い内容でエピソードがごっちゃり抜けていたな。バンパイヤなんて1話まるまる抜けていて話が続かなかったぞ。
それはさておき、ちゃんとしたSFだった。光一にいちゃんの視点でスパイ映画を作ってください。話はあのままで。
この事件の背景には、手塚漫画と劇画の確執よりも、手工業から商業主義へ移り変わる業界の過渡期があったんでしょうね。
新宝島で時代の寵児となった同氏もいつの間にか、大御所とか神様とされることになったのかな。
本人は暗黒時代と呼んでいるスランプ期に気づかれており、挑戦者としての立ち位置に立ち返り、第二期黄金期を迎えられたようですね。
手塚先生は第二期黄金期に入る前に1973年に10億の借金を抱えて虫プロが倒産しています。
まず73年8月に虫プロ商事が倒産してその後
虫プロ本体が倒産したのは少年チャンピオンに『ブラック・ジャック』連載第1話が世に出た直後の73年11月5日の事です。チャンピオンの名物編集長壁村氏が、「手塚の死に水を取ってやろう」と短期集中連載を依頼したのはまさに虫プロ商事倒産事件の最中だった事になるでしょう。壁村氏がこれは!!!っと感じたのは、全5回の連載依頼だった筈のブラック・ジャックの5回目の掲載が終わって6回目が無いから前の原稿を次の号にもう一回掲載した時、編集部には「インチキ」、「金返せ」等の非難轟々の電話が鳴りやまなかったのだそうです。急遽手塚治虫に連絡を取り連載続行を依頼したのだそうです。その時ヤクザ紛いの債権者から手塚先生の手書きの玉稿を護ったのは、アップリカ・チルドレンズプロダクツの創業者葛西健蔵氏でした。葛西氏は私財を一部投じて高田の馬場のスタジオにある手塚先生の手書き原稿の散逸を防ぎました。葛西氏を恩師と仰ぐ小さな会社の経営者2人が、師の東奔西走ぶりを間近で見て「俺たちも一肌脱ごう」と5千万円を集め、手塚氏に提供してほしいと願い出る。その意向は葛西氏を通じて手塚氏に伝えられるが、手塚氏はさすがにそんな大金は受け取れないと提供を辞退する。ただ、その申し出に感激して漫画の神様は再始動を果たす。ブラアックジャック創作の裏にはこういうエピソードがあったのだ。
アップリカは鉄腕アトムを使った子供用品を造ったことがあり、その時に手塚先生と親交を持っていたそうな。当時キャラクタ-を無断で使う事は当たり前だったのに、葛西氏はきちんと手塚先生の許可を取って販売したわけだ。
一時、豊田有恒さんの本を読み漁ってたので、この件は知ってました。8マンの平井和正さんとの友人関係などから、豊田有恒さんは疑わしいと思われたそうですね。アニメ黎明期の大事件ですが、パクった側からの証言が欲しい処ですな。(≧∇≦)b
ハリスの旋風(かぜ) と読みます。
そのあと国松さまのお通りだい、ってタイトルに変わったような?
@@CherrycakeTV2020スポンサーだった ハリス製菓が他社に吸収合併され消滅したからハリスが使えなくなったのよ。
カネボウ?
フォービューリホーヒューマnライフ
@@伊藤雲黒斎 50何年ぶりに謎が解けましたわ。
こんなゴタゴタしても、ちゃんと名作を物する手塚はやっぱ神
W3放映当時は都会はいざ知らず地方では民放1局が普通だった時代で視聴率勝った負けたはなかったんだよ。そのかわりクロスネットとかいうので面白い作品だけまとめて見れた。だからオオカミ少年ケンやレインボー戦隊とか見てないしW3にスーパージェッター・ソランはしっかり見た、
ソランやジェッタ-は裁縫総裁再放送で何回も見たよねぇ、、、リアルタイムで見ていないだけで、
ちなみに、内は北海道の地方都市だけど、白黒テレビの時代にNHK、日テレ、TBS、は見ていました。その後UHFコンバ-タ-を付けてテレビチョウニチ系とウヂテレビ系が見られるようになった。しかし、東京12CHは地デジになる迄見られなかったからクロスネットで放送されるのを待つしかなかった。
そうそう。
「戦えオスパー」は存在すら知らなかった。
コンバーターを付けて見られるようになったのが「もーれつア太郎」だった。
@@伊藤雲黒斎 おじいちゃんなんさい?
@@okiuto 70歳ですが何か?
アニメ版W3はウルトラQに視聴率でボコボコにされて時間帯移動。手塚先生にとって鬼門の作品ですな、W3は。
手塚先生のお子さんたちは『ウルトラQ』が大好きで、奥さんが「お父さんの番組を観なさい」とチャンネルを変えようとしたら手塚先生が「子供たちが観たいのを観せなさい!」と怒鳴ったとか
しかも、そのウルトラQはTBSときたもんだ。
裏番組との視聴率争い。
ウルトラマンタロウvsジャングル黒べえ
宇宙戦艦ヤマトvsハイジ
手塚先生はウルトラQの初回放送を見てW3の敗北を確信してしまったのがね・・・
またそこへきて「W3」のプロデューサーが当時フジテレビにいた円谷皐(つぶらや のぼる)さんだってのも皮肉なんですよね。(当時の円谷プロ社長・円谷英二氏の息子さん)
「少年キング」とか「ほくら」とかあったけど消えてしまったね(・ω・)
W3はコミック読んだけどラスト最高だったな
カノコのが風邪ひいた?時に医師が「この娘にはヘソがない!」と驚いていた。両親が、ヘソがない娘なんて嫁にいけない😢と嘆いていたら真一が「俺❗嫁にするよ❗」と言ってた様な。
@@kirara-m5y さん
あったねぇそのシーン
「W3」には連載中有ったものの、単行本
未掲載になった幻の引き(連載漫画の次号
への続き)ページが存在しています。その
シーンは(最終回前の回)、地球爆破命令に
従わず帰還するW3達を見送り塞ぎ込む
真一の前に、小さい子らを連れたカノコが
通り掛かりますが、彼女の顔を見た瞬間に
真一が···「ボッコ···似ている!」とカノコに
ボッコの面影を見て唖然とする大ゴマで
終わっていました。この期待十分な引きを
受けての次回「W3」冒頭では単にー
「どうしたの?(あたしを)ジロジロ見て?」
と言うカノコに対し、顔を赤らめ「何でも
ねえよ!」と言う真一の返しだけでしたが、
このシーンを単行本で割愛したのは残念
だったと、今も個人的には思っています。
反陽子爆弾?をW3が宇宙に棄てた前にボッコが真一に「反陽子爆弾?は地球に残った事にしてくれ。」と言った台詞を残して地球を去った場面は泣けた。
反陽子爆弾?を地球から取り除いた事実を知れば地球人達は今まで通り戦争を繰り返すだろう、爆弾が地球の真ん中に残ったままにすれば地球人達は互いに戦争を辞め平和への行進を始めるだろう。
ボッコは平和への歩みを望んでいた。
プッコもひねくれた性格ながらも真一に二度と命を助けて貰いきちんと感謝していた。
あっしもW3は大傑作だと思っております。
ありがちといや、ありがちな...
例えば、同一脚本家が参加している「巨人の星」「男どアホウ甲子園」見比べると、
アイデア、モチーフが「共用」されているシーンもあり。
手塚治虫じゃなかったら、関係者一同飲み会の肴にするだけで済んでしまったんじゃ...
確かに手塚先生とマガジン編集部との軋轢は大変そうですね。手塚先生も疑心暗鬼に成って、誰も信用されない気持ちは解るけど、落ち着いて考えて下さったらこの話は笑いで済んでいたと思いますよ。のちにテレビでW3が放送されたらウルトラQに子供を持っていかれたし、何か自業自得があったのかも。永井豪先生のマジンガーZも連載誌騒ぎは有りましたが、きちんと解決済みですからね
コメントありがとうございます!
そうですね、手塚先生の怒りはわかりますが、結果的に敵を作りすぎてしまいましたね。
ウルトラQも、当時は講談社が絡んでいたので、あえてW3の放送時間にぶつけてきたって話もあります。
当時、少年サンデーも少年マガジンも購読していたので、なぜ急に打ち切りと移籍新連載となったのかわかりませんでした。微妙に設定が違っていたのも違和感を覚えましたが、まぁすぐそんなことを忘れて夢中になりました。
手塚先生は、劇画、特に『巨人の星』に強い敵意を持っていらしたですが、このような背景も関係していたのでしょうかね。
白土三平氏が手塚治虫を旧時代の象徴としてやり玉に挙げていたのも、マガジン編集部の後推しがあったからなのかな、と思う。
でもあしたのジョーは良い作品と言ってわざわざ千葉さん所に行き「アニメ化をさせて下さい。」と申し出てる
手塚先生は「ドカベン」を見て「いったいコレのドコが面白いのか教えてくれ」真摯に悩んでおられたらしい。
@@伊藤雲黒斎
ドカベンの面白さは、野球好きにしか分からん。
ただ、ボケとツッコミの配置は絶妙で、基本的に岩鬼、殿馬がボケ、山田、土井垣がツッコミ。※山田は時々ボケ。
@@伊藤雲黒斎
ゲゲゲの鬼太郎が漫画でヒットした時手塚先生は、水木氏に
「こんなのは僕はいつでも描ける」と言ったそうです。
リアルタイム世代ですが、そういう事情だったんですね。
「W3」が「マガジン」で数回連載されたと思ったら、「サンデー」の方に移り急にまた一からはじまるというのは、子供心にも奇妙に映りました。
「マガジン」は大人気となった「ウルトラ」シリーズの掲載権を持っていたので、’66年からしばらくは「サンデー」に勝っていたのではないでしょうか?当時の雰囲気としてはそうだったです。何せ(大伴昌司氏の組んだ特集で)毎週「ウルトラマン」「ウルトラセブン」の最新情報が入ってくるのですから、僕はマガジンの方が好きだったですね。
その後マガジンは「仮面ライダー」を手に入れて優位に立ちましたね。
おっと、その前に赤塚不二夫か...
@@APW_Manbow
まあ「ライダー」が始まった頃は「少年マガジン」も「青年マガジン」か!?と思うほど純粋な子供向け雑誌からはかけ離れてましたから(ハレンチマンガや大人向け劇画ばっかりで僕は読むのを止めました)ライダーも「ウルトラ」の頃のようなコンテンツになり得ず、受け皿として「ぼくらマガジン」を経て「テレビマガジン」でやっとまともに扱ってもらえたって感じですかね。
社会現象化していた「仮面ライダー」の時期に「少マガ」がずっと同じ編集方針を保っていたら、毎週新しいライダー情報が掲載されて、子供たちも我先にと買いまくり、売り切れ続出で講談社もウハウハだったでしょうに・・・
包囲網の結果、巨人の星のどこが面白のか教えてくれと泣きだすことになってしまった
センシティブな事件になってたらと考えると怖い
二つのW3。囲碁名人戦の、ようだな。理由は何にしろ、自分が考えた物を、盗まれる事は誰でも嫌だと思う。
ただ、手塚先生元々パクリとかオマージュには非常に寛大で(自身もディズニーから多大な影響も受けていた)
いつもなら?「あっ!ボッコのキャラデザ誰か他所に漏らしたな!?チクショ〜」で済んでいたと思う。
だからプラスなにか他にも赦せない事情事実があったのかも知れない…
当時マガジンを購入していたので、何があったのか、チンプンカンプンでした。
ブラックジャック創作秘話では多くの連載を抱え締め切りを守れない手塚さんがジャングル大帝制作スタッフから外されたことに対抗して作ったのがW3と書かれてますね
その割にアニメと同時連載するなど大きなプロジェクトだったのは意外ですね
手塚先生は、執筆の依頼があると断れない方だったそうです。だから、手塚番編集者の一番重要な仕事は、そういう依頼を持ってこさせないように先生をガードする事だったそうです。それでも抱えている本数が多いので原稿は遅れ気味。
この為編集者からは陰で「うそ虫」「おそ虫」と呼ばれていたとか。
そしていよいよとなったら逃亡する。
だから手塚番はある程度のまとまった現金とパスポ-トが必須だったとか。(一度アメリカに逃げたことがあった)
九州に逃げた時は、当時九州のとある漫画クラブにいた、松本零士氏や高井研二郎氏を臨時のアシスタントにして原稿を書いていたとか。
「ジャングル大帝」がなければ今の西武ライオンズのマークはどうなっていたことでしょう?
話がそれますが昔私がお世話になったデザインの先生が「ジャングル大帝」の元アニメスタッフで、テレビでは初の国産カラーアニメながら、まだまだ白黒テレビの時代だったので、この色が白黒ではどう映るかと四苦八苦だったそうです。
手塚先生の死後にマガジンとサンデーがタッグを組んだりしましたね。
「巨人の星」「あしたのジョー」:それで、俺たちが生まれたってワケ! ( ´ ▽ ` )ノ ( ´ ▽ ` )ノ
千代田区一ツ橋派と文京区音羽派の争いのひとつ
手塚包囲網ってパワーワードに草
【「W3」事件の影で、もう1つの移籍漫画···】
「W3」とは逆に当時「少年サンデー」にて連載の
「エムエム三太」(小沢さとる:山川大助:名義)が急
に連載中止となり、突如として「少年マガジン」
に小沢さとる名義で連載されるという事が起き
ています。同時期に「W3」と「エムエム三太」が
トレードみたいな格好で掲載雑誌の入れ替りが
有った訳ですが、これがマガジン&サンデー両
編集部合意下での手打ちのトレードだったのか
「少年マガジン」の報復の引き抜きだったかは、
今も分かりません。
(小沢さとる氏は当時かなりの人気漫画家です。
代表作「サブマリン707」「青の6号」)
や
私は’80年代からこの業界にいたのだが、当時サンデーの編集だった人から「ソラン」事件の経緯を聞いたことがある。手塚先生が「宇宙リス」を発案したのは
ディズニー、ピーターパンのティンカーベルからで、ソランのチャッピーとは別物だった。情報漏洩があったのは事実だか、キャラをパクったという
ことではないということ(でも、コンセプトは盗られたということですが)。それより「レインボー戦隊」の作家陣が石森、風太朗など、ときわ荘グループ
だったことに、飼い犬に手を噛まれたようなショックを受けたそうだ。…余談だが、「W3」の3匹は桃太郎からの発案だったそうだ。もう一つ余談。
石森氏は「レインボー戦隊」からサイボーグ009、さらに「秘密戦隊ゴレンジャー」に繋げた。タツノコプロの「ガッチャマン」は石森氏側からクレーム
があったそうだが、クォリティが高く、オリジナルの要素が強かったんで、大きな問題にはならなかったそうだ。
コメントありがとうございます!関係者による貴重な証言ですね!
「レインボー戦隊ロビン」の脚本にトキワ荘グループのメンバーが関わったことにショックを受け、手塚先生がわざわざ「ナンバー7」のアニメの脚本を書き直した原因だったと考えると、いろいろ納得できます。
時代背景を調べてみると、この頃は日本SF作家クラブなどで手塚先生も含めて様々な作家たちが、お互いのアイディアなど活発に交流をしていて、何をもってして盗作と考えるのか本当にわからなくなります。
人間の感情のもつれと考えるのが、この事件の本質なのかもしれません。
レインボー戦隊は、キャプテンフューチャーと7人の侍と八犬伝がモチーフ。
当時はパクリとか普通だったからな。
豊田有恒が脚本を書いたソランのミュー一族のエピソードとか、
山田風太郎の甲賀忍法帳そっくりだった。
そして手塚も「空飛ぶ巨大ヒーロー」マグマ大使に手を染めて横山光輝の牙城に食らい付く。
今やマンガは「類似品に御注意」の時代…
8マンにおける桑田次郎は作画担当で、原作者は平井和正だぞ。
すでに作品が世に出てる状態で別会社がコピれば、明白な著作権法違反。
やはり「アイディア」「構想」にとどまっているうちは、他人にその閃きを聞かれては絶対にいけない。
最近の雑誌連載漫画で思うのは、どっかが「ファンタジー世界の女騎士が転生」やれば、必ずよそが似た作品ぶつけてくる。
よそが「親友の幼馴染が転校してきたら本当は美少女だった」やれば、必ず似た作品をよそがぶつける。世知辛いなあと思う。
W3は不運にもウルトラQとかち合ってしまって打ち切りの憂き目にあったのが悲しい、まぁソランの方は話題にもならなかったらしいが・・・
和解しているならまだマシか
石森章太郎さんや赤塚不二夫さんなどマンガの大大大御所が師と仰ぐマンガの神様ですね。
ノッコみたいな技術者がいたら良いなと思う。
現在も問題になっている【小●館の編集部】のクズっぷりが酷くて草。
ちな、某放送作家は聞こえの良い役職名だが、実態は【何でも屋】で【アイディアの切売り】をしていた人物😮💨
あの業界は【1度も成果物を世に出してない】自称、放送作家、プロデューサー、音響監督というのがゴロゴロといる😩
アニメの知識が乏しいけど、ライオンキングとジャングル大帝はどうなってるの?教えて
コメントありがとうございます!
ライオンキングとジャングル大帝の動画も出してるので、良ければ見てくださいね~
・ライオンキング盗作騒動
ruclips.net/video/JcCkO0f7oIc/видео.html
ブラックジャックが一番好き
ハリスの旋風
は
ハリスノカゼだ、
訂正しなさい!
すみません・・・
ハリスの旋風(かぜ)でしたね!
間違いました、訂正します
今さらこの問題を蒸し返したくない
┅┅手塚治虫だけに
山田くーん、
座布団一つ持ってっちゃいなさい
そんな話は無視無視。(≧∇≦)b
個人的には編集部から漏洩だと思うけどな、
約束してたのにソランを掲載してるしな、
約束守らん奴ってのは信用できん。
あの時代にパクりも盗作もスパイも無かろう。
似たような企画ばかりだったし、巨大ロボットの魔人ガロンやバンダーを早く思い付いて横山光輝の牙城を崩しにかかるべきだったのでは?
神様、漫画文明の創生はしたけどそういうところは頑固で融通が利かなかったんだなあ。
GOOD!
とても数奇
全部今の社標だ!当時の社標に差し替え‼️
手塚治虫は訴訟を起こすべきだった
手塚氏の漫画はあまり好きではなかったので何気にぼくらやマガジンの講談社派でした。
🟡🟡取ったどー❣️
そして金取ったどー🏅
レインボー戦隊と
キャプテン・ウルトラは
キャプテン・ヒューチャーがモデル。
(どれも、ロボットが部下の作品)
はりすのかぜ
手塚治虫さんな~。この人良く漫画の神様とか言われるけどね。内外の空想科学小説をたくさん読んでる人なら誰でも思いつくような設定の漫画しか描いてないし、話の展開が平凡だし、なんか説教くさいオチを付けたがるんだよね。神様が、読者の人気投票で下位に沈むとか、編集部から打ち切りを宣言されるなんて事ありえないでしょ?まぁ、ブラックジャックだけは面白かったかな。もっとも、医学博士が医療系漫画を描いてるのだから、オリジナリティは出るわな。戦前戦中の漫画を再構築した業績は評価に値すると思うが。
「私は詰まらない人間です」と宣言しなくていいよ
手塚治虫が「俗悪」「悪書」と言われながらも、とにかく描きまくって底辺広げたからこそ、日本で「内外の空想科学小説」をたくさん読めるようになり、「誰でも思いつくような設定」となったわけだが。
樹林 伸 みたいなことを言うもんじゃありません。
(あの人、講談社社員だった時代に、原作者として講談社からも出版された占星術事件をパクって金田一少年の事件簿の原作を描いたうえで、「あの作品のトリックはマジックで広く使われているものをミステリーに応用しただけだから、オリジナルじゃないので盗作にはならない。誰でも思いつくようなもの」とか言い訳してた。
その上、講談社レーベルでデビューしたミステリ作家の作品パクりまくってた。
貴方の言ってるのはそれと同じ。誰でも思いつくことでも、誰でも思いつかなかったんだからオリジナリティが高い。と評されてるんだわ。
@@colocalo100 おお~っ、キバヤシ断言!なつかしいな~。
樹林 伸が講談社入社した頃のマガジンネタだと、「多古西応援団」で「湘爆」まるパク。「100万$キッド」が月マガから週マガに移籍した後、月マガでもギャンブル漫画連載はじめたけど、週マガからの横やりで中断。東本昌平に詫び入れたバイク漫画家もあった。
@@中村毅彦-d4e
あの人、パクりまくりだからなぁ。
何故、敏腕編集者、天才原作者。とか持ち上げられているのかが判らない。
詐欺師の才能にあふれている。とは思うが。
まあ、NHKに金田一を売り込んでスタジオ取材させた結果、占星術パクリがバレた(作画担当もアシも、一冊ずつ講談社版占星術を与えられ、付箋つけ捲り読みながら絵を描いていたのがしっかりカメラに収めらえてた。原作原稿なんて誰も見ていなかった)というのが、商人欲求の高さと詰め甘さを表してたけど
もしかして辻真先? しかしW3も不幸な作品たよな〜漫画のできわ良いのにW3事件だし アニメは裏番組のウルトラQに取られるし…
大御所中の大御所ですね。
当時ジェッタ-にしても、ソランにしても新進気鋭のSF作家を集めて脚本描かせていた時代だから多分そのあたりでしょうね。でもその当時の作家さんって今は皆大御所だけどね~下手な事は言えませんよ。
人気の番組がカチ合うと不幸しか生まれない宇宙戦艦ヤマトは裏番組が、「アルプスの少女ハイジ」だったせいで視聴率がさんざんな感じだったとか。
ちなみに、ファーストガンダムの本放送時の裏番組はゴッドシグマだったとか。
辻先生だと手塚・豊田両氏も黙っちゃうわな
可能性は高いな。ご本人の書かれた脚本家入門の本では
闘将ダイモスの担当回をモデルにして
「あれは僕がやったんだ」「これは僕のアイデアだ」と言う
自慢とも承認欲求ともとれる文章が散見される。
その回は当時東映まんが祭りでも使われた。
よほど東映から配慮されたんだろうな。
しかし性格は明るくて顔も広いとなると責められない。
ご本人は無邪気で自制心の無いキャラだったのかも。
いや、あくまで可能性だけど。
辻真先は脚本家であって放送作家ではないけどね。