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13:20 秀吉は義弘に「新恩知」として大隅一国を宛がう←これが最重要ポイントだよね新納先生が「これによって義弘は薩摩の義久とは別個の大名扱いを豊臣政権から受けることになった」旨講演でおっしゃっていた。義弘は秀吉によって大名に取り立てられた「豊臣恩顧」になったと。つまり、義弘にとって石田三成は政権における先輩・上司になったわけで、今後、三成との関係が深まっていくのも、島津家中で義弘がヘイトを集めていくのも、この観点で見るとスッキリ理解できる。
島津家は歴史ファンから人気あり自分も好きな武将たちが多いんですが、どうにも最強や脳筋などと言うワードが先行しすぎてちゃんとした解説動画があまりなかったので島津家の内情や行動のいきさつを詳しく解説されてるのでとても勉強になりました。自分で調べても島津家中がどういう経緯で統率されて行動していったかが資料を読んでも複雑で分かりにくい部分が多くこういう動画で相関図が絵で見れたおかげでだいぶ分かりやすく鑑賞できました、これからの動画も期待して待っています!
コメントありがとうございます!そういっていただけると大変励みになります!続編も乞うご期待です😄😄
兵站を維持できる豊臣軍が凄すぎる。
コメントありがとうございます!現地調達に頼ってた部分も大きかったかもですね。
あとは「太閤検地の邪魔になり得る者を排除したかった」って魔理沙が言ってた下り(19:45)、梅北一揆が起きた肥後では過去に太閤検地に反発した農民や土豪などによる一揆が起きて、当時の肥後領主だった佐々成政が責任を問われて切腹させられてるんですよね……。その後釜が小西行長と加藤清正で、梅北一揆が起きた肥後南部は加藤清正の領分だったという………。(18:52)
島津歳久の史料は鎧兜が現存している以外ほとんど見られないんだよなあ。でも今でもさつま町で「金吾さあ」と呼ばれていて祭りも開かれるほど慕われているし、あの西郷隆盛も尊敬していたしね。まあ影が薄いといわれたのは歳久好きの自分は傷ついたけど。
やっぱり徳川よりも豊臣のほうに恨み骨髄のはずなんだよなぁ…だから豊臣恩顧で徳川許すまじってなって関ケ原後ずっと恨みを抱えてた云々ってのが眉唾かなとまぁ歴史の真実なんて知らんけど
倒幕で結果的にそういわれてるだけで元々仲良い方ですしね→義久の侍医は家康の診断もやってくれるくらい+近衛前久通じて仲も良い
島津は途中まで公武合体派ですよ
@@とろろいも-i5k 徳川慶喜が四侯会議やる気ゼロで、あくまでも徳川がリーダーシップを取るスタンスを露わにして薩摩が主導権握れないと確信して討幕を決意した。それまでは幕府と協調して行く公武合体派だった。
コメントありがとうございます!他の方の返信にありますが家康との仲は別に悪くないですしね。
島津四兄弟九州統一戦編お疲れ様でしたシリーズを通して見た感想ですがネットで巷に語られてきた島津四兄弟は優秀で仲が良かったという通説は優秀であった事は確かだが互いに溝があり一致して行動は出来なかった事が分かって島津家の美談は後の世の島津家が過去を美化するために加筆した結果生まれたものなのだろうな……と思う様になりました家臣団も個々として見れば優秀な人物も多いですが野心家が多く統率がとれてない辺りに鎌倉時代の前時代的な統制だった様に思えます戦国大名は室町幕府から任された訳ではなく独自に組織化された家臣団を持つ豪族と指す言葉として使われますが元々守護大名で前時代的な統制で政治と戦争をしていた島津家は戦国大名ではなく守護大名の延長線に過ぎなかったのかもしれませんね
コメントありがとうございます!こちらこそ全編ご視聴いただいてありがたいかぎりです😄😄武田・北条などの東国の列強と比べると島津は戦国大名化は不徹底だった感じで、九州の南端という地理的条件もあって生き残ったというところでしょうか。
歳久公の悲劇的最期は江戸時代の薩摩藩士達に金吾さあの最期として語り継がれていくことになり西郷隆盛さんが安政の大獄の際追い詰められて錦江湾に入水する際に同行していた僧侶月照さんにに歳久公の故事を語って二人で入水したのですが西郷さんは生還し月照さんは亡くなられたというお話を聞いたことがありますね。西郷さんの子孫の陶芸家のお母様は日置島津家から西郷家に嫁いでいるとか歴史は面白いですね。
コメントありがとうございます!同時代記録は少ない歳久ですが、後世への影響力は義弘に次ぐものだったのかもですね。
80年代のドタバタコメディー映画のような展開で存分に楽しみました。側から見たら面白いけど、当主は生きた心地しなかっただろうな、この期間。
コメントありがとうございます!本当にそんなノリですよね。こんな組織のリーダーは絶対務めたくないです😰😰
勇猛果敢な戦闘狂みたいなイメージとは大きく異なる実情だったけれど、良くも悪くも人間味が増すようでこれはこれで魅力的で面白かったです。
コメントありがとうございます!最強島津軍も魅力的ですけど、人間くささが滲み出てる四兄弟も親しみがありますよね😄😄
蔑称の「悪久」で有名な方の家久ですね。示現流で有名な東郷重位も出てくるかも
コメントありがとうございます!悪久君の活躍?にも乞うご期待です😅😅
歳久ー!😭家久の毒殺説は、実行した疑惑の人が複数居て、謎が謎を呼ぶ。症状の悪化だと個人的には思っています😗
コメントありがとうございます!個人的には毒殺のほうが家久の死に方としてはふさわしいかと😰😰
歳久の影の薄さは家久のようなトンデモ行動がほとんどなかったことの証左でもあるのかなと。もちろん動画内でも言及されているように処断時に色々な記録が削除・破棄されてしまった可能性もありますが、いずれにせよ義久にとって数少ない後方を安心して任せられる人物だったのかもしれませんね。
コメントありがとうございます!家久とは違う常識人で地味ながら組織の安定的な運営には欠かせない、そんな人物像だったのかもですね。
おお、第2クールは嬉しいです。来週も楽しみにしてます。島津の後は毛利3兄弟がいいなあ😊
コメントありがとうございます!毛利もいつか取り上げてみたいですね!
なんかの小説だと大隅の処遇について長宗我部元親が島津本領と言っても過言では無い元親が入ったら一揆が起きるに決まってるって言って拒否したみたいな描写がありましたけど島津の国衆の動向見てたらそれも有り得そうですね
コメントありがとうございます!確かにそうですよね😰😰
島津四兄弟は全員が全員と絶妙に仲が悪いんよね家久は下賤腹で、実質3兄弟の義弘と歳久から見下されたのを長男義久がたしなめる話あるが。・従わない周りに辟易する長男・将帥として優秀すぎて独立思考で、才ある4男の功を妬んでいると書状で陰口叩かれてる次男・上下ほど意識高い系ではないがゆえに他3人と逆張りの道を行く3男(4男叩きでは次男と意気投合)・お茶すらたてられないコンプレックスから局地戦で才能を見せるが、あまりに戦闘狂な義経タイプの4男
大友も島津も国衆や豪族や小大名を傘下にして自領にしてるけど石高以上に発揮できないようなそれが一般的な大名のあり方なんだろうけど、島津の個人の強さや局地的には強いけど統制の無さや派閥政治や身内主義が後の旧日本軍に薩摩閥と一緒に悪いところと良いところも引き継いでしまったんだろうな。
コメントありがとうございます!戦国期島津家は近代日本の政軍構造の縮図みたいな感がありますね。
やる夫関ヶ原でも面白かった、あのグダグダな「庄内の乱」をやってくれるんですね!やったー!
コメントありがとうございます!庄内の乱はガッツリ解説していく予定なので乞うご期待です😄😄
何か強い時と弱い時の落差がひどいなw次は南部とか東北の武将の解説がみたいです
コメントありがとうございます!勢いで突っ走った組織はそうした傾向が強いですよね。東北武将もいつか取り上げてみたいですね😄😄
なんか、大東亜戦争での日本軍に似てるな。戦略のないまま場当たり的に勢いで突き進んで、中央の統制が取れないで、個々の派閥が勝手な行動してるところが。
良く旧日本軍はアメリカ軍の物量に負けたと一部のネット民が熱弁しているけど正直それを込みしても旧日本軍に非がなかったか?と言われたら山程出てくるからどうしようもない海軍と陸軍の対立バラバラな派閥で行われた侵攻補給線を軽視した戦線拡大理想論だけで進められた戦略自分から国連抜けたのにロシアが仲介してくれると考えた見通しの甘い外交などなどアメリカ物量除いても何処かで破綻していた未来が容易く想像出来ますそれでいて個々の活躍が目立っているのも島津軍と酷似していていますね
ほんとそれ。まさに日本軍みたい。島津について知る前は武勇がすごいって印象だったけど、戦略がダメダメでむしろ被害が多くて何も得るものがなかったというね。
コメントありがとうございます!確かに長期的展望に欠けた旧日本軍に通じるところが多いですよね😥😥
まあ、今の日本政府って薩長政閥だから多少はね
@@ヒロヒロ-r9p 明治大正時代なら分かるけど、現代もとかは流石にキツい。
사천전투는 과장된 면도 다소 있다고 생각하지만 그것과는 별개로 전장에서 발휘되는 시마즈 요시히로의 전술적 능력은 굉장했다고 생각합니다.😅
コメントありがとうございます!兵力差などは誇張されている面はありますが、義弘の武将としての能力は確かですよね。
家久が秀吉の下で自由奔放に振る舞えてたなら、あのかぶき者の前田慶次とつるんで何かやらかしそうな気が……。
コメントありがとうございます!戦国最狂コンビ爆誕ですね😱😱
特定の大名じゃないんですけど天文の乱とかも見てみたいです
コメントありがとうございます!天文の乱は面白いですね。いずれ機会があったら取り上げてみたいです😄😄
百姓としては 百姓出身の秀吉公の大化けっぷりが嬉しい⤴️
コメントありがとうございます!日本の歴史上最高のサクセスストーリーですしね😆😆
次は大友毛利と激戦の大友をお願いします。
コメントありがとうございます!そのあたりも面白いですよね😄😄
8:15 この文書の中に出てくる「公界」という言葉の意味についてはいろんな説がありますが、自分は少し飛躍して「常識」というニュアンスで捉えています。つまり、「島津家一門のお前がそんな好き勝手していいと思ってるのか、常識で考えろ!!(激怒)」という内容かなと。
コメントありがとうございます!あ~なるほど!その意味に取るとしっくりきますね😃😃
義久:おのれー!ハゲネズミィィィィィッ!!!!!! 許さん!許さんァァァァァァン!
😠😠
家久は真相わからないけど義経、韓信、ロンメル軍事的天才たちがみんな上司に消されてるのは面白いな豊臣家でも清正とか亀井茲矩もけっこうぶっ飛んでるから、家久はなんだかんだ豊臣でもやっていけたんじゃないか?クロカンとか外交と謀略もできるけど戦バカなとこあるから、家久と話し合いそうだし
今回はくじ引きが出てこず。降伏こそ出てきそうなのに。戦国大名としての島津家って、土豪の集まりだったのかなぁ⁉️豊臣軍が迫った上で、義久の命令で制御できずに個別の意思で降伏してたりするのは興味深い。他の大名家では聴いたことないけど、それは知らないだけかなぁ⁉️
コメントありがとうございます!くじ引きするひまもなかったんですかね😥😥島津は領主の自立性が高かった部分はありますね。
@@ゆっくり真実の戦国史 でも「所詮は土豪の集まり」として考えると、甲斐武田家の滅亡に至る道は理解しやすい感じがしますね‼️「裏切る・裏切らない」は、後世の人がレッテルを貼った勝手な美学なんだ、って。
あと琉球出兵もありますね。
コメントありがとうございます!琉球出兵もちゃんと解説する予定です。
サイコパスな忠恒だからこそ、猛獣揃いの家臣達を何とか制御することができて、幕末以降の薩摩閥の繁栄に繋がったのかも知れませんね。
コメントありがとうございます!人の上に立つ人間は程度はともあれサイコパス気質を持ってないと務まらないのかもですね。
家久は城持ちから秀吉麾下の部屋住みになる事で、大幅に減封される島津家の食い扶持を減らそうと考えていたのだと思いますよ。秀吉は、その忠節を評価したのでしょうね。
この動画シリーズを見て思うのが義久の当主としての立ち回りは結果的には正解だったという事ですね。権力集中を図らなかった事を非難する意見もあるでしょうが、島津家のカオスな家臣団に対して集権化を志そうものなら御館の乱を超える大反乱が起きて内側からお家滅亡待ったなしだったでしょう。義久のやり方は島津家の現状を鑑みた解答の一つと評価していいと思います。というか猫も杓子も中央集権化=善と画一的に捉える現在の世間一般の日本史観はそろそろ修正を強いられるべき時だと思います
コメントありがとうございます!義久はバランス感覚に優れた天性の政治家だったと思います。中央集権化を善を見なす考えは直線的な進歩史観の残滓なのですかね…
家久は義久に粛清されたんじゃないか。重臣の忠練が豊臣に取り込まれて今度は家久も取り込まれて家内がガタガタになるのを恐れたと思う
コメントありがとうございます!当時の状況を考えるとその可能性もありますよね。
薩摩は、この時代の家中の不統一に学んで、幕末では藩公絶対主義でほぼ一糸乱れぬ統率だった。ひるがえって、幕末の長州は、この時代の島津家中のように、藩主をないがしろにした過激派藩士が好き勝手なことをしていたなぁ。違うのは、義久はそれなりにビジョンがあったけど、敬親は完全お飾りだった点かなぁ?そして、藩としての生存はそれなりの藩主だった幕末の長州のほうが成功している点をみると、なんか皮肉。
大領を持つ大名の家老クラスの一人を優遇して、結束を崩そうとする。 秀吉の常套手段ですな伊集院家はその後に色々と災難がかかることになりますが・・・・・・・・
コメントありがとうございます!秀吉の呪いかもしれませんね😱😱
歳久の最期😢桐野作人さんの「島津義久」はみんなに読んでほしい。あの歳久の最期はむちゃくちゃ泣ける😭いよいよ最終回で悲しかったけど、第2クール、キターーーーーーー‼️やったーーーーまた来週からの楽しみができたぜ❗️
コメントありがとうございます!桐野さんの本もいいですよね😄😄続編も乞うご期待です😄😄
秀吉自身が鹿児島まで行ってるのか😅
コメントありがとうございます!秀吉が薩摩のどこまで入ったのかは諸説ありますね。
この体たらくを見ると、北条ってめっちゃ強かったんじゃねって思えてくる
コメントありがとうございます!北条には小田原城という鉄壁の巨城もありましたしね。
国衆に可愛げなんて求めてはいけない!中央政権と地方勢力の差をまざまざと
😅😅国衆は要するにアフガンとかにいる武装勢力みたいなものですしね。
良かった唐入り関ヶ原もやるのね そここそが島津の見せ場だし 最後は明治維新に繋がる国づくりも
コメントありがとうございます!朝鮮出兵・関ケ原はガッツリ解説していくつもりです😄😄
@@ゆっくり真実の戦国史 ありがとうございます
四兄弟のうち義久、歳久、家久と3人とも脳梗塞だったのかな?
何人かの人が書き込んでるが、四兄弟の仲は微妙なところだろう。家久の死はおそらく島津本家かその周辺の仕業が濃厚じゃないかな。本当に病死だった可能性も否定できないけど。鹿児島の島津、熊本の加藤など、熱烈さんがいるところはなかなか悪人をおらが殿様から出すのは不愉快だろうけど。
コメントありがとうございます!自分はそういった微妙な関係が人間くさくて逆に親近感を持てるのですが、少数派な考えですかね😓😓
@@ゆっくり真実の戦国史 様、毛利などもそういう微妙なところがあって私も好きです。少数派ではないでしょう。しかし家久は島津家中の扱いもいまいちで少し不憫だと思います。
何が無念だ。猿も対して変わらんが嶋津も同じく天下を取られたら無茶苦茶にされているわ
13:20 秀吉は義弘に「新恩知」として大隅一国を宛がう←これが最重要ポイントだよね
新納先生が「これによって義弘は薩摩の義久とは別個の大名扱いを豊臣政権から受けることになった」旨講演でおっしゃっていた。義弘は秀吉によって大名に取り立てられた「豊臣恩顧」になったと。
つまり、義弘にとって石田三成は政権における先輩・上司になったわけで、今後、三成との関係が深まっていくのも、島津家中で義弘がヘイトを集めていくのも、この観点で見るとスッキリ理解できる。
島津家は歴史ファンから人気あり自分も好きな武将たちが多いんですが、どうにも最強や脳筋などと言うワードが先行しすぎてちゃんとした解説動画があまりなかったので島津家の内情や行動のいきさつを詳しく解説されてるのでとても勉強になりました。自分で調べても島津家中がどういう経緯で統率されて行動していったかが資料を読んでも複雑で分かりにくい部分が多くこういう動画で相関図が絵で見れたおかげでだいぶ分かりやすく鑑賞できました、これからの動画も期待して待っています!
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コメントありがとうございます!現地調達に頼ってた部分も大きかったかもですね。
あとは「太閤検地の邪魔になり得る者を排除したかった」って魔理沙が言ってた下り(19:45)、梅北一揆が起きた肥後では過去に太閤検地に反発した農民や土豪などによる一揆が起きて、当時の肥後領主だった佐々成政が責任を問われて切腹させられてるんですよね……。
その後釜が小西行長と加藤清正で、梅北一揆が起きた肥後南部は加藤清正の領分だったという………。(18:52)
島津歳久の史料は鎧兜が現存している以外ほとんど見られないんだよなあ。
でも今でもさつま町で「金吾さあ」と呼ばれていて祭りも開かれるほど
慕われているし、あの西郷隆盛も尊敬していたしね。
まあ影が薄いといわれたのは歳久好きの自分は傷ついたけど。
やっぱり徳川よりも豊臣のほうに恨み骨髄のはずなんだよなぁ…
だから豊臣恩顧で徳川許すまじってなって関ケ原後ずっと恨みを抱えてた云々ってのが眉唾かなと
まぁ歴史の真実なんて知らんけど
倒幕で結果的にそういわれてるだけで元々仲良い方ですしね→義久の侍医は家康の診断もやってくれるくらい+近衛前久通じて仲も良い
島津は途中まで公武合体派ですよ
@@とろろいも-i5k 徳川慶喜が四侯会議やる気ゼロで、あくまでも徳川がリーダーシップを取るスタンスを露わにして薩摩が主導権握れないと確信して討幕を決意した。
それまでは幕府と協調して行く公武合体派だった。
コメントありがとうございます!他の方の返信にありますが家康との仲は別に悪くないですしね。
島津四兄弟九州統一戦編お疲れ様でした
シリーズを通して見た感想ですがネットで巷に語られてきた島津四兄弟は優秀で仲が良かったという通説は
優秀であった事は確かだが互いに溝があり一致して行動は出来なかった事が分かって
島津家の美談は後の世の島津家が過去を美化するために加筆した結果生まれたものなのだろうな……と思う様になりました
家臣団も個々として見れば優秀な人物も多いですが野心家が多く統率がとれてない辺りに鎌倉時代の前時代的な統制だった様に思えます
戦国大名は室町幕府から任された訳ではなく独自に組織化された家臣団を持つ豪族と指す言葉として使われますが
元々守護大名で前時代的な統制で政治と戦争をしていた島津家は戦国大名ではなく守護大名の延長線に過ぎなかったのかもしれませんね
コメントありがとうございます!こちらこそ全編ご視聴いただいてありがたいかぎりです😄😄武田・北条などの東国の列強と比べると島津は戦国大名化は不徹底だった感じで、九州の南端という地理的条件もあって生き残ったというところでしょうか。
歳久公の悲劇的最期は江戸時代の薩摩藩士達に金吾さあの最期として語り継がれていくことになり西郷隆盛さんが安政の大獄の際追い詰められて錦江湾に入水する際に同行していた僧侶月照さんにに歳久公の故事を語って二人で入水したのですが西郷さんは生還し月照さんは亡くなられたというお話を聞いたことがありますね。西郷さんの子孫の陶芸家のお母様は日置島津家から西郷家に嫁いでいるとか歴史は面白いですね。
コメントありがとうございます!同時代記録は少ない歳久ですが、後世への影響力は義弘に次ぐものだったのかもですね。
80年代のドタバタコメディー映画のような展開で存分に楽しみました。
側から見たら面白いけど、当主は生きた心地しなかっただろうな、この期間。
コメントありがとうございます!本当にそんなノリですよね。こんな組織のリーダーは絶対務めたくないです😰😰
勇猛果敢な戦闘狂みたいなイメージとは大きく異なる実情だったけれど、良くも悪くも人間味が増すようでこれはこれで魅力的で面白かったです。
コメントありがとうございます!最強島津軍も魅力的ですけど、人間くささが滲み出てる四兄弟も親しみがありますよね😄😄
蔑称の「悪久」で有名な方の家久ですね。示現流で有名な東郷重位も出てくるかも
コメントありがとうございます!悪久君の活躍?にも乞うご期待です😅😅
歳久ー!😭
家久の毒殺説は、実行した疑惑の人が複数居て、謎が謎を呼ぶ。症状の悪化だと個人的には思っています😗
コメントありがとうございます!個人的には毒殺のほうが家久の死に方としてはふさわしいかと😰😰
歳久の影の薄さは家久のようなトンデモ行動がほとんどなかったことの証左でもあるのかなと。
もちろん動画内でも言及されているように処断時に色々な記録が削除・破棄されてしまった可能性もありますが、いずれにせよ義久にとって数少ない後方を安心して任せられる人物だったのかもしれませんね。
コメントありがとうございます!家久とは違う常識人で地味ながら組織の安定的な運営には欠かせない、そんな人物像だったのかもですね。
おお、第2クールは嬉しいです。
来週も楽しみにしてます。
島津の後は毛利3兄弟がいいなあ😊
コメントありがとうございます!毛利もいつか取り上げてみたいですね!
なんかの小説だと大隅の処遇について長宗我部元親が島津本領と言っても過言では無い元親が入ったら一揆が起きるに決まってるって言って拒否したみたいな描写がありましたけど島津の国衆の動向見てたらそれも有り得そうですね
コメントありがとうございます!確かにそうですよね😰😰
島津四兄弟は全員が全員と絶妙に仲が悪いんよね
家久は下賤腹で、実質3兄弟の義弘と歳久から見下されたのを長男義久がたしなめる話あるが。
・従わない周りに辟易する長男
・将帥として優秀すぎて独立思考で、才ある4男の功を妬んでいると書状で陰口叩かれてる次男
・上下ほど意識高い系ではないがゆえに他3人と逆張りの道を行く3男(4男叩きでは次男と意気投合)
・お茶すらたてられないコンプレックスから局地戦で才能を見せるが、あまりに戦闘狂な義経タイプの4男
大友も島津も国衆や豪族や小大名を傘下にして自領にしてるけど石高以上に発揮できないようなそれが一般的な大名のあり方なんだろうけど、島津の個人の強さや局地的には強いけど統制の無さや派閥政治や身内主義が後の旧日本軍に薩摩閥と一緒に悪いところと良いところも引き継いでしまったんだろうな。
コメントありがとうございます!戦国期島津家は近代日本の政軍構造の縮図みたいな感がありますね。
やる夫関ヶ原でも面白かった、あのグダグダな「庄内の乱」をやってくれるんですね!やったー!
コメントありがとうございます!庄内の乱はガッツリ解説していく予定なので乞うご期待です😄😄
何か強い時と弱い時の落差がひどいなw
次は南部とか東北の武将の解説がみたいです
コメントありがとうございます!勢いで突っ走った組織はそうした傾向が強いですよね。東北武将もいつか取り上げてみたいですね😄😄
なんか、大東亜戦争での日本軍に似てるな。戦略のないまま場当たり的に勢いで突き進んで、中央の統制が取れないで、個々の派閥が勝手な行動してるところが。
良く旧日本軍はアメリカ軍の物量に負けたと一部のネット民が熱弁しているけど
正直それを込みしても旧日本軍に非がなかったか?と言われたら山程出てくるからどうしようもない
海軍と陸軍の対立
バラバラな派閥で行われた侵攻
補給線を軽視した戦線拡大
理想論だけで進められた戦略
自分から国連抜けたのにロシアが仲介してくれると考えた見通しの甘い外交などなど
アメリカ物量除いても何処かで破綻していた未来が容易く想像出来ます
それでいて個々の活躍が目立っているのも島津軍と酷似していていますね
ほんとそれ。まさに日本軍みたい。
島津について知る前は武勇がすごいって印象だったけど、戦略がダメダメでむしろ被害が多くて何も得るものがなかったというね。
コメントありがとうございます!確かに長期的展望に欠けた旧日本軍に通じるところが多いですよね😥😥
まあ、今の日本政府って薩長政閥だから多少はね
@@ヒロヒロ-r9p 明治大正時代なら分かるけど、現代もとかは流石にキツい。
사천전투는 과장된 면도 다소 있다고 생각하지만 그것과는 별개로 전장에서 발휘되는 시마즈 요시히로의 전술적 능력은 굉장했다고 생각합니다.😅
コメントありがとうございます!兵力差などは誇張されている面はありますが、義弘の武将としての能力は確かですよね。
家久が秀吉の下で自由奔放に振る舞えてたなら、あのかぶき者の前田慶次とつるんで何かやらかしそうな気が……。
コメントありがとうございます!戦国最狂コンビ爆誕ですね😱😱
特定の大名じゃないんですけど天文の乱とかも見てみたいです
コメントありがとうございます!天文の乱は面白いですね。いずれ機会があったら取り上げてみたいです😄😄
百姓としては 百姓出身の秀吉公の大化けっぷりが嬉しい⤴️
コメントありがとうございます!日本の歴史上最高のサクセスストーリーですしね😆😆
次は大友毛利と激戦の大友をお願いします。
コメントありがとうございます!そのあたりも面白いですよね😄😄
8:15 この文書の中に出てくる「公界」という言葉の意味についてはいろんな説がありますが、自分は少し飛躍して「常識」というニュアンスで捉えています。つまり、「島津家一門のお前がそんな好き勝手していいと思ってるのか、常識で考えろ!!(激怒)」という内容かなと。
コメントありがとうございます!あ~なるほど!その意味に取るとしっくりきますね😃😃
義久:おのれー!ハゲネズミィィィィィッ!!!!!!
許さん!許さんァァァァァァン!
😠😠
家久は真相わからないけど義経、韓信、ロンメル
軍事的天才たちがみんな上司に消されてるのは面白いな
豊臣家でも清正とか亀井茲矩もけっこうぶっ飛んでるから、家久はなんだかんだ豊臣でもやっていけたんじゃないか?
クロカンとか外交と謀略もできるけど戦バカなとこあるから、家久と話し合いそうだし
今回はくじ引きが出てこず。
降伏こそ出てきそうなのに。
戦国大名としての島津家って、土豪の集まりだったのかなぁ⁉️
豊臣軍が迫った上で、義久の命令で制御できずに個別の意思で降伏してたりするのは興味深い。
他の大名家では聴いたことないけど、それは知らないだけかなぁ⁉️
コメントありがとうございます!くじ引きするひまもなかったんですかね😥😥島津は領主の自立性が高かった部分はありますね。
@@ゆっくり真実の戦国史
でも「所詮は土豪の集まり」として考えると、
甲斐武田家の滅亡に至る道は
理解しやすい感じがしますね‼️
「裏切る・裏切らない」は、後世の人がレッテルを貼った勝手な美学なんだ、って。
あと琉球出兵もありますね。
コメントありがとうございます!琉球出兵もちゃんと解説する予定です。
サイコパスな忠恒だからこそ、猛獣揃いの家臣達を何とか制御することができて、幕末以降の薩摩閥の繁栄に繋がったのかも知れませんね。
コメントありがとうございます!人の上に立つ人間は程度はともあれサイコパス気質を持ってないと務まらないのかもですね。
家久は城持ちから秀吉麾下の部屋住みになる事で、大幅に減封される島津家の食い扶持を減らそうと考えていたのだと思いますよ。
秀吉は、その忠節を評価したのでしょうね。
この動画シリーズを見て思うのが義久の当主としての立ち回りは結果的には正解だったという事ですね。権力集中を図らなかった事を非難する意見もあるでしょうが、島津家のカオスな家臣団に対して集権化を志そうものなら御館の乱を超える大反乱が起きて内側からお家滅亡待ったなしだったでしょう。義久のやり方は島津家の現状を鑑みた解答の一つと評価していいと思います。
というか猫も杓子も中央集権化=善と画一的に捉える現在の世間一般の日本史観はそろそろ修正を強いられるべき時だと思います
コメントありがとうございます!義久はバランス感覚に優れた天性の政治家だったと思います。中央集権化を善を見なす考えは直線的な進歩史観の残滓なのですかね…
家久は義久に粛清されたんじゃないか。重臣の忠練が豊臣に取り込まれて今度は家久も取り込まれて家内がガタガタになるのを恐れたと思う
コメントありがとうございます!当時の状況を考えるとその可能性もありますよね。
薩摩は、この時代の家中の不統一に学んで、幕末では藩公絶対主義でほぼ一糸乱れぬ統率だった。
ひるがえって、幕末の長州は、この時代の島津家中のように、藩主をないがしろにした過激派藩士が好き勝手なことをしていたなぁ。
違うのは、義久はそれなりにビジョンがあったけど、敬親は完全お飾りだった点かなぁ?
そして、藩としての生存はそれなりの藩主だった幕末の長州のほうが成功している点をみると、なんか皮肉。
大領を持つ大名の家老クラスの一人を優遇して、結束を崩そうとする。 秀吉の常套手段ですな
伊集院家はその後に色々と災難がかかることになりますが・・・・・・・・
コメントありがとうございます!秀吉の呪いかもしれませんね😱😱
歳久の最期😢
桐野作人さんの「島津義久」はみんなに読んでほしい。
あの歳久の最期はむちゃくちゃ泣ける😭
いよいよ最終回で悲しかったけど、第2クール、キターーーーーーー‼️
やったーーーー
また来週からの楽しみができたぜ❗️
コメントありがとうございます!桐野さんの本もいいですよね😄😄続編も乞うご期待です😄😄
秀吉自身が鹿児島まで行ってるのか😅
コメントありがとうございます!秀吉が薩摩のどこまで入ったのかは諸説ありますね。
この体たらくを見ると、北条ってめっちゃ強かったんじゃねって思えてくる
コメントありがとうございます!北条には小田原城という鉄壁の巨城もありましたしね。
国衆に可愛げなんて求めてはいけない!
中央政権と地方勢力の差をまざまざと
😅😅国衆は要するにアフガンとかにいる武装勢力みたいなものですしね。
良かった唐入り関ヶ原もやるのね そここそが島津の見せ場だし 最後は明治維新に繋がる国づくりも
コメントありがとうございます!朝鮮出兵・関ケ原はガッツリ解説していくつもりです😄😄
@@ゆっくり真実の戦国史 ありがとうございます
四兄弟のうち義久、歳久、家久と3人とも脳梗塞だったのかな?
何人かの人が書き込んでるが、四兄弟の仲は微妙なところだろう。家久の死はおそらく島津本家かその周辺の仕業が濃厚じゃないかな。本当に病死だった可能性も否定できないけど。鹿児島の島津、熊本の加藤など、熱烈さんがいるところはなかなか悪人をおらが殿様から出すのは不愉快だろうけど。
コメントありがとうございます!自分はそういった微妙な関係が人間くさくて逆に親近感を持てるのですが、少数派な考えですかね😓😓
@@ゆっくり真実の戦国史 様、毛利などもそういう微妙なところがあって私も好きです。少数派ではないでしょう。しかし家久は島津家中の扱いもいまいちで少し不憫だと思います。
何が無念だ。猿も対して変わらんが嶋津も同じく天下を取られたら無茶苦茶にされているわ