【ゆっくり解説】日本人の四大姓・橘氏の謎
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- Опубликовано: 6 сен 2024
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歴史は何のために学ぶのか。この疑問を持ったことがある方は少なくないでしょう。仕事では直接使うことはほとんどないですよね。
過去を学ぶことで未来に活かせると私は考えています。教養という意味でも社会で必要な知識でしょう。
先人たちはどのような暮らしでなぜそのような文化が形成されたのか。面白いことばかりです。
こういった考えから、このチャンネルでは社会人の方が、ゆっくり楽しく歴史上の偉人のことを学べ、更に、そこから日常でも役立てられるような動画を作っています。
このチャンネルを通して学び、役立てられる人が1人でも多くなるようにチャンネル運営を頑張っていきます。応援してもらえると嬉しいです。
ほぼ毎日17時に動画を配信中 にっぽんぽん 運営 山本陽太
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#ゆっくり #ゆっくり日本史 #ゆっくり解説
うちの家紋が橘でなんか可愛いと思って家紋を見てました笑
橘姓の私。
今は亡き祖父は、橘姓に誇りを持っていました。
「橘あるある」かも知れないけれど、「立花」に間違えられると、ちょっと気分が悪いときがあります😅
1つ気付いたことが。氏(ウヂ)は父系の血統集団を表す符号なので、女性が結婚して変わることはありません。三千代が不比等と結婚しても県犬養氏のままなのは当然のことであります(変えたくても変えられない…)。
日本は歴史上『夫婦別姓』だからね。
今の『夫婦同姓』は、明治に入ってから西洋の真似をしただけ。
日本の歴史を知らない連中は『夫婦別姓だと家族がバラバラになる』とか言ってるけどね。
うちの家紋も丸に橘なんで関係あるのかなぁと、公式の記録でも1300年代から出てきてるのでもしかしたらとは思うのですが。橘氏の荘園が関係してるくらいしかわかりませんでした。
仲麻呂は奈良麻呂の乱のどさくさに自分のライバルの皇族や藤原の一族を拷問でころしまくったから、孝謙女帝の怒りをかい一族27564にあった。因果応報だ。
三千代さん、あまりしられていないのが不思議なくらいの人物のような気がします。個人的には、この人がいなければ不比等さんの出世はしんどかったのではと思うくらい。
こういう考え方が今は一般的なんでしょうが、当時の身分は出自によって決まるので三千代さんがいくら頑張っても不比等が出世出来るわけではありません。県犬飼氏は本来河内飛鳥にあった蘇我氏の所領の警護氏族であって、あくまで陪臣なのです。不比等の地位は彼の属性によるものです。
@@user-ps2ec4we6l それもそうですね。当時のルール軽視していました。ご教授ありがとうございます。
私の知り合いに橘さんの女性が何名かいらっしゃいますが、全員アグレッシブで賢い人ばかりです。
この動画を見て妙に納得しました。
たまたまかも知れませんが。。
江戸時代に玉木正英が現れ、「橘家神道(きつけしんとう)」を起こしている。
この頃は、男女別姓が普通ですよ。
私は檀林皇后の嘉智子しか橘さんは思い浮かばなかった。県犬養三千代さんも橘に関係あったのね。中学の同級生に三千代さんっていたな。
孝謙天皇が温和な性格ってのは無いだろうなぁ。
橘氏は古代からの氏族の中ではなんだかんだ名が残ったほうかと。藤原氏が強すぎたですねぇ
橘花紋を使っている家で、住んでいた村の土地が「薄」と言う地名なのはなんか関りがあるの?
我が家の家紋は橘氏だったかな お袋の名前はみちよ
1:09
即位を祝う宴
「えん」じゃなくて「うたげ」ですよ。
高校時代の同級生に橘姓の人が居たのを思い出しました。
八王子出身の先輩に橘さんがいた。
「文章博士」は「もんじょのはかせ」と読むのでは…?
七生報賊は正成の弟の正季が兄の問いかけに答えたのでは?
犬飼氏は、【桃太郎の犬】から来た氏族ですよね🎵、
肝心な時にしか役に立たない男
おぉーー
義理の叔母が橘姓だったなぁ。
ご主人は早逝しお子さんもおられないのでその後橘家については知らんけどw
枳氏は居ないの?
他の三氏どころか、菅原氏に比べても振るわなかったね
「立花」(たちばな)が後裔になるのでは?