Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
息子は受験でやる気を失ってしまいました。高濱先生のところで学ぶ楽しさを沢山吸収したんですけどね。私が決めすぎてしまったのかなって思いました。良い対談を上げて頂きありがとうございます。
小1の娘の対応に悩んでいるいま、たまたまこの動画を見つけました。私がつい、あれこれ言いすぎてしまい、勉強はやる気をなくしています。まず、「好きだよ」と伝えるところからはじめてみます。ありがとうございました。
"細かい自己決定を作らせる" これを意識してきましたが、選択肢を親が与えることは結果的にコントロールしてることになり、うまくいきませんでした。水にする?ジュースにする?こういう選択は、「要らない」や「お茶がいい」と本人が思っている場合は、意思とは違う選択肢を選ばされてしまう。親が選択肢を考えると子供は自分で考えなくてもよくなり、細かい自己決定を繰り返しても考えられるようにはなりませんでした。どんなアプローチをすれば良かったのか?未だに分かりません。
有能感は褒めれば育つものではないと思います。それだと諸刃の剣です。要は、「できる」かどうかだと思います。教育者はもっと死に物狂いで、子供達の「できる」に向き合ってあげた方が良いと思います。昔から、褒めて伸ばすみたいな議論が凄く疑問でした。出来もしない子をむやみに褒めて自信を持たせた結果、最終的にどうなりましたか?30年失ったのでは?あと根性。どう考えても根性は大切です。従来の根性論は論理性や科学性を欠いていたことが問題であって、根性自体が否定されるのは明らかにおかしい。ハードワーク、グリッド、如何に表現を変えたとしても、競争社会である限り根性の本質が失われることはないと思います。とにかく「できる」ようにしてあげて欲しいです。そうすれば自ずと、有能感も仲間も主体性もついてきます。比較されざるを得ない資本主義社会の仕組みについてきちんと説明し、納得させてあげて欲しいです。あるがままで良いなんて騙されて育ち、愚かにも甘い嘘を信じ、今物凄く後悔しています。
こちらのコメント、大変共感しました。今ものすごく後悔していらっしゃるというのは、ご自身が褒められて育ってこられた結果という意味でしょうか?このような説得力のある持論を持っておられるという点で、あなたはとても聡明であると感じます。
@@naokingnaoqueen ご質問ありがとうございます。自論的には、褒める・褒められるは、本質的な課題の解決には繋がらないと考えています。もちろん、きちんと出来た時は褒めてあげなくてはなりません。むしろ褒められて当然の結果ですので、必要な行為でしょう。しかし、こういった議論は往々にして、手段が目的化しがちです。また、褒めれば出来るようになるみたいな因果の逆転を引き起こしてしまいます。そういう誤った解釈が続いた結果、資本主義として当たり前の事なのに、褒められないと頑張れない人が増えたなと感じています。私達の社会は自由競争社会です。褒められた回数が多い人が勝ち抜けるルールではなく、出来る事が多い人、出来る回数が多い人が成功する(褒められる)仕組みだと思います。当然、出来る人は褒められますので相関関係は成立しますが、先の理由から、因果はあくまでも一方向なのです。したがって、教育者は、子供達の「出来る」にコミットするのが責任であり役割なのだと思います。これは善悪の議論ではありません。仕組みの議論です。善悪の議論に発展するのであれば、仕組みの在り方に言及しなくてはなりません。取り急ぎですが、うまく伝わってくださることを願います。
途中から失礼します。本当に同感です。褒めるというのは実はとても難しくて、本人のやる気に対してなのか、出来た事に対してなのかが曖昧なまま短絡的にポジティブに捉えて褒めるのは、本人の認識と客観的な実力にズレが出てくると思います。教える側は何が出来たら褒めるのか具体的にし、出来るようになるためにはどうしたらいいか、出来るとどう評価されるのか、などの方法や手段を教える必要があると思います。小学校ではみんな平等化して順位や差を付けない教育になっていますが、中学生になると急に成績が受験に直結し競争しなければならないので、適応できない子どもが増えていると感じます。大人になればまだまだ競争社会なのに、子どもには多様性を教えて褒める風潮が、努力するモチベーションを低下させ、矛盾を生じさせていると思います。
@@ym8623 子供のうちは精神的に未熟なため、褒めてあげる事が必須だと思います。しかし、おっしゃる通りと思います。人生は地続きなのに、過去と未来が繋がっていないのであれば、むしろ悪だと思います。教育体制の構造的課題ですよね。そもそも資本主義の中で適切に(競争的に)扱われた事がない方々がマニュアル通りに教えていらっしゃるかと。競争=優劣くらいにしか解釈していないのでしょう。私は、別に資本主義の権化ではありません。まぁ、人間には資本主義しか達成出来ないだろうと思っていますが、皆が納得出来るのであれば、ルールなんて変わって良いと思います。しかし、未だルールは変わっていないのに、ルールが無い前提で教えているのは間違いと思いますよね。後で騙されたと思われても、仕方ありませんね。何はさておき、一歳でも若くして、一つでも多くの事が出来るようになる事が、より多くの選択権を得る為に必要と思います。「褒める」よりも100倍難しい「できる」にコミットしてくださる先生は、救世主だと思います。ありがとうございました。
>教育者はもっと死に物狂いで〜何か他責ですね。親の仕事でしょ。
息子は受験でやる気を失ってしまいました。高濱先生のところで学ぶ楽しさを沢山吸収したんですけどね。私が決めすぎてしまったのかなって思いました。良い対談を上げて頂きありがとうございます。
小1の娘の対応に悩んでいるいま、たまたまこの動画を見つけました。
私がつい、あれこれ言いすぎてしまい、勉強はやる気をなくしています。
まず、「好きだよ」と伝えるところからはじめてみます。ありがとうございました。
"細かい自己決定を作らせる"
これを意識してきましたが、選択肢を親が与えることは結果的にコントロールしてることになり、うまくいきませんでした。
水にする?
ジュースにする?
こういう選択は、「要らない」や「お茶がいい」と本人が思っている場合は、意思とは違う選択肢を選ばされてしまう。
親が選択肢を考えると子供は自分で考えなくてもよくなり、細かい自己決定を繰り返しても考えられるようにはなりませんでした。
どんなアプローチをすれば良かったのか?未だに分かりません。
有能感は褒めれば育つものではないと思います。それだと諸刃の剣です。
要は、「できる」かどうかだと思います。教育者はもっと死に物狂いで、子供達の「できる」に向き合ってあげた方が良いと思います。
昔から、褒めて伸ばすみたいな議論が凄く疑問でした。出来もしない子をむやみに褒めて自信を持たせた結果、最終的にどうなりましたか?30年失ったのでは?
あと根性。どう考えても根性は大切です。従来の根性論は論理性や科学性を欠いていたことが問題であって、根性自体が否定されるのは明らかにおかしい。ハードワーク、グリッド、如何に表現を変えたとしても、競争社会である限り根性の本質が失われることはないと思います。とにかく「できる」ようにしてあげて欲しいです。そうすれば自ずと、有能感も仲間も主体性もついてきます。比較されざるを得ない資本主義社会の仕組みについてきちんと説明し、納得させてあげて欲しいです。
あるがままで良いなんて騙されて育ち、愚かにも甘い嘘を信じ、今物凄く後悔しています。
こちらのコメント、大変共感しました。
今ものすごく後悔していらっしゃるというのは、ご自身が褒められて育ってこられた結果という意味でしょうか?
このような説得力のある持論を持っておられるという点で、あなたはとても聡明であると感じます。
@@naokingnaoqueen
ご質問ありがとうございます。
自論的には、褒める・褒められるは、本質的な課題の解決には繋がらないと考えています。もちろん、きちんと出来た時は褒めてあげなくてはなりません。むしろ褒められて当然の結果ですので、必要な行為でしょう。
しかし、こういった議論は往々にして、手段が目的化しがちです。また、褒めれば出来るようになるみたいな因果の逆転を引き起こしてしまいます。そういう誤った解釈が続いた結果、資本主義として当たり前の事なのに、褒められないと頑張れない人が増えたなと感じています。
私達の社会は自由競争社会です。褒められた回数が多い人が勝ち抜けるルールではなく、出来る事が多い人、出来る回数が多い人が成功する(褒められる)仕組みだと思います。
当然、出来る人は褒められますので相関関係は成立しますが、先の理由から、因果はあくまでも一方向なのです。
したがって、教育者は、子供達の「出来る」にコミットするのが責任であり役割なのだと思います。
これは善悪の議論ではありません。仕組みの議論です。善悪の議論に発展するのであれば、仕組みの在り方に言及しなくてはなりません。
取り急ぎですが、うまく伝わってくださることを願います。
途中から失礼します。本当に同感です。
褒めるというのは実はとても難しくて、本人のやる気に対してなのか、出来た事に対してなのかが曖昧なまま短絡的にポジティブに捉えて褒めるのは、本人の認識と客観的な実力にズレが出てくると思います。
教える側は何が出来たら褒めるのか具体的にし、出来るようになるためにはどうしたらいいか、出来るとどう評価されるのか、などの方法や手段を教える必要があると思います。
小学校ではみんな平等化して順位や差を付けない教育になっていますが、中学生になると急に成績が受験に直結し競争しなければならないので、適応できない子どもが増えていると感じます。
大人になればまだまだ競争社会なのに、子どもには多様性を教えて褒める風潮が、努力するモチベーションを低下させ、矛盾を生じさせていると思います。
@@ym8623
子供のうちは精神的に未熟なため、褒めてあげる事が必須だと思います。しかし、おっしゃる通りと思います。人生は地続きなのに、過去と未来が繋がっていないのであれば、むしろ悪だと思います。
教育体制の構造的課題ですよね。そもそも資本主義の中で適切に(競争的に)扱われた事がない方々がマニュアル通りに教えていらっしゃるかと。競争=優劣くらいにしか解釈していないのでしょう。
私は、別に資本主義の権化ではありません。まぁ、人間には資本主義しか達成出来ないだろうと思っていますが、皆が納得出来るのであれば、ルールなんて変わって良いと思います。しかし、未だルールは変わっていないのに、ルールが無い前提で教えているのは間違いと思いますよね。後で騙されたと思われても、仕方ありませんね。
何はさておき、一歳でも若くして、一つでも多くの事が出来るようになる事が、より多くの選択権を得る為に必要と思います。「褒める」よりも100倍難しい「できる」にコミットしてくださる先生は、救世主だと思います。ありがとうございました。
>教育者はもっと死に物狂いで〜
何か他責ですね。親の仕事でしょ。