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ジョージ・ハリスンはビートルズ時代、自分のことを「エコノミーなビートル」と呼んでました。やはり曲作りのメインがジョンとポールなので、彼とリンゴは彼らよりギャラは低かったようです。そこで揉めなかったのは、おそらくは ゙最初から゙ そうした条件でメジャーデビューに至ってたであろうことと、リンゴはデビュー直前に急遽メンバー入りしだよそ者゙だったことや、ジョージは最も若く、メンバー内ではずっと弟分(ジョンが中三とするとジョージは小六の年齢差)だったこともある気がします。吉田さんの場合は財津さんとはずっど同級生゙で、他のメンバーが辞めても彼についていったこともあり ゙対等゙という意識が根本にあったのでしょうね。端からすれば経営的には「貢献度によって」というのは当たり前の話でも、そうした思いでいたものが ゙途中から゙ ギャラを下げられる、というのは感情的に割りきれないものは生じて無理はない気がします。一方、財津さんのことが「高圧的」とされてますが、おそらくは完全に仕事として音楽に取り組むつもりの人と、そこまで決心のついてない人の違いが出たのではないかと察します。ドリフのいかりやさんもあの売れ出した五人になる前、全く同じだったようです。「お前なんか辞めちまえ!」と彼に言われてメンバーは辞めていき、残ったのは加藤茶さんだけだったとか。なんか似てますね w゙プロ゙ で活動していく団体のリーダーというのは多かれ少なかれそうした性質=厳しさを要求され、憎まれ役となるのは仕方のないところと思います。
同意! 才能の優位者がある程度支配的になってしまうのは仕方がないですよね。 足りないところを引っ張り上げる行為が果たして「支配」と言えるのか?どうかというところです。
吉田の場合は、財津がソロ活動を増やしたりして、チューリップの仕事量が減った結果、吉田は生活できないほど給料が減ってしまって、財津に相談したんだよね。それに対して塩対応したらしい。ギャラをもっと上げろとかいうレベルの話じゃないので、吉田の恨みは今も消えることがない。
財津さんの作詩には、いつも独りとか孤独などのワードが使われているのが印象的でした。アコースティックな色合いで録音されたファーストシングルを、爺さんになりつつある今も、僕は大切に持っています。財津さんが東京で住まわれたマンション近くに、当時ビートルズ専門スナックがあったのですが、財津さんは時折そこに遊びに来てはビートルズナンバーをお客と歌っていました。高校生だった僕はそこで財津さんとお会いしました。当時のチューリップメンバーの皆さんを大好きですが、僕はベースの吉田さんのファンでしたので、彼が抜けてしまった時はとても寂しく感じました。本動画にてメンバー離脱の経緯を初めて知りました。
第一期のファン(私)としては吉田さんのひたむきなベース、木訥としたムードの声、そして何より『ヒゲとメガネ』の風貌!これがないとTULIPじゃない!の思い、ありますね。ビートルズにおけるリンゴのような『存在感』かな、と。親しい友人がが六本木にあった吉田屋珈琲店の常連客で、誘われて行った時、吉田さんにお会いしました。ビリー・ジョエルの武道館ライヴにも、その友人に誘われていらしてたり。彼は一緒に野球をするほど吉田さんとは親しくして頂いてました。とても気さくな方なんですよね。
@@カイトハヤタさん レスをありがとございました。吉田さんとの貴重なエピソードもありがとうございます。ビートルズのリンゴのような存在の吉田さんは、メンバーの中で最もスタイリッシュであったと思います。若干ズングリ感はありましたが、渋谷ジャンジャン、新宿ルイードの小さなステージに乗った彼らが、膝を少し折り曲げて左右に上体を揺らしながらリズムを取るノリが、高校生の僕の目に焼き付いております。@カイトハヤタさんのレスのお陰で、僕は気持ちが若返りましたよ。
ありがとう!吉田屋珈琲 RUclips動画で拝見しました。2011年に閉店したのですね。
@@susa5151 さまこんにちは。随分小さなステージの彼らをご覧になってるんですね!ということは、まだ、「心の旅」がヒットする前のことでしょうか?(ヒット後にもデパートの営業のような小さな広場での演奏を観たことありますけど)。私は心の旅リリース前から「魔法の黄色い靴」に一聞き惚れ!デビューアルバムから入手して聴いていた第一期のファンです。中学から高校の頃でした。吉田さんと付き合いを持たせて頂いてた友人とは高校生の時、TULIPのコピーバンドをやっていた縁です。彼はベース担当でしたので吉田さんには愛着ひとしおだったわけです。私はリードGでしたが、コーラス含め全てのパートをコピーして、皆に教えるという役割を担ってました。ですのでTULIPには随分勉強させて貰いました。吉田さんは確かにスタイリッシュでしたね。ずんぐり具合もヒョロっと背の高い財津さんや安部さんと丁度いいバランスを形成してたと思います。ご存知かもしれませんが、現在もご自身のHPで自作曲をたくさん発表されてますね。
@@カイトハヤタ
照和の時代の話は、武田鉄矢や甲斐バンドの松藤さんがよく話していたなあ。顔の良い姫野くんはこの3つのバンドで奪い合って、上田さんは当時ハードロックバンドwwwだった海援隊をクビになったと。海援隊の千葉さんの妹と松藤さんが同級生とか、みんな何かしらのつながりがあったようですね。
財津さんは、著書の中でリーダーとしてメンバーには常に厳しく接して来たと言ってましたね。音楽業界の荒波はそんなに甘いもんじゃないぞと。(笑)しかし、気がついたら一人になっていたとも。😌
リーダーは大変です。
動画の内容はこれまでの書籍やTV・ラジオのインタビュー、ネットでの自身の表明(特に吉田さんの顛末)などから概ね正しいとみられる。ただ、いくつか補足すると、・財津のバンド潰しについては、安倍・姫野・上田の時の方がよく知られる。特に、上田さんを海援隊から引き抜き、ライラックというデュオから姫野さんを引き抜いて、ライラックの相方だった千葉和臣さんが海援隊に参加したことで、のちに武田鉄矢が「我々は残り物のグループ」と自嘲していた。・メンバーチェンジ後の第二期に売上が低迷したという事実認識はちょっと怪しい。第一期もヒット曲と言えるのは「心の旅」「夏色のおもいで」「銀の指環」の姫野ボーカルの三部作ぐらい。「青春の影」も「サボテンの花」も発表当時にはヒット曲とはならなかった。長年のファンの支持と関係者が後年に取り上げてくれるようになって知られるようになった。アルバムは70年代の方が、チューリップに限らずなかなか売れないもので、枚数だけで見れば80年代の第二期の方が最多売上げを記録している。ライブ動員は一期・二期変わらず盛況で、二期には読売ランド貸切や芦ノ湖畔での野外など、大規模イベントを打てる程だった。安倍・姫野脱退前の1985年までは、収支の詳細は分からないけど、低迷とまでは言えない時期だった。
財津さんの「強烈な野心」がなければ、皆ローカルのセミプロで終わっていた可能性が大ではあろうかと。実力の合わない人には辛辣であっても、周りの人間をもメジャーデビューにまで引っ張り上げるパワーを若き日の彼は持っていました。と同時に、その野心は「自分を輝かせたい!」というエゴと表裏一体であったことでしょうね。でもそれはアーティストであれば当然の欲求です。自分は「魔法の黄色い靴」のメジャーデビューから第一期(吉田さん、上田さん在籍)だけアルバムも揃え熱心に聴いていた者ですが、最近になり、その後のTULIPの軌跡を追ってみました。大まかに言ってしまえばですが、メンバーが代わる度に財津さんの野心に見合う「上手い人」が加わり、同時に、財津バンドの色を濃くしていった印象・・・最後にはオリジナルメンバーは彼一人になり実質のソロ?一人で芸能人と一緒にテレビ出演するようにもなり、作曲家として成功もし、ある意味「自分を輝かせる」野心を成し遂げたのかもしれません。が、その当時の映像を見てどうしても引っ掛かるのは、心から楽しんでいるようには見えないんですよね、なぜか。それと対照的なのが、TULIP再結成の時の会見やテレビ出演時で、本当に楽しそうで笑顔の質が違うと感じました。私が第一期のファンだからという贔屓目もあるのかもしれません。が、結局、財津さん自身が一番輝いているのは最初にデビューした時の五人でいる時だと思いました。つくづく思うのは、バンドって*上手い下手ではない*ということ。最初の五人は「博多」で育ったこと、「ビートルズ」に対する何物にも代えがたい憧れ!という技術とは違う、しかし、メンタルにおいて実に大きな『音楽に対する動機』を共有していました。それが「音の魅力」=サウンドとして表れてくる。それがTULIPだったのではないかな、と。おそらく、これとは違う理由でメンバーが加わる度にサウンドは洗練されてもTULIP本来の魅力からは離れていく・・・特に姫野さん、安部さんの脱退は決定的でしたね。ビートルズの四人はプレスリーへの強い憧れで結ばれていたけれど、うち一人がどんなに上手くても「いや、俺はマイルスだね」という人だったら、違う何かにはなってもビートルズのサウンドにはならなかったはず。上手い下手が一番重要なのであれば、真っ先にジョージをクビにして、ジミー・ページかジェフ・ベックを加入させれば良かったわけですが、これも果たしてビートルズになりえたかどうか?すなわち・・・音楽の魅力として、それが功を奏する結果となるか否か?デビューから50年!を経て、不可抗力を除き最初のメンバーに回帰し、限定とはいえ活動していることにその答えがあるように思えます。古稀を迎え数年を経た財津さんや、かつて反目したこともあるメンバー達もそれを心のどこかで感じているのではないかな、と勝手に想像しています。😀🌷
同意!バンドの魅力というものは、中心メンバーだけでは無く構成メンバー全員が醸し出すものですよね。ジョージの代わりにペイジやベック(もしくはクラプトンでも)がいたら、ビートルズはあの名声を得られなかっただろうと思います。 おそらくジョンとポールが、「余計なソロを入れるな!」と怒るでしょうし、違和感がありすぎる。
@@kamui607 さん長文へのリアクションありがとうございます❗自己主張の強い天才は二人が限界ですね w 静かなビートル=ジョージがいてこそのチームワークとバランスでした。余計なことをするのは、ポール一人の特権ですし w
@@カイトハヤタ ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープスあたりからジョージがA面級曲を書くようになって、バンド内の力のバランス(バンド内の天才制限は二人まで)が変わっていったところで解散となりましたね。
@@kamui607 さんジョージの遅れての開花については「みのミュージック」という動画シリーズで詳しく分析していて興味深い内容でした。デビュー時、まだ19歳の弟分だった年齢差に着目してます。
@@カイトハヤタ 私も「みのミュージック」はよく見ます。若いのに知識が豊富で分析も素晴らしく、感心しきりです。
若さは時に勘違いをもたらし人を傷付けますね。それに気付いたときは大分歳を取っていてもうやり直せなかったりしますね。分かる気がします。
再結成ツアーのライブを拝見したのみですが,バンドの印象としては「ああ〜財津さんも,姫野さんのような才人がバックに居るからこそ,安心してチューリップができるんだなあ」と感じました。それは,歳を重ねた最近だからこそ,そういった雰囲気が感じられたのかもしれません。宮城さんが「じゃあ,姫野達也が歌った,チューリップ最大のヒット曲です」のMCが終わると同時に,財津さんの弾くピアノの4つ打ちのあのイントロがスタートするんですが,なんかすごくかっこよかった。そんな「心の旅」の冒頭の場面だけでも,この動画にある,再結成のエピソードの雰囲気をリアルに感じます。
小田和正さんと話されてる財津和夫さんを何度か見たことがあり、とても穏やかで他人思いの優しい印象がありましたが、チューリップ内では違ったのでしょうね。
その通りの優しい方ですよ。コンサートには何度も行っていますが、ご自身を卑下する話は何度もされますが、自慢話はほとんど聞いたことがありません。ただプロ意識はかなり強い人だと思います。そのための妥協点はとても高いため、メンバーから反発をされることもあったのだと思います。
余所の人と、身内の違いでしょうね。余所の子と、自分の子では自分の子供に厳しくなりますよね。゙責任゙がありますから。バンドのリーダーも同じことではないかと。財津さんはメンバーの親にまで会って東京へ連れ出すことの承諾を得たとも聞きますし。
オフコースファンクラブのひとケタ会員が財津和夫さん。小田和正を鈴木康博さん以上にコンプレックスを持っている人だと思う。
遠い昔を思い出したな(長文失礼)財津さんの歌はサボテンの花をデフォルトで今でもカラオケで歌ってます。それ以前のチューリップとしての活動は「We Can Fly」「Wake Up」が好きでした。当時私はオフコースファンだったのですが身近にいた年上女性が熱狂的なチューリップ、いや財津さんのファンで魅力的な彼女にお近づきになるために学ぶというスタンス今でも覚えてる彼女が言い放ったオフコース(代表作さよならのみならず)曲や歌詞が暗い、聞いててテンション下がる、財津さんの歌チューリップは何時でも心が明るくなるから好き♪こんなお言葉のもと私もチューリップのファンになるべく他の音楽ファンとかにもチューリップの話を出すのだが私から話題を振ると情報通の知人たちは「財津さん悪人」「メンバーの確執」「お金に汚い」このイメージが付きまとってて私自身は更なる先に進めなかった私とかはにわかファンで終わりましたが悪い噂やイメージがつきまとい一部の熱狂的ファンはいるものの実力はあるのに大成しなかった
気になっていた吉田さんの事納得しました、財津さんも年をとり私もすっかりオバサン再結成に胸熱く蘇る青春色々あってもチューリップの詩、曲好きでいられて良かった
先日のラストコンサートで。故安倍さんのギターは置かれたのに吉田さんのは置かれなかっことも有り。私も吉田さんのこと、ホント気になってました。財津さんと同等で有るべきだった吉田さんの悔しい思いにおもんばかり。チューリップごとから彼を除けたと、察します。その吉田さんも既に故人です。時は流れてるんですね。
ほぼほぼデビュー当時からのファンですとっても良い内容でした!
最初に抜けた2人のことを歌ったのが、「あいつが去った日」ですね。吉田さんも亡くなって、寂しい限りです。
大好きなバンド、今も青春の影名曲だ。
財津さん、見た目めちゃ温厚そうだけど、、
財津は腹黒、金、金、金、世の中、金なんよ、
人間性がどうであろうが曲が良いから関係ないね。ライブ楽しかったです。ありがとうチューリップ!
周年ごとのコンサート素晴らしいと思ってました。でも毎回ドラマがありますね。財津さんの誕生日の直前に・・吉田さんのご冥福をお祈りいたします😢
家業を継ぐために一人脱退しましたが、音楽性の違いやメンバー間の揉め事も無く、結成50年のアルフィーって凄いですね( ̄▽ ̄;)
奇跡的な仲の良さですね。察するところ、三人のギャラは対等なのかなと。
アルフィーは音楽性と性格が違いすぎて逆にアルフィーとして結束した時に見事な融合で力を発揮した。母体の大切さを良く知る3人だと思う。
実力があるから
@@カイトハヤタ ジ・アルフィーはほとんどが高見沢さんの作詞作曲のはずですが、恐らく等分してるものと思われます。
ナイスです!
姫野さん、歌声も素敵❤、顔も可愛いけど、性格もいいんですね🎉
財津さん、貴方を見つめ楽曲に夢中になり50年になります!!私の人生の指針になりました!とにかく永遠にチューリップの音楽は評価されますように…
財津ほどの才能と実績がありながら、性格の悪さで大物になれなかったのはもったいない。拓郎、陽水、高節、矢沢永吉、小田和正、大友康平、中島みゆき、松山千春などレジェンドと言われる人たちは裏で交流があったり、同じステージに立ったりするけれど、財津だけは仲間に入れないもんなあ。昔、音楽雑誌のインタビューで「突然大金が入って来たら何に使う?」という質問があって、財津は「楽器屋に行き、試奏をするふりをして一番高いギターを壊す。店員に文句を言われたら『金を払えばいいんだろ』と札束を投げつけたい」というのが嫌な印象としてずっと心に残っている。他のメンバーは他のアーティストとも交流が深い人も多かったのに。やっぱり高校時代からの親友の吉田彰の脱退が財津の印象を悪くした気がする。本当に勿体なかったな。最近はかなり丸くなっていろいろな人と交流もあるようだけど、もっと早くそれに気づいていればよかったね。
大友康平が大物?
@@yamato3228 拓郎、矢沢と比較すれば小物界の大物だけど、ここでは拓郎とのコネクションがあるので一応あげてみた。
吉田さんの脱退にショックだった。金の切れ目は縁の切れ目だったのですね。心の旅はやっぱり姫野君、思い上がりの財津さん、自分はダメだわ。
バンドを長期維持するのは難しいでしょうね。 実力(才能)・力関係に納得出来てこそだと思います。多少のメンバー入れ替えがあっても、ローリング・ストーンズや日本のサザン・オールスターズなどは、そこらあたりがうまくいっているのでしょう。
サザンは解散はしていないだけでアクティブにBAND活動しているわけではないですからねぇ
@@よこはまおやびん 長命ロックバンドはそのようなものでしょう。 「まだやっているの?」という感じで見ています。 最盛期を過ぎたらおそらく創造力が惰性。
チュリップ財津さんが好きですいつまでも素敵な素晴らし歌声聴かせてくださいね。
辞めないバンドの方が珍しい
エレカシなんかは宮本さんばかりが突出していて他のメンバーは影が薄い。しかも宮本さんは音楽に妥協しないために、メンバーを恫喝する事も…でも、3人が同じ中学の同じクラスで、高校生からまったくメンバーが変わらない…本当に稀有なバンドです。
思い出の曲心の旅ありがとうチューリップ
安部さんと吉田さんが亡くなってしまって チューリップは本当に消えてしまった・・・
チューリップは私の青春でした、出会ってから50年財津さんの声を超える歌手に私は中々出会えません中学生の頃の私にとって178cm57kgはかなり衝撃で、高身長の人ばかり好きになったのも財津さんのせいです❤
プロの世界だから友達だからとかそう言うことでは成り立たないんだろうな。金が欲しければそれだけ貢献しなければいけない。これは当たり前のことだ。財津さんも厳し過ぎたかも知れないけれど、逆に言えば脱落しないように仲間にそのぐらい厳しくなって欲しいと思っていたのかも知れない。所属事務所だってバンドのメンバーだけではなく、それを売るために支えている他の社員たちのことも考えなければならないから、仕事に関しては馴れ合いでやるわけにはゆかない。やっぱりそれに不満なら去るしかないと言うことか。
「伝え方」「慮り方」も大きいでしょうね。それによって選択も左右されるかと。
世の中、金なんよ、金が全て。
世の中、金がすべて。金こそ全て、
あっちこっちから引っ張った話と、誇張した話で正直気分が悪い。メンバーがやめた理由が、全部財津さんに非があるような言い方をしている。成果型報酬なんて普通だし、心の旅に対するプロデューサーのコメント「財津が歌うとヒットしない」なんてそんな失礼な言い方をするわけがない。確かに「姫野さんのボーカルの方が良くない?」と言ったのは事実だが、それに対して姫野さんは「申し訳なくて財津さんの顔を見られなかった」、財津さんは「(ヒット後は)姫野に足を向けて眠れなかった」と自嘲的に言ったという話はコンサートで聞いているがただそれだけのこと。またそれ以来姫野さんがチューリップの顔だと言っているが、そんなことはない。シングルA面の作曲は基本財津さん中心だし、「サボテンの花」「青春の影」「虹とスニーカーの頃」など多くの曲は財津さんがリードボーカルを取っている。姫野さんも素晴らしいが、あくまでもチューリップにおいては超強力な2番手だ。
姫野の作品はとてもユニークで、影響を受けているミュージシャンも多いらしい。心に染みる曲がたくさんあるよね。因みに私は「博多っ子純情」「神様に感謝しなければ」をカラオケでよく歌います。福岡のアマチュア時代に海援隊の千葉和臣とS&Gのコピーバンド(ライラック)をやってたらしいが、聴いてみたかったな~(「四月になれば彼女は」はLIVEACTTULIPで聴きました)
長くやってりゃよくあること。普通だ。
わたしは(何年から前ですが)高橋ひろさんが好きです亡くなっていて残念でした
概ね2期中盤以降、Z氏はTULIPのブランドイメージをどう捉えていたのか。A氏H氏が脱退した時点でTULIPを続けた理由はどこにあるのか。ソロあるいはZ氏バンドではいけなかったのか。あるいはTULIPの看板を降ろすに降ろせない何か理由(スポンサー契約とか)があったのか。またシンコーミュージックを離れてクリケットを設立した理由は何故か。クリケットの出資者と出資金の割合はいかほどだったのか。「大人の理由」が理解できなくもない今、ご本人様達に聞いてみたいように思います。
どうでも良いわ、
姉と姉の同級生がチューリップが好きで当時追っかけをやってましたね。姉の同級生は地元電気屋(そこそこ大きかった)が親戚だったのでメンバーの支援をしてあげていたと聞いておりますよ。
「わがままは財津の罪〜それを許さないのはバンドの罪〜♩」
ナイスです
@memento mori誰が上手いこと言えと⁉️ꉂ🤣𐤔
山田さ〜ん、Memento Moriさんに一枚やっちゃって〜(昇太師匠風)
やっと正直な話をしてくれるチャンネル動画が見つかり嬉しく思います。(すこし違うところはありますが)他チャンネルのTULIPの動画に対して、嘘つきや、痴呆症とバカにされました。特に一名の女性に。少しだけ気持ちが晴れました。その方がこの動画を見てくれるのを祈ってやみません。ありがとうございました。
知ってますよ。酷い言い方だなぁって思ってました!頭のおかしい、なんとかかんざしさんでしたっけ。
でたらめのこの動画に惑わされないでください。私が事実を書き、この動画とアップ主が何の理由か知りませんが、大嘘でTULIPと財津さんを貶めてる証拠と理由も書きました。新しい順で見てください。
70年代の末になるとアメリカきらレベルの高いルックスも良いバンドが多数日本に紹介されるようになるから苦しくなったな。イーグルス、ドゥービー、CCRなど。日本のポップスやロックが彼らのコピーであることが知られてしまった。そこにより勢いのあるジャーニー、TOTO 、スティクス、フォリナーなどの産業ロックの台頭で日本のロックファンは皆洋楽になびいてしまった。本物のロックを聴いたら日本のポップロックは聞けなくなった。その後の日本のバンドはCMやドラマのタイアップ以外はヒットしなくなった。
再結成の本当の理由は財津も姫野もチューリップの看板がなくなると全然売れなかったから、食っていくために、再結成してもう一度看板に頼った、ということ、ただ再結成後は単なる懐メロバンドで過去の栄光を使って稼いだだけだけどね、ただ、それはチューリップに限らず甲斐バンドもそうだし、、、昔は懐メロと言えば演歌歌手だったけど、今は懐メロ歌手、といえば、ほとんどいわゆるニューミュージックの歌手、バンドばかりになりました!
リメイク版のサボテンの花、音と歌をはずしただけ。あれはないわー!一つ屋根の下あたり?名曲「サボテンの花」をカラオケで「酔っ払いが歌った歌」に落とした。
財津のワンマンバンドで4人のメンバーを食わせていかなきゃならないのだから、生半可な決意ではないでしょう。だから厳しいのは当たり前ではありませか。他のバンドを潰すというより、照和の頂点だった財津の選び放題と聞きました。
「バンド潰しの財津」とは言いますが、財津さんに誘われてチューリップに加入したのは、最後はメンバーの意志。
ほんの小さな出来事に 愛は傷付いてほんの小さな出来事と決め付けてはいけませんでも、君を愛せば良かったと反省しているから救われる
憧れの女の子とデートにこぎつけて、さっき食べた明太スパの刻み海苔の破片がその子の歯に付いているだけで、急に憧れていた気持ちが萎んでしまうこともあるからね。
@@peliatanbidani8573 それは、ほんの小さな出来事
@@peliatanbidani8573 さまそういう歌だったの!?😱
ロングヘアが時代を感じます。
昔吉田さんの反論文見たけど再結成はないだろうと確信させるくらいボロクソに財津さんを罵ってたな。今は閉店してしまったけど一度でいいから吉田さんのコーヒー屋に行きたかった
ぼくがつくった愛のうた夢中さ君に銀の指輪あの娘は魔法使い心の旅私の中での🌷5大名曲異論は認める
異論なし!
それが、人間
安部、姫野、伊藤が脱退後、松本淳がドラマーとして加入したが、すぐに渡辺美里のバックバンドの方が良いとして脱退してる。
ナイスですね
バンド崩壊の法則はリーダーやメインボーカル、作曲担当のワンマン化とソロ活動というのが定番だよ。自分の思い通りにならないからソロ活動に色気を出す。自分でもっているという思いあがった傲慢さ、勘違いが原因。そこを自覚していればバンドは長続きする。現実はまあアルバム3枚出せばだいたいバンドの行く末が見えてくるからそこで終わるバンドが多い。売れるともうちょい寿命が延びる。光があれば影がある。滅びの美学だな。
ナイス!所詮、金です!
スピッツは凄い
めちゃめちゃそういう傾向あるのに、メンバーが40年近く変わってないエレカシは稀有な存在ですね。(もっともメンバーの絆がめちゃくちゃ深くて、他のメンバーが「宮本を光らせるため」にやってるんで)
ガロのことが知りたいです。
🥸吉田さんが脱退された原因はやっぱリーダーの財津さんに有ったのと🤑金銭問題からですね。高校時代から16年程付き合って来たのに脱退、絶縁した儘今に至るって事は、もうLiveすら行かなくなったんでしょうね🈲財津さん💔吉田さんのこのドロドロの関係性を初め、この内情は何と言う書籍を参考にされたのでしょうか? アムランドさん、差し支え無ければ教えて頂けると有難いです🙏私も是非読んでみたく思います📖👀
横から失礼します。よしだ屋珈琲店HPの一番下にある「日本経済新聞の記事の間違いと訂正について」のリンクから入って頂ければ吉田さんの証言・主張が分かります。
@@MrMinet333教えて下さって誠に有難う御座います🙏
どうでもいいわ
財津に不足していたのは「経営力」。とにかく我が強く人を傷付ける事が平気。最終的にはファンと数多くの人間に嫌われチューリップを倒産させた。
おい、お前がこれを書いたのは5か月前だろ。安部さんは数年前にとっくに他界してる。安部さんの写真と名前を使い、ウソを書いたお前は立派な詐欺罪だ。
オールウェイズがパッとせんかったからなあ。オールウェイズがなんとかなってりゃ意趣返しとなったんだろうが。
はぁ?
アリス、オフコース、チューリップなどの話はわかりますね…。くどいようですが、かぐや姫はどうだったんですか?
かぐや姫は レコード会社がレコード代を 勝手に 値上げしたから。南こうせつさんはキャベツばかり食べてる歌に共感するファンに申し訳ないないと。それでレコード会社に不信感をもってこ解散しました。 解散しないと レコード出せないし。
かぐや姫が解散したのは、あまりの過密スケジュールと、自分達の意図しないところでヒット曲を題材にした映画が作られたりして事務所への不信感が耐えられないところまできていたから。
@@孝昭城戸 秋吉久美子さんが出演した映画ですね。
@@平川毬 解散一番大きな理由は映画赤ちょうちんと妹。分かる人には分かる。
パンダさんが不仲
財津が、甲斐バンドの大森信和を引き抜けなかったのは失敗。
1985年の追加メンバー丹野ヨシアキ、松本淳は良かったな。
丹野さん松本さんは現在も大活躍ですね。高橋裕幸(高橋ひろ)さんが若くして亡くなったのは非常に悲しい。
@@YusugeMaerchen どんな形でも良いから歴代在籍したメンバー達を解散50周年ツアーゲストに呼んで欲しかったなぁ。
そういうことがあったのか。金の切れ目は縁の切れ目。大金が入ると家族間でもあり得る。しょうがない。ドリフが解散しなかったのはチョ-さんのカリスマ性か。
知らねーな、
@@佐藤浩一-y4n お前色んなとこでいらんコメントすんな !!
小田和正が居れば「オフコース」というのと同じ。フィル・コリンズ&GENESISもそうだった。♪心の旅は名曲です。
ピーター・ガブリエルは?
@@loulead4224 私もゲイブリエル時代が大好きですが、大ブレイクしたのは3人になってからで、コリンズはゲイブリエルの代替を充分果たしたので。
いやいや…本質は小田さんと鈴木さんが居るからオフコースでした。
今も昔も1強9弱実力はあっても唯一の1強になれなかったミュージシャンは・・・
バンド界の星野監督。w
シンコーミュージックてブラック企業だったんですか?
財津は作曲の才能あっても、声質、歌唱力、容姿、すべてポールにはなれない。姫野が歌わなかったら、そこで終ってたと思う。
お邪魔しますm(_ _)mポール氏は基本ベーシスト乍らも、他にも多彩な楽器を幅広く操るマルチプレイヤー🎸🎹🥁其れに対して、財津氏は自称・和製ポールと謳って居られますが、ベースやドラム等はプレイしてる様を見た事有りませんし、更に利き腕も異なる為、ほぼポール氏を模倣出来ていないのも確かですけどね😅
そもそもポールレベルに到達している日本人アーティストなんていないと思うが。ちなみに70代に関して言えば、声質・歌唱力はポールより上。
@@kenkenkoba1 何故そんな事が言えるのだろうか?
@hunyadijanos7522 つまり一応ポール氏同様に財津氏も一通り楽器は出来る訳ですね🎸🎹🥁流石は彼に憧れるだけに😍😻
@@user-2horse9tail4 1978年のアルバム『宇宙塵』では多くの楽器を演奏しています。何曲かは演奏も全部財津氏です。ただギターを弾く人に聞かせたら「?」と言っていたのでドラムやベース、リードギターの演奏力はどうかわからないのですが…。
どこまで嘘か事実か、実にくだらない事が好きだね。この類(たぐい)の下世話な話。
結局は金の配分の問題
実際にメンバーを従わせる為に鉄拳制裁もあったとか。元々友達集めて結成したバンドじゃないから、最後オリジナルメンバーが財津だけになったのも止むを得なかった。
「思えばバカな男さ、君を殴るなんて」・・・この昭和でしかあり得ない歌詞はメンバーに対する思い?だったのでしょうか。でもちゃんと「ほんとに僕はうまれかわろう」と反省してますね w
@@カイトハヤタ さん でも吉田氏は接触絶ってる分、今も許していないね。
@@ヒマワリのたね 財津は一番苦しかった時に裏切り、吉田が音楽界を去る原因となった男だからね。その後吉田が音楽界に留まれば、仲直りの機会もあったのかもしれないけど。
解散時は忘れられていた存在であまり人気がなかった。
カネは バンドを 繋ぐ。 エグイが そう言う事。
キビシ~
体は弱く気は強く理屈ばかりでウソぶく友達のできにくい12才 少年
安全地帯ってスゲ~な
O型の怖さ。
しょーもな。野心のないバンドマンなんかいねーよ。
財津さんと姫野さんのふたり以外は誰でもよさそうだけど…。
日本のビートルズ?
最強のコピーバンドは「BAD BOYS」と「FLYING ELEPHNTS」ですね🎵LIVE最高でした。新宿ルイードでBBに「I WILL」をリクエストしたら「できへんねん」て言われて少し寂しかったけど(笑)
吉田さんが辞めた理由は家業の吉田屋珈琲店を経営に集中したいからだし、上田さんは自分のバンドを持ちたいと理由だった。財津さんのソロ活動が増えたからTULIPの仕事を減らしたいというのも検証するまでもない大嘘だ。ツアー回数は右肩上がりで、チケットは徐々に入手困難になる。明らかにTULIPがライブバンドとして定着し、それが軌道に乗った紛れもない事実だ。吉田さんは財津さんと確執という理由なら、音楽業界でいくらでも仕事はあったはずだが、音楽業界そのものから引退してコーヒー店に専念した。おかしいだろ。もちろん辞めた理由を財津さんが解らないと言ったというのも、明らかなウソだ。財津さんを始めとして、安部さんも様々な著書を出してるが、ここで言われてることは何一つまったく書かれていない。こういう個人的な動画をアップする輩はTULIPに敵意があるのか、理由は知らないが、【この動画の話は根も葉もない真っ赤なウソだ】事実だというなら、アップ主は情報の出どころを明確にしろ。このアップ主は、右の動画アイコンを見ればわかるが、ことごとくミュージシャンをでたらめ話で貶すという、悪趣味の基地外らしい。
財津さん谷村さん天狗で堀内さん姫野さんがあきれたとか
ジョージ・ハリスンはビートルズ時代、自分のことを「エコノミーなビートル」と呼んでました。やはり曲作りのメインがジョンとポールなので、彼とリンゴは彼らよりギャラは低かったようです。
そこで揉めなかったのは、おそらくは ゙最初から゙ そうした条件でメジャーデビューに至ってたであろうことと、リンゴはデビュー直前に急遽メンバー入りしだよそ者゙だったことや、ジョージは最も若く、メンバー内ではずっと弟分(ジョンが中三とするとジョージは小六の年齢差)だったこともある気がします。
吉田さんの場合は財津さんとはずっど同級生゙で、他のメンバーが辞めても彼についていったこともあり ゙対等゙という意識が根本にあったのでしょうね。
端からすれば経営的には「貢献度によって」というのは当たり前の話でも、そうした思いでいたものが ゙途中から゙ ギャラを下げられる、というのは感情的に割りきれないものは生じて無理はない気がします。
一方、財津さんのことが「高圧的」とされてますが、おそらくは完全に仕事として音楽に取り組むつもりの人と、そこまで決心のついてない人の違いが出たのではないかと察します。
ドリフのいかりやさんも
あの売れ出した五人になる前、
全く同じだったようです。
「お前なんか辞めちまえ!」と彼に言われてメンバーは辞めていき、残ったのは加藤茶さんだけだったとか。なんか似てますね w
゙プロ゙ で活動していく団体のリーダーというのは多かれ少なかれそうした性質=厳しさを要求され、憎まれ役となるのは仕方のないところと思います。
同意!
才能の優位者がある程度支配的になってしまうのは仕方がないですよね。
足りないところを引っ張り上げる行為が果たして「支配」と言えるのか?どうかというところです。
吉田の場合は、財津がソロ活動を増やしたりして、チューリップの仕事量が減った結果、吉田は生活できないほど給料が減ってしまって、財津に相談したんだよね。それに対して塩対応したらしい。ギャラをもっと上げろとかいうレベルの話じゃないので、吉田の恨みは今も消えることがない。
財津さんの作詩には、いつも独りとか孤独などのワードが使われているのが印象的でした。アコースティックな色合いで録音されたファーストシングルを、爺さんになりつつある今も、僕は大切に持っています。財津さんが東京で住まわれたマンション近くに、当時ビートルズ専門スナックがあったのですが、財津さんは時折そこに遊びに来てはビートルズナンバーをお客と歌っていました。高校生だった僕はそこで財津さんとお会いしました。当時のチューリップメンバーの皆さんを大好きですが、僕はベースの吉田さんのファンでしたので、彼が抜けてしまった時はとても寂しく感じました。本動画にてメンバー離脱の経緯を初めて知りました。
第一期のファン(私)としては
吉田さんのひたむきなベース、
木訥としたムードの声、
そして何より『ヒゲとメガネ』
の風貌!
これがないとTULIPじゃない!
の思い、ありますね。
ビートルズにおけるリンゴの
ような『存在感』かな、と。
親しい友人がが六本木にあった吉田屋珈琲店の常連客で、誘われて行った時、吉田さんにお会いしました。ビリー・ジョエルの武道館ライヴにも、その友人に誘われていらしてたり。彼は一緒に野球をするほど吉田さんとは親しくして頂いてました。とても気さくな方なんですよね。
@@カイトハヤタさん レスをありがとございました。吉田さんとの貴重なエピソードもありがとうございます。ビートルズのリンゴのような存在の吉田さんは、メンバーの中で最もスタイリッシュであったと思います。若干ズングリ感はありましたが、渋谷ジャンジャン、新宿ルイードの小さなステージに乗った彼らが、膝を少し折り曲げて左右に上体を揺らしながらリズムを取るノリが、高校生の僕の目に焼き付いております。@カイトハヤタさんのレスのお陰で、僕は気持ちが若返りましたよ。
ありがとう!吉田屋珈琲 RUclips動画で拝見しました。2011年に閉店したのですね。
@@susa5151 さま
こんにちは。随分小さなステージの彼らをご覧になってるんですね!ということは、まだ、「心の旅」がヒットする前のことでしょうか?(ヒット後にもデパートの営業のような小さな広場での演奏を観たことありますけど)。
私は心の旅リリース前から
「魔法の黄色い靴」に一聞き惚れ!デビューアルバムから入手して聴いていた第一期のファンです。中学から高校の頃でした。
吉田さんと付き合いを持たせて頂いてた友人とは高校生の時、
TULIPのコピーバンドをやっていた縁です。彼はベース担当でしたので吉田さんには愛着ひとしおだったわけです。
私はリードGでしたが、コーラス含め全てのパートをコピーして、皆に教えるという役割を担ってました。ですのでTULIPには随分勉強させて貰いました。
吉田さんは確かにスタイリッシュでしたね。ずんぐり具合も
ヒョロっと背の高い財津さんや安部さんと丁度いいバランスを形成してたと思います。
ご存知かもしれませんが、
現在もご自身のHPで自作曲をたくさん発表されてますね。
@@カイトハヤタ
照和の時代の話は、武田鉄矢や甲斐バンドの松藤さんがよく話していたなあ。顔の良い姫野くんはこの3つのバンドで奪い合って、上田さんは当時ハードロックバンドwwwだった海援隊をクビになったと。海援隊の千葉さんの妹と松藤さんが同級生とか、みんな何かしらのつながりがあったようですね。
財津さんは、著書の中でリーダーとしてメンバーには常に厳しく接して来たと言ってましたね。音楽業界の荒波はそんなに甘いもんじゃないぞと。(笑)しかし、気がついたら一人になっていたとも。😌
リーダーは大変です。
動画の内容はこれまでの書籍やTV・ラジオのインタビュー、ネットでの自身の表明(特に吉田さんの顛末)などから概ね正しいとみられる。
ただ、いくつか補足すると、
・財津のバンド潰しについては、安倍・姫野・上田の時の方がよく知られる。特に、上田さんを海援隊から引き抜き、ライラックというデュオから姫野さんを引き抜いて、ライラックの相方だった千葉和臣さんが海援隊に参加したことで、のちに武田鉄矢が「我々は残り物のグループ」と自嘲していた。
・メンバーチェンジ後の第二期に売上が低迷したという事実認識はちょっと怪しい。第一期もヒット曲と言えるのは「心の旅」「夏色のおもいで」「銀の指環」の姫野ボーカルの三部作ぐらい。「青春の影」も「サボテンの花」も発表当時にはヒット曲とはならなかった。長年のファンの支持と関係者が後年に取り上げてくれるようになって知られるようになった。
アルバムは70年代の方が、チューリップに限らずなかなか売れないもので、枚数だけで見れば80年代の第二期の方が最多売上げを記録している。
ライブ動員は一期・二期変わらず盛況で、二期には読売ランド貸切や芦ノ湖畔での野外など、大規模イベントを打てる程だった。安倍・姫野脱退前の1985年までは、収支の詳細は分からないけど、低迷とまでは言えない時期だった。
財津さんの「強烈な野心」がなければ、皆ローカルのセミプロで終わっていた可能性が大ではあろうかと。実力の合わない人には辛辣であっても、周りの人間をもメジャーデビューにまで引っ張り上げるパワーを若き日の彼は持っていました。
と同時に、その野心は「自分を輝かせたい!」というエゴと表裏一体であったことでしょうね。でもそれはアーティストであれば当然の欲求です。
自分は「魔法の黄色い靴」のメジャーデビューから第一期(吉田さん、上田さん在籍)だけアルバムも揃え熱心に聴いていた者ですが、最近になり、その後のTULIPの軌跡を追ってみました。
大まかに言ってしまえばですが、
メンバーが代わる度に財津さんの野心に見合う「上手い人」が加わり、同時に、財津バンドの色を濃くしていった印象・・・最後にはオリジナルメンバーは彼一人になり実質のソロ?
一人で芸能人と一緒にテレビ出演するようにもなり、作曲家として成功もし、ある意味「自分を輝かせる」野心を成し遂げたのかもしれません。
が、その当時の映像を見て
どうしても引っ掛かるのは、
心から楽しんでいるようには
見えないんですよね、なぜか。
それと対照的なのが、TULIP再結成の時の会見やテレビ出演時で、本当に楽しそうで笑顔の質が違うと感じました。
私が第一期のファンだからという贔屓目もあるのかもしれません。が、結局、財津さん自身が一番輝いているのは
最初にデビューした時の五人
でいる時だと思いました。
つくづく思うのは、バンドって
*上手い下手ではない*
ということ。最初の五人は
「博多」で育ったこと、
「ビートルズ」に対する何物にも代えがたい憧れ!という技術とは違う、しかし、メンタルにおいて実に大きな
『音楽に対する動機』を共有していました。
それが「音の魅力」=サウンドとして表れてくる。それがTULIPだったのではないかな、と。
おそらく、これとは違う理由でメンバーが加わる度にサウンドは洗練されてもTULIP本来の魅力からは離れていく・・・特に姫野さん、安部さんの脱退は決定的でしたね。
ビートルズの四人はプレスリーへの強い憧れで結ばれていたけれど、うち一人がどんなに上手くても「いや、俺はマイルスだね」という人だったら、違う何かにはなってもビートルズのサウンドにはならなかったはず。
上手い下手が一番重要なのであれば、真っ先にジョージをクビにして、ジミー・ページかジェフ・ベックを加入させれば良かったわけですが、これも果たしてビートルズになりえたかどうか?すなわち・・・
音楽の魅力として、それが
功を奏する結果となるか否か?
デビューから50年!を経て、
不可抗力を除き最初のメンバーに回帰し、限定とはいえ活動していることにその答えがあるように思えます。
古稀を迎え数年を経た財津さんや、かつて反目したこともあるメンバー達もそれを心のどこかで感じているのではないかな、と勝手に想像しています。😀🌷
同意!
バンドの魅力というものは、中心メンバーだけでは無く構成メンバー全員が醸し出すものですよね。
ジョージの代わりにペイジやベック(もしくはクラプトンでも)がいたら、ビートルズはあの名声を得られなかっただろうと思います。 おそらくジョンとポールが、「余計なソロを入れるな!」と怒るでしょうし、違和感がありすぎる。
@@kamui607 さん
長文へのリアクションありがとうございます❗
自己主張の強い天才は二人が限界ですね w 静かなビートル=ジョージがいてこそのチームワークとバランスでした。
余計なことをするのは、
ポール一人の特権ですし w
@@カイトハヤタ
ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープスあたりからジョージがA面級曲を書くようになって、バンド内の力のバランス(バンド内の天才制限は二人まで)が変わっていったところで解散となりましたね。
@@kamui607 さん
ジョージの遅れての開花については「みのミュージック」という動画シリーズで詳しく分析していて興味深い内容でした。
デビュー時、まだ19歳の弟分だった年齢差に着目してます。
@@カイトハヤタ
私も「みのミュージック」はよく見ます。
若いのに知識が豊富で分析も素晴らしく、感心しきりです。
若さは時に勘違いをもたらし人を傷付けますね。
それに気付いたときは大分歳を取っていてもうやり直せなかったりしますね。
分かる気がします。
再結成ツアーのライブを拝見したのみですが,バンドの印象としては
「ああ〜財津さんも,姫野さんのような才人がバックに居るからこそ,安心してチューリップができるんだなあ」
と感じました。
それは,歳を重ねた最近だからこそ,そういった雰囲気が感じられたのかもしれません。
宮城さんが
「じゃあ,姫野達也が歌った,チューリップ最大のヒット曲です」
のMCが終わると同時に,財津さんの弾くピアノの4つ打ちのあのイントロがスタートするんですが,なんかすごくかっこよかった。
そんな「心の旅」の冒頭の場面だけでも,この動画にある,再結成のエピソードの雰囲気をリアルに感じます。
小田和正さんと話されてる財津和夫さんを何度か見たことがあり、
とても穏やかで他人思いの優しい印象がありましたが、
チューリップ内では違ったのでしょうね。
その通りの優しい方ですよ。コンサートには何度も行っていますが、ご自身を卑下する話は何度もされますが、自慢話はほとんど聞いたことがありません。
ただプロ意識はかなり強い人だと思います。
そのための妥協点はとても高いため、メンバーから反発をされることもあったのだと思います。
余所の人と、身内の違いでしょうね。余所の子と、自分の子では自分の子供に厳しくなりますよね。
゙責任゙がありますから。
バンドのリーダーも同じことではないかと。財津さんはメンバーの親にまで会って東京へ連れ出すことの承諾を得たとも聞きますし。
オフコースファンクラブのひとケタ会員が財津和夫さん。小田和正を鈴木康博さん以上にコンプレックスを持っている人だと思う。
遠い昔を思い出したな(長文失礼)
財津さんの歌はサボテンの花をデフォルトで今でもカラオケで歌ってます。
それ以前のチューリップとしての活動は「We Can Fly」「Wake Up」が好きでした。当時私はオフコースファンだったのですが身近にいた年上女性が熱狂的なチューリップ、いや財津さんのファンで魅力的な彼女にお近づきになるために学ぶというスタンス
今でも覚えてる彼女が言い放ったオフコース(代表作さよならのみならず)曲や歌詞が暗い、聞いててテンション下がる、財津さんの歌チューリップは何時でも心が明るくなるから好き♪こんなお言葉のもと私もチューリップのファンになるべく他の音楽ファンとかにもチューリップの話を出すのだが私から話題を振ると情報通の知人たちは「財津さん悪人」「メンバーの確執」「お金に汚い」このイメージが付きまとってて私自身は更なる先に進めなかった
私とかはにわかファンで終わりましたが悪い噂やイメージがつきまとい一部の熱狂的ファンはいるものの実力はあるのに大成しなかった
気になっていた吉田さんの事
納得しました、
財津さんも年をとり私もすっかりオバサン
再結成に胸熱く蘇る青春
色々あってもチューリップの詩、曲好きでいられて良かった
先日のラストコンサートで。故安倍さんのギターは置かれたのに吉田さんのは置かれなかっことも有り。私も吉田さんのこと、ホント気になってました。財津さんと同等で有るべきだった吉田さんの悔しい思いにおもんばかり。チューリップごとから彼を除けたと、察します。その吉田さんも既に故人です。時は流れてるんですね。
ほぼほぼデビュー当時からのファンです
とっても良い内容でした!
最初に抜けた2人のことを歌ったのが、「あいつが去った日」ですね。
吉田さんも亡くなって、寂しい限りです。
大好きなバンド、今も青春の影名曲だ。
財津さん、見た目めちゃ温厚そうだけど、、
財津は腹黒、
金、金、金、
世の中、金なんよ、
人間性がどうであろうが曲が良いから関係ないね。ライブ楽しかったです。ありがとうチューリップ!
周年ごとのコンサート素晴らしいと思ってました。
でも
毎回ドラマがありますね。
財津さんの誕生日の直前に・・
吉田さんのご冥福をお祈りいたします😢
家業を継ぐために一人脱退しましたが、音楽性の違いやメンバー間の揉め事も無く、結成50年のアルフィーって凄いですね( ̄▽ ̄;)
奇跡的な仲の良さですね。
察するところ、三人のギャラは
対等なのかなと。
アルフィーは音楽性と性格が違いすぎて逆にアルフィーとして結束した時に見事な融合で力を発揮した。母体の大切さを良く知る3人だと思う。
実力があるから
@@カイトハヤタ ジ・アルフィーはほとんどが高見沢さんの作詞作曲のはずですが、恐らく等分してるものと思われます。
ナイスです!
姫野さん、歌声も素敵❤、顔も可愛いけど、性格もいいんですね🎉
財津さん、貴方を見つめ楽曲に夢中になり50年になります!!私の人生の指針になりました!とにかく永遠にチューリップの音楽は評価されますように…
財津ほどの才能と実績がありながら、性格の悪さで大物になれなかったのはもったいない。拓郎、陽水、高節、矢沢永吉、小田和正、大友康平、中島みゆき、松山千春などレジェンドと言われる人たちは裏で交流があったり、同じステージに立ったりするけれど、財津だけは仲間に入れないもんなあ。昔、音楽雑誌のインタビューで「突然大金が入って来たら何に使う?」という質問があって、財津は「楽器屋に行き、試奏をするふりをして一番高いギターを壊す。店員に文句を言われたら『金を払えばいいんだろ』と札束を投げつけたい」というのが嫌な印象としてずっと心に残っている。他のメンバーは他のアーティストとも交流が深い人も多かったのに。やっぱり高校時代からの親友の吉田彰の脱退が財津の印象を悪くした気がする。本当に勿体なかったな。最近はかなり丸くなっていろいろな人と交流もあるようだけど、もっと早くそれに気づいていればよかったね。
大友康平が大物?
@@yamato3228 拓郎、矢沢と比較すれば小物界の大物だけど、ここでは拓郎とのコネクションがあるので一応あげてみた。
吉田さんの脱退にショックだった。金の切れ目は縁の切れ目だったのですね。心の旅はやっぱり姫野君、思い上がりの財津さん、自分はダメだわ。
バンドを長期維持するのは難しいでしょうね。 実力(才能)・力関係に納得出来てこそだと思います。
多少のメンバー入れ替えがあっても、ローリング・ストーンズや日本のサザン・オールスターズなどは、そこらあたりがうまくいっているのでしょう。
サザンは解散はしていないだけでアクティブにBAND活動しているわけではないですからねぇ
@@よこはまおやびん
長命ロックバンドはそのようなものでしょう。 「まだやっているの?」という感じで見ています。 最盛期を過ぎたらおそらく創造力が惰性。
チュリップ財津さんが好きですいつまでも素敵な素晴らし歌声聴かせてくださいね。
辞めないバンドの方が珍しい
エレカシなんかは宮本さんばかりが突出していて他のメンバーは影が薄い。
しかも宮本さんは音楽に妥協しないために、メンバーを恫喝する事も…でも、3人が同じ中学の同じクラスで、高校生からまったくメンバーが変わらない…本当に稀有なバンドです。
思い出の曲
心の旅
ありがとうチューリップ
安部さんと吉田さんが亡くなってしまって
チューリップは本当に消えてしまった・・・
チューリップは私の青春でした、出会ってから50年
財津さんの声を超える歌手に私は中々出会えません
中学生の頃の私にとって178cm57kgはかなり衝撃で、高身長の人ばかり好きになったのも財津さんのせいです❤
プロの世界だから友達だからとかそう言うことでは成り立たないんだろうな。金が欲しければそれだけ貢献しなければいけない。これは当たり前のことだ。財津さんも厳し過ぎたかも知れないけれど、逆に言えば脱落しないように仲間にそのぐらい厳しくなって欲しいと思っていたのかも知れない。所属事務所だってバンドのメンバーだけではなく、それを売るために支えている他の社員たちのことも考えなければならないから、仕事に関しては馴れ合いでやるわけにはゆかない。やっぱりそれに不満なら去るしかないと言うことか。
「伝え方」「慮り方」も大きいでしょうね。それによって選択も左右されるかと。
世の中、金なんよ、金が全て。
世の中、金がすべて。
金こそ全て、
あっちこっちから引っ張った話と、誇張した話で正直気分が悪い。
メンバーがやめた理由が、全部財津さんに非があるような言い方をしている。
成果型報酬なんて普通だし、心の旅に対するプロデューサーのコメント「財津が歌うとヒットしない」なんてそんな失礼な言い方をするわけがない。
確かに「姫野さんのボーカルの方が良くない?」と言ったのは事実だが、それに対して姫野さんは「申し訳なくて財津さんの顔を見られなかった」、
財津さんは「(ヒット後は)姫野に足を向けて眠れなかった」と自嘲的に言ったという話はコンサートで聞いているがただそれだけのこと。
またそれ以来姫野さんがチューリップの顔だと言っているが、そんなことはない。
シングルA面の作曲は基本財津さん中心だし、「サボテンの花」「青春の影」「虹とスニーカーの頃」など多くの曲は財津さんがリードボーカルを取っている。
姫野さんも素晴らしいが、あくまでもチューリップにおいては超強力な2番手だ。
姫野の作品はとてもユニークで、影響を受けているミュージシャンも多いらしい。心に染みる曲がたくさんあるよね。
因みに私は「博多っ子純情」「神様に感謝しなければ」をカラオケでよく歌います。福岡のアマチュア時代に海援隊の
千葉和臣とS&Gのコピーバンド(ライラック)をやってたらしいが、聴いてみたかったな~(「四月になれば彼女は」はLIVEACTTULIPで聴きました)
長くやってりゃよくあること。普通だ。
わたしは(何年から前ですが)高橋ひろさんが好きです
亡くなっていて残念でした
概ね2期中盤以降、Z氏はTULIPのブランドイメージをどう捉えていたのか。
A氏H氏が脱退した時点でTULIPを続けた理由はどこにあるのか。ソロあるいはZ氏バンドではいけなかったのか。
あるいはTULIPの看板を降ろすに降ろせない何か理由(スポンサー契約とか)があったのか。
またシンコーミュージックを離れてクリケットを設立した理由は何故か。
クリケットの出資者と出資金の割合はいかほどだったのか。
「大人の理由」が理解できなくもない今、ご本人様達に聞いてみたいように思います。
どうでも良いわ、
姉と姉の同級生がチューリップが好きで当時追っかけをやってましたね。姉の同級生は地元電気屋(そこそこ大きかった)が親戚だったのでメンバーの支援をしてあげていたと聞いておりますよ。
「わがままは財津の罪〜それを許さないのはバンドの罪〜♩」
ナイスです
@memento mori
誰が上手いこと言えと⁉️ꉂ🤣𐤔
山田さ〜ん、Memento Moriさんに一枚やっちゃって〜(昇太師匠風)
やっと正直な話をしてくれるチャンネル動画が見つかり嬉しく思います。(すこし違うところはありますが)他チャンネルのTULIPの動画に対して、嘘つきや、痴呆症とバカにされました。特に一名の女性に。少しだけ気持ちが晴れました。
その方がこの動画を見てくれるのを祈ってやみません。ありがとうございました。
知ってますよ。
酷い言い方だなぁって思ってました!
頭のおかしい、なんとかかんざしさんでしたっけ。
でたらめのこの動画に惑わされないでください。私が事実を書き、
この動画とアップ主が何の理由か知りませんが、大嘘でTULIPと財津さんを
貶めてる証拠と理由も書きました。新しい順で見てください。
70年代の末になるとアメリカきらレベルの高いルックスも良いバンドが多数日本に紹介されるようになるから苦しくなったな。イーグルス、ドゥービー、CCRなど。日本のポップスやロックが彼らのコピーであることが知られてしまった。そこにより勢いのあるジャーニー、TOTO 、スティクス、フォリナーなどの産業ロックの台頭で日本のロックファンは皆洋楽になびいてしまった。本物のロックを聴いたら日本のポップロックは聞けなくなった。その後の日本のバンドはCMやドラマのタイアップ以外はヒットしなくなった。
再結成の本当の理由は財津も姫野もチューリップの看板がなくなると全然売れなかったから、食っていくために、再結成してもう一度看板に頼った、ということ、ただ再結成後は単なる懐メロバンドで過去の栄光を使って稼いだだけだけどね、ただ、それはチューリップに限らず甲斐バンドもそうだし、、、昔は懐メロと言えば演歌歌手だったけど、今は懐メロ歌手、といえば、ほとんどいわゆるニューミュージックの歌手、バンドばかりになりました!
リメイク版のサボテンの花、音と歌をはずしただけ。
あれはないわー!一つ屋根の下あたり?
名曲「サボテンの花」をカラオケで「酔っ払いが歌った歌」に落とした。
財津のワンマンバンドで4人のメンバーを食わせていかなきゃならないのだから、生半可な決意ではないでしょう。
だから厳しいのは当たり前ではありませか。
他のバンドを潰すというより、照和の頂点だった財津の選び放題と聞きました。
「バンド潰しの財津」とは言いますが、財津さんに誘われてチューリップに加入したのは、
最後はメンバーの意志。
ほんの小さな出来事に 愛は傷付いて
ほんの小さな出来事と決め付けてはいけません
でも、君を愛せば良かったと反省しているから救われる
憧れの女の子とデートにこぎつけて、さっき食べた明太スパの刻み海苔の破片がその子の歯に付いているだけで、急に憧れていた気持ちが萎んでしまうこともあるからね。
@@peliatanbidani8573
それは、ほんの小さな出来事
@@peliatanbidani8573 さま
そういう歌だったの!?😱
ロングヘアが時代を感じます。
昔吉田さんの反論文見たけど再結成はないだろうと確信させるくらいボロクソに財津さんを罵ってたな。
今は閉店してしまったけど一度でいいから吉田さんのコーヒー屋に行きたかった
ぼくがつくった愛のうた
夢中さ君に
銀の指輪
あの娘は魔法使い
心の旅
私の中での🌷5大名曲
異論は認める
異論なし!
それが、人間
安部、姫野、伊藤が脱退後、松本淳がドラマーとして加入したが、すぐに渡辺美里のバックバンドの方が良いとして脱退してる。
ナイスですね
バンド崩壊の法則はリーダーやメインボーカル、作曲担当のワンマン化とソロ活動というのが定番だよ。自分の思い通りにならないからソロ活動に色気を出す。自分でもっているという思いあがった傲慢さ、勘違いが原因。そこを自覚していればバンドは長続きする。現実はまあアルバム3枚出せばだいたいバンドの行く末が見えてくるからそこで終わるバンドが多い。売れるともうちょい寿命が延びる。光があれば影がある。滅びの美学だな。
ナイス!
所詮、金です!
スピッツは凄い
めちゃめちゃそういう傾向あるのに、メンバーが40年近く変わってないエレカシは稀有な存在ですね。(もっともメンバーの絆がめちゃくちゃ深くて、他のメンバーが「宮本を光らせるため」にやってるんで)
ガロのことが知りたいです。
🥸吉田さんが脱退された原因はやっぱリーダーの財津さんに有ったのと🤑金銭問題からですね。高校時代から16年程付き合って来たのに脱退、絶縁した儘今に至るって事は、もうLiveすら行かなくなったんでしょうね🈲
財津さん💔吉田さんのこのドロドロの関係性を初め、この内情は何と言う書籍を参考にされたのでしょうか? アムランドさん、差し支え無ければ教えて頂けると有難いです🙏私も是非読んでみたく思います📖👀
横から失礼します。
よしだ屋珈琲店HPの一番下にある
「日本経済新聞の記事の間違いと訂正について」
のリンクから入って頂ければ吉田さんの証言・主張が分かります。
@@MrMinet333
教えて下さって誠に有難う御座います🙏
どうでもいいわ
でたらめのこの動画に惑わされないでください。私が事実を書き、
この動画とアップ主が何の理由か知りませんが、大嘘でTULIPと財津さんを
貶めてる証拠と理由も書きました。新しい順で見てください。
財津に不足していたのは「経営力」。
とにかく我が強く人を傷付ける事が平気。
最終的にはファンと数多くの人間に嫌われチューリップを倒産させた。
おい、お前がこれを書いたのは5か月前だろ。安部さんは数年前にとっくに他界してる。
安部さんの写真と名前を使い、ウソを書いたお前は立派な詐欺罪だ。
オールウェイズがパッとせんかったからなあ。オールウェイズがなんとかなってりゃ意趣返しとなったんだろうが。
はぁ?
アリス、オフコース、チューリップなどの話はわかりますね…。くどいようですが、かぐや姫はどうだったんですか?
かぐや姫は レコード会社がレコード代を 勝手に 値上げしたから。南こうせつさんはキャベツばかり食べてる歌に共感するファンに申し訳ないないと。
それでレコード会社に不信感をもってこ解散しました。 解散しないと レコード出せないし。
かぐや姫が解散したのは、あまりの過密スケジュールと、自分達の意図しないところでヒット曲を題材にした映画が作られたりして事務所への不信感が耐えられないところまできていたから。
@@孝昭城戸
秋吉久美子さんが出演した映画ですね。
@@平川毬 解散一番大きな理由は映画赤ちょうちんと妹。分かる人には分かる。
パンダさんが不仲
財津が、甲斐バンドの大森信和を引き抜けなかったのは失敗。
はぁ?
1985年の追加メンバー丹野ヨシアキ、松本淳は良かったな。
丹野さん松本さんは現在も大活躍ですね。高橋裕幸(高橋ひろ)さんが若くして亡くなったのは非常に悲しい。
@@YusugeMaerchen どんな形でも良いから歴代在籍したメンバー達を解散50周年ツアーゲストに呼んで欲しかったなぁ。
そういうことがあったのか。
金の切れ目は縁の切れ目。大金が入ると家族間でもあり得る。しょうがない。
ドリフが解散しなかったのはチョ-さんのカリスマ性か。
知らねーな、
@@佐藤浩一-y4n お前色んなとこでいらんコメントすんな !!
小田和正が居れば「オフコース」というのと同じ。フィル・コリンズ&GENESISもそうだった。♪心の旅は名曲です。
ピーター・ガブリエルは?
@@loulead4224 私もゲイブリエル時代が大好きですが、大ブレイクしたのは3人になってからで、コリンズはゲイブリエルの代替を充分果たしたので。
いやいや…本質は小田さんと鈴木さんが居るからオフコースでした。
今も昔も1強9弱
実力はあっても唯一の1強になれなかったミュージシャンは・・・
バンド界の星野監督。w
シンコーミュージックてブラック企業だったんですか?
財津は作曲の才能あっても、声質、歌唱力、容姿、すべてポールにはなれない。姫野が歌わなかったら、そこで終ってたと思う。
お邪魔しますm(_ _)m
ポール氏は基本ベーシスト乍らも、他にも多彩な楽器を幅広く操るマルチプレイヤー🎸🎹🥁其れに対して、財津氏は自称・和製ポールと謳って居られますが、ベースやドラム等はプレイしてる様を見た事有りませんし、更に利き腕も異なる為、ほぼポール氏を模倣出来ていないのも確かですけどね😅
そもそもポールレベルに到達している日本人アーティストなんていないと思うが。
ちなみに70代に関して言えば、声質・歌唱力はポールより上。
@@kenkenkoba1 何故そんな事が言えるのだろうか?
@hunyadijanos7522
つまり一応ポール氏同様に財津氏も一通り楽器は出来る訳ですね🎸🎹🥁流石は彼に憧れるだけに😍😻
@@user-2horse9tail4 1978年のアルバム『宇宙塵』では多くの楽器を演奏しています。何曲かは演奏も全部財津氏です。ただギターを弾く人に聞かせたら「?」と言っていたのでドラムやベース、リードギターの演奏力はどうかわからないのですが…。
どこまで嘘か事実か、実にくだらない事が好きだね。この類(たぐい)の下世話な話。
結局は金の配分の問題
実際にメンバーを従わせる為に鉄拳制裁もあったとか。
元々友達集めて結成したバンドじゃないから、
最後オリジナルメンバーが財津だけになったのも止むを得なかった。
「思えばバカな男さ、
君を殴るなんて」・・・この昭和でしかあり得ない歌詞はメンバーに対する思い?だったのでしょうか。でもちゃんと
「ほんとに僕はうまれかわろう」
と反省してますね w
@@カイトハヤタ さん でも吉田氏は接触絶ってる分、今も許していないね。
@@ヒマワリのたね 財津は一番苦しかった時に裏切り、吉田が音楽界を去る原因となった男だからね。その後吉田が音楽界に留まれば、仲直りの機会もあったのかもしれないけど。
解散時は忘れられていた存在であまり人気がなかった。
カネは バンドを 繋ぐ。 エグイが そう言う事。
でたらめのこの動画に惑わされないでください。私が事実を書き、
この動画とアップ主が何の理由か知りませんが、大嘘でTULIPと財津さんを
貶めてる証拠と理由も書きました。新しい順で見てください。
キビシ~
体は弱く気は強く
理屈ばかりでウソぶく
友達のできにくい
12才 少年
安全地帯ってスゲ~な
O型の怖さ。
しょーもな。野心のないバンドマンなんかいねーよ。
財津さんと姫野さんのふたり以外は誰でもよさそうだけど…。
日本のビートルズ?
最強のコピーバンドは「BAD BOYS」と「FLYING ELEPHNTS」ですね🎵
LIVE最高でした。新宿ルイードでBBに「I WILL」をリクエストしたら
「できへんねん」て言われて少し寂しかったけど(笑)
吉田さんが辞めた理由は家業の吉田屋珈琲店を経営に集中したいからだし、上田さんは
自分のバンドを持ちたいと理由だった。財津さんのソロ活動が増えたからTULIPの仕事を
減らしたいというのも検証するまでもない大嘘だ。ツアー回数は右肩上がりで、チケットは
徐々に入手困難になる。明らかにTULIPがライブバンドとして定着し、それが軌道に
乗った紛れもない事実だ。
吉田さんは財津さんと確執という理由なら、音楽業界でいくらでも仕事はあったはずだが、
音楽業界そのものから引退してコーヒー店に専念した。おかしいだろ。
もちろん辞めた理由を財津さんが解らないと言ったというのも、明らかなウソだ。
財津さんを始めとして、安部さんも様々な著書を出してるが、ここで言われてることは何一つ
まったく書かれていない。こういう個人的な動画をアップする輩はTULIPに敵意があるのか、
理由は知らないが、【この動画の話は根も葉もない真っ赤なウソだ】
事実だというなら、アップ主は情報の出どころを明確にしろ。
このアップ主は、右の動画アイコンを見ればわかるが、ことごとくミュージシャンを
でたらめ話で貶すという、悪趣味の基地外らしい。
財津さん谷村さん天狗で堀内さん姫野さんがあきれたとか