古写真で蘇る明治~昭和の京都
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- Опубликовано: 8 июл 2024
- 今回は明治から昭和にかけて、京都の街の移り変わる様子を紹介して行きます。
浦賀にペリーが来航し、動乱の幕末を迎えた日本。その中心舞台となった京都では、15代将軍・徳川慶喜が二条城で大政奉還の意を表明し、朝廷に政権を返上。
明治政府が樹立し事実上の東京遷都が行われると、京都の人口は著しく減少し「いずれ狐や狸の棲家になる」といわれるほど衰弱しました。
低迷の時代から脱却し、現代の京都がどう築かれてきたのか?
明治から昭和にかけての古写真で、街並みの移り変わりを見て行きましょう。
0:00 幕末~明治にかけての衰退
0:52 四条河原町より北をのぞむ
1:42 四条小橋付近
2:11 八坂神社西楼門
3:07 こま犬の見た祇園町
3:44 電気鉄道発祥の街 伏見線
4:51 祇園石段下
5:53 高瀬川
7:04 新京極
7:47 四条烏丸西入より東をのぞむ
8:32 室町姉小路上る
9:10 うっさんの図子
10:03 大丸前
11:12 京都駅
12:22 全国初の学区制小学校 番組小学校
12:50 新京極
#京都 #歴史 #明治
戦前の八坂神社西門の北西側交差点の角に雀荘があってそこで祖父がよくマージャンをしていて空襲警報が出ても止めずに続けていたらしい。
とても興味深く拝見しました
お稲荷さんの手前(京阪電鉄の伏見稲荷駅から歩いて疎水渡る前)に市電の停留所の跡があります。中学生までよく利用しておりました。
11:08
ここら辺から今の河原町に近くなってくるね。
歴史すきな、私有難うございま
私の勤めている所が京都えびす神社の横です、菊渓川の話や鳥辺野や清明神社など非常に興味があり楽しく拝見しました、旧新道小学校が葬儀場(焼き場)だっのには知りませんでした現在ホテル建設中です、これからも京都や東山の詳しい歴史を紹介してください。
京都の、市電の、跡地歩きました
うちの親が幼子だった頃、お祖父さんは、駅の事を「ステンショ」と呼んでいた。
と、言ってたけど、今みたいに「◯◯駅(えき)」じゃなくて、「◯◯ステーション」だったのなら納得よね。
当時は、英語読みだったとか、ある意味ハイカラよね。
もし首都のままだったら、今のような素晴らしい建築物が残っていないと思う。
東京も1860代の瓦の美しい町並みは世界一綺麗で清潔。
日本は本当に美しい。
2代目駅舎が火災で消失してなければ
東京駅みたいに重要文化財になって今も残ってたんだろうか
タイムマシーンでこの目で見てみたい
京都駅は初代と2代目が風情があって良かった。
幕を閉じたのは昭和54年です。間違ってますよ。