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高嶋政宏を思い出します。
アンサイクロペディアだと「肖像」扱いだよね。
晴久って存命中一度も石見銀山を毛利に奪われず元就の軍勢を打ち破ってるんだよね確か
故郷の島根には大関係尼子家関係の事を題材にして頂き、感謝です。
経久・晴久大好きです✨
11:43 までの尼子の勝利は、大河ドラマだと亡くなった経久の策略として描かれてました。まあ、緒形拳さんやからねぇ「謀(はかりごと)多きは勝ち、少なきは負ける。戦いの世に生きる男の有り様だ」は凄いセリフでした💦
軍略SSSだけど治略が残念過ぎましたね…。一気に領土拡大したかと思えばオセロ的に反旗を翻されるというね…。毛利元就が1番恐れた武将なのは間違いないですね。
1997年NHK大河ドラマ「毛利元就」で高嶋政宏さんが演じていました。
尼子、毛利、大内のお話は複雑怪奇で面白いな
尼子晴久は本当にすごい人で、美作国一宮の中山神社が晴久の侵攻によって焼けたため、戦捷報賽のために修築、「中山造」と呼ばれる構造を新たに発明しています。晴久は吉田郡山城攻めをせざるを得なかったのであり、安芸武田氏救援の要請に応えることなどが主な原因のひとつで、もう一方の可能性として、晴久が播磨を侵攻したことにも理由があると思います。それは、当時の播磨守護職である赤松晴政は大内義隆とは友好関係にあたり、やはり上洛するためには大内氏を退治しておかなければならなかったため、郡山城攻めはせざるを得なかったと私は思っています。しかし、石見戦線での天文20年ごろには、義孝とは停戦状態、もしくは和睦状態であり、先年の石見大田造山城の戦い後に晴久は石見国での領地を失い、義隆は石見国境まで勢力を取り戻し、備中・美作国でも同様であるので、和睦したと考えられます。
かなり無茶苦茶なんですよね。晴久のやってること。そもそも幕府から上洛要請を受けていたのは大内家と大友家で大内家は上洛要請を許諾してたんですよ。ですが尼子家は上洛の要請を受けてないにも関わらず、赤松家領に攻め入り地理的に、大内に対して通せんぼをしてるんです。そもそも攻め入っている赤松家は幕府に対して協力的な家です。それでいて大内家領に攻め入りますが敗退し、逆に大内家に出雲の居城まで攻められ膝下の重臣達が寝返り滅亡寸前になります。この戦いでは大内が撤退したことによって尼子が勝利しましたが、お互いに国力を疲弊させ、挙げ句大内も、尼子も上洛をできなくなったので幕府にとってみれば晴久の行動は傍迷惑だったんですよね。
@@木花咲耶姫-f5w そうなりますよね。挙げ句の果てには晴久の上洛に連動するかのように木沢長政や細川氏綱、細川国慶も上洛して洛中を支配しました。そうすると、やはり義晴から見ても晴久の上洛には困惑した事だと思います。
もっと評価されるべき。
ユキムラチャンネルと同じ時期に解説同盟とは参考になりました
お疲れ様です、山陰在住の身としては取り上げて頂き有難うございます🙇大河ドラマでは、毛利元就に手球に取られた愚将と言う描かれ方でしたが最近は研究も進んで少なくとも元就に掌で踊らされる様な武将では無かった事が分かってきて良かったです。(尼子十勇士、取り上げられてましたが、個人的には山中鹿介は本当に忠義者だったのか疑問に感じてます。嫡流の義久が健在なのに、傍流の勝久、(粛清された国久の孫)を担ぎ上げてるので、謀反人の末裔を担ぎ上げて、嫡流を危険に晒してると個人的には思うので🙇)戦国時代は三英雄周辺の話も面白いですが三英傑が絡まない武将達も、面白いので大河ドラマとかで取り上げて欲しいですね~(笑)[毛利元就]はそれこそ尼子晴久の扱いとか不満点は有りますが、三英傑が全く絡まなくても良かっし面白かったですが🙇
わ
大河ドラマで重要人物扱いで出てくるのは経久じゃないか
面白いのが元就と晴久は義兄弟っていうね
八つ墓村に出てくるのは尼子晴久の弟と言う設定でしたね
毛利元就や織田信長とかは運がいいんだよなぁ 大きい勢力や強敵が急死とか下剋上とかで弱体化とかしてるもんなぁ 織田だと斎藤義龍&三好長慶 毛利だと大内義隆&尼子晴久だからなぁ😅
尼子死については経久を神格化し過ぎてて晴久を全く評価しようとしないのが歪なんですよ
晴久「新宮とお〜!」しか思い出さん。😂😂😂
尼子義久が15歳くらいの時に家督を譲って後見しながら改革を進めていけば間に合ったんじゃないかと思う
5年寿命が長かったらと想像してしまう。
大河ドラマ毛利元就では、晴久の死は妻(国久の娘)に毒を盛られたためとなっていたな。夫とは言え、父の仇だからない話ではない。
毛利隆元も暗殺になっているが、毒殺の可能性があるから、わからん。
晴久は大河ドラマでもPSの誓いの三矢でも扱いがあまり良くないのが残念ですね😫
次の尼子義久で大名としては滅亡
これ経久から話始めるべきやろ
そうすると8割経久の話になるし😂
尼子、大内、大友揃いも揃って落ちていくの早かったよなあ
毛利も同じだけどね。
@@nekosakura393939 毛利氏は江戸時代以降石高は大幅に削られた長州藩として存続し続けた。特に、幕末に至っては今更言わずもがな。
@@1987lionkid 幕末って言っても毛利家が中心となった訳でも無いのであまり意味ないのでは?それよりも関ケ原の時点で天下も取れる位置にいながらなんも出来ずにあっという間に長州だけになったのが落ちるのが早かったと言いたいんだよね。情けないやんあれだけの大大名だったのに転落早すぎですよ毛利さん
まあ関ヶ原後落ちた後38万石から実高80万石まで上げたりしてるけどね
大内義興と尼子経久の寿命勝負はダブルスコアだったので誤魔化せたけど、元就と晴久は本当に寿命勝負だった。晴久の中央集権の方策は間違いではなかったが結果論死ぬのが早すぎて破綻した
大河ドラマ「毛利元就」では、祖父.経久に劣ったり、元就の調略に踊らされりと、過小評価ぎみに描かれていたが、実際は祖父の代より領土を拡げたり、大内や毛利のとも堂々と渡り合っている事から、そこそこの力はあったように思える。
武田勝頼みたいな人やね
祖父or曾祖父が超有能、戦に強い、血の気も多いと言う点では龍造寺隆信の方が近いかも。
可哀想なのが身内外敵揃いも揃って知能限界突破した連中がゴロゴロしてたこと。多少優秀な武勇型では周辺平均値おかしすぎて過小評価致し方なし、島zもとい頭おかしい武勇型になろう!(無理
奥さんは先に亡くなっていたのか…銀の毒を飲んで亡くなったのは作り話なんだな…でも岩崎ひろみ好きだからそれもまたヨシ!
よく分からないけど上洛しようとする不気味さ
信長の野望てゲームで尼子氏使うと強かったな~。
一利ある
毛利の侵攻を幾度も食い止めていることから勇将であったことは間違いないですね。新宮党を排除してもなお強かったわけですし。ただ、血の気の多さを諌める重臣やらブレーンがいないイメージですね。
石見方面では毛利の攻勢を打ち破っていたけど、山陽方面は晴久存命時にほとんど失陥していたので、仮に生きていたとしても月山富田城は包囲されて元就との寿命合戦といったところでしょうか。これまではさすがに過小評価であったにせよ過大評価するのもどうかなと思います。
三郎四郎 お笑いコンビ名みたいな(笑)
確かに
徳川家はこれとよく似た四郎次郎や次郎三郎があったような?
結構優秀な武将でしたが。
優れた軍略家と政治家とは言えないでしょう。新宮党の件もそうだし、戦も今一歩中途半端だった。
経久は名将と思うけど晴久が名将??精鋭新宮党排除したから凡将と思ってたそうだったんか!!
毛利元就に騙されてばかりだったから、昔の信長の野望だど戦闘は高いけどアタマがわるい設定だったね
息子達は凡将だった。
義久系統は現在でも家系続いてるしまあ勝ち組。
義久役は、ブレイク前の中村獅童でしたね。
評価出来る所もあるが身内の新宮党を粛清して、後の尼子家滅亡を招いた事は愚の骨頂。個人的にはプラスの評価は難しい。
信長の野望での尼子晴久の評価がおかしい
高嶋政宏を思い出します。
アンサイクロペディアだと「肖像」扱いだよね。
晴久って存命中一度も石見銀山を毛利に奪われず元就の軍勢を打ち破ってるんだよね確か
故郷の島根には大関係
尼子家関係の事を題材にして
頂き、感謝です。
経久・晴久大好きです✨
11:43 までの尼子の勝利は、大河ドラマだと亡くなった経久の策略として描かれてました。まあ、緒形拳さんやからねぇ「謀(はかりごと)多きは勝ち、少なきは負ける。戦いの世に生きる男の有り様だ」は凄いセリフでした💦
軍略SSSだけど治略が残念過ぎましたね…。
一気に領土拡大したかと思えばオセロ的に反旗を翻されるというね…。
毛利元就が1番恐れた武将なのは間違いないですね。
1997年NHK大河ドラマ「毛利元就」で高嶋政宏さんが演じていました。
尼子、毛利、大内のお話は
複雑怪奇で面白いな
尼子晴久は本当にすごい人で、美作国一宮の中山神社が晴久の侵攻によって焼けたため、戦捷報賽のために修築、「中山造」と呼ばれる構造を新たに発明しています。
晴久は吉田郡山城攻めをせざるを得なかったのであり、安芸武田氏救援の要請に応えることなどが主な原因のひとつで、もう一方の可能性として、晴久が播磨を侵攻したことにも理由があると思います。それは、当時の播磨守護職である赤松晴政は大内義隆とは友好関係にあたり、やはり上洛するためには大内氏を退治しておかなければならなかったため、郡山城攻めはせざるを得なかったと私は思っています。
しかし、石見戦線での天文20年ごろには、義孝とは停戦状態、もしくは和睦状態であり、先年の石見大田造山城の戦い後に晴久は石見国での領地を失い、義隆は石見国境まで勢力を取り戻し、備中・美作国でも同様であるので、和睦したと考えられます。
かなり無茶苦茶なんですよね。晴久のやってること。
そもそも幕府から上洛要請を受けていたのは大内家と大友家で大内家は上洛要請を許諾してたんですよ。
ですが尼子家は上洛の要請を受けてないにも関わらず、赤松家領に攻め入り地理的に、大内に対して通せんぼをしてるんです。
そもそも攻め入っている赤松家は幕府に対して協力的な家です。
それでいて大内家領に攻め入りますが敗退し、逆に大内家に出雲の居城まで攻められ膝下の重臣達が寝返り滅亡寸前になります。
この戦いでは大内が撤退したことによって尼子が勝利しましたが、お互いに国力を疲弊させ、挙げ句大内も、尼子も上洛をできなくなったので幕府にとってみれば晴久の行動は傍迷惑だったんですよね。
@@木花咲耶姫-f5w そうなりますよね。挙げ句の果てには晴久の上洛に連動するかのように木沢長政や細川氏綱、細川国慶も上洛して洛中を支配しました。そうすると、やはり義晴から見ても晴久の上洛には困惑した事だと思います。
もっと評価されるべき。
ユキムラチャンネルと同じ時期に
解説同盟とは参考になりました
お疲れ様です、山陰在住の身としては取り上げて頂き有難うございます🙇
大河ドラマでは、毛利元就に手球に取られた愚将と言う描かれ方でしたが最近は研究も進んで少なくとも元就に掌で踊らされる様な武将では無かった事が分かってきて良かったです。
(尼子十勇士、取り上げられてましたが、個人的には山中鹿介は本当に忠義者だったのか疑問に感じてます。嫡流の義久が健在なのに、傍流の勝久、(粛清された国久の孫)を担ぎ上げてるので、謀反人の末裔を担ぎ上げて、嫡流を危険に晒してると個人的には思うので🙇)
戦国時代は三英雄周辺の話も面白いですが三英傑が絡まない武将達も、面白いので大河ドラマとかで取り上げて欲しいですね~(笑)
[毛利元就]はそれこそ尼子晴久の扱いとか不満点は有りますが、三英傑が全く絡まなくても良かっし面白かったですが🙇
わ
大河ドラマで重要人物扱いで出てくるのは経久じゃないか
面白いのが元就と晴久は義兄弟っていうね
八つ墓村に出てくるのは尼子晴久の弟と言う設定でしたね
毛利元就や織田信長とかは運がいいんだよなぁ 大きい勢力や強敵が急死とか下剋上とかで弱体化とかしてるもんなぁ 織田だと斎藤義龍&三好長慶 毛利だと大内義隆&尼子晴久だからなぁ😅
尼子死については経久を神格化し過ぎてて晴久を全く評価しようとしないのが歪なんですよ
晴久「新宮とお〜!」しか思い出さん。😂😂😂
尼子義久が15歳くらいの時に家督を譲って後見しながら改革を進めていけば間に合ったんじゃないかと思う
5年寿命が長かったらと想像してしまう。
大河ドラマ毛利元就では、晴久の死は妻(国久の娘)に毒を盛られたためとなっていたな。
夫とは言え、父の仇だからない話ではない。
毛利隆元も暗殺になっているが、毒殺の可能性があるから、わからん。
晴久は大河ドラマでもPSの誓いの三矢でも扱いがあまり良くないのが残念ですね😫
次の尼子義久で大名としては滅亡
これ経久から話始めるべきやろ
そうすると8割経久の話になるし😂
尼子、大内、大友
揃いも揃って落ちていくの早かったよなあ
毛利も同じだけどね。
@@nekosakura393939 毛利氏は江戸時代以降石高は大幅に削られた長州藩として存続し続けた。特に、幕末に至っては今更言わずもがな。
@@1987lionkid
幕末って言っても毛利家が中心となった訳でも無いのであまり意味ないのでは?
それよりも関ケ原の時点で天下も取れる位置にいながらなんも出来ずにあっという間に長州だけになったのが落ちるのが早かったと
言いたいんだよね。情けないやんあれだけの大大名だったのに転落早すぎですよ毛利さん
まあ関ヶ原後落ちた後
38万石から実高80万石まで上げたりしてるけどね
大内義興と尼子経久の寿命勝負はダブルスコアだったので誤魔化せたけど、元就と晴久は本当に寿命勝負だった。晴久の中央集権の方策は間違いではなかったが結果論死ぬのが早すぎて破綻した
大河ドラマ「毛利元就」では、祖父.経久に劣ったり、元就の調略に踊らされりと、過小評価ぎみに描かれていたが、実際は祖父の代より領土を拡げたり、大内や毛利のとも堂々と渡り合っている事から、そこそこの力はあったように思える。
武田勝頼みたいな人やね
祖父or曾祖父が超有能、戦に強い、血の気も多い
と言う点では龍造寺隆信の方が近いかも。
可哀想なのが身内外敵揃いも揃って知能限界突破した連中がゴロゴロしてたこと。
多少優秀な武勇型では周辺平均値おかしすぎて過小評価致し方なし、島zもとい頭おかしい武勇型になろう!(無理
奥さんは先に亡くなっていたのか…
銀の毒を飲んで亡くなったのは作り話なんだな…
でも岩崎ひろみ好きだからそれもまたヨシ!
よく分からないけど上洛しようとする不気味さ
信長の野望てゲームで尼子氏使うと強かったな~。
一利ある
毛利の侵攻を幾度も食い止めていることから勇将であったことは間違いないですね。新宮党を排除してもなお強かったわけですし。
ただ、血の気の多さを諌める重臣やらブレーンがいないイメージですね。
石見方面では毛利の攻勢を打ち破っていたけど、山陽方面は晴久存命時にほとんど失陥していたので、仮に生きていたとしても月山富田城は包囲されて元就との寿命合戦といったところでしょうか。これまではさすがに過小評価であったにせよ過大評価するのもどうかなと思います。
三郎四郎 お笑いコンビ名みたいな(笑)
確かに
徳川家はこれとよく似た四郎次郎や次郎三郎があったような?
結構優秀な武将でしたが。
優れた軍略家と政治家とは言えないでしょう。新宮党の件もそうだし、戦も今一歩中途半端だった。
経久は名将と思うけど晴久が名将??
精鋭新宮党排除したから凡将と思ってた
そうだったんか!!
毛利元就に騙されてばかりだったから、昔の信長の野望だど戦闘は高いけどアタマがわるい設定だったね
息子達は凡将だった。
義久系統は現在でも家系続いてるしまあ勝ち組。
義久役は、ブレイク前の中村獅童でしたね。
評価出来る所もあるが身内の新宮党を粛清して、後の尼子家滅亡を招いた事は愚の骨頂。
個人的にはプラスの評価は難しい。
信長の野望での尼子晴久の評価がおかしい