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絶賛森の外で生活しています。精神疾患、生活保護、子供の不登校などさまざまありますが学校からの理解も頂きながら放課後登校しています。あとは少しでも体力が高まるように親子でスイミングやボルダリングを習っています。長時間歩くのが難しいですが、ボルダリングは筋力を主に使うので効率よく体力を付けられると思い実践しています😊人生は長いので少しでも前を向き頑張って行きたいです😊
森の外で暮らす。ラーニングゾーンと同じくらいこの言葉に救われました。苦しくても精神疾患を患ってでも森の中で暮らしてお金を持っていないと生きていくことはできないという思い込みを解き放ってくれた。また、主観2.0にも助けられこの3つを軸に自分とは何か、自分にとって幸せに生きていくってなんだろうって考えた時正社員ではなくパートとして生きていくことだった。国民年金にもなりお金は無くなり生活は苦しくなるかもしれないけれど。それでも私にとって大切なものはお金ではないと気づきました。今、第二の人生を歩み始め、以前よりずっと幸せであると思ってます😊人生レール通りでなくてもいい。なんとかなる。未来を考えすぎず自分のペースで今を生きていこう。そう思えるようになりました。いつかは生まれてきて良かったにたどり着きたいな。本当にDr.にはなんて感謝したら良いのか。ありがとうございます😭
森の中で生きづらい子供時代を過ごして、大人になった今は森の外で暮らしています。とても生きやすくなりました。最近森の中へ戻そうとする人たちとの関わりに疲れています。私は古本屋が好きで時々通っていますが、そこへいくと「世界が閉じられていて、時間が止まっている」感覚が好きです。自分の意志で「閉じた世界で、時間を止めて」生きてもいいと思います。現実世界にどんどん取り残されたとしても構いません。
そこまで人付き合いがやりたい訳じゃないし、そこまで責任を負いたい訳でもないし、そもそもそんなに能力に恵まれてる訳でもない。
不運だった…けれど自分の無知がゆえに病気になってしまいました。先生の動画で沢山学ばさせて頂き、自分は孤独だけれど、森の外の方が穏やかに過ごせてる様な気がしています🌳病気になり、たくさん苦しんで来たので過去の自分や森の中には戻らないと思っています。
森の中と外を行ったり来たり🌲方向音痴だから仕方ないのかなぁ〜って思って🍀ゆっくりって大事
身体は森の中、心は森の外という言葉にハッとさせられました。休職直前ってまさにこの状況だったんだろうなと。その時、管理職たちは自分たちの捉え方は前と何も変わってないって言ってたけど、森の中にいる人は森の外の事はわからないよなーって思いながら話を聞いてた記憶が。餓死しないのであれば、森の外でも中でも何とかなるかな。空き家は増えるって聞くと、いつか森のどこかに自分が潜り込める隙ができるかも。って淡い期待が。そう考えると、やっぱり森の中に戻りたいのかなぁ。
森の中や外を行ったりきたりしながら 今は障害年金を貰いながら 森の外で 暮らしています。小さな頃から 辛かったし 大人になっても 生きづらかった。でも 森の外で生きて良いんだと 思えてから とても幸せに暮らしています。今の価値観 最高です!
通りすがりに失礼します😊私はこれで良い。これが良い。と思えるところに落ち着かれてる感じが、なんだか羨ましいな〜て思いました。私は、調整中で、パワハラからのウツを生きやすさに活かそうとしています。そう思える辺りに辿り着いたら良いな〜✨
人に認められたいという欲求が強いと、森の外では暮らしづらいですね🤔🌳
自分の中の落とし所を探すのが辛い作業ですよね。時間も掛かるし誰にも理解されるものでもないし。欲は諸刃の剣、原動力にもなれば自分自身を傷つけるモノにもなる。欲なんて無ければどんなに楽かと自分は思います。
そう思ったこともある
理解のある友人(家族、恋人、医療従事者)1人いれば森の外が楽になりそうって人がいっぱい居る気がします。私がそうだっただけだからそれを一般化してるのに過ぎないかもしれませんが。
森の外で暮らしてます最初は自分の置かれている立場に戸惑いや罪悪感、劣等感などありましたが、自分の心身のことを理解し、自分を認め受け入れられたら生活が楽しくなりました😊他人と比べず、自分らしく生きられたら良いのかなと🙆♀️理解できない人は少なからずいるので、SNSを見るのを辞めたり、理解してくれる人だけ身の回りに置いたりしています✨大好きな創作活動に時間をあてたり、読書して知識が増えてくことが楽しいです
私は森の外で放浪し続ける前に、別の森(海外)に戻りました。大きな賭けでしたがうまく行ったと思います。海外は森の外があまりにも大きくて、森の外に留まっていても幸せはあるし、色々違った森があるので、自分に合った森を探しだすことが出来ました。日本の森は単一で、少しでも森の掟に外れると、直ぐに追い出しにかかるので、とても息苦しかったです。その代わりに海外の森や森の外は、日本よりも危険が多くて、一つ間違えば命が簡単になくなる厳しさがあります。私は挑戦してみて良かったと、今では思っています。そして自分に実力があったと言うよりも、運や行動を起こした時期が良かったのだと思います。
「森の外で暮らす」繰り返し取り上げていただきありがとうございますこの考え方に救われた一人です😊精神疾患の診断もらって半年すぎたくらいですが、自分は森の外の人間なんだと、ようやく納得出来た感じですまともな生活が出来ている、森の中の人の「お金がない」と、独り身で貯金が底をつくかもしれない自分の「お金がない」は別物お金問題に関しては、通ってるクリニックにて相談中ですまだ仕方がない境地には行けてないし、疾患からくる強い怒りに支配されてますいずれ穏やかな日々を暮らせるようになりたい😌
率直に申し上げて苦しいです。何故かって、その森の中にしか「伴侶」がいないことが分かっているので。森の中の美味しい果実に外食やら外車やら一般的ゴージャスなものやらだけであれば、それこそ視点切り替えや価値相対化でどうにでもなるんですが。また、年齢を重ねて一度はそれらの果実を食べたことがあれば、その価値観を手放すことはさらに容易になるでしょう。が、伴侶とは本能です。森の外でごくごく稀に伴侶を見つけることも出来ますが、大勢にとってやはりそれは例外です。また現在も、日本の外側は「食事」も森の中です。
森の外で楽しく暮らせれば問題ないと思うけど、楽しくない、やっぱり辛いって思う人はどうすれば良いんだろうね
森の探索を楽しめるならそれに越したことはないんじゃない?サバイバル能力が足りないって事なら努力するか諦めるかって判断でそれこそ仕方がないって事だろう
相変わらず、森の外で生活してます。無理して、人付き合いして、失敗したので、今のが楽です。精神疾患という、面倒くさい病気にかかり、子宮癌にもなってしまって、運が無いなあと思っています。
こんばんは🌙本日もありがとうございました【宿題】餓死はない、 空き家は増えるなどから思うことやファンタジー→わたしは今の状況はどうなんだろう🤔多分命からがら森の外へ逃げてきて藪の中で戸惑ってる感じかな?戸惑いながらも「とりあえずサバイバルするしかねぇ」みたいな。林檎は無くてもどんぐりや筍くらいはあるだろうと餌を探してその日暮らしも悪くない。外の生活に慣れたら今度は森に戻るのか?空き家はあれど、戻るのが気まずい…。「私なんかが戻った所でどうなる?」目に見えた変化は無いし、社会は淡々と日々を過ごしていくのはわかってても、やっぱり怖い。というか、もしかしたら私自身は森の外で生まれてきたのかもしれない…機能不全家族で家族に望まれたわけじゃなくただ生まれただけで、常識なんかあんまり習った記憶がない🤔
承認要求とか自己実現欲求とか割とどうでもいいんで、寿命を迎えるまでただただ毎日を出来るだけ穏やかにやり過ごしたい。
おはようございます。自分から進んで、外を謳歌しようとした私です。仕事もやめ、子育ても終わり、ペット(伴侶?)もなくし。60・70代は自分の好きに生きよう。体調悪くなっても誰にも迷惑かけない。それなのに、さぁ始まる!ところで一昨年、訳のわからぬ症状。結果、双極・入院。一見、自然と外に暮らす様になりましたが、団地の口さがない年寄りは、あれこれ廊下など聞こえるところで言います。入院中は、罹患歴のある方とは、お話しできますが、初めて発狂・発症した方は自分は病気ではない!病院にいるからの寛解なのに自分は病気ではない。そういう人も、あれこれ言い出します。人の悪口・何も知らないくせに憶測で言い出すのが本当に嫌です。ここは内・外のグレーゾーン。何故、人それぞれが分からないのか不思議です。そして、年齢という枠に嵌めたがる人の多い事!!嫌になる。私は、年齢も好みも前向きな気持ちも、辛い気持ちも、それぞれで、外とは言え、その上で話せる人と話したり、傾聴したりするのが好きです。それさえも、穿った目で見られる。外でも、とても疲れます。又、外に行きても、内の人達と完全に切れて生きる事は出来ません。これも、凄く疲れます。
森の中で、自分を欺き、他人を騙して、要領良く生きて、美味しい木の実をゲットして、自己陶酔して、持ち物を「自慢ばかりして生きている」人を見るにつけ、不遇な森の外に追いやられるのも、不思議の森・人間の尊厳という観点から俯瞰で見ると、決して悪くはないなぁと思います🤔🧐
現在森の外で生活してますが、戻りたいとは思いません。仕事のトラウマが拭いきれず一歩を踏み出せず時間ばかりが経過しています。謎の焦りや罪悪感に駆られ落ち着かない日々です。常識や普通って何なんでしょうね?捨てたくてもこびり付いて困ってます。地獄です。
普通とは、コチラ側を理解しようとしない人達が作っただけの事。その普通に合わせられい人間を、普通に必死で合わせてストレスの発散先にする集団の事を普通だと思います。
@@tamaki-v1t 本当に困ったものです。自分自身で自分を縛り付けているのだから。わかっちゃいるけど辞められないってやつです。枷を外したいです。普通や常識、当たり前という枷を。
よく生活保護の申請を役所の水際対策で断られて餓死してしまったという話を聞きますが、役所側はどうしても支給したくないらしく、私はNPOほっとプラスの藤田孝典氏に同行して頂き、無事に生活保護受給者になれたので幸せなほうなのでしょうね。主治医は軽作業なら就労可と診断しているようですが、森にはもう戻れないと思っています。それはそれで仕方がないということですよね?
精神医学が世間一般に知られない限り、風邪と同じくらいの早さで「病気前の状態に戻れるだろう」と思われるんですね。つまり、患者本人が会社へ障害の説明や合理的配慮を求めるのはハードルが高く、医者の意見や支援者の説明が必要なのだろうと思います。実際は医者の意見でも信じられず、仮病を疑われることは多いと思います。専門家の正しい情報がいつでも観られる状況は、ネット上にあるだけで、啓蒙活動になって時間をかけて周知されていくでしょう。
森の外と中の分断さえなければいいなあと思う。森の外から来ましたよ~と私がお邪魔するスペースもあるとなおよし。仕方がないは理解しています。別の言い方だと未練をたつ。女性の私は最近坊主にしました。髪は女の命と昔は言いましたが以外と捨てることができました。これも森の外だからできたことかもしれません。生まれてきて良かったとは思えませんが意味を見いだすことにはコミットしようと思います。Dr.の言葉も重く捉えすきず気楽に拝聴します。
森の外で穏やかに生きたいといくら自分が思っていても、身近な人の常識は簡単には変えられない。母の癌の終末期に疼痛緩和内科の先生が仕方がないで終わらしたくないと言っていました。精神疾患も仕方がないがゴールだと何となく希望が失われる感覚です。
雨の日には、家の中でできることを探して過ごすのも悪くないと最近は感じます。雨の音を聞きながら、静かに過ごす時間は、特別な心地よさがあって、外に出られなくても満足できます。雨の日ならではのリラックスした時間を楽しむのも良いものです。コロナ禍の時も外には出ることは減りましたが、お家の中でできることを探しておうち時間を楽しみながら過ごしました。日常の中にある小さな幸せに目を向け、感謝の気持ちを忘れずに生きていきます。小さな喜びを大切にしていきます。益田先生、ありがとうございました。
森の外の心境ですが、夫の力で森の片隅に暮らしているような感じです。気持ちは森の外で穏やかです。
無い袖は振れないしなるようにしかならないって事がだんだん分かってきた今日この頃です。
どのようなコミュニティに参加しても、歩いているといつの間にか森の外に来てしまっているように思います笑 ですが、いつも自分にとって正しいことをしたり、森の外内関係なく相手には親切にしたりしていると、森の外にいる自分という存在をそのまま受け入れてもらえるような気がします。「悪い人じゃないけど、あの人はああだから…」と、期待されないというか。(気のせいかも。というかそれは森の中だよ!て思う方もいるかも。)外側にはリンゴがないけど、ナシとかバナナとか、いろいろあって食べてみたら意外と美味しいです。いい人が沢山いる森ならば、出たり入ったりするのもアリです。
見た目で分からない病気は、なかなか理解されないですね。数年前から喘息になったのですが、常に息苦しくて、人から話しかけられても、とっさには答えられません。「息切れしているので話しかけないで下さい」と表示して歩くわけにもいかないし。自分が喘息になるまで、喘息がこんなに息苦しいものだとは知りませんでした。なってみないと分からないことは沢山あると思います。餓死は無いって言われても、ネグレクトで栄養失調で育ったので、餓死はあるよなあと思ってしまいます。貧血で倒れていると父に踏んづけられたし。空き家が増えていることに関しては、健康問題で収入が低い人や収入がない人に対しては、相続登記の費用とか固定資産税とかを免除して、親が亡くなった後も親の家にそのまま住めるようにすれば良いと思います。あと、リノベーションしてグループホームにしたりしているところはありますね。
まさに、今休職に悩んでいて、森の外で暮らすことになるかもしれないと怯えています。20代だからか、諦めきれないです。特に金。金を稼げる仕事してるわけではないですが、むしろ薄給ですが、キャリアアップして金稼いで。。。というのが諦めきれません。だから苦しいんだということはわかってますが。。。今の自分は諦められません。。。
森の外を知ってるのに森の中が正義だと思い込んでる人たちも居ますね
森の外という概念を知っているのと知っていないのでは大違いですよねやっぱり実がほしいから居られる限り森の中で生きていくことになりそうですが、ここだけが社会じゃないと思うといくらか気が楽ですどうして自分は自分の居場所をうまく作れないんだろう、なんでみんなと違うんだろう、悩んでいた(悩んでいる)けれど、森の中が世界の全てだと思い込んでいたときよりは、なじめないことへの諦めがついたというかまあ実を稼ぎに来てるだけだしな、いつか稼げなくなっても生きていけるしな、みたいなとはいいつつもやっぱり人並みにお金や娯楽を手に入れたいな、とか森の外の存在を認識してくれている仲間やパートナーがほしいな、とか願望は止まらないわけであとはもう煩悩とどう付き合うか、自分と向き合って無理なく生きるにはどうしたらいいか、とかそういう話になってきますね難しい、幸せってなんだっけ
社会のルールに従おうとすると、森から弾かれてしまうので、自分で見て、自分で考えて、自分で作ったルールで暮らすようになってから、何となく森の端の方にぶら下がっていられるようになりました。70くらいまで森の淵で暮らしたあとは、安い空き家を手に入れて森の外で暮らしたいなぁw
森の外はいつも飢えとの戦いです。森の中の人が仕方ないと思えばと言うのは違うと思う
好きで森の外へ出た訳ではないですが、13年前に措置入院をしたのを機に生活保護を受け障害年金を申請することになり、しばらく療養してから就労支援事業所に通い始め、森の外で暮らす人になりました。普通に森の中で結婚して子供を産み育てたりしたかったな!自分の孫の顔とかも見たかったな!全て夢に終わるのが辛いですが、先生の動画で勉強してきたこの一年、たくさんの学びを得て、失ったものに目を向けず今を見つめようと努力中です。自助会で少しずつイベントに参加したりして前を向こうともがいてます。努力していればそのうちひらけてくるものがあるかな?あると良いな😊
自分も似たような状況です。貴方の人生が少しでも好転するよう応援してます。
@@mutsumi201さん、ありがとうございます、お互いにぼちぼち歩んで行きましょう!
結婚なんて人生の墓場 子供は親の思ったようには育たない 森の外で贅沢出来なくても穏やかに暮らしている方がいいと思うよ
@@キティニーナ-e5vさん、そんな墓場だなんて…ご主人やお子さんがいる幸せを小さなことからでも感じて過ごして行かれて下さい。森の外は寂しいですよ😢
森の外で生きる選択肢があってよかった家が買えなくても、正社員として働けなくても、いっか!ドクターいつも心が楽になる考え方を教えて下さり、ありがとうございます✨
森の外で暮らしていますが、リアル森の中で暮らしています🙄
ぼくは森の外で生まれたような気がする 外にいても中に入ってみても、その場所にきちんと調律されたピアノ、お気に入りの本が何冊かあるとうれしいな
わ!好きなワードの一つ!🥰
自分は森の中にいるけれど一歩家に入ると完全森の外です。森の中に入るときは(心理的に)体の色まで変えています。「仕方がない」が受け入れられないのは長年、宗教二世の家庭で虐待を受けたものの本来のキリスト教価値観に目覚めたので、窒息しそうな同調圧力の社会で経験した激しいいじめと排除は「仕方がない」とはつゆ思えません。満身創痍、息絶え絶えながら生き抜いた自分を500%肯定したいのです。今はその作業中です。それが私には合っているようです。森の中の住民には時々受け答えにびっくりされますが、挨拶だけはしっかりして完全排除の憂き目を避けています。
世間から叱られたりごちゃごちゃして嫌になって、思春期に山⛰️で暮らせないか考えてた私にとって、定型の世界を森🌳とするのは、面白いです🤣しかし支援者ならいかに定型に擬態化するか、擬態するための礼儀やSSTを伝えていくか、形だけでも森にひっかかるようにサポートしていくか、という定型の作った自立支援という概念を念頭に置かなければ支援者の中で方向性が食い違いますので、私は心は森の外に居たかったですが、生きていればおのずと共有する仮想現実は定型の情報やカルチャーによるものなので、完全なる森の外は孤独感が拭えないと思いますよ。
森の外の住人になって久しいです。リンゴをめぐっての争いをしなくていいので、楽です。ちょっと知恵を使ってコツコツゆっくり生きていけば、多くを望まなければある程度の自由もいっぱいあるし、もちろん餓死はしないし。森の中の人たちより、ゆっくり時間が流れている分、 もしかしたら、生まれてきてよかったと感じること多いかもしれない。なんて思ったりもします。それでも、辺境でビジネスやりたいな、って、時々思ったりもします。
こんばんはいつも配信、ありがとうございます。宿題📚私も現在、森の外で生活しつつ治療してます。体調崩して休職する時、とても勇気が必要でした。結局、自分で決心する前に身体が働けなくなりました。まさか自分が!でした。いまは、傷病手当で生活してます。元々、治療受けながら働いてましたので、休職と同時に福祉の申請。職場の復帰指定日までに体調は戻らず、そのまま退職です。本当に仕方がない!でした。いまは、治癒出来るかわかりませんが、主治医も家族にもゆっくり休んで身体休めてください。と言われてます。ムリし過ぎたなぁと自己反省してます。何事もムリは禁物です😊
森の外なって自分の目標としたことが叶わないなら、生きている意味ないじゃ無いかやし、無気力やし生きていたく無いとなってる。
目標があって凄いですね
生活保護もあるし、今の日本だと衣食住を失うことはまずないからドクターが言う通り喜びを見つけるのが人生なのかもしれないですね
森の外で暮らすようになった時、社会からはじかれたようで激しい焦燥感がありました。違う仕事を始めて森の中に片足を突っ込みましたが、順調にはいかず度々凹みます。でも好ましくない人間関係を続けるストレスはなくなり、体調を考慮しながら、程よい距離感で人と交流ができます。森の外の比重が高い暮らし方を選択してよかったと思っています。
元々、全ての人が、森の中で生きるのが正解とは思えません。人それぞれ、生まれながらの適性も違うし、生きていくうちに、適性、価値観、体力、能力等も変化していきます。「森の中」から「森の外」へ出る人、出なければならなくなる人も出てくるでしょう。これこそ「多様性の時代」の在り方だと思います。
とても争いが苦手な人間にとって、森の外で生きるということは地獄のようなもので😢リアルに森の中でひっそりと暮らしたい。そんな金もコネもないけれど。
森の外側のごく外側にいるものです😢兄弟・子供からは もう一花咲かせなよ!なんて 励ましのつもりなのでしょうが 言われますね。それから 餓死はありそうです。あと7日で 311円 冷蔵庫は ギリギリ足りるくらいの お米のみです。1日1食 40gは食べていると思います。今朝から 薬が増えて そのせいか 一日中 横になっていました。このまま 死ぬのかな…と思えています。😢
キレイめな空き家があったら住みたい。
🤣
😂
森の外で暮らす、早くそうなったらいいなぁと思いながら、今は心をすり減らしながらなんとか生活してる感じです。誰にも迷惑かけないで暮らせたら、その時初めて幸せを感じられるのかな😢
生活保護7年目です。最初は、すぐ森の中に帰れるかと思っていたのですが、毎日決まった時間に出社して仕事をこなすことが続かないので、ムリしないで、そこそこ楽しく暮らすか・・・と思うようになりました。とはいえ、この物価高で、お米も、去年より1000円高いし、すぐには保護費に反映されないので、内職をしています。部品を自転車に乗せて会社までいく途中、「売り家」というのをよく目にするようになりました。(ローンを払えなくなっちゃったのかな~?離婚して一家離散したのかな~?)など、色々妄想しています。この世は、諸行無常だな~、変わらないものはないんだな~と、実感します。今は森で美味しいりんごを食べ放題の人も、おごれるものは久しからずです。私の美味しいものは、一流レストランのものではありませんが、それはそれは美味しいのです♡ありがとうございました。
楽しそうでいいやないか
森の中で生きるか◯ぬかの狭い二択で悩んでいた自分を救ってくれた概念
仕方がないの中身を詳しく説明していただきありがとうございます。
森の中の人と外の人が分かり合えない事があっても 仕方がないと思いますが、お互いの事を 知る事と学べるための、仲介役として、医療機関、福祉機関、相談機関、教育機関、保育機関、 警察、弁護士、裁判官、そういう、プロが存在していると思います。人間が、1人で出来る事など、たかが知れていると思います。それぞれの専門家が、手を取り合い、人を救う事は沢山あります。学びが、あれば、プラスになる事は沢山あります。益田先生は、その専門職の1人として、この動画配信を、通して、お考えを、お伝えしていると、思いました。ありがとうございました。
実際にはわずかな例外ながら餓死されている方もいられるし、私自身も老化や心身の状態で外出や手続きが出来なくなると要件を満たしても100%福祉を受けられるかの不安はあります。また空き家にも期待はしますが、コロナ禍で確定事実のように言われた中古マンションの暴落みたいなのも結局起こらなかったですし、空き家が大量に出現してもデベロッパーや業者が安値で取り扱うとはあんまり思えないんですね。(賃貸は高齢者にハードル高いし)日本では土地神話みたいなのが崩れないんじゃないでしょうか。悲観的ですみません。
益田メソッド📙やっとやっと本日届きました♡ありがとうございました😊また学ばせていただきます!
私、体は一応今森の中で、心はいつも森の外です笑でも心を森の外に住まわせるって悪くないです。寧ろゴミゴミした世間から離れて自分と対峙できる、静かな環境無しにどうやって幸せを探すんだろう?と思ってしまいます。私見ですが😌先生の全国ツアーがあったら、めちめちゃ嬉しいです🥺天狼院カフェで撮った動画、めっちゃイキイキしてて見てるこちら側も元気になれます😊
森の中と外が交わった部分があるとしたら、私はそこにいる感じです。ゆっくりでいいんだと、言い聞かせています。そうしないとまた同じことの繰り返し。
10年以上生活保護で生きています。この生活を続けていく中で辛いことのひとつが、「仕事は何をされてるんですか」という質問に答えないといけないタイミングが時折あることです。「森の外」というワードが広まれば「森の外の住人なんです」と笑顔で言えるかもしれません。
開き直って生きるためには「社会貢献」という価値観の方を採用して、森の木の実に執着して、他人を蹴落とす競争社会に「復帰」するという感覚から自由になる事かなぁと思って、強がっていま〜す😂(長年の間に「患者」という役割に慣れ過ぎて、一方的な「支援される立場」に置かれ続けると「肩身の狭いパワーレス状態」になるから、時には強気で、「生きている」だけで社会貢献しているんだと、自己満足→自己承認→感謝のスパイラルに入ると、住むところも与えられて、餓死せずに、「こんな夜更けに🍌かよ」的な、他人様からの助けを「遠慮なく」受けられる日が来ます🙏)
今以上、(都心?)良くなる時代など来るのでしょうか?森の外に生きてますが…。これからは「外国や(ポツンと一軒家TV.など)田舎町で日本を宣伝、開拓していく」…ことが、幸せ?になる第一条件のような気がしています👪
辛い現実受容です。明日は10月の精神科定期受診・相談支援センターと利用者契約、午後から市役所障害福祉課で保健師と面談。また支援者を増やします。
これ健常者もこういう視点を持った方がいいと思う。森の中で暮らせているからといってすべてにおいて適応できるとは限らないですし。私にはどうしても孤独が必要不可欠で恋愛結婚育児に絶望的に向いてないし、絶対に一人になれる時間と場所がいる。これが理解できない人がものすごく多くて疲れます。シロクマを南の島へ連れて行ったら死ぬんですよ。南の島の住人はそれが理解できない。南の島がいくら豊かそうに見えてもそれはシロクマにとっての豊かさではないんです。もう一つ、森の外へ出た自分を役立たずという人がいたら、私は絶対にそれは違うと思います。あなた方がいるから社会が今以上に過競争にならずに済んでいると思う。それは素晴らしい事なのではないでしょうか。メインルートから外れる勇気はどんな人にとっても重要でしょうし、それをしたからこそ見る事ができる景色があると思います。
貯金できなくても生きていける方がいいな
別に森の中で生きたい訳じゃなくても、子供の頃から憧れていた本当に面白そうでやりたい趣味や楽しみを実行するのが現状の自分では不可能に近い、という現実を受け入れ諦めるのが難しいです金や体力などが必要なものを好きになってしまうタチなので、気楽に生きるのが大変です
森の外に暮らす為の、準備をしていますが、ケアレスミスが多く、凄く不安が強くなってきてます😥多分ですが、ケアレスミスが少なくなれば、外へ出ていく事が出来ると思います。宿題は、福祉を利用すれば餓死等は無くて良いんですが、ソレをしてしまうと、僕の地域では車移動がメインになるので、出来ないという事が多くなると思うのでは無いかと思います。以前、言ってくださったトロッコ問題です😢
おつかれさまです😊ありがとうございます♪
森の外に子どもの頃から暮らしてきた、一見森の中に生きていると思われている人です。10歳くらいの時から周りの争いや自分へのイジメがなぜ起こっているのか、みんな何にそんな不満を持っているのかを考えていましたが。高校生くらいの時には、みんな不安だから周りを攻撃する事で自分を取り繕おうとしていると気づきました。40代になった今でも、同じような世代や少し上の世代でも、恐ろしいくらい森の中の甘い果実に執着し続けている人たちをみます。そんな人たちと直に関わると、とても虚しさを感じます。先生の仰る通り、「そんなもの」には価値がない事に気づかないまま、歳を重ねていく人はたくさんいます。また一方で、果実は空虚である事に気づいた人は、寛大、寛容、諦観が身についた魅力的な人になっています。往々に、やはりある程度の年齢を重ねて経験を増やす事でしか見えてこない部分もあるかと思いますが、私は果実を求めるあまりなりふり構わず品格を失ってまで求め続ける人たちに振り回されないよう、基本心は森の外に置いています😌
森の中に入ったり出たりを繰り返してますが、なんだかんだ職場は見つかるし短いとしても働けてるし、森の外に出てもなんだかんだ生きていけるし、いい塩梅で生きていけたらなと高望みしないように自分をセーブしてます。
やっぱり精神疾患の人が思いがちな「稼がないといけない」という価値観にハマってしまってます。それが出来ない⇒自己批判する⇒病気が悪化するの悪循環をずっとしています。稼がなくても、十分に楽しめるし、その人の価値はあるという考え方は正しいのに。…もうちょっと病気を安定させないと難しそうです。😢
森の中て良しとされてることにとらわれすぎてますよね😢休職して社会からの疎外感・地味にゆっくりした時間の流れ・コメント欄を通じての世界観を自分事として実感して何かが変わりました。自分にとって、程々に生きやすい場所が、その森だったってことで良いような☘️適応障害ウツ中等度で復職して8ヶ月、フル出勤ではなく、リハビリみたいなもんですが、、復職したから良いわけでもないです😅社会にマヒすることに抵抗してます😅小さくても社会と繋がる、何か喜びがあることはどこにいても大切な気がする今日この頃です。
出来ること出来ないことで選んでいくうちに今の所(気がついたら森の外)に来ていました😅仕方ないです。でも隣の人が親切だったりします。これからも出来ることしていきます。
世間と話を合わせるという意識は、私にはそもそも無いんですよね。で、思う事は誰に嫌われようとも、どうでもいいと知る事が大事かな?と思います。言い換えれば、自分が大事だと思う人だけに認められればいいんじゃない?って事。どうでもいい人から好かれようと嫌われようと実害無いですからね。仕事関係なら、仕事キッチリやってれば良いだけの話だし。友人関係でも、別に友人なんか大勢要らないじゃないですか。まあ、家族は気にしなくても家族だし。突き詰めると、結局一人でも問題無いなと気付く事は大事だと思います。自分を大好きだと周囲なんか気になりません。自分が最高なんで。最高が自分なら、もうそれでじゅうぶんじゃないですか。なら、あとはおまけ。おまけは一個でもあれば感謝。そういう人生観を僕は幼い頃から持っています。あと、そうですね・・・病気に関して思うのは、これって注意しててもしなくても、なる時はなっちゃいますし、生身なんだから、病気くらい、そりゃあなるさって思ってます。だから恐れても仕方ないし、なったら困るけど、困った時点から思考錯誤すれば良いと思ってます。怪我も同じ。一人で食事したって、美味しいものはやっぱり美味しいし、一人で旅行したってそれも楽しいもの。孤独も楽しむ精神で元気に生きてます。
お金に価値がある、美に価値があると押し付けてくる親や周りの人間と幼少期からずっとズレを感じていました。収入はそこそこで良いし見た目もモデルのようにならなくていいし学歴も地位も興味ないのに理解されず、私は親戚の中でもなんだか哀れに見られたり浮いた存在で、、何も諦めていないし、かといって目標がないわけではないのに、、、平凡が心底幸せなのに何故不幸だだらけものだと決めつけられるのだ、、?といつも困惑していました。見えるものばかりに価値を感じるのも生まれつきなのかなあと今でも不思議です。
現在は森の外で暮らしています生活はグループホーム、日中活動費は作業所です良い支援者に恵まれているので、仕方ないなと思えています逆にグループホームで共同生活をしていると、色んな価値観の人がいるので自分の価値観も変わります何だかんだ、来年の今ごろには障害者枠で就労してそうですが自分自身に関しては病気や家族のことで運が悪かったと思えているし人生そんなもんでしょう
私を森の外へ連れ出してくれたのは、本と音楽と深夜ラジオでした。
オンラインで講義受けたいなぁ😊
森の外でのらりくらり入院したり、デイケアいったり、グループホームいったり、作業所行ったり、同じような人たちがいるちいさな社会の中で10年ふらふらしてました。他の病気もそうだけど、本当に病気のこと知るには相手の持つ病気にならないとはっきり当事者にならないと本当の理解はできないと思いますだから、相手の病気の理解をするためには時間をかけて、話し合って声無き声に耳を傾けないとそういう意識を持たないと僕たち病気持ちの人の理解はできないと思います。健常者の人たちは自分と仕事と周りの友達とか恋人にかける時間だけで精一杯だと思うので、基本的に健常者の人たちとはかかわらないではないけど、理解し合えないと思っているので、消極的に自分の内を明かさないようにその場限りでごまかして存在消してひっそりしてます。
森の外で生きるには仏教的な真理の理解が必要になるのは分かるけども、世界を疑うのは正直誰でもできることではない気がする諦念に至れない人は神様を信仰してるほうが、例えまやかしであっても楽にはなるんじゃないだろうか
森の中が正しい、とは限らない。森の外のほうが自分にとってベターなのであれば、それでいいし、受け入れる。森の外にでて病気になったけど、森の中が必ずしもいい場所ではないと思った。
森、には牧羊犬がいます。一匹は、とても優秀で森の中で右往左往するお馬鹿な迷える羊が誤って他の場所に行かないように吠え守る番犬です、が、群れにいるお馬鹿な羊の中に、違う分子が紛れないように見張る牧羊犬です。意外にも、後者の方がやっかいだったりして…。要するに私は少しでも豊かな食料を得るためにいまだに森の中でちまちま迷える羊をやっています。日本はモリの外の生きものを受け入れる姿勢が、ほとんどない。一度モリから出たら、ですが。
森の外で暮らすうえで最大の課題は”森の中からの介入をいかに避けるか?”だと思います。餓死はしないし空き家は増えるし人は減る。ですがそれは森の”中”の話です。森の外では食料へのアクセスは限られます。空き家は森の住人に優先入居権が与えらえます。人が減るのは森から追い出された人が増える事と表裏一体です。そして中の住民は私たち外の住民をこれらへアクセスさせない、もしくは最悪でも森の中でも最低ライン以下に抑えるべくありとあらゆる手段で介入してきます。楽観視は危険ではないでしょうか?
人は経験や見聞を通し、実感や納得を伴いながら次へ進みます進んだ先で新たな発見があり、また価値観が変わることもあります健康でも病気があっても、それは一緒だと思います医師から「仕方がない」あるいは別の言葉なり考え方を与えられ、ただ単にそれを受け取っても、それは本当の意味でその人のものにはならないと思います治療者が特定の考えや見解を患者へ提示、もしくは教示することは避けるべきだし、患者がもつ脆弱さへの配慮、併せて本人が感じ、考えることを尊重しながら指導することが望ましいと思います不安や脆さを抱える相手へ、立場的に優位な側が断定的なものを指し示せば、場合により (共) 依存関係や洗脳にもなりかねません病からくる脆弱性(認知の偏り・不安定・極端・未熟など)に対し、精神医療のプロ(医師・臨床心理士・精神保健福祉士等)の見守りや助言を受けつつ、重大な失敗や取り返しの利かぬことを極力回避し、紆余曲折を経ながら自己を回復・確立させていくものと思いますまた治療の目標・ゴールといったものも、治療者側が一方的に設定せず、双方の対話の中で患者の意思を確認しながら都度調整するのが良いと思います森の内側・中心を目指したい人もいれば、日々の安穏な暮らしが何よりな人、世間はあまり意識せず好きなことに熱中する人、十人十色で、仕方ないと諦めること、生まれてきて良かったと思える瞬間、開き直り方も違ってくると思います人をその人以上に解る人はいないはずで、精神医療とは、病で自我の迷宮をさまよう患者の伴走ではないでしょうか個人的には森の中・外という概念はとても窮屈に感じますし、治療者の常識を通じて治療をしようとしても、患者本来の自己の回復や成長には至らないと思いますそれと「仕方がない」と諭す益田医師自体が、目指すものや諸々に固執し無理をしている、また何かに抗っている仕方がないを実践・体現できてないように見受けます
森の外で生きる、という言葉は私が精神疾患患者として闘病しながら歩んできた道の果てにあった生き方にぴったりの言葉で、おそらく先ゆく多くの患者さんたちが歩んだ道でもあり、益田ドクターはそれを言語化してくれたのだと思います。この言葉を通じてわかりあえることがありがたいです。
弱点の受容は難しいけれどもSSRIの服用で広がる。そして、周囲の人の選別と情報と自由になるお金と知能残された身体機能スキル道具社会変化逆張り時間を味方にする、、、
衣食住が足りてても孤立して孤独だと辛い
いっとき開き直れたとしても、何かの拍子で元の価値観に引っ張られる。そして「森の中の価値観に責められているように」感じる。人じゃなくて、価値観や考え方に糾弾されている感覚。
森の外側で生活もありなんだには、釈然感という感覚を肉親などの近い関係性などで、釈然感やどうしてとかなぜという感覚が潰されてしまったと言う現実がどうしても森の外側で生活すること自身、罪責感や罪悪感をものすごくつよく感じてしまうから、回避したくもなるから、追い込まれやすくなる、追い込まれてしまうから、衝動性や依存が抑えきれなくなるということだと感じました。先生がおっしゃる、当たり前や当然ということを疑うよりもなぜどうしてという意識で考えてみると当然とか当たり前ということが確かめることがゆるしてもらえなかったことが受け入れられると、森の外側にいることを全てのひとが責め立てているわけでもないんだが感じてくると益田先生のおっしゃるしかたないよが感じてくるのかなとコメントします。
登録させて頂きました。鬱です。少し良くなってきましたが、疲弊してます。お聞きしたいことあります。傷付けられないやうに冷たい態度や攻撃的な態度を取ってしまいます。素のまま優しくなりたいです。本当は優しく接したいのに。これは意識して優しくするしかないでしょうか?
良かったですね。残念な発想です。森には色々な森がありますが、常に森は存在するのです。森を知らない癖に森を知っ方ぶりして話す人間が大嫌いです。
突然ですが、「自衛隊の」自○問題を取り上げて欲しいです。知り合いが悩んでいます。
個人的に擬態能力に長けているので森の中で暮らせてましたが、家族に発達障害や精神疾患があると分かり合える人が限られてくる。結局、心は森の外にいる方が楽。
動画のために無理無理なテーマや過去動画を掘り返して動画にするのは止めてください。貴方は医師としてもう少し学ぶべき。
なんで笑われてるんだろう?
パートには行っているものの、家に入れば(義理の父親)(故人)や夫に言いたい放題、別に聞きたくも無い話しを聞かされて、私自身のメンタルは数ヶ月はおかしくなっています。以前に通っていた心療内科で紹介状を書いて貰い(夫が以前に行っていた精神科医の病院に行く予定)にしていても、あっという間に病院に4ヶ月行けていません。(先生が話している森の外の生活は出来る様になりますか?)
オンライン入り方わからん😂
もう競争なんかやらなくていいよ
進撃の巨人…
絶賛森の外で生活しています。精神疾患、生活保護、子供の不登校などさまざまありますが学校からの理解も頂きながら放課後登校しています。あとは少しでも体力が高まるように親子でスイミングやボルダリングを習っています。長時間歩くのが難しいですが、ボルダリングは筋力を主に使うので効率よく体力を付けられると思い実践しています😊
人生は長いので少しでも前を向き頑張って行きたいです😊
森の外で暮らす。ラーニングゾーンと同じくらいこの言葉に救われました。苦しくても精神疾患を患ってでも森の中で暮らしてお金を持っていないと生きていくことはできないという思い込みを解き放ってくれた。
また、主観2.0にも助けられこの3つを軸に自分とは何か、自分にとって幸せに生きていくってなんだろうって考えた時正社員ではなくパートとして生きていくことだった。国民年金にもなりお金は無くなり生活は苦しくなるかもしれないけれど。それでも私にとって大切なものはお金ではないと気づきました。今、第二の人生を歩み始め、以前よりずっと幸せであると思ってます😊人生レール通りでなくてもいい。なんとかなる。未来を考えすぎず自分のペースで今を生きていこう。そう思えるようになりました。いつかは生まれてきて良かったにたどり着きたいな。
本当にDr.にはなんて感謝したら良いのか。ありがとうございます😭
森の中で生きづらい子供時代を過ごして、大人になった今は森の外で暮らしています。とても生きやすくなりました。
最近森の中へ戻そうとする人たちとの関わりに疲れています。
私は古本屋が好きで時々通っていますが、そこへいくと「世界が閉じられていて、時間が止まっている」感覚が好きです。
自分の意志で「閉じた世界で、時間を止めて」生きてもいいと思います。現実世界にどんどん取り残されたとしても構いません。
そこまで人付き合いがやりたい訳じゃないし、そこまで責任を負いたい訳でもないし、そもそもそんなに能力に恵まれてる訳でもない。
不運だった…けれど自分の無知がゆえに病気になってしまいました。先生の動画で沢山学ばさせて頂き、自分は孤独だけれど、森の外の方が穏やかに過ごせてる様な気がしています🌳病気になり、たくさん苦しんで来たので過去の自分や森の中には戻らないと思っています。
森の中と外を行ったり来たり🌲
方向音痴だから仕方ないのかなぁ〜
って思って🍀ゆっくりって大事
身体は森の中、心は森の外という言葉にハッとさせられました。休職直前ってまさにこの状況だったんだろうなと。その時、管理職たちは自分たちの捉え方は前と何も変わってないって言ってたけど、森の中にいる人は森の外の事はわからないよなーって思いながら話を聞いてた記憶が。
餓死しないのであれば、森の外でも中でも何とかなるかな。空き家は増えるって聞くと、いつか森のどこかに自分が潜り込める隙ができるかも。って淡い期待が。
そう考えると、やっぱり森の中に戻りたいのかなぁ。
森の中や外を行ったりきたりしながら 今は障害年金を貰いながら 森の外で 暮らしています。小さな頃から 辛かったし 大人になっても 生きづらかった。
でも 森の外で生きて良いんだと 思えてから とても幸せに暮らしています。今の価値観 最高です!
通りすがりに失礼します😊
私はこれで良い。これが良い。と思えるところに落ち着かれてる感じが、なんだか羨ましいな〜て思いました。
私は、調整中で、パワハラからのウツを生きやすさに活かそうとしています。
そう思える辺りに辿り着いたら良いな〜✨
人に認められたいという欲求が強いと、森の外では暮らしづらいですね🤔🌳
自分の中の落とし所を探すのが辛い作業ですよね。時間も掛かるし誰にも理解されるものでもないし。
欲は諸刃の剣、原動力にもなれば自分自身を傷つけるモノにもなる。
欲なんて無ければどんなに楽かと自分は思います。
そう思ったこともある
理解のある友人(家族、恋人、医療従事者)1人いれば森の外が楽になりそうって人がいっぱい居る気がします。
私がそうだっただけだからそれを一般化してるのに過ぎないかもしれませんが。
森の外で暮らしてます
最初は自分の置かれている立場に戸惑いや罪悪感、劣等感などありましたが、自分の心身のことを理解し、自分を認め受け入れられたら
生活が楽しくなりました😊
他人と比べず、自分らしく生きられたら良いのかなと🙆♀️
理解できない人は少なからずいるので、SNSを見るのを辞めたり、理解してくれる人だけ身の回りに置いたりしています✨
大好きな創作活動に時間をあてたり、読書して知識が増えてくことが楽しいです
私は森の外で放浪し続ける前に、別の森(海外)に戻りました。大きな賭けでしたがうまく行ったと思います。海外は森の外があまりにも大きくて、森の外に留まっていても幸せはあるし、色々違った森があるので、自分に合った森を探しだすことが出来ました。日本の森は単一で、少しでも森の掟に外れると、直ぐに追い出しにかかるので、とても息苦しかったです。その代わりに海外の森や森の外は、日本よりも危険が多くて、一つ間違えば命が簡単になくなる厳しさがあります。私は挑戦してみて良かったと、今では思っています。そして自分に実力があったと言うよりも、運や行動を起こした時期が良かったのだと思います。
「森の外で暮らす」
繰り返し取り上げていただきありがとうございます
この考え方に救われた一人です😊
精神疾患の診断もらって半年すぎたくらいですが、自分は森の外の人間なんだと、ようやく納得出来た感じです
まともな生活が出来ている、森の中の人の「お金がない」と、独り身で貯金が底をつくかもしれない自分の「お金がない」は別物
お金問題に関しては、通ってるクリニックにて相談中です
まだ仕方がない境地には行けてないし、疾患からくる強い怒りに支配されてます
いずれ穏やかな日々を暮らせるようになりたい😌
率直に申し上げて苦しいです。何故かって、その森の中にしか「伴侶」がいないことが分かっているので。
森の中の美味しい果実に外食やら外車やら一般的ゴージャスなものやらだけであれば、それこそ視点切り替えや価値相対化でどうにでもなるんですが。また、年齢を重ねて一度はそれらの果実を食べたことがあれば、その価値観を手放すことはさらに容易になるでしょう。が、伴侶とは本能です。
森の外でごくごく稀に伴侶を見つけることも出来ますが、大勢にとってやはりそれは例外です。また現在も、日本の外側は「食事」も森の中です。
森の外で楽しく暮らせれば問題ないと思うけど、楽しくない、やっぱり辛いって思う人はどうすれば良いんだろうね
森の探索を楽しめるならそれに越したことはないんじゃない?
サバイバル能力が足りないって事なら努力するか諦めるかって判断でそれこそ仕方がないって事だろう
相変わらず、森の外で生活してます。無理して、人付き合いして、失敗したので、今のが楽です。精神疾患という、面倒くさい病気にかかり、子宮癌にもなってしまって、運が無いなあと思っています。
こんばんは🌙本日もありがとうございました
【宿題】餓死はない、 空き家は増えるなどから思うことやファンタジー
→わたしは今の状況はどうなんだろう🤔
多分命からがら森の外へ逃げてきて藪の中で戸惑ってる感じかな?
戸惑いながらも「とりあえずサバイバルするしかねぇ」みたいな。
林檎は無くてもどんぐりや筍くらいはあるだろうと餌を探してその日暮らしも悪くない。
外の生活に慣れたら今度は森に戻るのか?
空き家はあれど、戻るのが気まずい…。
「私なんかが戻った所でどうなる?」
目に見えた変化は無いし、社会は淡々と日々を過ごしていくのはわかってても、やっぱり怖い。
というか、もしかしたら私自身は森の外で生まれてきたのかもしれない…
機能不全家族で家族に望まれたわけじゃなくただ生まれただけで、常識なんかあんまり習った記憶がない🤔
承認要求とか自己実現欲求とか割とどうでもいいんで、寿命を迎えるまでただただ毎日を出来るだけ穏やかにやり過ごしたい。
おはようございます。
自分から進んで、外を謳歌しようとした私です。仕事もやめ、子育ても終わり、ペット(伴侶?)もなくし。60・70代は自分の好きに生きよう。体調悪くなっても誰にも迷惑かけない。それなのに、さぁ始まる!ところで一昨年、訳のわからぬ症状。結果、双極・入院。一見、自然と外に暮らす様になりましたが、団地の口さがない年寄りは、あれこれ廊下など聞こえるところで言います。入院中は、罹患歴のある方とは、お話しできますが、初めて発狂・発症した方は
自分は病気ではない!病院にいるからの寛解なのに自分は病気ではない。そういう人も、あれこれ言い出します。人の悪口・何も知らないくせに憶測で言い出すのが本当に嫌です。ここは内・外のグレーゾーン。
何故、人それぞれが分からないのか不思議です。そして、年齢という枠に嵌めたがる人の多い事!!嫌になる。私は、年齢も好みも前向きな気持ちも、辛い気持ちも、それぞれで、外とは言え、その上で話せる人と話したり、傾聴したりするのが好きです。それさえも、穿った目で見られる。
外でも、とても疲れます。又、外に行きても、内の人達と完全に切れて生きる事は出来ません。これも、凄く疲れます。
森の中で、自分を欺き、他人を騙して、要領良く生きて、美味しい木の実をゲットして、自己陶酔して、持ち物を「自慢ばかりして生きている」人を見るにつけ、不遇な森の外に追いやられるのも、不思議の森・人間の尊厳という観点から俯瞰で見ると、決して悪くはないなぁと思います🤔🧐
現在森の外で生活してますが、戻りたいとは思いません。仕事のトラウマが拭いきれず一歩を踏み出せず時間ばかりが経過しています。
謎の焦りや罪悪感に駆られ落ち着かない日々です。常識や普通って何なんでしょうね?捨てたくてもこびり付いて困ってます。地獄です。
普通とは、コチラ側を理解しようとしない人達が作っただけの事。
その普通に合わせられい人間を、普通に必死で合わせてストレスの発散先にする集団の事を普通だと思います。
@@tamaki-v1t
本当に困ったものです。自分自身で自分を縛り付けているのだから。わかっちゃいるけど辞められないってやつです。枷を外したいです。普通や常識、当たり前という枷を。
よく生活保護の申請を役所の水際対策で断られて餓死してしまったという話を聞きますが、役所側はどうしても支給したくないらしく、私はNPOほっとプラスの藤田孝典氏に同行して頂き、無事に生活保護受給者になれたので幸せなほうなのでしょうね。
主治医は軽作業なら就労可と診断しているようですが、森にはもう戻れないと思っています。
それはそれで仕方がないということですよね?
精神医学が世間一般に知られない限り、風邪と同じくらいの早さで「病気前の状態に戻れるだろう」と思われるんですね。
つまり、患者本人が会社へ障害の説明や合理的配慮を求めるのはハードルが高く、医者の意見や支援者の説明が必要なのだろうと思います。
実際は医者の意見でも信じられず、仮病を疑われることは多いと思います。
専門家の正しい情報がいつでも観られる状況は、ネット上にあるだけで、啓蒙活動になって時間をかけて周知されていくでしょう。
森の外と中の分断さえなければいいなあと思う。森の外から来ましたよ~と私がお邪魔するスペースもあるとなおよし。
仕方がないは理解しています。別の言い方だと未練をたつ。
女性の私は最近坊主にしました。髪は女の命と昔は言いましたが以外と捨てることができました。
これも森の外だからできたことかもしれません。
生まれてきて良かったとは思えませんが意味を見いだすことにはコミットしようと思います。
Dr.の言葉も重く捉えすきず気楽に拝聴します。
森の外で穏やかに生きたいといくら自分が思っていても、身近な人の常識は簡単には変えられない。
母の癌の終末期に疼痛緩和内科の先生が仕方がないで終わらしたくないと言っていました。精神疾患も仕方がないがゴールだと何となく希望が失われる感覚です。
雨の日には、家の中でできることを探して過ごすのも悪くないと最近は感じます。雨の音を聞きながら、静かに過ごす時間は、特別な心地よさがあって、外に出られなくても満足できます。雨の日ならではのリラックスした時間を楽しむのも良いものです。コロナ禍の時も外には出ることは減りましたが、お家の中でできることを探しておうち時間を楽しみながら過ごしました。
日常の中にある小さな幸せに目を向け、感謝の気持ちを忘れずに生きていきます。小さな喜びを大切にしていきます。
益田先生、ありがとうございました。
森の外の心境ですが、夫の力で森の片隅に暮らしているような感じです。気持ちは森の外で穏やかです。
無い袖は振れないしなるようにしかならないって事がだんだん分かってきた今日この頃です。
どのようなコミュニティに参加しても、歩いているといつの間にか森の外に来てしまっているように思います笑 ですが、いつも自分にとって正しいことをしたり、森の外内関係なく相手には親切にしたりしていると、森の外にいる自分という存在をそのまま受け入れてもらえるような気がします。「悪い人じゃないけど、あの人はああだから…」と、期待されないというか。(気のせいかも。というかそれは森の中だよ!て思う方もいるかも。)
外側にはリンゴがないけど、ナシとかバナナとか、いろいろあって食べてみたら意外と美味しいです。いい人が沢山いる森ならば、出たり入ったりするのもアリです。
見た目で分からない病気は、なかなか理解されないですね。数年前から喘息になったのですが、常に息苦しくて、人から話しかけられても、とっさには答えられません。「息切れしているので話しかけないで下さい」と表示して歩くわけにもいかないし。自分が喘息になるまで、喘息がこんなに息苦しいものだとは知りませんでした。なってみないと分からないことは沢山あると思います。
餓死は無いって言われても、ネグレクトで栄養失調で育ったので、餓死はあるよなあと思ってしまいます。貧血で倒れていると父に踏んづけられたし。
空き家が増えていることに関しては、健康問題で収入が低い人や収入がない人に対しては、相続登記の費用とか固定資産税とかを免除して、親が亡くなった後も親の家にそのまま住めるようにすれば良いと思います。
あと、リノベーションしてグループホームにしたりしているところはありますね。
まさに、今休職に悩んでいて、森の外で暮らすことになるかもしれないと怯えています。20代だからか、諦めきれないです。特に金。金を稼げる仕事してるわけではないですが、むしろ薄給ですが、キャリアアップして金稼いで。。。というのが諦めきれません。だから苦しいんだということはわかってますが。。。今の自分は諦められません。。。
森の外を知ってるのに森の中が正義だと思い込んでる人たちも居ますね
森の外という概念を知っているのと知っていないのでは大違いですよね
やっぱり実がほしいから居られる限り森の中で生きていくことになりそうですが、ここだけが社会じゃないと思うといくらか気が楽です
どうして自分は自分の居場所をうまく作れないんだろう、なんでみんなと違うんだろう、悩んでいた(悩んでいる)けれど、森の中が世界の全てだと思い込んでいたときよりは、なじめないことへの諦めがついたというか
まあ実を稼ぎに来てるだけだしな、いつか稼げなくなっても生きていけるしな、みたいな
とはいいつつもやっぱり人並みにお金や娯楽を手に入れたいな、とか森の外の存在を認識してくれている仲間やパートナーがほしいな、とか願望は止まらないわけで
あとはもう煩悩とどう付き合うか、自分と向き合って無理なく生きるにはどうしたらいいか、とかそういう話になってきますね
難しい、幸せってなんだっけ
社会のルールに従おうとすると、森から弾かれてしまうので、
自分で見て、自分で考えて、自分で作ったルールで暮らすようになってから、
何となく森の端の方にぶら下がっていられるようになりました。
70くらいまで森の淵で暮らしたあとは、
安い空き家を手に入れて森の外で暮らしたいなぁw
森の外はいつも飢えとの戦いです。森の中の人が仕方ないと思えばと言うのは違うと思う
好きで森の外へ出た訳ではないですが、13年前に措置入院をしたのを機に生活保護を受け障害年金を申請することになり、しばらく療養してから就労支援事業所に通い始め、森の外で暮らす人になりました。普通に森の中で結婚して子供を産み育てたりしたかったな!自分の孫の顔とかも見たかったな!全て夢に終わるのが辛いですが、先生の動画で勉強してきたこの一年、たくさんの学びを得て、失ったものに目を向けず今を見つめようと努力中です。自助会で少しずつイベントに参加したりして前を向こうともがいてます。努力していればそのうちひらけてくるものがあるかな?あると良いな😊
自分も似たような状況です。貴方の人生が少しでも好転するよう応援してます。
@@mutsumi201さん、
ありがとうございます、お互いにぼちぼち歩んで行きましょう!
結婚なんて人生の墓場 子供は親の思ったようには育たない 森の外で贅沢出来なくても穏やかに暮らしている方がいいと思うよ
@@キティニーナ-e5vさん、
そんな墓場だなんて…ご主人やお子さんがいる幸せを小さなことからでも感じて過ごして行かれて下さい。森の外は寂しいですよ😢
森の外で生きる選択肢があってよかった
家が買えなくても、正社員として働けなくても、いっか!
ドクターいつも心が楽になる考え方を教えて下さり、ありがとうございます✨
森の外で暮らしていますが、リアル森の中で暮らしています🙄
ぼくは森の外で生まれたような気がする 外にいても中に入ってみても、その場所にきちんと調律されたピアノ、お気に入りの本が何冊かあるとうれしいな
わ!好きなワードの一つ!🥰
自分は森の中にいるけれど一歩家に入ると完全森の外です。
森の中に入るときは(心理的に)体の色まで変えています。
「仕方がない」が受け入れられないのは長年、宗教二世の家庭で虐待を受けたものの本来のキリスト教価値観に目覚めたので、窒息しそうな同調圧力の社会で経験した激しいいじめと排除は「仕方がない」とはつゆ思えません。満身創痍、息絶え絶えながら生き抜いた自分を500%肯定したいのです。今はその作業中です。
それが私には合っているようです。
森の中の住民には時々受け答えにびっくりされますが、挨拶だけはしっかりして完全排除の憂き目を避けています。
世間から叱られたりごちゃごちゃして嫌になって、思春期に山⛰️で暮らせないか考えてた私にとって、定型の世界を森🌳とするのは、面白いです🤣
しかし支援者ならいかに定型に擬態化するか、擬態するための礼儀やSSTを伝えていくか、形だけでも森にひっかかるようにサポートしていくか、という定型の作った自立支援という概念を念頭に置かなければ支援者の中で方向性が食い違いますので、私は心は森の外に居たかったですが、生きていればおのずと共有する仮想現実は定型の情報やカルチャーによるものなので、完全なる森の外は孤独感が拭えないと思いますよ。
森の外の住人になって久しいです。
リンゴをめぐっての争いをしなくていいので、楽です。
ちょっと知恵を使ってコツコツゆっくり生きていけば、多くを望まなければある程度の自由も
いっぱいあるし、もちろん餓死はしないし。
森の中の人たちより、ゆっくり時間が流れている分、 もしかしたら、生まれてきてよかったと感じること多いかもしれない。
なんて思ったりもします。
それでも、辺境でビジネスやりたいな、って、時々思ったりもします。
こんばんは
いつも配信、ありがとうございます。
宿題📚
私も現在、森の外で生活しつつ治療してます。体調崩して休職する時、とても勇気が必要でした。結局、自分で決心する前に身体が働けなくなりました。まさか自分が!でした。
いまは、傷病手当で生活してます。
元々、治療受けながら働いてましたので、休職と同時に福祉の申請。職場の復帰指定日までに体調は戻らず、そのまま退職です。本当に仕方がない!でした。
いまは、治癒出来るかわかりませんが、主治医も家族にもゆっくり休んで身体休めてください。と言われてます。ムリし過ぎたなぁと自己反省してます。何事もムリは禁物です😊
森の外なって自分の目標としたことが叶わないなら、生きている意味ないじゃ無いかやし、無気力やし生きていたく無いとなってる。
目標があって凄いですね
生活保護もあるし、今の日本だと衣食住を失うことはまずないからドクターが言う通り喜びを見つけるのが人生なのかもしれないですね
森の外で暮らすようになった時、社会からはじかれたようで激しい焦燥感がありました。違う仕事を始めて森の中に片足を突っ込みましたが、順調にはいかず度々凹みます。
でも好ましくない人間関係を続けるストレスはなくなり、体調を考慮しながら、程よい距離感で人と交流ができます。
森の外の比重が高い暮らし方を選択してよかったと思っています。
元々、全ての人が、森の中で生きるのが正解とは思えません。
人それぞれ、生まれながらの適性も違うし、生きていくうちに、適性、価値観、体力、能力等も変化していきます。
「森の中」から「森の外」へ出る人、出なければならなくなる人も出てくるでしょう。
これこそ「多様性の時代」の在り方だと思います。
とても争いが苦手な人間にとって、森の外で生きるということは地獄のようなもので😢
リアルに森の中でひっそりと暮らしたい。そんな金もコネもないけれど。
森の外側のごく外側にいるものです😢
兄弟・子供からは もう一花咲かせなよ!なんて 励ましのつもりなのでしょうが 言われますね。
それから 餓死はありそうです。
あと7日で 311円 冷蔵庫は ギリギリ足りるくらいの お米のみです。1日1食 40gは食べていると思います。
今朝から 薬が増えて そのせいか 一日中 横になっていました。
このまま 死ぬのかな…と思えています。😢
キレイめな空き家があったら住みたい。
🤣
😂
森の外で暮らす、早くそうなったらいいなぁと思いながら、今は心をすり減らしながらなんとか生活してる感じです。誰にも迷惑かけないで暮らせたら、その時初めて幸せを感じられるのかな😢
生活保護7年目です。最初は、すぐ森の中に帰れるかと思っていたのですが、毎日決まった時間に出社して仕事をこなすことが続かないので、ムリしないで、そこそこ楽しく暮らすか・・・と思うようになりました。とはいえ、この物価高で、お米も、去年より1000円高いし、すぐには保護費に反映されないので、内職をしています。部品を自転車に乗せて会社までいく途中、「売り家」というのをよく目にするようになりました。(ローンを払えなくなっちゃったのかな~?離婚して一家離散したのかな~?)など、色々妄想しています。この世は、諸行無常だな~、変わらないものはないんだな~と、実感します。
今は森で美味しいりんごを食べ放題の人も、おごれるものは久しからずです。私の美味しいものは、一流レストランのものではありませんが、それはそれは美味しいのです♡
ありがとうございました。
楽しそうでいいやないか
森の中で生きるか◯ぬかの狭い二択で悩んでいた自分を救ってくれた概念
仕方がないの中身を詳しく説明していただきありがとうございます。
森の中の人と外の人が分かり合えない事があっても 仕方がないと思いますが、お互いの事を 知る事と学べるための、仲介役として、医療機関、福祉機関、相談機関、教育機関、保育機関、 警察、弁護士、裁判官、そういう、プロが存在していると思います。人間が、1人で出来る事など、たかが知れていると思います。それぞれの専門家が、手を取り合い、人を救う事は沢山あります。学びが、あれば、プラスになる事は沢山あります。益田先生は、その専門職の1人として、この動画配信を、通して、お考えを、お伝えしていると、思いました。ありがとうございました。
実際にはわずかな例外ながら餓死されている方もいられるし、私自身も老化や心身の状態で外出や手続きが出来なくなると要件を満たしても100%福祉を受けられるかの不安はあります。
また空き家にも期待はしますが、コロナ禍で確定事実のように言われた中古マンションの暴落みたいなのも結局起こらなかったですし、空き家が大量に出現してもデベロッパーや業者が安値で取り扱うとはあんまり思えないんですね。(賃貸は高齢者にハードル高いし)
日本では土地神話みたいなのが崩れないんじゃないでしょうか。
悲観的ですみません。
益田メソッド📙やっとやっと本日届きました♡ありがとうございました😊
また学ばせていただきます!
私、体は一応今森の中で、心はいつも森の外です笑
でも心を森の外に住まわせるって悪くないです。
寧ろゴミゴミした世間から離れて自分と対峙できる、静かな環境無しにどうやって幸せを探すんだろう?と思ってしまいます。私見ですが😌
先生の全国ツアーがあったら、めちめちゃ嬉しいです🥺
天狼院カフェで撮った動画、めっちゃイキイキしてて見てるこちら側も元気になれます😊
森の中と外が交わった部分があるとしたら、私はそこにいる感じです。ゆっくりでいいんだと、言い聞かせています。そうしないとまた同じことの繰り返し。
10年以上生活保護で生きています。
この生活を続けていく中で辛いことのひとつが、「仕事は何をされてるんですか」という質問に答えないといけないタイミングが時折あることです。
「森の外」というワードが広まれば「森の外の住人なんです」と笑顔で言えるかもしれません。
開き直って生きるためには「社会貢献」という価値観の方を採用して、森の木の実に執着して、他人を蹴落とす競争社会に「復帰」するという感覚から自由になる事かなぁと思って、強がっていま〜す😂
(長年の間に「患者」という役割に慣れ過ぎて、一方的な「支援される立場」に置かれ続けると「肩身の狭いパワーレス状態」になるから、時には強気で、「生きている」だけで社会貢献しているんだと、自己満足→自己承認→感謝のスパイラルに入ると、住むところも与えられて、餓死せずに、「こんな夜更けに🍌かよ」的な、他人様からの助けを「遠慮なく」受けられる日が来ます🙏)
今以上、(都心?)良くなる時代など来るのでしょうか?森の外に生きてますが…。
これからは「外国や(ポツンと一軒家TV.など)田舎町で日本を宣伝、開拓していく」…ことが、幸せ?になる第一条件のような気がしています👪
辛い現実受容です。
明日は10月の精神科定期受診・相談支援センターと利用者契約、午後から市役所障害福祉課で保健師と面談。
また支援者を増やします。
これ健常者もこういう視点を持った方がいいと思う。森の中で暮らせているからといってすべてにおいて適応できるとは限らないですし。私にはどうしても孤独が必要不可欠で恋愛結婚育児に絶望的に向いてないし、絶対に一人になれる時間と場所がいる。これが理解できない人がものすごく多くて疲れます。シロクマを南の島へ連れて行ったら死ぬんですよ。南の島の住人はそれが理解できない。南の島がいくら豊かそうに見えてもそれはシロクマにとっての豊かさではないんです。もう一つ、森の外へ出た自分を役立たずという人がいたら、私は絶対にそれは違うと思います。あなた方がいるから社会が今以上に過競争にならずに済んでいると思う。それは素晴らしい事なのではないでしょうか。メインルートから外れる勇気はどんな人にとっても重要でしょうし、それをしたからこそ見る事ができる景色があると思います。
貯金できなくても生きていける方がいいな
別に森の中で生きたい訳じゃなくても、子供の頃から憧れていた本当に面白そうでやりたい趣味や楽しみを実行するのが現状の自分では不可能に近い、という現実を受け入れ諦めるのが難しいです
金や体力などが必要なものを好きになってしまうタチなので、気楽に生きるのが大変です
森の外に暮らす為の、準備をしていますが、ケアレスミスが多く、凄く不安が強くなってきてます😥
多分ですが、ケアレスミスが少なくなれば、外へ出ていく事が出来ると思います。
宿題は、福祉を利用すれば餓死等は無くて良いんですが、ソレをしてしまうと、僕の地域では車移動がメインになるので、出来ないという事が多くなると思うのでは無いかと思います。以前、言ってくださったトロッコ問題です😢
おつかれさまです😊
ありがとうございます♪
森の外に子どもの頃から暮らしてきた、一見森の中に生きていると思われている人です。10歳くらいの時から周りの争いや自分へのイジメがなぜ起こっているのか、みんな何にそんな不満を持っているのかを考えていましたが。高校生くらいの時には、みんな不安だから周りを攻撃する事で自分を取り繕おうとしていると気づきました。40代になった今でも、同じような世代や少し上の世代でも、恐ろしいくらい森の中の甘い果実に執着し続けている人たちをみます。そんな人たちと直に関わると、とても虚しさを感じます。先生の仰る通り、「そんなもの」には価値がない事に気づかないまま、歳を重ねていく人はたくさんいます。また一方で、果実は空虚である事に気づいた人は、寛大、寛容、諦観が身についた魅力的な人になっています。往々に、やはりある程度の年齢を重ねて経験を増やす事でしか見えてこない部分もあるかと思いますが、私は果実を求めるあまりなりふり構わず品格を失ってまで求め続ける人たちに振り回されないよう、基本心は森の外に置いています😌
森の中に入ったり出たりを繰り返してますが、なんだかんだ職場は見つかるし短いとしても働けてるし、森の外に出てもなんだかんだ生きていけるし、いい塩梅で生きていけたらなと高望みしないように自分をセーブしてます。
やっぱり精神疾患の人が思いがちな「稼がないといけない」という価値観にハマってしまってます。
それが出来ない⇒自己批判する⇒病気が悪化する
の悪循環をずっとしています。
稼がなくても、十分に楽しめるし、その人の価値はある
という考え方は正しいのに。…もうちょっと病気を安定させないと難しそうです。😢
森の中て良しとされてることにとらわれすぎてますよね😢
休職して社会からの疎外感・地味にゆっくりした時間の流れ・コメント欄を通じての世界観を自分事として実感して何かが変わりました。
自分にとって、程々に生きやすい場所が、その森だったってことで良いような☘️
適応障害ウツ中等度で復職して8ヶ月、フル出勤ではなく、リハビリみたいなもんですが、、復職したから良いわけでもないです😅社会にマヒすることに抵抗してます😅
小さくても社会と繋がる、何か喜びがあることはどこにいても大切な気がする今日この頃です。
出来ること出来ないことで選んでいくうちに今の所(気がついたら森の外)に来ていました😅仕方ないです。でも隣の人が親切だったりします。これからも出来ることしていきます。
世間と話を合わせるという意識は、私にはそもそも無いんですよね。
で、思う事は誰に嫌われようとも、どうでもいいと知る事が大事かな?と思います。
言い換えれば、自分が大事だと思う人だけに認められればいいんじゃない?って事。
どうでもいい人から好かれようと嫌われようと実害無いですからね。
仕事関係なら、仕事キッチリやってれば良いだけの話だし。
友人関係でも、別に友人なんか大勢要らないじゃないですか。
まあ、家族は気にしなくても家族だし。
突き詰めると、結局一人でも問題無いなと気付く事は大事だと思います。
自分を大好きだと周囲なんか気になりません。
自分が最高なんで。
最高が自分なら、もうそれでじゅうぶんじゃないですか。
なら、あとはおまけ。
おまけは一個でもあれば感謝。
そういう人生観を僕は幼い頃から持っています。
あと、そうですね・・・病気に関して思うのは、これって注意しててもしなくても、なる時はなっちゃいますし、
生身なんだから、病気くらい、そりゃあなるさって思ってます。
だから恐れても仕方ないし、なったら困るけど、困った時点から思考錯誤すれば良いと思ってます。
怪我も同じ。
一人で食事したって、美味しいものはやっぱり美味しいし、一人で旅行したってそれも楽しいもの。
孤独も楽しむ精神で元気に生きてます。
お金に価値がある、美に価値があると押し付けてくる親や周りの人間と幼少期からずっとズレを感じていました。収入はそこそこで良いし見た目もモデルのようにならなくていいし学歴も地位も興味ないのに理解されず、私は親戚の中でもなんだか哀れに見られたり浮いた存在で、、何も諦めていないし、かといって目標がないわけではないのに、、、平凡が心底幸せなのに何故不幸だだらけものだと決めつけられるのだ、、?といつも困惑していました。見えるものばかりに価値を感じるのも生まれつきなのかなあと今でも不思議です。
現在は森の外で暮らしています
生活はグループホーム、日中活動費は作業所です
良い支援者に恵まれているので、仕方ないな
と思えています
逆にグループホームで共同生活をしていると、色んな価値観の人がいるので自分の価値観も変わります
何だかんだ、来年の今ごろには障害者枠で就労してそうですが
自分自身に関しては病気や家族のことで運が悪かったと思えているし
人生そんなもんでしょう
私を森の外へ連れ出してくれたのは、本と音楽と深夜ラジオでした。
オンラインで講義受けたいなぁ😊
森の外でのらりくらり入院したり、デイケアいったり、グループホームいったり、作業所行ったり、同じような人たちがいるちいさな社会の中で10年ふらふらしてました。
他の病気もそうだけど、本当に病気のこと知るには相手の持つ病気にならないとはっきり当事者にならないと本当の理解はできないと思います
だから、相手の病気の理解をするためには時間をかけて、話し合って声無き声に耳を傾けないとそういう意識を持たないと僕たち病気持ちの人の理解はできないと思います。
健常者の人たちは自分と仕事と周りの友達とか恋人にかける時間だけで精一杯だと思うので、基本的に健常者の人たちとはかかわらないではないけど、理解し合えないと思っているので、消極的に自分の内を明かさないようにその場限りでごまかして存在消してひっそりしてます。
森の外で生きるには仏教的な真理の理解が必要になるのは分かるけども、世界を疑うのは正直誰でもできることではない気がする
諦念に至れない人は神様を信仰してるほうが、例えまやかしであっても楽にはなるんじゃないだろうか
森の中が正しい、とは限らない。森の外のほうが自分にとってベターなのであれば、それでいいし、受け入れる。
森の外にでて病気になったけど、森の中が必ずしもいい場所ではないと思った。
森、には牧羊犬がいます。一匹は、とても優秀で森の中で右往左往するお馬鹿な迷える羊が誤って他の場所に行かないように吠え守る番犬です、が、群れにいるお馬鹿な羊の中に、違う分子が紛れないように見張る牧羊犬です。
意外にも、後者の方がやっかいだったりして…。要するに私は少しでも豊かな食料を得るためにいまだに森の中でちまちま迷える羊をやっています。日本はモリの外の生きものを受け入れる姿勢が、ほとんどない。一度モリから出たら、ですが。
森の外で暮らすうえで最大の課題は”森の中からの介入をいかに避けるか?”だと思います。
餓死はしないし空き家は増えるし人は減る。ですがそれは森の”中”の話です。
森の外では食料へのアクセスは限られます。
空き家は森の住人に優先入居権が与えらえます。
人が減るのは森から追い出された人が増える事と表裏一体です。
そして中の住民は私たち外の住民をこれらへアクセスさせない、もしくは最悪でも森の中でも最低ライン以下に
抑えるべくありとあらゆる手段で介入してきます。
楽観視は危険ではないでしょうか?
人は経験や見聞を通し、実感や納得を伴いながら次へ進みます
進んだ先で新たな発見があり、また価値観が変わることもあります
健康でも病気があっても、それは一緒だと思います
医師から「仕方がない」
あるいは別の言葉なり考え方を与えられ、ただ単にそれを受け取っても、それは本当の意味でその人のものにはならないと思います
治療者が特定の考えや見解を患者へ提示、もしくは教示することは避けるべきだし、患者がもつ脆弱さへの配慮、併せて本人が感じ、考えることを尊重しながら指導することが望ましいと思います
不安や脆さを抱える相手へ、立場的に優位な側が断定的なものを指し示せば、場合により (共) 依存関係や洗脳にもなりかねません
病からくる脆弱性(認知の偏り・不安定・極端・未熟など)に対し、精神医療のプロ(医師・臨床心理士・精神保健福祉士等)の見守りや助言を受けつつ、重大な失敗や取り返しの利かぬことを極力回避し、紆余曲折を経ながら自己を回復・確立させていくものと思います
また治療の目標・ゴールといったものも、治療者側が一方的に設定せず、双方の対話の中で患者の意思を確認しながら都度調整するのが良いと思います
森の内側・中心を目指したい人もいれば、日々の安穏な暮らしが何よりな人、世間はあまり意識せず好きなことに熱中する人、十人十色で、仕方ないと諦めること、生まれてきて良かったと思える瞬間、開き直り方も違ってくると思います
人をその人以上に解る人はいないはずで、精神医療とは、病で自我の迷宮をさまよう患者の伴走ではないでしょうか
個人的には森の中・外という概念はとても窮屈に感じますし、治療者の常識を通じて治療をしようとしても、患者本来の自己の回復や成長には至らないと思います
それと「仕方がない」と諭す益田医師自体が、目指すものや諸々に固執し無理をしている、また何かに抗っている
仕方がないを実践・体現できてないように見受けます
森の外で生きる、という言葉は私が精神疾患患者として闘病しながら歩んできた道の果てにあった生き方にぴったりの言葉で、おそらく先ゆく多くの患者さんたちが歩んだ道でもあり、益田ドクターはそれを言語化してくれたのだと思います。この言葉を通じてわかりあえることがありがたいです。
弱点の受容は難しいけれどもSSRIの服用で広がる。そして、周囲の人の選別と情報と自由になるお金と知能残された身体機能スキル道具社会変化逆張り時間を味方にする、、、
衣食住が足りてても孤立して孤独だと辛い
いっとき開き直れたとしても、何かの拍子で元の価値観に引っ張られる。
そして「森の中の価値観に責められているように」感じる。
人じゃなくて、価値観や考え方に糾弾されている感覚。
森の外側で生活もありなんだには、釈然感という感覚を肉親などの近い関係性などで、釈然感やどうしてとかなぜという感覚が潰されてしまったと言う現実が
どうしても森の外側で生活すること自身、罪責感や罪悪感をものすごくつよく感じてしまうから、回避したくもなるから、追い込まれやすくなる、追い込まれてしまうから、衝動性や依存が抑えきれなくなるということだと感じました。
先生がおっしゃる、当たり前や当然ということを疑うよりもなぜどうしてという意識で考えてみると
当然とか当たり前ということが確かめることがゆるしてもらえなかったことが受け入れられると、森の外側にいることを全てのひとが責め立てているわけでもないんだが感じてくると
益田先生のおっしゃるしかたないよが感じてくるのかなとコメントします。
登録させて頂きました。
鬱です。少し良くなってきましたが、疲弊してます。お聞きしたいことあります。傷付けられないやうに冷たい態度や攻撃的な態度を取ってしまいます。素のまま優しくなりたいです。本当は優しく接したいのに。これは意識して優しくするしかないでしょうか?
良かったですね。残念な発想です。森には色々な森がありますが、常に森は存在するのです。森を知らない癖に森を知っ方ぶりして話す人間が大嫌いです。
突然ですが、「自衛隊の」自○問題を取り上げて欲しいです。知り合いが悩んでいます。
個人的に擬態能力に長けているので森の中で暮らせてましたが、
家族に発達障害や精神疾患があると分かり合える人が限られてくる。
結局、心は森の外にいる方が楽。
動画のために無理無理なテーマや過去動画を掘り返して動画にするのは止めてください。
貴方は医師としてもう少し学ぶべき。
なんで笑われてるんだろう?
パートには行っているものの、家に入れば(義理の父親)(故人)や夫に言いたい放題、別に聞きたくも無い話しを聞かされて、私自身のメンタルは数ヶ月はおかしくなっています。
以前に通っていた心療内科で紹介状を書いて貰い(夫が以前に行っていた精神科医の病院に行く予定)にしていても、あっという間に病院に4ヶ月行けていません。
(先生が話している森の外の生活は出来る様になりますか?)
オンライン入り方わからん😂
もう競争なんかやらなくていいよ
進撃の巨人…
パートには行っているものの、家に入れば(義理の父親)(故人)や夫に言いたい放題、別に聞きたくも無い話しを聞かされて、私自身のメンタルは数ヶ月はおかしくなっています。
以前に通っていた心療内科で紹介状を書いて貰い(夫が以前に行っていた精神科医の病院に行く予定)にしていても、あっという間に病院に4ヶ月行けていません。
(先生が話している森の外の生活は出来る様になりますか?)