「旅立ちの日に」(作詞:小嶋登/作曲:坂本浩美/編曲:松井孝夫/管弦楽編曲:上田素生)「みんなで卒業式~輝ける君の未来へ贈る~」より *歌詞・手話入り完全版

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  • Опубликовано: 21 окт 2024

Комментарии • 14

  • @yuzuponta2312
    @yuzuponta2312 8 месяцев назад +2

    それぞれが遥かな空の果てに飛び立ってこのステージに集まってると思うとアツい

  • @hayamiseo4467
    @hayamiseo4467 9 месяцев назад +8

    秩父市立影森中学校の校長だった小嶋登は当時、荒れていた学校を正したいと
    「歌声の響く学校」にすることを目指し、合唱の機会を増やそうと思っていました。
    最初こそ生徒は抵抗ましたが、音楽科教諭の坂本浩美と共に粘り強く努力を続けた結果、
    歌う楽しさを知った生徒たちによって学校は少しずつ変化し始めました。
    3年目の1991年2月下旬、坂本浩美は「歌声の響く学校」の集大成として
    「卒業する生徒たちのために、何か記念になる世界にひとつしかないものを残したい」との思いから、
    作詞を校長の小嶋に依頼しました。
    その時は「私にはそんなセンスはないから」と断られましたが、
    翌日、自分のデスクに置かれた詞を発見した坂本は、
    「なんて素適な言葉が散りばめられているんだろう」と感激した、とラジオ番組への手紙で当時を振り返っています。
    その後、授業の空き時間に、早速ひとり音楽室にこもり、楽曲制作に取り組むと、
    旋律が次々と湧き出てきて、僅か15分程度で楽曲は完成してしまったのです。
    出来上がった曲は「3年生を送る会」で教職員たちから卒業生に向けてサプライズとして歌われました。
    この年度をもって小嶋は41年に及ぶ教師生活の定年を迎えて退職したため、
    この歌が小嶋の最初で最後の贈り物となってしまいました。
    元々は一度きりの「送る会」のため作られた歌でしたが、その翌年からは生徒たち自身が歌うようになりました。
    作詞者の小嶋登は、2011年1月20日に80歳で死去しましたが、
    『旅立ちの日に』誕生から20年の節目となる同年11月14日に、
    作詞者の小嶋には、作曲者の坂本浩美とともに、埼玉県より「彩の国特別功労賞」が贈呈されました。

  • @kacharifamily
    @kacharifamily 2 года назад +7

    むちゃ上手いですね。
    卒業にピッタリで感動します。
    私も旅立ちの日にの動画を作成しましたが、上手さを感じて感動します。
    私も感動させれる動画を作れるよう頑張ります。

  • @fumihikokajiwara4035
    @fumihikokajiwara4035 Год назад +6

    手話の方とてもお上手と思います。指揮者を見ているようです。ありがとう。82歳。

    • @kiyomi-qq3fp
      @kiyomi-qq3fp Год назад +1

      すばらしい一歩、踏み出せます。😮

  • @king-kd3mm
    @king-kd3mm 2 года назад +5

    マジすごい!

  • @Iroha_Inukai
    @Iroha_Inukai Год назад +1

    スタインウェイアンドサンズでの旅立ちの日に、素敵です!

  • @ですうかちん
    @ですうかちん Год назад +1

    心が洗われました✨

  • @私は私-v8e
    @私は私-v8e Год назад +2

    収録日時が大震災後ちょうど10年というのは偶然なのかな?

  • @川元気
    @川元気 Год назад +2

    秩父出身 設楽統 
    この歌知ってるのかね

  • @池永照代
    @池永照代 4 месяца назад +1

    すばらしえんそうありがとうございますなんかいきいてもかんどうしますごそつぎようおめでとうございます

  • @川北ナタリア
    @川北ナタリア 23 дня назад

    西川あつし助役に不登校を沼田助役に気づいてほしい平成

  • @川北ナタリア
    @川北ナタリア 23 дня назад

    叔母さんのせいで京都市立〇〇小学校6年一組にオレが父親のせいで転校を邪魔をされ俺が京都市立音羽中学校にオレが父親のせいで人生を台無しにされ被害届を父親のせいで京都市立山科区