Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
調教助手さんは「マルゼンスキーは速すぎます。速すぎて怖い。出来れば乗りたくないくらいに速くて怖い」と言った位にスピードが桁違いだったようです
それでも蹄が外向してたので本気では走ってない。 本気出したら故障してしまうからね。 それでも能力は同期とは余りにも頭抜け過ぎてた。 だから騎手の中野渡さんが「大外でも良い。他の馬の邪魔はしないからダービーを走らせたい」と言っていたね。 まあ仮に出走してたら、大差勝ちだっただろうがね?
マルゼンスキーとノーザンテーストによって血統の底上げが始まったんだよなその数年後この二頭の血が広がっているのにニジンスキー直子のラムタラを買ってきた日高の牧場···
日本短波賞の再加速の映像だけでもこの時代にいてはいけない存在だと分からされる
朝日杯で噛ませ扱いになって引退レースのダートでもカチ合ったヒシスピードはマジで泣いて良い。
ヒシスピードはもっと評価されるべき……っていうかどうせならウマ娘化してあげてほしい…
どう考えても名馬の側なのに比較対象が歴代屈指のUMAだったせいで…
同年産まれには史上初の無敗で米三冠馬のシアトルスルー、凱旋門賞連覇のアレッジドを筆頭にザミンストレル、ブラッシングブルーム、トライマイベストと種牡馬としても影響を与えた連中がいるという…
確かに日本にいるのは異常と言っても過言じゃない超良血かつイかれたスピードの持ち主だった
ヒシは府中三歳で善戦したから皐月で人気になるのも仕方無い。でもクラシックではやはりマルゼンと戦った精神的疲労も出たのかも?
サクラチヨノオーの時にオグリキャップがいて残念ダービー扱いになったのもマルゼンスキーからの因縁だなあ。
マルゼンスキーのレコードに追いつくのに13年かかったてのはやっぱり凄いですよね😅
しかもそれは芝を換えて走りやすくなったってのがね
@@シライヌ-v7r マルゼンスキーの13年後はまだ高速芝になる前じゃない?確か1990年代後半や2000年代で一気に最近の芝に変わったらしいが…
マルゼンスキーで脳が焼かれたヒシの馬主がその後ヒシアマゾン・ヒシアケボノを買ったからね
朝日杯はヒシスピードが最後ヘロヘロになるまで必死に追ったのにあの着差だもんなぁ…
親がウマ娘やって最初に引いた星3がマルゼンスキーでキャラにすげえハマってたんだよなマブいとかチョベリグとか通じる世代の人からするとツボにきて良いらしい
映像や写真からして走り方と馬体のデキが現代の競走馬と遜色無いのも凄まじいテスコボーイの様に母父のスピードが産駒に伝われば良かったんだがなあ
マルゼンスキーが強すぎて他馬の陣営が出走登録にマルゼンスキーがいたら回避を選択するから常にマルゼンスキーのレースは少頭数だった。(通称マルゼンスキー状態)
シアトルスルーのライバルはマルゼンスキーって評価もあったからな
外国人記者の話ですね。実際、三冠レースでのシアトルスルーのライバルっていなかったですからね。(スワップSの時は状態悪かったですし)4歳の時も、シアトルスルーは寧ろ1歳年下の三冠馬アファームドの天敵として立ち塞がり、欧米でGⅠを11勝のエクセラーも、対戦成績は1勝1敗ですが、ウッドワードSではシアトルスルーに4馬身差付けられ、ジョッキークラブ金杯では、シアトルスルーをアファームドとアファームド陣営のラビット、ライフズホープがシアトルスルーに絡んで行ったレースとなって、言うなれば漁夫の利って感じでのエクセラーのハナ差勝ちですから、シアトルスルーのライバルは?と聞かれると、困ってしまうくらい強かったですし。他の方のコメの返信にも書きましたけど、脚元の弱いマルゼンスキーが、ダートでシアトルスルーに勝てるイメージは個人的には全く浮かばないですね。芝なら米国でもジョンヘンリーとかマニラ、シアトリカル、コタシャーンみたいに稀代の芝の名馬として大活躍したかも知れません。因みに、1977年当時の芝の主なレースは、マンノウォーSマジェスティックライトカナディアン国際SエクセラーワシントンD.C国際Sジョニーディー。と、かの馬達と対決した時、どうなりますか?妄想は膨らみます。因みに、この年のマンノウォーS芝12ハロン良馬場勝ち時計2分27秒6カナディアン国際S芝13ハロン重馬場勝ち時計2分52秒4ワシントンD.C国際S芝12ハロン重馬場勝ち時計2分32秒0となってます。
ヒシスピードだけはマルゼンスキーにキレていい馬
プレストウコウもキレてええやろ
当時のクラシック戦線が「敗者復活戦」と言われてたとか何とか。
マルゼンスキーのレースを見てると、他の馬が目にはいってないんだろうなって思うくらい独走してる
確か母親のシルが妊娠してると知らずにセリに出されたんだっけ?後は日本に来てから落札者の牧場に当時の社台総帥が「庭を見に来た」という建前でマルゼンスキーを観に来た話もあるらしいね。
吉田善哉氏も途中までシルにビット入れてた話がございましたね。
当時のセリでは最初橋本氏以外にフランスとアメリカと社台が競ってたそうな、ある意味世界の競馬史を変えるセリだった。
菊花賞をレコード勝ちした同期のプレストウコウが有馬でTTG に全く歯が立たなかったのが哀しすぎる
その後の秋天や春天が可哀想すぎますよ
ちょうど小6の頃にスーパーカーブームのど真ん中だったわ思い返せば、あの頃の日本車ではフェラーリやランボルギーニなんかに太刀打ちできなかったろうし、上手いニックネームだなぁと思う
当時の外国馬と国産馬の性能差以前に個体としても何かバグってるマルゼンスキーほぼダート状態のクソ馬場で後年のナリブと同タイムって時点で訳が分からない
負け無しで引退、格好いい
マルゼンスキーの母馬シルを買ったのは橋本聖子の父。橋本聖子10歳の時の話。
橋本聖子はマルゼンスキーを弟として扱ってたらしいね。
本当にスーパーカーとしか言い様がないくらい速かったですからね、当時のマル外に持込馬の扱いあってか出れるレース限られてたのが、ハードバージとか同期のその後見ると色々くるものが。
次にマルゼンスキーの再来って言われるのがグラスワンダー20年早かったわ
余りにも1人だけ強すぎたせいで、同期の競走馬達が不当に低評価付けられたというね拮抗するライバルが一頭でもいればまた変わってたんだろうけど
世界の競馬に追いつくためにジャパンカップが創設されたのは、マルゼンスキーが引退してから何年も後なんだよね。マルゼンスキーの時代の日本競馬は世界と絶望的な差があった。
もしアメリカに残ってレースに出ていたらシアトルスルーの三冠を阻んでいたかもしれないってifエピソードとかもな。
そのエピソード、外国人の記者がシアトルスルー最大のライバルになっていたかも知れないと言う言葉から、90年代前半の昔の優駿のコラムで、執筆者がシアトルスルーの三冠は”無かったかも知れない”と言っただけで、ただ単に執筆者の妄想でしか無いんだよね。しかも、あくまでも”無かったかも知れない”なので、無かったなんて断言してないんですよ。それを何故か”無かった”と断言して伝わってしまってる。私の記憶違いじゃ無ければ、その執筆者は井崎脩五郎先生だった気がします。井崎先生は、日本最強馬はマルゼンスキーと宣言してる程、マルゼンスキーに心酔してるので、話半分に思っていた方が良いです。それに、芝のレースなら兎も角、ダートのレースで脚の弱いマルゼンスキーがシアトルスルーに勝てるとは思えない。実際のレース、特に古馬になってからのアファームドとエクセラーの対決を見ると、生半可な馬じゃ無い事が分かります。特にジョッキークラブ金杯(当時12F)では、僅かにエクセラーに負けたものの、スタートからアファームドとアファームド陣営のラビット、ライフズホープに終始絡まれて不良馬場の中を尋常じゃないペースで飛ばし、ライフズホープを潰し、そしてアファームドもジリジリと引き離して行き、後ろから内ラチを突いたエクセラーに一旦は完全に抜け出されたけど、脅威の三枚腰と呼ばれた粘り強さでエクセラーとの差を詰めて叩き合いに持ち込み、最後は殆ど同時にゴールしたレースを視たら、シアトルスルーの三冠は無かったなんて、軽々しく言えないし、シアトルスルーを馬鹿にしすぎていると思います。因みに、アファームドは3コーナーから4コーナー辺りで鞍がズレてしまい、19馬身差の5着に敗れています。3着には、当時の同レースの2年前の覇者、グレートコントラクターが入りましたけど、14馬身半の差を付けられてました。シアトルスルーVSアファームドVSエクセラーマールボロC招待ハンデ(GⅠ)ダート9ハロン1着シアトルスルー4歳斤量128lb3馬身差2着アファームド3歳 斤量124lbウッドワードS(GⅠ)ダート10ハロン1着シアトルスルー4歳斤量126lb4馬身差2着エクセラー5歳 斤量126lbジョッキークラブ金杯(GⅠ)ダート12ハロン1着エクセラー5歳 斤量126lbハナ差2着シアトルスルー4歳斤量126lb19馬身差5着アファームド 3歳斤量121lb
というかなんでこんな良血買えたんだろう…
橋本聖子先生の親父さんが、アメリカに牛を買いに行った時に現地で「良い馬がいるから買わないか?」と言われ、ついでに買ってきたらしいですよ…Σ( ̄□ ̄|||)
セールに人呼ぶための目玉馬だったんじゃないかなと思う実際何で素人が競り合って落としてるん?って言われる金額になったわけだし
自身の血統と産駒傾向的に訂正距離は10〜15ハロン辺りだった説もあるな
物語でよく見るゲリラの中にいる王子みたいな状態
持ち込みやマル外を規制したら、一番高い格のレースじゃなきゃいけない東京優駿が敗者復活戦扱いされて、そこで良績残しても血統選別という目的を果たせなくなるのマジ本末転倒。
こんな血統で走るのかよ!ってみたのはJDDを逃げ勝ちしたキャッスルトップくん。SSもノーザンの血も一滴も入っていない
国が買ったとは言え、御料牧場の星友もマンノウォーの仔を受胎したままよく売って貰えたと思う。
父ニジンスキーも古馬との戦いで敗れて失速してたし、産駒傾向もクラシックで活躍する馬がメインだったから現2歳3歳くらいが一番実力を発揮できる早熟傾向の強い血筋なんじゃないかなともしTTGとの対戦が実現していたらまた評価が変わったのではないかと思う
初代ヒシマサルかあ
マルゼンスキー「TTGみたいに競い合えるライバルが居るって羨ましい」(素直な羨望)プレストウコウ「TTGみたいに競い合えるライバルが居るって羨ましい」(漆黒の絶望)
マルゼンスキーは無敗の三冠馬になれたかも?
皐月ダービーは楽勝だろうけど、史実レースの距離適正的に菊花賞は途中で失速する可能性は高そう
常時脚部不安と馬群を経験してないから大外ダービーも不安やわ
@@長島バックリ スタートから圧倒的なスピード有るから多頭数はむしろ好都合。春で故障引退が早くなるから菊花賞は出れない。
直子ホリスキー(82年菊花賞)レオダーバン(91年菊花賞)母父としてライスシャワー(92年菊花賞と93年と95年春天)メジロブライト(98年春天)スペシャルウィーク(99年春天)を輩出してるから菊花賞を走り切れるスタミナはマルゼンスキー本馬も持ってたと思う
@@なつき-x1qライスシャワーとスペシャルウィークとメジロブライトは親父のリアルシャダイ、サンデーサイレンス、メジロライアンの方が濃い様な。うーむでもイクイノックス(母父キングヘイローの例もあるか、、、)
朝日杯も2着ヒシスピードも3着から4馬身近く離して勝ってるのが余計に悲しいのよ。77世代はマルゼンスキーもバッドエンド扱いされてるけど同期を見てたら大団円のハッピーエンドよ。プレストウコウとかもっと評価されても良いと思いますよ?1800と2500は700も違うわけですし、なんだかなぁ
あの年の有馬記念をマルゼンスキー参戦した仮定でシミュレーションしたらテンポイントとトウショウボーイを抑えてマルゼンスキーが逃げる、3頭が競り合ったまま最後のゴール前でグリーングラスが展開に恵まれゴール。
ニジンスキー最高傑作が日本に行ったと後年言われるレベルの意味不明さそんなんがあの当時に居たらそら虐殺よ
エピファネイアとその子供が頑張ってるしカレンモエも第一子が誕生、ディープボンドも種牡馬入りすればまだ血を繋げられる。ここまで血が残ってる競走馬も中々いない。
アメリカで生まれていればシアトルスルー(アメリカ史上初の無敗三冠馬)の最大のライバルになったといわれるくらいやもんなぁ...
ヒシスピード君は本当に泣いていい。あの馬も間違いなく名馬だった。そもそもマルゼンは当時から国内外で世界最強クラスの名馬とはっきり言われてんのが異常。しかもそんな文字通りのUMAが日本にいたら勝てんわ。しかもマルゼンはクラシック出れない、世代の馬はマルゼン以下やTTG以下と貶されてマジで誰も得しなかったっていう酷さ…時代悪すぎて世代全体が可哀想と本気で思うわ。血を繋げたマルゼンはまぁ大分救われたが
口を挟ませてもらいますが、チヨノオーのダービーの時にも出られなかったスーパーホースがいたのですがね…
持ったまんまで勝った朝日杯ですら追い付くのに13年も要し、穴埋めで馬用意した調教師からタイムアウトだけはやめてくれ、古馬相手に短距離ダートで10馬身差、重賞を遊んで勝つ、その圧倒的な強さ故マルゼンスキーの出走を恐れて回避する陣営、そして主戦騎手が賞金もいらないしフルゲートで大外からでも良いからマルゼンスキーをダービーに出してくれうーん理解不能wwwまぁ
重賞でタイムオーバー無くなったのっていつだっけ?
ヒシスピードは、実況泣かせの悪目立ちする馬、噛ませ犬といわれても仕方ない。ヒシの競走馬は、挙ってそういう処がある。マルゼンスキーの主戦騎手の中野渡さんは、ヘマもするジョッキーだったが、桁外れの馬の能力で勝てていた。皐月賞のハードバージは、騎乗していた福永洋一さんの腕で勝っていたのが明らかだったから、不運だったといえる。小島太さんも、バケモン(マルゼンスキー)を目の当たりにしていたこそ、サクラチヨノオーの鞍上にあっても冷静でいられた。東西の壁があって、乗る事は適わなかったが、天才福永洋一騎手を背に、マルゼンスキーが海外で走る姿を見たかったまである。
そしてSSが全てをぶち壊した、と(*´Д`)
シルの子供って、脚元弱い馬が殆どだったな・・・。
太はサクラショウリで既にダービー勝ってたが
シアトルスルーのアメリカ三冠を阻止するかもしれなかった馬だってリップサービスだとしても言われねえのよ普通はwww
母シルが売られていたのは高齢だったからでしょうなー、それでも日本で9頭も産んだからすごい。
シルは、1970年生まれ。マルゼンスキーは、1974年生まれ。購入した時は、高齢どころか、3歳でニジンスキーと交配された非常に若い馬だった。
@@sora6059 あれれ、ホントだ、いままでなんで高齢だと思っていたんだろう('_'?)
有馬出てたらTTGをまとめて置き去りにしたと思うと見たかったし見たくない
全てがifだったから許される幻の最強の座。
調教助手さんは「マルゼンスキーは速すぎます。速すぎて怖い。出来れば乗りたくないくらいに速くて怖い」と言った位にスピードが桁違いだったようです
それでも蹄が外向してたので本気では走ってない。 本気出したら故障してしまうからね。 それでも能力は同期とは余りにも頭抜け過ぎてた。 だから騎手の中野渡さんが「大外でも良い。他の馬の邪魔はしないからダービーを走らせたい」と言っていたね。 まあ仮に出走してたら、大差勝ちだっただろうがね?
マルゼンスキーとノーザンテーストによって血統の底上げが始まったんだよな
その数年後この二頭の血が広がっているのにニジンスキー直子のラムタラを買ってきた日高の牧場···
日本短波賞の再加速の映像だけでもこの時代にいてはいけない存在だと分からされる
朝日杯で噛ませ扱いになって引退レースのダートでもカチ合ったヒシスピードはマジで泣いて良い。
ヒシスピードはもっと評価されるべき
……っていうかどうせならウマ娘化してあげてほしい…
どう考えても名馬の側なのに比較対象が歴代屈指のUMAだったせいで…
同年産まれには史上初の無敗で米三冠馬のシアトルスルー、凱旋門賞連覇のアレッジドを筆頭にザミンストレル、ブラッシングブルーム、トライマイベストと種牡馬としても影響を与えた連中がいるという…
確かに日本にいるのは異常と言っても過言じゃない超良血かつイかれたスピードの持ち主だった
ヒシは府中三歳で善戦したから皐月で人気になるのも仕方無い。でもクラシックではやはりマルゼンと戦った精神的疲労も出たのかも?
サクラチヨノオーの時にオグリキャップがいて残念ダービー扱いになったのもマルゼンスキーからの因縁だなあ。
マルゼンスキーのレコードに追いつくのに13年かかった
てのはやっぱり凄いですよね
😅
しかもそれは芝を換えて走りやすくなったってのがね
@@シライヌ-v7r マルゼンスキーの13年後はまだ高速芝になる前じゃない?
確か1990年代後半や2000年代で一気に最近の芝に変わったらしいが…
マルゼンスキーで脳が焼かれたヒシの馬主がその後ヒシアマゾン・ヒシアケボノを買ったからね
朝日杯はヒシスピードが最後ヘロヘロになるまで必死に追ったのにあの着差だもんなぁ…
親がウマ娘やって最初に引いた星3がマルゼンスキーでキャラにすげえハマってたんだよな
マブいとかチョベリグとか通じる世代の人からするとツボにきて良いらしい
映像や写真からして走り方と馬体のデキが現代の競走馬と遜色無いのも凄まじい
テスコボーイの様に母父のスピードが産駒に伝われば良かったんだがなあ
マルゼンスキーが強すぎて他馬の陣営が出走登録にマルゼンスキーがいたら回避を選択するから常にマルゼンスキーのレースは少頭数だった。(通称マルゼンスキー状態)
シアトルスルーのライバルはマルゼンスキーって評価もあったからな
外国人記者の話ですね。
実際、三冠レースでのシアトルスルーのライバルっていなかったですからね。
(スワップSの時は状態悪かったですし)
4歳の時も、シアトルスルーは寧ろ1歳年下の三冠馬アファームドの天敵として立ち塞がり、欧米でGⅠを11勝のエクセラーも、対戦成績は1勝1敗ですが、ウッドワードSではシアトルスルーに4馬身差付けられ、ジョッキークラブ金杯では、シアトルスルーをアファームドとアファームド陣営のラビット、ライフズホープがシアトルスルーに絡んで行ったレースとなって、言うなれば漁夫の利って感じでのエクセラーのハナ差勝ちですから、シアトルスルーのライバルは?と聞かれると、困ってしまうくらい強かったですし。
他の方のコメの返信にも書きましたけど、脚元の弱いマルゼンスキーが、ダートでシアトルスルーに勝てるイメージは個人的には全く浮かばないですね。
芝なら米国でもジョンヘンリーとかマニラ、シアトリカル、コタシャーンみたいに稀代の芝の名馬として大活躍したかも知れません。
因みに、1977年当時の芝の主なレースは、
マンノウォーS
マジェスティックライト
カナディアン国際S
エクセラー
ワシントンD.C国際S
ジョニーディー。
と、かの馬達と対決した時、どうなりますか?
妄想は膨らみます。
因みに、この年の
マンノウォーS
芝12ハロン良馬場
勝ち時計2分27秒6
カナディアン国際S
芝13ハロン重馬場
勝ち時計2分52秒4
ワシントンD.C国際S
芝12ハロン重馬場
勝ち時計2分32秒0
となってます。
ヒシスピードだけはマルゼンスキーにキレていい馬
プレストウコウもキレてええやろ
当時のクラシック戦線が「敗者復活戦」と言われてたとか何とか。
マルゼンスキーのレースを見てると、他の馬が目にはいってないんだろうなって思うくらい独走してる
確か母親のシルが妊娠してると知らずにセリに出されたんだっけ?後は日本に来てから落札者の牧場に当時の社台総帥が「庭を見に来た」という建前でマルゼンスキーを観に来た話もあるらしいね。
吉田善哉氏も途中までシルにビット入れてた話がございましたね。
当時のセリでは最初橋本氏以外にフランスとアメリカと社台が競ってたそうな、ある意味世界の競馬史を変えるセリだった。
菊花賞をレコード勝ちした同期のプレストウコウが有馬でTTG に全く歯が立たなかったのが哀しすぎる
その後の秋天や春天が可哀想すぎますよ
ちょうど小6の頃にスーパーカーブームのど真ん中だったわ
思い返せば、あの頃の日本車ではフェラーリやランボルギーニなんかに
太刀打ちできなかったろうし、上手いニックネームだなぁと思う
当時の外国馬と国産馬の性能差以前に個体としても何かバグってるマルゼンスキー
ほぼダート状態のクソ馬場で後年のナリブと同タイムって時点で訳が分からない
負け無しで引退、格好いい
マルゼンスキーの母馬シルを買ったのは橋本聖子の父。
橋本聖子10歳の時の話。
橋本聖子はマルゼンスキーを弟として扱ってたらしいね。
本当にスーパーカーとしか言い様がないくらい速かったですからね、当時のマル外に持込馬の扱いあってか出れるレース限られてたのが、ハードバージとか同期のその後見ると色々くるものが。
次にマルゼンスキーの再来って言われるのがグラスワンダー
20年早かったわ
余りにも1人だけ強すぎたせいで、同期の競走馬達が不当に低評価付けられたというね
拮抗するライバルが一頭でもいればまた変わってたんだろうけど
世界の競馬に追いつくためにジャパンカップが創設されたのは、マルゼンスキーが引退してから何年も後なんだよね。
マルゼンスキーの時代の日本競馬は世界と絶望的な差があった。
もしアメリカに残ってレースに出ていたらシアトルスルーの三冠を阻んでいたかもしれないってifエピソードとかもな。
そのエピソード、外国人の記者がシアトルスルー最大のライバルになっていたかも知れないと言う言葉から、90年代前半の昔の優駿のコラムで、執筆者がシアトルスルーの三冠は
”無かったかも知れない”
と言っただけで、ただ単に執筆者の妄想でしか無いんだよね。
しかも、あくまでも
”無かったかも知れない”
なので、無かったなんて断言してないんですよ。
それを何故か”無かった”と断言して伝わってしまってる。
私の記憶違いじゃ無ければ、その執筆者は井崎脩五郎先生だった気がします。
井崎先生は、日本最強馬はマルゼンスキーと宣言してる程、マルゼンスキーに心酔してるので、話半分に思っていた方が良いです。
それに、芝のレースなら兎も角、ダートのレースで脚の弱いマルゼンスキーがシアトルスルーに勝てるとは思えない。
実際のレース、特に古馬になってからのアファームドとエクセラーの対決を見ると、生半可な馬じゃ無い事が分かります。
特にジョッキークラブ金杯(当時12F)では、僅かにエクセラーに負けたものの、スタートからアファームドとアファームド陣営のラビット、ライフズホープに終始絡まれて不良馬場の中を尋常じゃないペースで飛ばし、ライフズホープを潰し、そしてアファームドもジリジリと引き離して行き、後ろから内ラチを突いたエクセラーに一旦は完全に抜け出されたけど、脅威の三枚腰と呼ばれた粘り強さでエクセラーとの差を詰めて叩き合いに持ち込み、最後は殆ど同時にゴールしたレースを視たら、シアトルスルーの三冠は無かったなんて、軽々しく言えないし、シアトルスルーを馬鹿にしすぎていると思います。
因みに、アファームドは3コーナーから4コーナー辺りで鞍がズレてしまい、19馬身差の5着に敗れています。
3着には、当時の同レースの2年前の覇者、グレートコントラクターが入りましたけど、14馬身半の差を付けられてました。
シアトルスルーVSアファームドVSエクセラー
マールボロC招待ハンデ(GⅠ)
ダート9ハロン
1着シアトルスルー4歳斤量128lb
3馬身差
2着アファームド3歳 斤量124lb
ウッドワードS(GⅠ)
ダート10ハロン
1着シアトルスルー4歳斤量126lb
4馬身差
2着エクセラー5歳 斤量126lb
ジョッキークラブ金杯(GⅠ)
ダート12ハロン
1着エクセラー5歳 斤量126lb
ハナ差
2着シアトルスルー4歳斤量126lb
19馬身差
5着アファームド 3歳斤量121lb
というかなんでこんな良血買えたんだろう…
橋本聖子先生の親父さんが、アメリカに牛を買いに行った時に現地で「良い馬がいるから買わないか?」と言われ、ついでに買ってきたらしいですよ…Σ( ̄□ ̄|||)
セールに人呼ぶための目玉馬だったんじゃないかなと思う
実際何で素人が競り合って落としてるん?って言われる金額になったわけだし
自身の血統と産駒傾向的に訂正距離は10〜15ハロン辺りだった説もあるな
物語でよく見るゲリラの中にいる王子みたいな状態
持ち込みやマル外を規制したら、一番高い格のレースじゃなきゃいけない東京優駿が敗者復活戦扱いされて、そこで良績残しても血統選別という目的を果たせなくなるのマジ本末転倒。
こんな血統で走るのかよ!ってみたのはJDDを逃げ勝ちしたキャッスルトップくん。SSもノーザンの血も一滴も入っていない
国が買ったとは言え、御料牧場の星友もマンノウォーの仔を受胎したままよく売って貰えたと思う。
父ニジンスキーも古馬との戦いで敗れて失速してたし、産駒傾向もクラシックで活躍する馬がメインだったから現2歳3歳くらいが一番実力を発揮できる早熟傾向の強い血筋なんじゃないかなと
もしTTGとの対戦が実現していたらまた評価が変わったのではないかと思う
初代ヒシマサルかあ
マルゼンスキー「TTGみたいに競い合えるライバルが居るって羨ましい」(素直な羨望)
プレストウコウ「TTGみたいに競い合えるライバルが居るって羨ましい」(漆黒の絶望)
マルゼンスキーは無敗の三冠馬になれたかも?
皐月ダービーは楽勝だろうけど、史実レースの距離適正的に菊花賞は途中で失速する可能性は高そう
常時脚部不安と馬群を経験してないから大外ダービーも不安やわ
@@長島バックリ
スタートから圧倒的なスピード有るから多頭数はむしろ好都合。
春で故障引退が早くなるから菊花賞は出れない。
直子
ホリスキー(82年菊花賞)レオダーバン(91年菊花賞)
母父として
ライスシャワー(92年菊花賞と93年と95年春天)
メジロブライト(98年春天)
スペシャルウィーク(99年春天)
を輩出してるから菊花賞を走り切れるスタミナはマルゼンスキー本馬も持ってたと思う
@@なつき-x1q
ライスシャワーとスペシャルウィークとメジロブライトは親父のリアルシャダイ、サンデーサイレンス、メジロライアンの方が濃い様な。うーむでもイクイノックス(母父キングヘイローの例もあるか、、、)
朝日杯も2着ヒシスピードも3着から4馬身近く離して勝ってるのが余計に悲しいのよ。
77世代はマルゼンスキーもバッドエンド扱いされてるけど同期を見てたら大団円のハッピーエンドよ。プレストウコウとかもっと評価されても良いと思いますよ?1800と2500は700も違うわけですし、なんだかなぁ
あの年の有馬記念をマルゼンスキー参戦した仮定でシミュレーションしたらテンポイントとトウショウボーイを抑えてマルゼンスキーが逃げる、3頭が競り合ったまま最後のゴール前でグリーングラスが展開に恵まれゴール。
ニジンスキー最高傑作が日本に行ったと後年言われるレベルの意味不明さ
そんなんがあの当時に居たらそら虐殺よ
エピファネイアとその子供が頑張ってるしカレンモエも第一子が誕生、ディープボンドも種牡馬入りすればまだ血を繋げられる。ここまで血が残ってる競走馬も中々いない。
アメリカで生まれていればシアトルスルー(アメリカ史上初の無敗三冠馬)の最大のライバルになったといわれるくらいやもんなぁ...
ヒシスピード君は本当に泣いていい。あの馬も間違いなく名馬だった。そもそもマルゼンは当時から国内外で
世界最強クラスの名馬とはっきり言われてんのが異常。しかもそんな文字通りのUMAが日本にいたら勝てんわ。
しかもマルゼンはクラシック出れない、世代の馬はマルゼン以下やTTG以下と貶されてマジで誰も得しなかった
っていう酷さ…時代悪すぎて世代全体が可哀想と本気で思うわ。血を繋げたマルゼンはまぁ大分救われたが
口を挟ませてもらいますが、チヨノオーのダービーの時にも出られなかったスーパーホースがいたのですがね…
持ったまんまで勝った朝日杯ですら追い付くのに13年も要し、穴埋めで馬用意した調教師からタイムアウトだけはやめてくれ、古馬相手に短距離ダートで10馬身差、重賞を遊んで勝つ、その圧倒的な強さ故マルゼンスキーの出走を恐れて回避する陣営、そして主戦騎手が賞金もいらないしフルゲートで大外からでも良いからマルゼンスキーをダービーに出してくれ
うーん理解不能www
まぁ
重賞でタイムオーバー無くなったのっていつだっけ?
ヒシスピードは、実況泣かせの悪目立ちする馬、噛ませ犬といわれても仕方ない。ヒシの競走馬は、挙ってそういう処がある。
マルゼンスキーの主戦騎手の中野渡さんは、ヘマもするジョッキーだったが、桁外れの馬の能力で勝てていた。
皐月賞のハードバージは、騎乗していた福永洋一さんの腕で勝っていたのが明らかだったから、不運だったといえる。
小島太さんも、バケモン(マルゼンスキー)を目の当たりにしていたこそ、サクラチヨノオーの鞍上にあっても冷静でいられた。
東西の壁があって、乗る事は適わなかったが、天才福永洋一騎手を背に、マルゼンスキーが海外で走る姿を見たかったまである。
そしてSSが全てをぶち壊した、と(*´Д`)
シルの子供って、脚元弱い馬が殆どだったな・・・。
太はサクラショウリで既にダービー勝ってたが
シアトルスルーのアメリカ三冠を阻止するかもしれなかった馬だって
リップサービスだとしても言われねえのよ普通はwww
母シルが売られていたのは高齢だったからでしょうなー、それでも日本で9頭も産んだからすごい。
シルは、1970年生まれ。
マルゼンスキーは、1974年生まれ。
購入した時は、高齢どころか、3歳でニジンスキーと交配された非常に若い馬だった。
@@sora6059
あれれ、ホントだ、いままでなんで高齢だと思っていたんだろう('_'?)
有馬出てたらTTGをまとめて置き去りにしたと思うと見たかったし見たくない
全てがifだったから許される幻の最強の座。