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僕が推すのは上泉信綱ですね。今の剣道にかなり影響してる。しかも柳生石斎心の師匠。
間違いなく塚原新右衛門(卜伝)が推しでしょう。実際には生きた時代が違いますが、宮本武蔵など足元にも及ばない。まさに剣聖だと思います。
5人で富田重政は珍しい合戦での功績、立身出世、老境に入ってから一兵士として示した剣名当時の武芸者が欲しいものを全て手に入れましたそれ故にドラマに欠け地味な存在になっているかもしれません
塚原卜伝が千日修行を行った鹿島神宮の祭神は、剣の神であるタケミカヅチノミコト。修行千日目に出てきた老人は、タケミカヅチだったのかも?!
昔買った凄い剣豪の話の本で一番凄いなりたいと思ったのは名前忘れましたが三国志の黄忠みたいな年取っても凄い人、ここで紹介されてる上泉信綱かな?年取ってからのエピソードでほとんど忘れましたがジャンプでかわすみたいなのがありその跳躍力が凄かったみたいに記憶に残ってます。蝙蝠というキーワードも覚えてます。検索したら松林無雲斎がピッタリでした。1位の塚原ト伝は剣豪に全く興味なくても普通に知ってました。昔の漫画とか活字媒体、時代劇とかにある程度はでてたと検索してみたら忍者武芸帳 影丸伝とか白土三平漫画とかで主人公じゃないですがそんなのでよくでてたみたいです。からくり剣豪伝ムサシロードというアニメありましたがそれはムサシコジローとか有名剣豪をモチーフにしたキャラクターでますがそこにもボクデンという塚原卜伝モデルいました。
富田家は前田家譜代の家臣であり、100万石という大藩の重職を務めていた故の大身。柳生宗矩も元々大和国柳生庄2千石の領主であり、加増1万石は将軍家剣術指南役というよりも、幕府の要職「大目付」に就いていたという理由のほうが強い。なので武芸の腕前だけでなら、尾張柳生家の800石が最大級と言える。次点で細川藩相談役の宮本武蔵が、扶持米300石(四公六民で計算すれば、所領750石相当)
薩摩示現流の流祖・東郷重位も、相当の剣豪だと思います。剣豪は諸説があってランキングを作るのが難しいので、今回の5人に限らず機会があればまた他の剣豪を紹介していただけると幸いです😃
上泉信綱の師と言われる愛洲移香斎等とかもですか…とは言え愛洲移香斎はほとんど資料が無いから難しいかとは思いますが…
東郷重位は、息子が野犬の群れを斬り太刀が地面に触れなかったのはなかなかの腕と自慢していたら、その程度で驕るなと碁盤を脇差しで両断したと伝えられていますね。
@@野菜肉-m1yさん 本多忠勝にも同じようなエピソードがありますね。息子の忠政や家来たちと揖斐川で舟遊びをした時、船頭の棹を借りて河辺に密生している葦を薙ぎ倒す 遊びをはじめました。27才で元気盛りの忠政が棹を振るうと、棹の当たった4尺の間の葦が全部へし折れました。家来たちが「お見事」と囃したてて、忠政も得意気でいたところ、今度は忠勝が棹を振るいました。すると驚いたことに、7尺の間の葦が全部薙ぎ払われました。しかも葦を良く見ると忠正のように折れたのではなく、刀を振るったかのようにきれいに切断されていたそうです。このエピソードはここまでしか伝わっていませんが、それは家来たちの前で叱責すると忠正の面目が潰れるからで、あとで忠正は「あの程度の腕でいい気になるな!」と忠勝に叱られたことでしょう。強すぎる剣客や武将を父に持つと、息子さんは大変ですね💦
針ケ谷夕雲などは宮本武蔵よりも強かったと言われてます。昭和の大作家、菊池寛と直木三十五との剣豪対談で語られています。それと小野次郎衛門忠明などは柳生十兵衛をコヨリで倒したとの逸話もあります。😊
剣豪とか代理戦争の道具みたいな立ち位置かなとこんな凄い剣豪を従えてるんやで!みたいな
あらゆる武器~核兵器みたいなもんやろなA「うちにはガトリング砲があんねん喧嘩売ったら蜂の巣にすんでw」B「ほう…うちには戦車あんねん更地にしたろか?」C「まぁまぁ皆さんうちには核兵器あるんでガタガタ言ってると末代まで不毛の土地にしますよ」A・B「ほな、今はやめとくか…」↑例えるならこんな感じでなないんかな剣客を召し抱えるというのはさ
戦国時代は刀は補助兵装で、刀で切り合うことはあまり無かったんだよね。弓や鉄砲での遠距離戦のあとは槍での戦い。そもそも甲冑を着た相手に日本刀で切り付けても刃が通らないから話にならない。だから当時の兵法は刀だけでなく槍術や棒術なども組み合わせたものが主流でした。塚原卜伝の鹿島神流もそうですよね。
バガボンド再開しないかなぁ。
納得の順位です。
やはり、熊本の丸目蔵人でしょ
タイ捨流ですよね東郷重位の示現流はタイ捨流が基本になっていますね島津の猛者はタイ捨流を学んだ猛者が多いと思います九州では割りとポピュラーだと思います
基本というか、組太刀ではタイ捨流(新陰流)を想定して作られているようですね。なので柳生流等は、示現流に対して分が悪いようです。
@@三池典太光世-n6cあの島津4兄弟もそれぞれタイ捨流の猛者でした。示現流もタイ捨流の傍流みたいな物ですが示現流を御留流としたのは忠恒(悪い方の家久)でした。
@@西田裕治-z7j 示現流の組太刀の型の仮想敵をタイ捨流としてるので、タイ捨流に対応する技を練ったり、一部を参考にしたりはしたかもしれませんが、示現流はあくまで天真正自顕流の技と系譜をベースとしているので、タイ捨流が基本とかタイ捨流の傍流とかいうのは、いささか暴論だと思います。
@@三池典太光世-n6c 些か見識の違いが有るようです。傍流の言い方は良くないかもしれませんね。東郷重位は丸目蔵人にタイ捨流を学び後に自顕流を学び後の示現流の開祖になりました。自顕流も鹿島神道流の流れをくむ剣術ですよね。私はそういう理解でした。まだまだ学ぶ余地は沢山ありそうです。
さすが刀の神フツヌシ香取神刀流!雷の神、鹿島神刀流!卜伝最強!納得です。
上泉信綱の弟子を考えると上泉信綱と塚原卜伝は拮抗しているかと。
今、これらの流派の型を見ても凄いと思うのだから開祖は本当に凄かったのでしょう。特に戦わずして勝つは究極の戦法ですね。このような人達のおかげで平和な日本があるのだと思います。日本人なら武道を嗜みましょう。
最強とは己の弱さに克ち続ける者。業を修めた達人は他者と無用に戦わない。衆人が決める勝ち負けに執着するのは心の敗北。武術経験の有無に関わらず、こういった先人が残した悟りの美学を理解する日本人の心は失いたくないですね。
現代人が勘違いしやすいポイントとして剣道のようなスポーツと剣術は全く違うんよな"真剣勝負"とは文字通り、敗北=タヒの可能性がはるかに高い故に、本当に強い剣客とは単純な剣の腕だけでなく戦術や戦略にも秀でている必要がある単純に勝つだけでなく死なない事、タヒに繋がるような傷を受けない事当時の医療技術を考えれば単純に斬り合い打ち合いが強いだけではすぐに五体満足ではいられなくなるであろうからいかに相手に普段の実力を発揮させないかどうやって完封して倒すかそういう事をきちんとやっていた人が後世まで名を残してる剣客なんだろう
拙者の出番じゃ! さん 気に入ってもらえてありがとうございます。講談社出版岩明均の雪の峠|剣の舞コミックに出てくる疋田分五 悪しゅうござるパーンと打ち据えるの最高~~
伊東一刀斎の不思議は派生が多すぎる。どんだけベースに成ったのか?
この動画だと宗厳の後継者は宗矩のように見えるけど、新陰流の道統は宗厳から長男厳勝の子である孫の兵庫助利厳に相伝された。信綱→宗厳→利厳が新陰流宗家の流れ。
石舟斎以降の道統はまだ議論の余地があるけど、上泉→石舟斎ラインが新陰流全体の宗家というのは柳生厳長先生の史料の誤読でしかない。
新陰流のFaceBookあるから問い合わせてみればいいと思う。
@@本末久尚ユウコベルト同じ 新陰流でも問い合わせる先によって、尾張柳生系から自分たちが正統と言いますし、別の上泉の弟子の疋田系なら上泉の正統は一つではないと言うだけですよ。
将軍家の徳川家の指南役となったので新陰流宗家と言われてるだけなのかと
柳生烈堂は?
井上尚弥とか大谷翔平とかみてると、やっぱり昔にも秀でた才能をもった人はいたんだろうなあ
そういえば信綱の話で真剣勝負をあまり聞かないな無刀かますだけあって何か開眼してたんだろうね
塚原と上泉が邂逅してたら面白かった
上泉信綱は松本備前守に師事して神道流を学んだという話もあり、塚原卜伝も松本備前守から一の太刀を伝授されたという話もあるからもしそうだとすれば神道流では兄弟弟子の間柄だから顔見知りでもおかしくはないですな。
ちょっと俊彦さんに声似てるのかっこいい
飯笹長威斎先生が入ってなくて寂しい。香取神道流の流祖なんだけどな。
ここで紹介された様な剣豪に優劣をつける様なことは私には出来ませんが、戦いに明け暮れた戦国時代から徳川時代に入り、同じく武士が統治する世の中なのに争いのない平和な時代が続いた。この大きな変化と剣術、剣道の思想に興味があります。特に柳生新陰流の「無刀取り」に興味があります。柳生石舟斎の「無刀取り」は、刀を使わず素手で相手の刀を取る技だと聞いた事があり、現代の武力を使わない武装解除に繋がるものではないかと思われるので、現代人もその心を学ぶべきではないかと考えています。
柳生家は剣の腕だけで伸し上がったわけではないだろうな⇐勿論剣の腕がないわけでもなかっただろうけど、【人付き合い=政治力】も兼ね備えて無ければ地位を獲るのは不可能だったと思います。
真里谷円四郎・塚原卜伝・白井享、まあ、介者剣術・素肌剣術の違いはあるけど。真里谷が、では合戦でどのくらいの働きをしたか、卜伝が、では素肌剣術で真里谷に勝てたか等考慮する必要があるかも知れないけど。
介者剣術と素肌剣術は完全に別物としないとダメ。卓球とテニスくらい違うからね。
真里谷円四郎は他流試合1000回で無敗と言われてますが、同門の中村権内に負けたとも言われ、権内から「技量は大した事はなかった」と言われたとか。まあ無住心剣流自体が心法の剣と言われ、ある程度のレベルに達した相手には有効だったようですが、純粋な剣技については?みたいなところもあるようですね。
私が若い頃は、剣豪の本がよく発刊されていた。現代では、本に代わって、スマホで配信される時代になったんですね。
剣術に「術」と付いている理由。「術」と言う言葉は「革新」を意味するからだ。剣が殺し合いの技術だった時代。革新し続けなければ、何時切られてしまうかも知れない時代だったからだ。だから江戸時代にも流派が次々と生まれたのだ。
柔道もそうですがどちらが良いも悪いもなく【道】と【術】=【剣道】と【剣術】の違いですね
まぁ、やっぱり上二人はわかってた。塚原卜伝と上泉信綱は確定くらい分かりきってたことだし……。
資料から選ぶとこうなるようですね。近年の小説から選んだファンタジーだと宮本武蔵などが出てくるのでわかりやすい。日本で1番合戦が多く続いた頃の頂上が1番強いの思うのが妥当なところでしょうね。幕末の頃の剣士は状況が違いすぎて比較するのはどうかとも思いますし。
林崎甚助居合いの開祖も取り上げて欲しい、出雲の阿国が甚助の三番目の妻で小太刀で居合いを使う
居合神社は徒歩圏内の地元です
片手千人切りの土屋惣蔵はどうでしょう?
薩摩示現流の東郷重位殿に一票お願いします!
疋田景兼が最強ジャネ~~!!!
ランク付けの基準を明確にして欲しいですね。
虎眼先生が載ってない〜😢
岩明均の短編集にあったな。
あれ映画にしたらいいのに
ランク外の剣豪の姉の血を受け継ぐ人間が、箸で空中を飛ぶハエを、ヒョーいと摘むのをみたことがあります。ランク外の子孫のしかも遺伝だけで、そんなことができるのですから、ランク5が技だけではなく、遺伝子的にも優れた武人だったろうと想像できます。ちなみに、ハエを摘んだのは、幼児でした。まさか、スマホで撮影していませんので私の証言のみですが、血筋だけは、「証明」できます。今日、年賀状を100人あまりに書いていましたが、たまたま、マ行で三人連続、各地の刀匠でした。私は、陶芸の方ですのに・・・。
はぁァァ?😮
6:32 ナマハゲみたいww
柳生は現代になって刀からゴールデンハンマーを得物とした。と、アホのたわ言はここまでにして、後世語られる【無刀取り】や【無手勝流】の用法は相手の虚を付くものだったらしいです。
笑い過ぎて口が裂けちゃいました。
ハンターチャンス!
ある漫画での得物はゴルフクラブ一式だった。よろしくメカドック!
@@直樹山口 歳がバレるぜ。
振り下ろされる刀を両手で挟むのではなく横に叩き落とす技ですよ
大型船のエンジンも1000m先から止めた合気です。
黒澤明の用心棒とか椿三十郎って有名な剣士だから偽名を名乗ってたと思うんだけど結局誰だったんだ?
小野次郎右衛門忠明が入ってない伊藤一刀斎は小野次郎衛門に切られた可能性 あると思います
宮本武蔵は、剣豪の中にはかすりもしませんでした。何故でしょう、時代が少し違うのか私が聞いたことのある話では、武蔵のような剣豪は、珍しくないくらい大勢板と、聞いたことがあります‥そのため名が、上がらなかったのでしょうか、また、そのくらい武蔵以上の達人が多くいたので死のうか。私が知ら限りでは、むさしば自分のさょうがい歩んだ道を諸松に書き残すことのできる立場にあったからだ、と聞いたことがある。武蔵野時代、武蔵程度の剣豪は、腐るほどいたと聞いたことがあります。ます
剣豪云々は、鉄砲が登場する以前のこと。鉄砲相手に如何なる剣豪も勝つ事あたわず。徳川幕府が鉄砲怖さに剣豪なる者を作り出す。幕末、近藤勇土方歳三など百姓商人が何故剣術修行ができたのか。鉄砲の前では剣術など何一つ役に立たないと分かっていたから。
現代の町井勲氏はどれくらいの順位に入るんだろう?
技術的にも武術への考え方ひとつとっても全く順位には入らないと思う。そもそも昼飯食べるのと同じくらいの感覚で、平気で人の命を奪えるメンタルの奴らと比較するもんじゃない。
かみいずみ氏は、こういずみ氏とも呼ばれるそうです。しょせんは口伝ですが。
なんで会話?の時に、片言外人調になるん?
コーエイの信長の野望シリーズでも剣豪は登場しだしたけど戦に統率力が加えられてから武将評価の下がった方々が多いですね🐭。 仕上げの突撃隊にしか使えんでしたよ
この時代には改名は珍しくないですが、伊藤一刀斎と伊藤一とは関係ないのかな?
相良林光が世界一と思う相手は石のように動かなくなる
富田勢源の弟子に佐々木小次郎が居た、船島で武蔵に負けた小次郎は武蔵の弟子?にメッタメッタに打たれ殺された、その小次郎が殺された事を勢源に知らせると見えない目から泣いて、武蔵は仕官させるなとそれから、武蔵の評判は落ち、どの大名も仕官を認めない、一度、居合の開祖の林崎甚助に打たれ、姿を消す武蔵の父親から甚助にもし武蔵が来たら殺してくれと頼む、それまで武蔵は野党まがいのことをして、自分より弱い剣士を打って、武蔵の弟子?が倒した剣士の懐から金を抜き取り、日々の糧にした
その情報のソースはどこからですか?
勢源どころかその息子もとっくに他界してます
五人は難しいなあ。
道場の鹿島大神宮の掛け軸が、源流の剣豪を思い起こさせるruclips.net/video/e0VNKZq4QCs/видео.htmlruclips.net/video/oETFS4vhW7Y/видео.html
剣豪といえば、宮本武蔵、塚原卜伝、柳生宗矩でしょうか?
宮本武蔵が入って無いのは尺の都合で致し方無いとは言え、私的にはやはり天下無双の一人として宮本武蔵は外せないかなと思います。
武蔵の伝記はすこし曖昧なところがある様におもえる。吉川英治作と他の人のくいちがいが、ス 24:25 トーリーはだいたい合ってるが、その意味で美化してないかと思う所が
24.25は誤記入
武蔵は勝てる相手を選んでビジネスしてる印象がある
吉川英治の創作が出る前はほぼ無名。小説は面白いけど資料見ると訳分からん。絵画などはいいと思う。悪い話が多すぎなので性格に難があった方なのかもしれません。
武蔵は戦国時代の人とは言えないからでは?
念阿弥慈恩は!
たいへん良いです。私は富田勢源が好きです。ど素人の剣豪ランクと違い、嬉しく又、 うなずけます。少し年号は若くなりますが、因幡の国、雖井蛙流の剣客深尾角馬が大好きです。😮他に無住心剣流も大好きで す😊
剣術において兵法は「ひょうほう」と呼びます。関係のない場面において皇居の一部を背景として使うのはお控えください。
正確には柳生新陰流とは言わない。新陰流と言います。
剣豪というには規格外かもだけど5尺を超える巨剣で戦国最強の本多忠勝と一騎打ちした真柄直隆こそ最強の剣士なのでは。
戦国時代以外も含めると武蔵は最上位でしょうが、全盛期同士で勝負すればどちらが一番か?恐らく塚原卜伝が「逃げるが勝ち」で煙に巻くかと思いますw 😅
剣豪を暗殺したい、誰か奴に勝てそうなのいないのか?考えてみればそういうのもいっぱいあったと思う決闘だったという事にすればお咎めなし、全ては闇今残ってる伝聞も全てが私的決闘ではなかったと思うよ宮本武蔵の件はあからさまにそうだった
武蔵が吉岡とやり合っている時期、吉岡側の高札に武蔵が返事を書く姿を見た者が一人もいなかっただけでなく、京都の何処に滞在していたかも誰も知らなかったそうなので、これも吉岡側の闇から闇へを警戒した為とか。
宮本武蔵が入らないのは、ちょっとね。と思いますが、塚原卜伝No.1には納得です。
卜伝が教えた足利義政が討死してますよね?
宮本武蔵は、、、ちょっとね。
@@Yubayasun足利義政ではなく、足利義輝では?
東山銀閣流の開祖。足利義政やな!www
柳生新陰流は数年前、最後の宗家が亡くなって、どこまで現在、伝承しているか?…江戸柳生はガーデニングやってますしね(笑)
戦場で刀は有効なのかな?
そんなでもない。戦場では刀はあくまで補助武器か、首取りの為の物だったようです。
現代戦じゃクソの役にも立たんでしょうなw
宮本武蔵は?w
最強の剣士はミホークと弟子のゾロ😂
宮本武蔵のイメージは不意打ち卑怯隠れていて後ろから切りつける、小柄ですばしこい運動神経はよかったのだろとなにかの本で読んだ事がある、小説の話しは全然違うだろ😢
大名への仕官希望の際に、剣術指南ではなく兵法(戦術)指南だったことを見ても、一対一の闘いを想定しているわけでなかったから、必ず勝つ為に武蔵としては理にかなったやり方をしてたんでしょうね。
佐々木小次郎、宮本武蔵、でてこない。
か
佐々木小次郎(仮名)の暗殺を依頼されて果たした武蔵も強かったと思うよなんの名誉もない汚れ仕事を依頼される実力者依頼主は隠蔽のため決闘だったという嘘を流布その嘘が今や・・・
所詮モハメド・アリには誰も勝てません
何を言ってるんだ?
一瞬で斬られます。
宮本武蔵はどの剣術にも属さないでも、養父の新免さんは何かの剣術を習っていただから、武蔵も全て我流ではないかも知れないが岡山県田舎で育った為武蔵に関して詳しく資料や記録がないだから、前半生が不明
冨田勢源、重政とか伊東一刀斎、鐘巻自斎は一説には宮本武蔵と山口県下関「舟島」で決闘した事で有名な巌流・佐々木小次郎の兄弟子とか師匠だって話もある様ですよ。
僕が推すのは上泉信綱ですね。今の剣道にかなり影響してる。
しかも柳生石斎心の師匠。
間違いなく塚原新右衛門(卜伝)が推しでしょう。実際には生きた時代が違いますが、宮本武蔵など足元にも及ばない。まさに剣聖だと思います。
5人で富田重政は珍しい
合戦での功績、立身出世、老境に入ってから一兵士として示した剣名
当時の武芸者が欲しいものを全て手に入れました
それ故にドラマに欠け地味な存在になっているかもしれません
塚原卜伝が千日修行を行った鹿島神宮の祭神は、剣の神であるタケミカヅチノミコト。修行千日目に出てきた老人は、タケミカヅチだったのかも?!
昔買った凄い剣豪の話の本で一番凄いなりたいと思ったのは名前忘れましたが三国志の黄忠みたいな年取っても凄い人、ここで紹介されてる上泉信綱かな?
年取ってからのエピソードでほとんど忘れましたがジャンプでかわすみたいなのがありその跳躍力が凄かったみたいに記憶に残ってます。蝙蝠というキーワードも覚えてます。
検索したら松林無雲斎がピッタリでした。
1位の塚原ト伝は剣豪に全く興味なくても普通に知ってました。
昔の漫画とか活字媒体、時代劇とかにある程度はでてたと
検索してみたら忍者武芸帳 影丸伝とか白土三平漫画とかで主人公じゃないですがそんなのでよくでてたみたいです。
からくり剣豪伝ムサシロードというアニメありましたがそれはムサシコジローとか有名剣豪をモチーフにしたキャラクターでますがそこにもボクデンという塚原卜伝モデルいました。
富田家は前田家譜代の家臣であり、100万石という大藩の重職を務めていた故の大身。柳生宗矩も元々大和国柳生庄2千石の領主であり、加増1万石は将軍家剣術指南役というよりも、幕府の要職「大目付」に就いていたという理由のほうが強い。なので武芸の腕前だけでなら、尾張柳生家の800石が最大級と言える。次点で細川藩相談役の宮本武蔵が、扶持米300石(四公六民で計算すれば、所領750石相当)
薩摩示現流の流祖・東郷重位も、相当の剣豪だと思います。
剣豪は諸説があってランキングを作るのが難しいので、今回の5人に限らず
機会があればまた他の剣豪を紹介していただけると幸いです😃
上泉信綱の師と言われる愛洲移香斎等とかもですか…とは言え愛洲移香斎はほとんど資料が無いから難しいかとは思いますが…
東郷重位は、息子が野犬の群れを斬り太刀が地面に触れなかったのはなかなかの腕と自慢していたら、その程度で驕るなと碁盤を脇差しで両断したと伝えられていますね。
@@野菜肉-m1yさん 本多忠勝にも同じようなエピソードがありますね。
息子の忠政や家来たちと揖斐川で舟遊びをした時、船頭の棹を借りて河辺に密生している葦を薙ぎ倒す 遊びをはじめました。
27才で元気盛りの忠政が棹を振るうと、棹の当たった4尺の間の葦が全部へし折れました。
家来たちが「お見事」と囃したてて、忠政も得意気でいたところ、今度は忠勝が棹を振るいました。
すると驚いたことに、7尺の間の葦が全部薙ぎ払われました。
しかも葦を良く見ると忠正のように折れたのではなく、刀を振るったかのようにきれいに切断されていたそうです。
このエピソードはここまでしか伝わっていませんが、それは家来たちの前で叱責すると忠正の面目が潰れるからで、あとで忠正は「あの程度の腕でいい気になるな!」と忠勝に叱られたことでしょう。
強すぎる剣客や武将を父に持つと、息子さんは大変ですね💦
針ケ谷夕雲などは宮本武蔵よりも強かったと言われてます。
昭和の大作家、菊池寛と直木三十五との剣豪対談で語られています。それと小野次郎衛門忠明などは柳生十兵衛をコヨリで倒したとの逸話もあります。😊
剣豪とか代理戦争の道具みたいな立ち位置かなと
こんな凄い剣豪を従えてるんやで!
みたいな
あらゆる武器~核兵器みたいなもんやろな
A「うちにはガトリング砲があんねん
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更地にしたろか?」
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こんな感じでなないんかな
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戦国時代は刀は補助兵装で、刀で切り合うことはあまり無かったんだよね。
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そもそも甲冑を着た相手に日本刀で切り付けても刃が通らないから話にならない。
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塚原卜伝の鹿島神流もそうですよね。
バガボンド再開しないかなぁ。
納得の順位です。
やはり、熊本の丸目蔵人でしょ
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東郷重位の示現流はタイ捨流が基本になっていますね
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九州では割りとポピュラーだと思います
基本というか、組太刀ではタイ捨流(新陰流)を想定して作られているようですね。
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あの島津4兄弟も
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示現流もタイ捨流の傍流みたいな物ですが示現流を御留流としたのは忠恒(悪い方の家久)でした。
@@西田裕治-z7j
示現流の組太刀の型の仮想敵をタイ捨流としてるので、タイ捨流に対応する技を練ったり、一部を参考にしたりはしたかもしれませんが、示現流はあくまで天真正自顕流の技と系譜をベースとしているので、タイ捨流が基本とかタイ捨流の傍流とかいうのは、いささか暴論だと思います。
@@三池典太光世-n6c
些か見識の違いが有るようです。
傍流の言い方は
良くないかも
しれませんね。
東郷重位は
丸目蔵人にタイ捨流を学び後に自顕流を学び
後の示現流の開祖に
なりました。
自顕流も鹿島神道流の
流れをくむ剣術
ですよね。
私はそういう理解
でした。
まだまだ学ぶ余地は
沢山ありそうです。
さすが刀の神フツヌシ香取神刀流!雷の神、鹿島神刀流!卜伝最強!納得です。
上泉信綱の弟子を考えると上泉信綱と塚原卜伝は拮抗しているかと。
今、これらの流派の型を見ても凄いと思うのだから開祖は本当に凄かったのでしょう。特に戦わずして勝つは究極の戦法ですね。このような人達のおかげで平和な日本があるのだと思います。日本人なら武道を嗜みましょう。
最強とは己の弱さに克ち続ける者。業を修めた達人は他者と無用に戦わない。衆人が決める勝ち負けに執着するのは心の敗北。
武術経験の有無に関わらず、こういった先人が残した悟りの美学を理解する日本人の心は失いたくないですね。
現代人が勘違いしやすいポイントとして
剣道のようなスポーツと
剣術は全く違うんよな
"真剣勝負"とは
文字通り、敗北=タヒ
の可能性がはるかに高い
故に、本当に強い剣客とは
単純な剣の腕だけでなく
戦術や戦略にも秀でている必要がある
単純に勝つだけでなく
死なない事、タヒに繋がるような傷を受けない事
当時の医療技術を考えれば
単純に斬り合い
打ち合いが強いだけでは
すぐに五体満足ではいられなくなるであろうから
いかに相手に
普段の実力を発揮させないか
どうやって完封して倒すか
そういう事を
きちんとやっていた人が
後世まで名を残してる
剣客なんだろう
拙者の出番じゃ! さん 気に入ってもらえてありがとうございます。講談社出版岩明均の雪の峠|剣の舞コミックに出てくる疋田分五 悪しゅうござるパーンと打ち据えるの最高~~
伊東一刀斎の不思議は派生が多すぎる。どんだけベースに成ったのか?
この動画だと宗厳の後継者は宗矩
のように見えるけど、
新陰流の道統は宗厳から長男厳勝の子である孫の兵庫助利厳に相伝された。
信綱→宗厳→利厳が新陰流宗家の流れ。
石舟斎以降の道統はまだ議論の余地があるけど、上泉→石舟斎ラインが新陰流全体の宗家というのは柳生厳長先生の史料の誤読でしかない。
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将軍家の徳川家の指南役となったので
新陰流宗家と言われてるだけなのかと
柳生烈堂は?
井上尚弥とか大谷翔平とかみてると、やっぱり昔にも秀でた才能をもった人はいたんだろうなあ
そういえば信綱の話で真剣勝負をあまり聞かないな
無刀かますだけあって何か開眼してたんだろうね
塚原と上泉が邂逅してたら面白かった
上泉信綱は松本備前守に師事して
神道流を学んだという話もあり、
塚原卜伝も松本備前守から一の太刀を伝授されたという話もあるから
もしそうだとすれば
神道流では兄弟弟子の間柄だから
顔見知りでもおかしくはないですな。
ちょっと俊彦さんに声似てるのかっこいい
飯笹長威斎先生が入ってなくて寂しい。香取神道流の流祖なんだけどな。
ここで紹介された様な剣豪に優劣をつける様なことは私には出来ませんが、戦いに明け暮れた戦国時代から徳川時代に入り、同じく武士が統治する世の中なのに争いのない平和な時代が続いた。この大きな変化と剣術、剣道の思想に興味があります。特に柳生新陰流の「無刀取り」に興味があります。柳生石舟斎の「無刀取り」は、刀を使わず素手で相手の刀を取る技だと聞いた事があり、現代の武力を使わない武装解除に繋がるものではないかと思われるので、現代人もその心を学ぶべきではないかと考えています。
柳生家は剣の腕だけで伸し上がったわけではないだろうな⇐勿論剣の腕がないわけでもなかっただろうけど、【人付き合い=政治力】も兼ね備えて無ければ地位を獲るのは不可能だったと思います。
真里谷円四郎・塚原卜伝・白井享、まあ、介者剣術・素肌剣術の違いはあるけど。真里谷が、では合戦でどのくらいの働きをしたか、卜伝が、では素肌剣術で真里谷に勝てたか等考慮する必要があるかも知れないけど。
介者剣術と素肌剣術は完全に別物としないとダメ。
卓球とテニスくらい違うからね。
真里谷円四郎は他流試合1000回で無敗と言われてますが、同門の中村権内に負けたとも言われ、権内から「技量は大した事はなかった」と言われたとか。
まあ無住心剣流自体が心法の剣と言われ、ある程度のレベルに達した相手には有効だったようですが、純粋な剣技については?みたいなところもあるようですね。
私が若い頃は、剣豪の本がよく発刊されていた。
現代では、本に代わって、スマホで配信される時代になったんですね。
剣術に「術」と付いている理由。「術」と言う言葉は「革新」を意味するからだ。剣が殺し合いの技術だった時代。革新し続けなければ、何時切られてしまうかも知れない時代だったからだ。だから江戸時代にも流派が次々と生まれたのだ。
柔道もそうですがどちらが良いも悪いもなく
【道】と【術】=【剣道】と【剣術】の違いですね
まぁ、やっぱり上二人はわかってた。
塚原卜伝と上泉信綱は確定くらい分かりきってたことだし……。
資料から選ぶとこうなるようですね。近年の小説から選んだファンタジーだと宮本武蔵などが出てくるのでわかりやすい。日本で1番合戦が多く続いた頃の頂上が1番強いの思うのが妥当なところでしょうね。幕末の頃の剣士は状況が違いすぎて比較するのはどうかとも思いますし。
林崎甚助居合いの開祖も取り上げて欲しい、出雲の阿国が甚助の三番目の妻で小太刀で居合いを使う
居合神社は徒歩圏内の地元です
片手千人切りの土屋惣蔵はどうでしょう?
薩摩示現流の東郷重位殿に一票お願いします!
疋田景兼が最強ジャネ~~!!!
ランク付けの基準を明確にして欲しいですね。
虎眼先生が載ってない〜😢
岩明均の短編集にあったな。
あれ映画にしたらいいのに
ランク外の剣豪の姉の血を受け継ぐ人間が、箸で空中を飛ぶハエを、ヒョーいと摘むのをみたことがあります。
ランク外の子孫のしかも遺伝だけで、そんなことができるのですから、ランク5が技だけではなく、遺伝子的にも優れた武人だったろうと想像できます。ちなみに、ハエを摘んだのは、幼児でした。
まさか、スマホで撮影していませんので私の証言のみですが、血筋だけは、「証明」できます。
今日、年賀状を100人あまりに書いていましたが、たまたま、マ行で三人連続、各地の刀匠でした。私は、陶芸の方ですのに・・・。
はぁァァ?😮
6:32 ナマハゲみたいww
柳生は現代になって刀からゴールデンハンマーを得物とした。
と、アホのたわ言はここまでにして、後世語られる【無刀取り】や【無手勝流】の用法は相手の虚を付くものだったらしいです。
笑い過ぎて口が裂けちゃいました。
ハンターチャンス!
ある漫画での得物はゴルフクラブ一式だった。
よろしくメカドック!
@@直樹山口 歳がバレるぜ。
振り下ろされる刀を両手で挟むのではなく横に叩き落とす技ですよ
大型船のエンジンも1000m先から止めた合気です。
黒澤明の用心棒とか椿三十郎って
有名な剣士だから偽名を名乗ってたと思うんだけど結局誰だったんだ?
小野次郎右衛門忠明が入ってない
伊藤一刀斎は小野次郎衛門に切られた可能性 あると思います
宮本武蔵は、剣豪の
中にはかすりもしませんでした。何故でしょう、時代が少し違うのか私が聞いたことのある話では、武蔵のような剣豪は、珍しくないくらい大勢板と、聞いたことがあります‥そのため名が、上がらなかったのでしょうか、また、そのくらい武蔵以上の達人が多くいたので死のうか。私が知ら限りでは、むさしば自分のさょうがい歩んだ道を諸松に書き残すことのできる立場にあったからだ、と聞いたことがある。武蔵野時代、武蔵程度の剣豪は、腐るほどいたと聞いたこと
があります。
ます
剣豪云々は、鉄砲が登場する以前のこと。鉄砲相手に如何なる剣豪も勝つ事あたわず。徳川幕府が鉄砲怖さに剣豪なる者を作り出す。幕末、近藤勇土方歳三など百姓商人が何故剣術修行ができたのか。鉄砲の前では剣術など何一つ役に立たないと分かっていたから。
現代の町井勲氏はどれくらいの順位に入るんだろう?
技術的にも武術への考え方ひとつとっても全く順位には入らないと思う。
そもそも昼飯食べるのと同じくらいの感覚で、平気で人の命を奪えるメンタルの奴らと比較するもんじゃない。
かみいずみ氏は、こういずみ氏とも呼ばれるそうです。しょせんは口伝ですが。
なんで会話?の時に、片言外人調になるん?
コーエイの信長の野望シリーズでも剣豪は登場しだしたけど戦に統率力が加えられてから武将評価の下がった方々が多いですね🐭。 仕上げの突撃隊にしか使えんでしたよ
この時代には改名は珍しくないですが、伊藤一刀斎と伊藤一とは関係ないのかな?
相良林光が世界一と思う相手は石のように動かなくなる
富田勢源の弟子に佐々木小次郎が居た、船島で武蔵に負けた小次郎は武蔵の弟子?にメッタメッタに打たれ殺された、その小次郎が殺された事を勢源に知らせると見えない目から泣いて、武蔵は仕官させるなと
それから、武蔵の評判は落ち、どの大名も仕官を認めない、一度、居合の開祖の林崎甚助に打たれ、姿を消す
武蔵の父親から甚助にもし武蔵が来たら殺してくれと頼む、それまで武蔵は野党まがいのことをして、
自分より弱い剣士を打って、武蔵の弟子?が倒した剣士の懐から金を抜き取り、日々の糧にした
その情報のソースはどこからですか?
勢源どころかその息子もとっくに他界してます
五人は難しいなあ。
道場の鹿島大神宮の掛け軸が、源流の剣豪を思い起こさせる
ruclips.net/video/e0VNKZq4QCs/видео.html
ruclips.net/video/oETFS4vhW7Y/видео.html
剣豪といえば、宮本武蔵、塚原卜伝、柳生宗矩でしょうか?
宮本武蔵が入って無いのは尺の都合で致し方無いとは言え、私的にはやはり天下無双の一人として宮本武蔵は外せないかなと思います。
武蔵の伝記はすこし曖昧なところがある様におもえる。吉川英治作と他の人のくいちがいが、ス 24:25 トーリーはだいたい合ってるが、その意味で美化してないかと思う所が
24.25は誤記入
武蔵は勝てる相手を選んでビジネスしてる印象がある
吉川英治の創作が出る前はほぼ無名。小説は面白いけど資料見ると訳分からん。絵画などはいいと思う。悪い話が多すぎなので性格に難があった方なのかもしれません。
武蔵は戦国時代の人とは言えないからでは?
念阿弥慈恩は!
たいへん良いです。私は富田勢源が好きです。ど素人の剣豪ランクと違い、嬉しく又、 うなずけます。少し年号は若くなりますが、因幡の国、雖井蛙流の剣客深尾角馬が大
好きです。😮
他に無住心剣流も大好きで す😊
剣術において兵法は「ひょうほう」と呼びます。
関係のない場面において皇居の一部を背景として使うのはお控えください。
正確には柳生新陰流とは言わない。
新陰流と言います。
剣豪というには規格外かもだけど5尺を超える巨剣で戦国最強の本多忠勝と一騎打ちした真柄直隆こそ最強の剣士なのでは。
戦国時代以外も含めると武蔵は最上位でしょうが、全盛期同士で勝負すればどちらが一番か?
恐らく塚原卜伝が「逃げるが勝ち」で煙に巻くかと思いますw 😅
剣豪を暗殺したい、誰か奴に勝てそうなのいないのか?
考えてみればそういうのもいっぱいあったと思う
決闘だったという事にすればお咎めなし、全ては闇
今残ってる伝聞も全てが私的決闘ではなかったと思うよ
宮本武蔵の件はあからさまにそうだった
武蔵が吉岡とやり合っている時期、吉岡側の高札に武蔵が返事を書く姿を見た者が一人もいなかっただけでなく、京都の何処に滞在していたかも誰も知らなかったそうなので、これも吉岡側の闇から闇へを警戒した為とか。
宮本武蔵が入らないのは、ちょっとね。と思いますが、塚原卜伝No.1には納得です。
卜伝が教えた足利義政が討死してますよね?
宮本武蔵は、、、ちょっとね。
@@Yubayasun
足利義政ではなく、足利義輝では?
東山銀閣流の開祖。足利義政やな!
www
柳生新陰流は数年前、最後の宗家が亡くなって、どこまで現在、伝承しているか?…
江戸柳生はガーデニングやってますしね(笑)
戦場で刀は有効なのかな?
そんなでもない。戦場では刀はあくまで補助武器か、首取りの為の物だったようです。
現代戦じゃクソの役にも立たんでしょうなw
宮本武蔵は?w
最強の剣士はミホークと弟子のゾロ😂
宮本武蔵のイメージは不意打ち卑怯隠れていて後ろから切りつける、小柄ですばしこい運動神経はよかったのだろとなにかの本で読んだ事がある、小説の話しは全然違うだろ😢
大名への仕官希望の際に、剣術指南ではなく兵法(戦術)指南だったことを見ても、一対一の闘いを想定しているわけでなかったから、必ず勝つ為に武蔵としては理にかなったやり方をしてたんでしょうね。
佐々木小次郎、宮本武蔵、でてこない。
か
佐々木小次郎(仮名)の暗殺を依頼されて果たした武蔵も強かったと思うよ
なんの名誉もない汚れ仕事を依頼される実力者
依頼主は隠蔽のため決闘だったという嘘を流布
その嘘が今や・・・
所詮モハメド・アリには誰も勝てません
何を言ってるんだ?
一瞬で斬られます。
宮本武蔵はどの剣術にも属さない
でも、養父の新免さんは何かの剣術を習っていた
だから、武蔵も全て我流ではないかも知れないが岡山県田舎で育った為
武蔵に関して詳しく資料や記録がない
だから、前半生が不明
冨田勢源、重政とか伊東一刀斎、鐘巻自斎は一説には宮本武蔵と山口県下関「舟島」で決闘した事で有名な巌流・佐々木小次郎の兄弟子とか師匠だって話もある様ですよ。