私がRainbowを聞き始めたのが1980年だったと思いますが部活の先輩にダウン・トゥ・アースのレコードを借りて聴いて 衝撃をうけ、Since you ben goneを毎日50回くらい聴き入っていました。コージー・パウエルもリッチー自身も営業で 演奏した曲といってい馬鹿にしていますが私にとっては青春の宝です。 その後初めてコンサートを観たのが1981年の名古屋公演(当時の厚生年金会館?だったかな。不確かです)でしたが 当時チケットを取るのも一苦労でした。名古屋駅前の玉音堂という店に徹夜で並んだ記憶があります。 オーナーが言う通りDown to earth以前と以降では全く異なるバンドになってしまっていると感じました。 私自身がDown to earthコンサートが終了したあとMusic Lifeでリッチーの写真を見てかっこいいなあと感じたので このコンサートを観られなかったのは痛恨の極みです。それ以降に何度もコンサートに行きましたがDown to earthや Lost in Hollywood演奏してくれた記憶がありません。 Rainbowでのコージーパウエルは観たことありませんがWhitesnakeの一員として来日した際に武道館でドラムソロを見て 迫力と重工感に圧倒されました。 懐かしい!!ありがとうございます。
人生最初のライヴがレインボーでした。その後何回も色々なバンドのライヴ観たけどいまだに最高のライヴパフォーマンスはこの時のグラハムのいたレインボーです。
80年の来年公演、武道館で見ました。あれだけ時間を忘れて興奮したコンサートは今まで無かったです。
ロジャーグローバーの衣装がグラハムとリッチーを中和させててセンスいい
レインボーは「RISING」が最高にして至高!奇跡のアルバム
様式美ロックの頂点です!
オンリーワンウーマンはやばいよねぇ〜声だけで惚れちゃうよねぇ
コージーパウエルは人格者ですからね、ほんと素晴らしいドラマーだった
1番好きなアルバムはベントアウトオブシェイプですが、1番好きなメンバーは第5期なので大変楽しい動画でした。ありがとうございます!
レインボーは、それぞれボーカルに違いが大きいのが良い。おかげで、イングウェイみたいに楽曲がパターン化するのを避けれた。
コージーが渡り鳥と言われるほどたくさんのバンドに参加していたのは
グラハムに対する気遣いや接し方を見るに人間関係を大切にする人だったんでしょうね
コージーのドラムプレイを生で見てみたかったなぁ😊
スーパーロックの白蛇で見たけど後過ぎて豆粒だった…
私はブラックサバスのメンバーで来日した時に観ました。最前列のお客さんが DRUM SOLO PLEASE! と書かれたボードを見せたら、アンコールのラスト数十秒だけドラムソロを披露してくれてとても得した気持ちになったのはイイ思い出です😊
自分が唯一生で観たのはブライアン・メイ・バンドでの来日公演の時でした。ベースのニール・マーレイとの息もピッタリな上に、ライヴ中盤にはソロコーナーも用意されていて存分に楽しむことができました。会場から飛ぶ声援も主役のブライアンと同等の大きさで、日本でのコージー人気の高さを伺い知ることができました。
洋菓子屋さんの「コージーコーナー」を見る度に、コージー・パウエルを思い出す。
それだけコージーさんには思い入れがあります。
@@紀墓林自分も大阪城ホール2階で白蛇をみて米粒スネイクだった
レインボーの最高のSingerはRonnieだけどGrahamも大好きです、勿論コージーのドラミングにKOされました。いい時代だった。
勉強になります。ありがとうございます!もっと早くこのチャンネル知りたかったなぁ😊
アップありがとうございます!レインボー大好きです!😃 確かにこの時のメンバーが最強だったと思いますが、改めてアルバムを聴くと次の作品が想像出来ない…これっきり?って感じがしなくもないですね…😅
私がRainbowを聞き始めたのが1980年だったと思いますが部活の先輩にダウン・トゥ・アースのレコードを借りて聴いて
衝撃をうけ、Since you ben goneを毎日50回くらい聴き入っていました。コージー・パウエルもリッチー自身も営業で
演奏した曲といってい馬鹿にしていますが私にとっては青春の宝です。
その後初めてコンサートを観たのが1981年の名古屋公演(当時の厚生年金会館?だったかな。不確かです)でしたが
当時チケットを取るのも一苦労でした。名古屋駅前の玉音堂という店に徹夜で並んだ記憶があります。
オーナーが言う通りDown to earth以前と以降では全く異なるバンドになってしまっていると感じました。
私自身がDown to earthコンサートが終了したあとMusic Lifeでリッチーの写真を見てかっこいいなあと感じたので
このコンサートを観られなかったのは痛恨の極みです。それ以降に何度もコンサートに行きましたがDown to earthや
Lost in Hollywood演奏してくれた記憶がありません。
Rainbowでのコージーパウエルは観たことありませんがWhitesnakeの一員として来日した際に武道館でドラムソロを見て
迫力と重工感に圧倒されました。
懐かしい!!ありがとうございます。
訂正
× Down to earth
〇 Eyes of the world
当時のレインボー、MSG、オジー、ゲイリームーア辺りのメンバーは入り乱れてますね
元パープル元レインボー組の実力がすごい
ジョーのボーカルが私にとってのレインボーです
この時のメンバーが一番強力なんだろうけど、一番賛否両論あるんだろうなぁ。
観に行きました。武道館コンサート
まだメタルに興味持って間も無くの頃で、後々すごいコンサートに行ってたんだと、驚愕しました。
動画、ありがとうございます
新入りギタテクにおじゃんにされた'74年製のストラトは細ネック軽ボディ、乾いた音がナイスだった。'77年モデルはネック太めで湿った重い音、アメリカン志向には不向きと思われたがENGLEコンボとの相性は凄く良かった。
ディープパープルのBURNのアルバムがリッチーの才能を1番引き出していましたね。
レインボーではバビロンのアーチのアルバムこそがまさにハードロックの名盤ですよね。
シンス ユー ビーン ゴーン のPV観たらコージーが嫌々叩いてるのが今でも思い出されます。
私もビデオで観ました。
コージーパウエルさんが、やる気ないをアピールしてたように、観えました。
20th Anniversaryモデルのサイン入りと白のストラトキャスターのサイン入り、山野楽器でどちらも見たことあるよ。
若いころレコードで聞いた'72 Live In Japanはが最高で後は・・・・・・
同じころホワイトスネイクはパープルメンバー3人になってたなW
グラハムが加入した事を知らずに大阪フェスティバルホールの席に座った…ロニーのキルザキングでスタートすると思ってたら、火星からアイズが始まりオールバックで赤シャツ白上着にサングラスのオッサン出てきて最初ついていけんかったな~😅若き日の思い出。
私も横山やすしかと思いました😅
脱退した後でバンドメンバーの事をボロカスに言うアーティストが多くて面白い時代だったなあ😂
77年武道館公演にて電飾レインボー🌈を見ました。
あの興奮は今でも忘れてません。
そりゃグラハムのルックスを見て俺らファンだってぶっ飛んださ。
「何だこのバグルスみたいなおっさんは!」とね。
わたしの知らないレインボーをご説明いただき、ありがとうございます😊
またワクワクしてきました!
たしかグラハム・ボネットはベジタリアンだった。ミュージックライフか何かで「だから小じわが目立つのよ」と写真の下に書いてあったな。普通、雑誌側がそんなこと書くかね。本人、何て書いてあるの?って読むだろうし。あの頃は、ハンサム投票ランキングやら変なステージ衣装投票ランキングとかバカバカしくも面白過ぎた。
ロストインハリウッドは、ギターでコピーしたな~
リッチーがヘヴィメタルうんちゃらと云ったとは思えん。
音楽自体は好きだったけど、ハードロックやメタルの「長髪・タイトな革パンツ」
みたいなのが嫌いだったので、グラハムが出てきた時は新鮮で嬉しかった。(浮いてたけど)
ボーカルスタイルも好みで、その後のアルカトラスも聴いていた。
0:16~ クライヴ・チェアマンさんは第2期ジェフ・ベック・グループでのコージーさんの朋友ですが、ここで映ってるベーシストはベック・ボガード&アピスのティム・ボガードさんです。
クライヴさんは黒人(トリニダード・トバゴ出身だったかな?)です。
その通り😂
レインボーとしての最高のライブは、やっぱりRonnie期の'76年初来日前後の辺りでしょ。理由は幾つか有るがグラハム期になってからポップ化と共にリッチーのプレイがアバウトになり、メンバー同士のインタープレイや緊張感も減ってギグ自体が単調になった事。後年、こういう音楽が大嫌いだとGrahumが言っていたらしく、その時点でRonnieには絶対追いつけない。でも、ベテラン同士のスケール感の大きいGrahum時代は素晴らしいと思えるのも分かる。
MSGのアルバムを買ってグラハムのファンになったけどコージーを知ったのもそのMSGのアルバムだったような気がする
結局ロジャークローバーによってレインボーは潰されたと言うことなんでしょう。
コージーは「シンス・ユー・ビーン・ゴーン」が嫌いと言うのは正しくないと思う。
それまでのレインボーの曲と比べて甘ったるいラブソングをライヴで演奏する事に抵抗があったようで、曲としては良い曲だと言ってます。
後にブライアン・メイのソロ・プロジェクトに参加した時にはライヴで「シンス・ユー・ビーン・ゴーン」を演奏しています。
キルキンとスターゲイザーのオープニングのコージーのドラミングはヤバい!
クイーンもデビューセカンドはめちゃくちゃハードでヘビーな作品でしたね。
普通の人はとても聞けるアルバムではありませんでした。
でもだんだんポップ化していくことによって熱狂的なファンは去って行きポップス志向の大衆のファンが増えたと言うことなんでしょうね。
私個人としてはポップス化してからは全く聞かかなくなりました。
レインボー初来日最終日夜の分に行きました昼の部ではアンコールがなかったが、夜の部ではアンコールも有り凄く盛り上がりました、レインボー最高のライブでしたのちに発売されたライブオンステージを聞いたら武道館の録音じゃないと分かった盛り上がりがイマイチだからです!
レインボーは典型的なビッグinジャパンのバンドだからね。日本人がどうとかはあんま関係ないよ
DIOが脱退してからはレインボーは全く聞かなくなりました。
歌う横山のやっさん
俺の好きだった虹はここまでだなぁ
でもシンス〜はブライアンメイのライブでやってたのは御愛嬌なのかな?
成田三樹夫に見える時もあるね 工藤ちゃ~ん!
@@ラシアザ-v2i
👍納得
言われたら確かに似てる🤭
シンス・ユー・ビーン・ゴーンいいやんけ
オール・ナイト・ロングも
グラハム・ボネットの最高傑作は、ロスト・イン・ハリウッドだと思ってるけど
俺の中では
Grahamの場合はSingleヒットが欲しかったのかな?
この時(グラハム声デカ)の音源がユーチューブに上がってます
必聴ですぅ!!!
前作は失敗じゃない
このラインナップが続いていたらアメリカ制覇も夢では無かったと言われるが…
内部がボロボロでとてもじゃないが夢物語
なかなか良いけれど日本と何の関係があるのかね?
「シンス・ユーブ・ビーン・ゴーン」は、確かマネージャーに原曲(ラス・バラード)を聴かされたリッチーが「素晴らしい曲だ」と即答したエピソードを聞いた事があります。
ブライアン・メイもこの曲が大好きでカバーしたらしいし、良い曲だと思うけどねぇ……
グラハムはレインボーを知らなかったんですね。それでよくハードロックのボーカルが務まりましたね。
ハードロックに縁のないシンガーを起用する着眼点こそさすがリッチーと思います👍
なんかエラそうに言ってるけど現在もグラハムが現役で一線張ってるのが答えだろ
所詮伝聞でしかないけれど、プレイヤーとしてはポブ、プロデューサーとしてはロジャー、人柄としてはジミーが一番優れていたんじゃないかな。レインボーの歴代ベーシスト。
ダメ人間としてもジミーがブッチギリっぽいけど、プレイやソングライティング、ルックスも含めてオイラはジミーが一番好きだ。
オープンリールテープについてプリアンプという表現がされていますが、プリアンプというのはアンプの内部でギターからの信号を受信して音色を調整する部分のことのはずなので正しくはブースター等ではないでしょうか?
(確か、エコー効果とともに音を厚くする効果を狙った機材だったと思うので)
俺は、生き証人です、レインボー、中島スポーツセンター札幌の最前列にいました、主催者がもうけが人が出てるので、すわつてくれとアナウンス、このとき、女子大生が、圧死ましました、リツチーにはそれが伝えられなくてあの、虹の高演出、ギターのクラシユ、あの、コンサート越えものはいままでありません、あのコンサート越える、かな染みは、今もの心に残る、cryzyギター
Alが書いたの?
その時亡くなった女子大生の父親が私の高校の教師でした。その事件後から人がすっかり変わってしまって呼吸をしている死人の様でした。残念です。
@@小川宏-v1k
AIじゃ書けない、まるで酔っ払ってるグラハムがコメしてるみたいだぜクレイジーVOICE
イベント管理会社のミスだな、前後で極端な移動あってはならないのよね
なんとか理解しました 😊
クライブチェアマンの写真を見て、あれ?なんでコージーがギターを弾いてるの?と思ったw
リッチーがどこで「日本のファンは世界一」と公言してます?ブラックモアナイトの来日公演で客が入らず、うるさいロックにしか興味のない音楽の分からない国に二度と来る気はないと言い捨てて帰ったと聞いたことはありますが。
我が国の状況は最近はそうでもない。一曲目から席を立ち上がり、訳も分からず喚き散らすオーディエンスがものすごく増えた。前はゆっくりと席について音楽に浸る人が多かったんだが、今の観客はただ騒ぎに来ていて非常に見苦しい。
レインボーはグラハムを入れたからたことによって台無しになってしまいましたね。DIOの方がよっぽど良かったですよ。
タウラスは1だよね
このBGMて何ですか?
誰か教えてください。
イングヴェイですか?
グラハムはそもそもポップス思考ですからレインボーのハードロック思考とは全く違ってましたよね。うまく行くわけがありません。
ポップスというかロッド・スチュワートとかスティーヴ・マリオットとかの系譜に位置するR&Bやソウルを背景に持ったヴォーカリストですね。
そりゃ日本は海外では不人気のレインボーのレコードが人気だったんだろうから、ただのお世辞だよ。
レイケネディは気の毒でした
Since you Been Gone
これを聞いてからがっかりしましたね。これがほんとにレインボーかと思いましたよ。
結局これがきっかけで今までの熱狂的なファンは去っていき新しいファンを獲得しましたね。
それでレコードの売り上げが伸びたからレコード会社としてはホクホクだったんでしょうね。
やはりロックは4拍子でしょ!
コメント見ていると80年代のレインボーしか知らない人が多いんですね。なぜリッチーがディープ・パープルを脱退してレインボーを作ったかと言ういきさつも知らないんでしょうね。
そうですね。音楽専科やミュージックライフ、タブ譜付きギター雑誌が楽しかった頃です。
私のハードロック最初のインパクトは80年の中学の文化祭でして、校内で唯一エレキギターやっていた先輩が体育館のステージに上がらされ、先生から何か弾けと言われて恥ずかしそうにパープルのスモーク・オン・ザ・ウォーターのイントロを弾いたのですが、それに衝撃を受けました。
他の大勢の生徒らからも響めきと歓声が上がり、たったイントロだけでしたが大いに盛り上がったのです。今思えばメイド・イン・ジャパンのイントロだな。
大歓声を受け先輩もギターを持ち上げノリノリでしたが、先生からは「それだけか」と突っ込まれ爆笑に。
コージーのソロ’オーバー ザ トップ’は正直イマイチだった。
ごもっとも!ソロ3枚も出しているのに全部駄作!コージーファンの方 ごめんなさい!
1枚目と2枚目は好きです
さーせん 俺’オーバー ザ トップ’しか聴いてないんだ😝
2枚目は、ゲイリー・ム-アの「サンセット」、ジェフ・ベックの「ホット・ロック」だけでも聴きものです🤲2曲共隠れた名曲です
改めて聞き直して見ます。当時は全曲フュージョンぽくて苦手だったんだけど3枚もアルバム出せるなんてセールス的にそこそこ売れたんだなぁと思います。LP の頃から何度も再発されているし。でもコージーはリッチーあってのコージーだと思います。
大袈裟な音楽wwww
つつチャチャつつの
おっさんリズムはダサイ。
コージー(笑)、何か、マイケルシェンカー信者からすると、裏切り者的な立場です、確かに素晴らしいドラマーですが、自分の都合で、動く人のイメージが、拭えない(笑)