Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
回送でその日のうちに大阪まで客車を戻すこと、さらには早朝の回送の新幹線を客扱いすると言うこの発想を思い付かれた方はまさに神ですね。客車は古くともそれだけの需要に対応できたのもダイヤ編成者と現場との連携がうまく行っていた証拠です。
実は12系は本来このエキスポこだまでこそ真価を発揮するのですが当初創価学会臨時列車用に作られたものが言論弾圧問題で創価学会が利用債の支払いができなくなり、また天理教や金光教からの批判も凄かったのでメーカー救済目的で万博臨時列車輸送名目ででっち上げた代物なので本来使われるべきエキスポこだまには使われていません。
現在でもたまに上りのサンライズが遅れたときに東海道新幹線に乗り換え連絡するときありますね。
「博多」→【金星】→「名古屋」→【ひかり】→「東京」の、乗り継ぎが何故か頭に浮かんだ。
僕は関西ブルトレを連想したです。
これはまたすごい列車ですね。大阪から三島まで在来線を夜行急行として運転し三島から新幹線乗り換えで東京で急行券は1枚で発券だから今でいう特急リレーかもめと西九州新幹線かもめみたいですね。
大阪万博は当時の国鉄としては最大の稼ぎ時では有ったものの車両不足だけはどうしようも無かったらしく、「エキスポこだま」在来線部門も、各鉄道管理局からかき集めた旧型車両(休車状態のおんぼろ)だったために指定席でも乗り心地は悪かったが、万博を閉場時間までしゃぶり尽くしたうえで翌日会社に出る為には文句を言える状態ではなかった乗客多数いて平日でも9割以上の乗車率だったし、当時空気を運んでいた始発の三島発を満車状態に出来たから一石二鳥だったのですこの時運行していたのは「銀河」定期2本・臨時2本・「安芸」・「瀬戸」定期2本・臨時(8月中のみ運行)・「出雲」(京都まで山陰本線)等の夜行急行はあったものの、「安芸」は広島周辺の固定のお客様・「瀬戸」は四国からのお客さま・「出雲」は山陰地区からのお客様で万博輸送には期待できない状況であれば「銀河」のみが万博輸送で使えるものの、元々のビジネス客もいるもんだから当時の国鉄としたら頭抱える問題だったらしく「エキスポこだま」も満席になると駅で夜を明かした人も多くないみたいでした
車両はボロいし早朝に乗り換えさせられるわで、「これ絶対『目論見外れた迷列車やろ」と思って見始めたら、まさかの大盛況。今とは時代が違うとしみじみ感じました。こういった成功体験が忘れられなくて来たる25年にもう1度万博をやろうと考えるんでしょうけど、どう転んでもヤバい結末しか予想できない・・・・
BSフジの鉄道伝説でも取り上げられた列車ですね。車輌は、各地に在籍していた数少ない予備車をかき集めて組成された夜行列車でした。三島からは新幹線のこだまに接続するダイヤでした。
急行券を一枚で発券?リレーかもめとかリレーつばめみたいな感じだったんですね。国鉄時代からあったのか…。
【国鉄のキレ者の存在証明】みたいな列車🥳当時、話題の『新幹線に乗れる』をエサに無理難題をクリアしてみせた本店の奇策に現場も唸らずを得ず🤔
新幹線エキスポこだまは、三島車両基地から東京への回送列車をする流用したもので、今で言うホームライナーの源流ですね😀
70年の大阪万博の話は両親からよく聞きました。国鉄もそうでしたが、大阪府民は民鉄や市営地下鉄で来場していたため、市内の混雑も半端なかっただろうなと想像します。話によると、阪急千里線最終天六行きに乗る羽目になった(当時は市営地下鉄の終電は早かった)ところ、乗客.zipの要望で動物園前まで延長、したはいいものの接続の各線はすでに終わっていた。しかし帰り先がなんばだったため、日本橋でぎりぎり近鉄の最終に乗って帰った(千日前線はすでに終わっていた)そうです。
乗客.zipで草
NKKさんのかほり
乗客.zipは草
めったに乗れない新幹線に乗れるんだから、乗客からも文句は出なかっただろうなあ。
面白かった!まさに「窮すれば通ず」ですね。
夜行とは言え、夏の旧客非冷房での満員すし詰め状態はキツイなぁ~?
当時の急行はスハ43が当たり前でした。さらに東京から東北への臨時急行となると背ずりが板張りという客車すら駆り出された時代でした。それでも全席指定というのは有り難いものだったことと思います。三島で乗り換えるこだま号で涼めたことでしょう。
急行「銀河」とて20系になったのは新幹線博多開業の1975年それまでは10系ほか旧型客車の組成でしたからねスハ44が座席車として組み込まれていましたこちらには
2025年の万博でも285系を使って臨時寝台特急が設定される可能性もありますね夜間の輸送は高速バスだけでは足りないと思うので
そこまで客こないと…😵
そもそも、開催されるんですかねぇ…?
この列車は当時新鋭の12系客車が使われているのだと思い込んでました。
元々12系は創価学会臨時列車用に作られたものを言論弾圧事件で利用債が消滅した為急遽万博臨時列車用に予算を書き換えて作ったのでエキスポこだま充当は自民党と公明党の猛反対で実現してません。
銀河は当時定期的2往復だけでその他には急行瀬戸2往復に安芸1往復さらに京都からの急行出雲1往復だった。その他には臨時では下関カラの長州などもあった。
この頃は、システムなどの関係から指定席とか予約とかの概念が薄かったから、ほぼ予約なしの状態で全国から万博客が来場する。それも万博前までは旅行をすることができなかった層まで。現在は、入場券の販売枚数、パビリオンの整理券や会場内の飲食店まで予約になるんだろう。それでも、2回目の大阪万博に行ってみたいですね。
長崎〜博多まで かもめ に乗車した日に、この動画をみるとは。😊
つくば万博は万博中央駅が今ではひたち野うしく駅になっていますね。
場所は一緒だけど別の駅😉
鉄道ダイヤ情報で読んだよエキスポこだまネタを集めるのも大変だろ
昭和60年(でしたっけ?)のつくば万博の際、エキスポライナーの1部は国電接続の形で取手着発で設定されてて大失敗だったようですけど、この時の「成功体験」から「途中駅始発でも問題ないんじゃね?」と思ったんでしょうね。約20年の間の、旅客ニーズの変化を甘く見ていたのはさすが国鉄としか言いようがないですが・・・・新在を同一列車名で走らすというのは、今はJR-Qのお家芸ですね。片方は「リレーつばめ」とか「リレーかもめ」と愛称名は違うけど、行先表示は「鹿児島中央」とか「長崎」とかになってるし。
それ以前に交直流電車足りなかった…😁
@@hofckagawakun 「取手で快速に接続」という事は、取手~上野 間で線路が空いていない という事ですね…
この仕組み現在でも使えるのでは? 東京発最終のぞみが新大阪着後リレー特急で岡山か広島まで結びそこから博多方向へ下るって事出来そうな気がするけど。
できるけど儲からない…😵
次の万博ではどのような列車が設定されるでしょうか?かなりの入場者数を見込んでいますし。
そこまで客こないやろ!既に「愛・地球博」でさえ特別な列車は聞いた事ない…😁
当時は高速道路もあまり発達してなかったし、鉄道しか長距離輸送がなかった時代。大阪メトロ中央線延伸と高速バスで十分対応できるかと。あったとしてもJR桜島駅からのシャトルバスちゃうかな。
まあでも当時は定期の長距離夜行急行列車も悉く在来一般型客車で冷房があるのはロザとロネハネそしてほぼ絶滅寸前だった食堂車位なもの。青塗アルミサッシデコラ張り内装の近代改造車ならキハ58系と比べても遜色なく冷房もまだ然程普及していなかった当時、今から思うほどには苦情も無かったのでは?茶塗り未更新車が入ったとしても、定期急行ですらそんなのが混ざっていた当時だから然程問題にはならなかっただろうね(まぁこんなものか…的に)。12系が使えれば良かったけれど当時はまだタマが少なかったし既に増発列車に引っ張りだこで余裕がなかったのだろう。
最近はビジネスライクだけじゃないJR東海、東京〜三島は新幹線連絡、三島駅発着で南紀・四国・山陽・山陰方面の寝台特急かクルーズトレインを運行してくれないかな。
私は、JR東海が繁忙期に名古屋(大垣)~三島にムーライトながらを復活し、東京~三島の新幹線の特急券をセットにした割引切符を発売してほしいです。
ある種、「リレーつばめ」や「かささぎ」の御先祖。
まさか次回の大坂万博で復活運行するとは思わないじゃないですか
今でも東京発のサンライズ瀬戸・出雲で岡山まで乗車し、岡山から山陽・九州新幹線のみずほに乗り換えて山陽・九州方面に行く人たちもいるとか。そのためなのか一部では「サンライズみずほ」と呼ばれているそうで。
1985年の筑波科学万博の時には、後のひたち野うしく駅の基盤になった駅の整備、1990年の大阪花博の時には長堀鶴見緑地線が開業、2005年の愛知万博の時には愛知高速鉄道が開業した。しかし2025年の関西万博はこれといったものが聞こえてこない。大阪では特別博としてカウントされている大阪花博も含め3回目の万博開催。これだけの回数を開催したところは他にはない。ならば「イベント大国」大阪の意地を今こそ見せて欲しい。
大阪メトロ中央線延伸は?
683系関西大阪万博輸送に使われる説カーブばかりの伯備線特急やくも説は無いと思った(島根県民)
下りはどうなっていたんだろう。三島から延々大阪まで回送ももったいない気が。
多分営業運転しても殆ど乗る人いなかったのでは?下りも夜行運転して早朝大阪に着くなら或いはワンチャンあったかも(^^);
12系座席車も数も少ないですし?苦肉の策でしたね?新幹線の積み残しもありよく出来た列車だと思います。
珍どこ列車を超える迷列車
上りしかなかったのかな下りがあったら新幹線なのに新じゃない『大阪行』表示で???ってなるのに
回送でその日のうちに大阪まで客車を戻すこと、さらには早朝の回送の新幹線を客扱いすると言うこの発想を思い付かれた方はまさに神ですね。
客車は古くともそれだけの需要に対応できたのもダイヤ編成者と現場との連携がうまく行っていた証拠です。
実は12系は本来このエキスポこだまでこそ真価を発揮するのですが
当初創価学会臨時列車用に作られたものが言論弾圧問題で創価学会が利用債の支払いができなくなり、また天理教や金光教からの批判も凄かったのでメーカー救済目的で万博臨時列車輸送名目ででっち上げた代物なので
本来使われるべきエキスポこだまには使われていません。
現在でもたまに上りのサンライズが遅れたときに東海道新幹線に乗り換え連絡するときありますね。
「博多」→【金星】→「名古屋」→【ひかり】→「東京」
の、乗り継ぎが何故か頭に浮かんだ。
僕は関西ブルトレを連想したです。
これはまたすごい列車ですね。大阪から三島まで在来線を夜行急行として運転し三島から新幹線乗り換えで東京で急行券は1枚で発券だから今でいう特急リレーかもめと西九州新幹線かもめみたいですね。
大阪万博は当時の国鉄としては最大の稼ぎ時では有ったものの車両不足だけはどうしようも無かったらしく、「エキスポこだま」在来線部門も、各鉄道管理局からかき集めた旧型車両(休車状態のおんぼろ)だったために指定席でも乗り心地は悪かったが、万博を閉場時間までしゃぶり尽くしたうえで翌日会社に出る為には文句を言える状態ではなかった乗客多数いて平日でも9割以上の乗車率だったし、当時空気を運んでいた始発の三島発を満車状態に出来たから一石二鳥だったのです
この時運行していたのは「銀河」定期2本・臨時2本・「安芸」・「瀬戸」定期2本・臨時(8月中のみ運行)・「出雲」(京都まで山陰本線)等の夜行急行はあったものの、「安芸」は広島周辺の固定のお客様・「瀬戸」は四国からのお客さま・「出雲」は山陰地区からのお客様で万博輸送には期待できない状況であれば「銀河」のみが万博輸送で使えるものの、元々のビジネス客もいるもんだから当時の国鉄としたら頭抱える問題だったらしく「エキスポこだま」も満席になると駅で夜を明かした人も多くないみたいでした
車両はボロいし早朝に乗り換えさせられるわで、「これ絶対『目論見外れた迷列車やろ」と思って見始めたら、まさかの大盛況。今とは時代が違うとしみじみ感じました。
こういった成功体験が忘れられなくて来たる25年にもう1度万博をやろうと考えるんでしょうけど、どう転んでもヤバい結末しか予想できない・・・・
BSフジの鉄道伝説でも取り上げられた列車ですね。車輌は、各地に在籍していた数少ない予備車をかき集めて組成された夜行列車でした。
三島からは新幹線のこだまに接続するダイヤでした。
急行券を一枚で発券?
リレーかもめとかリレーつばめみたいな感じだったんですね。
国鉄時代からあったのか…。
【国鉄のキレ者の存在証明】みたいな列車🥳
当時、話題の『新幹線に乗れる』をエサに無理難題をクリアしてみせた本店の奇策に現場も唸らずを得ず🤔
新幹線エキスポこだまは、三島車両基地から東京への回送列車をする流用したもので、今で言うホームライナーの源流ですね😀
70年の大阪万博の話は両親からよく聞きました。
国鉄もそうでしたが、大阪府民は民鉄や市営地下鉄で来場していたため、市内の混雑も半端なかっただろうなと想像します。話によると、阪急千里線最終天六行きに乗る羽目になった(当時は市営地下鉄の終電は早かった)ところ、乗客.zipの要望で動物園前まで延長、したはいいものの接続の各線はすでに終わっていた。しかし帰り先がなんばだったため、日本橋でぎりぎり近鉄の最終に乗って帰った(千日前線はすでに終わっていた)そうです。
乗客.zipで草
NKKさんのかほり
乗客.zipは草
めったに乗れない新幹線に乗れるんだから、乗客からも文句は出なかっただろうなあ。
面白かった!
まさに「窮すれば通ず」ですね。
夜行とは言え、夏の旧客非冷房での満員すし詰め状態はキツイなぁ~?
当時の急行はスハ43が当たり前でした。さらに東京から東北への臨時急行となると背ずりが板張りという客車すら駆り出された時代でした。
それでも全席指定というのは有り難いものだったことと思います。
三島で乗り換えるこだま号で涼めたことでしょう。
急行「銀河」とて20系になったのは新幹線博多開業の1975年
それまでは10系ほか旧型客車の組成でしたからね
スハ44が座席車として組み込まれていましたこちらには
2025年の万博でも285系を使って臨時寝台特急が設定される可能性もありますね
夜間の輸送は高速バスだけでは足りないと思うので
そこまで客こないと…😵
そもそも、開催されるんですかねぇ…?
この列車は当時新鋭の12系客車が使われているのだと思い込んでました。
元々12系は創価学会臨時列車用に作られたものを言論弾圧事件で利用債が消滅した為急遽万博臨時列車用に予算を書き換えて作ったので
エキスポこだま充当は自民党と公明党の猛反対で実現してません。
銀河は当時定期的2往復だけでその他には急行瀬戸2往復に安芸1往復さらに京都からの急行出雲1往復だった。その他には臨時では下関カラの長州などもあった。
この頃は、システムなどの関係から指定席とか予約とかの概念が薄かったから、ほぼ予約なしの状態で全国から万博客が来場する。それも万博前までは旅行をすることができなかった層まで。
現在は、入場券の販売枚数、パビリオンの整理券や会場内の飲食店まで予約になるんだろう。それでも、2回目の大阪万博に行ってみたいですね。
長崎〜博多まで かもめ に乗車した日に、この動画をみるとは。😊
つくば万博は万博中央駅が今ではひたち野うしく駅になっていますね。
場所は一緒だけど別の駅😉
鉄道ダイヤ情報で読んだよエキスポこだま
ネタを集めるのも大変だろ
昭和60年(でしたっけ?)のつくば万博の際、エキスポライナーの1部は国電接続の形で取手着発で設定されてて大失敗だったようですけど、この時の「成功体験」から「途中駅始発でも問題ないんじゃね?」と思ったんでしょうね。
約20年の間の、旅客ニーズの変化を甘く見ていたのはさすが国鉄としか言いようがないですが・・・・
新在を同一列車名で走らすというのは、今はJR-Qのお家芸ですね。片方は「リレーつばめ」とか「リレーかもめ」と愛称名は違うけど、行先表示は「鹿児島中央」とか「長崎」とかになってるし。
それ以前に交直流電車足りなかった…😁
@@hofckagawakun
「取手で快速に接続」という事は、取手~上野 間で線路が空いていない という事ですね…
この仕組み現在でも使えるのでは? 東京発最終のぞみが新大阪着後リレー特急で岡山か広島まで結びそこから博多方向へ下るって事出来そうな気がするけど。
できるけど儲からない…😵
次の万博では
どのような列車が設定されるでしょうか?
かなりの入場者数を見込んでいますし。
そこまで客こないやろ!既に「愛・地球博」でさえ特別な列車は聞いた事ない…😁
当時は高速道路もあまり発達してなかったし、鉄道しか長距離輸送がなかった時代。
大阪メトロ中央線延伸と高速バスで十分対応できるかと。
あったとしてもJR桜島駅からのシャトルバスちゃうかな。
まあでも当時は定期の長距離夜行急行列車も悉く在来一般型客車で冷房があるのはロザとロネハネそしてほぼ絶滅寸前だった食堂車位なもの。青塗アルミサッシデコラ張り内装の近代改造車ならキハ58系と比べても遜色なく冷房もまだ然程普及していなかった当時、今から思うほどには苦情も無かったのでは?茶塗り未更新車が入ったとしても、定期急行ですらそんなのが混ざっていた当時だから然程問題にはならなかっただろうね(まぁこんなものか…的に)。12系が使えれば良かったけれど当時はまだタマが少なかったし既に増発列車に引っ張りだこで余裕がなかったのだろう。
最近はビジネスライクだけじゃないJR東海、東京〜三島は新幹線連絡、三島駅発着で南紀・四国・山陽・山陰方面の寝台特急かクルーズトレインを運行してくれないかな。
私は、JR東海が繁忙期に名古屋(大垣)~三島にムーライトながらを復活し、東京~三島の新幹線の特急券をセットにした割引切符を発売してほしいです。
ある種、「リレーつばめ」や「かささぎ」の御先祖。
まさか次回の大坂万博で復活運行するとは思わないじゃないですか
今でも東京発のサンライズ瀬戸・出雲で岡山まで乗車し、岡山から山陽・九州新幹線のみずほに乗り換えて山陽・九州方面に行く人たちもいるとか。そのためなのか一部では「サンライズみずほ」と呼ばれているそうで。
1985年の筑波科学万博の時には、後のひたち野うしく駅の基盤になった駅の整備、1990年の大阪花博の時には長堀鶴見緑地線が開業、2005年の愛知万博の時には愛知高速鉄道が開業した。しかし2025年の関西万博はこれといったものが聞こえてこない。大阪では特別博としてカウントされている大阪花博も含め3回目の万博開催。これだけの回数を開催したところは他にはない。ならば「イベント大国」大阪の意地を今こそ見せて欲しい。
大阪メトロ中央線延伸は?
683系
関西大阪万博輸送に使われる説
カーブばかりの伯備線特急やくも説は無いと思った(島根県民)
下りはどうなっていたんだろう。三島から延々大阪まで回送ももったいない気が。
多分営業運転しても殆ど乗る人いなかったのでは?下りも夜行運転して早朝大阪に着くなら或いはワンチャンあったかも(^^);
12系座席車も数も少ないですし?苦肉の策でしたね?新幹線の積み残しもありよく出来た列車だと思います。
珍どこ列車を超える迷列車
上りしかなかったのかな
下りがあったら新幹線なのに新じゃない『大阪行』表示で???ってなるのに